January 25, 2012

『思いをつなぐアートプロジェクトkawamata』

先週末は、こんなイベントのお手伝いをしていました。

(以下、イベント発案者佐川さんの広報文抜粋)

『思いをつなぐアートプロジェクトkawamata』

福島県川俣町の「hand to hand project kawamata」というお母さん方が中心になって
学習や保養情報の発信などをしているグループと今中哲二連続講演会を通して出会いました。
お母さん方の「子どもたちに何かしてあげたい」との思いを聞き、友人の松井コーヘーさんに
その話をしたことで「思いをつなぐアートプロジェクトkawamata」が生まれました。
川俣町に余分に余っているものの中に「段ボール」がありましたので、段ボールに
クレヨンを使って子どもたちに表現してもらうワークショップ(遊び)を行います。

日時:1月22日(日)13:00〜15:30
場所:羽山の森美術館(福島県伊達郡川俣町大字西福沢字山枡内20番地)
対象:小学生(主に低学年)10人〜15人
ファシリテーター:松井コーヘー
         北島理恵(RIA)     
内容
13:00〜14:00 ダンボールにクレヨンを使って表現するワークショップ
14:00〜15:30 お茶タイム
(抜粋ここまで)

子どもたち、すごくかわいかったぁ。
ベラルーシでの子どもたちと遊んでいた時間を、感覚的に思い出しました。
やー、楽しかった!

印象的だった女の子がいます。
彼女は、4歳。おばあちゃんと一緒に参加してくれてた子です。

会場には一番乗り。イベント開始まで、「今日は雪だるま描くの!」とか、
「お母さんがいつも絵が上手ってほめてくれる」とか、
いろんなお話を聞かせてくれていました。

そんなおしゃべりをしているうち、
続々と他の子どもたちが集まってきて、いざ、イベントが開始。
しばらくして、「なんかおとなしいなぁ」と思って、
ふと隣を見てみると、さっきまでと一変。
その子の表情は、びっくりするほど固まっていて。

「どうしたの?」って聞いたら、ポロポロ涙を流し始めて、
「・・おばぁちゃんと一緒がいい・・」だって。
お友達や姉妹と来ている子が多かったから、ちょっと人見知りが出たみたい。
慌てておばあちゃんを呼んできて、みんなでワイワイ描きました。

子どもって、これだからおもしろいよなぁ。

帰り際、最後まで残って、大人に交じってお見送りをしてくれました。
その頃にはすっかり上機嫌で、おませな発言をたくさんするものだから、
もう、なんというか、かわいすぎた!

本当は一緒に記念撮影した、お母さんも子どももスタッフも、
みんながいい顔して写ってる写真見せたいところだけれど、
とりあえず、イベント風景写真を載せときます。

イベント風景 (3)


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January 24, 2012

知れば知るほど、思うこと。

先日お話したように、昨年の春から、福島県の飯舘村に通っています。

なんのつながりもなく、村を訪れた私でしたが、
村の方たちが本当に優しくて、そこから少しずつ出逢いを拡げていきました。
今も、飯舘村の中から、「続いていく被害」を見続けています。

飯舘村は、すごい村。
最初の印象は今でも変わっていません。
というよりもむしろ、通えば通うほど、ますます強くそう感じています。
この村には、日本の地方のもつ豊かな側面だけでなく、
独自のさまざまな魅力に溢れています。

この地の方々とお話していると、学ぶことだらけです。
村の人たちが「当たり前」と思っている日常には、
そんな価値あるもので溢れています。

だからこそ、悲しい。
だからこそ、悔しい。

そこに「放射能」が入り込み、
「当たり前」にあった価値のあるものたちを、
根こそぎこの地から遠ざけたのです。


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January 21, 2012

飯舘村より

長いことブログから遠ざかっていました。
最後に書いたのは、昨年の春に初めて飯舘村を訪れ、
その足で福島県南相馬市の避難所に物資を届けていた頃のことでした。

あの頃からずっと、福島に通い続けています。
今は、月に2〜4回のペースで、主に週末、福島県の飯舘村に通っています。

2011年、震災後。
春に、夏に、秋に。
飯舘村に通いながら、いろいろなことを思い、悩みながら、
さまざまな人と出逢い、多くのことを学び、その中でずっと、考え続けてきました。

