宗教関係

見えないパワーがあるといったでしょ。

たまたま、なんらかの偶然のように、超能力を手に入れる人もいるけど、

系統だった修行によって、得られるとする考え方があって、

密教のパワーというのは、そういうパワーです。

呪文、そして、指で結ぶ印にも、力がある。

私は、教団内の学校で、仏教を習いました。

その教習科目の中に、お経の伝授というのがあります。

お経には、そのお教典の持つ霊力があるのだけど、教典を読めば、そこから、霊力が、立ち上るわけではありません。

それなりの修行をした人が、独力で力を得るということもあるのかもしれないけれど、

私たちは、そんな厳しい命を削るような修行はしないけど、教団の功徳力を礎に、そのパワーをいただき、唱える呪や、経典に、師匠と同じパワーを発揮することができます。

ずいぶん前、30年余前のことです。

私は「金剛寿命陀羅尼経」のご伝授を前にしていました。

ご伝授にあたっては、先立つ3日間、斎戒沐浴して精進潔斎が、求められます。

私は、その時、どうしても、そのお経がほしかった。
どうしても、命を救ってほしい人がありました。今では、誰のことだったか思い出せないんだけど。

その経典の功徳力で、寿命を延ばすことができると言われています。

このチャンスを逃すと、あと3年間、機会はめぐってきません。

だから、斎戒沐浴して、肉食、ネギなど臭いものを禁じて、いたのだけど。

日曜日のご伝授に先駆けて3日だから、土・金・木の3日間の精進潔斎だと、思っていたのに、木曜日、なんだか、忘れたけど、会食の折に、うっかり、なにか、禁止されているものを口にしてしまったのです。

しまった!
いや、黙っていても、神様には筒抜けだとは、思ったけど、そんなことより、曲げてもねじっても、どうしても、そのお経が欲しかった。

だから、ええいままよ!!と、出かけてしまった。

もしも、だめなら、どこかで行けなくなるはず・・・でも、精舎にたどり着き、ご伝授をいただくことができた。

私の必死の思いが天に通じたか!!

そう思いながら、帰途について、三ノ宮駅で、改札を通るとき、規定通りの切符なのに、機械が「ぴんぽんぴんぽんぴんぽん!」通してくれない!!

ああ、やっぱり、通してもらえないのか?

駅員さんがやってきて、機械を調べてくれて「どうぞ、通ってください」の、おとがめなし。

「ほんとうは、だめやけど、通してやるわ」と、神様に言われたかと思った。

でも無事、ご伝授をいただけたわけです。


それから10年ぐらいして、
私は、少し年下の友人、乳がんが肺に転移し、骨にも転移し、もう駄目だと言われた友人のために、

金剛寿命陀羅尼を、どうしてもあげたかった。

彼女は、12月28日に呼吸困難で救急搬送され、搬送先で「正月は迎えられない」と、言われた。

さらっていこうとする死神と、もっていかれてなるものかと、祈りこむ私の死闘が続いた。

あれは1999年12月。


1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる・・・

魔の1999年

12月11日、正午すぎ、救急病院から電話「ご主人が運び込まれました。意識はあります。造影剤を使わなければ検査できないので、造影剤の許可を・・・・いただけなくても、やりますけどね」

その朝、特に、調子がわるかったわけではないのに。

突然の異変に動転する。

その1週間前、一緒に寒修行を、開催している家の奥さんが、足を複雑骨折して、今年は、寒修行はできそうにない・・・という一大事があった。

それに重ねて、私の家でも、主人が倒れたのだ。

そして、「私は、もう駄目だから、私が死んだらこの二十歳の娘の母代わりになってね」と、私に訴えたその友人が12月末、危篤に。

仏さまは無慈悲だと思う。

どこまでも、私の誠と、勇気と、心を試してくる。

私は、無我夢中で走るしかない。

娘さん二十歳、知的障碍者の手帳をもらった。
無頼漢のような、野蛮な父親と、その娘が残されたら、どうなる・・・

何が何でもお母さんに死なれたくない。
毎日、陀羅尼経を上げ続ける。

迎えられないはずの元旦を迎え、意識不明のまま、その人は生き続けた。
病院が遠いので、毎日見舞えるように、近くの病院に転院させる。

助かる見込みは、まったくないのだけど、命の灯火は1週間たっても2週間たっても消えない。

私は私で、婚約したてで3月に結婚式を挙げるという息子とー「父親が大変な時に、結婚式などもってのほか」という田舎の舅との調整。

脳卒中で、自分の名前も思い出せない主人の看病。

これから先の生活の心配、

せっかく、再開した子供歌舞伎を続けて行けそうにないこと。

あらゆることが、頭の上にのしかかって、彼女のお見舞いどころではなかった。

それでも、寒修行だけは、開催させてほしいと、頼み込み、退院翌日の人の自宅で5日間の修行を終えた。

その日、お寺に行き、「なんとか、この人の命を救ってほしい」と、訴えたのだけど・・・

「もう、これ以上生かしたら、本人が苦しむだけです。死なせてあげなさい」と言われ・・・ついに、陀羅尼経を打ち切った。

その翌日、彼女は旅立った。

私の一念が、あるはずのない命を一か月延ばし、1か月も長く苦しませ続けたわけだ・・・

あれから25年。

長かったよ。宗教嫌いの父親に阻まれて、娘さんとも数年間音信不通になった。
でも、絶対に死んでほしくなかったお母さんは、本当に、よくできた人で、娘の世話を完璧にできる人だったために、彼女は、お母さんの前ではよけに、無能になっていたから、

