2005年10月

2005年10月21日

ドイツ旅行記 vol.8 さよならドイツの巻

無駄に長編になったドイツ旅行記もこれで最後となります。

■14日目(TUE):

朝起きて朝食食べてチェックアウト。

この日は、本来ベルリンとフランクフルトの間にあるドレスデンという街に寄って帰る予定だったのですが、出発駅の名前を間違えるという凡ミスの為、あと2,3分のところでドレスデン行きの電車を逃す。

そもそもドレスデンには、前日に移動し宿泊する予定だったのですが、ドレスデンに3軒あるユースホステルにすべて満室だと言われ(そのうちの1軒は400ベッドもあったのに、そんなことあり得んの?)宿泊を諦めた街でもあり、ここまでくるとドレスデンに拒否られてるとしか思えず、もうこの街に行くのはやめました。

というわけで、どこにも寄らず直でフランクフルトへ帰ることに。
14時頃到着。
これがこの旅5度目のフランクフルトで、ここまでくるとホームに帰ってきたなあという気分です。

宿にチェックインした後、フランクフルトダウンタウンへと繰り出し、ハリファックスでお世話になった方達にお土産をまとめ買い。
自分用には石川さんお奨めのドイツ製の鋏を買いました。

夜は、宿で出会った、建築を勉強しに来た日本人の子と一緒にドイツ最後のビールで乾杯。
ちょっと熱いトークなどをした後、宿に戻って就寝。

■15日目(WED):

飛行機がお昼の12時に離陸の為、早起きして朝食、けど、なぜかその後だらだらして9時頃チェックアウト。
10時頃空港到着。

この日空港にはなんと、仕事がないにもかかわらずドミニクがわざわざ見送りに来てくれました。
この時気持ちが寂しいモードになっていたこともあり、すごく嬉しかったです。

彼女到着の日、彼女を待ちながら話していた時、次の日ドイツでは総選挙があると言っていたので、そういえばあの結果はどうなったの?と、聞いたら、2つの大きな政党がどちらも十分な座席を確保できず、今は政府がいない状態だ、と言っていました。

あの後どうなったんだろう、と、今ネットで調べたら、まだごちゃごちゃやっているようですね。

11時30分頃、ドミニクに別れを告げて搭乗口へ。
何事もなく飛行機は離陸し、2週間お世話になったドイツにお別れ。

7時間後、何事もなく飛行機はカナダへと到着したのでありました。

預けた荷物を拾って、出国審査、カナダ入国。
と、ここまではいたって普通だったのですが、最後にプチ落ち。

入国後、今回なぜか税関で止められたのです。
カナダにいながらドイツに行くという行為に問題があったのかなんなのか、皆がスイスイ出て行く中で、いきなり止められ、バッグの中身を見せろ、ということ。

めんどくさくて税関用の紙には酒・タバコのところにNOと書いたのですが、実際ワインとタバコを持っていたので、まずいかなと、びびりましたが、少量だった為問題なく、その他の荷物は至って普通だったので大丈夫だろう、と、思っていました。

しかし、最後に目をつけられたのは医薬品袋。
というのも、これからカナダの冬の寒さで風邪をひくこともあるだろう、と、彼女に日本製の風邪薬等を大量に買ってきてもらったのです。

それに目をつけられ「なんでお前こんなに薬が必要なんだ?」と攻められ始めたのです。
なんとなく、途中からこの人はドラッグを疑ってるんじゃないか、という気がしてたので、事情を懸命に説明しました。
それでも彼の疑いは晴れず、医薬品袋の中身を一つ一つチェックされることになりました。
瓶に入ってる錠剤は、いちいち中身を出してチェックされ、瓶の上に詰めているビニールの理由まで問われました。

薬の表示は当然日本語なので、彼は僕に一つ一つの薬の目的を説明させます。
その度、それは下痢止めだ抗生物質だ、ムヒを出されれば肌を掻く真似までしてその効用を説明しました。
かなりの量があったので、お互い疲れ果てるぐらい説明し尽くして、ようやく終わった…、と思った頃に、謀ったように登場したのが『フェミニーナ軟膏』です。

