2008年12月14日

ブログ更新中止のお知らせ

2005年の4月より続けてきたこのブログですが、今回の更新をもって、今後の更新を中止したいと思います。

理由としましては、私自身にブログを書く時間的、精神的余裕がなくなったこと。これまでの流れでの内容を書くことができなくなったこと。の2点が挙げられます。

私としてはここで一旦「卒業」という形をとりたいと思います。

また別の形で私の考え方などをこういったブログでみなさんに見てもらう機会を作れたらいいなぁとは考えています。

これまでに何度も訪れていただいた方々、コメントをいただいた方々、快くリンクをしていただいた方々に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

今後もこのブログは、しばらくはこのままにしておきたいと思っています。

私自身、過去のブログを見直して、今後の生活に役立てていきたいと思っています。

本当にありがとうございました。



peaceofmind7776 at 23:51|PermalinkComments(2)TrackBack(0)その他 

2008年08月07日

暑中お見舞いもうしあげます。

みなさん、こんばんは。そして、お久しぶりです(苦笑)暑中お見舞い申し上げます。

また、ずいぶんと期間が空いてしまいました(苦笑)

正直なところ、今の自分の状態は、外に表現をしていく状態ではないようです…バタバタと忙しい中で、自分の今までとこれからを考える時期にきています。

だからと言って、ここを閉めるとかいう話にはならないのですが、それでも、一つ一つのブログの間隔が大きくなることは、間違いないようです。

このブログを始めて間もない頃、このブログの副題を「一人のカウンセラーの一つの考え方」と変えました。今思うと、この副題も今の自分にとっては、意味深いものになってきています。

私自身、このブログを見直して、その中から感じること、思ったことが、今の私の問いへの答えになっていくような気がします。

この前、友人と話していて「他人の事よりも自分の事のほうがわからない」という話をしていました。

カウンセリングでも、いろんな自己啓発本でも「自分に問いかけ、答えを導きだす」ことを重要視していますが、人の悩みの根底は(特に自分の人生に関わってくる問題は)自分の心の無意識の領域にあるように私は思います。

自分の意識の領域のことさえ、気がつかない事が多いのに、それが無意識レベルになると、なお、気付かないような気がしています。

しかし、私たちは、無意識に悩むと同時に、その答えを探すためのアンテナもたてているのでは?と私は考えます。

その答えを求めるアンテナが、答えにふさわしい(であろう)言葉や人物、本や音楽などを、自分の目の前に引き寄せるのではないかと私は思います。

なので、自分に問うて、自分で答えを出すことも大事ですが、出ないときは、そのアンテナに任せて、答えを求めに行く事も、あながち間違いではないような気がします。

どんな、答えを聞いても、その答えを選択するのは、自分自身なのですから…

私も、普段の仕事に振り回されながらも、心のアンテナを立て、その答えをしっかりと、見極め、選択していきたいと思います。

その過程もこのブログに書いていけたらとも思います。

 



peaceofmind7776 at 00:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)哲学 | その他

2008年06月07日

ストレスに悩む前に防ぐ…

みなさん、こんにちは。何だか、相当久しぶりに、パソコンの前に座っています(汗)やはり、こういった行動は習慣づけていかないといけませんね。

さて、久々の長文なので、何を書こうか迷ってしまいますが、今、この国の状況は、お世辞でもいいとは言えない気がします。

国、地方自治体の財源不足。それに伴う行政サ−ビスの低下。更なる課税。票集めの適当な法案作成。世界的な物価の上昇。

私たちの周りには「不安」という言葉が飛び交っています。

一時期「癒し」のブームがあり、心理学やカウンセリングもそのブームに乗り、広く知られるようになり、それを学ぶ人達も増えました。

しかし、今は「癒し」を受けている時間もないくらい切迫している人達の方が多いのではないでしょうか?物価は上がるが給料は上がらないまま、会社では効率と実績を求められ、まさしくストレス三昧になっているのが、今のこの国の人達の大半だと思います。

そんな状況ですから、これからは、カウンセリングを学ぶ人よりもカウンセリングを受けに来る人の方が多くなっていくのかもしれません。これからが、ブームではなく、本当にカウンセラーが必要になってくる時期に入ってくるのかもしれません。

こんな社会に必要になってくるもの…それを心の観点から考えると、私は「未病の時期の大切さ」というところに行き着きます。

「未病」とは、「まだ病気ではない」状態のことです。私はこれからのカウンセリングはこの状態の時に力を入れていかないといけないのではないかと思っています。

先ほど、これからのカウンセリングは学ぶ人よりも受ける人が多くなると書きましたが、実は、これらのどちらの行為もカウンセリング的にはあまり変わらない常態であるとも言えます。

カウンセリングという技術を学ぶに当たって、最初にその技術を用いるのは「自分自身」です。まずは、自分の体で試してから、それが効果のあるものだと自分が実感できてから、初めてこの技術は、相手に使われるものです。

そして、カウンセリングを受けるというのも、カウンセラーから自分の心の傾向(クセ)を観察してもらい、カウンセリングの技術を自分で使って、その上手くいっていない心の傾向を直していくという行為なのです。

こうして、二つの行為を比べて見るとあまり変わらないようにも見えます。しかし、この二つの決定的な違いは、「苦しむ前」「苦しんだ後」という点です。

カウンセリングを学ぶということは、自分が心にストレスを感じる前にその知識と技術を知り、それを未然に防ぐことができます。

一方、カウンセリングを受けるということは、すでに心のストレスを感じてしまい、苦しくてどうしようもなくて、カウンセラーに相談するということです。

この違いは、かなり大きいものではないでしょうか?