一人で頑張るしかなくなってからの方が、持っている能力を発揮できるようだった。
そばにいてくれてありがたい親もあれば、去ってくれてありがたい親もあるのよね。

10年ほどして、彼女から毎週のように電話がかかるようになった。
「お父さんが、口やかましくののしるので、つらくて仕方がない。家を出たい。」
どうも、お父さんに何人目かの恋人ができたみたいで、娘を邪魔ものにしているみたいだった。

「おばあちゃんの家に同居できないの?」
そういって、私は、当時、VOXIに、乗っていたので、家出の手伝いをした。

やがて、高齢のおばあちゃんは、肉親の孫と言えど、同居はつらいというので、彼女の弟が、保証人になって、公団を借りて、そこに移って一人暮らしが始まった。

最初は、なかなかうまくいかなかったけど、だんだん、いろんなことができるようになって、30歳も越してから、どんどんしっかりしてきて・・・二十歳のころの彼女を知っている人が、今の彼女を見たら「この教団のお力は、すごい!」と、眼を見張ると思う。

根気よく、最初の道案内をしたのは私だけど、自分から、この道を歩みたいと真剣に動き出したのは、彼女自身で、以来、会うたびに健康に、会うたびにしっかりしてくるのには、私も、本当に驚いた。

楽な道ではなかったですよ。そりゃあ、あの子は、本当に、よく頑張りました。

金剛寿命陀羅尼経には、なんどもお世話になりました。

自殺の恐れのある人を、とどめるため、癌を宣告された人のため、何度も、祈りを込め、今また、和ちゃんの彼女のタカコのために、私は、祈りを込める。

ワクチン、本当に怖いよね。

ああ、そういえば、息子が打つしかないと言っていたから、息子のためにも一緒に。

あとから、知ったけど、精進潔斎は、ご伝授当日を入れて3日だったので、私は違反していなかった。4日前だったから。

1か月も祈り続けて、寿命を延ばしたことは、病人自身にも苦しみだったあろうけど、見守る家族にも残酷な時間だった。

後日、私が母親代わりになっている娘さんの弟が、うめくように私に打ち明けた。
「僕は、あいつを父親だなんて思っていない。絶対にあいつを、許しません。母が息を引き取った時、あいつは、どこにいたと思いますか?
女と一緒にホテルにいたんですよ。
許せますか?一生許せませんよ、僕は。」

私は、ちいさく「そう・・・」と返事するしかなかった。

どうしても死んでほしくない愛妻が、なすすべもなく死の床にあることの、苦しみを受け止めきれなくて、いきずりの女とホテルにしけこんだ・・・弱い男の、弱さを、

言葉にできないせつなさを、いつの日か、彼の息子は理解してくれるだろうか・・・本当に、一生だめかもしれない。
そして、そんなこと、理解できない方が、その息子の幸せ。

私が、私の欲で1か月も彼女を、この世に留め置かなかったら、親子の間にそんな亀裂は生まれずに済んだかもしれない。
ときどき、思い出すと、申し訳ないと思う。

生きていくのは、つらいことだと思う。

でも、人の身でありながら、人の命の永きことを祈らせてもらえることの尊さに、胸がいっぱいになる。

タカコを死なせない。そう祈れることのありがたさ。


そういう目に見えないパワー。秘法。見えないエネルギーは確かに存在する。

これからの世の中は、そういう見えないものの価値があきらかにされていくのだと、私は思う。

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クリシュナパワー

その説明ができない事こそ、現代科学ではなく超次元神秘科学なんです。私は一番最初にクリシュナパワーの事を超次元神秘科学と名付けていました。超次元とは時間と空間を超越している、その原因は科学知識では説明ができないけど、紛れもない科学現象です。

(転載おわり)

闇の勢力は、世界中の人間に、マイクロチップを埋め込んで人類を支配しようとたくらみ、それを、最後のステージとして、実行したようです。

つまり、「光の勝利」とか言っていること自体が、めくらましだと、私は思う。

実際には、闇側の作戦は、ちゃくちゃくと前に進んでおり、別に、遅滞はない。

しかし、中世のキリスト教徒みたいなセリフだけど

この世界は神によってつくられた精妙な均衡のうえに成立している。

それぞれの生命が、ここの輝きをいっぱいに輝かせるところにこそ、精妙な均衡が生まれる。

その個々の生命に手を突っ込んで、統一した意志に従わせようなどという試みが、果たして許されるものなのか?

気象兵器にしてもそうです。

自由自在に台風を動かそうとし、雨を降らせ、竜巻を起こす。

雲を巻き上げ、干ばつを演出する。

人は、それを成し遂げる技術を手に入れた。

けれど、もともとその力は八大竜王、瀬織津姫の力。神は、嵐も起こすし、干ばつも与える。けれど、神の働きには、えもしれない知恵が働いている。

人間の浅知恵とは、全く違う。

そこに、手を突っ込んでいいのか?

この宇宙を動かす真実のパワーに、宇宙人にせよ、人類にせよが、人工的なマシーン操作で、立ち向かいねじ伏せる。
その一連の神を神とも思わぬ動きの中にマイクロチップによる人類支配が、ある。

果たして、それは許されるのか?