これは、カナダ横断旅行出発前、彼女が、旅行中何日もお風呂に入らずに、おちんちんがかぶれたりすることもあるだろう、と気を利かして買ってくれたものです。

別に効用を詳しく説明する必要はないと思ったので、適当に虫刺されの薬、ぐらいで説明しようと思ったその時、彼が大きな声で言いました。

「は?Vagisil?Vagisilってお前、なんでお前がVagina用の薬が必要なんだ!!」

え!?なんでいきなりわかったの!?と、パッケージを覗き込んだら、余計にも英語で『Vagisil』としっかり書いてあるではないですか。

「もう、今まで他の薬は全て日本語表記しかなかったのに、なんでよりによってフェミニーナ軟膏だけ英語表記してあるんだよ!」というやり場のない怒りと共に、シーンと静まりかえった税関で彼があまりに大きい声で話すので、周りの人達はみんなこっちを見てるし、あまりの恥ずかしさに顔が熱くなっていくのを感じました。

周りの女の人達の視線が恥ずかしくて「いや、なんつーか、わかるだろ…」みたいにお茶を濁して説明しようとしたのですが、彼はそれを許さず、結局「カナダを横断してる時に、ペニスが…」などと完璧に説明し、その説明後、ようやく解放されました。

もうカナダなんて大嫌いだ!と、叫んだような叫ばないような感じで税関の門をくぐり、2週間に渡るドイツ旅行がこれにて完結したのであります。

【了】

そして現在、あの旅から1ヶ月が経過しようとしています。

とりあえずビザの切れる来年1月まで、ハリファックスへの滞在を決めました。
その中で住居を探している間に、なにがどうなったかわかりませんが、中国人3人と僕1人でルームシェアをすることになり、現在一月150$の家賃で暮らしております。
自分の人生に中国人3人と同居する未来があろうとは想像もしていなかったので、めちゃ笑えたし、今はとにかく毎日楽しく過ごしています。

ただひとつの悩みは、現在職を探しているのですが(お金をもらっても、日本料理屋の皿洗いなんて死んでもやりたくないので、ボランティアの仕事を探しています)、2週間前に申請した返事が未だこず、毎日やきもきして過ごしています。

言ってみれば、この1ヶ月間、カナダ・ニートをやってます。
ほんと、暇ほど耐えられないことはなく、今はもう一刻も早く働きたいです。

次の書き込みでは、もう少しまともな未来が書き込めるよう心の底から願ってます。祈

本日は以上です。

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2005年10月20日

ドイツ旅行記 vol.7 野口さん頑張れ!の巻

あまりにも長い期間書き続けているので、だいぶ息切れしてまいりました。

■12日目(SUN):

この日の予定はベルリンマラソン出走の金メダリスト、野口水木しげるさんの観戦です。

朝起きて食堂で朝食。
食堂にはベルリンマラソンへ出る人達もいて「ベルリンマラソンに出る選手もユースホステルに泊まったりするんだなあ。」と驚きました。

マラソンの発走が9時だということで、8時頃宿を出発。歩いて向かったら20分くらいでスタート地点に着きました。
そうして発走までの間の30分ちょっとの間、場の雰囲気を楽しんでいる中で、自分の間違いに気が付きました。

僕はスポーツに疎いので知りませんでしたが、ベルリンマラソンってアスリート達がしのぎを削るようなマラソンではないんですね。
そういうのではなく、ホノルルマラソンみたいに市民参加型のマラソンだったんです。
野口みずきさんとかのプロがメインではなく、市民マラソンのおまけとして(盛り上げ役として)プロが混じってる、っつー感じでした。
つまり、ユースホステルにベルリンマラソンに参加する人達がいても何も驚くことなどなかったのです。

スタート地点前は超混んでるんだろうな、と予想してましたけど、実際2,3列ぐらいしか人垣はできてなくて、けっこう近くで野口さんを見れました。
1枚写真を撮って、まだ時間があったのでその場を去り100Mぐらい離れた比較的空いてる場所に陣取りました。
朝9時、「3,2,1 GO!!」とかいうクラブのDJみたいな合図でベルリンマラソンスタート。
カメラ構えて待ってたら、とんでもない勢いで野口さんが過ぎ去っていきました。

野口さんが過ぎ去ったあと、あ、と後悔したのは、この時せっかくなんだから「野口さん頑張れ!」ぐらい言えば良かったな、と思って。
なんかベルリンマラソンを観るという目的しか頭になかったので、ぼけーっと観てましたが、日本からこんな離れた場所で日本人選手が頑張ってるんだから、一声ぐらいかけてあげればいいのに、と、その後30分くらいずっと後悔してました。

ベルリンマラソンにおいて驚いたことは、野口さんらプロの発走後、一般の人達もクラブDJの合図で走り始めたのですが、スタート直後に大勢の人がコースから外れて、道端で立ちションを始めたこと。
別に仮設トイレが足りてないようには思えなかったけど、なんでスタート前にやっておかないのかが謎でした。

