法医学は医学であり、法学ではない

 タイトルを読んで、「お前はアホか?」と思われた方が多いと思われるが、これが意外に笑い事ではないようなのである。敢えて説明するのもなんだが、法医学とは、司法解剖やDNA鑑定などを行う医学の一分野である。医学に詳しくない人でも、テレビドラマを見て多少の知識は持っているという人が多いかもしれない。名取裕子さんが主演する「法医学教室の事件ファイル」や、若村麻由美さんが法医学者を演じる「科捜研の女」(主演は沢口靖子さん)など、法医学者が活躍するドラマがあるからである(いずれも長年続いている人気ドラマである)。

 

 しかし、世の中には頓珍漢なことを言う御仁が珍しくないもので、法医学の「法」という一文字に意識を奪われてしまうのか、法医学を法律学の一分野だと思い込んでしまうらしいのである。当世の社会事情からして、法医学には倫理的な問題はもちろん、法的な問題も付きまとうから、法学部で法医学に関連する法律を学ぶことはあるかもしれないが、それは、あくまでも法律学として学ぶのであって、医学として学ぶわけではない。

 

 そもそも、日本語では修飾語は前に付くものであって、「法+医学」なら、それは法ではなく医学である。もっとも、近頃では話はそれほど簡単ではないとは言える。例えば「首都大学東京」というのがある。昔東京都立大学という名称だった。日本語の常識から言えば、「首都大学東京」は大学ではなく、東京という自治体であるということになる。真っ当な日本語なら「東京首都大学」になるはずであり、初めて聞いたとき、「それは大学なのか?それとも自治体なのか?」と思った人も少なくないのではないだろうか。「この奇妙奇天烈な名称は、もしや英語表記の直訳か?」と思ったが( Metropolitan University of Tokyoとか)、英語では「Tokyo Metropolitan University」と表記するそうだから、いよいよ意味が分からない。「素直に東京首都大学にしろよ」と言いたいのは私だけだろうか。

 

 で、話を法医学に戻すと、昨日のニュースで、東大の新入生が将来の志望についてインタビューを受けている場面があったのだが、その中の一人が「ワクチンを創る仕事をしたい」というようなことを言っていた。理Ⅲの学生だったのかもしれない。それはそれで良い。ところが、返す刀で「法医学に興味があるので弁護士にもなりたい」と言っていた。言っては何だが、一瞬耳を疑うような発言である。理Ⅲの学生 → 医学 → 法医学というのは分かる。しかし、法医学 → 弁護士というのは全く意味不明である。私は法学部出身なので、医学部のカリキュラムのことは知らないが、例えば教養課程なら、法医学に関連する法律科目があるかもしれない。しかし、医学部の学生が、民法や刑法や訴訟法を専門的に勉強するはずがない。それはあくまでも法学部の分野であり、弁護士になりたいのなら法学部に進むべきである。もちろん、ロースクールには法学未習者コースがあるから、医学部を卒業してからロースクールに進学することは可能である。しかし、それでは医学部6年、ロースクール3年で、9年間を費やしてから司法試験を受験することになる。これはどう考えてもナンセンスであり、医学部の6年間は無駄である。法医学を専門にしたいなら医学部であり、弁護士になりたいなら法学部である。

 

 してみると、上述したように、件の東大生は「法」という一文字に捉われ、法医学は弁護士になる人が専攻する分野だと思い込んでいたのではないだろうか。いささか信じ難いが、法医学は医学ではなく法学であるという勘違いである。もしそうなら、これは実に滑稽な話である。東大生だというから勉強はできるのだろうし、試験に強いタイプなのだろう。しかし、余りにも無知であり、その発言をそのままニュースで放映するテレビ局もテレビ局である。おそらくは、テレビ局関係者も法医学=法学という認識だったのだろう。コメンテーターとやらも、「理科系の学生も弁護士を目指すんですねぇ」などと言っていた。その無知ぶりもさることながら、法医学が医学ではなくて法学だという日本語力にも呆れてしまう(その昔、「日本語の乱れは、政治家とアナウンサーの無知が原因」と言われた時代があった)。余りに呆れたので、パソコンの前に座った途端に指が動き始め、このブログいてしまったような次第である。

 

 しかも、同じニュースで盛んに放映していたが、最近、またもや日本人の英語狂騒曲が始まったらしいのである。小学校から英語を習うことになったせいもあるだろうが、インターナショナル・クラスのある学校とやらが人気で、クラスの7割が日本人の子供なのだという。英語の勉強を始めるのは早いほどよく、中学校からでは遅すぎるといった親の認識からだろうが、日本語も英語も中途半端な国籍不明人になるのがオチではないだろうか。ただでさえ日本語ができない日本人が増えているのに、小学生のときから英語漬けにして何をしたいのだろうか。子供を海外に移住させたいのか、外資系企業に就職させたいのか、その真意は不明だが、英語が少しできるだけの国籍不明人は、外国の社会では受け入れられないだろう。これは多くの識者が指摘するところである。

 

 そもそも、日本人が英語に弱いのは、日本語と英語の根本的な相違にも原因があるが、最大の理由は学校における教育方法に問題があるからである。だから、中学校から大学まで10年間勉強しても、英語ができない人が多い。しかし、戦前の日本では、中学校から英語の勉強を始めても、英語ができるようになっていた。戦後の日本人が特別に無能なわけではないから、学校の教育方法に問題があるだけなのである。「学校の教育方法に問題があるからこそ、インターナショナル・クラスに進学させる。普通の学校ではまともな英語教育は受けられない」という主張には一理あるだろうが、いささか思慮が足りないという印象は免れない。言っては何だが、英語狂騒曲の裏側には、日本語ができない日本人を増やそうだの、日本文化を根絶やしにしようだのという企みが潜んでいるとしか思えないのである。


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伊調馨選手に対するパワハラ事件について

 今さら言うまでもないことだろうが、日本は世界に冠たる自殺大国であり、苛め大国でもある。生活保護政策などは外国人優遇で日本人は冷遇されているため、高齢者が生活苦から自殺するケースが多いようだが、餓死する人も珍しくない。もちろん、餓死しているのは生活保護を受けられない日本人だけである。外国人が餓死したという話は寡聞にして知らないどころか、生活保護を受けながらポルシェを乗り回している外国人がいることはネットニュースで知った。実に呆れた国である。

 

 で、苛め自殺である。主として中学生の苛め自殺が多いようだが、教育界も政府も口先だけで無策である。一方で少子化対策を叫びながら、また一方では、日本人の子供の自殺を喜んでいるのではないかと勘繰りたくなるところである。そもそも、少子化というのは、移民政策を推進するための厚労省によるデータ捏造で、実は少子化が進んでいるというのは嘘なのだという。移民受け入れに熱心な安倍首相らしいやり口であり、騙されている日本人は、いい面の皮であり、日本人の生活は困窮の一途を辿っているようである。

 

 ところで、目下のところ、苛めで想起するのは伊調選手に対するパワハラ事件だろう。ニュースによると、伊調選手に対するパワハラは2010年頃から続いていたそうだから、よくオリンピックで4連覇ができたものだと感心するしかない。4連覇自体が超人技なのだから、もはや神の領域の人かと崇めたくなるところである。

