文化

葬式に見る時代の転変

来月父の祥月命日が来ます。没年は大震災の年ですから1995年。


ほーもう、前世紀のことになってしまった。
父は満76歳で亡くなったので、兄弟のうちでも下の方だったとはいえ、伯父伯母ほか、親戚はまだまだたくさん参列してくれた。

だから、葬儀屋に「参列者の名簿づくり」を命じられて「焼香順位の順番に並べてください」と言われて、・・・初めての経験に、焼香の順番なんかわからへん。

しかも、親戚のうち誰が来てくれるかも蓋をあけなければわからない。

「いいですから、ありったけの御親戚を書いておいてください。来られなかったら、焼香に出られないから、次の人を呼びます」

「なるほど」

しかし、親戚は多いよ。

「順番がわかりません」
「主系(家名の親戚)の上位からならべて、傍系(配偶者側)の上位から並べてください。
あ、でも、親族の焼香の次は、自治会長さんなど、地域の代表者になります。そのあとが、御親族です。」

そして、いざ、告別式当日になると、葬儀屋がその名簿を見ながら座る場所を指図。
その順番に、スムーズに焼香にでれるように。

何しろ親族席に100人はいたもの。
あいたいする一般参列者も同じぐらい埋まっていた。

前世紀の葬式は規模が大きかった。

1998年・・・3年後姑が亡くなった。
愛知県での葬儀だった。

あれは、ややこしかったね。
私は父で経験したベルコ方式で、父は生まれた土地の岐阜方式、葬儀社は愛知方式。

まずは通夜が、違う。
関西では、通夜の客へのおもてなしは、寿司が一般的。すくなくとも、「食事」だ。
ところが中部地方は違う。

「甘いもの」が、ふるまわれ、また、通夜客から持ち込まれる。
白の上用饅頭。
1箱に12個、とか24個、多いのは36個も入っているのが、山積みになる。
地方によっては「羊羹」だらけになるらしい。

岐阜の田舎に育った舅は、「通夜のまんじゅうを買ってきてくれ」と、私に指図したけど、関西では通夜にまんじゅうは出さないから、なにをかっていいのかわからない。

「スーパーに行って、パックのまんじゅうでいいから」と父は言うし。
「え?赤いのが乗っていてもいいの?」
「なんでもいい」・・・そこで、3個パックの色とりどりのを3パック買って帰った・・・なんか、おかしいとは思ったよ。
すぐさま、姑の妹たちがやってきて「まんじゅうが無い」という。
私がパックを見せると、たまげて、「そんなんじゃない。通夜のまんじゅうには決りがある」

そうだと、思ったよ。

私の父と、主人の母があいついで競争するようにこの世を去ってから、次の葬儀までには10年ほどの開きがあり、しかも21世紀になっていた。

父の葬儀は一番大きくて、本来ならボーイスカウトで、もっとも親しかったご夫妻が、1月の震災で先に亡くなっていた以外は、大勢が来てくださった。

葬儀屋さんは「今日の葬儀の車はうちで一番高価な金ぴかの車ですよ」と、耳打ちした。
あのころは、葬礼の車は「神社」の形をしていて、「○○家」と、家名と家紋が、上がっていた。

家族制度が、まだ、息をしていた・・・

タバコOK,酔っぱらいのおっさんが姉ちゃんにさわっても「エッチね!」と言われても「セクハラで警察に言われる」ことはなかった。

その時代の葬儀は、神社のような葬礼車が不可欠だった。
「うちで一番高い1000万円の金ぴかのです」と言われると、最後の孝行の葬儀に花をそえられたようで、ちょっぴり嬉しかった。

けど、そのあとの一言も忘れられない・・・「お宅の次の葬儀は、殺人事件の被害者です」
そりゃあ、そうだわ、病院で亡くなった人だけではない。
葬儀社が扱う御遺体は、種々様々。

父の葬儀費用は、一般的な金額で200万円だった。姑も同じ。岐阜県では親戚の葬儀にはお香典が5万円と決まっていて、これで、ほぼ葬儀費用が賄える様子だった。

葬儀費用は結婚式同様、高すぎるとよく言われる。
祭壇のお華は使いまわしているし、祭壇はそもそも組んだまま。
どこに、こんな費用がかかるんや!と、よく言いますね。

でも、私は、そういう話になるたびに、父の次の葬儀のことを思い出す。

殺人事件の被害者!どういう御遺体になっているのだろう。
このほかにも、亡くなって数か月発見されなかったとか・・・
バラバラとか、いろんなケースがあるでしょう。

でもね、葬儀屋は「そんな遺体は扱いません」とは言えないですね。
だからといって、「お宅のケースは、あんまりひどいので割増し料金」なんていえるでしょうか?

