たまたま、なんらかの偶然のように、超能力を手に入れる人もいるけど、
系統だった修行によって、得られるとする考え方があって、
密教のパワーというのは、そういうパワーです。
呪文、そして、指で結ぶ印にも、力がある。
私は、教団内の学校で、仏教を習いました。
その教習科目の中に、お経の伝授というのがあります。
お経には、そのお教典の持つ霊力があるのだけど、教典を読めば、そこから、霊力が、立ち上るわけではありません。
それなりの修行をした人が、独力で力を得るということもあるのかもしれないけれど、
私たちは、そんな厳しい命を削るような修行はしないけど、教団の功徳力を礎に、そのパワーをいただき、唱える呪や、経典に、師匠と同じパワーを発揮することができます。
ずいぶん前、30年余前のことです。
私は「金剛寿命陀羅尼経」のご伝授を前にしていました。
ご伝授にあたっては、先立つ3日間、斎戒沐浴して精進潔斎が、求められます。
私は、その時、どうしても、そのお経がほしかった。
どうしても、命を救ってほしい人がありました。今では、誰のことだったか思い出せないんだけど。
その経典の功徳力で、寿命を延ばすことができると言われています。
このチャンスを逃すと、あと3年間、機会はめぐってきません。
だから、斎戒沐浴して、肉食、ネギなど臭いものを禁じて、いたのだけど。
日曜日のご伝授に先駆けて3日だから、土・金・木の3日間の精進潔斎だと、思っていたのに、木曜日、なんだか、忘れたけど、会食の折に、うっかり、なにか、禁止されているものを口にしてしまったのです。
しまった!
いや、黙っていても、神様には筒抜けだとは、思ったけど、そんなことより、曲げてもねじっても、どうしても、そのお経が欲しかった。
だから、ええいままよ!!と、出かけてしまった。
もしも、だめなら、どこかで行けなくなるはず・・・でも、精舎にたどり着き、ご伝授をいただくことができた。
私の必死の思いが天に通じたか!!
そう思いながら、帰途について、三ノ宮駅で、改札を通るとき、規定通りの切符なのに、機械が「ぴんぽんぴんぽんぴんぽん!」通してくれない!!
ああ、やっぱり、通してもらえないのか?
駅員さんがやってきて、機械を調べてくれて「どうぞ、通ってください」の、おとがめなし。
「ほんとうは、だめやけど、通してやるわ」と、神様に言われたかと思った。
でも無事、ご伝授をいただけたわけです。
それから10年ぐらいして、
私は、少し年下の友人、乳がんが肺に転移し、骨にも転移し、もう駄目だと言われた友人のために、
金剛寿命陀羅尼を、どうしてもあげたかった。
彼女は、12月28日に呼吸困難で救急搬送され、搬送先で「正月は迎えられない」と、言われた。
さらっていこうとする死神と、もっていかれてなるものかと、祈りこむ私の死闘が続いた。
あれは1999年12月。
1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる・・・
魔の1999年
12月11日、正午すぎ、救急病院から電話「ご主人が運び込まれました。意識はあります。造影剤を使わなければ検査できないので、造影剤の許可を・・・・いただけなくても、やりますけどね」
その朝、特に、調子がわるかったわけではないのに。
突然の異変に動転する。
その1週間前、一緒に寒修行を、開催している家の奥さんが、足を複雑骨折して、今年は、寒修行はできそうにない・・・という一大事があった。
それに重ねて、私の家でも、主人が倒れたのだ。
そして、「私は、もう駄目だから、私が死んだらこの二十歳の娘の母代わりになってね」と、私に訴えたその友人が12月末、危篤に。
仏さまは無慈悲だと思う。
どこまでも、私の誠と、勇気と、心を試してくる。
私は、無我夢中で走るしかない。
娘さん二十歳、知的障碍者の手帳をもらった。
無頼漢のような、野蛮な父親と、その娘が残されたら、どうなる・・・
何が何でもお母さんに死なれたくない。
毎日、陀羅尼経を上げ続ける。
迎えられないはずの元旦を迎え、意識不明のまま、その人は生き続けた。
病院が遠いので、毎日見舞えるように、近くの病院に転院させる。
助かる見込みは、まったくないのだけど、命の灯火は1週間たっても2週間たっても消えない。
私は私で、婚約したてで3月に結婚式を挙げるという息子とー「父親が大変な時に、結婚式などもってのほか」という田舎の舅との調整。
脳卒中で、自分の名前も思い出せない主人の看病。