自分の無力さが情けなく、動きながらも見いだせない、
言葉で表現できない時間を過ごしてきました。

そして、今。
2012年の冬を迎えた飯舘村で、この文章を書いています。
自分がこの村に通う意味を、ようやく見つけることができたから。

諸々はまた、折をみて。



雪景色 

今日の飯舘。昨日からの雪が、今もしんしんと降り続けています。


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May 02, 2011

2度目の福島

4月30日から、また福島にきています。

飯舘村の人たちは、これまでのどかに過ごしていた中で、
突然、地震、原発問題を抱え、先が見えないだけでなく、
さらに突然、メディアがくるようになった。

そんな「非日常」に対し、とても疲れてしまっているようです。。

今、なにをしているのか。
また、後日書きます。





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福島へ 〜避難所

(続き)

南相馬市の避難所に立ち寄り、物資を提供した。
水のボトル数箱と、お菓子類。
どんなものが必要か、被災者の世代や性別によって異なるだろうと思って聞いてみたら、
「どんなものでも大歓迎」との言葉に、物資が余るほど届いてしまった場所との違いをみた。
命や生活で必要な水。
でも、生活の中で、おせんべいを食べたり、飴をなめたり。
そういうおなか+心を満たす時間を少しでももってほしくて、お菓子も添えた。

そのセンターでは、日本各地から集まった、たくさんのボランティアスタッフが、
家財の洗浄作業のボランティアをしていた。
24日(日)は120人、平日は60人位とのこと。
GWにたくさんの人たちが避難所から戻ってくるであろうから、
需要は高まる一方とのこと。
そのため、ボランティアスタッフも制限せず、いつでも何人でも受け入れたいとのこと。

最後に、そのセンターの連絡先を記します。

災害ボランティアセンター
南相馬市 鹿島区福祉サービスセンター内
0244-46-5354
9:00-15:30
http://ameblo.jp/minamisoma-svc

※4月29日までに再度確認した段階では、既述の状況でした。
現地の状況は流動的ですので、
なにかアクションする場合は、必ず最新状況を確認し、
現地の状況や需要を十分に理解した上で、行なって下さい。



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April 30, 2011

福島 津波の被災地へ

(続き)

その後、20-30キロくらいの位置にある、沿岸に近い津波の被災地域に向かった。
このころには感覚は麻痺していて、休業中の商店や空き家など、
町全体の閑散とした雰囲気はだいぶ見慣れていた。

けれど、ある通りに差し掛かった瞬間、言葉を失った。
損傷した多数の車、道路の両脇に積み上げられた瓦礫と、
泥にまみれたさまざまな家庭用品。
空気も、砂埃でよどんでいた。

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自衛隊の災害用車両とパトカーばかり、いたるところに停まっている。
路地を曲がり、海の方角へと進んでいく。

まずは、玄関や壁が損傷した家屋と、
庭には流れ着いたさまざまな家財用具や車、そしてへどろの山。

さらに進むと、流れてきた車の窓ガラスが割れ、
ぺしゃんこだったり、逆さまになっていたりする車。
この頃には、感覚が麻痺し、足元に転がる無数の瓦は見慣れてしまう。
壁が壊れ家の室内はむき出しとなり、
その中にどろに交じって破損した家具が倒れて山になっている。
小さな家具はみな流されていた。

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そして、その先。
家の2階部分だけがそこに流れ着いていた。
その部屋は、男の子の部屋のようだった。
そこには、少年向けのコミックが泥まみれになって残っていた。
壁もなく、残った窓枠の向こう側には、
なにもない、瓦礫の山が延々と続く光景が覗いていた。

DSC_0059


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その家の外に、写真が落ちていた。
おじいさんとお孫さんの男の子がそこに写っていた。
写真の裏には、セロテープで貼り付けていた跡があった。
このおじいさんが、お孫さんの写真を眺めていた日常を、垣間見たようだった。

DSC_0103


その写真の近くには、アルバムが転がっていた。
どろにまみれてほとんどなにが写っていたのかわからない中、
子どもたちが何人かで写っている写真があった。
みんなが楽しそうに笑っているいつもの日常が、そこには焼き付いていた。
どろにまみれてほしくなかった。心底そう思った。