私は、互助会に入っています。
あんまり前に払い終えたので、貨幣価値がどうなったのか、よくわからない。

互助会とは、まさに、バラバラ遺体でも、孤独死数か月数日でも、誰かが、送ってあげなければならない。
すべてが、お宅のようなきれいな御遺体とは、限らないのです。
だから、こんなん払い過ぎやといいたいときもあるでしょう。でも、払えるなら、一生に1回のことなのだから、払ってあげたいと私は思います。

うちは、さいわいきれいな姿のまま送れた・・・その幸せを感謝して、大変な葬儀、葬儀社にも大きな負担になる仕事の手助けをしてあげているのだと思ってほしい。

天命を全うして、穏やかに遅れる儀式ならいいけど、引き裂かれるような逆縁を扱うとき、言葉ひとつで大騒ぎになる・・・葬儀屋は、ものすごい大変な仕事です。もうからなかったら、誰もしません。

儲かる仕事って、実際、嫌な仕事であることが多いです。

さて、父の葬儀で、主人側の焼香が先、と、肝に銘じていた私の目前で、姑の葬儀では、葬儀屋が席順をきめたり、順番を命令しないで「御親族さま」と、呼ぶと、姑の実家の跡取りが出て行った。
そして、父方と母方の二本の列ができた。

たまげたね。

嫁に出して50年もたったのに、姑の兄弟は「今日はうちの身内の葬儀や」と言う。だから、こっちの親族が上位だという。

いまだに、よくわからない。

旧社会では男の方が上位のはず。
主人のなまえで出した葬儀なのに、なぜ、女方がでしゃばったのか。
中部地方では、男女の地位がどうなってるんでしょ。

上方では、家で一番偉いのも強いのもおかみさん。女の方が実質的には強い。
それでも、澄ました顔で旦那はんに、ええ着物を着せて、ええもん持たせて、前に立てる。それが上方の女の甲斐性や(私は、できんかったけど)

あれかな?
エスカレーター…左に立つのは東京。 右に立つのは関西。まんなかに乗って歩かないのは名古屋・・・あれか?
独自のものがないのか~

父に遅れること13年、
母の葬儀になると、兄弟たちは、ほぼ鬼籍。
親族席は10人程度。
全部で30人程度の参列者だったと思う。

200万はかからなかったね。150万程度かな。

少子高齢化で、葬儀が小さくなりました。

もう、仰々しく金ぴかの葬礼車が、参列者の車列を率いて斎場に行く光景は、とんと見なくなった。
葬礼車も黒い寝台車ばかり、これは1000万もしないだろう。ついて行く車もせいぜい2,3台か。

失ってみると・・・あれも、一時の文化だったのね。

家紋家名を大切にした。
だから、どうしても妾腹にでも跡取り息子が欲しかった。
婿養子でもいいからと、迎えた。
子どもは絶対に結婚させた。

家紋も家名もどうでもよくなって、
葬儀が簡略化
葬礼自動車もただの寝台車。
孤独死だらけ。
墓石が管理されない。邪魔にされる。

寺が…経営困難。
ついでに神社も経営困難。

価値観をどこに置くか・・・これが「文化」の正体だったのね。

大きな河の流れのように「時代」は、うねっていく。

かつては、これは自然現象だと思っていたけど。
違う。
マスコミのプロパガンダが大きい。

やはり時代の変化には「仕掛人」がいる。
情報をあびせれば、時間はかかるが世の中は変わってしまうのだ。

この季節、あの黒い寝台車を繰り返し、思い出すのは、
以前住んでいた集合住宅で、中学生が屋上で自殺したことがあって・・・
私は、警察官に両脇を支えられ手放しで号泣するお父さんを見てしまった。

