サイパン島から北へ120キロほど先に
アナタハンと言う島があります。
大きさは南北に4キロ、東西に12キロ。
サイパン島が南北に22キロ、東西に9キロ
なので、サイパンの4分の一強。
どっちにしろ凄く小さい島ですね。

このアナタハン島、噴火するんです。
2003年5月に大噴火をしています。
この時は日本に一時帰国をしていた為
サイパンに戻ってきてから、どんなに
凄かったか話を聞いただけで
自分の目では何も見ていませんでした。

が、2005年の噴火は覚えています。
ちょうどお休みで家に居たのですが、
外が突然暗くなり始め、海の方から
黒い闇が押し寄せてくる感じ。
まるで、映画インデペンデンス・デイ、
自由の女神が闇に包まれていく
あの光景にも似ていました。

お休みで家に居ると、インターネットも
ニュースも何も見ないので
いったい何が起こったのか
全くわからず、、、、、、。
この世の終わりが来たか!
とも思ったほどです。

あれから早5年、。
島に住む人が何人かは
居たようですが、噴火で皆さん
避難されました。
でも、又島に戻って暮らしている方も
いるようです。
やっぱ、住み慣れた所がいいですよね。

このアナタハン島ですが、
【アナタハンの女王】という言葉を
聞いた事がありますか?
戦争と言うのはこんな悲劇をも
生んでしまうんだなと、、、。
彼女のせいではないのに、、。
まるで毒婦のような書かれ方を
している記事もあります。
全く酷い話だと私は憤慨しています。

ここから先は色々な資料を読み
私が勝手にかいつまんで書いた物です。
参考資料の文をそのまま引用している
箇所もたくさんあります。
まぁ、一つ私の話を聞いてやって下さい。

やはり戦中のお話です。
戦前、日本統治時代には
このアナタハン島にも
日本人の方が住んでいて、
椰子の栽培等していたそうです。

昭和19年6月の事。
日本のカツオ漁船数隻に軍属の
猟師が乗り込み南下していた所
米軍機の攻撃にあい、
【兵助丸】と【曙丸】と言う
漁船が沈没します。
沈没した漁船に乗っていた
乗組員はアナタハン島に
泳ぎ着きました。
【えびす丸】という漁船も時を
同じくして米軍の攻撃にあい
沈没しており、えびす丸の
乗組員を助けたのが【海鳳丸】。
この【海鳳丸】もアナタハン島に
たどりつきました。

翌日には遭難者を乗せて
島を出るはずだった
【海鳳丸】も結局空襲にやられ
計31名の乗組員が
アナタハン島に取り残されたそうです。

椰子の栽培に携わっていた人々が
70人くらい生活していたそうですが、
大方は他の島へ避難しており、
日本人では逃げ遅れた男性と
女性が、それぞれ1名づつ
残っていたようです。

男性は農園技師、女性はその技師の
部下の奥様だったそうです。
女性の名前は【比嘉和子さん】
後にアナタハンの女王と呼ばれた方です。

和子さんはパガン島で働いており、
そこで御主人と出会い結婚をされ、
アナタハン島に移り住んだそうです。
その時和子さんは22歳。

和子さんの夫は行方不明の妹さんを
パガン島に探しに行ったきり
消息がわからなくなっておりました。
戦中の出来事なのでどこかで
戦死したのかと思われていたようです。

そんな中、突如31名の遭難者が
一緒に暮らし始める事になったわけです。
和子さん達は農園を持っており、
若干の作物も収穫していたそうですが、
30名以上もの大人を養うほどでは
ありませんでした。
蓄えられていた食料は一月あまりで
底を付いてしまいました。

遭難者の方も芋作りなどを始めますが、
食料は到底足りず、ヤシガニ、トカゲ、
でんでん、こうもり等あらゆる物を
捕獲して食料にしたそうです。

ある日島は暴風雨に襲われました。
高波にさらわれ一人の男性が
行方不明になります。

それから1年余りがたった頃、
島は毎日空襲に襲われ、
残っていた原住民も皆、
島を脱出しており、残されたのは
この30名あまりの日本人だけ
だったようです。

それからまもなく日本は敗戦します。
昭和20年8月15日、終戦です。

しかし、アナタハン島に取り残された
人々が終戦を知る由もありません。
アメリカ軍の「でてきなさぁ~い」
「戦争は終わりました、日本は負けました」
という声も空からのビラまきも届かず、
逃げ暮らしていたのです。

アメリカ軍がアナタハン近くで拡声器を使い
人々に呼びかけても誰も終戦を信じる事が
出来ず、アメリカ軍の姿を見ると逃げ、
隠れていたそうです。

しかしながら、それなりに島での暮らしも
若干のゆとりが出来、食料にもさほど
困らなくなってきます。
椰子酒をつくり宴会等もしたようです。

島でただ一人の女性である和子さん。
彼女をめぐる男性達の戦いが
始まります。
和子さんはわが身を守る為に
農園技師の方と一緒に暮らしはじめます。
農園技師は和子さんが他の男性と
仲良さげに話をしているのを
見ただけで、和子さんに暴力を
振るったりもしたそうです。
男の妬深? 

昭和21年(終戦から丸1年がたっています)
兵助丸の船長が病死しました。
男性30人、女性一人となったわけです。

アメリカ軍の船が島に近付き、
和子さんと農園技師の男性が
ジャングルに逃げ込みます。
逃げ込んだジャングルに
墜落したB29の残骸を見つけます。
パラシュートの布や缶詰など。

パラシュートの布で服を作ったり
ガソリンタンクから鍋や釜。
機体の一部を削ってナイフを
作った人もいたそうです。
B29の残骸の中にはピストルと
弾も残されていました。
ここからが本当の悲劇の始まりと
言われています。

続く。