私が村芝居の、どこに魅力をみいだしているのかというとね。

小屋全体が「わっ」と沸いて、みんなの心がひとつになって、大笑いしたり、涙を流したり・・・あの連帯感が心地よいのよね。


ところが、テレビの時代になり、ゲームの時代になると、「楽しみ方」が「個」になって「孤独」になってきました。


なんか違うよね・・・と思う。

テレビも「8時だよ全員集合」時代は、小屋の雰囲気が日本全体を巻き込んで、存在していた。

ホームドラマも「肝っ玉母さん」だのこてこてのホームドラマがあって、テレビを見ていても「孤独」ではなかった。

あのころ、フジテレビは全盛時代だった。けど、鹿内さんだっけ、社長の急死ですべてが消えた。

こういうことがね、たぶん意図的につぶされてきた。

「意図」を感じるのよね、私は。

つまり「分割統治」とか、プロトコルに書かれたことに逆行しているわけ。

だから、あれを忠実に実行しようとする輩は、日本全国、みんなで盛り上がる!という様子を嫌うわけですね。

でもね、日本人は、みんなと一緒なのが居心地がいいのよ。

みんな同じことを考えているとき、安心する。

家族に守られている感じがする。

日本人なら、何も言わなくてもわかるだろう!というのが好きなのよ。

そのとき、心が解きほぐされて、発散する。

mmさん、もしかしたら、これって「放電」じゃないかな?


昨日、私は、地域福祉センターの発表会を仕切っていました。

総合司会者ね。

プログラムも、自分で組んだ。


内容が同じでも、「流れ」が違うと、お客さんは疲れるんです。

てきどに緩急を使い分け、揚げたり下げたりしないと疲れます。


そういう、流れを操りながら、徐々に盛り上げていく。

静かに始まって、はじけて終わる。


昨日は、私は「隠し駒」を持っていました。

懐かしのメロディを謳う会で、ゲットした。
85歳のもと大工。


任侠モノを謳わせると右に出る者はいないよ。


彼に三度笠をかぶらせ、浴衣のすそをからげて、カッパを着せて、大刀を持たせた。

もちろん、顔だって、作ったよ。
眉尻をきりりとあげて。
鼻筋通せば・・・80代には見えないね。60代だわ。

「おっす」とバタやんを気取って出てきて、曲に合わせて踊って、刀を抜いて振り回す。
刀をさしたり抜いたりするから、帯がゆるんで、太鼓腹からすとんと床に落ちてしまったので、みんな、大爆笑。
「小屋全体がゆすったように」笑ったよ。

おもしろかった。

「楽しかった」と言って、みんな帰ったよ。

それはね、私の「夢の舞台」
村中で集まって、やんややんやの大喝采。

みんな、家族だよ、ここに集まったみんなは、氏神様を親とする、子供たちさ。
安心していいんだよ。

こういう時間があると、人は、「う~」とために貯めた、電気を放電できるんじゃないかな。

爆笑して!
さあ、また、この一年がんばろ!

15年たって、私は、ようやく、つかんだよ。

放電させるってこと。

ああ、あれかな・・・リオのカーニバル・・・岸和田のだんじり。博多どんたく・・・
つまり「まつり」の精神ね。

徳島の阿波踊りも、まさにそれだったんだけど…割れたんだよね。

意図的に壊されたのだけど、ここから、元に戻って行かなければならないのよ。
ここから、日本を取り戻すのよ。
まつりの復活から。

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