「魚釣りに行きたい」という息子に
母親が
「いけません。勉強しなさい・・・でないと、お父さんみたいになるよ」

息子は、怒って、家出・・・翌朝頭上の屋上で発見された・・・

ひっそりとした葬儀は、だれにも告知されず、黒い寝台車だけが、。静かに去って行った。

あのころの葬儀は金ぴかやら、白木やら葬礼自動車花盛り
その中を黒い寝台車がひっそりと、送る人もなく去って行った。

あの葬礼車が、目に焼き付いているから
父のキンキラキンの葬礼車を見て・・・普通の葬式ができるのは幸せだと思った。


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懐かしのメロディをうたう会

昭和が終わった時も、なんか、大きな星が墜ちたような、大きな変化をかんじました。

それが、もう平成も終わる。

何かが動くときって、景気も動くんだね。なんとなくだけど、人が動いている感じがします。

ますます遠くなる昭和を偲んで、月2回、懐メロを歌う会をひらいています。

口コミで初回に12人が参加。

役者揃いだから、だんだん参加者が殖えます。

目標、会員数20人。参加者10人なんだけど、
やっぱり、多い方が楽しい。


うたえもんというカラオケDVD。一枚に50曲入っている。それが7枚。他で約370曲あるけど、なかなか知っている歌がない。

そろそろ通信カラオケを、導入するつもり。
 しかしね、昭和の歌は歌詞がいい。

男と女の関係も、好いた惚れたも、哲学があるよ。
 今更ながらに勉強になる。

あれは、恋愛のマニュアルだよね。

昭和の歌謡曲を、失って日本の若者は恋が下手になった。

それとね。フォークダンスが、廃って、ますます恋がへたになった。

歌謡曲とlフォークダンスを、復活したいなぁ。

中津川は日本のふるさと

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/wa/enadense.html
中津川の胞衣(えな)伝説

長野県に伊那地方というのがあって、「伊那の勘太郎」という任侠が、有名・・・けど、似た名前で「恵那地方」というのもあるらしい・・・私は、おぼろに「いな」と「えな」は紛らわしいなあ、と思っていました。

恵那は岐阜県でした。

主人の父は、岐阜県の瑞浪の生まれですが、学科成績が優秀だったので、先生の推薦で恵那中学に進学しました。現金収入の無い農家で、中学に進学するのは「金食い虫」といわれて父は、そののち、横浜高等工業専門学校に行きますが、以来、親の援助なしで苦学して、自力で人生を設計しました。

その父の人生のスタートになったのが恵那中学。
「伊藤 律がいた。」というのが父の自慢のひとつでした。今の人は伊藤律なんて知らないでしょう?軍国日本で頭角を現した岐阜の英才みたいです。

けど、父が中学校の思い出話で語るのは恵那中学に通学するとき乗ったバスの車掌さんがかわいかったこと。大きながまぐちのようなカバンを腹のところに下げて、切符を売ってくれるのですが、「なんとか、その娘の手にふれたい」思いで、切符を買うごと、ドキドキしたそうです。

たぶん偶然ではなく、私は、恵那に毎年一回通うようになったのだと思います。

行くたびに感じることは「空気が澄みきっている」「水がきよらか」
ラジウム温泉の湧く土地、御影石を切り出す・・・つまりは火山の噴き出す土地ですね。

大地の気が噴き出す。

明治時代廃仏毀釈の時、中津川一帯は「神道」になりました。
どの家も神道なのだそうです。

それもそのはず、ここらあたり一帯は神話の故郷・・・しかも、その神話は古事記でも、日本書紀でもない「ホツマツタエ」です。

古事記・日本書紀ではイザナミ神がカグツチを出産した時、この火の神の炎で参道を焼かれてしまい、みまかります。

イザナミが恋しくてたまらない夫のイザナギ神は、黄泉の国まででかけイザナミに会います。
黄泉の国から、取り戻そうとする夫に、妻は「外に出るまで決して私を見ないで」と強く言うのですが、まもなく出口と言うところで、いてもたってもいられなくてイザナギは後ろをふりかえってしまい。

蛆虫に食われ、腐れただれたイザナミを見て、恐怖のあまり逃げ出します。

ほうほうの体で現世にもどってきたイザナギは、川の水で、身を清めます。
右の眼を洗うと、そこからアマテラス大御神が、左の眼かツクヨミが・・・何かを洗うとスサノオが生まれたと、記載されますが。

神話とはいえ、わけわかめ。
なんで、目の玉から子供が生まれるね?

