80年代音楽紀行

青春時代を駆け抜けた音楽たち

THE CURE - Pornography München 84

キュアーの1984年のミュンヘンでのライブ。まだ荒削りな音を聞かせてくれる。

http://www.youtube.com/watch?v=_ByT3_1_KGA&feature=related

Killing Joke "Sun Goes Down" Munich 1985

キリングジョーク再び。ユースが後年ドラゴンフライというサイケデリックのレーベル立ち上げるとは思わなかった。1985年のライブ。

http://www.youtube.com/watch?v=4hx2q2k7z8g&feature=related

Usherhouse - Permanent Red

このバンドもゴスにカテゴライズされているが思ったよりも暗くない。

http://www.youtube.com/watch?v=IMcc43rzTm8&NR=1

Colourbox - Sleepwalker

1987年にM/A/R/R/Sとして出したシングル「Pump Up the Volume」の世界的な大ヒットで4ADの知名度を上げたのがマーティンとスティーヴのヤング兄弟で、彼らが世に出るきっかけとなったのがカラーボックスであった。

ヴォーカルのデビオン・カーリーらと共に1981年ロンドンで結成され、最初っからダンスフロアを意識したサウンド作りを行ったユニットであったのが他の4ADのアーティストとの大きな違いで、同レーベルの新しい時代を切り開いたとも言える。

デビュー後、しばらくして女性ヴォーカリストのロリータ・グレアムとヤング兄弟のトリオ編成に変わり、当時、英米のクラブ・シーンで大人気だったリミックス・プロデューサー、ポール“グルーチョ”スマイクルと組んで、ダブやヒップホップを積極的に取り入れたカラフルなサウンド展開を聞かせるシングル、アルバムを作り一気に注目を集めるようになる。
とくにデビュー・アルバムは、日本の古い広告をコラージュに使ったデザインで、その点でも一部では話題となった(当時、日本盤が出されたときにはジャケットが変えられた)。
グループが注目を集めたのは、やはり4ADから作品を発表していたA.R. KaneのメンバーやDJのクリス・マッキントッシュらと組んだユニットM/A/R/R/Sとして作ったシングル「Pump Up the Volume」で、とくに過激なリミックスを収めたものがクラブで大人気となり、アメリカではアトランティックからリリースされ、M/A/R/R/Sというユニット名は知らなくとも、リフの部分は誰もが知っているほど世界中で大ヒットとなった。また98年にも再発CDが出された。

http://www.youtube.com/watch?v=ZlUQNdRvtIs&feature=related

Dif Juz - No Motion

ディフ・ジュズは、4ADレーベルを象徴する独特で控えめなサウンドを開発した。ウエスト・ロンドン出身の彼らは80年代初期に活動開始。著名なポスト・パンク・バンド、バースデイ・パーティやジャー・ウォブルなどの前座を務める。移り変わりながら揺らめく重厚なサウンドは、リチャード・トーマスの優しいサックスに伴われ、繊細なリズムを刻む。

http://www.youtube.com/watch?v=mUbQiUv1QHo

The Jesus & Mary Chain - Just Like Honey & Inside Me (Live)

ジーザス・アンド・メリー・チェインはメインソングライターのリード兄弟を中心に、ベース・プレイヤーのダグラス・ハート、ドラムのマレイ・ダーグリッシュで結成された。
バンドは
1984年10月クリエイション・レコーズよりシングル『アップサイド・ダウン(Upside Down)』をリリースしレコードデビューを飾る。そのメロディや歌詞は1960年代のガールズ・ポップを彷彿とさせる物だったが、ノイジーなポスト・パンクのトリートメントを施されたそのポップ・ミュージックは、全編に渡りフィードバック・ノイズに彩られていた。

http://www.youtube.com/watch?v=Lr30vo9yK2c

Barbara Gaskin & Dave Stewart - Its My Party

スチュワート&ガスキンのサウンドは彼の以前の音楽からは予想できないコンパクトなポップ作品ですが、1stシングルの「涙のバースデイ・パーティー」は英で1位となり、その後もシングル盤を発表し続け、87年にそれらをまとめた編集盤が日本でもリリースされた。そのアルバムはカバー曲とオリジナルが半分ずつという構成でオリジナルでは彼らしいサウンドも聴くことができる。その後88年に2枚目「ドリームス」90年「ビッグ・アイデア」91年「スピン」と発表し、来日も果たしている。

http://www.youtube.com/watch?v=zWEQCOOj7JI

prefab sprout - johnny johnny (clip)