さらに驚いたのが、そのうち、若い女の人までコースから外れてきたのです。まさか…、とは思いましたが、やっぱり、ぺろーんとズボンを下げて座りション。
いやはや、ベルリンマラソン出走のテンションがそうさせるのか、ドイツ人はこういうのを気にしないのか、どっちかわかりませんが、プチカルチャーショックでした。

ある程度見届けた後、スタート地点の近くにあるドイツ連邦議事堂などを観光。
見終わって外に出たら、だいたい1時間半くらい経っていました。
前日ヤフージャパンで発走時間を調べた時、2時間19分50秒の渋井なんちゃらの記録を抜く抜かない、と書いていたのをそこで思い出し、スタート地点とゴール地点が一緒だから、せっかくだからゴールも見るか、と思いゴール前待機。

僕は人を顔で判断するタイプで、渋井の顔は嫌いなので、せっかくだから渋井の記録を抜いてほしいなー、と思って観てましたけど、大型ヴィジョンの映像を見る限り19分までにゴールに入る感じは全然しなかったので、「ああ、今日は野口さん体調悪かったんだなあ…」と、残念、かつ同情してました、が、しかし、野口さん、とんでもないスピードでみるみるうちにゴールに近付いてきて、結局は19分十何秒かでゴールしてました。
なんかちょっと感動しました。

記録達成できず、と思った時はやっぱり声かけておけばよかったなあ、と、再度後悔しましたけど、記録達成したら、変に声かけなくてよかったなあ、と思いました。

野口さんのゴール後もしばらく、ベルリンヴァイセンというビールをカクテルで割ったベルリン名物を飲みながら、残りの人達を観てました。
ストローでベルリンヴァイセンを飲んだ為、酔っ払いました。

この時点でだいぶ達成感なのですが、実はこの時まだ午前11時半で、1日はまだまだあるわけで、そこからペルガモン美術館という有名な美術館へ。
その後、今若者の間で熱いというミッテ地区へ。

それでもまだ時間はあったので、ベルリンの壁を未だ残しているという場所(博物館?)へ。
その前に、その途中にあった美術館で写真展をやっていたので、これも見て、そして壁を見学。

さらにユダヤ人博物館が22時までやってたのでユダヤ人博物館へも。

さすがにへとへとになり、0時頃宿に戻ってシャワーを浴びて即寝る。

■13日目(MON):

この日の予定はポツダム観光です。そう、あのポツダム宣言のポツダムです。

ポツダムはベルリンから20分くらい電車に乗れば行けるので、宿はベルリンに取って日帰りポツダム旅行へ。
この日は今回の旅行の中で2回目の雨でしたけど、傘買って歩きはじめたら1,2時間で雨は止んで晴れました。
シュトゥットガルトで雨に降られた時も30分くらいで止んで晴れましたので、ドイツの天気は変わりやすいようです。

一応ポツダムには二つ見所があります。
1つは世界遺産のサンスーシ宮殿、もう1つはポツダム宣言を採択したツェツィエンホーフという場所です。
当然、興味があるのはポツダム宣言の方でしたので、かなり遠かったけど歩いて向かう。

昔、世界史を学んだ時に、ヤルタ会談だとかテヘラン会談だとかで、まだ戦争が終わっていないにもかかわらず、戦勝国側はすでに戦後の領土の分配などを決めていた、という事実を知り、むかついた記憶はないでしょうか?僕はあります。

ここ、ポツダム宣言を採択した建物も、拍子抜けするほどのどかな場所に建っています。
それとこれが関係があるかどうかはわかりませんが、『ポツダム宣言』とか言って日本では死の宣告みたいに思われているこの宣言を、いかに戦勝国側は余裕で採択したか、この建物からわかったような気がしました。
こんな建物で行なわれた会談の4日後に広島に原爆が落とされたなんて、なんつーか、むかつきます。

いつの日かここでナショナリティとか、戦争論とかを書きたい気がするようなしないようなですが、はじめに断っておきたいのは、右か左かで言えば、僕は右です。

この後は普通にベルリンへ戻る予定でしたけど、時間も中途半端だったので、もう1つの見所サンスーシ宮殿も見ることに。

普通に良かったけど、この時腹減りまくりまくりで、建物のことより飯のことばかり考えてました。

見終わって、少し歩いたところに中華料理レストランがあったので即入店。
そこでビールを頼んだら、ポツダムビールが出てきて、こんな小さい町にも(たしか人口10万人ほど)オリジナルビールあったんだ、って嬉しくなりました。

後はベルリンに戻ってきて、ベルリンには西と東に大きい駅があるのですが、いつも西の駅しか使っていなかったので、東の駅はどんなもんだろう、と、降りてみたけど、旧東ドイツが香るなんもない駅でした。