これから先の生活の心配、
せっかく、再開した子供歌舞伎を続けて行けそうにないこと。
あらゆることが、頭の上にのしかかって、彼女のお見舞いどころではなかった。
それでも、寒修行だけは、開催させてほしいと、頼み込み、退院翌日の人の自宅で5日間の修行を終えた。
その日、お寺に行き、「なんとか、この人の命を救ってほしい」と、訴えたのだけど・・・
「もう、これ以上生かしたら、本人が苦しむだけです。死なせてあげなさい」と言われ・・・ついに、陀羅尼経を打ち切った。
その翌日、彼女は旅立った。
私の一念が、あるはずのない命を一か月延ばし、1か月も長く苦しませ続けたわけだ・・・
あれから25年。
長かったよ。宗教嫌いの父親に阻まれて、娘さんとも数年間音信不通になった。
でも、絶対に死んでほしくなかったお母さんは、本当に、よくできた人で、娘の世話を完璧にできる人だったために、彼女は、お母さんの前ではよけに、無能になっていたから、
一人で頑張るしかなくなってからの方が、持っている能力を発揮できるようだった。
そばにいてくれてありがたい親もあれば、去ってくれてありがたい親もあるのよね。
10年ほどして、彼女から毎週のように電話がかかるようになった。
「お父さんが、口やかましくののしるので、つらくて仕方がない。家を出たい。」
どうも、お父さんに何人目かの恋人ができたみたいで、娘を邪魔ものにしているみたいだった。
「おばあちゃんの家に同居できないの?」
そういって、私は、当時、VOXIに、乗っていたので、家出の手伝いをした。
やがて、高齢のおばあちゃんは、肉親の孫と言えど、同居はつらいというので、彼女の弟が、保証人になって、公団を借りて、そこに移って一人暮らしが始まった。
最初は、なかなかうまくいかなかったけど、だんだん、いろんなことができるようになって、30歳も越してから、どんどんしっかりしてきて・・・二十歳のころの彼女を知っている人が、今の彼女を見たら「この教団のお力は、すごい!」と、眼を見張ると思う。
根気よく、最初の道案内をしたのは私だけど、自分から、この道を歩みたいと真剣に動き出したのは、彼女自身で、以来、会うたびに健康に、会うたびにしっかりしてくるのには、私も、本当に驚いた。
楽な道ではなかったですよ。そりゃあ、あの子は、本当に、よく頑張りました。
金剛寿命陀羅尼経には、なんどもお世話になりました。
自殺の恐れのある人を、とどめるため、癌を宣告された人のため、何度も、祈りを込め、今また、和ちゃんの彼女のタカコのために、私は、祈りを込める。
ワクチン、本当に怖いよね。
ああ、そういえば、息子が打つしかないと言っていたから、息子のためにも一緒に。
あとから、知ったけど、精進潔斎は、ご伝授当日を入れて3日だったので、私は違反していなかった。4日前だったから。
1か月も祈り続けて、寿命を延ばしたことは、病人自身にも苦しみだったあろうけど、見守る家族にも残酷な時間だった。
後日、私が母親代わりになっている娘さんの弟が、うめくように私に打ち明けた。
「僕は、あいつを父親だなんて思っていない。絶対にあいつを、許しません。母が息を引き取った時、あいつは、どこにいたと思いますか?
女と一緒にホテルにいたんですよ。
許せますか?一生許せませんよ、僕は。」
私は、ちいさく「そう・・・」と返事するしかなかった。
どうしても死んでほしくない愛妻が、なすすべもなく死の床にあることの、苦しみを受け止めきれなくて、いきずりの女とホテルにしけこんだ・・・弱い男の、弱さを、
言葉にできないせつなさを、いつの日か、彼の息子は理解してくれるだろうか・・・本当に、一生だめかもしれない。
そして、そんなこと、理解できない方が、その息子の幸せ。
私が、私の欲で1か月も彼女を、この世に留め置かなかったら、親子の間にそんな亀裂は生まれずに済んだかもしれない。
ときどき、思い出すと、申し訳ないと思う。
生きていくのは、つらいことだと思う。
でも、人の身でありながら、人の命の永きことを祈らせてもらえることの尊さに、胸がいっぱいになる。
タカコを死なせない。そう祈れることのありがたさ。
そういう目に見えないパワー。秘法。見えないエネルギーは確かに存在する。
これからの世の中は、そういう見えないものの価値があきらかにされていくのだと、私は思う。
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