2016年11月04日

恩師を偲んで

 私が卒業してすぐにお世話になり、4年半にわたってご指導いただいた戸渡孝一郎先生が今年亡くなり、今日ゆかりのものが集って宝塚にある墓地に、墓参りに行ってきました。現役OB含めた歯科医師と技工士20名弱が集い、改めて故人にたくさんの想いを共有しました。
 研修医制度が無く、倫理的な問題で学生実習の実施訓練が非常に限られた中、私たちの世代はほとんど何もできない状態で歯科医師になりました。そういう私を一から育ててくださったのが戸渡院長でした。当時は歯科医師が7、8名おり、その当時の先生方、先輩後輩、今日も集って本当の同志のようでもありますし、歯科医としての私が形成された原点のようにも思います。
 当時の私は、今もかもしれませんが頭が固く、扱いにくい勤務医だったんじゃないかと思います。当時は30名ぐらいのスタッフがいたと思いますが、スタッフ仲が良く、皆で若狭に海水浴に行ったり、飲みに行ったり、ホームパーティーをしたり、楽しかった思いが蘇ります。でも院長抜きの時は、院長を話の出汁にして盛り上がっていたように思います。自分が院長になってみて、同じようにスタッフと仲良くなれたかったことをショックに感じました。院長という立場を思い知ったのは開業してからです。
 戸渡院長は九州の出身ですが、府立医大で研修したこともあって京都府長岡京市で開業されました。今日も奥様が言っておられましたが、元が九州で酒屋を手広くやっておられた家の出で、人を使っての商売には才があったのだと思います。常に先を見て前向きな考えをお持ちでした。5年ほど前に古希のお祝いをした時も、まだ面白い研究をしていると目を輝かかして熱弁されていたのを懐かしく思います。
 お世話になった歯科医は30名ぐらいかな。私は決して出来の良い弟子ではありませんでしたが、もしかしたらある意味戸渡先生の生き方を最も継いでいるかもしれません。青年会議所やロータリーの活動を通じて、歯科医以外の人間関係も大切にし、多くの学びを得て、その中で自分を見つめている。経営的は常に先のことを考えて、何か次の一手を考えておかないと気が済まない。それは経営戦略のようにもあるし、実はそうしないと先でなにか悪い方向に行くのではないかと思う臆病な気持ちもある。おそらくそういう気持ちは、戸渡院長から私に最も受け継がれているように感じています。
 亡くなった前妻は、戸渡歯科の当時の主任衛生士でした。私たちは戸渡夫婦に媒酌をしていただいた、おそらく唯一の夫婦だと思います。私の人生において、大きな影響を与えてくださった大切な人でした。
 亡くなるまで仕事には関わっておられました。何歳になったらきれいさっぱりリタイアしようという考えもよく聞きます。それはそれでライフプラニングとして本人の意思でいいのだと思います。私は歯科医としての活動あっての私だと思っています。やはり戸渡先生のように、生涯何かしらで歯科を通して皆さんのお役に立てれそうなことを考えて行きたいと、今日改めて感じました。

pearl_sasaki at 01:42│Comments(0)TrackBack(0)clip!コラム 

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