宿に戻って寝る。

うー、今日も書いたー。あと2日でようやく終わる。少し感慨深い感じ。

本日は以上です。

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2005年10月19日

ドイツ旅行記 vol.6 Go to Berlin

一昨日、ドイツ旅行の写真を現像しました。旅の感動を思い出してもうひと踏ん張り。

■10日目(FRI):

一人旅再開。
朝起きて朝食、その後だらーと宿ですごした後、10時頃ようやく出発。
ドイツ旅行残り5日間は、首都ベルリンのあるドイツ北東部に向かう予定で、この日の目的地はフランクフルトとベルリンの間にあるライプツィヒです。

11時頃、フランクフルト中央駅を出発したのですが、週末のせいか、それともベルリン方面行きだからなのか知りませんが、電車は乗車率150%のぎゅうぎゅう詰め。
発車10分前に着いた僕など座席に座れるはずがなく、通路にぎりぎりスペースを見つけ、そこに安座しました。
ドイツ北東部の景色は今まで見てきた景色とどう違うのか興味がありましたが、この状態で外の景色など望める筈もなく、ライプツィヒまでの3,4時間ただただ丸くなって寝てました。
ドイツの電車は3ユーロだけ払えば席の予約ができるので、週末に長距離を移動する場合は絶対に予約した方がいいと思います。

14時半頃ライプツィヒ到着。

着いて、まず宿を探そうと30分くらい歩いてすぐに、この街は今まで訪れた街とはまったく違うことに気付きます。
理由は簡単です、この街は旧東ドイツだったからです。

違うと言っても、中央駅は普通に近代的な駅だし、ダウンタウンの発展具合も他の街とほぼ一緒。一見したら、今まで見てきた街と特に変わりはないです。
それでは何が違うかというと、なんつーか無意識レベルに訴える、割れたガラスが放置されている建物だったり、通りを歩いてる人種の微妙な違い、路上で演奏されている音楽、通りのスプレーの落書きに芸術性がなく本当にむかついて描いてる感があること等々、そういうどうしようもないことの一つ一つが今までの街と全く違うのです。

旧東ドイツだという先入観がそう見せているのでなく、もう明らかに街を包んでいる空気の色が違いました。
ある意味、日本人が昔から持っているドイツのイメージに一番近いのはこの街。小さい頃からテレビで見せられていたドイツがこの街にはありました。

宿にチェックインした後、街を散策。
その途中、明らかに共産主義時代に建てられたと思われる無機質な建物、あと、今まで見たことのない柄の屋根を持った教会(ロシア正教?)を2枚写真に撮りました。

しかしながら、当然街には大戦前の素敵な街並みも残っているわけで、自分の中で『こういう街』という結論が出せず、気持ちがモヤモヤしました。

夕食に練り物系の苦手なソーセージを食べて、就寝。

■11日目(SAT):

ライプツィヒの宿は、朝食別料金だったので朝食は食べずにチェックアウト。
荷物を宿に置かせてもらって、午前中は再度ライプツィヒ観光。

昨日の印象が強かったので、近代史博物館へ。
できるだけ理解を深めようと、かなりじっくり見ていたせいか係員の太った汗っかきのおじさんに気に入られ、すごい丁寧に案内してもらいました。

その後は、この街で生まれたバッハのお墓がある教会などをベタに観光。

昼過ぎにベルリンへ出発。
1,2時間後ベルリン到着。

訪れる都市の大きさは、その都市に着く前に歩き方に載っている人口を見ればだいたいわかります。
今まで訪れた街ではミュンヘンが唯一の100万人都市で、ミュンヘンにはそれなりのパワーがありましたので、ベルリンの人口300万人というのを見て、一体どれだけすごいんだろう、と到着前はかなりびびってました。

さらに地球の歩き方には爛戰襯螢鵑呂い弔眷い鼓動に包まれている瓩覆鵑峠颪い討△襪ら、NY並みの衝撃を期待してたのですが、第一印象は、あれ?という感じです。
この感じはライプツィヒの感じに少し似てます。無機質というか、華がないというか、なんつーか街に躍動感がないんです。

ただ、ひとつ注釈をつけなくてはいけないのは、それはベルリンを訪れた目的の1つでもあるのですが、実はこの次の日の9月25日ベルリンマラソンが開催されるのです。
それに伴い、前日から既にローラーブレードマラソンみたいなのが開催されており、街中の交通が制限されていたので、その分印象が薄かった、というのはあると思います。

