皆様こんにちは。ピースです。
暑い日々が続く一方で、豪雨による被害も九州ばかりでなく、東海、そして北日本と立て続けに発生しています。
メインエントリにも書いていることですし、それ以外でもこれまで何度も申し上げてきましたが、大事なのは「日本は自然災害大国」だということです。
常に、個人レベルでできる備えは怠らないようにしましょう。

と、申し上げたところでなのですが、今日は前回の最後に書いた通り、その九州水害の話題からはいったん離れまして…
昨日(7/16)は、いつもこのブログで参加報告をやっております、黒田裕樹先生の歴史講座に参加いたしました。

(このブログを普段からお読みの皆様はお気づきだったかもしれませんし、そうでなくても上のタグでのリンク先を参照された方は思われたことかもしれませんね。
「あれ?『その壱』はどこに行ったの?」と。
それが前回(第60回)だったのですが、私は生憎ながら欠席してしまいました…)

今回もいつも通り、レジュメの章立てから。
  1. 遣唐使のはじまりとその後の中断
  2. 鑑真の渡日と刀伊の入寇
  3. 元寇で見せた「鎌倉武士の意地」
  4. 神風をもたらした「断固たる決意」
  5. 征夷大将軍の重責と「元寇抹殺計画」
「その壱」が聖徳太子の時代までということだったようですので、今回はその後の大化の改新~鎌倉時代までの日本外交を中心に取り上げられました。
中でも、目玉になるのは、今回の講座でも後半を丸々割いている「元寇」ですね。
こちらでは、今回は講座の内容全体を通しての感想と、「刀伊の入寇」について述べさせて頂き、次回、元寇の話を中心に取り上げたいと思います。

まずは、全体の感想から。
日本という国の独自性を生み出している歴史的背景の一つは、「他国からの『侵略』と言える行為を受けたことが極めて少ない」国であることだと言われますね。
その「日本が受けた他国からの侵略」というと、義務教育レベルで習う歴史の範囲だとほぼ唯一と言えるのが、この「元寇」でしょう。

一方で、過去に「土木史」に関して土木学会誌から引用したエントリ、そして月刊Hanadaの大石久和先生のコラムを取り上げたエントリで書いた通り、(「歴史」という科目の中で習うかは別として)「自然との戦い」についての記録はたくさんあるという個人的印象を持っています。
そして、今回取り上げられた前半の遣唐使、そして鑑真の渡日も、嵐で船が難破したとか、そういうエピソードも数多くあるほど命がけの渡航だった(皆様ご存知の通り、鑑真は5度失敗して、失明状態までになったと伝えられているくらいですから…)わけですし、後半の元寇についても、4.のタイトルにある「神風」が吹いたということで、このような外交と他国の侵略の要素が濃い時代においても、やはり「自然」が絡んでくるというのが、まさに日本史だと思うんです。

次に、「刀伊の入寇」についてですが、これはレジュメからの引用で。
1019年3月、「刀伊(とい)」と呼ばれ、後に金を建国した女真族を中心とする海賊の船団が、突如として我が国の対馬に来襲しました。海賊はその後も壱岐から北九州へと移動して、各地で多数の住民を殺害し、あるいは捕虜(ほりょ)としました。

この非常事態に当時の大宰権帥(だざいごんのそち)であった藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、各地の地方武士を率いて奮戦し、わずか十数日間で刀伊(とい)を撃退しました。記録上、わが国の領土に上陸した敵軍を倒した初めての出来事であったこの戦いは、後に「刀伊の入寇(にゅうこう)」と呼ばれています。

さて、海賊による我が国への侵略を撃退した藤原隆家の勇敢な行為は、現代から見ても表彰ものですが、当時の朝廷は、隆家にどんな褒賞を与えたと皆さんは思われるでしょうか。

実は何も与えていないのです。それどころか、彼の行為を叱責すらしているのです。

その理由としては、刀伊の入寇が起こったことの朝廷への報告が遅れて、朝廷が侵略を知ったときにはすでに女真族が撃退された後だったから、という「手続上の問題」が挙げられていますが、そんな形式的な理由よりも、当時の朝廷による「鉄則」が背景にあったからでした。

では、その「鉄則」とは何でしょうか。カギを握るのは、わが国固有の文化である「和歌」です。

我が国最初の勅撰(ちょくせん、天皇や上皇の命令で歌集などを編さんすること)和歌集である古今和歌集の冒頭の序文に「仮名序(かなじょ)」というのがありますが、その一節にこんな文章があります。