人は、行きつくところまで来てしまったようですね。

クローン人間が作れるのであれば「生命さえ」作れるわけですからね。

人工授精なんていうのも、天を恐れぬ仕業だと思われました。


そういうタブーを人類は一つ一つ踏み越えてしまったのです。

もうどこからが、神の領域で、どこまでが人の領域なのかわからなくなりました。


だからといって、なんでもできるなら、やっていいのでしょうか?

人の犯してはならない「掟」は、無いのでしょうか?

人の定めたものなら、人が変えてもいい。

神が定めたものを、人はいじってはならない。
これ、モーゼの十戒ね

  1. 主が唯一の神であること
  2. 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
  3. 神の名をみだりに唱えてはならないこと
  4. 安息日を守ること
  5. を敬うこと
  6. 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
  7. 姦淫をしてはいけないこと
  8. 盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
  9. 隣人について偽証してはいけないこと
  10. 隣人の財産をむさぼってはいけないこと

ざっと読んだだけでも、闇の勢力は、完全にこの掟を破っていますね。

仏教の諫めは

五戒文

殺すな
盗むな
姦淫するな
嘘をつくな
飲酒禁止

ほんと、恐ろしい世の中になったものよね。

権力者、エリートと言われる人たちが、率先して、この神や仏の禁忌をやぶって恥じないんだものね。俺たちは悪魔に仕えるんだと。

戦争を金儲けの具にして、殺生戒をおかし、
相場を操って、人の金を盗む。
結婚外の淫行どころか、小児をもてあそぶ。
偽証し放題。
酒なんか言うに及ばない。

でも、罰なんかあたらないもんね~…て感じね。

本当だろうか?神々は最後の瞬間まで沈黙するのだろうか?

本当に、今の世界って、善と悪の最終戦争に見えます。

だからね・・・私は、最後は善が勝つと信じている。


どういういきさつになるか知らないけど、この世の中は、実は、人の目に見えている領域だけではないから。

いや~

あんまり打ち明けたくないんだけど。

最初に掲げたクリシュナ氏の言ね。

あれは、私の質問への返事です。

私ね~若いころは美人だったって言ったでしょ。

それはね、大阪万博のコンパニオンだった時で、毎日、ガラガラの鉄鋼館から、長蛇の列の三菱未来館を、指をくわえてみていた。

中に入れるチャンスがあって、はいってみたら「台風を制御できる日が来ます」というテーマだった。

それ以後、ずっと、台風が制圧される日を待ち続けたけど、NTT館の携帯電話も、IBM館のパソコン時代も、ほかのものは全部実現したのに、「台風だけは」変わらない。

そして、ある日、はっと気づいた・・・1970年万博で「未来」として提示されたすべてのもの・ことは、すでに1970年時点で完成していた・・・ことに。

そしてHARRP、ケムトレイル・・・ああ、これか…と気づく。兵器会社三菱が作った気象兵器。

そのことを描こうとして、その時の写真を貼ったのよ。自慢の奇跡の一枚。
2017年秋。

クリシュナというHNさんから、毎日、「当地は、今日もケムトレイルがすごいです」「今日はケムトレイルありません」という報告コメントが届くようになったの。

そして、2か月・・・おずおずと内緒メールが入ってきた。自己紹介ね。インド人でなく日本人だった。
彼は、自分がどのようにして超能力を得たか教えてくれて、
自分が演奏したCDを、送ってくれたのDVDだったか。

それを聞いて、私はびっくりしたの。私には音色が聞き分けられた。
滝山さんのスカラー波よけを封筒から取り出したときの衝撃と、同じ衝撃。

あ、これは・・・見えない世界の何かだと感じたの。

やがて、この前書いたけど、私がうっかり最近のすっかり衰えた写真を出しちゃったときに、クリシュナ様の「夢」が打ち砕かれた。

あの超絶美人、私の理想が!ここまで劣化するのか?が~ん

あったりまえでしょ50年の年月をなめんじゃね~よ。


でもね、彼は、私があきらめた「美貌を取り戻す」(まさか、50年前に戻れとは言わないけど、いまよりちょっとでも改善されたらいいでしょ?!)

という時空を超える挑戦に興味を持ってしまった。

まずは、そのぼこぼこのむくみを取りましょ。肝臓と腎臓と心臓が、むくみの原因だから、強化してあげる。

それと、お顔をすべすべに。

パワーを送るからね。

あれこれ、いじったあげく、彼は、最近では、私の目の周り、特に、眼の下瞼のたるみが、気に入らないーそこをね、重点的にやるから!!

私は、頼んだわけじゃないのよ。

いいの、今更、別に美人だと言われなくても、遠い幸せだった記憶の世界に生きるから・・・

頼んでもいないし、別に希望したわけでもない。

ただ、上瞼が老化で垂れ下がるのは、見えにくいので困る。もう、美貌はいいから。

ところがね

下瞼にパワーを送っといたからね~と言われた翌朝、鏡をみると少し違う。
その前に、実はキララかなんかいう「垂れ下がった瞼を元に戻す」という美容液を買っていたし、友人から馬油がいいと言われて、夜に塗り始めた。