イギリス北部の工業都市ニューキャッスル近くのダーラム出身のパディ・マクアルーンを中心としたプリファブ・スプラウトは、ポスト・パンク/ニューウェイヴから登場したバンドである。時代の激動に翻弄された当時のイギリスのシーンには、確かにある種の疲弊感が漂っていたし、結局は商業主義にからめ取られていったパンク/ニューウェイヴへの絶望感や虚無感があった。プリファブ・スプラウトの音楽は、そうしたトレンドや流行に惑わされず、時代の風に押し流されることのない、いつまでも古びることのないエヴァーグリーン・ポップを目指しているように思えるし、それはマクアルーンのソングライターとしての絶対的な信頼感とともに、もはや揺るぎのない評価となっている。

http://www.youtube.com/watch?v=bLPyrLfOYuo

Christian Death - Church of no Return

アメリカが生み出した最大のゴシック・バンドこそがこのクリスチャン・デスである。良くも悪くも一般の方が「ゴシック」と聞いて連想するであろうイメージを体現する、ゴスの総本山とも言えるバンドであるかもしれない。白塗りメイク、反カトリック的思想に彩られた歌詞、妖艶なヴォーカル、まさにこれぞゴシックと言わんばかりである。

http://www.youtube.com/watch?v=AfiECYxq5YI

Fields of the Nephilim At the Gates of Silent Memory

1984年にハートフォードシャーで、ヴォーカルのカール・マッコイ、ギターのポール・ライト、ドラムスのノッドらによって結成されEP「Burning The Fields」でデビューを飾る。当時のロンドンではシスターズ・オブ・マーシー、サザン・デス・カルト(のちにザ・カルト)、ミッションらが牽引したポジティヴ・パンク/ゴシック・ロックなどと括られるダークでヘヴィなサウンドがアンダーグラウンド・シーンを中心に人気を集め、彼らもまたそうしたシーンで注目され、評判となっていった。とくに85年にシスターズ・オブ・マーシーが解散したため、その後継者的な存在として期待されたのがこのフィールズ・オブ・ザ・ネフィリムであり、デビュー・アルバムの『ドーンレイザー』の評価は高く、インディ・シーンを突き抜ける人気バンドとなっていった。

http://www.youtube.com/watch?v=UcdotRkKPmY

Phew: Closed (1981 with Holger Czukay / Hiromi Moritani)

伝説的なパンクバンド「Aunt Sally」で活動をスタート。 80年に、坂本龍一とのコラボレーションシングル「終曲」、81年にはCanのメンバーらと「Phew」を制作。しばしのブランクを経て、元DAFやNeubautenの メンバーらとレコーディング。そして、Anton Fier、Bill Laswellらと2枚の アルバムを発表する。最近では、NOVO TONO、Phew Unit、山本精一とのDuo、 そしてBig Picture、MOSTとその活動は多岐にわたっている。

http://www.youtube.com/watch?v=9O-FRPgs8Zs&ytsession=Sk2v0m-R0Wb7WKateHIC1boz_Ho-qb2TtKB8VT3mMfwE03gCtC_L6jaqWeIRfN7m0K0cdFyfHvXd9JxWQRmFdwdJAsuef1bBzeZlnFlm-yrVJQJIP7obYkQMt_w6G7VUdPtHk7gHnAgf4xF2K79CWJ70QG29WFHvBUnxlL6TQ1iaBUuSzAUjT62s0gnQrEt1dZzyZIWlHNSTsWDT5OnkIUaFyQpfACDmybsyLAMRtPq8ZTRssKxSnaKTpL3TDrKb7ifY4CxwQski93T9JY-Gs4uhasVYdPcrZIVgNR5grI4yHtS2CskRDNGhGET9tA0b

Aunt Sally - LORELEY

1978年に結成されたボーカルのPhewを始めとした3人の女性メンバーを中心としたパンクユニット。
1979年にファーストアルバム 「AUNT SALLY」を発表する。
その活動時期はきわめて短かったが、そのインパクトと、後々の特に女性アーティストたちに与えた影響は甚大だったと思われる。厳しい感性によって書かれた優れた詩とラフな演奏の組み合わせが繰り出す不安定な世界。浮遊感に溢れながらもどこか荒々しくもあるPhewの歌唱は、彼女のルックス的な愛らしさから想像されるものとはまるで違った終末感と倦怠感を醸し出していた。
ボーカルのPhewは、後に坂本龍一プロデュースでソロデビュー。幾度の活動停止を経ながらも音楽活動を継続している。 若い頃にはあまり言われなかったような気もするが、最近では「日本の
パティ・スミス」というような呼び方をする向きもある。

http://www.youtube.com/watch?v=ChGesyiBVCM&feature=related

Princess Tinymeat (Herr Purpur & KC)

ヴァージン・プルーンズ(Virgin Prunes)その後。Princess Tinymeat はプリミティヴで原初回帰的な混沌と狂気を演じたVirgin Prunesのビンティ(ダニエル・フィッギス)が結成。両性具有で天使であり、背徳的でもある聖と俗が入り混じった音楽を聞かせる。

http://www.youtube.com/watch?v=0Ky5AAG-8nU&ytsession=LH2SY1PA6P6sRGYXDmV4SZXdA7KxOFm1yxWzP6LPBhbucYQmDauBNP2t9tm36aZTui89F64R4IeGNABCa-o0fBk3vJci8HyUe4EtrnI0ZfSFmzpRSIZWcJyhtGSgAXWZJjfSOIjr8vre2Tnz3cIRG2wRAz4fF5sA_p3Ob47aG8jsBitAIiXTsQCaoK9Gm-wdiA6S5ukihHJa9CrWRjKYk7PiSz08kAI7OPKao0k_pvYK4Cv-dhQaG6ksa85MuU_QOKLC1aCjnSAmh8MxZqB0g1scegySe7uI5T6FYMIxuGgUIQ920wYBpoMHdbkZ0d_5