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涙が流れているのも気にならず泣きながら歩いていた。
その家から先には、なにもなかった。
ただ広がる土気色の大地と、流れてきた木片、壊れた屋根瓦。
婦人物バッグとか、片方の靴とか、ネクタイとか、ミシンの糸とか、網戸の枠とか・・
物は落ちているのだけれど、泥にまみれて地面に落ちたそれらは、
本来の役割を失って、ただの「もの」としてそこに転がり落ちている。
たくさんのものが目の前にあるのに、そこにはなにもなかった。

その先の、遠い向こう側に、海があった。

DSC_0130


その後、車で海沿いを目指した。
20キロ圏内は入れないから、そこを迂回する経路を地図で探して進んだ。
地図にあるはずの道路がどこまであるのか、行ってみないと分からなかった。
だんだんと、家とか信号とか電柱とか、高さのあるものがすべてなくなって、
ただ道が一本正面にひたすら続いていた。

かろうじて残っているその道路には、途中途中に亀裂というか、
もうアスファルトごとごっそり抜けおちたりしていた。
そういう地点にはそれぞれ自衛隊員がいて、誘導してくれた。

進行方向の右側は、海から近い側。
人々の家が立ち並び、普通に生活されていたであろうそこは、
今は水が引かず、ごみが浮いた無数に広がる沼のような光景だった。
ぺしゃんこに折れ曲がったガードレールや、クシャクシャに丸まった車が、
いろいろなところに転がっていた。

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進行方向左側は、海から遠い側。そこにあったであろうものはすべて流され、
水が引き始めたそこは、泥が少しずつ乾き始め、
そこらじゅうでひび割れてむき出しになっていた。ただの薄茶色の世界がそこにあった。

その静の世界で、命を感じさせる唯一の存在は、自衛隊の方々。
瓦礫の中、どろにまみれて作業を進めている彼ら一人ひとりに、
心からのねぎらいと感謝の気持ちが、ただあふれた。

※最後の写真は、後日アップします。

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福島へ 原発20キロ地点

(続き)

その後、立ち入り禁止区域を避けるため、原発のまわりをぐるっと回る形で北上した。
茨城から、福島へ。
次第に、街中でも、マスクや帽子姿の人たちが増えていく。

店の営業率が下がっていき、国道の大きな飲食チェーン店やさまざまな商店が閉店している。
20キロ圏内の立ち入り禁止に入る直前の国道にあったコンビニ。
店員のお兄さんもおばさんも、マスクをしていた。
飲み物も食べ物も、数は少なかったが陳列されていた。
私が食べた納豆巻きは、郡山市で製造されたものだった。

DSC_0039


初めて目にする、立ち入り禁止区域への自衛隊の検問。
アスファルトの亀裂が、これまでみたどんなものより深く、長く続いていた。
その国道から見渡す原町には、のどかな里山が広がっていた。
ひび割れたアスファルトが不釣り合いな、美しいところだった。

PICR0228


PICR0223


20キロ圏内の立ち入り禁止看板の前に立つ。
そのたった数メートル先にある畑の中のビニルハウスの中は、雑草が伸びきっていた。
野菜を育てるという行為は、手間暇惜しまず通い、成長を見守り、育てていくもの。
それがある日突然ストップされたのだという風景が、
まざまざしく目に焼き付いて、涙が止まらなかった。

悲しい光景だった。

PICR0264


PICR0270



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福島へ 1 茨城〜沿岸

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先週末、福島に行ってきた。

栃木から北上するにつれ、高速に入った亀裂で驚く回数が増えた。
その段差に慣れたころ、最初の目的地、茨城県日立市についた。

ここは、東北より被害は大きくはないけれど、個人的な意味もあり立ち寄った。
日立系の企業が立ち並び、その多くは海に面している。
建物の外壁にはひびが入り、窓ガラスが割れ、修復工事をしていた。
なんでも、日立は、そのグループ会社の中で修復工事ができるため、
他社よりも早く回復できるのだということらしい。

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海沿いの家は、コンクリートブロックの壁が壊れ、ロープが張られていた。
初めて津波の跡を現実でみて、衝撃を受けた。