 

 その伊調選手に対するパワハラ事件だが、何とも浅ましい事件なので、国民の耳目を集めたというより、その心事の醜悪さに眉を顰めた人が多いのではないだろうか。件の事件は、レスリング界で絶大な権力を振るっていた協会の強化本部長である栄氏という御仁が、伊調選手に見限られたことが原因であることは間違いない。見限られたという言い方が適切かどうかはさておき、一人のコーチにのみ指導を受けるのではなく、より優れた多くのコーチの指導を受けたいと思うのは、選手の心情としては当然だろう。しかし、栄氏はそれを許さなかった。自分の指導を受けず、他のコーチの指導を受けるような選手は、試合に出場させないという卑劣極まりない行動に出たわけである。してみると、栄氏という御仁は、選手のためではなく、自分の名声のために選手を指導していたのだろう。だから、自分が育てた選手を他のコーチに取られる(?)ことが許せなかった。狭量というより、異常に嫉妬深く、性根の卑しい人物だったということである。

 

 たとえば、武道の世界には「守・破・離」という言葉がある。最初は師の教えを守り、次第にその教えを破っていき、遂には師を離れていくということである。栄氏の指導に飽き足りなくなった伊調選手が、他のコーチの指導を受けたいと望んだのなら、むしろ優れたコーチを紹介するぐらいの度量の広さを見せられなかったのか。一連のニュースを見た限りでは、栄氏はつくづく浅ましい御仁であるという印象を免れない。

 

 また、本件に関しては、魑魅魍魎の類がほかにも跋扈していたということだろう。パワハラの告発状が取り沙汰されたとき、レスリング協会は、調査を一切せず、直ちにパワハラ否定の見解を表明した。調査する意思もなければ誠意の欠片もないのであり、レスリング協会は、地位・名誉・金を恣にしている連中の巣窟なのだろう。さらに、至学館大学の谷岡学長とやらは、栄氏にはパワーがないからパワハラはできないだの、伊調馨は選手ではないだのと言って、パワハラ事件を揉み消そうとした。選手でないのにオリンピックで連覇してきたというのは奇怪な主張であり、それで大学の学長だというのだから、何ともおぞましい大学があったものである。

 

 そのほかにも、話をすり替えて逃げを打とうとした輩が多い。たとえば「馬鹿と言っただけでパワハラになる」「厳しく指導したらパワハラになるというのなら、選手は強くなれない」といった類の発言である。そうした発言を聴いて、「そうだ、そうだ。そのとおりだ」と納得した人も多いようだが、これは論理のすり替えというより、完全な誤魔化しである。伊調選手側は「馬鹿と言われた」とか、「指導が厳しい」と言ってパワハラ被害を訴えたわけではない。世界のトップ選手の練習なのだから、馬鹿と言われようが、間抜けと言われようが、ノロマと言われようが、それをパワハラだと批判する選手はいないだろう。厳しすぎる指導はむしろ歓迎であり、「和気藹々と楽しく練習しましょう」などという指導では、選手は誰も付いて行かないだろう。要するに、伊調選手側が、指導が厳しいからパワハラだと主張しているように思わせようとする嘘なのであり、全く反省の色がないのである。

 

 すでに広く知られていることだが、伊調選手側がパワハラだと主張したのは、田南部コーチが「伊調を指導するな」と言われたことであり、練習の場を奪われたことである。さらに、「よく俺の前でレスリングができるな」と恫喝されたとのことだが、強化本部長である栄氏の目の届かないところで試合に出るのは不可能だろうから、これは「レスリングを止めろ。引退しろ」と言っているに等しい。それもこれも「伊調選手のためだった」と姑息な嘘をついて恥の上塗りをしていたが、よくもヌケヌケと言えたものである。有り体に言えば、レスリング協会も大学も栄氏も腐敗しきっているのであり、自分たちの利権のために動いているだけなのだろう。

 

 今回、到底十分とは言えないが、伊調選手に対するパワハラが一部認められた。内閣府の調査は継続中だそうだが、見て見ぬフリをして幕引きを図るのかどうか、目が離せないところである。相撲協会といい、レスリング協会といい、腐敗しきった利権団体を見直すときに来ていると言うべきである。


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産業カウンセラー養成講座受講記(その後3)

産業カウンセラー協会はもちろんのこと、養成講座の同窓生たちとも二度と関わりを持つことはないと思っていたのだが、試験に合格すると同窓生たちの去就が気になり始め、同窓会開催のお誘いメールを送信したことは(その後2)に書いた。すると、誰でも考えることは似たようなものらしく、既に同窓会開催の動きが始まっていた。私のメールに対する返信は数件しか届かなかったのだが、しばらくすると、1件また1件と返信が届くようにもなった。

 

結果、全員参加ではないようだが、今月末に同窓会が開催されることになった。有り体に言えば、私は老い先短い年寄りであり、今さら若い人たちの仲間に加わるのもどうかという気がしないでもない。昨年末には、かれこれ十数年ぶりに山岳会に入会したのだが、長年のブランクで衰えた身体はいかんともし難く、どうにも身の置き所がないという有様で、カウンセリングが必要な精神状態に陥っている感があるのである(笑)。

 

もっとも、私がクライアントの場合、産業カウンセラー協会流の来談者中心療法は通用しないだろう。私に言わせれば、それは「カール・ロジャース原理主義」とでも言いたくなるような手法だが、そもそも私は、20回も30回もカウンセリングを受け続けるほど暢気な性格ではない。カウンセリングにそれだけの費用をかけるほど裕福でもない。むしろそれが普通だろうと思う(大抵のクライアントは1回から3回くらいでカウンセリングに行かなくなるそうだ)。カウンセリングは、20回も30回も傾聴を続けることにより、クライアントが自ら変容するのを援助するというのは、机上の空論に過ぎないと思われる。100人に1人くらいは、そういうクライアントがいるかもしれないが、よほど時間と金を持て余している人ではないだろうか。かつて、一世を風靡したという来談者中心療法は、カウンセリングの基本として重要だろうが、私がクライアントなら、さしずめ論理療法または実存主義的な療法あたりが有効ということになるだろうか。

 

さて、長々と枕を振ったが、実は、産業カウンセラー試験に合格後、カウンセリングに関する書籍をいろいろと買い込んで読み漁ってみた。すると、これらの書籍がなかなかどうして面白いのである。養成講座のテキストは意味不明の記述が多く、読むことが苦痛だったのだが(たとえば「セラピストは、その関係の中で、一致しており、統合していること」という記述を読んでも、何のことか全く理解できなかった)、市販されている多くの書籍の中には、非常に示唆的で共感できる内容の書籍も少なくない。養成講座を受講しているとき、私が疑問に思っていたこと、納得できなかったこと、批判していたこと、その他もろもろの点について、容易に回答が見つかるのである。その結果、協会が教えるカウンセリングは「カール・ロジャース原理主義」だと思うようになったのだが(笑)、養成講座を受講している頃にこれらの書籍と出会っていたら、カウンセリングに対するイメージ、産業カウンセラーに対するイメージが、全く違ったものになっていたことだろう。今にして思えば、たった500頁のテキストと140時間の講座では、およそ話にも何もならないのである。恥ずかしながら、最近になって、私は漸くそのことに気付いたのである。