Mark Stewart and the Maffia - Resistance of the Cell

マーク・スチュワートは1981年にポップ・グループが分裂すると、活動の地をロンドンに求め、On-Uサウンドの活動に参加して、ソロ作品をリリースした。
ノイズ・インダストリアル、ヒップ・ホップ、テクノ等の幅広いジャンルのエッセンスが加えられた、ヘビーなダブ・ファンクのサウンドに社会的メッセージを乗せ、叫ぶように歌う。

http://www.youtube.com/watch?v=-u57J8Iz6J4&feature=related

Rip Rig & Panic - Storm the reality Asylum

THE POP GROUPの音楽のベースとなっている前衛的フリージャズやファンク・パンク等を混合したようなその音楽性を一番引き継いでいたのが、このリップ・リグ+パニックだった。ギター・サックスのギャレス・セイガーとドラムスのブルース・スミスと一時期ポップグループに参加していた、マーク・スプリンガー、ショーン・オリバーなどと結成した。ジャズでファンクを壊したような即興性を増した独特なサウンドと当時10代だったネネ・チェリーの初々しいボーカルも華やかなアクセントを加えている。

http://www.youtube.com/watch?v=yQ9pLUUS5sw&feature=related

Bauhaus - Double Dare

バウハウス(Bauhaus)は、1979年にデビューしたイギリスロックバンド。名前はドイツバウハウス芸術活動から由来している。当初は「バウハウス1919」という名前だったが、1年も経たずに今の名前になった。

http://www.youtube.com/watch?v=xbec24p2Ogw&feature=related

Sonic Youth - Freezer Burn/I Wanna Be Your Dog

コンフュージョン・イズ・セックスConfusion Is Sex)はソニック・ユースが1983年に発表した初めてのフルアルバムである。1995年にはDGCよりEPキル・ユア・アイドルズを併録した形で再発されている。
後にノー・ウェーブといわれた70年代後半のニューヨークアンダーグラウンドの実験的、前衛的なバンドサウンドを強く反映した作品である。この時代背景についてはS・A・クレーリーのドキュメンタリー映画キル・ユア・アイドルズに詳しい。

http://www.youtube.com/watch?v=VDXRCwVmO8I

sonic youth - schizophrenia

前衛的なノイズサウンドを踏襲しながらも一般的なロックの構成を取り入れ、次作であるデイドリーム・ネイションと並んで高く評価されている作品である。スキツォフレニアやホワイト・クロス、コットン・クラウンは現在にいたるまで多くのライブで演奏されている。
1987年に発表したアルバム「シスター」はアメリカのSF作家フィリップ・K・ディックの作品群に強い影響を受けて作られた。アルバムタイトルのシスターとは二卵性双生児として生まれながら生後まもなく死亡したフィリップ・K・ディックの妹ジェーンの事である。
1987年のロンドン・ライブ。

http://www.youtube.com/watch?v=gi28qsi0UnM

The Durutti Column - No Communication

1979年ファクトリー・レコードよりアルバム『The Return of the Durutti Column』にてデビューし、以後約30年にわたり活動しているバンド(ただしメンバーはギター担当のヴィニ・ライリーのみ)である。ブルース・ミッチェルドラムパーカッションとして多くの作品に参加しているが、あくまでバンドメンバーという肩書きではない。パンク/ニュー・ウェイヴ期のイギリス音楽界で異彩を放ち、地味ながらも息の長い活動を続けている。静かで美しいイージーリスニングが特徴となっているが、リズム構成や静かながらも感情的なギターの旋律が暴力的であり、“静けさ”と“攻撃性”という相反的な印象が共存する音楽性を特徴としている。ちなみにDurutti Columnとはスペイン市民戦争時に共和国軍側で戦った或るアナーキスト小隊の名称でもある。

http://www.youtube.com/watch?v=WFPni1lVC9k

Zoviet France - Nature But Not

スロッビング・グリッスルやキャバレー・ヴォルテールの実験精神を継承するハードコアなサウンドで、インダストリアル/ノイズ系のマニアから絶大な人気を博したユニットである。
82年、イギリスの<Red Rhino>より『Hessian』にてデビュー。以後、同レーベルを中心にリリースを重ね、『Norsch』『Populer Soviet Songs And Youth Music』『Collusion』などの傑作を残した。
これらの仕掛け人であるRobin Storeyは、別名義Rapoonとしても活動。

http://www.youtube.com/watch?v=rQIBtbsX32Q&feature=related

coil - (zos kia) transparent - 03 - rape

サイキックTVホワイトハウスのソドムの具現ゾスキア。ノイズの迷妄に彼らをブラックロッジへと至らしめたもの、それは暴力と速度が為す神殺しによってである。城の中で語らず、夜へ狂えとのスローガンは遠くアメリカの暗黒サイケデリック水脈にまで及び、彼の地で再びソドムが繰り返されることになったのだが・・・

