2013年01月17日

A year and a half

お久しぶりです。

1年と半年ぶりの更新となります。

なんでこんな長く放置してきたブログにいきなり投稿したかって、実は最近別のブログを開始したからです。

『天くんのいる日々』
http://tenten44.exblog.jp/

去年の7月31日に猫を拾いまして、天使のように可愛いので天くんと命名。
その子の写真日記ブログです。

当面の間はこちらを更新していくことになりますので、今後ともよろしくお願い致しますm(_ _)m


※このブログは、中国株の売り買いを再開する2015年の5月前後に株ブログとして復活する、予定。

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2011年06月26日

PHOTO PHOTO 44

どうもこんばんは。

突然ですが(前にも少し書きましたが)、とりあえずアフリカにいる間は以下のページからのみブログをアップすることにしました。

http://www.norihiko-ishida.com/

なぜかって普通に1日2つ分ブログを書くのに疲れてきた。


というわけで、今後は今高校の同級生がいろいろやってくれている(今月中には形になるのかね)、上記サイト「PHOTO PHOTO 44」をよろしくお願い致します。
一応しょうもない写真ですけど1日1回更新を目指しています。

あっちはいろんな方が見る、予定、ですので、あんま偏ったこと書けないし、偏った意見を書きたい時には引き続きこっちに書きます。あるいは余程中国株に大きなニュースが出た場合もこっちに書きます。

それ以外ではとりあえず『果報は寝て待て』はひとやすみします。

このブログ、左の履歴を見ると2004年から書いてるんですね。
別に毎日書いてるわけではないけど、初めて書いた日から7年経つのかと思うと、なかなかどうして驚きますね。ほんといろいろありました。


今までどうもありがとうございました。
そして今後ともよろしくお願い致します。

people_of_the_sun at 04:41|PermalinkComments(1)TrackBack(0)AFRICA | SUDAN

2011年06月25日

JUBA

ケニア最後日の夜となった昨日は大草原の真ん中にある菅原さんの奥さんのお姉さんのお家に泊まり、ケニアのサファリを堪能しました。
(電気は自家発電、水道は井戸の水というお家)

そして今日、12時50分ナイロビ発の飛行機に乗り、14時25分南スーダン共和国の首都(になる予定の)ジュバに到着致しました。

□■□■□■□

正直、成田で出国ゲートをくぐる前、嫁さんと別れる悲しみよりも「ああようやく夢が形になり始めたんだな」と、そっちの感慨の方が大きかったです。
(これはその時嫁さんにも謝りました)

17歳の進路決定の時、恥ずかしいほどの青臭さで親に「報道写真家になりたい」と語ってから14年。
14年間その夢と関係ないことしてるように見えたでしょうけど、僕の中では1つの目標の為にすべて考えてやってきたことです。

ナイロビでは一瞬挫折しかけたけど、けど最終的にその14年間見続けた夢の一歩をようやく踏み出すことができました。
やっぱりちょっと感慨深かったです。

□■□■□■□

ただ、ジュバに到着することそれ自体が最終目的でも独立を撮ることが最終目的でもありません。
それらは全てこの後の目的の為の一歩ですから、初心を忘れずジュバでも頑張ろうと思います。

とりあえず今夜は一人、お水で乾杯。
Cheers.

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2011年06月23日

TRAVEL PERMIT

たぶん文章で書いたらその過程の苦労は伝わらないでしょうけど、兎にも角にもビザ(正確にはスーダンという国から発行されたものではなく、南スーダン政府事務局によって発行された旅行許可証)は取れました。

なんか、今回の旅の目的が撮影ではなく旅行許可証の取得だったが如くこの数日を費やしました。

□■□■□■□

と、言っても、実は僕は大したことをしていません。
実はケニアに入国して以来、30年近くケニアに住んでいる菅原さんという男性と一緒に行動させてもらっているんです。

ですので旅行許可証取得に関するほぼすべての作業は現地語もペラペラの菅原さん一家がやってくれていて、その末に旅行許可証を手にすることができたのです。

ちなみに菅原さんは、まさかの盛岡のお互いの実家が500Mくらいしか離れていません。


今回の一件で、いろいろ学ばせてもらったし考え直しもしました。

今までだったらこんな時「やっぱり僕はついてます」なんて言っちゃってそうだけど、さすがに今回はそんなことを言う気が全く起きない。

いろんな人がいろんな善意で手伝ってくれて、それでようやく旅行許可証を手に入れることができて、そこには僕の運なんて全くない。

というよりも、「今回は」ではなく、今まで気づかなかっただけで今までもみんな周りの人のサポートの上に自分の運は成り立っていたんではあるまいかではなかろうか。

昔から「石田はついてる」とか言われがちで、だから「ああ俺ってついてるんだな」なんて思って生きてきたけど、周りにつかしてもらってただけで、「俺はついてる」なんてことは最初からなかったんです。そんなことにケニア・ナイロビでようやく気が付きました。
ほんと今までの人生が恥ずかしい限りです。