私たちはどうしても、医者や相談などは「病気になってから行く」という固定概念を持ってしまっています。しかし、これから大切になってくることは「病気になる前に防ぐ」ことではないでしょうか?

特に心は傾向や予防策を知っていれば、ストレスに悩むことを防ぐことができますし、もし、悩んでしまったとしても、初期の段階で解決することができます。これはとても大きなことだと思います。この何にでもお金がかかってしまうこの時代に、治療代を少しでも浮かすというのはかなり経済的ではないでしょうか?

そう考えていくと、「未病」の状態で、カウンセリングを「受ける」状態になる前に「学んでおく」ことは、とても大切なことのような気がします。

こんな生きにくい社会だからこそ、私は、みなさんに自分にかかるストレスを少しでも軽減してほしいと思うし、それができる人達が、その余力で苦しんでいる人達に手を貸してくれれるようになれば、この社会も変わっていくのではないでしょうか?



peaceofmind7776 at 17:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)カウンセリング 

2008年05月04日

その人だけの才能

人には、一人ひとりにその人にしかない才能があって、それを生かせる場所が必ずあると思います。
きっとあるその才能を見つけて、それを生かせる人がたくさん増えるとこの社会はもっと活気のある社会になるかもしれませんね。
これからのカウンセリングは、そういった才能の発見を手伝う事も必要なのかもしれません。

peaceofmind7776 at 23:59|PermalinkComments(4)TrackBack(0)ひとりごと 

2008年04月22日

この国の福祉保育…

いずれ、ちゃんと書きたいとずっと思っていたのですが、なかなかなので、問題提議だけしておこうと思います。
私は、保育の現場に長く勤めていますが、この国の福祉保育は、あまりにも保育士や介護士さん達の犠牲が大きすぎます。
福祉や保育に関わる人達は、重労働で自分の生活も苦しいなかで、子どもの成長や介護に従事しています。
しかも、子どもの環境面だけで言わせていただければ、その内容は劣悪なものになってきています。
私は保育事業〓日本の労働力の人材育成ではないかと思っています。この国は、人材育成に力をいれず、老人から金を取れるだけとって、どこに行こうとしているのでしょうか?

peaceofmind7776 at 22:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ひとりごと 

2008年04月18日

カテゴリ追加

ずいぶん久々の更新になってしまいました…書きたい事はいろいろ出てきているのですが、なかなか腰を据えて書く時間が取れていません(汗)
その打開策として「ひとりごと」というカテゴリを作ってみました。ここで小出しに書けそうなものは書いて行きたいと思います。

peaceofmind7776 at 01:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ひとりごと 

2008年01月26日

カウンセリング・マインド

みなさん、こんにちは。年も変わり、心機一転ということで、デザインを変えて、少し内容を整理しました。トラックバックが気がついたら、もうずいぶん昔にいただいたものなので、ここも、「一区切り」ということで一旦スッキリさせていただきました。また新たなトラックバックやコメントをいただけるように、今後もがんばっていきたいと思います。

さて、今回は「カウンセリング・マインド」という言葉について考えて生きたいと思います。まず、カウンセリング・マインドとは何なのか?と聞かれると、これがよく説明できません(笑)元々、学術用語ではなく、和製英語のようです。「カウンセリングの心」「カウンセリングの精神」「カウンセリングを行うときのような心」という意味で広く使われている言葉です。つまり、ちゃんとした定義はなく、またその必要もなく、その人一人ひとりの「カウンセリング・マインド」があると考えた方がよいかもしれません。

よくカウンセリングを学んだ人からこの言葉が出てきますが、基本は同じ考え方でも、その人その人で微妙に違ったカウンセリング・マインドを持っています。

「カウンセリングの心」などと言われると、カウンセラーになりたい人達が持つものだったり、必要な資質だったりと捉えられそうですが、私はこの「カウンセリング・マインド」は誰もが持っていて損のない考え方だと思っています。また、人に関わる仕事をしている人たちには、ぜひ持ってもらいたいものだと思っています。

カウンセリング・マインドとは、(これも定義ではありませんが)簡単に言ってしまえば、他人の話や意見、考え方、その人となりを尊重しようという心構えのように私は思います。

自分だけが話し続けるのではなく、相手の話にも耳を傾けてみる。そのついでにその相手の考え方や性格を一旦飲み込んでみる(ふ〜ん、そうなんだぁ…くらいの感じで)その上で、自分と違う考え方だ、自分は受け入れられない、と思えばその考えを相手に伝えればいいし、意外に「ああ、そんな考え方もあるんだ」と新たな発見をするかもしれません。

要は「相手の考えを聞いてやろう」という懐の深さを持ちましょうというのが、カウンセリング・マインドというものでは?と私は思っています。その懐の深さを持つ意識が生まれれば、自分よがりの考え方に縛られることもなくなるし、キレることも少なくなるような気がします。

私もまだまだ未熟なので、子ども達の屁理屈につい感情的になってしまうこともあるのですが(苦笑)カウンセリング・マインドを意識できている時は、いい意味で冷静にその屁理屈が聞けるようになった気がします。また、仕事でのクレームなども、最初は起こっただけで嫌になるものですが、カウンセリング・マインドを意識して聞いてみると、自分が見落としていたものが、見つかったりすることがあるように思えます。「クレームがきたら、チャンスと思え」といった考え方がありますが、それも「カウンセリング・マインド」の考え方なのかもしれません。

さて、いろいろと「カウンセリング・マインド」について考えてきましたが、少しは私の言いたいことが伝わったでしょうか(笑)

どんなことでもそうですが「余裕」を作れることは、いいことではないかと私は思います。人生にも仕事にも考え方にもそして心にも。「余裕」があれば、多少の違いや偏見なども苦に感じなくなるのではないでしょうか?

