母が亡くなってから、残された家を片付けて売り払って、金融商品を処分したら、もう、力がつきて、わずかに持ち帰ったもろもろを、積んだままだった。


その山を掘り起こしたら、まあ~古いものが出て来たわ。


両親が結婚した時の仲人の記録。

この方は、どういう家の、何番目の子供で、両親はどういう人で・・・そういうのが、和紙に毛筆で書かれている。どうする?こんなもの。


そして、先祖の家系図が出てきた。巻物なんかじゃない。コピー機ができてからの作品。


その下から伊藤萬110年のなんとかという野木さんの著作がでてきた。


以前は、悔しくて、読めなかったけど、今度は、読もうと思う。


大蔵省にあてた社員の内部告発文書。

そういうの、あったのね。


まだ、国民が大蔵省と言う官僚を信頼していた時代。

今じゃ考えられない。第一大蔵省なんかないし。


河村社長を告発する文書が第三弾まで。


読んだら、報告するね。

つらいから、すぐには取り掛かれない。


それから、祖父母の「紋」の見本、呉服屋がとどけた紋のデザインがでてきた。

祖母の「沢瀉」の紋が4枚、祖父のは1枚。


祖父は、あの美しいしっかりものの嫁を、本当に愛していたのだと思う。
いとおしむように4枚の沢瀉。IMG_20200326_0001


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会社の便箋に打ち込まれています。
伊藤萬株式会社従業員一同・・と書かれていますが、日付はありません。

1990年ごろだったと思います。イトマン事件は。
その5年後、父が亡くなったとき、伊藤萬のかつての社員の皆さんが数人参列してくださって。

まるで、会社の死を、無念の涙を、此処で流しに来たみたいでした。
父と顔立ちがそっくりな弟を見て、
「お父さんそっくりだ」と、まるで、頼もしいように胸をなでおろして帰られましたが、

私は、二度切なかった。

ごめん、みなさん。
私たちは、伊藤の血に押しつぶされてはいるけど、なにひとつ、皆さんの思いに応えられない。

(よく見たら、内部告発文書は、私から母に送っています。でも、私は、この文書をどうして手に入れたのか、まったく思い出せません。)

そういえば、この前同窓会で「僕は、当時、住友銀行にいて、イトマン事件の処理をしました。伊藤さんは伊藤萬さんでしたか、住友銀行が悪いんです。伊藤さんは悪くありません。
僕が謝ってもしかたないけど、ごめんね」と言われた。


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