名声を求めず台湾の開発にその命を捧げた不世出の技術者の強靭な魂、高い志と、70年もの昔の偉業を忘れることなく語り継ぎ、その恩に感謝して慰霊祭を営む台湾の人々の心。すべてが我々の心を深く打つ。ここに土木技術者の原点を見出だす。

八田與一が今日でも台湾の人たちに敬愛されている理由が、取材を通して筆者なりに理解できたことと、また與一の残した土木遺産が現在も立派に現役で使われていることの素晴らしさに驚いたのである。
旧植民地の台湾で日本人が51年間にわたって行ったものは、功罪数多くあると思う。だが少なくとも、八田與一の業績は日本人として誇れるものの一つであることに全く異論はないはずである。

皆様こんばんは。ピースです。
このブログ、話題にしたいことはたくさんあるのですが、仕事も忙しくなってきて、なかなか文章の形にまとめる時間が取れません。
まあ、でも3月までは、正直頑張りどころですね。

本題は、前回述べたとおり、講演会の報告の続きです。
今日は主に、徳光氏の講演の本題部分から、技師・八田與一の人物像と、それに対して私の思うところを、2つの項目から述べてみます。

1.「専門技術者」として

八田與一については、前回はその名前を挙げた講演名と、講演者であった徳光氏、藤氏のエピソードを述べただけでしたね。
そして、私もメインエントリで少し触れたことを繰り返しただけでした。
というわけで、改めてその功績について述べます。
八田與一は、台南地方、嘉南平野の灌漑という大事業を行い、そして水田の「水がめ」ともいえる烏山頭ダムというダムを造った人物として名前が残っている土木技師です。
この嘉南平野、大きさはおおむね九州くらいです。
私もこの講演会の時まではあまりイメージがわきませんでしたが、それだけの土地に水をいきわたらせるということですから、日本のダム事業とは比較にならない規模だということはもうお分かりですね。

それで、徳光氏の講演にも、このダムや水路に関する技術的な話題がいくつかありました。
烏山頭ダムは、「セミ・ハイドロリック・フィル工法」という手法を採用してつくられたダムです。
これは、中心部のみコンクリートを利用し、その部分から外側の土砂に水をかけることで、外側に粒径の大きな石や礫、内側に行くにしたがって砂、シルト、粘土と、粒径の細かく粘性・水密性の高い材料が集まってくるという性質を活かした工法です。

ところが、「コンクリートで造る」というのも、当時の技術でも当然有り得たわけですし、これだけの大きさのダムだと、施工性ではそちらに分があるということになると考えますよね。
それを、あえてこの工法を採用した理由の一つが、台湾、特に台南地方の「地震の多さ」にあったということです。
また「中心のコンクリートコアの高さをダム全体の高さの1/3程度にする」ということについても、八田自身がこの工法の権威と言われたアメリカの土木技師ジャスティンを説得し、決定したそうです。

当然、このダム建設と灌漑の影響として、農民の生活が豊かになるのですが、
そして、その農業に関しても、八田は「三年輪作」、すなわち稲作、サトウキビ、畑作という3種類の土地に、3年に一度水を供給するという方法を提案しています。

特に銅像が建てられ、そして前回述べた通り現在も慰霊祭に多くの人数が訪れるのには、もともとから「飲水思源」という思想が根付いていた事にもあるというお話もありました。
これだけを見ても、「現地を相手にし、その特性を活かす」という複雑かつ困難な技術的課題解決が、現代にも残る功績に値するものと十分納得できますよね。

2.「管理(あるいは監理)技術者」として

ところが、八田技師の凄い所は「専門性」だけではないんですよね。
管理技術者を目指す者としても、今回のお話を聞いて、改めて彼の功績には考えさせられることが多かったですね。

この事業は、当然ながら万事順調というわけにはいきませんでした。
具体的には、まずトンネル工事時の事故で、50名もの方が亡くなるということがありました。
そのとき、八田は亡くなった方々の家を一軒一軒回って、涙を流して謝罪したということです。
そして、この時には工事を中止することも考えたようですが、その遺族からも「工事に携わった方たちの死を無駄にしないためにも、ダムを完成させてほしい」という要望があって、最終的に自らの意思を貫き通したわけですね。
そして、最終的に134名の死者が出ましたが、ダムの完成後には殉工碑が建てられ、そこには亡くなられた方の名前が日本人・台湾人の区別なく、その順番に書かれているということです。

もう一つ、大正12(1923)年に関東大震災が起こり、その時には人材削減を余儀なくされるわけですが、
ここで八田は「優秀な人間から先に解雇する」ということをやったんですよね。
理由は、「優秀な人には再就職先が必ず見つかる」ということで、その再就職先の斡旋も行っていたということです。

今は電通やら三菱やらの件があって、「人材管理と労働問題」については非常に厳しい目で見られるようになりましたが、
当時、これだけの状況に対応するというのも、「知性」だけではなく「人柄」が伴っていないと、間違いなく出来ないことです


以上、2つの項目に分けて徳光氏の講演から八田技師の功績に関する話題を取り上げ、そして私の視点から考えたことを述べましたが、
本ブログを以前から読まれていることにとっては、「ここに書かれている歴史上の事実自体は知っている」という方も、結構多かったのではないでしょうか。
私も、ざっくりとは知っていたのですが、なにぶん大学学部時代にレポートに書いたことですし、詳細まで覚えているわけではなかったので、今回の講演はそこに関するいい復習になると同時に、こちらの記事では学生の時とはまた違った切り口から取り上げることもできたと思います。

最後に、冒頭の引用2つについてです。
まず、1つ目の土木学会の本ですが、これは「土木史」の本ではなく、タイトルの通り「技術者倫理」の本です。
ですが、「倫理」、言い換えれば、人として、あるいは技術者として持っているべき「行動原則」というのも、先人の功績から学べるものが多いということで、過去の土木技術者のことがコラムになっているわけです。
もちろん、八田與一だけでなく、こちらのエントリで取り上げた青山士と宮本武之輔についても、この本には紹介されています。

2つ目の斎藤氏の著書は、上でリンクを貼ったメインエントリでも参考文献にしていますが、今回この講演の内容をまとめてから読み直すと、また面白いかもしれないなと思って引用しました。
ただし、斎藤氏本人の解釈を書いた部分については、読む人が読まれると「歴史認識に問題がある」と考えられる方もいるかもしれませんし、
「前エントリでも使った『植民地』という言葉がこの引用元の箇所で適切なのかどうか」ということを初めとして、私自身も引っ掛かりを覚えた箇所も何点かあります。
しかしながら、それを差し引いても、本論部分は非常にいい内容と言えると考えます。

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