 

そこで、最後になったが、産業カウンセラー養成講座を受講しようと考えている方々に、テキスト以外のさまざまな書籍を購読することをお勧めしたい。試験に合格した人でも、「よく分からないまま合格してしまった」という人が少なくないと思われるので、今後、多くの書籍により古今東西の哲人・心理学者・カウンセラー等に学ぶことをお勧めしたいと思う。もっとも、職業としての産業カウンセラーを目指している方は、この世界に足を踏み入れたときから弛まぬ努力を続けていることだろう。私も見習わなければならないと思う今日この頃である。


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産業カウンセラー養成講座受講記(その後2)

先日のことである。日本産業カウンセラー協会から1通の封書が届いた。中身は今年度の産業カウンセラー試験の合否通知で、私は合格してしまったらしい。

 

実は、得体の知れない産業カウンセラーなる資格は、私の理解を超えた異様なモノに思えていたので、もう試験を受けるつもりはなかった。しかし、私はどちらかと言えば試験は得意な方である(早稲田や慶応の出身者は大抵そうだろう)。得体の知れない試験のために多くの時間と労力と金を費やして、何も残らなかったというのは業腹である。そこで、今年度も土壇場になって受験願書を提出してしまった。去年は年末年始に入院してしまい受験勉強ができなかったが、今年の年末年始は少しばかり勉強できた(実は駅伝ばかり見ていた)。また、受験料の点からも、二度も不合格になるのは御免だったので、試験日の前に2日間の有給休暇を取得して準備した。とはいえ、試験が終わった後、できたのかできなかったのか、さっぱり判断がつかない状態だったことは前年度と変わらなかった。

 

ちなみに、試験会場で同期生の一人と1年ぶりに再会した。彼も前年度に不合格になり、「落ちたままでは終われない」というわけで、再挑戦に至ったらしい。しかし、二人とも、できたのかできなかったのか分からないという有様だった。とにかく得体の知れない試験なのである。どの回答を選んでも正解のように思える上に、自分では満点のつもりだったのに不合格になっていたりする。常識は通用しないし、国語の試験のつもりで回答したら大抵は不正解になる。受験に当たっては、一般常識の試験でもなく、国語の試験でもなく、産業カウンセラーの試験であるということを常に意識しておくことである。何が言いたいかというと、産業カウンセラー養成講座では、専らカール・ロジャースの来談者中心療法を教え込まれる。したがって、試験問題を解くときも「来談者中心療法ではどうなるか」を考えなければならない。なまじ日本語の読解力に長けた人は、まんまと罠に嵌って不合格になる嫌いがある。私は、今年の試験ではその点だけは常に意識して試験に臨んだ。その結果、合格になったのだと思われる。

 

で、その後日談だが、「産業カウンセラー」を名乗るには、日本産業カウンセラー協会に登録料と年会費を支払わなければならない。この点は弁護士や税理士と同様である。しかし、私は勤務先の会社で人事部に所属しているわけでもなく、実際にカウンセラーとしての業務を行う機会は皆無に等しい。もっとも、人生はどこでどう変わるか分からないので、ある日突然、今の会社以外のところで、そういう業務またはボランティアに携わる機会を得るかもしれない。NHKが、自殺志願者を助けている老齢の産業カウンセラーの特番を放送したこともあった。念のために登録しようかと思ったが、他の同期生がどうしているのか気になって、1年ぶりに全員にメールを送信してみた(思い返せば、同期生のメールアドレス名簿の作成を提案したのは私だった)。同窓会開催のお誘いメールも兼ねてのことだったが、返信は4人から届いただけである。合否確認メールや同窓会開催メールは迷惑だと考えている人が多いのだとしたら、合格している人は少ないのかもしれない。

 

なお、仕方がないので、取り敢えず協会に登録して、名刺に「産業カウンセラー」と書いておこうかと思ったが、会社から禁止された(笑)。従業員を虫けらのように使い捨てにする会社なので、産業カウンセラーなどという怪しげな資格を持っている従業員がいては困るのだろう。また、本来ならば、産業カウンセラーは人事部員が取得すべき資格だろうと思われる。しかし、私が勤務する会社にはそんな資格を持っているスタッフはいないだろうし、取得しようという向学心を持っているスタッフもいないに違いない。しかも、もともと私のところには、法律相談や身の上相談をしに来る従業員が少なくなかったので(無学な役員に「法律の勉強をしなさい」と言って追い出し部屋に叩き込まれる前は法務課長だった)、下手をすると、カウンセリング希望者が殺到するのではないかと恐れたのかもしれない(笑)。会社が契約していたカウンセリング会社も既に切られていた。いかにもブラック企業らしい対応と言えるが、どこまで行っても役に立たない資格である。もっとも、同期生の中には、高い講座受講料を会社に払ってもらって参加している人事課長もいたから、この点は会社の質、経営者の質の問題なのだろう。私が勤務する会社では、産業カウンセラーは厄介者以外の何者でもないのである。

 

ついでに書いておくが、インターネットを見ていると、「カウンセラーの資格が通信講座だけで取得できます」とか、「大学・大学院6年分の勉強を4カ月の通信講座で修了できます」といった広告が目に付く。受講料も産業カウンセラーの分の1程度である。「それならば!」と飛び付く人がいるかもしれないが、99%虚偽広告だと考えた方が良いだろう。産業カウンセラーの受験資格を得るための養成講座は20回もあり、1回が7時間である。約140時間の講座ということになるが、座学が5回で35時間、実技研修が15回で105時間といったところである。ほかに宿題も出て、提出に必要な時間は40時間程度と言われており、DVDによる在宅学習も9時間必要と言われている。それでも到底十分だとは言えないが、それだけこなして、やっと受験資格を取得できるのである。講座の期間は7カ月間であり、試験が終了するまでは9カ月間も要する。もし、4カ月の通信講座で大学・大学院6年分の勉強ができて、試験と称する課題を提出するだけでカウンセラーになれるのなら(カンニングOKだから、合格率はほぼ100%だろう)、大学も大学院もカウンセラー協会も無用の長物ということになる。最近は、この手の資格商法が流行で、得体の知れない資格を授与すると称して、高い受講料とべらぼうな登録料(中には登録料70万円というのもあるそうだ)を取る団体が増えているようだが、もちろん資格とは言えない資格であり、何の役にも立たないことは明らかである。世の中に、そんなウマイ話はないと心得るべきである。


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産業カウンセラー養成講座受講記(その後1)

「産業カウンセラー養成講座受講記(1)~(20)」を書いてから1年以上が経過したが、驚いたことに、1千本以上の投稿があるこのブログにおいて、現在に至ってもアクセス数の上位は「受講記シリーズ」が占めているのである。それほど世間の注目が高い資格であるとすると驚嘆に値するが、今年も産業カウンセラー試験が実施され、合否の状況がどうなっているのか気になり始めた。

 