とはいえ、この世は、限りなく「余裕」を省いた世界。そんな世界だからこそ「カウンセリング・マインド」のような「心に余裕を作る心掛け」をみんなが持つことによって、たくさんの考えや意見、生き方が認められ、その上でお互いをぶつけ合うことでよりよい考えが生まれてくる社会ができていくのではないでしょうか?

みなさんの心にもぜひ「カウンセリング・マインド」を携帯してみてください。



peaceofmind7776 at 16:03|PermalinkComments(2)TrackBack(0)カウンセリング | 「人を育てる」という事

2008年01月06日

明けましておめでとうございます。

みなさん、明けましておめでとうございます。

いよいよ、2008年が始まりました!去年の反省を活かし、「忙しい」を言い訳にせずに、このブログへ自分の考えをアウトプットしていく作業をがんばっていきたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願いします。



peaceofmind7776 at 22:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

2007年12月31日

2007年総括

みなさん、こんにちは。早いもので、今年もあと7時間あまりとなってしまいました。

今年も、私にとっては激動の一年間になりました。どうしても、この「年の瀬」というものが、私は苦手で、しばらく弦の切れた弓のように、落ち込み状態になっていました。

今年の私の決断が本当に正しかったのか?それは、私の今後の行動の仕方で決まるものであって、過去の自分の責任をいくら問うても意味がないのですが、元々のネガティブな思考回路は、どうしても考え込んでしまうようです。(苦笑)

このブログへの書き込みも今年になって激減してしまい、反省するばかりです。「書くことの重要性」を唱えている私としては、このブログの存在を大切にしていかなければならないと思っています。来年は、最初のころのペースに…までは戻せないかもしれませんが、自分の思うこと、考えることをこのブログに記していきたいと思います。

大阪にいた頃は、同じ感覚を持つ仲間が多かった為、非常に多くのことを学んだと思っていました。しかし、その時に話していた「カウンセリングを学んでいない人との感覚のズレ」を今年は強く感じました。それと同時に、やはり子どもに関わる仕事には、カウンセリングマインドとスキルが必要だと、改めて自分の中で確信できた一年でもあり、その必要性を知りながらも、日々の保育にそれを生かせない自分の未熟さを知った一年でもありました。

また、自分の中で大切にしている考え「心のバランス」についても考えさせられる一年でもありました。

生と負のバランス、感情のバランス、個人と指導者としてのバランス、いろいろなバランスが存在し、それを上手く使いこなしていくことが、大切なのだと、改めて感じさせられました。

また「育てるカウンセリング」というキーワードにも出会いました。まだ、触れたばかりなので、詳しくは説明できませんが、私の方向性を決める重要なキーワードになってきそうな気がしています。

私のこのような努力が、一体何の役に立つのか?とこの何日間か考え込んでいました。その答えははっきりと見つかっていませんが、あえて答えを出すのならば、この言葉を借りたいと思います。

 

光を求め 歩きつづける

君の情熱がいつの日か

誰かにとっての 光となるでしょう

誰かにとっての 兆しとなるでしょう

B’z「光芒」より

 

このブログの説明文にも書いていますが、私が学んだこと、実践してきたことが、誰かの何かのヒントになればいいなと思っています。

みなさんの来年一年間が、今年よりも少しでも「生きやすい一年」になることをお祈りしています。

来年もよろしくお願いします。



peaceofmind7776 at 18:09|PermalinkComments(2)TrackBack(0)カウンセリング 

2007年10月27日

心の「他視化」

気がつくと、もう10月も終わりですね。「今年もあとわずか…」という話をもうしないといけない時期なんですね。

さて、最近私は「書くことの大切さ」を改めて痛感しています。(改めて・・・ということは、以前にも痛感していたわけですが・・・

特に、「心」や「気持ち」といった不確かなものほど、この「書く」という行動で明らかになりやすいのではないかと私は考えています。

以前にも、この「書く」ということについて書いていたような気がするのですが、「心」や「気持ち」といったものは、自分の身体の中で発生し、その中でぐるぐる回っています。例えば「辛い」という気持ちが発生しているのは、本人しか気がつかないのですが、実は本人にも「辛いという気持ちだろう」というくらいぼやけて見えていることの方が多いのです。

しかしその「辛い」という気持ちを書き出すことによって、その「辛い」という「気持ち」は、「確定」されます。それを私は「他視化する」と言っているのですが、「心」という見えないところで発生したものを文字にすることで、自分と引き離し、まるで他人が見ているかのように、見やすくするわけです。

この「気持ちを書き出す」作業を始めると、以外に膨らんでいくことがあります。一枚の真っ白な紙の真ん中に「辛い」と書いた後に、その後に思いつく言葉をどんどん書き込んでいくのです。その出でくる言葉(キーワード)は人それぞれだと思います。ある人は「人間関係」、「親子関係」、「自分自身との関係」など、単語で出てくる人もいるかも知れません。中には文章になって出てくる人もいるかもしれません。その形は様々なのですが、湧き上がってくるものを、次々と書き出し、落ち着いたところで見直してみると、ただ「辛い」と漠然と思っていたものが、よりはっきり見えてくることがあります。

