死んだもんの負けや・・・という言葉を言ったのは、うちの家を新築していた時、隣接地に住んでいた谷口菊枝というお婆さんだった。

当時80歳。

戦争中に、兵庫区あたりから疎開してきたという。
こどもは8人もいたのに、頭と末っ子を残して、あとの6人は成人する前に死んだ。

ここらあたりには医者がいなかったので、ふとした風邪からも、溶連菌感染で、心不全をおこして亡くなったらしい。

「私は、不幸なんよ」というのが口癖だった。

貧しくて、70年以上たつ家は、ぼろぼろ。

せっかく生き残った長男は、嫁に逃げられ、浮浪者同然。

ときどき、実家に戻ってきて、母親の財布から金を抜いていくらしかった。

東灘区の高級住宅街からひっこしてきて、本当に、目をむいたよ。

おばあさんは、田舎のお婆さんという感じで、真夏に洗濯物を干すときは、腰巻一枚で上体は裸で、80歳とは思えない立派なおっぱいだった。

タイムスリップしたみたいだった。昔に。

こんな、わけのわからない土地に来てしまって、どうしようと思ったわ。

周り中、創価学会さんだし。

道を歩いても、人も車も通っていない過疎。

谷口のお婆さんは、退屈になると、うちにやってきて縁側に座ってしゃべっていった。

「ここら辺の土地には、以前は何の値打ちもなかった。戦後しばらくして、この山全部12万で買わないかと言われたけど。
こんなとこ、全然値打ちがないと言って、断った。
今思えば、買っておけば、今頃、大金持ちやったな。」

「おじいさんが、こんなとこ、ぜったいに値あがらない、といったんよ。」そういって、亡くなったおじいさんのことを思い出したおばあさんは

「死んだもんの負けや」と言った。

そうかなあ、死んだら、全部ちゃらやから、勝ちも負けもないと思うけど・・・そう思った。

でも、なぜか、この言葉が耳に残っている。

「死んだもんの、負け」

最近、ちょっとそれがわかってきた。

やっぱり、生き残ったもんの勝ちやと思う。

年をとった証拠やね。

後に残るほうが勝ちやと思う。

私は、前から、70歳未満の死は負けやと思っている。

弱い体質というのもあるけど、知恵と努力がなければ70歳以上まで生きられない。

大酒飲みで、肝硬変になったり、やけくそで不健康な生活をする連中は60歳までさえ、生きられない。

やっぱり、死んだもんの負けやね。
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