その後、海沿いに行った。
前日の降雨の影響もあり、波は荒く打ちつけ、
しぶきが、堤防を越える高さではじけ飛んでいた。

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それは、私が人生で初めて見る海の姿だった。
色は茶色で、波は非常に攻撃的で、荒々しく、大きな大きな命の塊として映った。
その巨大な生命の塊が、波をうねらせ、
膨大なエネルギーとして陸に向かって激しく打ちつけていた。

これが、多くの人たちの命を奪った、エネルギーなのだと感じた。

いいとか悪いとか、人間の倫理観など優に超越し、
自然というものの内包するエネルギー。
海に山に大地に、そのエネルギーはあって、大小の影響を私たちにつねに与えていて。

海は大きくてきれいとか、荒れて怖いとか、その瞬間の主観ではなくて、
常に変動するものであると理解し、自分たちが適応し対策を講じていくしかないのだと。
何十年も経つと、人々の感覚は薄れていくけれど、
それをあえて意識的に認識し続ける必要があるのだと、心底、感じた。

つづく


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April 26, 2011

東北地方太平洋沖地震を受けて

このたびの東北地方太平洋沖地震による深刻な被害、
そして、現在進行形で広がるさらなる被害を思い、日々、胸が痛むばかりです。
被災された皆様と、そのご親族、ご友人の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。



チェルノブイリを通じ、長年、放射能の問題は自分の日常の意識下にありました。
けれど、25年前の、過去から現在形への時間軸としての問題ではなく、
今、この瞬間、自分の国で起こっている原発事故。

とても個人的な気持ちを記すと、
私自身は自分が強い被曝を受けるとすれば、それほど大きな抵抗はありません。
(もちろん、命を粗末にする気はないし、家族を守る意思もあるけれど。)

それはきっと、チェルノブイリの汚染地域に足を運んだり、
高濃度の放射能汚染が残る村で、その地で育つものを共に食したり。
そういう経験の中で、「放射能」というものに対峙し、
その一つひとつに対して悩み、考え抜き、答えを出した経験が、
自分の人生の中にあったからだと思います。

けれど、自分の大切な人たちや、その人にとって大切な人たち。
そこからきっとつながっている、すべての命。
そこにこの瞬間、強い被爆が生じ続けている現実は、言葉になりません。

ベラルーシで流した、悔しい涙、悲しい涙。
それを日本でまた流す現実は、言葉になりません。



自分のすべきことを、それのもつ意味を、ずっと考えていました。
そして、先週末、福島に出向き、みえてきたものがありました。

まずは、ブログを再開します。

雪あそびの女の子 130
【写真】チェルノブイリ原発事故の高濃度放射能汚染地域、ベラルーシのナローブリャに住む少女。25年前の今日、チェルノブイリ原発事故が起きました。


peeria at 03:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) the Tohoku disaster | Chernobyl

May 17, 2010

イベントを終えて@Tokyo Ritz Cafe

saori

先週の土曜、イベントが終わった。

前半は、学生メンバーによる講演。
4人が、それぞれのパートに分かれて、写真や資料を組み合わせて講演をした。

すごいなぁと思ったのは、メンバーたちの度胸のよさ。
私なんかよりよっぽど肝がすわってる!

「緊張する」と言っていた子もばっちり話せてたし、
直前のリハーサル中も、なんかみんなのびのびしてたし。
なんて心強いのっ!!



講演のあとは、パーティ。
学生メンバーとお客さんとごちゃまぜになって、自由に交流。

一人旅が好きな人、保育士を目指している人、
国際協力を志している人、空間アートに興味のある人・・
本当にいろいろな人たちが来てくれて、すっごく楽しかった。

素敵な人がたくさんいたから、もっと一人ひとりとじっくり話したかったなー。
パーティの時間がすっごく短く感じた。
そのくらい本当に、楽しかった!

