若いころに見る夢の大きい小さいは、問題ではない。

問題は、その夢をいつまで見続けるかだ。(シュバイツァー)


なんか、急にね、娘が、

「平穏無事に、生活できていて、家族も仲がいいのは、本当に、ありがたいことだと思うんだけど・・・でも、私の夢がまだ、かなわない。

こんなこと、不満に思うなんて、あの、お金持ちの娘が、水たまりを通るときに、貧乏人には手に入らない「白いパン」を、投げ込んで、そのパンを踏んで、靴を汚さずに渡ろうとしたら・・・

白いパンもろとも、底なしの地獄に落ちた…おとぎ話みたいに、地獄に落ちそうだけど」

と、いってきました。

まだ、40代なのに。

私からみたら、時間もたっぷりあるのに。

「大丈夫よ。いつか、かなうって。今は、そのために必要な準備期間だって。

願い続ければ願いはかなう。」

「ほかの人が、成功しているのを見ると、うらやましくてたまらないの」


「ま、そりゃあそうだろうけど。

私なんかね、いまだに、夢がかなっていない。まだ、やり遂げたいことが、残っている。」

「だから、ママは元気なのか?」

「うん、まだ、やり遂げられないことを思うと、悔しい。悔しいから、頑張る。だから、元気」



話ながら、考えてみたら、私は、多くのことを手掛け、多くのことをともかくやり遂げたけど、「夢」は、近づくたびに遠のいて、いまだ、かなわない。

それどころか、時代の変化が急激で、昭和時代に描いた夢は、すでに、現実味がない。

一人ではできないから、だれか私より若い世代を協力者に育てないと、だめだわ。

最近、以前、伝統文化の教室でお世話していた子が、中学生になって不登校だと知った。

しめた、不登校なら、暇だろうから、この子たちを、呼び込もう!!

いい考えだ!と、思ったけど、

ま、そうは問屋がおろさないわね、
学校にいけないか、行かないには、深い大きな問題があるはずで、健康な普通のくらしの子に「スーパーボールすくいの世話係をやって」というみたいに、簡単なはずない。

そこまで到達するまでに、なにか、深い溝を飛び越えないとだめだよね。

一緒に、飛び越えたいけどね、私は。

前に弟子にしようとした「不登校の男の子」は、めでたく学校に復帰できて、高校生になった今では、クラブ活動をかけもちするモテモテ男子になってしまった。

めでたい話だが、私のそばから飛び立った。

いいよ、今度出会う子たちも、飛んで行ってもいい。でも、家にこもっているのなら、私と一緒に、ちょっと、跳ねてほしい。

人生は、長い、学校だけが生活じゃない。学歴だけが重大じゃない。

夢は、むしろかなわないところに値打ちがあるかも。

追い続けるのが、楽しいのかも。

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