宿にチェックインして、夕ご飯を食べてと、もうだいぶ時間は遅かったのですが、壁博物館というのが22時まで開いていたので、今日二つ目の博物館へ。
入り口で学生割引が使える使えないで言い合いになり(学生じゃないけど)ブルーになりましたが、とりあえず学生料金で入場。

博物館には、壁を越えた人達の成功談や悲しい失敗談、壁を越えるための手作りの気球や、強行突破して銃弾を受けた車などが展示されていました。
昔から、そういう人達がなぜ死のリスクを犯してまで壁を超えようとしたのか疑問でしたが、今は普通に理解できました。
最後にナチスの映像をドイツ語で1時間ぐらい観て、歩いて宿に戻りました。

到着前あれだけ恐れていたベルリンの夜は、全然危険性の感じない、ぼけーっとした夜でした。

本日は以上です。


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2005年10月14日

ドイツ旅行記 vol.5 そして彼女帰国

旅の山場は終わったので、だいぶ楽になりそうです。

■8日目(WED):

朝は、当然頭が割れそうな二日酔い。
彼女が買ってきてくれた水を飲み、寝て、起きて、頭いてーと言って水を飲み、また寝る、を繰り返す。

その間も彼女は元気はつらつで一人でホテルの朝食を食べ、絶賛。
あまりにも絶賛するので、10時過ぎ強引に朝食を食べてみることに。気持ち悪かったけど、たしかにおいしかったです。
食べたら少しは良くなるかと思ったけど、いっこうに頭痛治まらず。

しかし、彼女がドイツに来て以来、朝食を抜かして昼・夜と毎食飲んでいたので、「ここまできたら毎日飲み尽くしたい。」という無駄な目標を立てていた為、バファリンを飲んで頭痛を治し、結局昼に1リットルジョッキを飲みました。

バファリンを飲んだ後、11時ようやくミュンヘン観光へ出発。

ミュンヘンは『オクトーバーフェストの開催地』程度にしか考えておらず、街にはなんの興味も持っていなかったのですが、結局街並みで言えば僕の訪れた都市の中では一番素敵な街でした。
活気もあって街も洗練されているし、そういうドイツを観光したいならミュンヘンが一番良いと思います。

この日は買い物がメインだった為、ほとんど時間を買い物に費やす。
カナダに来た時は全くショッピングに興味を示さなかった彼女が、ドイツでは買い物魂にめちゃ火がついてましたが、気持ちはわかります。
売っている品がカナダのものとは比較にならないほどおしゃれだし、まず基本的にドイツはマネキンがおしゃれ。街行く人も当然皆おしゃれで、レベルの違いというものを今回まざまざと見せ付けられました。

お昼ご飯は、歴史の舞台になったという(ヒトラーの『我が闘争』にも出てくるとか)ホーフブロイハウスというレストランでミュンヘン名物白ソーセージ。
白ソーセージは、皮が硬いのでナイフで皮を割いて中身を取り出して食べるのですが、基本的に僕は練り物が嫌いなので(いわしの練り物とか嫌い)こういう感じの食べ物は「うえ」となるし、彼女は甘いマスタードに嫌悪感を示し、とにかく二人とも白ソーセージは駄目でした。
ただ、この店の雰囲気とビールは良かったです。

そして買い物。宿に戻ってファッションショーをした後、再度オクトーバーフェストへ。
さすがに2日目は初日ほどの感動はありませんが、このテリトリーに入っただけで気分は高揚します。

前日のような失態は犯したくなかったので、小さな出店でポテトやらチキンやらをバラバラと買い、それを食べながら1リットルジョッキをゆっくりゆっくり飲む。
それでもやっぱり酔って、前日の感動再び、と、またも絶叫マシーンに乗りました。やっぱり酔って乗ると変な感覚でした。
そしてビール、そしてジェットコースター、とやってるうちに彼女は気持ち悪いを連呼してました。

結局、この日も会場が閉まる0時頃まで飲んで会場を去りました。
入り口付近では外人が喧嘩してました。

■9日目(THU):

彼女が日本へ戻る日。
飛行機は夜21時発とは言え、万が一のことを考えて朝の10時過ぎにはミュンヘンを発ち、フランクフルトへ。
4,5時間後フランクフルト到着。僕はこの時すでにフランクフルト4回目です。

フランクフルトではこの時期、車の展示会(メッセ)をやっていました。
メッセ開催中はビジネスマン目当てにフランクフルト中のホテルの値段が跳ね上がります。
その為、彼女がドイツに来た初日に泊まったホテルは通常60ユーロほどなのですが、メッセに関係のない僕らもそのしわ寄せをもろに喰らって173ユーロも払わされました。
これでメッセを見なかったら、なんか損をした感じがするので、車に興味はないけどメッセを見てやることに。