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ナニハトモアレ、これで予定通り今週金曜日(24日)にジュバへ飛び立つことができます。

それにしても今夜のビールはめちゃくちゃに美味しかった。

アルハムドリッラー
(“神さまありがとう”という意味のイスラム教徒の口癖)

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2011年06月22日

A SNAG

昨日に引き続いて、南スーダン撮影への心意気などを書き連ねようと思っていたのですが、昨日申請書を出して今日受け取りに行ったビザがまさかのNG。

今現在こっちでできることはすべてやってみていますが(ゆうちゃんありがとうね)、明日の朝9時半にもう一度南スーダン政府の事務局に行っての交渉次第では、南スーダン撮影の心意気どころが南スーダン入り自体が頓挫してしまいます。

すべては明日次第なのですが、なんか今日は心が折れてしまいました。

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本来ならば、今日あたり、現在高校の同級生と進めているホームページのアドレスを雑誌の編集さん含めた皆に送るつもりだったのですが、南スーダンに入れなかったらこのホームページの意味がそもそもないので、今日は送れませんでした。

まあ、このブログを読んでいる人達には南スーダンに入れなかったからと言って恥も何もないですから、とりあえずここでだけ公開します。

これが現在建設中(6割くらいできたのかな)の僕の写真をアップするサイトです。

http://www.norihiko-ishida.com/


実は近日中にこのブログはしばし閉鎖し、上記のブログに完全に移行しようかと考えていました。

実際すでに1日1枚の写真を毎日アップ&文章を更新するつもりで頑張ってはいるのですが、しかし、何度も言う通り、ビザが明日取れなかったら毎日アップもしないでしょう。
(ずっとケニアにいても撮る写真ないし)


とにかくすべては明日次第です。

インシャアッラー
(“すべて神が決める”という意味のイスラム教徒の口癖)

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2011年06月20日

AFRICA!!

ご無沙汰しています。

昨日ケニアのナイロビに着きまして、今はナイロビのホテルからこのブログを書かせてもらっています。

本当ならば出国前に日一日と迫る出国への思いを吐露する予定だったのですが、あまりの忙しさに何も書くことができず、気づいたら出国してケニアに着いてしまいました。
毎度のことながら、なんだか無念。

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ただ、僕が行こうとしている南スーダンでは、4月の時点で死者が800人も出ています。
それってつまり、1月あたりで計算すると200人。30日で割ると1日7人も死んでるってことです。

何人いる中でそれだけ死んでるのかわからないけど、まあ1日7人ってのは多いですよね。
だから、もし出国前にブログを書く時間があったなら、きっと遺書っぽい文章になったんではないかなと推測されます。
実際そういうことを書こうと思っていましたし。

そう考えると、そんなしみったれたことを書く時間がなかった、書かなかった、というのは逆に良かったのかなと今は思います。

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と言いつつも、これは出国前に嫁にも言いましたが、今回の渡航に関し例の如く通常では考えられない、あるいは確率論では説明できなような奇跡がいくつも起こりました。

そういった奇跡がいくつも重なって今こうしてナイロビにいて、南スーダンを目指しているわけで、こんな神がかった奇跡の末に死があったならば、これはもう神が死を望んだとしか思えない。
あんなにいろいろあった末に死ぬなら、もうこれは素直に諦めます。

逆に、出国前に起こったいろんな奇跡が神による僕の死への壮大な前振りだとしたら、えーうそーん、という話で、そんな暇は神にはないでしょうから大丈夫だと思っています。

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アフリカに着いた以上毎日いろんなことが起こるだろうし、今後はそっちについて書いていきます。
ただ、「なんでスーダン行くの?」という単純な疑問に関しては、これだけは言明しておかなくてはいけないでしょう。

なんでスーダンに行こうとしているのか、それは一言で言えば、南スーダンの独立の瞬間が見たいからです。

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僕はあまり小説は読みませんが、『燃えよ剣』で司馬遼太郎に出会ってからは、司馬遼太郎には完全に心酔しきっています。

それはこのブログの中で『坂の上の雲』について触れた箇所からもわかると思いますし、坂の上の雲の舞台を実際に見るために今年1月に愛媛・松山まで行ってしまったことからもわかると思います。

現在は『花神』を読みながら日々震えているわけですが、要は僕は明治前後の“国が興る瞬間”というものがとにかく好きなんだと思います。

読みながらその時代のパワーに圧倒され、「うらやましいな、こんな時代に生きてみたかったな」と、いくら夢想し憧れてみてもこんなドラマティックな時代が今の日本に興ることは1000年、とは言わないまでも、僕の生きている間にはまず無理です。

