神戸には、全国区の地名が二つあります。

ひとつは須磨・・・これは、源平合戦の須磨一の谷
もうひとつは、有馬温泉。


ところで、では、一の谷って、どこですか?というと説は二つに分かれます。

ひとつは、現在神戸電鉄鵯越駅のあるところから、下に向かう場所。

もうひとつは、須磨一の谷・・・鉄拐山から下り須磨公園にいたる場所です。
そして、その近くに敦盛卿の首塚があります。

須磨寺さんのお庭に敦盛と熊谷次郎の銅像があります。

須磨寺さんの宝物館には、敦盛の持っていたと言う笛が置かれています。
須磨寺さんは、源平合戦ゆかりの寺として、観光名所になっていて、「義経腰掛の松」というのがあります。

だから、一の谷の合戦は須磨でなければ都合が悪い。

でもねー

考えてみたら、それって変なんだわ。

だって、鵯越を「馬も四足、鹿も四足と言って、越えた先に「平家の陣屋」があった。
そこが、一の谷です。

平家の陣屋は、当然、福原京になければおかしいんです。
だったら、兵庫区が、正しい。

だって、兵庫区から長田区をこえ、須磨区まで、源平合戦の戦蹟と、戦死した武将の塚が残されています。

須磨で山から下りた源氏が、わざわざ東へ向かって、戦を仕掛けるのは不自然です。

だから、須磨寺さんには、悪いけど、

一の谷の本家争いは、兵庫区の勝ちです。
誰が見てもね。

にも拘らず、この調査をした人は、言い争うことはしないんだそうです。

「どうして?どう考えても、一の谷は兵庫じゃないですか
訂正すべきです!」と、私が言うと、

「歴史のことはね、誰も、その時代に生きていたわけではないので、わからないというのが、正解なんです。
いくつ解があっても、いいんです。
そのままにしておいたら。
だって、誰も、その時代を見た人がいないからです。」

というわけで、どんなに正しそうな説でも、異論があるでしょうし、

異論があったら、併記するしかない。
誰も、その時代に生きてはいなかったから。

絶体、こうだ!とか、それは絶対に違う!なんて言えない、それが歴史。

私は、新井説をどうこう言えるような知識は持っていませんが。、

いくら、それがまことしやかであっても、結論から言えば、一仮説にすぎないというのが、正解です。

正直に言って、私は、新井説によると公孫淵が崇神天皇らしいよ、
でもって、卑弥呼は許黄玉なんだって・・・と、受け売りは出来るけど、裏打ちはできません、あしからず。


もっと正直に言うと、なにも、崇神天皇が中国の歴史上の人物でなくったっていいじゃないの?と、思っています。

崇神が初代の天皇だと言う説は、それまでにも、縄文時代の巨大な人物は居ただろうけど、「政治的手腕で列島民を統治した初めが、崇神だと言われているのだろうと思います。

崇神の前に、大王が一人もいなかったはずなんてないでしょう?

神武に相当する権力者もいたと思うよ。

ただ、不比等が、今後の国家経営に便利なように、物語を作った・・・
そのために、崇神以前をわけがわからない格好にした。

卑弥呼は邪馬台国の女王だが、列島生まれでない、渡来人だとしたら、「日本書紀」に記載のないのが当然です。
これまで、大和朝廷には「卑弥呼の情報がはいってきてないのか」と、私は思っていました。
昔だから、情報網もないし、伝達手段も乏しい。

でも、あれだけ膨大な建国物語を書きながら、卑弥呼を飛ばすのはおかしい。金印の記述が無いのもおかしい。
一言でいうと、大陸との交流史を、聖徳太子の「日出る国の天子、書を日没する国の天子に送る」という、姿勢だけに収めています。

つまり、律令制度などの「統治手段」ノウハウ、国家統制の方法、民を「班分け」し、班をまとめて国として、国をまとめてヤマトとする・・・この手段、智慧、技術が

「大陸由来」だとは、記さない。

高天原・・・天の中心から降りてきた知恵であるとしている。

天皇家がやってきた先の「天」て、どこだろうと、漠然と思っていました。

高天原に降り立ったのではなく、海の向こうからやってきた・・・どこから来たのだろう?