と、言ってもやはり興味はないので、いまいち気分的に盛り上がりませんでした。
ただ、ポルシェとかフェラーリとかロールスロイスとかの超高級車は、さすがにすごいなーと感じました。
あと謎にダイハツの車が良かったです。

時間もなく、あまりにも広かったので半分も周りきれずに退散。
最後フランクフルトをちょっと見て、フランクフルト空港へ。

飛行機の出発時間まで少し時間があったので、茹で過ぎのミートソーススパゲッティとラストビールで乾杯。
その後だらだら話して、彼女離陸の15分くらい前まで出国しなかったので、大丈夫かな、と少し心配になったけど、ちゃんと飛行機に乗れたようです。

アフリカの子供にチョコレートをあげちゃいけないのは、一度その美味しさを知っても、その後チョコレートを食べることはできないので、その子が余計苦しむだけだからです。
僕も同じようなもんで、一人旅の途中に二人で過ごす楽しさを1週間だけ知って、だがしかし、その後は会えないという、アフリカの子供にチョコレート症候群にさいなまれ、なんかすごく寂しかったです。

22時頃宿に戻って、洗濯をして、しかし洗濯機が壊れたりして、深夜2時頃就寝。

あと少し、あと少し。10日目に続く。

本日は以上です。

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2005年10月12日

ドイツ旅行記 vol.4 そしてオクトーバーフェスト

早くしないと、旅行から1ヶ月経ちそうな勢いです。

■6日目(MON):

朝チェックアウト。旅の予定は、すべて昼頃チェックアウトのつもりで作っていたので、この日も当初の計画よりだいぶ時間が余った為、急遽ケルンから1時間ほど北に向かった場所にあるデュッセルドルフという街に行くことに。
この街へは、地球の歩き方にフランスやベルギーより評価されているというチョコレートを売る店があるというので、そのチョコを買う為に向かいました。

理由はわからないのですがデュッセルドルフには日本人がいっぱい住んでいて、その為日本料理屋がたくさんあり、その中にラーメン屋もあったので、そこで今年の1月以来となるラーメンを食べました。
高かったけど日本で食べてもうまいと言える代物で、特に僕は食文化発展途上国のカナダに住んでいる為、なおさら美味しく感じました。

その後、チョコレート屋でこの店の売りであるシャンパントリュフを大量買い。二人ともドイツ土産はほぼここで済ませました。
電車の中で自分達用に買ったシャンパントリュフを食べたら、うん大変おいしかったです。

ドイツ版新幹線ICEで一気に南下。
ケルン、フランクフルトを通り過ぎ一気に本日の宿泊地ニュルンベルクへ。

この街の名物は、ドイツ人が一番うまい、と言う(ドミニクも言ってた)ニュルンベルクソーセージです。
この小指大のソーセージを食べたいが為に、サッカー好きの彼女の「ドイツでサッカーの試合を見たい。」という希望を無視し、この街の宿を予約したのです。

デュッセルドルフに長居した分、予定よりだいぶ遅れて夕方ニュルンベルク到着。
と言っても、この時期ドイツは10時頃まで十分明るかったので夕方からでも十分観光できます。
ニュルンベルクは地球の歩き方で“おもちゃ箱のよう”と形容されるくらい可愛らしい街で、さらにちょうどこの時旧市街祭りがニュルンベルクで開催されていた為、街には活気があって、本当におもちゃ箱のような愛すべき街でした。
そんな愛くるしい街でも、第二次大戦で街の90%以上が破壊された、という事実を知ると、人間の復興する力というものにも感銘を受けざるを得ません。

夕ご飯はニュルンベルクソーセージを出すレストランへ。
まずは地ビールで乾杯。ここのビールはビール酵母がたっぷりで、濁った感じのビールでした。
そして、ついにニュルンベルクソーセージの登場。
実を言うと、ニュルンベルクに着いた時点で、あまりにハイペースでジャーマンソーセージを食い過ぎていた為、街を歩いていてソーセージの匂いが香るだけで「おえ、」という状態になっていたのですが、しかし、ここのソーセージは全然食える。うまい!