クリシュナ様が、目元の若返りに挑戦しよう!
と、号令をかけた時点で、いろんなことがすでに動いていたの。

で、毎日、少しずつ、改善する。

「時々写真を送ってね。でないと、やりがいがないから」

そりゃあ、そうだよね。でも、写真て、ちょっとした光線の加減とかで、鏡で見たより悪く映るのよね。だから、なかなか送らなかった。

でも、やいやい言われるし、お世話になっているから送ったよ。そしたら、いつものガラ携でなく、スマホで撮って、せめておしろいぐらいは塗ったらさぁ

「厚化粧じゃ、本当のことがわからない」と、怒ってるの。

「おしろいだけだよ!!厚化粧じゃないっ」こっちも怒ってね、二日ほどほったらかした。

で、今度はいつものガラケイで、送ったら、今度は「おお~だいぶ違う」と、納得して「比較写真」を、送ってくれたんだけど、

スカイプがさ~写真が、うまく開けないから、見られなくて・・・四苦八苦してなんとか、古いパソコンで開いたら、

そういえば、下瞼だけでなく、眼の稜線がすっきりしている。馬油の効果もあると思うよ。

でもね、たるんだ下瞼だけは、馬油でもどうにもならないと思う。

けどね、何マイルも離れた東海地方から「パワーを送っといたからね」と、言われて「なんで、私の顔が変化するの?」


その返事が、あれ「
超次元神秘科学です」

なんで、彼が「科学」と名付けるかというとね、パワーを送り込むことで「感覚」だけでなく「数値」が変化するから。つまり数値で実証できるから。

「私が毎晩パワーを送っているんだから、自助努力もしないとだめだよ」

おおお。おそろし~東の海から睨んでる。
「体重を落としなさい!!」でないと、数値がよくならない。

毎晩顔をマッサージしなさい。

まさか、この年になって専属健康コンサルタントや、美容コンサルタントがついてくれるとは夢にも思わなかたわ。

でもね、まだ、マイクロチップで人類一元管理!とかは、理解できるんだけど

なんで、何百マイルも離れたところから送られるパワーが、この私に作用するのか、全然理解できない。

全然理解できないけど、写真で見せつけられると、確かに違う。

人智を超えた「なにか」は、確実に存在する。としか言えない。

一体何が真実で、何が虚妄なのか・・・

もちろん、闇のたくらみの方が、朝日の一筋の光でたちまち消える露でしかないでしょう?


どんなにおどろおどろしく見えても、闇はどんなに深くても、たった一点の灯で除き破られる。

恐れちゃダメ。

恐怖に陥れられたら闇の勝ち。

恐怖をはねのけ、晴れやかに笑ったら、光の勝ち。

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なんでも、バチカン、ローマ法王庁では「20世紀は、共産党との戦いだったが、21世紀は仏教徒の戦いになる」と、言っている、と、教団で耳にしたのです。


そもそも「宗教」と、「戦い」という概念自体が、相容れないのに。

けれど、確かに、「神は死せり」のニーチェといい、「ダミアン」のヘルマン・ヘッセといい、20世紀の西洋は「キリスト教に対して懐疑的」になり、敵意さえ、あらわにしました。

そして「宗教は麻薬だ」という共産党が、教会を否定。

ロシアから、ギリシャ正教が抹殺された。

キリスト教受難の時代だった。

それまでは、イスラム教との戦い、新教と旧教の宗教戦争はあったけど、「宗教そのものを否定する動きは、初めてだった」

若いころ見た映画では、必ず教会が出てきて、アルカポネでさえ、日曜日には教会に行った。
イタリアやフランスの貧しい市民でも、”教会を神父を”よりどころにしていた。

その姿が、映画に反映していた。今は、そういうシーンが全くない。

庶民の暮らしから、教会が取り払われたのが感じられる。

最大の理由は、カソリック教団内の「小児性愛」「同性愛」といった問題が暴露されたことだとは思う。

ただし、「宗教」というもの自体の退潮がある。

宗教教団は信者を獲得しようとするものだけど、「貧病争」の無い人を、誘うことは、ほぼ不可能だ。

だから、ある意味、これらの不幸は「信仰生活にいざなう”道”」と言える。

これをきっかけにせよ、神仏と出会い、心の平安を得ることができたら、それは僥倖。「病を通して道を見いだせ」という。

だから、江戸末期の大混乱、大戦後の混乱期に、多くの新興宗教が台頭している。人々のニーズに応えたわけだ。

そういうわけで、社会保障が整ったこと、医学が進歩したことが、宗教をすたらせた最大の原因である。

金持ち、喧嘩せず。だし、貧乏と病苦がなければ争いも少ない。

それを思って見回せば、このコロナ禍は、久々に来た「布教のチャンス」と言えるんですな・・・これが。
日ごろ、何でもなく暮らしているけど、こういう機会に、自分の不確かさや、孤独に気づく。