こういうちんぷんかんぷん。時系列もめちゃくちゃというのが古事記です。

それに比べてホツマツタヘの記述は理路整然。
きちんと整合性があります。

高天原から飛騨に降り立ったイザナギ・イザナミ神は、中津川でアマテラスを産みます。

その胞衣を埋めたので恵那山と言います。

アマテラスを産んだあと、お産のあとを洗ったのが「血洗池」と、まるで、昨日今日の出来事の様に、記念の場所が続きます。

「リニアが来る」
昨年恵那に行くと、会う人ごとに「リニアが来る・くる」という。
だから、2,3年後には来るのかと思ったよ。
なんの10数年もさきのことじゃん。

しかも、談合がどうのこうのと、問題山積み。

「けど、リニアが来たら、東京から客が来る代わりに、地元から、東京に出て行ってしまうよ」と。私は、宿の運転手さんに行ったよ。

「そうか・・・」市職員でもある彼は、驚いた風だった。
「それは考えんかったね。東京から、人が来る来るとばかり考えていたわ」

そうは、甘くないよ・・・新幹線が通って、大阪は廃った。

今や、二流の都市じゃないの。

かつては、日本の二大都市だったのに。

「そうか・・・ここから、人が出ていくか・・・」運転手さん、考え込む。
「それで、岐阜県では地歌舞伎に力を入れてお客を呼ぼうとしているのでしょう?
でも、芝居だけでは難しいよ。胃袋をつかまないと。
魚沼は、芝居もあります。
魚沼産コシヒカリが旨いよ、酒もすごいよといって、宣伝してたよ。岐阜にはそういうもの、ある?」

「う~む」
「岐阜県は農業県だから、農業は豊かでしょうよ。なんでもある。けど、これというものが、何もないでしょ。
なんでもおいしいけど、目玉っちゃ、くりきんとんだけでしょ」

「栗きんとんだけです」

同じことを、新座長の吉村さんも言ったよ。
「名物は栗きんとんだけ。それも、中津川ではなく恵那なんだけど。」

「歴史物語は無いの?」
「無いですね」

よっぽど、平和な土地だったのでしょう、戦国武将もいなかった。城攻めもなかった。

そりゃあ、困ったね。売り出しようがない。

「ところで、議員さん。恵那が神話の故郷だってこと知ってる?天照大神の生誕の土地だという事」
「知りません」
「恵那って、胞衣のことだよ。ここから、日本の国づくりが始まった。ここは日本の故郷なのよ」

夫婦岩!女陰のほうも、すごいけど


男根にいたっては、言葉を失う。



天地和合。
陰陽の和合で世界は治まる。

その生命の根源を宣言する…中津川にはお城どころではない神秘が存在する。

これは・・・ちゃんと顕彰すれば、リニアが来ても大丈夫だわ。
世界中から客が来る。

ここからそう遠くない犬山では地元の人が「珍宝まつり」というお祀りがあって、こけしのような男根をかかえて、山に登るんだって。

もっとすごういのは、おみこしさんがあるんだけど、一方には「はまぐり」もう一方には、巨大な男根。
それをぶつけ合わせる祭事。

中部地方の人間には、びっくりするよ。

もちろん、古代においては、陰陽の和合で、人も家畜も稲も、次世代を残せなければ滅びてしまう。
もっとも肝心なのが、陰陽の睦であることをみんな知っていたのよね。

「この神話を正しく解釈することができたら、必ず人を呼べるよ」と、私は言ったの。
「安倍国家神道の轍を踏まないように、妙なカルトに奪われないように、まっすぐに顕彰できたら、人を呼べると、思うよ」

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人もし遠き慮りなくば、必ず、近き憂いあり

漢文を教えなくなって、ひさしい。たぶん50年ぐらい前に指導要領から消えたと思う。

日本を劣化させた最大の原因は、漢文を習わなくなったことだと思う。

ほんまに、漢文塾でもやりたいわ・・・

私の祖父は、あんまり頭がよくなかったらしくて、小学校を終えた後、高等小学校に進学できなかった。 明治初期です。

そこで、六甲山中にある漢文塾に入ったそうな(くやしいな、指導の先生のお名前が、思い出せない)
つまり、祖父が受けた教育は、小学校で「読み書きそろばん」そして、「漢学塾」で「漢文」を学んだ。

それだけの学力で、祖父は、灘五郷の「産業廃棄物の酒粕」を利用して「奈良漬」を造ることを思いつき、奈良県の奈良漬け屋に奉公します。

そして「習う」とは「盗むこと」と、技術を見おぼえ、身に着け、灘にもどり、
自分で納得のいく味になるまで研究を重ね
「甘い」と書いて「旨い」と読む・・・と、言い、みりんを加え、本場よりはるかに「甘口」の奈良漬けを造り、一代で、財を成しました。