炭火で焼いて油を落としてる分、あっさりしていて、スイスイ食べれるし、ビールもうまかったので各自ソーセージを6本頼んだ後、さらに追加で6本頼みました。
ただ、食べてる時に二人とも、これって何か日本の食べ物に味似てるよねと話していて、結局焼肉に似てるような気がしたので、焼肉ということで一応の決着を見ましたが二人とも何か違うような気がしてました。
しかし、その5分後彼女が突然、「これ、焼き鳥だ!」と叫びました。
言われた後、食べてみたら、たしかにこれ、超焼き鳥。

この時、雰囲気のいいテラスで飲んでいたので、なんか焼き鳥だと認めるのがいやで、「たしかに味は焼き鳥に似てるけど、ニュルンベルクソーセージはニュルンベルクソーセージで独自の味だ。」などと、謎の抵抗を見せましたが、いや、どう考えても焼き鳥でした。

■7日目(TUE):

朝食を食べてチェックアウト。夜ミュンヘンに向かうまで、まだまだ時間があったのでニュルンベルク観光。

ニュルンベルクには実はソーセージ以外に、もう一つ訪れた目的がありました。
そう、ここニュルンベルクでは東京裁判と共に二大国際軍事裁判 と言わるニュルンベルク裁判が行われたのです。
僕はどうしてもこの裁判所を訪れてみたかったので、あまり乗り気でない彼女を強引に引き連れ出発。

地下鉄に乗って向かったニュルンベルク裁判所では、当時のショートフィルムを上映してるとのことでしたが、それは土曜日曜だけで、むしろこの日は閉館してました。
ただ、裁判の行われた600号法廷やショートフィルムは見れなくてもいいから、中だけ見させてくれないか?と頼んだら、それならいい、と言うことで無料で中に入れてくれました。

結局ここでもついてたのが、建物があまりにも広いので600号法廷の場所がわからず廊下を歩いてた女の人に場所を尋ねたら、親切にもわざわざ600号法廷まで案内してくれて、そしたら本来この日600号法廷は閉まってるはずが、たまたま清掃中で扉が開いていて、女の人が入っていいか尋ねたところ、掃除のおばちゃんがいいと言い、結局中にも入れました。
そして、この女の人に、ここは元裁判所ではなく現在も普通に裁判所として機能していることや、部屋は昔はもっと大きかったこと、室内の銅像の意味、ドイツの戦犯がどこに座ったかなど、詳しく教えてもらえて本当についてました。
「戦犯の中で一番有名な○○(名前忘れた)が座ったのはそこですよ。」
と、指を指された場所が、自分の2,3メートル前にあって、たった50年前、ここにその人物が実際座って呼吸をしていたと考えたら思わず息を飲みました。

その後は、ナチスの党大会が行われていた会場跡へもどうしても行きたかったので、時間もだいぶ過ぎていて彼女も早くミュンヘンに行きたそうでしたが、強引に出発。

しかし、やはり時間はなくて、来るのが遅すぎだと、一度入場を断られたりもしましたが「すぐ周るから。」と頼み入れてもらいました。
現在は、この場所は博物館にもなっているのですが、展示品を見ている時間などないので、まっすぐ党大会スタジアムへ。
映像で見たらめちゃでかいスタジアムに見えましたが、実際見たらけっこう小さかったです。
記念撮影の時にヒトラーの真似をしたら、彼女に不謹慎だと言われました。

そこから、ついについに今回の旅行のメイン、オクトーバーフェストの開催地ミュンヘンへ。

僕のわがままのせいで、予定よりだいぶ遅れて夜8時頃ミュンヘン到着。
予約していた宿はタイのパッポン通りみたいな所に建っていてちょっと気まずかったですが、この時期ヨーロッパの旅人の間ではオクトーバーフェストの話題で持ちきりで、その中にはどこも満室で宿が取れなかった為、オクトーバーフェストを諦めると言っている人もいたぐらいでしたから、贅沢は言ってられません。
チェックインをした後、夕ご飯に激ウマピザを食べて、会場へ。

この時は、もう夜の9時頃でしたから、いい感じで会場から流れてくる人達の流れに逆らって歩くこと20分、ついに会場到達。

この、会場へ着いた瞬間の衝撃は今でも鮮明に思い出せますが、なんて言ったらいいんだろう、想像を超えたという表現しかないと思います。
とにかくただビールを飲む為にここまでしてるとは想像していなかったのです。オクトーバーフェストについての何の知識もなかった人間が、どうして会場に遊園地があることなど想像できましょうか。

これは一度見て下さいとしか言いようがないな、とこの時考えていましたが、彼女が友人に送ったメールの表現が秀逸だと思ったので引用します。
『岩手大学の敷地内に遊園地や岩手県民体育館がたくさんあって、その全ての建物の中に人がぎっしり入ってビールを飲んでいる。』
わかりにくー、という人もいると思いますが、兎にも角にも雰囲気はこんな感じです。