来てくれたみんな、本当にどうもありがとうございました♪

つづく。  【学生プロジェクトblog】http://gakusei-project.apch.jp/
 
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チェルノブイリ・アートプロジェクト【apch】
URL :http://www.apch.jp
Blog : http://blog.livedoor.jp/peeria/
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May 03, 2010

写真展開始@Tokyo Ritz Cafe

本日から、Tokyo Ritz Cafeでの写真展が始まりました。

みんなでワイワイ、展示しました♪

作業の様子は、学生プロジェクトのblog(こちら)より。









☆★イベントやります★☆

写真展         5月3日(月)〜5月15日(土)
講演&パーティー  5月15日(土)18:30−21:30(18:15open)
場所:Tokyo Ritz Cafe
【会場】
Tokyo Ritz Cafe高田馬場駅 徒歩9分
副都心線西早稲田 徒歩9分


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May 02, 2010

あのとき、ベトカで考えたこと。

DSC_0005中央:ナージャ医師 中央右:イリーナさん(通訳)











今回の長野県でのイベントでお会いしたナージャ医師は、
ベラルーシの高濃度汚染地域、ベトカ(ビエッカ)の地区病院の院長先生です。

ベトカ地区。
そこは、私も、村の家庭に家族として一緒に生活しながら、
取材をしていた地域です。
(直接の知人は、マキシムやマリーナの住んでいる地域、といえばわかるかも)

**

それまで過ごしていた汚染地域の中でも、ベトカはなんというか、空気が違った。
チェルノブイリの被害の現状やその深刻さを、肌で感じさせられた。

私が生活していたサミグリン家のある通りも、道を歩けば何件もの廃墟がある。
がらん、とした村。
大人たちは、車を走らせるたび、言った。
「ここにも昔、村があったの。なのに、今は・・」

学校の視察では、先生に、
「チェルノブイリの事故が、私たちになにをもたらせたのか。
あなたは、今からそれを目の当たりにするわ」と言われた。

具体的な情報を聞かないまま、教室に入った私は、「ああ」と思った。
教室の広さが不自然なほど、子どもの数が少なかった。
先生は、ため息交じりに言った。
「昔は、たくさんメダルをとった学校だったのよ。なのに、今は・・」

**

「なのに、今は・・」
その言葉を口にするとき、人の目は虚ろになる。
視線の先にあるのは、今なのか、
それとも、過去なのか。

私は普段、ポジティブな未来のために、今できることを考える。
だからそのときも、ポジティブな先を見出そうとしたけれど、
そこにきれいな言葉を並べて語れるものはなかった。
あったのは、ただ、「その瞬間を懸命に生きる」という現実だった。

その現実から、本当に多くのことを学んだ。
けれどそれでも、やっぱり、現地の未来につながるためのポジティブなことがしたくて、
自分なりの答えを、一生懸命探した。

そして、もっと現地の中に入り込んで、
さらに伝えて行くところから始めることにした。

そのフィードバックが大きくなったとき、
それが現地の未来に作用していくはずだから。


マキシム・サミグレイ
心臓発作を起こす直前のマキシム










健康だった幼少時代のマキシム
健康だった幼少時代のマキシム











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May 01, 2010

お客さんの涙

DSC_0121_22











写真展会場でお客さんとお話しすること。
いつもそこから、多くのことを学びます。

**

自分の写真をいて泣いている人を、私は初めて見ました。
私の写真に、「苦しんでいる人の姿」はありません。
あるのは、おいしそうな料理や、無邪気な子どもたち、
そして、穏やかな人々の暮らし。

けれど、その写真を見て、彼女は涙を流していたのです。

60代のその女性は、
チェルノブイリの「今」をずっと知りたかったのだそうです。
20年以上が経った、「現在の被災地の様子」を。

いつから、どれほどの痛みを抱えていたのかを
家族に話さない、青年マキシムの「生き方」。
ただただおいしそうな、クランベリーやピクルス。
飼育している山羊を大切に思っている、老人の姿・・・

それらが彼女の「心」に響いたのだそうです。

アンケートにあった、彼女の言葉。
「あなたに、そしてあなたの見ているものに出会えた。ありがとう」
宝物の言葉を、いただいてしまいました。

展示を見終えた彼女と、私が現地で感じたことなど、
いろいろお話させていただきました。
その方の泣きはらした真っ赤な目から、
また涙がこぼれるのを目の当たりにした私は、
「心に届けることの意味」を、あらためて学びました。