http://www.youtube.com/watch?v=wKnJ6IuXNdg

Dead Kennedys - Holiday In Cambodia

デッド・ケネディーズは1978年6月、ギタリストのレイ・ペッパーレル(イースト・ベイ・レイ)が出したバンドメンバー募集広告に集まったメンバーにより結成された。バンドはヴォーカルのジェロ・ビアフラ、ベーシストのクラウス・フローライド、ドラマーのテッド(ブルース・シュレシンジャー)から成り、当初は「ザ・シャークス」を名乗った。彼らは地元で多くのステージを行い、1979年10月に最初のシングル「カリフォルニア・ユーバー・アレス」をオルタナティブ・テンタクルズからリリースする。彼らは続いて東海岸のツアーを行った。
彼らはデビューアルバム『Fresh Fruit for Rotting Vegetables』のリリースに先立って、ベイ・エリア・ミュージック・アウォーズへの参加を依頼された。
よく誤解されるのだが、彼らの81年の代表曲「Nazi Punks Fuck Off」は反ナチ・反ファシズムを謳っているわけではない。当時の体育会系ハードコア・パンクスをナチや軍隊のようだと揶揄した曲である。

http://www.youtube.com/watch?v=R11x32WoxrM&feature=related

Marine Girls - A Place In The Sun

マリン・ガールズ (Marine Girls) はイギリス出身のガールズ・バンド。1980年にトレーシー・ソーンとジーナ・ハートマンにより結成された。
音楽のジャンルとしてはネオ・アコースティック、ギター・ポップに分類され、海や恋愛などをテーマにした曲が多い。 チェリー・レッド・レコードから発売されたセカンドアルバム『Lazy Ways』はUKインディー・チャートで4位になった。
1983年に解散した後、トレーシーはエヴリシング・バット・ザ・ガールで成功し、ソロとしても活躍している。

http://www.youtube.com/watch?v=0kjABf474jw&feature=channel

Monochrome Set - Jet Set Junta

結成は1978年であり、紆余曲折を経て1979年に以下のメンバーに至った。 B-サイド(後のアダム&ジ・アンツ(Adam and the Ants))に在籍していたビド(vo)(Bid)、レスター・スクェア(g)(Lester Square)、アンディー・ウォーレン(b)(Andy Warren)の3人と、元アート・アタックスのJ.D.ヘイニー(ds)(J.D.Haney)、トニー・ポッツ(Film)(Tony Potts)が初期(最盛期)の主なメンバーである。 レーベルはラフ・トレード、ヴァージン・レコード(Virgin)傘下のディン・ディスク(Din Disc)、プレ(Pre)、チェリー・レッド(Cherry Red)、ブランコ・イ・ネグロ(blanco y negro)と転々とした。レスターとJ.D.ヘイニーはグループを離れジェイムス・フォスター(g)(James Foster)とニコラス・ヴェロソフスキー(ds)(Nicholas Welowski)が加わったが1985年に解散することなった。

http://www.youtube.com/watch?v=4ouBnu9AQcU&feature=related

The Slits - Typical Girls

1977年5月、パルモリヴやヴィヴがクラッシュのジョー・ストラマーやミック・ジョーンズと親しかったためもあり、スリッツはメンバーが固まってからわずか3回のリハーサルを経たばかりでクラッシュの「White Riot Tour」に前座として起用される。同年9月と1978年4月にはBBC Radio 1の「ジョン・ピール・セッションズ」に出演(デビュー・アルバム以前のオリジナル・メンバー4人による貴重な音源が残されており、1988年にCD化されている)。1978年末にはパルモリヴがレインコーツへ参加するためにスリッツを脱退。新しいドラマーとしてバッジー(本名ピーター・クラーク)が加入。このころまでのスリッツは荒々しい典型的パンク・サウンドの演奏をしていたが、次第にレゲエの影響を受け、特にダブの手法を積極的に取り入れるようになった。
1979年9月、イギリスにおけるダブ・ミュージックの巨匠デニス・ボーヴェル(en:Dennis Bovell)をプロデューサーに迎えたデビュー・アルバム『カット』(:en:Cut)をリリース(同アルバムからは「Typical Girls / I Heard It Through the Grapevine」をシングルカット。B面はマーヴィン・ゲイのヒット曲「悲しいうわさ」のカヴァー)。パンクとダブを融合させた特異なスタイル(ただし、スリッツ以降のポスト・パンク、ニュー・ウェイヴにおいてはオーソドックスとなる)ばかりでなく、アリ、ヴィヴ、テッサの3人が褌一丁で泥まみれになっているジャケット写真は衝撃を与えた。スリッツのメンバーたちだけでなく、たいていの女性パンク・ロッカーは声高にフェミニズムを語ることはしていない(それは語るためのものではなく生き方であるから)。しかしこのジャケットが典型的であるが、スリッツのヴィジュアル・イメージや雑誌などにおける発言、ステージでのパフォーマンスなどのすべてが、それまでのマチズモ的なパンクとは一線を画す姿勢を表している。
『カット』リリース後にバッジーはスリッツを脱退してスージー・アンド・ザ・バンシーズに参加。以後、スリッツは正式なドラマーをメンバーに置かず、そのつどゲストとしての参加を要請するようになる。このとき呼びかけに答えたのは当時ブリストルのポストパンク・バンドザ・ポップ・グループに在籍していたブルース・スミスである。またこのころアイランド・レコードを離れてザ・ポップ・グループと同じラフ・トレード傘下のレーベル「Y」へ移籍し、同レーベルからシングル「In The Beginning There Was Rhythm」( ザ・ポップ・グループ「Where There's A Will」とのスプリット・シングル)、「Man Next Door」をリリース。後者をプロデュースしているのは「On-Uサウンド」レーベルの主宰者で一流ダブ・エンジニアのエイドリアン・シャーウッドである。シャーウッドとの交流は、アリとヴィヴがスリッツと並行して参加したプロジェクト「ニュー・エイジ・ステッパーズ」で生まれたものであるが、ここでスティーヴ・ベレズフォード(en:Steve Beresford)やネナ・チェリー(en:Neneh Cherry)といった先鋭的なシャーウッドの人脈と触れることによって、スリッツはレゲエやダブ、ジャズなどの要素を貪欲に取り入れてさらに実験的・前衛的なスタイルを深化させてゆく。そして1981年10月、CBSとメジャー契約を交わしたスリッツはセカンド・アルバム『大地の音』(Return of the Giant Slits)をリリースするが、これを最後にスリッツは解散してしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=ZyXGblps64M

