ペンギンオヤジのDブログ

Today is another "yokatta"day

IMG_1262.jpg
(「ペコロスの母の玉手箱」より)

母の入院している病院から電話が掛かってきた。
「お母さまの容態が急変しました。担当医から話しがあるので
病院には来られますか?」

ベッドで寝ている母に話し掛けても、
目も開けないし、何の反応も返ってこなかった。。。

一昨日、父を連れて面会に行った時に
「お父さん、今までありがとう。幸せだったよ」
と弱々しい声で、それでもはっきりと父にそう言っていた母。

もしかしたら

母はあの時、既に何かを感じて
自分なりに旅立ちの準備を始めていたのかもしれない・・・
何も反応しない母の寝姿を見ながら
ふと、そんなことを思った。。

でもね。

まだまだ親孝行しなきゃいけないし、
伝えたなければいけない言葉だって
まだ言えてないんだよ。

それに

このまま旅立たれたら、最後に掛けてくれた言葉が
「帰れ、バカ息子!」になっちゃうじゃないか。

だから

お願いだから、旅立つ前に
もう一度、元気な姿を見せてくれ。
そんなに急ぐ必要ないじゃん。

天国のおばあちゃん。
あなたの娘、そんなに早く連れて行かないで。
お願いだから・・・

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

044790-e1473669256419.jpg

入院中の母の面会に行ったときのこと。
「腰が痛い!」と訴えるので、湿布をはったり痛み止めの薬をもらって
飲ませたりしたのだけど、あまり効果なし・・・

そこへちょうど巡回中の看護師さんがやって来た。
母は腰の痛みを訴え、「どうして、年をとってからこんな痛い思いを
しなきゃいけないんだろうね。。」と愚痴をこぼした。

看護師さんはちょっと困った顔をしながら、
こんなことを語りだした。

◆◇◆◇◆◇

年をとると、どこかしら身体が痛くなるんですよね。
それは仕方ないことなの。

でもね、それは頑張って生きてきた証拠でもあるんですよ。
ラクして生きてきたんだったら、身体もそんなに痛くもならないだから。

男の子2人、産んで育てて頑張ってきたんですよね。
そうしたら年をとれば、どっか具合が悪くなるのも仕方ないですよ。。。

◆◇◆◇◆◇

「痛いのは仕方ない」・・・
医療関係者としてあるまじき発言!と思えなくもないけど、
「頑張って生きてきた証拠なんだよ」という言葉を聞いて、
母がすごく嬉しそうに笑って看護師さんに「ありがとう」って言ったんですよ。

その様子を見ながら、
痛みが和らいだわけではないかもしれないけど、
「どうして年をとってから・・・」という母の心に刺さっていた
トゲみたいなものは取れたんじゃないかな、って思ったのです。

前にも同じようなコトを書いたけど・・・

人が病を癒すために必要なのは、医療技術だけではないと思うのです。
こうした心のケアによって救われる患者さんだっている。

「頑張って生きてきた証拠だよ」という力強くも温かい言葉で
励ましてくださった看護師さんに不肖の息子として
深く深く感謝の気持ちでいっぱいになったのでした。

(おしまい)


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

1413143cf6e974048fac8e88abdb7f6d0d5de0be.06.2.2.2.jpg
(※画は「ペコロスの母」より)

母が入院して2週間余り。
おかげさまで容態もだいぶ落ち着いてきた。

一日中、ベッドに寝ていると腰が痛くなってくるというので
母を車イスにのせて病院の回りをぐるりと一周、散歩してきた。

車イスを押しながら、小さくなった母の背中を見て、ふと思った。

今、こうして母と散歩していることも
いつか懐かしい「思い出」になってしまうのだろうな、と。

病室で「早く帰りたい!連れて帰ってくれ!」と
まるで子どものように駄々をこねている母の姿も、

時々、こちらがムッとするような憎まれ口をたたくことも、

みんな、いつか懐かしい思い出になってしまう。。

そう思うと、一緒に散歩しているこの一瞬も
とても愛おしい時間のように思えたし、

どんな憎まれ口を言われても
優しい気持ちで向きあおう、

素直にそう思えたのでした。

(おしまい)
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

a0001_006361.jpg

6年前のあの日、あの時、
自分は何処にいて何をしていたか、
そんなことを思った人が多い1日なのではないか、と思う。

ふと思い立って、震災から1年後の2012年3月11日の読売新聞のコラム
「編集手帳」を読み返してみた。

<時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります>
寺山修司の詩の一節とともに、こんなコトが書かれていた。
津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、
震災が思い出に変わることは金輪際有り得ない。
復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。
いまも午後2時46分を指して時計は止まったままである。

(2012年3月11日 読売新聞「編集手帳」より抜粋)
あの日から6年。

被災地の復興はまだ道半ばであり、
福島原発の廃炉については未だ先が見通せない状況が続いているという。

その一方で、幸いにも被災を免れた私はそれなりに年月を重ね、
ありふれた日常生活をおくっている。

同じ6年間でも、被災地の方々と、それ以外の人とでは
時計の針のすすみ具合がだいぶズレてきているのかもしれない。

そして

もしかしたら、これから先そのズレはもっと大きくなってしまうかもしれない。

◆◇◆◇◆◇

ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた
1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に
進めるすべはあるまい。

(2012年3月11日 読売新聞「編集手帳」より抜粋)