にも拘わらず、実際には宗教界は右肩下がりだと思う。
コロナ禍で、葬式が小さくなった。
お寺は、困っていると思うよ。葬式仏教だったのだから。

こういう機会に、みんなが、自分の周囲を見直さなければならないね。これは、そういうベスト・チャンスともいえる。
何が大事で、何が真実か。

見誤れば死。

この前書いた「ネズミの滅亡」

あれは、よくできた「人類の未来予測」だと、思います。

ぱっと聞くと、大変説得力があります。

最近の、ユニセックス、結婚しない風潮、少子化、これらを説明しているように感じる。
また、ネズミが子供を食ってしまうところなど、例の食人儀式を思わせる。

けどね、閉じ込めた環境でのネズミの生態を、則、人類に当てはめるのは、非常に乱暴だし、

科学的な検証とは、とてもいえない。

ネズミの飼育函を宇宙になぞらえるなんてね。

明珠さんのいうようにこじつけ・言い訳じみている。

それと、「ネズミ」という哺乳類、いわゆる「四つ足」と、「人間・霊長類の最上階」を、だぶらせる考え方は、もちろん、キリスト教でもありえないと思う。

人間は「神に似せて作られた」はずだから。

キリスト教では「神に似せて」としか言わないけど、

仏教では十界の考え方がある。

最上階を仏界といい
菩薩界
縁覚
声明
天界
人間界
修羅界
畜生界
餓鬼界
地獄界

食いあうとか、交尾の乱れとか、そういうのは六道輪廻の世界

仏教では、その六道を超越した境涯があると教える。

キリスト教には、地獄と煉獄と天国はあっても、非常に漠然として、

せいぜい、念仏申して、信じれば極楽に行ける・・・程度の天国の認識でしょ。

また、見えない世界の例と言えば「悪魔」「天使」ぐらいよね。

キリスト教から見る世界の構造、人の意識の構造は、あまりにも幼稚だから、

この程度の認識力では、そりゃあ、騙される。

仏教を正しく知って、八正道を歩み、六道輪廻を超越する行者にとれば、こんな単純なめくらましなど、屁の河童だわさ。

仏教は、インドから、大陸をへて、百済から、日本に入ったのだけど、もとの百済(韓国)は、今やキリスト教国。中国は文化大革命ですべてを破壊。インドは今や、ヒンドゥー教で、

仏教はタイ、スリランカ、インドネシアの一部ぐらいにしか残っていない。ミャンマーも仏教国だったね。
でも、あそこらへんは小乗仏教。

日本にだけ大乗仏教が上陸した。

正しい宗教の持つパワーは、ものすごいから、そりゃあ悪魔とか、悪の宇宙人は、ほっとかないよ。
でもね、脈々と消えない火は続くから。

こんなこと、書いていいのかどうか・・・うちの初代教主さまは、キリスト教をぼろくそに扱っていたよ。鼻にもひっかけなかった。「あそこには救いはないです」と一蹴。痛快だったわ。

聖書が、どうも、偽書らしいとか、いろんなことがわかってくると、本当に、二十一世紀はキリスト教が消える世紀になると思う。

クリックよろしく



私は、ときどき自分が宗教団体に所属していることを、ここに書きます。

だからだと思うのですが・・・いろいろの障害があって、生活は年金で回しているけど、思うような暮らしができない。普通に暮らしたいけど、できない・・・というメッセージを頂きました。

「ものもちゃんと考えられない」という訴えですが、文章全体が、きちんと筋が通っています。しかも長文。これだけの文章が書けて、なお、普通の生活が営めないのであれば、大きなストレスだと思います。
自分を客観視できるわけですから。


本当に、考えのまとまらない症状なら、どこかおかしな印象を受けるはずなのに。


で、私の「法力」で助けてくださいという訴えですが。


私には、他人様を助ける法力はありません。
人間には、なんらかのパワーが働くきっかけを演じることしかできません。

私は、いつも思う。

神さまは驚くような奇跡は起こせるけど、机ひとつ移動させられないんだから。人間にだって神様の手助けは出来る。

でも、

宗教を始めたころ、私は「人間を助けるのが神仏の”仕事”」だと、考えていましたけど。

違います。

それぞれの人には先祖霊など守護霊が複数あると、本で読んだことがあるので、この世に生まれる限り、なにかに守られているのだろうと思います。

でも、神仏があるなら、助けてよ!と、叫んでも、・・・無理です。

此の世の不幸のことを仏教では「悪因縁」と言います。
仏教とは「この因縁を知り、因縁の原因を知り、それを取り除く」ことを「仏法の力」としています。

因縁の形は4種類あります。
1.自分自身が過去にやったことの報い=自業自得
2.自分自身が過去世でやったことの報い=前世の自業自得
3.先祖の因果が子孫に出る
4.神さまの祟りとか、地縛霊の影響とか、自身には何の関係もないのに、突然襲い掛かる災難

私が教団の教義は本物だと信じて不信心ながら、離れないのは、これらの因縁に打ち勝つために、「自力で越える」ことを教えているからです。

つまり「呪文」「経典」「お札」「お布施」など、自分自身は変化しないで「他の何かに頼る」ことでは運命は変化しない。

呪文に頼ってもいいけど、それによって、自分の「器を大きくし、徳を積みなさい」自力で運命を開拓する以外、真の救いは無い。
自分の徳力にふさわしい世界が周辺に展開されるのだから。

そういうわけで。若くて元気なころから、努めなければ、宗教だって手には入りません。
私は、この世界でも「出世が遅い」のですが、現世で、たとえば、学科成績が良かったなど、得意な面が多かったので、宗教界でまで成績がよければ「鼻持ちならないうぬぼれ」になるでしょう。

私は、自分の宗教世界では、人のはるか後塵をかぶる劣等生です。
なんで、学校でも社会でもぶいぶい言わせてきたのに、ここだけだめなのか?
ずいぶん悩んだけど、今ではわかっているんです。

増上慢・・・自分を高いところに置く根性ですね。他人を馬鹿にして・・・普通にしていても、そういうありさまなのに、宗教界でまで、すいすい先を行ったら・・・うぬぼれが強くなりすぎて、最後はまっさかさまに地獄に落ちる・・・そういう自分なのだと、わかっています。