実は、私と同じ教室で、7カ月間にわたって養成講座を受講したメンバーは14人いたのだが、この1年の間、誰からも一度も連絡がなかった。もともと余り仲が良いメンバーではなく、講座が終了した後で飲みに行くとか、コーヒーショップに行くといったことは殆どなかったので、当然の成り行きなのかもしれないが、なにしろ時間と労力と金を費やして受験資格を取得して、漸く受験に漕ぎ着けた試験である。見も知らぬ他人のことはいざ知らず、7カ月間も苦労を共にした同期生の合否が気になるのは人情だろう。教室によっては、同窓会を開いているところもあるというから、妙に冷めたメンバーが揃った教室だったのかもしれない。

 

とはいうものの、連絡が来ない一番の理由は、誰も合格していないからではないかという疑問もある。自分が落ちているときは人に合否を尋ねにくいだろうし、自分が受かっているときも、相手が落ちていたら悪いという思いが頭を擡げるから、やはり尋ねにくいとは言える。結局、誰かが一斉に合否結果確認メールでも送信するか、同窓会の開催でも呼び掛けないと話が先に進みそうもない。とはいえ、やはり気が重いのが産業カウンセラー試験である。なにしろ受かったメンバーがいるとは思えないのである。

 

ちなみに、大きな書店へ行けば、カウンセリングに関する書籍がいろいろと棚に並んでいて、「傾聴」や「認知行動療法」といった言葉が目に付く。「傾聴」は昨今の流行語にもなっているようで、私が勤務する会社の管理職研修でも「傾聴」という言葉が出てきた。試みに薄い本を1冊購入して第1章を読んでみたところ、当然のように産業カウンセラー養成講座で教わったことが書かれている。言ってみれば「蘇る悪夢」といったところだが、その最たる例は次のようなことである。

 

すでに「受講記シリーズ」に書いたことだが、産業カウンセラー養成講座では「クライアントに共感し、無条件に受容しろ」と繰り返し教え込まれる。その点だけを聴くと何となく理解できるような気にもなるが、話はそれほど単純ではない。私が最後の最後まで理解できなかった点は、自分の経験に基づいて共感してはならないという点である。たとえば、「両親が相次いで亡くなった。妻に逃げられた。会社をリストラされた」という悩みを抱えたクライアントがいたとする。両親に先立たれたり、妻に逃げられたり、会社をリストラされた経験がある人なら、その悩みの深さを容易に理解できるだろう。しかし、自らの経験からクライアントの悩みを理解すると、カウンセラー失格の烙印を押されてしまうのである。

 

どういうことかと言うと、カウンセリング理論(いろいろな理論があるが)では、この場合、同じような経験をしたカウンセラーは、クライアントに共感しているのではなく、自分自身の過去の経験について悩んでいると見なされる。したがって、クライアントに共感し、無条件に受容できるのは、両親に先立たれたこともなく、妻に逃げられたこともなく、会社をリストラされた経験もないが、クライアントの悩みに共感できるカウンセラーということになる。あるいは、自分自身の経験をすべて消し去って無の状態で共感することになるわけだが、本当にそういうカウンセラーがいるのかどうかは疑問である。もっとも、共感の意味が普通の意味とは異なるのだと考える余地はあるだろう(と、最近思うようになった)。とにかく、外国語の直訳で満足し、正しい日本語にする努力を怠ってきたのだろうと思うほど、異様な言葉が多い世界なのである。

 

これはあくまでも私見だが、両親に先立たれたことがなければ「親が先に死ぬのは普通だろう」と思う人だっているだろう。妻に逃げられたことがなければ「女房と畳は新しい方がいいぞ」と思うかもしれない。会社をリストラされた経験がなければ「リストラされたのはお前の能力の欠如だろう」と考えるかもしれない。人は、自ら経験していないことには共感できないとまでは言わないが、余りにも恵まれすぎた人生を歩んだ人なら、容易に他人の悩みを理解できないということはあり得そうである。聖人君子だけがカウンセラーになっているはずもない。「カウンセラーとして共感するのは、心ではなくテクニックであり、それが専門家としての技能だ」とでも言うのだろうが、それがクライアントに信頼されるカウンセラーと言えるのだろうか。それでは余りにも人間味がなく、飼い主を慕ってくれる愛犬に話した方がよほどマシだという気がする。

 

もし、私(還暦を過ぎた爺である)がクライアントだとしたら、専門家と称する24歳の女性カウンセラーに対して、「両親に先立たれた。妻に逃げられた。会社をリストラされた」という悩みを相談することはしないだろう。仮に相談したとして、そのカウンセラーが共感できるとは思えないし、共感できると言うのなら、「そういう演技をするのがカウンセラーか・・・・」とか、「カウンセラーは嘘つきだな」とでも思うだろう。少なくとも、絶対にそのカウンセラーを信頼することはないと思う。しかし、産業カウンセラー養成講座では、そういうカウンセラーになれと教え込まれるし、自分の同様の経験から共感してしまったら、カウンセラー失格の烙印を押されるのである。言ってみれば「感情のないロボットのような人間か、ゴルゴ13のような人間になれ」ということだろうか?私がずっと疑問に思っていたことだが、先日購入した書籍にも同じことが書かれていた。私にとっては頗る奇妙なことであり、「私は産業カウンセラーにはなれない」と判断した所以である。

 

とはいえ、私がカウンセリングを受けたカウンセラーは、「助言ができないカウンセラーは現場では役に立たない」と言っていたし、話を聞くだけで一切の助言はせず、質問に対して「それを考えるのは貴方自身です」と突き放すカウンセラーに、高いカウンセリング料を払い続ける酔狂なクライアントが大勢いるとは思えない。「養成講座の受講中と試験のときだけ言われたようにすればいいのよ」というカウンセラーの言葉が思い返されるところではある。

 

さて、今年は同期生たちから合否確認の連絡が届くのだろうか。それとも誰一人として合格していないのだろうか。二人の講師のうちの一人が嫌な奴だっただけに(笑)、同窓会を開催しようという気にもならないのだが、彼らとは二度と会うことはないのかもしれない。会うは別れの始まりであり、それはそれで仕方のないことではあるのだが。


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早稲田大学の思い出あれこれ(1)

 2月14日配信のNEWSポストセブンに、「奨学金『延滞者数』が多い大学 ワースト10」という記事があった。その7位に早稲田がランクインしているのだが、この記事を巡って、かなりの数のコメントが書き込まれていた。中でも、早稲田や大阪産業大などに関するコメントが多かったように思える。私が早稲田出身だから早稲田に関するコメントが目に付くだけかもしれないが、良くも悪くも早稲田に対する注目度は低くはないだろう。早稲田の評判を落とすために数字を操作した順位表だというコメントもあった。事の真偽はともかくとして、慶応や成城などが入っていないのは「そうだろうな」と思わせる。つまりは、そういうこと(親の経済力次第)なのだろう。

 

 その奨学金だが、返済の延滞者が多いというニュースは珍しくない。また、返済に困った女性が風俗業に携わるようになったとか、奨学金の返済のために結婚もできないといった深刻な報告もあるようだ。確かに、有利子で返済が必要となると、大学卒業後、10年以上も返済に苦労することになるのかもしれない。以前、私の部下の女性が奨学金返済の苦労を何度か話してくれたが、経済的負担以上に精神的な負担が大きかったのかもしれない。借金を背負って社会に第一歩を踏み出すというのは、内心穏やかではなかったのだと思う。

 