どれだけズレが大きくなっても1年に一度、
3月11日が巡ってくるたび、きっと「あの日」を思い出すことは忘れないだろう。

「あの日」テレビの画面を通じて、被災の状況を見つめることしかできなかった・・・
そして、何か自分にも出来るコトはないかと考え続けた。

「あの日」を思い出すということは、あの時の気持ちも一緒に思い出すことだ。

今年もツイッターのタイムラインにはヤフーの「3.11、検索は応援になる」への
リンクを貼ったツイートがたくさん流れてくる。

それらのツイートをみると、「やっぱり、みんな忘れてないんだ」と思うし、
「何かできることをしよう、少しだけでも被災された方々に寄り添おう」
そんな気持ちが伝わってくる。

「あの日」の気持ちを思い出し、
今日「この日」に改めて自分に出来ることを少しでもやってみる。

そうすることで、被災地の時計の針が少しでも前に進めば嬉しいと思う。

◆◇◆◇◆◇

最後にもう一つ。

2004年のインドネシア・スマトラ島沖地震(M9・1)では、
震源域の周辺では約7年半後にM8・6、
約11年後にM7・8の地震が起きた。
平田直委員長(東京大教授)は「今後も油断しないでほしい」と話した。

(2017年3月10日 読売新聞より)

人間の時間軸で考えれば6年という歳月は、そこそこ時間が経ったかのように
思うが、地球の時間軸で考えれば一瞬に過ぎないだろう。

大地震は必ずまた襲ってくる・・・
この日本列島の上で生活している以上、地震災害とは無縁ではいられない。
3.11を機に、そのことも改めて胸に刻んでおきたい。

(おしまい)








このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

a1320_000066.jpg

高校2年の夏、チャリンコで北海道の一人旅をした。

一人旅をするにあたって親から出された唯一の条件が
「毎日、家に電話すること」だった。

旅の間、1日の旅を終えてたどり着いた見知らぬ町の電話ボックスから
家に電話を掛けた。

今、どこにいる。
今日はこんなところに行ってきた。

そんなことを二言三言話すだけだったが、
思い返してみれば、1本の電話のおかげで一人旅の寂しさも
紛らすことが出来ていたのかもしれない。。

◆◇◆◇◆◇

1本の電話を掛けることが出来なかったために、
命を失う事態となった事件が起きた。

千葉県柏市内の老人ホームに入居していたパーキンソン病患者の
男性(72)が昨年12月、市立柏病院で介護タクシーを呼ぶよう
頼んだところ断られ、約1カ月後に別の場所で遺体で発見されて
いたことが病院関係者らへの取材で分かった。男性は要介護3で
歩行にはつえが必要だったが、直線距離で約3キロあるホームまで
歩いて帰ろうとした可能性があるという。

 病院関係者らによると、男性は昨年12月下旬に同病院で診察を
受けた後、介護タクシーを呼んでホームに帰ろうとした。
電話をかけるのに必要な現金を持ち合わせていなかったため、
病院案内窓口で電話を依頼したが看護師から「対応は難しい」と
断られたという。

 男性は「そうですよね」と言って立ち去ったがその後行方が
分からなくなり、ホーム側はその日のうちに病院と警察に連絡。
1月下旬になって病院から約1.5キロ離れた川の近くで遺体で
見つかった。死因は凍死で、行方不明になった日が死亡日とされた
という。

(毎日新聞WEBサイトより)
男性の死因と病院側の対応に明確な因果関係があるわけではないが、
何とも胸が締め付けられるような話しだ。

◆◇◆◇◆◇

この件に関して病院側は取材に対して
「外来患者は1日500人以上おり、対応には限界がある」
と話したそうだ。

1日500人以上おり、対応には限界がある

1日500人以上おり、対応には限界がある

1日500人以上おり、対応には限界がある

1日500人以上おり、対応には限界がある

対応には限界がある!

あるいは病院側の言う通りなのかもしれない。

だけど、

もしかしたら、最初からきちんと一人ひとりに向き合うことなんて
考えてなかったんじゃないかと思う。

考えてみて欲しい。

仮に病院の窓口が朝8時から夕方6時までだとしたら
その間、10時間である。

10時間で500人ということは1時間あたり50人前後。
1分あたり1人にも満たない。

窓口2人で対応すれば、2分に1人くらいの計算になる。

一概に比較できないが、コンビニの1店舗あたりの1日の客数は
だいたい800人から900人くらいだ。
24時間営業だが、客数が少ない深夜早朝の時間帯があることを
考えれば、日中の8時ー18時の時間帯はだいたい500から
600人くらいではないかと推測する。

「対応には限界がある」・・・本当だろうか?

要介護3の人に対して電話1本の対応すらできなかったとしたら、
「残念」としか言いようがない。

◆◇◆◇◆◇

newwhitephone.jpg

受話器を持ち上げれば、そのまま「無料で」タクシー会社に通じる
呼び出し電話というものがある。

ホテルで働いていた時、新しいホテルをオープンする際には
地元のタクシー会社が、置かせて欲しいと持ってきていた。

「できない」言い訳はいくらでもできる。
対応に限界があると切って捨てる前に、
どうしたら、少しでも対応ができるようになるのか
人的対応がムリなら、ハードウェアでの対応でもよいので
考えてみて欲しいと切に願う。

人が病を癒すために必要なのは、医療技術だけではないだろう。
患者の心に寄り添う優しさや思いやりで
救われることも多いのではないか。

(おしまい)




このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

↑このページのトップヘ