accessatlanta.comに8月6日付で掲載されたポール・マッカートニー独占インタビューの全文訳を掲載します。(ポール公式サイトでも12日付NEWSで紹介されています。)
長いインタビューなので、複数回に分けて掲載します。
これは、地元マスコミが8月15日に行われたアトランタ(Piedmont park)でのライヴに先立ち独占インタビューを行ったものです。
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8月15日、ピードモント公園は、ポール・マッカートニーが“The Green Concert”で演奏するのを聞く5万人の人々で一杯になると見込まれている。ビートルズとして1965年に立ち寄って(訳者注:1965年8月18のAtlanta Stadiumでのライヴ)以来、アトランタでの最初の野外ライヴの準備に取りかかっていたポールに、AJC(訳者注:The Atlanta Journal-Constitution)が、コーチェラ(訳者注:2009年4月17日のCoachella Valley Music & Arts Festivalへ出演)やマイケル・ジャクソン、そしてポールを駆り立てるものについて尋ねた。
AJC:このたびのツアーでは、今回のライヴのみが慈善コンサートだと認識している。おそらく、他からもリクエストがあったであろうが、なぜ、“ピエドモント公園保護”だけに決めたのか?
ポール:僕のプロモーターのバリー・マーシャルが、いつも僕にいくつかのものを提案してくるんだ。そして、僕らがすることといったら、僕のスケジュールとそれらをふるいにかけるんだ。だから、今回のことは、僕が実行できることであったし、気に入ったことであったんだ。しばらくの間、アトランタで演奏していなかったし、そこで演奏するということを気に入ったんだ。それが実際の理由さ。もちろん、自然保護ということも大きかったよ。
AJC:管理局は、最近、いくつかの環境保護主義者によって反対されたパーキングデッキを建てた。こうしたことは幾分、偏狭的であるとも思われるが、ある人から見れば、議論の余地のあるものとみなされているものに、あなた自身が巻き込まれているのではないかという心配はないか?
ポール:うん、確かに。そうした見方は知らなかったが、そういうことも見方もあるだろうね。イングランドの外で起こっているこういった類のことを詳しく知ることは僕にとっては容易なことではないんだ。もしあなたが私の観点から見るのであれば、環境保護という名において、“美化”されたことかもしれない。私にとっては、こういった話を一棟のアパートに変えてしまうよりむしろ、こうしたことが起きるのを見ていたいほうだ。公園は最小化されている。彼らがやっていることはすばらしいことだと思うし、論議はアトランタの人々に委ねたいと思うんだ。
AJC:ビートルズが1965年にアトランタで演奏した際、私の友人ジュリアはアラバマ州のタスカルーサからバスに乗ってやってきたが、彼女は今でも曲目をすべて覚えている。私の世代の多くの人々の人生においてもっとも思い出に残るコンサートであることに加え、アトランタにとっても、地図上に街を載せる手助けとなったため、重要であった。当時のコンサートやその後、アトランタに戻って来た印象はどんなものか?
ポール:アメリカのどの街に関しても、魅惑的であったと述べるのは好きではないんだ。つまり、あなた方が見ているような見方で、僕たちは見ていない。つまり、どこに行こうとも、僕たちにとってはすべてビッグだし、魅惑的なんだ。さっき、あなたは、タスカルーサと言ったけど、僕にとってはすばらしい場所のように思えるんだ。そこは、大きいのか小さいのかわからないけど、すばらしく思えるんだ。
--- 続く (ここまで全体の40%)---
【参考情報】accessatlanta.com
長いインタビューなので、複数回に分けて掲載します。
これは、地元マスコミが8月15日に行われたアトランタ(Piedmont park)でのライヴに先立ち独占インタビューを行ったものです。
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8月15日、ピードモント公園は、ポール・マッカートニーが“The Green Concert”で演奏するのを聞く5万人の人々で一杯になると見込まれている。ビートルズとして1965年に立ち寄って(訳者注:1965年8月18のAtlanta Stadiumでのライヴ)以来、アトランタでの最初の野外ライヴの準備に取りかかっていたポールに、AJC(訳者注:The Atlanta Journal-Constitution)が、コーチェラ(訳者注:2009年4月17日のCoachella Valley Music & Arts Festivalへ出演)やマイケル・ジャクソン、そしてポールを駆り立てるものについて尋ねた。
AJC:このたびのツアーでは、今回のライヴのみが慈善コンサートだと認識している。おそらく、他からもリクエストがあったであろうが、なぜ、“ピエドモント公園保護”だけに決めたのか?
ポール:僕のプロモーターのバリー・マーシャルが、いつも僕にいくつかのものを提案してくるんだ。そして、僕らがすることといったら、僕のスケジュールとそれらをふるいにかけるんだ。だから、今回のことは、僕が実行できることであったし、気に入ったことであったんだ。しばらくの間、アトランタで演奏していなかったし、そこで演奏するということを気に入ったんだ。それが実際の理由さ。もちろん、自然保護ということも大きかったよ。
AJC:管理局は、最近、いくつかの環境保護主義者によって反対されたパーキングデッキを建てた。こうしたことは幾分、偏狭的であるとも思われるが、ある人から見れば、議論の余地のあるものとみなされているものに、あなた自身が巻き込まれているのではないかという心配はないか?
ポール:うん、確かに。そうした見方は知らなかったが、そういうことも見方もあるだろうね。イングランドの外で起こっているこういった類のことを詳しく知ることは僕にとっては容易なことではないんだ。もしあなたが私の観点から見るのであれば、環境保護という名において、“美化”されたことかもしれない。私にとっては、こういった話を一棟のアパートに変えてしまうよりむしろ、こうしたことが起きるのを見ていたいほうだ。公園は最小化されている。彼らがやっていることはすばらしいことだと思うし、論議はアトランタの人々に委ねたいと思うんだ。
AJC:ビートルズが1965年にアトランタで演奏した際、私の友人ジュリアはアラバマ州のタスカルーサからバスに乗ってやってきたが、彼女は今でも曲目をすべて覚えている。私の世代の多くの人々の人生においてもっとも思い出に残るコンサートであることに加え、アトランタにとっても、地図上に街を載せる手助けとなったため、重要であった。当時のコンサートやその後、アトランタに戻って来た印象はどんなものか?
ポール:アメリカのどの街に関しても、魅惑的であったと述べるのは好きではないんだ。つまり、あなた方が見ているような見方で、僕たちは見ていない。つまり、どこに行こうとも、僕たちにとってはすべてビッグだし、魅惑的なんだ。さっき、あなたは、タスカルーサと言ったけど、僕にとってはすばらしい場所のように思えるんだ。そこは、大きいのか小さいのかわからないけど、すばらしく思えるんだ。
--- 続く (ここまで全体の40%)---
【参考情報】accessatlanta.com