 で、件の記事の書き込みを読んでみると、これがなかなか面白い。私が学生の頃は、早稲田の学生というと貧乏学生のイメージがあり、ヨレヨレのTシャツとジーンズ姿というのが早稲田マンの定番で、慶応や青学の学生とは住んでいる世界が違うというイメージだった。私などは少しだけマシな方だったと思うが、普通の格好をしていると、「早稲田らしくない」とか「慶応みたい」と言われたものだ。実は、慶応にも合格したのだが、慶応はお坊ちゃま大学というイメージが強く、「スキー部は日本国内ではスキーをしない」とか、「酒を飲むのは銀座」などという都市伝説があったこともあり、貧乏な家庭に育った私には、いささか敷居が高いと思われた。早稲田なら、高田馬場や新宿の場末の飲み屋で飲むのである。また、三田なら良いが、日吉(教養課程)には行きたくないという思いや、友人たちの多くが早稲田へ進学したという事情もあって、結局は早稲田を選んだ。しかし、現在では相当に事情が異なるらしい。

 

 ちなみに、私の場合、家庭教師や土方のアルバイトをすることはあったが、何とか奨学金は借りずに卒業できた。件の記事に「慶応はお坊ちゃま大学だから早稲田に進学した」と書き込んだら、「早稲田の学費は慶応より高い」とか(私は「早稲田の方が学費が安い」とは書いていないのだが、日本語の読解力が乏しい人なのかもしれない)、「早稲田の学生は金持ちの子弟が多い」というコメントが書き込まれたが、ミニ東大化が叫ばれるようになり、早稲田の学生事情がずいぶん変わったのかもしれない。私の時代は、地方の名門進学校の出身者が目白押しで、いろいろな方言、いろいろなお国自慢を聴けたものだが、今では都会の金持ちの子弟が多いのだという。ただし、私は調べていないので、真偽のほどは定かではない。書き込んだ人の主観なのか、あるいは、たままたその人の周囲の学生がそうだったのかもしれない。

 

 もっとも、学生気質がすっかり変わってしまったという話はずいぶん前に聴いていた。早稲田界隈に「早苗」という喫茶店があったのだが(早稲田の高田早苗先生の名前から付けたらしい。名物喫茶店だったが、今でもあるかどうかは確認していない)、試験前にはそこの勉強用の席で勉強したので、早稲田で稲門会連合会の総会があったときに立ち寄ってみた。すると、店は建て替えられて綺麗になっており、そこのママが「早稲田の学生は来なくなって、今は近隣のサラリーマンばかり」と言っていた。建て替えのとき、古い店の勉強用机を貰って帰ったOBがいたそうだが、時代は確実に変わっていたのである。

 

 なお、私は早稲田の学費が安かった時代の最後の世代になる(当時は慶応よりも安かったと記憶している)。私が入学した翌年と翌々年に続けて学費が値上げになったのだが、その値上げ率が尋常ではなかった。2年間で63%(だったと思う)という大幅な値上げだったのである。私が在籍していた法学部では、学年末試験を控えた1月・2月に、授業ボイコットという学費値上げ反対のストライキを打った。しかし、何の効果もなく、学費は値上げされた。おまけに法学部の学生は意趣返しのような措置を受けることになった。それは、ストライキ後の数日のうちに、全科目の学年末試験が一斉に実施されたのである。連日、2科目・3科目の試験が続いたから、学生は大慌てであり、ストライキ期間中に勉強に勤しんでいなかった学生の成績は芳しくなかったことだろう。自業自得と言われればそのとおりなのだが、いかにも早稲田らしい(?)出来事ではあった。その結果、2年後輩の私の妻は、私の1.6倍の学費を払う羽目になったのだから気の毒なことである。

 

 余談だが、法学部だけがストを打ったのは自治会の相違による。当時、法学部自治会は民青の支配下にあり、他の学部の自治会は核マルが支配していた。それで法学部だけがストを打ったのだが、早稲田祭も同様で、当時の早稲田祭は核マルが主導しており、パンフレットの売上収益が活動の資金源になっていた。法学部は早稲田祭とは別に法学部祭を開催していたが、アカデミック過ぎて人気はなかったようである。

 

 話が二転三転したが、たった4年間のこととはいえ、早稲田の思い出は多い。遠い昔のことなのだが、ほんの10年前のことのように記憶は鮮明である。最近は、買ったまま箪笥に仕舞い込んでいた早稲田ロゴのトレーナーやTシャツを着て外出するようになった。手持ちの衣装が少ないせいもあるが、温泉地の旅館やペンションに一人で泊まときに着ていると、強面の私でも、女将さんや仲居さんたちの愛想が良くなるので愛用するようになった(笑)。母校である以上、何の問題もないと思うのだが、世間には早稲田ファンも多い代わりに、早稲田嫌いも頗る多い。当時、毎年10万人が受験して9万人が不合格になっていたのだから、逆恨みしたまま年を取った人たちが少なくないのかもしれない。もっとも、以前の上司は、早稲田は不合格で東大には合格したそうで(東大生の4人に1人、一橋大生の2人に1人は、早稲田を不合格になっていると言われていた)、そういう人は早稲田に遺恨を持ってはいない(当然か・・・)。最近知り合いになった人たちの中にも、「なぜ、そんな着ているの?」と言って、早稲田トレーナーやTシャツに難癖をつける人もいて、「早稲田」の文字に過剰反応する人が多いのは煩わしい。大きなお世話であり、「母校だからだよ」としか言いようがないのである。とはいえ、旅館の女将さんや仲居さんたちの友好的な反応は歓迎であり、やはり「たかが早稲田、されど早稲田」なのである。


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なぜ「日本軍従軍慰安婦はフィクションだ」と言えないのか

 今や年中行事化しているが、韓国が日本軍従軍慰安婦問題を論って騒いでいる。日本では、「日韓合意を履行しろ」という主張が大勢を占めているようだが、韓国人に「約束・合意・条約等は遵守しなければならない」という思想はないはずである。この点は、福沢諭吉翁も断言している。自分たちに都合のよい約束は相手に守らせるが、自分たちに都合の悪い約束はいつでも破る。それが韓国人であり韓国である。まして、相手が日本なら、どのような不条理な真似をしても許されると思っている。日本は絶対悪であり、韓国は絶対善であるという前提に立っているからだ。したがって、韓国に「日韓合意を履行しろ」と要求するのはナンセンスだということになる。そもそも日本にしてからが、韓国が合意を履行しないことは承知の上で合意したものと思われるが、もし安倍首相だけが認識していなかったのなら、学習能力が皆無で底なしの馬鹿であるということになるだろう。相手は韓国なのである。

 

 ところで、日韓合意は安倍首相の外交的勝利だったかのように主張する人たちが多いようだが、そういう認識には根本的な誤りがあると言わざるを得ない。外交的敗北だったからこそ、現在のように際限なく従軍慰安婦問題が蒸し返されるのである。安倍政権では、河野外相が韓国の主張を突っぱねているが、次の首相が韓国との再交渉に応じる可能性はある。もし、岸田や石破が首相になろうものなら、こんな合意はたちまち白紙撤回され、再交渉の末、首相が代わるたびに韓国を謝罪訪問するという合意に変わるかもしれない。賠償金は10億円から10兆円に跳ね上がる可能性もあるだろう。しかも、1回限りのことではなく、何度も繰り返し支払いを強要される可能性もある。現に、繰り返し払い続けてきた賠償金は天文学的な金額になり、今まで韓国経済を支えてきたのである。韓国が今後も国家として存続していこうとするなら、日本の賠償は永久に繰り返されなければならない。それが寄生虫国家・韓国が存続するための絶対条件だろう。