The Mission - Wasteland

シスターズ・オブ・マーシーを脱退した、ウェイン・ハッセイとグレッグ・アダムスが結成したバンド。当然のことながら、このミッションもゴシック色の強いバンドでありシスターズと双璧を成すゴシック・ロックの代表的存在である。

http://www.youtube.com/watch?v=Mz7R335JH0E

PUBLIC IMAGE LIMITED - Flowers of Romance

セックス・ピストルズの解散に続いて、ライドンはヴァージン・レコードの会長リチャード・ブランソンと共にジャマイカへ三週間の旅行を行った。休暇の後ライドンはジャー・ウォブルに新バンドへの参加を要請した。彼らは70年代初めからの友人で、セックス・ピストルズの最後の時期にも共に演奏を行っていた。また彼らは共に、後にワールド・ミュージックと呼ばれたレゲエを好んでいた。そして、ギターのキース・レヴィン ドラムのジム・ウオーカーが加わり、最初のアルバム『PUBLIC IMAGE』を発表する。特に「THEME」「RELIGION I II」に現れた内向的な攻撃性は、注目に値する。その後ジム・ウオーカーが脱退。ドラムは、マーティン・アトキンスとなり『メタル・ボックス』を発表。このメンバー構成でのパリでのライブも発表されている。そして、ジャー・ウォブルは、脱退してソロとなる。残されたメンバーは、新しいベーシストを迎えることなく『フラワーズ・オブ・ロマンス』を発表。次には、キース・レヴィンが脱退してコマーシャル・ゾーンをPIL名義で出し、残りのメンバーは、同一曲を含む『This is what you want, This is what you get』を発表。この時点でPILは、ライドンのワンマンバンドと化してしまう。以後のパブリック・イメージ・リミテッドの作品は、ジョン・ライドンのソロ・アルバムといっても良い。そして何作も発表された作品が、彼の創作意欲とともに、彼のヴォーカリストとしての天賦の才能に、魅入られる人が沢山いることを証明している。けれども彼は決して自分の名前の名義でアルバムを発表することは無く「Public Image Limited」という名にこだわっている。

http://www.youtube.com/watch?v=qdAnlXhyikw

Bauhaus - Telegram Sam

T−REXの「Telegram Sam」のカバー。原曲よりもかっこいい。

http://www.youtube.com/watch?v=9JUeAQ_urW4&feature=related

Peter Murphy - I'll Fall With Your Knife

バウハウス時代と比べたら音はマイルドである。大人になったと言うことか?

http://www.youtube.com/watch?v=p17KYGhweps&feature=related

Peter Murphy - All Night Long

バウハウス解散後、元ジャパンのミック・カーンと組みユニット「ダリズ・カー」を結成。オリエンタリズム溢れる曲調の「ウェイキング・アワー」を発表するが直後に解散し、本格的にソロ活動をスタートさせた。

http://www.youtube.com/watch?v=q__QnW-9ROs&feature=related

Sex Gang Children - Sebastiane

ヴォーカルのアンディ・セックス・ギャングを中心に、80年代序盤に結成されたバンド。83年にリリースされ、ポジティヴ・パンクの名盤とされる1stアルバム『SONG AND LEGEND』は、当時イギリスのインディー・チャートでNo.1を獲得した。時にヴァイオリンなども導入し、サイケ/パンク/オリエンタルなテイストなどを柔軟に取り入れながらも、ポジ・パン〜ゴス系のバンドに一貫してあるアート系、あるいは呪術的なムードを湛えた音世界。喉を酷使した独特のカン高いシャウトを聴かせるかと思えば低い声で唸り始める、躁鬱激しいアンディのヴォーカル。それに呼応するように、地を這うような低音ベースで激しいサウンドを聴かせた直後、突然テンポを変えてメロディアスな展開をみせたりと、かなり激しく変幻するサウンドは、翻弄されながら聴いてるうちに、どんどん引きずり込まれていく。