それでもね・・・それでも、それはそれとして。私は、「やさしい性格」なんだろうと、このごろ思うようになりました。
なぜかというと「自分自身の冷たさ、他人なんかどうでもいいと思う冷たさ」に気付くたびに、悲しくなるからです。もっと、なんとかしてあげられないものか、なんとか、幸せにさせてあげられないものかと悩む。

そして、何もできない自分を本当に情けないと思う。

「何もしてあげられない」のは、どういう場合かと言うと「精神的な問題」を抱えている人を前にするときです。

「なぜ、人と雑談ができないの?」
「なぜ、自分をそう決めつけるの?」
「なぜ、そこまで自信がもてないの?」

自分と他人との距離感がおかしい。
自分で、自分をがんじがらめにして身動き取れなくなる。
ともかく夜が眠れない。
睡眠薬を飲むと、一日中ぼーっとして、神経が集中できない。

そういう自分をあげつらって「悩むこと」だけで時間を費やす。

心とは「ころころ動くから心」だと、薬師寺の高田好胤師が言われていました。
でも、精神的に問題のある人は「コロコロ動かない」「同じところをぐるぐる回る」

そして「自分はだめだ」と「自分のことばかり」考えています。

自己中とは、「自分中心」とは、自分さえよかったら、他人なんかどうでもいい\というありようではないですね。

あなたのものは私のもの、
私のモノは私のモノ

こういうのは欲深いというだけで自己中ではありません。

自己中心とは「つねに、自分のことで頭がいっぱい」のことだと私は思います。
「自分はあれこれ、これそれだから・・・ダメなんだ」
「自分はこれもわからない、これもできない、あれも出来ない・・・自分はダメだ」
「将来何の希望もない、自分はだめだ。だめだ。だめだ」

こういうのが自己中だと思う。
こういうのを精神疾患というのでしょう。

勝手に落ち込んでいく。
悪い材料、ダメな材料ばかり探し出しては「不幸・絶対不幸」の位置に自分を置く。それで、じっとする。

ちっとも心地よくないけど、自分の駄目なところ、悪いところを数え上げて、なんか安定する。

確かに、これは「因縁」につかまった状態です。

なぜならこういう人は、すべて我が強い。
他人の言う事なんか聞きません。

その「自分の思慮=我」の中に閉じこもってしまう。

いや・・・そこが居心地がいいような錯覚にとらわれる。
そして、その安住の地から出ることが恐くて出られない。

長年引きこもると、他人の能力より劣ってしまう。社会性もない・・・生の人間の営みにふれると「夢の中」というわけにいかない・・・現実にぶつかる。

心のどこかで、わかっているから、あえて「生きて動いている世界へは出て行かない」傷つくのが恐いから。

こういう状態が長く続く人は、決して少なくはないと思う。
私の弟は30年間、こういう風でした。

なんやかや、もっともらしい理屈をつけるけど、結局は、出ていくのが恐いのでしょう。

だったら、生活の保障は一応あるのだから、黙ってにこにこその状態を愉しんで過ごしてくれたら周囲も楽だけど、「このままでは将来が不安。親がいなくなったら、どうしよう。なにも、したいこともないし、何も楽しいこともない」とこう着状態を続ける。

決して少なくないんですよ、こういうケースは。
ここまでいかなくても、精神的にふさがっていて、相手の立場に立って考えられずに自分がどうおもわれているかばっかり気にして、くよくようつうつする人も少なくはない。

今のような政情では、増えるばかりではないかと思います。

私の場合は、
これは「先祖の行いの報いとして出てきたこと」だという言葉を信じて、先祖の借りを返す決意をしました。
「あなたは普通の人に出来ないことをしてきましたね。だから、息子さんは20歳ころまでで死ぬところを命ながらえた」と、評価してもらえました。

息子は24歳の時大型トラックに追突されて、もし・・・ガソリンタンクから火が出ていたら、歪んだドアから出られず、焼死でした・・・けど、ムチうちだけで助かった。
そのむち打ち症の後遺症は、10年後に天寿堂さんの鍼で治してもらえました。

徳積みとは他人様に仕えること、尽くすこと、働くこと・・・それに徹してきたけど。
実際なかなか出来ることではありません。

私は、ものすごい強い守護神さまのお力で、ものすごく守っていただいてきたから。危険をものともしなかったけど。
ものすごい危ない橋をいくつもわたっています。

それでも、弟を普通の生活にもどしてやることは出来なかった。
大きな苦しみにあわせず、大きな悲しみに会わせず、何事もなく無事に安らかに一生を終えられたのは、まあ・・・最低限の幸せではありました。

だからといって・・・私の娘でさえ言います。
「だから、この教えはありがたい」と言って、ママが布教する気になれないのは、わかる。
「頭のおかしい弟がいたけど、親より先に苦しまずに死んだ」・・・これって「お力よ!」と、言って、誰が「へ~すごいね。じゃあ、私も入信するわ」と・・・言うはずないよね。

・・・そうなんよ。私は、無力感にしばしば打ちひしがれる。

父の6人の兄弟のうち、私のところだけは、かろうじてなんとかなったけど、他の従姉妹たちにまで力は及ばないし。

昨日も、私の住む町内の、さまざまな問題をどう解決できるのか・・・お寺に相談に行ったけど「あなたの力では、戦えません。相手が大きすぎる」と言われました。
「すぐに、こうしたらこうなると言う秘策はありません。仏教説話にある、お釈迦様とリスの話のように、大きな湖の水を、一匹のリスが、しっぽに水を含ませて、汲みだそうとする・・・「この湖の水をシッポで汲みだして空っぽにする」そのリスの決意を聞いて、お釈迦様は、一切衆生を救済する望みと覚悟を固めた。・・・・諦めないで、焦らないで、小さな努力を重ねる・・・それしかありません。」