 

 さて、いまさら書くまでもないだろうが、日本軍従軍慰安婦とは、吉田清治なる詐話師が創作したフィクションである。戦時中に、吉田は日本軍兵士として済州島へ行き、韓国人女性を拉致して従軍慰安婦にしたという手記を書いた。しかし、済州島の人々は「そのような事実はない」と主張し、当の吉田自身が完全なフィクションであると認めていた。にもかかわらず、朝日新聞が「日本軍が韓国人女性を拉致して従軍慰安婦にしたという手記が発表された」とご注進に及んだため、悪乗りした韓国人が真実であるかのように騒ぎ立て、元従軍慰安婦と称する売春婦を前面に押し立てるようになった。それが日本軍従軍慰安婦問題である。おまけに、韓国に与する国連のラディカ・クマラスワミが、吉田の手記を証拠として日本軍従軍慰安婦は事実であると騒ぎ立てて世界中に拡散したのだから、実にお粗末極まりない。こんなことが罷り通るなら、敵国だろうと友好国だろうと簡単に陥れることができる。それを正面から証明したのが日本軍従軍慰安婦捏造事件なのである。

 

 ちなみに、韓国人は「従軍慰安婦問題は女性の人権問題である」などと大義名分を唱えて支持を集めているが、韓国人に女性の人権などという思想はないはずである。売春は韓国の文化であり、売春婦(キーセン)を育成するキーセン学校まであった国なのである。現在、アメリカで大量に逮捕されている売春婦は韓国人ばかりであり、日本の大阪だけで韓国人売春婦は5万人以上いると言われている。東京ではそれ以上だろう。アジア諸国に輸出されている売春婦の人数も膨大な数に上るようで、アメリカの著名なジャーナリストであるマイケル・ヨン氏は、「韓国の薄型テレビに売春婦が付属していないことが不思議である」と言っている。ソウルでは「売春させろデモ」が行われている猟奇的な国家なのであり、売春が女性の名誉や人権を踏みにじると考えているはずがないのである。その証拠に、ベトナム人女性を従軍慰安婦にした上で虐殺した韓国軍のことは問題にしていないし、第5種官給品(韓国軍慰安婦)や基地村女性(アメリカ軍慰安婦)のことは一切問題にしていない。日本軍従軍慰安婦が捏造であることも、日本を陥れるための工作であることも、韓国人が売春婦の名誉や人権に無関心なことも明らかなのである。

 

 では、何が最大の問題なのかと言えば、日本の政府・外務省、マスメディア、歴史学者などがこれらの事実を主張しないことである。日本軍従軍慰安婦がフィクションであり捏造であることは、吉田の自白、済州島民の証言、アメリカの調査などで明らかになっている。にもかかわらず、日本の首相や外務省は、決してフィクションであるとは言わない。「謝罪は繰り返し行ってきた」、「賠償は終わった」、「二度とこの問題は蒸し返さないと合意した」と主張するのみである。しかし、合意や条約は破られるものである。独ソ不可侵条約にしろ、日ソ中立条約にしろ、日韓基本条約にしろ、一方的に破棄または無視されてきたのが歴史厳然たる事実である。もし、安倍首相が従軍慰安婦に関する合意だけは未来永劫遵守されると確信していたのなら、底なしの馬鹿というより国民を欺く大嘘つきなのかもしれない。安倍首相は、学習能力が皆無で底なしの馬鹿なのではなく、自分の政権の時代だけ無事に乗り切ろうと企んだ大嘘つきと見るべきなのではないだろうか。

 

 有り体に言って、安倍政権が別の政権に変われば、たとえ自民党政権であろうと、日韓合意を白紙撤回する可能性はある。万一、立憲民主党が政権を奪取したら、首相が代わるたびに韓国を謝罪訪問し、賠償金10兆円を支払うという合意に変わる可能性もあるだろう。現在の状況はその予兆と言えるのではないだろうか。そのような愚かしい未来が到来しないようにするためには、捏造された従軍慰安婦問題で謝罪することや賠償金を支払うことは止め、「日本軍従軍慰安婦はフィクションであり、日本が謝罪する謂われはない」と主張・証明する以外にない。そうでなければ、何度謝罪しようが、賠償金を支払おうが、この問題は永遠に蒸し返されるのである。

 

 まことに残念なことだが、今では事情を知らない多くの日本国民が、「日本軍従軍慰安婦はいた。日本は性奴隷国家だ。我々の先人は恥知らずだった」と思っているのではないだろうか。ただ、「賠償金は支払ったし、問題は蒸し返さないと合意したから、この話は忘れよう」と自分に言い聞かせているだけではないかと思われる。そういう負い目は頭蓋骨の内側に寄生虫のように張り付き、子孫たちに受け継がれていくことになるだろう。そして、いつの日か再び頭を擡げて来るのである。安倍首相は、姑息な合意で無事に任期を終えようなどとは考えず、過去・現在・未来の日本国と日本国民の名誉のために、断固として「日本軍従軍慰安婦はフィクションであり、日本が謝罪する謂われはない」と主張すべきである。


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司法テロ-最高裁は北京の工作機関か?

 あらかじめお断りしておくが、このブログは超が付くほど辛口である。読むに堪えないと思われた方は、途中で読むのを止めていただいて結構である。

 

 さて、私は裁判官という人種が大嫌いである。本来なら、最も知性・教養・良識・愛国心等を併せ持っていなければならないはずなのに、現実の裁判官は真逆である。彼らには北京やソウルに対する忠誠心はあっても、日本に対する愛国心は微塵も感じられない。その極めて特権的な地位を利用して、さまざまな反日活動を行ってきたのが裁判官という人種である。今では、彼らの反日行為に対して、司法テロという言葉が使われるようにまでなったが、言い得て妙であり、日本にとって最も危険なのは、北の将軍でもなければ世界制覇を目論む北京の狂人でもない。前から飛んで来るミサイルよりも、後ろから飛んで来るミサイルの方が遥かに危険なのである。そして、一昨日言い渡されたNHK裁判の判決は、最高裁が北京に支配されていることを証明するかのような判決だった。

 

 件の判決は嘘と欺瞞の塊のような内容で、裁判官の厚顔無恥ぶりを証明しているとも言える。この点では、嘘をつくことに慣れ切ってしまった腐敗政治家とよく似ている。特権を持つと、「自分は人を殺しても罪にならない。祖国を滅ぼしても責められない」という心境にでもなるのだろう。最高裁は立憲民主党と同じくらい危険な存在になったと言えるのではないだろうか。国内にこれほどの敵がいては、国民が北のミサイルに無頓着になるのも無理はない。最高裁の司法テロに比べれば、北のポンコツミサイルなどは恐れるに足りないのである。

 