実は、カウンセリングというものも、相手から「言葉を引き出す」ことで、その人の今の状態を明確にしていく作業なので、この方法も「カウンセリング」のひとつなのかもしれません。

「人は他人のことの方がよく見える」と言います。この「書き出す」という行為は、何かの問題に突き当たっている自分を「他人に置き換える」ことで、よく見えるようにしようというやり方です。

私は、自分の心の動きを自分ではっきり掴むのには、限界があると思います。だからこそ「人の話を聞く専門家」に話をすることで、私たちは、自分の心を「他視化」し、掴もうとするのだと思います。

「気持ちを書き出す」ことで自分の中でモヤモヤしている不確かなものを「確定」することで、自分が悩んでいることの大きさや重要性などが見えやすくし、「他視化」することで、解決しやすくする。これは、心の問題を解決するツールとしては、なかなか面白いかもしれません。

もし今回のブログを見て「ふ〜ん」くらいに興味を示してもらえたら、一度試してもらたら、嬉しいです。もしよろしければ、その感想をコメントでいただけるとさらに嬉しいなと思っています。



peaceofmind7776 at 18:19|PermalinkComments(1)TrackBack(0)カウンセリング 

2007年09月15日

「心のバランス論」

みなさん、こんばんは。朝晩は、少し涼しくなってきましたね。しかし、昼間はまだまだ暑いです。こういう寒暖の差に弱い私としては、健康に気をつけたいものです。

さて、私は、大阪でカウンセリングの勉強を本格的に始めてから、常に意識している言葉があります。それは「バランス」という言葉です。

この世の中は、バランスで成り立っているように私は思います。人が作り出すものもそうですし、自然もそうです。そして、人の意識や心もバランスでなりたっているように私は思います。

このブログの中でも、何度も「バランス」という言葉を使っているように思えます。心の悩みとは、心のバランスが崩れた状態とも言えるのではないでしょか?

この「心のバランス」を説明する時に、私は「善悪論」で説明することが多いです。別にそんなに哲学的に説明できるわけではないのですが…(苦笑)

私たちは、小さなときから「ウソをつくな」とか「正直な人間になりなさい」と言われてきたように思えます。つまり「善人になりなさい」と大人達は言いたかったのでしょうね。

しかし、私たちの生きるこの世界には、必ず反対の力が存在するのです。光が差すところには、必ず闇があり、善の反対には悪という行為があります。

私は、私たちの心というものは、この「光と闇」、「善と悪」、「黒と白」といった相反する力が一緒になって出来ていると考えています。

心の悩みを持つ人の特徴として「真面目な人」がよくあげられます。その「真面目な人」は、さっきも言った「善人になりなさい」という教えをちゃんと守ろうとしている人とも言えます。しかし、その人の心にも「悪という暗闇」は存在するわけです。その人は、それを必死に消そうするのですが、それもまた心の一部なので、それが消えることはありません。その人は、その消えない「暗闇」に悩まされ、心を病んでしまうと私は思っています。

この説明で全ての心の悩みを説明できるわけではありませんが、心には白い部分だけでなく、黒い部分もあるのだということを理解し、その白くなったり、黒くなったりする自分の心を「バランスよく」扱うことで、私たちは、よりよく生きていけるのではないか?と私は考えるのです。

この「心のバランス論」から私の心の扱い方を見てみると、相変わらずへたくそだなぁと思ってしまいます(苦笑)

よくこのバランス論を話すと「どんなときにバランスが悪いと感じるのか?」と聞かれるのですが、それがまたとても感覚的なもので、表現能力の乏しい私にはとても難しいのです。ここまで、つらつらと説明してはきましたが、この説明でもいまいち説得力にかける気がしています。

説明している本人が、こんな感想ですから、読んでいるみなさんはますますわかりにくかもしれません…

しかし、この「心のバランス」というものを意識してみると、また心というものが、面白いものに感じられます(…と同時に、厄介なものとも感じますが…)

今回は「善悪」という考え方で書きましたが、このバランス感覚にはいろいろなパターンがあります。それは、自分の心の中だけでなく、他人に対してもあると、私は考えています。

この「心のバランス論」については、私自身まだまだ研究が必要で、それをまたいつかみなさんに、わかりやすく説明できるようになるように、このブログに書いていきたいと思います。

みなさんの中に「心のバランス」を感じることがあれば、教えていただけると嬉しいです。この説明では、どういう状態がそれなのかをわかるのが難しいかもしれませんが…(苦笑)



peaceofmind7776 at 19:56|PermalinkComments(2)TrackBack(0)カウンセリング | コミュニケーション

2007年09月01日

伝えること⇒刺激すること

残暑お見舞い申し上げます。

ずいぶんと久しぶりの更新となってしまいまいた。(苦笑)

何度か書いてきたことですが、こうして間を空けてしまうと、改めて、書くことの難しさを痛感してしまいます。

書きたいことは、思いつけど、それを相手に伝えるということが、なんと難しいことか(笑)特に文章力がない私にとっては、難題に思えてきます。

アルバート・メラビアンによると、言葉で相手に伝わる確率は、わずか7%なのだそうです。(その他は、ボディーランゲージ55%声(イントネーション)38%

私たちは、言葉よりも、その仕草やイントネーションなどで相手の気持ちの状態を判断しているようです。

これは、子ども達と接していると、特に感じます。やはり語彙力が乏しい子ども達に、言葉でわからせようとしても、なかなか難しいです。やはり子ども達に大切なことを伝える時には、言葉の選択もそうですが、仕草やイントネーションなど、体全体で伝えることを意識しなくてはいけないと私は思っています。