とても感謝しています。

アンケートの最後に「手紙を書いてもいいですか」との言葉がありました。
もちろんです!
文通が始まる日が待ち遠しい、今日この頃。

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April 28, 2010

松本での展示

松本会場風景











>松本展示風景4













長野での写真展は、すごく楽しかった。

まずは、会場。

広い空間に、可動式の大きなパネルを移動させることにより、
好きな空間を作ることができる構造になっていた。

どんな順番で作品を並べることにより、
どんな風に感じてもらうか・・

右にも左にも進める空間で視覚的な広さを保ちつつ、
無意識に次の項目の場所に歩みを進めてもらうには・・

そんな一つひとつを、自由な発想で演出できるのは、
本当に楽しかった。

***

そしてなにより最高だったのは、「人」。

展示を手伝って下さったJCFの方、然り、
ボランティアスタッフの方、然り。

さらに、会場の職員の方々。
みんなで「ああでもない、こうでもない」と、
不慣れながらに空間を創りだそうと壁を移動し、
試行錯誤していたときのこと。

突然、50代くらいの職員の方がやってきて。

「普段、この空間をそこまで最大限に創出しようとする人がなかなかいない。
その様子をみていたら、いてもたってもいられなくなった。
力になりたいと思った」

その方は、市の職員の方なのだけれど、
事務所のお仕事を抜け出してお手伝いしていただいて。
的確なアドバイスを、たくさん親身になって下さって。
「そっか、こんな使い方ができるんだ!」って発見ばかり。
おかげで、本当にいい空間に仕上がりました。

あー、準備風景も撮影しておくべきだった!!!
(まぁ、そんなこと思いつかないくらい集中してたってことが大事なんだけど・・
でも、思い出として残しておきたかったなぁ。)



別の女性職員の方も、
「写真展やってるなぁ」って個人的に入ったら感動して下さったそうで、
そのままアンケートまでしっかりご記入いただいてあって。

そんなことを知らない私が、所用で事務所に立ち寄ったら、
私だと気がつき、ご自身が感じたことをたくさんお話下さって。



そうそう、近所の文房具屋さんも、いい方たちだった。
作品が壁からはがれるかもとか、アンケート回収箱になるものは、とか、
その都度、お店で相談にのっていただいているうちに仲良くなって。
毎回、親身に、具体的に、いろいろご提案くださって。

思えば、あの会場のふとしたところに、いろんな方たちの力があった。
皆さんに心から感謝しています。

やっぱりいい仕事は「人」だよなぁって、つくづく思った。


***

これからしばらく、写真展について書いていこうと思います。
記しておきたいことが、たくさんあるから。

つづく。

peeria at 04:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) Event 

April 21, 2010

写真展のお知らせ@長野県松本市

今週末、長野県松本市にあるNGO「チェルノブイリ連帯基金(JCF)」さんが
開催するイベントにて、写真展をさせていただくことになりました。

ベラルーシの高濃度汚染地域の地区病院の院長を日本に招待し、
汚染地域での現状をお話しいただく講演での展示となります。

イベント自体は24日(土)なのですが、写真展は翌日も開催します。

**********************

【講演】
〜故郷を語る〜
放射能汚染地で診療を続けて

ジミナ・ナジェージダ
(ベラルーシ共和国ゴメリ州ベトカ地区病院長)

日時:4月24日(土)13:30−15:30
場所:松本市中央公民館(Mウィング)
   [会場詳細]
講演:4-4
写真展:2階展示スペース
参加費:無料

【写真展】
「ベラルーシを感じる〜チェルノブイリ原発事故から24年〜」
RIA(チェルノブイリ・アートプロジェクト【apch】)

期間:4月25日(土)13:30−22:00
4月26日(日)12:00−17:00
会場:松本市中央公民館(Mウィング)2階展示スペース

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■詳細
[講演]
ベラルーシ共和国ゴメリ州の東南に位置するベトカ地区には、
放射能汚染のために人口が4万人から2人に激減し、
地図から消された埋葬の村が58あります。
そんな中、ナジェージダ先生は病院診療だけでなく訪問診療を積極的に行い、
ベトカの人たちを見続けています。
今回、チェルノブイリメモリアルデーに合わせてナジェージダ先生を日本にお呼びし、
今なお続いているチェルノブイリ原発事故の被害と人々の生活について、
スライドを見ながら、お話していただきます。

[写真展]
被災地の人々は、国際社会で、チェルノブイリの被害を示すための
「がん発症数」など、数値で語られる存在です。
しかし、それでは世界の誰も、その存在を実感することはできない気がします。
24年の時が経ち、彼らは世界から忘れられつつありますが、
今、この瞬間も、放射能の影響を受け続けている現状があります。