それならば諦めるしかないのか、というとそうではなくて、日本以外の国ではまだまだ激動している国が世界にあるわけです。
それがスーダンです。

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原発の文章じゃないですけど、知っておいて損はない情報ですからスーダンの歴史について手短に説明します。

要は1983年から22年に渡って北スーダンと南スーダンでは内戦をしてきました。

ものすごくわかりやすく言えば、北スーダンがイスラム教で南スーダンがキリスト教で、この二つが対立して戦ってきました。
それが、ようやく2005年に和平するということで話がついたのです。

それで南スーダンが独立するから解決ね、ということになって、その確認に今年1月9日に独立か今まで通りかを選挙した結果、100%に近い支持率で独立、ということになり、じゃあ半年後ね、ということで7月9日に南スーダンが独立することになったわけです。

この22年の間に内戦で死んだとされる人数は200万人以上。
酷い例えをすれば、今回の震災60回分以上の方々が内戦で亡くなってきたわけです。

本当に信じられないような絶望を乗り越えて、今年7月9日、ついに南スーダンが独立を果たすのです。

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そうです、僕はその7月9日の歓喜の瞬間、その瞬間って人ってどういう表情するんだろうというのを見てみたい、あるいは撮ってみたいのです。

こう説明すれば、前に「スーダンには趣味で行くのです」と書いた理由もわかると思います。
僕個人がその場にいてその空気を感じてみたいのです。ただそれだけです。司馬遼太郎が悪いんです。司馬遼太郎を僕に読ませた中川昭一が悪いんです。

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基本的に上の感情が嘘偽りのない感情なのですが、ただ、今年からフリーのカメラマンとして働いて、さらに妻を養っていく以上、「趣味の旅行に行きます」だけでは現実的に暮らしていく為にはいくらなんでもな話です。

今後カメラマンでいくにあたって「これを撮れます」なんて口で言うだけじゃ誰も信頼してくれない。「これを撮りました」という営業材料がなければなりません。
ですので、これはカメラマンとして「南スーダンを撮ったという実績を作りに行く」というのもこれもまた嘘偽りのない話です。

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ちょっと文章が長くなったので、続きはまた今度。

基本的には日が暮れたら外に出てはいけないので、文章書く時間はいっぱいあるんです。

ではではまた。

people_of_the_sun at 23:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)AFRICA | SUDAN

2011年06月10日

My Brother's Wedding

会社辞めて今日で10日目。毎日がニート生活なはずなのに、出発前の準備やら新生活のなにやらで勤務していた時よりもよっぽど忙しい。

気付いたらもう一週間経ちそうだけど、先週日曜日、6月5日は僕の兄の結婚式でした。

僕らは4月17日に入籍しましたが、兄夫婦は3月30日に入籍、つまりわずか3週間の間に僕ら兄弟は結婚したのであります。
さらに兄は10月には父親になるんです。世の中に「いいことはいっぺんに起こる」という諺未満の言葉がありますが、我が家はまさしくそれを実証した形になりました。

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職業柄結婚式には慣れてるし、兄の結婚式はまあめでてーな、ぐらい。さらに自分のキャラを考えればそんなことになるとは思わなかったのですが、挙式で二人が誓約書に名前を書いてる時に突如どっぱーって涙が溢れた。

ほんと突然過ぎて「なんで?」と思った。

その涙のきっかけに意味はなかったんだろうけど、人って泣いている最中にはいろんな感情が勝手にひっついてきて涙を増長させたりするもの。涙に誘発されて、何故か兄が昔家で飼ってたコリー犬を散歩してる絵が頭をよぎって涙に意味をもたせた。

僕らがまだ小学生低学年だった時、大型犬に属するコリー犬のエルは相当でかくて(でかく見えて)怖くて近付けない同級生もいたくらいだった。
ある日兄と僕とエルで畑のあたりを散歩に出ていた時に、畑の向こうに突然犬が現れたらその犬にエルが興奮してものすごい力で走り出した。大型犬の本気に小学生低学年のお兄ちゃんが耐えられるはずがなく、エルの引っ張る力で兄はうつ伏せにべたーんって倒れた。
両手で綱を握ったまま顔面を地面につけて畑をずるずると引きずられる兄。それでも、兄は最後までその綱を離さなかった。
泥んこになった兄と家に帰って両親に事情を話したら「綱を離さなかったのはえらかった」と親が言って、僕もえらいと思った。

ああ、あのお兄ちゃんが今結婚したんだなって思った。


一日を通して兄夫婦が幸せいっぱいだったのはもちろんですが、2次会終了後に従兄弟らと飲んだらその場でみんなが「今日のご両親はめちゃくちゃ輝いてた」と言っていて、子供だからかそういう風には見えなかったけど、そうだったんだと思って嬉しかった。