教育とは、「子どもに何かを教える」という考え方ですが、私がこのブログで何度も言うように「人は他人の力では変わらない」です。

私たちが子ども達に何かを覚えてもらおうとするならば、いろんな工夫をして、何度も何度も繰り返し伝えていかなければなりません。これは、とてもエネルギーがいることです。

私は、私自身もまた子どもにとっての「環境の一部」だと考えています。教材が、脳を刺激するように、自然が、五感を刺激するように、私という「環境」も子ども達に何かの刺激を与える存在だと考えます。

少し意地悪く言えば「所詮、その程度の存在」ともいえます(笑)私たち大人は、子ども達に対して、大きな刺激でもあり、他の刺激と同じ存在でもあります。多種多彩な子ども達の成長に関わっていく為には、いろいろな工夫をして、子ども達に刺激を与えていかなければなりません。

その工夫を重ねた刺激の中のどれか一つがその子どもを刺激すれば、それが子ども達の成長の糧となります。

私たちはその刺激の与え方に創意工夫をしていかなければなりません。

子どもに何かを「伝えよう」とすると、なかなか伝わらないのでイライラすることもありますが、「刺激をあたえる」と考えれば、興味のないものは、大人でも刺激になりませんから、一辺倒の刺激の与え方はしないのではないでしょうか?

その子にあった「刺激」を探す楽しさと大変さ、これが子どもに関わることの「面白み」の一つではないでしょうか?



peaceofmind7776 at 22:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)「人を育てる」という事 | コミュニケーション

2007年07月15日

ブログ再編中…

ずいぶんとお久しぶりです。以前の記事から何ヶ月たったのでしょうか…(汗)

しかし、正直言って、まだ「再編中」です。

少しずつですが、改良を進めています。ブログの引越しも考えましたが、今までの記録なども考え、まだ、このブログで継続していこうと思います。

さて、私自身、大阪でカウンセリングを2年間学び、福岡に帰ってきて、自分の方向性を一年間探ってきました。

一時期は、カウンセラーとして専門的にカウンセリングをしていこうとも考えました。しかし、試行と葛藤と現実とのすり合わせの結果「学童保育指導員」として、働くことを決意しました。

正直、この決断にも最初は不安を覚えていましたが、実際現場に立ってみると、やはり「人は、常に、必要な『場』に立っている」と感じています。カウンセリングの知識や経験も、やはりそれが必要な「場」にいなければ、役にたちません。改めて、自分の未熟さを教えられています。

そして、久々に保育の現場に帰ってきて思ったのは、やはりまだ「経験」と「勘」で子どもを「決め付けている」保育者が多いと私は感じました。(それは、保護者にも言えることですが…)

カウンセリングマインドが全て正しいとは、私も思っていませんが、人格形成時期の子ども達に関わる人間は、より柔軟性をもった保育が必要だと私は感じています。

今後はそういった観点から、このブログを書いていけたらな、と考えています。

これからもこのブログをよろしくお願いします。



peaceofmind7776 at 00:47|PermalinkComments(3)TrackBack(0)「人を育てる」という事 | カウンセリング

2007年05月04日

そんな時期

みなさん、こんばんは。世間はGWの真っ最中ですね。みなさんはどんなGWをお過ごしですか?

博多では、昨日、今日とで「博多どんたく祭り」が開催されていました。今年も210万人くらいの人出だったようです。「どんたくでは、必ず雨が降る」とよく言われますが、今回は見事に外れましたね。本当にいい天気でよかったです…といっても、今回も見に行けなかったのですが…

さて、今回は何を書こうかと考えていたのですが…

最近、なぜか、文章が浮かんできません(笑)

多分、いろいろ考えているとは思うのですが、それが最近なかなか文章になりません。しかも、なるべくダブらないようにと考えてしまうと、このブログの歴史に邪魔されてしまいます。(苦笑)

まぁ、こういう時期なのでしょう。

4月から、私の周りの環境が変わったので、今は、そこについていくので精一杯というのもあると思います。

なので、できるだけ早い時期にとは思っていますが、もうしばらくは不定期が続きそうです。

なるべく思いつくときに書き溜めておきますので(笑)みなさん、お暇なときでいいので、今後も遊びにきてください。



peaceofmind7776 at 23:32|PermalinkComments(4)TrackBack(0)その他 | その他

2007年04月15日

「人の死」に対する希薄さ

みなさん、こんばんは。早いもので、桜の花もすっかり散ってしまいましたね。そして、梅雨がくる前にもうすでに暑くなっていっているようにも感じます。適度に雨は降っているようですが…

私事ですが、前回のブログで、投稿数が100になっていたようです。全然気が付きませんでした(笑)前にも言いましたが、長続きがしない私が、ここまで続けているのも、定期的にこのブログを見てくれている人や、初めてでも一回はここを覗いてくれている人がいるからだと思っています。

本当にありがとうございます。

さて、今回で101回目の投稿になるわけですが、今回は「人間の死」について書いていこうと思っています。

このブログでも、いろいろな形で「死」というテーマを扱ってきましたが、私が最近感じるのは

「あまりにも簡単に人が死んでいるのではないか?」

ということです。最近のニュースを見ていると、いろんな場所から遺体が見つかったり、犯人が捕まっても、その動機は安易なものだったり、謎だったりしています。何だか「人の死」というものが、違った意味で身近になってきているような気がします。

人は生まれたときから、死に向かっています。「死」とは、人間が避けられるものではありません。しかし、だからと言ってそれが「人が人が殺していい」ことへの理由ではありません。

「自分にとって邪魔な存在だったから」と言って、両親や子どもを簡単に殺せてしまうのは、なぜなんでしょうか?