http://www.youtube.com/watch?v=fcT9zI3JfE4

Scritti Politti - The Sweetest Girl

1978年、ウェールズ出身リーズのアートスクール学生、グリーン・ガートサイドが、パンクのDIY精神に刺激を受け、同級生達とソロ・プロジェクト的ユニットを結成(Green/vocal, guitar、Tom/drums、Nial/bass、Simon/tape loops )。ユニット名スクリッティ・ポリッティは、イタリアのマルクス主義の理論家アントニオ・グラムシの言葉から引用。1982年、『ソングス・トゥ・リメンバー』でデビュー。グリーンの中性的なファルセットを活かしたソウルフルなヴォーカルで人気を博し、シングル「スウィーテスト・ガール」はスマッシュ・ヒットを記録。その後、80年代を代表する名盤キューピッド&サイケ'85をリリース、前作はアコースティック中心のアレンジだったが、本作はメンバーも変わり、デジタル・シンセサイザー(YAMAHA DX7)やゲート・リバーブを多用した1980年代的サウンドとなっている。

http://www.youtube.com/watch?v=zHbro18qr0c&feature=related

Nick Cave & Current 93 - All The Pretty Little Horses

Nick CaveとCurrent 93 のコラボ。

http://www.youtube.com/watch?v=TWg4dnXCpt8&NR=1

Current 93 - Happy Birthday Pigface Christus

Current 93 とStrawberry Switchbladeのコラボ。

http://www.youtube.com/watch?v=zP8JUf6vxCQ

Lydia Lunch - Some Velvet Morning

彼女は10代の前半からコントーションズのリーダーと出会い、70年代末期のポストパンクムーブメント「NO NEW YORK」の代表的バンド[teenage jeasus and the jerks]でデビュー。その後ニューヨーク、ロンドン、ベルリンと世界中を舞台に[ノイバウテン][スワンズ][ソニック・ユース]らとの共同プロジェクトを行ってきた。

http://www.youtube.com/watch?v=8wJ2t0kyRTA&feature=related

Dead Can Dance - The Trial (Live)

Dead Can Danceがまだロックしていた頃のファーストアルバムからの曲。個人的にはこの曲が彼らの作品の中では一番好きかな。

http://www.youtube.com/watch?v=twWdFC2CHhk

Le Mystere de voix Bulgares

4AD作品としては日本で最大のセールスを記録した『ブルガリアン・ヴォイス』。この不協和音が飛び交うブルガリアの民俗合唱は当時かなりの話題を呼び、合唱団が来日公演を行ったほどである。裏ジャケにはアイヴォの解説が掲載されているが、それによると彼にこれらの作品を紹介したのは元バウハウスのピーター・マーフィーであり、アイヴォが聴かせてもらったのは「少なくとも」3rdジェネレーションのテープだったという。ほとんどがプロのシンガーではない人々ばかりの声で、曲の詳細等アイヴォにも不明とのこと。ほとんどの曲が数百年もの歴史を持つ曲ではないかとアイヴォは述べている。 88年には続編もリリースされたが、作品が持つエネルギー、曲のインパクト、ジャケットのアートワーク等すべての面において前作の方が優れている。

http://www.youtube.com/watch?v=sRThqRP5OMA

wolfgang press - cut the tree

ザ・ウルフガング・プレスが結成されたのは1983年ロンドンでのこと。4AD初の12”シングルを出してポスト・パンク・シーンで大いに注目を集めたレマ・レマのマイケル・アレン(ヴォーカル)、マーク・コックス(キーボード)らが、やはり4ADからレコードを出していたイン・カメラのギタリスト、アンドリュー・グレイと結成したもの。レマ・レマはプリミティヴなビートに混沌としたサウンドを混ぜ合わせることでアンダーグラウンド・シーンで人気が高まったところで、あっさりとマイケルらの脱退で解散。

http://www.youtube.com/watch?v=C_00r289lqo&feature=related

Lydia Lunch with Rowland S. Howard - Oh Jim

1960年オーストラリア生まれのロック・ギタリスト/シンガー・ソングライター。80年代前半にニック・ケイヴが率いたバンド、バースデイ・パーティの一員としてシーンに登場。特に英国ロック・シーンで人気を博し、ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴ界における重要ギタリストとして活躍した。解散後はソロに転じ、多くのアーティストと共演。なかでもNYアンダー・グラウンドの女王、リディア・ランチとのコラボレート・アルバム『ショットガン・ウェディング』(92年)は名作との誉れも高い。