お兄ちゃん、どうか末永くお幸せに。

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2011年06月02日

魁!政経塾

5月31日をもって長年お世話になった会社を退社した。

入社したのっていつだっけ?と思って、最初の面接の時に「石田君、先週のNHKマイル何買ったの?」「テイエムサウスポーです」という会話をしたことを思い出してテイエムサウスポーが出走したNHKマイルの日を調べたら2001年5月6日だった。

あの日からちょうど10年経ったんですね。
(間の1年半は海外なので勤務したのは8年半)

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ただ、タイミングいいんだか悪いんだかそんな感慨に浸る間もなく、退社したその日5月31日が今年から通う政経塾の開講式だった。

なので、火曜日は会社終わって即永田町へ、自民党のお偉いさんの話などをぼけーっと聞いてきた。

塾の中身はとりあえず挨拶程度の日だったので特にどうという感想ははなかった。
ただ一つ感想をと言えば「政治家ってのは話うめーな」。

村上龍の『愛と幻想のファシズム』の中に“指導者に必要なものは声だ”みたいな文章があったと記憶してるけど、確かにそれはあるでしょうね。

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ちなみに、なんで政経塾通いだしたかって2,3理由はあるけど、その中の1つを挙げるなら「写真で撮るものに結果が欲しいから」というのがあります。

言ってみれば、従来の報道写真っていくらその写真が最高の構図で最高の瞬間を撮ったものだとしても「撮ったら終わり」みたいなとこがある。
そりゃ1%くらいの報道写真は世界を変えたけど、残りの99%は「んで何が変わったの?」という話で、何も変わらないんだったら撮る意味ないじゃない、と。

だから「本当に変わる写真と行動」というのは、自分の中の理想だし、というかそうじゃないなら写真を撮ろうとも思わない。
ちょっと夢見がちな話ですけど、けどそうやって自分の中に納得がないと天邪鬼の自分が「お前の写真はただの自己満足じゃねーか」とか言い出して、写真のクオリティが下がりそうな気がする。

逆に、撮った後の方法論も学んで自分の中に「だから撮る」という納得が生まれれば写真のクオリティも上げるんじゃないかなぁと、と思ったのが政経塾に通い始めた理由の1つです。

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政経塾の開講式が終わった後、会社の飲みに戻って飲んで、最後石川さんと二人で飲んで、池袋から酔っ払って歩いて家に帰ったら、その帰路ではさすがに泣いた。



ハイセイコーってダーレーだっけ?

people_of_the_sun at 10:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)政経塾 

2011年05月31日

岩手県大槌町

なかなかどうしてブログって書けない。

今週末はゴールデンウィークに岩手で撮影した写真を編集した。

写真というのはパレスチナ子供のキャンペーンさんに依頼されて撮った集合写真の複写536枚。

パレスチナさんでは被災地で津波で流れた写真を本人に戻すというボランティア活動をやっています。

その写真は例えば僕1人が写真に写っていれば僕の家族がああ僕のだとわかりますけど、集合写真ってのはそこに写ってる誰の集合写真かわからない。だから、そこに写ってる1人が持っていってしまったら他の誰かのものでも無くなってしまってはいおわり、ということになる。

そうなる前に僕がデジカメで複写してデジタル化してしまえばそこに写ってる人は全員その写真を手に入れられるってわけ。

その作業を依頼されて、さすがに少しは被災地への助けになりたいと思っていたからゴールデンウィークを利用して5月1日〜4日までずーっと黙々と流されてしまった集合写真の複写をしてきた。

500枚を超える写真の撮影と編集ってのはさすがに疲弊するけど、いい人ぶれば「もしかしたらこの写真に写ってるこの人はこの写真が最後の1枚かもしれない」と思うと、1枚1枚丁寧に処理せざるを得ない。

あとは最後フォトショップでちょちょちょと最低限の修正入れておしまいです。

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今回の震災で、いろいろ考えたし、いろいろわかったこともある。

その一つに自分は報道写真家になりたいわけではない、ってことがある。

というのも、震災直後、報道写真を一緒に勉強した人達から「一緒に震災を撮りに行かないか?」という撮影は何度もあった。
ただ、ほんと、なんの感情もなくフラットに行く気が起きなかった。

震災を受けたのが地元だからかどうかはわからないけど、とにかく被災した方々にカメラを向けるなんて普通に考えられなかった。
報道写真家ってのは、そういう時「真実を報道する為」と言うものなんだろうけど、何度考えても僕はそういう考えにならなかった。