漫画やテレビの影響?未成熟な大人が増えたから?いろいろな理由が挙げられますが、どれも確実ではありません。

私がニュースを見ていて一番恐ろしいのは、犯人に「人を殺す」ということに「ためらい」を感じられないときです。

ニュースも他人が伝えているものですから、その犯人の実際の心はわからないのかもしれませんが、それでも「ためらい」を感じられないときには、ゾッとしてしまいます。

なぜ、そういった「ためらい」のない殺人がおこってしまうのでしょうか?

私はこれも一つの「平和ボケ」なのか?と考えてしまいました。

私達の祖父祖母は、自らが「戦争」というものを経験し「人の死」を嫌という程見てきました。だから、その子ども達には「人が人を殺す」事の愚かさと恐ろしさを必死に伝えました。そしてその子ども達も大人になり、親になったときに、その子どもに自分たちが伝えられたことを伝えていきました。また祖父や祖母たちも一緒になってその恐ろしさを伝えようとしました。

しかし、私達の代になると、最早、戦争は歴史の中のものになっていて、「死」というものも、戦争がなくなっただけでなく、医療技術の進歩なども進んだことなどで、とても希薄なものになっていったように感じます。

そして、その子ども達の中では最早「死」は、テレビや漫画での出来事のようになっていったのではないでしょうか?その原因には私達の代が「人が人を殺すことの愚かさと恐ろしさ」を伝えることを軽視いたこともあげられるように感じます。

これは、あくまで、私個人の意見、しかも、今の時点での僕の意見です。

今、日本社会の中心は「団塊の世代」から私たち「団塊ジュニア」に移ろうとしています。その大きな世代交代の中で、戦争前後を生きた人達から団塊の世代へ受け継がれたものを私達がちゃんと受け取れているかを確認しなければならないのかもしれません。

当たり前のことですが…

人が人を殺すのは、愚かで恐ろしい行為

だと私は思います。



peaceofmind7776 at 22:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)カウンセリング | 哲学

2007年04月03日

「人に頼ることの大切さ」

みなさん、こんばんは。早いもので、もう四月になってしまいました…これから、新しい学校や職場へ向かう「新人さん」を見ていると、本当に初々しいものです。桜も何とか踏ん張ってくれたようで、良かったです。

さて、こういう時期だからというわけではないのですが、今回は「人に頼ることの大切さ」というテーマで書いていきたいと思います。

よく「人に頼るな」という言葉を耳にします。これは、人にすぐに頼らずに、自分で考えて、問題を解決しなさいという意味合いが含まれていると思います。その聞きなれた言葉からすると、今回の「人に頼ることの大切さ」とは「甘え」や「無責任」を助長する言葉のように聞こえます。

万物の全て…とはいえないのかもしれませんが、ほとんどのものには「容量」があります。つまり、入れ物としての大きさですね。大きなペットボトルなら1リットル、パソコンなら○○GBという「容量」が決まっています。

人間としての容量はわかりやすいものは体重だったり、脳の記憶力だったり、体力とかが、あげられるかもしれません。しかし、私は「心」にも「容量」があるのではないか?と考えます。

それは、主にストレスに対する容量です。多少のストレスが心にかかったほうが、緊張感を持って物事に取り組めるかもしれません。しかし、そのストレスを溜め込む量にも、人それぞれの「容量」があるように感じます。

ストレスを大量に抱え込むことが出来る人もいれば、少ししか溜められない人もいるでしょう。どちらも「溜め込む」という行為自体、心の健康には良くないのですが、やはりこの「心の容量」は、千差万別のように思えます。

問題は、この「心の容量」を自分でしっかり認識しているか?だと思います。「悩みを抱えている状態」とは、程度にもよりますが「心の容量」が満タンに近い状態とも表せると思います。そしてその容量を越えたときに鬱などといった精神的な病になってしまうのではないでしょうか?

その「心の容量」が満タンが近い状態のときに、大切なことだと私が思うことが「人に頼る」ということです。

心にたまっているストレスを「人に話す」という行為で、アウトプットすることで、その心の中のストレスを軽減することができるのではないでしょうか?

その行為は、自分の中のストレスを減らすための行為ですから、これには、少し心の余裕のある人を選ばないといけませんが、自分の中で堂々巡りしている問題を他人にぶつけることによって、他人だけでなく、自分もその問題に対して、客観的になり、ストレスの容量を減らすだけでなく、その問題の解決にも役に立ちます。

「人を頼ってはいけません」これは、正しいことだと思います。なぜならば「心の問題」は自分自身でしか本当の解決はできないものですから…しかし、自分自身で問題を解決するために「人を頼る」のは、いいのではないかな?と私は思います。問題を心に抱えて、抱えて、容量を越えて精神的に病になる前に、解決の手段として、人を頼ってみる…これは、必要なことではないでしょうか?