「放射能」が生活の中に入り込むということは、どういうことなのか。
人間が五感で感じ取ることができないその性質を想像しても、
なかなか実感できません。
私は現地で人々の暮らしの中に入り込み、その中で寝食を共にし、
その意味を考えるところから始めました。

写真を通じ、チェルノブイリの「今」と出会い、
その存在を「心」で感じる。
そんなきっかけになることを願って、この写真展を開催します。


◇◆…………………………………………
チェルノブイリ・アートプロジェクト【apch】
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April 07, 2010

学生が「伝える」ということ その2

ミーティング 146







そんな中、私と出逢ったことで、
「チェルノブイリを伝える」ことになった、日本の大学生たち。

現地に行ったこともない。
私の写真を通じてしか、個人的な話を聞いてしか、
「チェルノブイリ」に関する材料がない。
勉強したことをただ発表するだけで、本当に伝わるのか?

放射能、情報コントロール、健康被害・・
データ化される明快な事実と、
データ化されないけれど起き続けているさまざまな現状。
そもそも、すでに24年も前の事故であり・・
こんなこと、日本の自分の同世代に、興味をもってもらえるのか?

学生たちのそんな本音はみんな、「そりゃそうだ」ってことばかり。

学生プロジェクト発足から、8ヶ月。
私を含め、まったくのゼロからのスタートだった。
そして今回、初めて、
根底から「伝える」ということに対して向き合うところにたった。

議論を重ねる中、ある子が、「シェア」という言葉を使った。
それが突破口だったように思う。

「そうか、自分が感じたことを、シェアすることならできるね!」
煮詰まってた空気が、そこから一転した。

シェア。
共有し、分かち合うこと。

そこから、今回のイベントのテーマが決まりました。

「事故を知らない世代の自分たちが学び、感じたことを発信する。
それを同世代とシェアすることで、現地の未来につなげる」

この言葉に辿りついたとき、あるメンバーが言いました。
「これって、学生プロジェクト自体の『使命』じゃない!?」

たしかにっ!

そんなわけで、同時にそれは、「学生プロジェクト」自体の、
ミッションとなりました。

【ミッション(Mission):使命・任務。組織の存在理由や存在目的】

 →「学生プロジェクト」の最新情報は、こちらから。

◇◆…………………………………………
RIA
チェルノブイリ・アートプロジェクト【apch】
URL :http://www.apch.jp
RIA's Blog : http://blog.livedoor.jp/peeria/
学生Blog: http://gakusei-project.apch.jp/
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April 06, 2010

学生が「伝える」ということ その1

「学生たちが、学生たちの視点で伝える」
その根底にある、「伝える」という部分に向き合ったとき、
私たちは、思った以上に、議論を重ねることになった。

最初はなにも見えていなくて、
「チェルノブイリを伝えなきゃ!」というところから始まって。
でも、いくらそう頭で思っても、難しい。
自分の中で、伝えられる自信をもつ根拠がないわけだから。

アジアが対象国のボランティアだったら。
たとえば、問題点の根底にあるのは「貧困」とか、
明確に見えるテーマがあって。
距離的にも日本から近いから、
「よし、学校を見に行こう!」
「現地でのボランティアをしよう!」となれる。

「勉強できる場所をあげれば」「井戸を掘ってあげれば」
そんな風に実感しやすく、かつ、具体的に「すればいいこと」が見える。
交通費も安く、実際に自分の足で行くことも現実的だ。

それに比べて、チェルノブイリは、遠い。
視察ツアーなんかでも、アジアなら十数万円で行かれたとしても、
チェルノブイリだと、その何倍もかかる。
また、「半永久的に続く放射能汚染により・・」とか、
「情報の見せ方により被害レベルは変わり・・」とか、内容が難しい。

だからよけい、実感しにくい。
リアルに感じて、日本の今の自分と結びつけることは、とても難しい。

フィリピンやインドネシアなど、
アジアを対象とした学生が携わるNGOはいくつもあるけれど、
チェルノブイリに関するものがないのも、当然だと思う。

つづく。

  →「学生プロジェクト」の最新情報は、こちらから。



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March 29, 2010

いらっしゃーい。

「学生プロジェクト」は現在、特に新規メンバー募集をしてはいないのですが、
ちょこちょこ見つけてもらえるようで、学生の子から、
突発的に参加希望の連絡をもらうことがあります。
ありがたい限り。