だから、震災を通して自分が報道写真家になりたいわけではないことがわかったのは今後の為によかった。

僕はノーストレスで集合写真の複写を撮ってるくらいがちょうどいいみたい。


というわけで、来月スーダンに行くっていうと「戦争写真を撮りに行くの?」と言われるけど、それは違います。趣味で行くんです。趣味で。

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最後、複写してる隣で遊んでた子供達の写真をば。

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普通の子達だけど、喧嘩の会話とか聞いてると「やめで、蹴らねぇで」とかってめちゃ岩手弁に訛っていてかわいかった。

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2011年05月26日

Go to SUDAN

ビザはまだ取っていないけど、とりあえず今日、6月18日出国のスーダン行きのチケットを買った。

つまり、あと23日でスーダンに向けて発つことが決定した。
と今打ってみて、23日しかないという事実に自分自身びびった。

それまでに書きたいことはたくさんあるので、これからは毎日ブログを書きます。
(と自分自身にプレッシャーを)


と言っても、嫁さんの隣では未だにブログを書く気が起きないので、嫁さんの寝た後、あるいは朝出た後にでもちょくちょく書いていこうと思います。

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スーダン行きに関してまず書きたいんだけど、その前に結婚したのにそれについて何も書かないというのもモヤモヤするので、結婚についての所見を述べたいと思います。


まず結論から言うと、結婚ってのはいいものですね。

言葉を選ばずそのまま書くと、なんか毎日ワクワクする。

4月17日に入籍したから今はまだ結婚から1ヶ月ちょっとしか経っていないわけで、文字通りの新婚なんですけど、それでも僕等はトータルすると10年以上付き合ってるので今更その付き合い自体にワクワクしているわけではないと思う。
だったらこのワクワクは一体何に対してなんだと考えると「結婚」という存在そのものに対してのものだということになります。


現時点で「結婚」がなんでいいんだろうか、と考えた結論を2,3書いてみると

1.毎日誰か一緒にいる
@僕、同棲とかしたことないし、家帰って誰かが必ずいるって18歳ぶり。当時は反抗期だったから、素直に人がいることに感動できてるのは反抗期が始まる前の15歳ぶり。

2.相手が限定される
@もうこの人しかいない、って考えると覚悟が決まるっつーか投げやりな気分にならない。

3.人生に相手のご両親が登場した
@今まで自分の両親しか知らなかったのに、相手のご両親の考えまで自分のものになって新鮮。

4.ネガティヴにならない。
@一人でいると必ず何か考え出すけど、二人でいると一人で考え事しない。つまり24時間ネガティヴになる暇がない。


考えなしにタイプしてるから話に落ちどころがないけど、言いたいことは、なんつーか基本的に天邪鬼な自分が「結婚」というフィルターを通すだけで今までの人生にないほど人を好きになることができているということです。

なんか書きながら思ったけど、これってとんでもなく恥ずかしいこと書いてんじゃねーの。


ま、話を強引にまとめると、これからはちゃんと嫁を大事にしていこうということです。


って、結婚2ヶ月で海外に出発してしまう夫の言う発言じゃねーか。



つづく



people_of_the_sun at 21:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)SUDAN | Songs

2011年05月11日

Change the world

いろいろ書きたいことはあるけど、さすがに浜岡原発停止についてはまず書かないといけないでしょう。

昨日、浜岡原発の停止が決定しました。

これは本当にすごい話です。
DAYS JAPAN1月号で浜岡原発中止を求める写真を撮っていた自分にしてみれば、夢を見ているような感覚ですらあります。


日経新聞に中部経済連合会の会長さんが、
“「プロセスで考えるべき余地がある。今後他の原発の停止や制限を加えるのであれば、法整備をした上で行政が命令するのが正当だろう」と苦言を呈した”

とあるけど、そりゃそーだ。

どう考えても政府による浜岡原発の停止要請はイレギュラー中のイレギュラー。

ただ、「そのイレギュラーが何故起きたのか」を考えれば、まずは8割がたその地勢リスクに起因するでしょう。これは知れば誰もが馬鹿らしいと思う話ですから。
ただ、それ以外の数パーセントは広瀬隆さんを含めた反原発の知識人の方々の力、というのは間違いないと思います。

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何度も書いている通り、震災前は電力会社の広告収入の前に新聞もテレビも原発についての反対記事なんて書いてこれなかった。

そのような状況の中で、震災前に浜岡原発の危険性を特集した雑誌なんて間違いなくDAYS JAPAN一誌しかありません。

そのDAYS JAPAN 2011年1月号の中に浜岡原発の写真(記録写真じゃなく告発の為の写真)はわずか3枚しか撮られていません。
そのうちの1枚を撮ったのが僕、っていうのはこれはちょっとすごくないですか?