それは、必ずしも「心の専門家」である必要は無いと思います。しかし、気をつけて欲しいことは、先ほども書きましたが「少し心に余裕がありそうな人を選ぶ事」そして、もしあなたが同じような状態で、アウトプットをしてもらう相手に選ばれたときは、解決策を話あうより、まず、お互いのストレスのアウトプットを優先させるようにしましょう。相手が大事な問題解決のために、あなたを選んでくれたとするならば、相手もあなたのストレスのアウトプットに必ず付き合ってくれるはずです。



peaceofmind7776 at 22:07|PermalinkComments(1)TrackBack(0)コミュニケーション | カウンセリング

2007年03月24日

「等価交換の法則」

こんにちは。何だか、最近、不定期更新になっていますね…反省しております。

さて、今日は、パ・リーグの開幕です。福岡ソフトバンクホークスは、残念ながら、開幕戦敗退となってしまいましたが、多村選手にHR2本など、今後を期待させる攻撃も見られたので、次に期待したいです。しかも、大きな視点で考えれば、強豪ホークスをオリックスが負かしたわけですから、やはり、今年のパ・リーグは面白くなりそうです。

しかも、今日は、サッカーもありますね!高原、中村が加わっての今年初の代表の試合です。海外組の二人が、どんな活躍をするのか、本当に楽しみです。(実は、私はその試合を生では見れないのですが…(泣))

さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回は「等価交換の法則」について、書いていこうと思います。

もう、このブログでは、何度も登場している法則なのですが「等価交換」を辞書で調べてみると「価格や価値が等しいものを交換すること」と書いてあり、その例として「土地と建物を等価交換する」と書いてあります。

しかし、みなさんが、この言葉を知ったのは、やはり「鋼の錬金術師 16 (16)」では、ないでしょうか?この物語では、物だけではなく、人間の関わる全てのことに、この法則が用いられていることを、強く訴えています。

私達の人生においても「等価交換の法則」は働いています。例えば、欲しいおもちゃが二つあっても、どちらか、一つしか買ってもらえなかったり、行きたい高校、大学に合格するために遊びを我慢して、勉強に打ち込んだり、自分の夢や目標の為に、友人や恋人との決別を選ばなければいけなかったり…私たちは「何かを得るために、何かを失って」今の自分を築いてきました。

つまり、私達の言う「不幸」とは、まだ自分が得ていない「幸福」を得るために起こるものとは考えられないでしょうか?

「何かを得るために何かを失う」ということは「何かを失うことで、何かを得る」わけです。私たちは、どうしても失ったものへの喪失感が強くて、それに悩まされてしまいますが、この法則で、考えるならば、私たちは、その失ったものと同等の価値の「何か」をその後に手に入れることになるのです。

それが、物なのか、人なのか、価値観なのかはわかりません。そして、その「何か」がわかるのも、その本人だけなのだと思います。

私達がこの「等価交換の法則」のなかで生きていると考えるならば、とても大きなものを失ってしまっても、自分にとってそれと同等のものを手に入れることが出来ると考えることができます。…というより、そう考えなくては世の中「不幸」ばかりです(笑)

また、厳しいことを言えば「何かを得るためにはその同等の何かを犠牲にしなければ、それは得られない」ということになります。

欲しい何かを手に入れられないとき、私たちはとてもストレスを感じますが、そのときにこの法則で考えてみると、実は、自分がそれを得るための同等の努力をしていない、自分への「甘え」が見えてくるかもしれません。

そして、何か大きなものを失ったとしても、そこで自分が終わりだとは、考えないでください。きっと、あなたのその後の人生に、その失ったものと同等の素晴らしいものが、手に入るはずですから。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 



peaceofmind7776 at 18:11|PermalinkComments(1)TrackBack(0)哲学 | カウンセリング

2007年03月15日

「存在」=「認識」

みなさん、こんばんは。やっと…やっと…ガッツリとパソコンに向かう時間が出来ました。しばらく遠ざかっていたせいか、キーボードの感触がぎこちないです。(苦笑)

さて、なぜ、私がこのパソコンに向かう時間が作れなかったかというと、理由はいろいろあるのですが、三月に入って、人に合う機会が格段に増えていったのが、大きな原因です。2月の宮崎帰省から始まり、従兄夫婦とあったり、緊急では合ったのですが、大阪に行って、ワイズのみなさんや、一時期お世話になっていた、小学校に顔を出して、子ども達と遊んだり…帰ってきてからも、久々に、高校時代の仲間との同窓会が決まったり、友達から誘われたmixiで、高校時代の友人と再会したりと、本当に「人に関わる時間」が多い日々でした。

私は、人にとって、一番辛いことは、「他人に『認識』されないこと」だと思っています。

例えば、道端に一つのゴミが落ちていたとします。その道を通る人がそれを見て「ゴミが落ちている」と認識すれば、そこにゴミの「存在」が生まれます。

しかし、その道を通る人誰もがそのゴミをゴミと「認識」しようとしなければ、そのゴミの存在はその道を通る人達からは「消えて」しまいます。

私たち人間もそうです。私たちはいろいろな「認識」のされ方でその「存在」を示しています。それは、親であったり、子どもであったり、友達、恋人、同僚、上司などいった形でです。

しかし、周りの他人が自分という存在を「認識」しなくなったら…あなたは、そこに存在はしていても、いないことと同じ状態、いわば「透明人間」になってしまうのです。

相変わらず、例えが下手で、みなさんにどれだけ私の考え方が伝わっているのか不安ですが…「他人の認識」において「自分」がそこに「存在」していると考えるならば、あなたを誹謗中傷している人でさえも、あなたの存在を「認識」していることになるのです。そう考えると、悪口という方法ではあるけれども、その人は他の他人にあなたという存在をより強く「認識」させてくれている一人なので、腹は立ちますが、そこそこありがたい存在に感じないでしょうか?(簡単には感じれませんが…)