祖父の教養は「漢文」に基づきます。

だから、子供達には、漢文の中から好きな漢字をつかって命名しました。

綾・秦・好・博・碩・恒・・・しかしながら、7番目に生まれた私の母の時には「もう、子供は、いらんのに・・・」と、思って、遠い親戚のおばさんの名前を拝借し、
最後の男の子は4番目だから「しろう」・・・まあ、せめて「四郎」でなく「四朗」の朗には、若干工夫がありましたが・・・


祖父が店を作り、使用人を置いて、近隣と付き合い、商売を発展させた原動力は漢文の教養だった。

「幾千万といえども、我ゆかん」・・・今の烏合の衆でしかない日本人は、この言葉を教わっていない。

『孟子』公孫丑上篇です。
「自反而縮。雖千万人。吾往矣。」
自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん

これは、母が私に伝えた「祖父譲りの私の座右の銘」
もう一つあります。
「為せば成る。なさねばならぬ、何事も、ならぬは人の成さぬなりけり」


こうして「負けない心」を培ったのです。


これがないから、負ける日本人ばかりになってしまった。


渋沢栄一の伝記を読みましたが、徳島の藍で、染め物をする家の倅だったそうで、12歳ごろには、藍の買い付けに行き、目がきいたとか。

彼は、4歳で四書五経をマスターしていたそうです。

今の日本の子供の「学習は愚民化政策」の中のものだから、あてにはできません。


さあ、どうしますかね。
昔のようなお国をあてにしていたんでは、食い物にされ、奴隷にされるばかり。


教養が足りないですね・・・私は、孫を手元で育てられないのが、くやしい。

さて、漢文を習わなかったと思われる、現宰相たちは「遠き慮りなき」ゆえ、現在「近き憂い」に押しつぶされそうになっています。

漢文どころか、漢字も読めないんじゃねえ・・・


そうそう、一番プレゼントしたい漢文があるわ。

巧言令色少なし仁

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懐かしのメロディを歌う会をしました

小さなポスターと口コミで、全部で13人集まりました。

昭和の懐かしの歌謡曲を歌うんです。

「昭和はええなあぁ~」と、懐かしみながら。


福祉センターには、本当に男性が少ないのですが、
5人の男前がやってきました。

この町内には男はいないのかと思ったけど・・・いたわ。


最高齢は天皇陛下と同じ年・・・86歳やで~と言ってたけど。
確か、陛下は85歳か84歳のはず・・・ひとつ余分に言うてるわ。

この人が、得意の歌は「股旅物」やくざものや。


私は、カラオケ喫茶なんかにはいかないから、こういう歌を聞いたことが無い。

おもしろかった。

2時間の予定だから、早く歌いたい人手を挙げて!というのに、なかなか誰も立ち上がらない。

だから、自信が無いのかと思ったら・・・ちがった。
能ある鷹は爪隠す。

上手な人は、おもむろに手を挙げる。

おおむね、女性陣は不慣れな感じで、男性陣は歌いこんでいたね・・・資本がかかっている。

現役時代スナックやカラオケ喫茶で、歌いまくっていたんだろうね。

地域での遊びでも、やはり、男と女がまじらないと面白くはないのよね。

何歳になっても男は、女にもてはやされたい。

今日が初めての出会いという人が何人かいた。

しかしやね・・・マイクを持って歌いにこようかという人は、男も女もおおむね容貌にも自信があるね。

へ~?
山の街に、こんないい男がいたの?
背も高いし、ハンサムじゃん。
若いころはさぞかし、おもてになったでしょ!

と、声をかけたら
「あんたこそ、若いころはかわいかったやろ」と、お返しがかえってきた。

デュエットいこか!
「やっぱり、銀恋は、定番やで、銀恋からいこ!」

楽しかったよ。
ちょっと、不純な感じがして。

一回目だから、なおさらね。

このイベントが月二回、本当に10人レベルで続いたらいいんだけどね。

2度目がねえ~
一回目が大騒ぎで、大笑いで、ものすごく面白かったから・・・来週が心配やなあ・・・

だんだん良く鳴る法華の太鼓にならないとね。

言っとくけど、私と一緒に何かするのは、楽しいんだから。
元気だし。

延べ20人ぐらいが出入りして、毎回10人余りが歌いに来るのがいいなあ・・・

そしたら、近隣でカラオケ大会をして、賞も出すのにね。

まずは、股旅のカッパと三度笠をアマゾンで買おうっと。

股旅ものの上手なお兄さんに着せて、6月の発表会に、出場してもらおう。

地域福祉センターに、男の存在感を示してもらわないとね。

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