大袈裟に言ってしまえば、世界の歴史上、震災前に浜岡原発の危険性を告発する写真を撮ったのはわずかに3人。
そのうちの1人が僕、とも言えるわけです。
そしてその浜岡原発の停止が今決定したのです。


これは大袈裟ではなく、今となっては政府の要人のほとんどはDAYS JAPANの浜岡原発の特集は読んでいるはずだし、つまりそれは政府の要人のほとんどが僕の写真を見ている、ということです。

今年、スーダンから帰ってきたらフリーのカメラマンとしてやっていくつもりですけど、さすがにこれは今後の活動の一助になるんじゃないですかね。

hamaoka

この写真が僕のです。
(左下に小さく“Photo by Norihiko ISHIDA”と書いてある)

people_of_the_sun at 02:15|PermalinkComments(1)TrackBack(0)反原発 

2011年05月08日

It's a new world

震災からそろそろ2ヶ月が経とうとしています。
この2ヶ月の間に本当にいろんなことがありました。

それらを皆さんに報告しなければいけません。

まず一つ目。

2011年4月17日に旧姓ナイトッチと入籍致しました。
つまり結婚しました。

二つ目。

今月をもって10年以上お世話になってきた会社を退社します(世界旅行の時に一度退社しているから二度目の退社)。

三つ目。

結婚したばっかだというのに来月の中旬から数ヶ月、アフリカのスーダンに渡航します(だから会社を辞めます)。

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どれもこれもすぐにブログ上で報告しなくてはいけない重大な案件なのに、こんなに報告が遅くなったのはなんでだろう。
「震災のせいで」遅れたってことにしておいて下さい。


上記の件についてはもちろんのこと、原発のこと、震災のこと等などここで書きたいことは山ほどあります。
ただ、なんつーか、結婚して今は同居しているのですが、一人じゃないとなかなか文章って書く気起きないものですね。
(今は会社で仕事してるから久々に書いたけど)

今週は原稿の締め切りでずーっと会社でしょうから、原稿に疲れる度、上記の件等について書いていこうかと思います。

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なんか、ほんと文章書くの久々過ぎて全然うまく書けない。
スーダンに行ったら文章書くだろうし、徐々に文章慣れしていかないとね。

people_of_the_sun at 23:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 

2011年03月17日

『SAVE IWATE』 義援金のお願い

なんか、そういう意図があるにしろないにしろ、結果的に不安を煽る形になってしまってすみませんでした。

言いたいことは「恥ずかしいくらい万全の対策をほしい」ただそれだけで、それだけ言えば足りることを長々と書き過ぎました。
すみません。

具体的には

1.恥ずかしくても屋外ではマスクをすること。
(花粉症の人と同じだから恥ずかしくないし)

2.奥さん・子供をもし遠くに避難させられる状況ならば(それができない東北の人には本当に申し訳ないけど)、金に糸目をつけず避難させてほしい。

この2点を言いたかっただけです。

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今回の件で、基本自分はあんまり人の気持ちとかを考えられないみたいってことがわかったし、何かどっかのネジが足りてないということは認識した。


それでも毎晩ニュースで被災地を見ているとさすがに泣く。
「なんとかしたい」と思っても、ニュース見てると完全に手詰まりで何をどう助けていいかどうか皆目見当がつかない。


と、思っていたところに!岩手県盛岡市在住の姉からメールきました。

何でも、盛岡で被災地救出のボランティアチームを組織したとか。

正直、「義援金はしかるべきタイミングでしかるべき所に」と思っていたけど、Gacktの話やらアグネスチャンの話やらで、一体誰がどのような活動をしているのかなんて全然わからず、判断に困っていた。


その点、これは僕個人だけの話で申し訳ないんですけど、姉なんていうのは盛岡にいる僕の分身みたいなもん。
僕がこうしたい、ああすれば…、と思うことは全て彼女がやってくれると信じています。


義援金として一番真っ当なのはそりゃ赤十字なんだろうけど、報道見てわかる通り、被災地以外は「資金、物資はあるけど現地に届けられない」状態。

その点、運用その他は赤十字に圧倒的に劣るだろうけど(サイトにもまだ穴はあるし)姉の作った『SAVE IWATE』は、盛岡にいる。この点が他の団体よりも圧倒的に強いと思います。

例えば10人『SAVE IWATE』にマンパワーがあったとして、この10人を東京から輸送する際のエネルギーと費用、この10人を大阪から、九州から輸送するエネルギーと費用を考えると、どれだけこの盛岡にいるということが強みかわかってもらえると思う。


ホームページに書いてある通り、強い意志で『小規模ではあっても民間ならではの柔軟でスピーディーなボランティア活動』をしっかりやってくれると信じています。

親類な分、自分の姉を信頼しろ、ってけっこう言いにくいけど、もし信じてくれるなら姉を信じて彼等に義援金をお願いします。

会ったことない人に自分の姉がどういう人か説明しづらいけど、最低限Gacktよりは働きます。


当然、今回被災したのは岩手だけではありません、宮城や福島などの他県の皆さんもみんな大変です。
さらに悲劇が拡大したら、関東の人間も他県を助けてる場合じゃないだろ、ってことになるかもしれない。