「貧しさゆえに争った過去の因縁がある」と言われる当地ですから。
いわゆる地縛霊だらけ・・・
わかってはいました。家を建てて10年間以上「パチン!ばしっ!」というラップ音がうるさくて仕方がなかった。背後から誰かがこっちを凝視している感じに何度も振り返った・・・

こっちにきてから、健康問題でも経済でもろくなことはなかった。苦労のし通し。

けど、ここで、私がしなければならない仕事がある・・だから、ここに来ることになったと、信じてやってきました。

「狭き門から入る」のが、「我に艱難辛苦を与えよと祈る」のが、私の信条だったけど・・・実際、狭かったうえに、足元も凸凹だった。

けど、それと戦って打倒してやろうと言う強さが自分にあることを発見した40年だった。

でもね・・・泣きたくなるほど、私には力が無い。
そもそも、なにもかも、自分の努力だと言うけど、見えない助けを得て越えてきた。

だからといって「あっちを向いている人に」「この教えの通りに歩きなさい」と指し示す力もない。

あっちを向いている人をこっちに向かせることも、
指し示すことも
歩かせることも・・・いったい、どうしたら、できるのか・・・それがわからない。

そして、宗教の修行の道と言うのは、本当に厳しくて、とくに在家にありながらの修行は、日日のできごとに対応する自分の姿を見て、「我を取り除く」「器を広げる」「謙虚さを獲得する」わけで、己の我を破る作業は、本当に心に引き裂かれる痛みを感じるのです。

それは徹底した懺悔。
心の底から、今まで「こんなこと、当たり前だ」と、大手をふって威張っていたことが、実はとんでもない「わがまま」だったと気付いて・・・身も世もない、恥ずかしさに、顔もあげられない・・・

すごい、しんどい作業です。まして年を取ってからは。すでに自分の殻ができているから。

自分自身との戦いですね。
自分と激しくぶつかり合えない人は他人とも戦えない。

仏教をあなたまかせの柔和な宗教だと誤解しないでほしい。
真実の人間性を暴き出す、「己の罪を知り、他を許す」すさまじい自己との戦いなんです。
小我を叩きのめして大我に生まれ変わる。

私は、まだまだ道半ばで、ゴールまで行きつけそうにない・・・いや、行きつけないのが人生か。

どうしたら、幸せになれるの?という質問が来たので答えましたが。

黄金律・・・あれだけですね。

他人にされたくないことを他人にするな。
他人にされたいことを、他人に施せ。

これだけです。
けれど、これに徹して行けば・・・やがて、自分に必要な人もものもことも、その時期に向こうからやってくるようになります。


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https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=154694


これは、シャンティフーラさんの記事です。
フルフォード情報をとりあげたもので、近頃、キリスト教が信用を失っているという記事。


現ローマ法王は南米アルゼンチン出身ですが、南米で嫌われているという話。チリを訪問した時、歓迎されるどころか、教会が11か所も放火された。

チリと言う、南北に細長い海岸線だけのような国は、実際、熱い国ですよね。エビータじゃなかったっけ。大統領夫人の名前だけど・・・なんか、革命の話だった。
「騒げる」国民性ですね。

中南米で、キリスト教が何をしたか!
何をしたか、認識すれば、暗殺されなかっただけありがたく思え!という事です。

現地のインディオにたいして、ひどい拷問を重ねていますが、その性質がわるい。
痛めつけるという種類ではなく「浣腸」など、性的な拷問ですね。
いわば、現地人を動物扱いして、さらに現地の女たちを強姦して白人の血を混ぜ込んだ。

こういう小説が南米の作家によって残されています。

それをやったのがイエズス会です。

もともとアジア系である現地人には、当然、原始宗教があり、「山の神」を信奉していた・・・・のに、白人どもが、キリスト教を押し付けました。

だから。

1つ目の動画は1月半ばの法王チリ訪問に関するユーロニュースの報道で、2つの抗議活動がチリでは起こっていると説明しています。

何十年も小児性愛の限りを尽くしたチリ史上最悪の司祭がおりまして、被害者が現場に同席していたと証言しているようなお仲間を、法王が「証拠が全くない」と庇ってチリ南部の都市担当の司教に任命した件が一点。もう一つは、マプチェ族(※チリ最大の先住民族)の祖先の土地を教会が奪ったという歴史的な問題です。

法王が赦しだの平和だのを与えると宣言すりゃ済む話じゃねぇと、皆さん憤慨しておられます。



3つ目法王のチリ訪問後に全焼する教会の画像。ちなみに後だけでなく、訪問前や訪問中にも幾つか放火されています。2つ目の元記事では11堂は燃やされたとありました。

法王が宿泊する施設も、抗議活動の一つとして事前占拠されていました。法王が執り行なったミサにも反対派が詰めかけ、警察が催涙ガスを使用し、何十人も逮捕する羽目に。これを見たお隣のペルー(※法王の次の訪問国)は、国のイメージに関わるとして、デモ自体を全面的に禁止しちゃいました。