http://www.youtube.com/watch?v=SYyeFhwbhAQ

Soft Cell - Say Hello Wave Goodbye

ヴォーカルで作詞者のマーク・アーモンドはゲイであることを公言しており、そのためか曲名などに色っぽい名前がつくものが多く(例:アルバム『エロティック・キャバレー』(Non-Stop Erotic Cabaret)等)、歌詞の世界も愛やロマンスのみならず退廃的かつ背徳的な内容のものが多い。1981年グロリア・ジョーンズ1964年の曲(全くヒットしなかった)をカヴァーした『汚れなき愛』(Tainted Love)[1]が大ヒットし全英チャートで1位になり、全米チャートでも最高で8位、43週間もチャートした。その後4枚の全英ヒットシングルを含む10枚近いシングルと、3枚のアルバムを出したものの、1984年に解散。

http://www.youtube.com/watch?v=AbEOgfq3CNc&feature=related

Soft Cell & Jim Foetus - "Ghost Rider" live BBC 1983

80年代のアンダーグラウンド・シーンが生んだ最大の怪物が、フィータスである。本名ジム・サールウェル、ほぼ作品毎に名を変えるこの男は、嵐のように吹き荒れたパンク/ニュー・ウェイヴのムーヴメントが急速に終息に向かい、保守化・類型化・閉塞化する中、圧倒的なパワーとテンション、類を見ない斬新な音楽性で鮮烈なデビューを飾った。フィータスの「出現」は、ミニストリー、ナイン・インチ・ネイルズらインダストリアル組の登場の直接的な契機となったのはもちろん、トランシーな反復性、ロック、パンク、ジャズ、ヒップホップ、ブルース、現代音楽、クラシック、映画音楽など雑多な音楽性を縦横に往還するミクスチュアリズムの密度の濃さ、都市の荒廃と混沌を体現する目まぐるしいスピード感などで、その後のオルタナティヴ・ロックに深刻な影響を与えた。彼のフォロワーたちが大きな商業的成功を収めたのに対して、フィータスがそうなったことは一度としてない。だがそれは先駆者として一切の妥協を許さなかったという証である。フィータスの表現に「ほどほど」という言葉は存在しない。いついかなるときも、彼のメーターはレッドゾーンに振れ放しだ。優れた表現とはある種の狂気と極端さにほかならないことを、フィータスの音楽は雄弁すぎるほどに物語っている。Soft Cell とのコラボレーション。

http://www.youtube.com/watch?v=DJ6_gQ8QGJ0


Malaria: Geld/Money

現在もMONIKAレーベルを主宰するなど精力的に活動するグドルン・グート率いたドイツの女性NEW WAVEバンド、マラリア!ミニマルなハンマー・ビートに短調なギター・フレーズや狂ったシンセ、コインのジャラジャラ音が折り重なる退廃ジャーマン・ディスコ「GELD」!

http://www.youtube.com/watch?v=13OiNFPINKc&feature=related

The Creatures - Miss The Girl

クリーチャーズ(The Creatures)は、スージー・スーとバッジーによるユニット。1981年にシングル『ワイルド・シングス』(Wild Things)を発表した後、1983年にはハワイで録音したファースト・アルバム『フィースト(饗宴)』(Feast)を発表。スージーのボイスとパーカッションを中心に、バンシーズの呪術的、民族的側面をより前面に押し出している。1989年にはセカンド・アルバム『ブーメラン』(Boomerang)を発表し、その後も活動を続けている。

http://www.youtube.com/watch?v=Ws7ysXtD2r4&feature=related

DALIS CAR - Cornwall Stone

UKロックの歴史を語る上で避けては通れないレーベル、ベガーズ・バンケット。歴史に燦然と輝く作品の数々をリリース!! バウハウスのピーター・マーフィーとジャパンのミック・カーンが結成したプロジェクト・バンド、ダリズ・カー。本作は、彼らが残した唯一のアルバム。各々の個性がぶつかりあい、緊張感あふれる感覚がたまらない!

http://www.youtube.com/watch?v=JZ2TQc-wwbw&feature=related

Cocteau twins - Garlands

1982年に4ADからリリースされた彼らのデビュー・アルバム "Garlands" のタイトル曲。

http://www.youtube.com/watch?v=AF-hic7hNpk

This Mortal Coil - The Last Ray

ディス・モータル・コイルをひとつのバンドとして、とらえるのは間違いである。それはこのスタジオ・ワーク専門のユニットが曲や、アルバムごとにミュージシャンのラインナップをチェンジさせていくスタイルに顕著だ。そして、参加しているのはデッド・カン・ダンス、コクトー・ツインズ、カラーボックスなど、主に4ADレーベル所属のアーティストたちである。変動性の高いユニットゆえ音楽性は非常に多様なものとなり、震えるようなアンビエントから、氷のように冷たく未来的なドラム・マシーンを使った奇妙な作品まで、3枚のアルバムそれぞれが幅広く内包している。ディス・モータル・コイルの作品中、最もよく知られている曲のいくつかは、ティム・バックリィ、コリン・ニューマン、クリス・ベルといった陽のあたらないまま消えていったアーティストたちのカヴァー作品であった。

http://www.youtube.com/watch?v=15uW8Y6OOBU&feature=related

New Order - Blue Monday (live 1984)