それでも縁あってこのページを見て下さっている方々、是非是非義援金のご協力をお願い致します。

■SAVE IWATE
http://sviwate.wordpress.com/


僕の性格的に「だったらお前はいくら寄付したんだよ」とか言われるの嫌なので、そう聞かれても問題ないくらいの額を既に送金しました。

people_of_the_sun at 13:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)反原発 | 

2011年03月16日

There goes my hero Watch him as he goes

僕が去年修行させてもらったDAYS JAPANですが、なんと編集長の広河さん自ら真実を報道するため、福島の現地に向かっています。

原発に誰よりも反対してきた本人が被曝覚悟で現場に赴くというのは、これはもう言葉がありません。

現場で何の支持もない中報道してくれている分、政府より東電より正確かと思います。

□■□■□■□

今これを言うことが正しいかどうかはわかりませんが、一つ言っておくと民主党というのは原発支持で躍進した政党です。

枝野さん、そりゃかっこいいですけど、ただ彼がこの場で話せているのは原発関連団体の支持があったからってことを忘れてはいけません。

今、ようやく放射能について「危ない」と言い出しましたが、13日の時点では「まだ深刻ではない」と言っていたはずです。

しかし、現場に行った勇気あるジャーナリストの映像を見てください。


僕は去年12月、衆議院議員会館で反原発のチラシを議員の部屋を周って配りましたが(鳩山さんや仙石さんの部屋にも行った)、民主党の議員(受け答えしたのは秘書ですが)の中には嘲笑の混じった半笑いで「だったら君、原発なしでどうするの?」と僕に発言した奴もいた。

今あいつを殴り倒して、「で、どうするの?」と聞いてやりたい。

□■□■□■□

テレビだって新聞だって、今更原発叩いているけど地震前は電力会社の広告が減ることを恐れて反原発のはの字も叫んでいなかったことを忘れてはいけない。

彼らも原発支持だった。

□■□■□■□

今現在、誰を信じるかなんて強制もできないし個人の自由だけど、今この瞬間も原発の安全性を唱えて大丈夫を繰り返す人間はいる。

誰もが先の見えない今、敢えて「大丈夫」という論調で話す理由は、上記の文章を見て自分で考えて下さい。
大抵は原発神話を信じていた東京大学のなんとかさんとかそこらへんです。

普通の感覚ならば今は「万が一」を話すはずです。

□■□■□■□

以下、リアル現場からのリアル文章です。

* * * *

月刊誌DAYS JAPAN編集長広河隆一とJVJA所属ジャーナリスト数名が福島県の数か所で放射線の計測を行ったところ、以下の結果が検測されました。

3月15日16:10現在
福島県伊達市月舘町月舘
【福島県双葉郡 福島第一原子力発電所より50〜60km地点】
6mRg/h(ミリレントゲン)≒60マイクロシーベルト/h

3月15日16:30現在
福島県飯舘村
【福島県双葉郡 福島第一原子力発電所より約50km地点】
計測器の針が振り切れたため測定不能
計測器上限値10mRg/h(ミリレントゲン)≒100マイクロシーベルト/h

広河からは、「現地周辺にいた方々へは、測定値の結果やとどまることの危険性を伝え、
避難を促した。子ども・妊婦を優先し、早急に避難をすすめるべき」との報告を受けています。

原発から50km圏内には避難所となっている場所もあります。現在の20km圏内避難指示、30km圏内屋内退避勧告では、非常に危険です。
避難指示範囲の早急な拡大を求めます。

people_of_the_sun at 12:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)反原発 

2011年03月15日

Guerrilla Radioactive

T先生から

「それみたことか…
なのかしらん?」

とメールきましたが、答えるまでもないでしょう。
だからと言ってここまできた今、「だから言ったのに」なんて書いたところでどうしようもうない。

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僕の周りの人間は一般的な人々よりも世界について考えている人は多いと思っています。

それでも当時から

>「つまらない」「早くやめろ」とすこぶる評判の悪い反原発編。

と書いてあるように、もう普通に原発は日本の総意だった。

みんな東京電力を批判してるけど、違う。
悪いのは、1億3000万人の日本人という民族だ。


もう日本に生まれたのだから、そのことを嘆いても仕方ない。
内戦が起こる国に生まれたら内戦を生き抜くしかない。

最低限、被曝しても影響を最小にする努力だけはしておきたいし、せめて僕の知り合いだけはそうして欲しい。

幸い、僕が原発について熱く語った時に耳を傾けてくれた2人の夫妻はどちらとも広島と宮崎に奥さんと子供をすでに避難させている。

首都圏にいる人も、最低限の努力をしていただければと思う。

以下、すでにメール送った人には内容が重複するけど、もう一度書きます。

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とりあえず、原発事故で最悪と考えられるメルトダウンは今のところ避けられているようですが、やはり福島原発付近の方々は被爆したようです。