浦島太郎も、そう・・・海の底じゃない・・・どの国に行ったのだろう?
タイやヒラメの舞い踊る青い屋根に朱塗りの柱・・・当時の先進国・・・

ここの由来来歴を、神話物語として、はっきりさせなかったのが、日本の最初の史書。

こうして、日本こそ、世界の中心、世界のひな形、日本こそ世界・・・という格好にした。
不比等が、これをやり遂げたころでも、大陸からの侵入は、絶え間なくあったはずで、

聖武帝が、鎮護国家を持ち出し、全国に寺を建てなければならなかったのは、とどのつまり、外敵から、国を守るためだったはず。

防人が、そもそも、その為のものですからね。

ずっと、脅かされていた。

それで、大八島をひとつの国に仕上げる必要がありました。
もしかしたら、その必要性は征服した大和朝廷にあったのかもしれない。

自分たちの政治を徹底させるために。
その努力の中に史書編纂があった。

けど、外敵は民にとっても困ったもの・・・だから、上から下まで心を一つに国を守った。

群れが一つにまとまる為には「あの人について行こう」と、みんなが思うリーダーが必要なんです。

群れの「顔」ですね。
これが、しっかりしていないと、群れを構成できない。
そして、みんなをひっぱる「声」が必要です。
声が聞こえないと、次どうしたらいいのかわからない。

姿、動き、も必要です。「やって見せること」

これは、強い野球やサッカーチームなら、どこにでも言わることです。

監督コーチがしっかりしている。星野阪神、みたいにチームの顔になります。
選手に声をかける。
やって見せる。

この当たり前のリーダーの姿が、当時、国家を形成しようとする天皇にあったと言うことです。

最近は、何でも出来上がってしまっているので、ゼロから作ると言うことが、忘れられています。

列島に民はいた。
それぞれが、生業を営んでいた。
小さな群れはあって、村長はいた。

これらを組み上げて国家に構成するために「律令制度」を、もちこみ、税を集めた。
この方式が当時先進国だった中国様式なわけです。

なんでもかんでも、中国様式がもてはやされたわけではありません。

縄文人の本能が受け付けなかったものもあります。

でも、列島に「支配」と言う概念を持ち込んだのは大陸から支配の技術を持ち込んだ人々。

彼らが、列島の支配者となり、
初期には、支配者同士に争いが続き、史書を書く段階で消された支配層があった。

こうやって、支配を強めて行った。

海に囲まれ、他の世界を知らない民を支配するための物語が古事記・日本書紀。

これで、海外への目を封じてしまった。

この時代は、これが大正解であったので、国は保たれたのです。
戦乱と征服にあけくれるイングランドにならずに済んだ。

けれど、温室の中に温存され続けた民は、19世紀、海外からの大嵐に巻き込まれた時、まんまと利用されてしまった。

それも、自分たちを守ってきたはずの「制度=天皇」を、つかって騙されたのです。

日本は世界の中心だから、八紘一宇・・・日本の天子様が、世界の屋根になって世界を救わなければ・・・
鬼畜米英から・・・

これって、今、トランプがやってることに、似てるよね・・・・

日本の場合は、鬼畜米英も、大和の兵士も、どちらも、背後の鬼に操られ、戦わされていた。

だから、トランプのことも、「信じよう」が8分、「また、やられるんじゃないか」2分になってしまうのよね。

まるで、柔道のように、やつらは、相手の力を利用して相手を倒すから。

トランプのことはおいといて。

日本のことだよ。
hたかぽんさん、私は卑弥呼の生年も知らないし、許黄玉が、卑弥呼か卑弥呼でないかも私は知りません。また、調べる気も無い、なぜなら、昔のことなんか、わからないと言うのが真実だからです。

けれど、事ここに至った日本では、明治維新に投げ込まれ、多くの若者を奪われた皇国史観からの脱出が一番大事なのね。

そのために、日本書紀を新井ワールドに飲み込むことが有効だと思っています。

つまり、日本列島は、じつは、古代から孤児ではなかった。
大陸と、つねに流通していた。

その条件下で律令制など、日本統治に向いていると思うモノをとりいれて、渡来系の人々が「国家形成」した。
そして、自分たちの正体を隠すために、神話をねつ造した。

でも、その支配下で、日本独自の文化が花開き、長い平和な歩みを続けられたのだから、それはそれでよかった。

でも、今、時代が変わって、日本も世界の風にさらされるようになったのだから、虚実をはっきりさせようよというのは、大事なことだと思います。

まあ、崇神が誰とか、卑弥呼が誰と比定するする必要もない、「渡来人」でいいとは、思うんだけどね。
義経がジンギスカンみたいな話は、私は好きではないです。

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