キリスト教の専門家によると、法王に対してここまでの抵抗が起きるのは前例がないそうです。ていうか、そもそもフランシスコ法王は南米出身ですからね、本来なら最も熱狂的な歓迎を受ける場所でしょうに。

実は2017年の調査で、自分はカトリック教徒だと答えたチリ国民は45%でした。10年前は6割半ばだったそうですから、急落しています。キリスト教の、少なくとも教会が担っている部分に関しては、求心力が衰え始めているのかな、と思える出来事でした。

(転載おわり)
日本でも、自分は仏教徒だと答える国民は激減していると思います。
自分の家は何々寺の檀家だと言う自覚は、急速に消滅しています。息子たちの転勤、就職などの移動で。

権威の失墜は、そもそも20世紀ユダヤが仕掛けたと思われていました。
整然としたピラミッド構造の社会を破壊して、
混乱の渦に投げ込み
人々が救いを求めて空を見上げるとき
「キリストが雲に乗って到来する」

実は、この救世主こそ最終支配に入るユダヤの陰謀だ・・・と。

仕掛けたかもしれないけど・・・
現在地球規模で起こっている「権威の失墜」は、収束できないぞなもし。

20世紀に起こったことは「権威の失墜」だと言われています。

かつて権威であったもの・・・
王様
法王
貴族


こういうものが、「えらい」と思われなくなった。

そして、陰謀論では、これはユダヤが仕掛けて、社会を混乱の渦に叩き込んだというのです。

そうだろうか?

権威としての宗教も失墜しました。
それどころか「軍隊」さえも。
赤と黒というスタンダールの小説がありました。

赤は法王がまとう緋の衣
黒は軍隊

この二つが世の中の権威だからと、主人公はのし上がるために、このどちらかになろうとすると言う物語です。

核兵器が登場し、通常の戦争ができなくなり・・・・テロだけになりました。

原始時代は、食い物もろくになかったけど、人類は平等だった、けれど、穀物を創るようになり富の蓄積が多い方が権威をもったという解説があります・・・ほんとかな?

こうして階級ができて、社会はピラミッド構造となった。

20世紀はこのピラミッドが崩壊を始めた世紀だと言うのです。
だからといって、みんなが原始平等社会に戻るのではなく。

1%の支配層と99%の奴隷に分けられる・・・・

日本の檀家制度もおおかた、江戸時代の支配構造の中に組み込まれていたと思われます。
明治になってもそれは継続しているけれど、
21世紀になり、急速に消滅し始めました。

あらゆる宗教が消えるとは思わないけど、これまでの構造は消えるでしょうね。
これまで支配層が安住できた理由は、人々が無知だったから。

これがインターネットの普及で「情報伝達」を規制できなくなった。


えらい・・・という価値観が、なくなり、
天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず[福沢諭吉)に、なっちゃった。

ある意味「奴隷暮らし」は、楽だった。
自分で何も考えなくていい。
上手に命令に従っていたらいい。

宗教も同じ。
信じたら楽です、
思考停止できる。

ところが、世の中の動きが速くなって、うかうか他人任せにしておれなくなった。

いい大学さえ出たら大丈夫・・とか、大きな会社に勤めたら大丈夫・・・という安全弁がなくなってしまった。

いわば、戦国時代!

社会がシャッフルされる時期にはいったのでしょうね。

歴史上ときどき何世紀かに一度。
こういう社会をかき混ぜる事態は起こっているのだと思う。

ただし、今回は地球規模だわ。

宗教もね、過去になかった種類の宗教戦争状態だ。

はたしてキリスト教は生き残れるのでしょうか?
ほんとうにイスラム教は広がるのでしょうか?
仏教は?

どれか一つになるはずはないけど、
まあ・・・キリスト教は、世界宗教の座から転がり落ちそう。
だって、悪事がひどすぎた。

十字軍というけど、侵略戦争だもの。
何世紀にもわたってキリストの名の下に、略奪と殺戮を繰り返している。
それと双子の宗教イスラム教は「コーランか剣か?」誕生の時から、おいおい?どこが宗教なの?というありさま。

最近、ロヒンギャがどうしたとか、仏教徒だって殺戮しているというプロパガンダがあるけけど、キリスト教とイスラム教が起こした殺戮は、酷いなんてもんじゃない。

キリスト教にバチが当たらなかったら、神も仏もないものか!という感じだもの。

日本を席巻した南無妙法蓮華経だけど、
もう、だめだと思うよ。
法華経は実のならない華と言われているもの。

これまでの世界は「権威」を保つために「知識」「情報」「マネー」「土地」「武力」が、独占されていました。

けれど、20世紀に情報伝達が発達すると、ピラミッド構造が保てなくなりました。
上層部が民衆を騙すことができなくなってきました。

とはいえ、オレオレ詐欺にかかる人の多さを思うと、まだまだ騙されるみたいだけど。

騙されると危険です。
ある意味、生きていくのは前世紀よりスリリングです。

いい学校さえ出たらベルトコンベヤーに乗れるという生き方ができません。
誰も何も保証してくれない。

社会はシャッフルされる。

自力で泳ぎ渡らなければならないけど、社会構造が破たんするときって、実は大きなチャンスがある。

明治維新150年にして訪れた、新しい夜明けかもしれない。

キリスト教は縮小するでしょう。
仏教は頑張れるよ。(そもそもキリストの教えは仏教を下敷きにしてるらしいもの)

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