決して不安を煽るわけではないんだけど、以下の文章は「簡単にできるんだし、最低限万全を期していた方がよくない?」ぐらいの話で、参考までに以下に文章添付します。

(以下)

首都圏に飛んでくる放射能で、特に症状が出やすいのは、放射性ヨウ素による甲状腺異常です。
体内のヨウ素は70〜80%が甲状腺にあるため、放射性ヨウ素た体内に入ると、甲状腺に集まって、
やがて甲状腺ガンを引き起こします。特に、若い人の発がん性が高くなります。
 
「甲状腺ガンから身を守りたい」
チェルノブイリ原発事故で甲状腺の異常が増えて、甲状腺ガンが20年経っても減らないことは前にお伝えしたとおりです。
これに対する対策は、放射能を帯びていないヨウ素を先に体内に取り入れて、放射能が飛んでくる前に甲状腺をヨウ素で飽和させておくことです。
  
体内に取り込むヨウ素は、一定量以上になると蓄積できずに排泄されるので、それを利用して放射性ヨウ素の被害を避けることが出来ます。
もちろん、第一の対策は防塵マスクで放射能を体内に入れないことで、これが最も重要ですが、さらに防御する意味で、日常的にヨウ素を多く含んだ食品を食べるように意識しつつ、放射能の危険が迫ったら、間に合うようにヨウ素をとれば有効な訳です。
    
「手っ取り早く」はヨウ素剤
ヨウ素を体内に取り込むのに手っ取り早い方法は、ヨウ素剤です。服用のタイミングは、放射能に襲われる直前がベスト。被ばく後でも3時間後で50%の効果があるとされています。
原発から半径8〜10Kmの自治体では、法令に従って、錠剤のヨウ素剤を備蓄しています。
それ以外の地域では備蓄していないので、前もってインターネットで販売されている物を買っておきましょう。小さいお子さん用に、液体状にして飲めるキットも売られています。
ただ、ヨウ素に過敏な体質の人は、錠剤を飲むと発疹などの副作用が現れることがあるので、用量、用法には注意が必要です。
   
「食品で取るならトロロ昆布」
食品でヨウ素をとるなら、副作用の心配はありません。特に多くヨウ素を含む食品は昆布で、ワカメの4倍くらい多く含んでいます。
普段から、昆布などの海草類をよく食べるようにすると共に、原発で事故が起こったと知ったら、食べやすいトロロ昆布などを多めに食べるのが、無理のない、健康的な対策です。
トロロ昆布は、乾いたまま一度にたくさん食べると腸内で膨張して危険なので、お吸い物などに入れて食べましょう。
「ヨウ素をたくさん含む食品ベスト10」
乾燥昆布一切れ1枚1グラム
トロロ昆布大さじ販売1グラム
乾燥ワカメ5グラム
いわし中2匹96グラム
さば1切れ100グラム
かつお1切れ100グラム
焼き海苔10枚3グラム
ぶり1切れ80グラム
塩鮭1切れ60グラム
寒天1角の半分4グラム

※万が一の時にはまず、防塵マスク、ぬれタオル・ハンカチで口鼻を覆って、吸い込まないように。

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上にも書いてる通り、ヨウ素というのは基本的には原発周辺の小学校で配られたりするもので、周りの薬局では手に入らない。

食物だって基本的にこの先手に入るかどうかわからない。

んで、無視してくれていいんですけど、一応書くとイソジンにはけっこうな量のヨウ素が入っています。

基本飲むものではなく消毒液なので胃は荒れるみたいだし、健康にはよくないみたい、さらには効かないという説もありますが(以下リンク先)、効かないって言われたって、だったらどうすればいいの?という話で、現実的に自分の周りでヨウ素を手に入れる方法は1択なんだから、それしかないんじゃない?
考え方は人それぞれでしょうけど。

何もなかったら馬鹿にされるだろうけど(ここまで放射能漏れてて誰も馬鹿にしないか)、11日の地震直後から僕と彼女は毎日イソジン摂取しています。

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イソジン飲んで体調崩したりしても恨まないで下さいね。
つか、普通に考えれば食品から摂取するのが常識的でしょう。

この知識人によるまとめサイト見て各々で判断して下さい。

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【※追記!】

>現実的に自分の周りでヨウ素を手に入れる方法は1択なんだから、

嘘!

ごめんなさい。

ネットでサプリ普通に売ってます

当たり前の話ですが、すげー売れてるみたいですね。

早めの購入をば。

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All hell can't stop us now.

people_of_the_sun at 08:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)反原発