 で、今回の裁判で、NHKは例によって「放送法が定める『豊かで良い放送』をするために受信料制度は不可欠で、合理性や必要性がある」などと主張していたらしい。NHKは、南京事件や従軍慰安婦の捏造に加担し、先帝陛下を性犯罪者に仕立て上げ、支那が日本の宗主国であるかのような報道を続けてきた。北京政府に直結しているため、その第一の特徴は天皇制を敵視していることにあると言える。かつては支那の要人たちでさえ天皇陛下には敬意を払っていたが、NHKには天皇陛下に対する敬意は微塵も感じられない。NHKの姿勢から見て取れるのは、「皇室をなくせば日本は滅びる」という確信だけであり、北京の狂人を日本の天皇にしたいのではないかと思わせる。その点で北京の意向と一致していると言えるだろう。そのHNKの偏向報道を公共放送と認定し、受信料に税金よりも重い支払義務を負わせたのが今回の判決である。というのは、税金ならば収入がなければ納税義務は発生しないが、NHKの受信料は、収入がなくても支払義務が発生するのである。その一方で、在日はどれほど裕福でも支払義務を免れる。今の日本でこれほど不公平な制度はほかには見当たらないだろう。その制度を公共放送の一言で合憲と認めたのが反日裁判官たちである。

 

 したがって、皇室を尊崇し、天皇制を支持する国民であっても、NHKが天皇制廃止を主張する番組を制作する費用を負担しなければならない。南京事件や従軍慰安婦が捏造であることを知っていても、捏造を後押しする番組の制作費を負担しなければならない。それが合憲だというのである。ちなみに、受信料は5年で消滅時効にかかるという下級審判決があったが、最高裁は消滅時効を一切認めないという。したがって、30年前の受信料や50年前の受信料であっても支払義務があることになる。テレビドラマの水戸黄門に出て来る悪代官よりもたちが悪いのが今の最高裁判事である。NHKの受信料徴収人はやくざのような連中だから、「払えないのなら内臓を売って金をつくれ」とでも言い出しそうである。もちろん裁判所は「当然の要求であり、合憲である」と言うだろう。

 

 かつて、南九州税理士会事件という事件があった。その事件は、自分が支持していない政党に献金するための特別会費の納入を拒否したことで、税理士会において不利益を受けた税理士が税理士会を訴えた事件だったが、特定の政党(自分が支持していない政党)に献金するための特別会費の納入拒否は正当とされた。当然のことだろう。たとえば、維新の会を支持している税理士が、自民党に献金するための会費を強制徴収されるとすれば、政治思想の自由を奪われたに等しい。同様に、南京事件や従軍慰安婦を肯定し、天皇制を否定するような番組の制作費用を強制徴収されるのは、明らかに思想・良心の自由の侵害になるはずである。しかし、最高裁の反日裁判官は、「南京事件や従軍慰安婦の捏造も、公共放送を名乗れば許される。国民はその経費を負担しなければならない」と言っているのであり、悪代官どころか地獄の鬼より酷い連中である。

 

 そもそも、NHKのような反日工作機関が、日本の主権者のように君臨していることが異常だが、それを裁判所が支持していることは異常どころの騒ぎではない。放送法が改正されない点から見れば、政治家の多くが外国勢力の影響下にあること容易に想像がつく。また、今回の裁判において、裁判官には一人当たり1億円程度の賄賂が送られたのではないだろうか。15人で15億円になるが、NHKにしてみれば、ティッシュペーパーの代わりにしても惜しくない程度のはした金だろう。反日裁判官が多いというだけではなく、現金が動いたとでも考えなければ説明がつかない不当な判決である。これこそ外国勢力と結託した司法テロというものではないだろうか。反日裁判官たちに神罰が下ることを祈りたい。


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パワハラ・虐待と同僚の転職

 同僚の情報システム課長(以下「情シス課長」という)が転職した。私が今の会社に転職したとき以来、かれこれ7年ほどの付き合いだった。私は法務課長で、彼は情シス課長だったから、特別に親しかったわけではないが、それなりにウマが合ってはいた。なにしろ3年以上勤続する従業員は稀なブラック企業である。7年勤続した私は前世紀の遺物のようなものだが、彼は20年も勤続した稀有な人物で、もはやジュラ紀の恐竜のような存在だったと言えそうだが、兎にも角にも7年間の付き合いがあったわけである。

 

 で、20年も勤続すれば、それなりに優遇されても不思議ではないのだが、そういう会社ではない。というより、そういう社長ではない。彼は社長に嫌われていたから、20年勤続しても課長のままだった。もっとも、部長はいなかったから、情報システム課のトップではあったのだが、昇格もなければ昇進もない。したがって、昇給もほとんどないに等しかったに違いない。実際、正社員として現場で10年働いても昇給がなく、事実上、非正規社員と変わらないというスタッフもいるのである。よくもまあ10年も勤続したものだと、感心するより呆れてしまうが、そういう私も7年も勤続してしまった。そして、ご多分に漏れず、社長から目の敵にされて不遇をかこつ身なのである。同様に、多くの部課長クラスが短期間で退職していったが、鬱病になって出勤できなくなった同僚も一人や二人ではない。すべて社長の執拗なパワハラ・虐待の犠牲者だったのである。

 

 さて、件の情シス課長がなぜ嫌われていたのかは定かでないが、一度、社長とぶつかったことがあったとは聴いていた。それは挨拶に関してなのだが、社長は従業員に対して、身体が90度になるまで頭を下げて挨拶しろと強要する。通常、最敬礼と言えば45度だから、それは傍目にも異様なのだが、社長はそれが礼儀正しいと信じて疑わない。天皇陛下に対する挨拶なら分かるが、一般顧客・利用者に対しても90度の挨拶を強要するのである。私が客だったら、「何て慇懃無礼な奴だ」と不快になるところである。また、女性スタッフに対しては、90度のコンスを強要するのだから最悪である。コンスとは朝鮮式の挨拶で、最近はこれを従業員に強要する会社が増えているらしい。マクドナルドがテレビCMで女性にコンスをさせ、顧客からクレームをつけられたという出来事があったそうだが、朝鮮かぶれには実に困ったものである。だから、私は自分が勤務する会社のサービスを絶対に利用しないことにしている。日本で礼法と言えば小笠原流に決まっているだろう。

 

 いささか話が横に逸れたが、件の情シス課長は椎間板ヘルニアの持病があったらしい。私も数年前に椎間板ヘルニアで入院したことがあるので、その苦痛はよく知っている。当然、90度の挨拶などご免だというわけで、社長に事情を説明したそうである。ところが、悪魔の化身のような社長は、従業員の健康や苦痛には全く関心がない。虐待で部下を鬱病にして退職させることが生き甲斐らしく、部下の苦痛に酔いしれるようなところがあるのである。情シス課長もさんざん怒鳴り散らされた挙句、例によって会議の席でも大勢の前で罵倒された。私以外にも、多くの従業員が反感を持ったと思うが、社長は自分の愚行・蛮行に気付かず得意満面だった。情シス課長は元々社長を嫌っていたらしいが、このときからいよいよ恨みが募るようになり、転職を決心していたそうである。

 