私の話に戻すと、私の周りには私という「存在」を「認識」してくれている人がたくさんいます。これは、本当に幸せなことだと思います。時々は、この「認識」がわずらわしく感じられることもありますが、前に書いたようにその「認識」が自分の存在をはっきりとさせてくれていると思えば、本当にありがたいことです。

そして、私自身も「他人の存在の認識」を多く持つことを心がけています。私の未熟なせいもあり、私が「認識」している人達に常にそのメッセージを送ることは、難しいのですが、その人達が、自分の存在に不安になり私にその確認を求めてきたら、その時は精一杯の言葉を使ってその存在の確かさを証明してあげたいと思っています。

このブログに関しても、時々でも、このブログを覗いてくれて、このブログの「存在」を「認識」してくれている人達がいるのを私はしっかりと感じています。パソコンに向かえない状態が続いていても「ブログを書きたい」と思えるのは、みなさんの「認識」のおかげだと思っています。本当にありがとうございます。

これからもその「認識」に答えるべく、自分勝手な考えではありますが、みなさんの何かのヒントになれるように、このブログを書いていきたいと思います。



peaceofmind7776 at 22:58|PermalinkComments(5)TrackBack(0)カウンセリング | 哲学

2007年03月13日

お詫び…

みなさん、こんばんは。
なかなか、落ち着いてブログを書く時間が取れずにいます。
暇を見つけて、見に来ていただいてる皆さんには、本当に申し訳ないです。
只今、いろいろと対応を考えているところです。
どうぞ、長い目で見守ってやって下さい。
(苦笑)

peaceofmind7776 at 01:11|PermalinkComments(2)TrackBack(0)その他 

2007年02月19日

「疑問」を持つこと

みなさん、こんばんは。相変わらず、の差が激しい毎日が続いています。しかし、今年の冬は、この超寒がりの私が、寒さに文句を言わないうちに終了しそうです。天気予報で「明日も春並に暖かくなりそうですね。」と笑顔でしめるお天気アナウンサーの一言が、どうしても「地球温暖化」を意識していない私達の今の姿を表しているように見えてしまいます…

今年も結局、スキーに行けそうにないのですが(泣)来年は、中国地方あたりの雪は大丈夫なのでしょうか?九州の人間には、あのあたりが距離的には一番行きやすいのですが…この九州の暖かさを体験するととても心配になってしまいます。

さて、今回は「疑問を持つこと」について書いてみたいと思います。

前回の「学ぶ事」の話でも書きましたが、人は「疑問を持つ」事で、学ぶ意欲が湧いてきます。現在の科学の発達の出発点は、誰かが「疑問を持つ」ことで、始まりました。

しかし、最近のニュースなどを見ていると、どうも私たちは、私達の周りにある情報を「疑問も持たずに」信じずぎているように感じます。

最近、民放の人気番組で「嘘の情報」を流した…という事件がありました。その番組は、長年続いていた長寿番組でしたから、このニュースは、多くの視聴者にショックを与えました。

他のTV局では、ここぞとばかりに、槍玉にあげて、様々な視聴者の声をあげていましたが、その声を聞いていると、どうしてもその人達に対して「何で、そこまで信じ込んでしまったのかなぁ」と思ってしまいます。

そう思ったわけには、まず第一に私にあまのじゃくの資質があるからでしょうが(笑)どうも最近の私たちは「宣伝に踊らされている」ような気がするのです。

「あのTV番組でやっていたから間違いない」 「あの有名人が言っていたから間違いない」 「あれだけたくさん売れているのだから間違いない」と言った考え方で、商品や情報を信じる人が増えてきているように感じます。

確かにそういった情報は、何かを購入するときに参考にはなりますが、私が危険だと考えるのは「間違いない」という考え方です。

それらの情報は、確かに有益な情報ではあるのですが、それはあくまで「一つの見方」でしかありません。自分自身からみた情報ではなく、他人から見た情報です。

その情報が正しいかは、その人によって違ってきます。健康法でも、その人の体格や体調によっては、その健康法が逆に害を与えてしまうかもしれません。本でも、その人にとっては、あまり感動もしないし、参考にもならないかもしれません。

私がここで言いたいのは、その情報を「信じ込む」のではなく「一旦、疑問を持ってみる」ことが、必要ではないか?ということです。

「疑問を持つ」ということは「考えてみる」ということです。これは、本当に自分にとって有益な情報なんだろうか?と「信じ込む」前に一呼吸置くことが、必要ではないかと私は考えます。

私自身が疑り深い性格であるから…というのもありますが、誰かがいいと言っているからと言って、それを何の疑いも無しに信じ込んでしまうのはあまりに危険ではないでしょうか?情報を「受け取る」→「信じる」の間に「考える(試してみる)」という選択肢を入れることで、その情報を受け取った時の大きな失敗や失望感は少なくなるのでは?と私は考えます。

今では、日本だけでなく、世界中の情報が、私達の手元に簡単に入ってきます。しかし、それは、一方的な物の見方で発信されている場合がほとんどです。私たちは、一人一人が来た情報をそのまま信じ込むのではなく、ちょっとだけでも「疑問」をもってみて、自分で「考えて」みることを習慣づけていく必要があるのかもしれません。

 



peaceofmind7776 at 21:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)カウンセリング | カウンセリング
Profile
宮崎県出身。福岡在住
福岡県某市学童保育指導員
兼カウンセラー
資格:
日本プロカウンセリング協会
一級カウンセラー
保育士資格
趣味:
サッカー
(まだまだやれると本人は自負)
WCCF 
(ヴィエリと中田が戦術!)
音楽鑑賞(B'z最高!)        
おすすめ作家『山下 博』