「力の一つも入れずに天地の神々を動かし、目に見えないあの世の霊魂を感激させ、男女の仲を良くして、武人の心すら和やかにすることができるのが和歌なのです」。

要するに、和歌さえ詠んでいれば、それに潜む超自然的な存在によって、自分たちの思い通りに世の中を動かすことができる、ということなのです。

当時の朝廷は、和歌によって我が国の「平安」を祈っていれば、その力によって我が国が平和になる、と本気で信じていた傾向がありました。その「鉄則」からすれば、藤原隆家が武力で海賊が
(原文ママ:「海賊を」の誤りと思われます)撃退したことは「余計なこと」であり、だからこそ当時の朝廷は隆家に恩賞を与えなかったばかりか、彼を叱責すらしたのでした。

朝廷の見解に関しては、皆さんにも様々な意見が存在するかとは思われますが、冷静に考えてみれば、現代の私たちも「悪いことが起きませんように」と日々を過ごすことはあっても、万が一のための備えをついつい忘れがちではないでしょうか。

あるいは、日本国憲法の「平和主義」を過信して、9条を一切改正することなく、ひたすら守り続けていれば、わが国がいつまでも平和であり続けると思い込んではいないでしょうか。

何事も起きなければよいに越したことはありません。しかし、危機管理を普段から施すとともに、私たちも「万が一」のことを普段からしっかりと意識しておかなければ、いざというときの災害や侵略を防ぐのが難しくなることは明らかです。

「刀伊の入寇」は、現代にも通じる我が国にとっての大きな教訓を与えていると言えるでしょう。
この「刀伊の入寇」、このブログをお読みの皆様の中でご存じだった方は、恐らく極めて少ないと思います。
私も、元寇より前にこのような事例があったということは、初めて聞きました。
そして、黒田先生も、今回第61回の講座で、この歴史上の出来事は初めて取り上げたそうです。

ここで申し上げたいことは、やはり、「歴史に学ぶ」ことの重要性です。
この引用元にもある通り、歌を詠んだり、祈ったり、そして憲法9条を唱えたりしていれば、いつまでも平和が続くということであれば、それがベストかもしれません。
でも、「そんな考え方につけ込む国や組織はいつになっても後を絶たない」というのは、まさに歴史が教えてくれることでもあります。
それで、私自身も「自分の家に鍵をかけるのと同様に、有事に対する備えは常に必要だ」ということも書きました(ただし、リンク先のエントリはこれ自体ではなく、その先が本題なのですが)。

また、この黒田先生のレジュメには、「『万が一』のことを普段からしっかりと意識しておかなければ、いざというときの災害や侵略を防ぐのが難しくなる」と書かれています。

このブログでも取り上げた、昨年の第2回憲法トークライブのテーマが、「『シン・ゴジラ』『災害』と憲法を考える」でした。
その時も、「憲法に理想を書くことはすべきでない。仮に憲法に理想を書けばそうなるというのであれば、『津波が来てはならない』とか『道路が陥没してはならない』とか憲法に書いておけばいい」という井上和彦先生のお話を引用しましたし、「日本人は『万が一』を極端に嫌う」ということも、ズバリそのまま取り上げていますね。
そして、私自身の考察も、
「津波が来てはならない」とか「道路が陥没してはならない」とか、そういう考え方で普段の生活を過ごし、そして(政党を問わず)大規模災害の発生しやすい国土特性なんて考慮に入れる気もない政治家を選ぶ国民が多くなってしまったことこそが、まさにメインエントリに述べている「"Civil"面的平和ボケ」の本質といえるでしょう。
という書き方をしました。
さらには、この「大規模災害の発生しやすい国土特性なんて考慮に入れる気もない」という具体例として、前回取り上げ始めた九州豪雨のエントリでは「スーパー無駄遣い」発言も取り上げましたね。

今回は、講座全体を通した私の考察として、「日本の歴史は『自然との戦いと共生』の歴史であり、今回のような他国との交流、あるいは他国からの侵略にも『自然』が絡んでいる」ということを書きました。
「侵略」という"Military"的な緊急事態に対する備えだけでなく、「災害」という"Civil"面的な備えをセットで考えるということが、今後ますます重要になると私は確信しています。


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