現在、2名から連絡をもらっていて、先日、そのうち1名と、
説明会を兼ねてお茶してきました。

彼女は春から大学2年生。
学校で語学を学び出したことをきっかけに海外に興味を持ち、
去年、フィリピンで短期間ボランティアに出向いたのだそうです。
そしてそこで、ボランティアは、相手のためのことだと思っていたのに、
実際は、自分が教えてもらうことだらけだった、と感じた。

その経験から、「現地のため」の一方向からの支援の形ではなく、
「現地と共に」できるボランティアを探していて、
「学生プロジェクト」にたどり着いたのだとか。

apchの発想と、ぴったりじゃない!
新たな仲間も加わり、これからがますます楽しみです^ ^


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March 28, 2010

次回イベントにむけて

ミーティング 130















すっごく久々のブログです。

えっと、apchは、いろいろ動いています。
書かなきゃなこといっぱい。
なにから書こー。

学生メンバーのテスト期間も終わり
先月から「学生プロジェクト」があらたに始動しました。
まずは、12月に実施したフリマの集計報告などを行いました。
  →フリマ報告については、こちらから

また、次回イベントは、チェルノブイリ原発事故が発生した「4月26日」周辺に、
いったいどんなことをするのか、そこから話し合いました。

結果、「写真展+トーク&パーティ」に決まりました!
5月4日〜16日まで写真展開催、最終日の16日(日)にトーク&パーティです。
(場所など、詳細はまた後日)

昨年秋のイベントと大きく違うところは、完全に「学生主体」であり、
「学生が、同世代に伝える」ことを目的としていること。

トークについては、学生たちが、「チェルノブイリ原発事故は、どんな事故だったのか?」や、
「なぜ、20年以上が経った今も、被害が続いているのか?」などを、
自分たちで勉強し、発表します。

「聞き手に興味をもってもらうためには、どんな風に伝えたらいいのか?」
一人ひとりが、まっすぐに向かい合い、形作ろうとしています。

たのしみー。

「学生プロジェクト」の最新情報は、こちらから。

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January 04, 2010

温かいおそば

数年前の大晦日の夜、親友と2人でふと、
「年越しそばを食べよう」ということになり、
深夜、地元にほど近い葛飾区亀有の辺りを、ブラブラと歩いていました。

そこで見つけた、1件の小料理屋。
「田舎料理」と書かれたそのお店は、
マサさんという50代くらいの女性が、一人で切り盛りしていました。
6つくらいのカウンター席と、奥に小さなお座敷が1室。
中には、常連と思しきおじさんとおばさんが数名。

のれんをくぐり、「年越しそば、あります?」と尋ねた私たちに、
マサさんは、ご自身の故郷、新潟の味のおそばをふるまってくれました。
にんじんや里芋が入った具沢山の、温かいおそば。

それから毎年、大晦日になると、マサさんのお店に通うようになっていました。
お店はなんだか独特な雰囲気。
毎年、家族でワイワイ過ごせない、
独り者のおじさんやおばさんが顔を出しマサさんと楽しくおしゃべりしてほっとする、
そんな感じのお店のようでした。
大切な人が描いたという絵が、飾ってありました。
どことなく寂しさが漂う大人の心をほっと和ませてくれる、そんなお店でした。

大晦日、マサさんに会いに行く。
そして、マサさんの故郷のおそばを食べる。
それは、私と親友にとって、大切で特別な、1年に1回の「日常」でした。

でも、今年、マサさんのお店は電気が消えていて、
下りたシャッターに、貼り紙がありました。
「貸し店舗」。
辺りを見回すと、電気が点いているのは、ほとんどがチェーン店。
マサさんのお店の周りを見回しても、のれんを下ろしてしまったお店が、
いくつも見受けられました。

お金がなくても、幸せなことはいくらでもあるけれど、
お金がないと、消えてしまうものもまた、たしかにあって。

これからも、誰かが、あのおそばを食べて、
笑顔になる日常が、マサさんのもとにありますように。

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