 もっとも、その後も何とか勤務してはいたのだが、冷遇されていたことは間違いない。本来なら、情報システム課の次長なり部長なりに昇進してもおかしくはないと思うのだが、たとえ定年まで勤続しても昇進はなかったことだろう。案の定、中途採用で部長が入社し、続いて次長が入社した。その次長というのは頗るアホで、私が見るに見かねて女性用更衣室を清掃したときに、「セクハラ事件が起こっている」と騒いだ御仁だったのだから、愚かしいにも程があるというものである(「痴漢冤罪とセクハラ冤罪は日本の文化?」http://blog.livedoor.jp/patriotism_nippon/archives/4819581.html)。また、部長というのも相当に評判が悪く、件の次長はセクハラ騒動で人事課から門前払いを喰らって間もなく退職したのだが、仄聞するところでは部長のパワハラに相当閉口していたらしい。別の腕利きのスタッフも、その部長を嫌って、担当の仕事を抱えたまま他部署に異動するという異常事態になった。情報システム課は崩壊寸前だが、その部長も近いうちに退職することだろう。同僚の情シス課長を追い出した挙句がその体たらくなのである。

 

 そういうわけだから、情シス課長が転職したのは正解だったに違いない。無論、転職先の会社が真っ当な会社だとは限らないが、私は、今の会社は日本のワースト・ブラック企業だと思っているので、20年も勤続しながら敢えて転職した情シス課長にエールを送りたい。サラリーマンが気楽な稼業だったのは植木等さんの時代の話で、平成の御世においては、サラリーマンは限りなく悲しい稼業のようである。


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「ゆとり教育」という亡霊が蘇る日(2)

 さて、今さら言うまでもないが、日本の歴史教育は、長年にわたって反日派による洗脳・反日教育が行われてきた。祖国や祖先を冒涜する教育内容は生徒たちの拒否反応を生み、日本の子供たちは歴史の勉強が嫌いになり、祖国の歴史を知らない人間が大量に社会に出ることになった。かつて、私の部下に、東郷元帥も乃木大将も知らない大卒者がいたが、呆れたことに本能寺の変も知らなかった。かろうじて織田信長は知っていたが、これは日本通の外国人にも遠く及ばないレベルであり、私が卒業した高校には、これほど無知な生徒は一人もいなかったことだろう。しかし、それをさらに低レベルに落とそうというのが「高大連携歴史教育研究会」の目的であることは間違いない。

 

 そもそも、日本の歴史捏造を牽引してきたのは、東大の歴史学者を頂点とする日本史学会であり、歴史学者の仕事は、日本を貶める歴史を捏造することだった。この点は韓国の歴史学者と同様であり、その捏造された歴史を生徒たちに教えてきたのが高校教員たちである。日本でまともに歴史を研究しているのは、歴史学以外の分野を専門とする門外漢の学者ばかりというのが実情なのであり、「高大連携歴史教育研究会」の実態も目的も、容易に想像がつくと言わざるを得ない。

 

 記事によると、「坂本龍馬」や「吉田松陰」などが消される候補だそうだが、その人選からも彼らの意図が読み取れるというものだろう。要するに、日本国民に人気がある人物、偉人・英雄と称賛されるような人物が目障りなのである。ということは、ほかにはどんな人物が歴史から抹殺されるかも想像がつく。すでに聖徳太子は消されてしまったらしいが、記事にある「武田信玄」「上杉謙信」のほか、歴史上の有名どころは軒並み消されてしまうのではないだろうか。西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、陸奥宗光などは言うに及ばず、緒方洪庵、福沢諭吉、大隈重信なども消されるかもしれない。要するに、偉人は日本史にとって邪魔な存在なのである。これは、私たちが子供の頃によく読んだ偉人伝が書店や図書館から消えたこととも符合する。

 

 では、なぜ日本に偉人がいてはならないのだろうか。これは誰でも容易に想像がつくことだろう。祖国の歴史というものがなく、偉人が存在しない国の僻み・妬みが原因に違いない。有り体に言えば、その国とは韓国である。韓国には正史というものがなく、その時代時代にいい加減に創作された歴史しかない。だから、教育を受けた時代により、韓国人が知っている韓国史は全く異なり、韓国史のテストができない状態が続いているという。例えば、李明博や朴槿恵の時代に歴史教育を受けた世代は、ほとんどが捏造された虚偽の歴史しか知らないだろう。それは、韓国が5千年の歴史を有する世界で最も偉大な国で、韓国人が最も偉大で優秀な民族で、世界のあらゆるものが韓国起源で、日本は世界で最も野蛮で愚かな民族の国であるという教育だったはずである。それは今も変わっていないだろうが、韓国で偉人と言えば、架空の存在でしかない檀君とテロリストの安重根くらいなのだから、否が応でも捏造せざるを得ないのだろう。それに対して、英雄・偉人が星の数ほど存在する日本の歴史は、韓国から見れば存在してはならない歴史に違いない。そのために、日本人の記憶から英雄・偉人を消そうと躍起になっていることは容易に想像がつく。その先棒を担いでいるのが「高大連携歴史教育研究会」なのであり、これこそが今回の陰謀の究極の目的だろう。「坂本龍馬」や「吉田松陰」の名前よりも、「共同体」や「グローバル化」の方が重要な歴史用語(笑)だと言って恥じない輩の集団なのだから、その実態や目的は容易に想像がつくというものである。

 

 もし、この陰謀が実現したら、日本は再び「ゆとり教育」の時代に戻ることになる。しかも、次は日本の英雄・偉人を日本人の記憶から消し去ろうという教育である。「敵国を滅ぼすのに武器は必要ない。教育を乗っ取れば滅ぼせる」と言ったのは誰だったか忘れたが、戦後の日本は、紛れもなくこの教育乗っ取り策に翻弄されてきた。南京事件や従軍慰安婦の捏造がその典型だが、これから英雄・偉人のいない国という新たな歴史教育が始まろうとしていると見るべきだろう。このブログで繰り返し主張してきたが、教育改革は日本の喫緊の課題なのである。

 

なお、上記の記事は次のように締めくくられている。以下は引用である。

 

坂本龍馬記念館・高松清之館長:「残念です。高知県にとって歴史上の人物といえば『坂本龍馬』です。幕末維新のうえで龍馬の役割は大きく、龍馬の行動や考え方は『思考力や表現力を重視する教育』に十分あたると思います。なぜ龍馬が消えてしまうのでしょうか」

 

(引用終了)

 

 もっともな疑問だと思うが、なぜ消えてしまうのかは明らかだろう。「思考力や表現力を重視する教育」などあってはならないというのが、「高大連携歴史教育研究会」の本音なのである。ちなみに、今どきの高校教員は「武田信玄は勇猛な戦国武将だった」という程度の知識しか持っていないらしい。「だから歴史教育には無用の人物だ」と言いたいのだろう。しかし、武田信玄は勇猛なだけの戦国武将ではない。信玄家法という分国法を制定したり、信玄堤などの土木・治水工事を行ったりしている。私が高校生だった頃は、そうした観点から武田信玄が教えられていた。「高大連携歴史教育研究会」の高校教員は、歴史用語・人物名だけを盲目的に暗記した馬鹿ばかりらしい。ならば、坂本龍馬や吉田松陰が何をしたかということも知らないに違いない。


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