1980年に作詞兼ヴォーカル担当であったイアン・カーティス(Ian Curtis)が自殺したため活動停止を余儀なくされたジョイ・ディヴィジョン。残された3人のメンバーは紆余曲折の末、バーナードがイアン・カーティスに代わりにボーカルとギターを担当し、当時モリスのガールフレンド(のちにモリスと結婚することとなる)でパンクバンドで活動していたジリアン・ギルバートをキーボードとギター担当の新メンバーとして迎え入れ、バンド名も新たに「ニュー・オーダー」として活動を開始。途中、家庭の事情(子供の病気)でジリアンが脱退し、サポートメンバーだった元マリオンのフィル・カニンガムを正式メンバーに加え現在に至る。その命名の由来はナチス・ドイツの提唱した「新秩序」であるが、メンバーによると政治的な意図は無く単に響きで選んだものであるとのこと。
ファーストアルバムこそジョイ・ディヴィジョンの延長線上ともいえる陰鬱なサウンドだったが、12インチシングル「エヴリシングス・ゴーン・グリーン」を発表した時期から元々導入していたエレクトリックサウンドの比重が高まり、ギターとエレクトロニクスを融合させたロックバンドの草分け的存在の一つとなった。また1983年の「ブルーマンデー」のロングヒット、さらにヒップホップにおける代表的なプロデューサーであったアーサー・ベイカーと組んだ「コンフュージョン」等により今や世界のクラブシーンで直接的、間接的を問わず「彼らの影響を受けていない人間を探すことは難しい」とさえいわれる。

http://www.youtube.com/watch?v=ivXc5U2z07E&feature=related

Gene loves Jezebel - Bruises (album version)

Gene loves Jezebel のファーストアルバムからの曲。

http://www.youtube.com/watch?v=NyA-jiBdTGU&feature=related

Teenage Jesus & The Jerks "Orphans"

TJ&TJは、当時16歳だったリディア・ランチを中心に1976年に結成され、ジェイムス・チャンスやフリクションのレックらがメンバーとして参加。1978年には、ブライアン・イーノの企画によるコンピ盤『No New York』に、コントーションズやアート・リンゼイのDNAらと共に楽曲が収録されて、異様な緊迫感を湛えたアヴァンギャルドなパンク・サウンドが、当時の音楽シーンに大きな衝撃を与えた。

http://www.youtube.com/watch?v=ZLUUDZdKxuA

The Cure "Boys Don't Cry"

1978年、前身バンドとなるイージー・キュアーを母体として、ロバート・スミス、マイケル・デンプシー、ローレンス・トルハーストの三人で結成された。 翌1979年にシングル「Killing An Arab」[1]でフィクション・レコードよりデビュー。

第1期(1978〜1979)

ポストパンク期にリリースされたデビューアルバム『Three Imaginary Boys』は、シンプルながらもクールで捻くれたギターサウンドが特徴的で、記号化されたスリーヴデザインと相まって、すでに独自の世界観を築き上げていた。 また、ロバートはスージー・アンド・ザ・バンシーズの全英ツアーのサポートギタリストとしてステージに上がったりもした。

第2期(1980〜1982)

この時期のキュアーは、無駄な音を排除した、研ぎ澄まされたサウンドを追求していた。

マイケルに代わり、サイモン・ギャラップとマシュー・ハートリーの二人を加えて作られた2ndアルバム『Seventeen Seconds』は、1stアルバムにもあったミニマル要素を発展させた内容で、初めて全英トップ20入りした「A Forest」やライヴでのファンの合唱でおなじみの「Play For Today」が収録されている。

続いて制作された3rd『Faith』は、ミニマル的アプローチの完成形であり、その洗練された音使いから初期の最高傑作であるという声も高い。タイトル曲「Faith」はロバートの宗教観を歌ったものであるという。

だがサウンドと同様にバンド内の緊張感も次第に強まってゆき、それは4th『Pornography』で爆発する。 ロバートの死に対するオブセッションと行き場のない怒りを反映した本作にて、リズムマシンとシンセサイザーを大胆に導入し、ヘヴィーでダークな極彩色のサイケデリック・サウンドへと変貌を遂げた。そして極度の緊張の中で制作されたためにメンバー間の仲は最悪なものとなり、ツアー中にロバートとサイモンは大喧嘩をして、サイモンはバンドを去り、ロバートは活動の休止を決意した。 日本でのデビュー作はこの『Pornography』であり、各楽曲に付けられた奇抜な邦題[2]は当時のキュアーのパブリック・イメージを物語っているといえる。

第3期(1983〜1984)

この時期、ロバートはスージー・アンド・ザ・バンシーズとキュアーの活動を掛け持ちしており、度々解散をちらつかせていたが、結局キュアーをとった。スージー・アンド・ザ・バンシーズでは、ロバートはパーマネントなギタリストとしてアルバム(『Hyaena』)やツアーへの参加を行っている。(83年のバンシーズの来日公演にも参加。) また、バンシーズのベーシスト・スティーヴ・セヴェリンとのプロジェクトザ・グローヴの活動も並行して行い、アルバム『Blue Sunshine』が制作された。

http://www.youtube.com/watch?v=l8CDERzun4k&feature=related

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