そして、飲みの会場であるテント(と通常表現されてますが、ほぼ体育館です)に入った時の、人々の話し声が地響きのように響いているあの熱気よ。
中央で音楽が演奏された途端、体育館の中の全員が歌い始めた時は一種の恍惚感を覚えました。
さらに表現しようとしたら形容詞だけでいっぱいになってしまいますので、とにかく一度体験してほしいです。

まずビールを飲まなくては、ということで着席しビールを注文。この日は隣に座っていた60歳ぐらいの年配の方々と一緒に飲むことになりました。
会場の人数を考えたら、さもありなんと思いますが、何度も注文されないようにビールジョッキは超特大。最初、2リットルは入ってるんじゃないかと思いましたが、実際は1リットルジョッキでした。これが1杯、1000円くらいします。

ドイツの若者は、ほとんど英語が喋れますが、年配の人たちはほぼドイツ語しか話せないので会話は大変でしたが、酔っ払えばなんとか意思疎通ぐらいはできました、と言うよりも、途中から僕記憶ないですけど。
というのも、当初会場は夜通しで開いてるものと思っていたのですが、意外にも11時に閉まるということで、1時間ちょっとの間に急いで1リットルジョッキを2杯飲まなくてはいけなくなったのです。
たかだか2リットルで?と思う方もいると思いますが、この時知らずに飲んでいたのですが、オクトーバーフェストではオクトーバーフェストビールという通常よりもアルコール度数の強いビールが出されていて、さらに後から知った情報では今年は例年より強く作ってあるらしく、まあとにかく普通のビールではなく、この夜、自分でも想像していなかった酔いを見せました。
ほんと、男友達と来てるならまだしも、彼女と二人で来ているドイツ旅行で酔っ払って記憶を無くすとは自分でも予想していませんでした。

それでも端的には記憶は残っていて、特に泥酔状態で『ユーロスター』というジェットコースターに乗った時の感覚は、はっきりと覚えています。
普段はジェットコースターなど怖くて乗らないのですが、よくわかんないけど乗って、そしてこれが全然怖くなったです。というより、この時の感覚は、いまだかつて経験したことのない未知の感覚でした。

その後は、どうしようもなくなっている僕を、方向音痴の気がある彼女がどうにかホテルまで運んでくれて、奇跡の帰還を果たしました。
次の日、再度オクトーバーフェストの会場へ向かおうとした時、彼女が全然違う方向へ進もうとしたことを考えると、この夜無事宿へ帰れたのは本当についてたなあ、と今思います。

や、やっと終わった。
実はこの文章、3日間に渡り合計4,5時間ぐらいかけて書いてます。
ほんとアホ。しかし8日目に続く。

本日は以上です。

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2005年10月05日

ドイツ旅行記 vol.3 パスポートブーメランの巻

まずは1週間分でも書き上げたいです。

■4日目(SAT):

朝起きて、飯食べてチェックアウト。荷物を一時的に宿に預けてフランクフルト観光。

土曜日の朝はマイン川沿いで蚤の市をやってると言うので、見に行くことに。
カナダの冬に備えてそろそろコートが欲しいな、と思っていたら、黒人が店を開いてた一角でめちゃくちゃいけてるコートを発見。
値段を聞いたら30ユーロ(約4200円)ということ。んじゃいいや、と言ったら25ユーロ、いらない、20、いらない、15、と、15ユーロの時点でめちゃくちゃ安いんですが、何故か最後軽く粘って結局14ユーロで購入。
この時はそう思わなかったけど、今考えるとめちゃくちゃいい買い物しました。

そしてこの黒人に日本人が電話で話す「もしもし」の「モシ」はドイツ語ではプッシーのことで、つまり日本人は電話でプッシープッシーと言ってるようなもんだ、と教えてもらいました。
周りの店の人達はみんな笑ってました。

彼女がフランクフルト空港に着くのは18時で、それまでだいぶ時間があったので、フランクフルト市内パスを買って市内観光。
僕のドイツへの興味はオクトーバーフェストとドイツの歴史の2つがメインだったので、この日はフランクフルトにあるユダヤ人博物館へ。
少しは思うところはあったけど、博物館の構成もいまいちだったし、こっちの美術館や博物館ってほとんど英語訳がついてないので、深く理解しきれずにまあまあな感じでした。

あとは市内のちょっとした観光場所を周って、17時頃空港へ。

彼女到着を書く前に、一度話をハリファックスに戻さなくてはいけないのですが、というのも、ハリファックス出発前の2週間ほど、僕はハリファックスのユースホステルに住みながら学校へ通っていたのです。
その時に、部屋が一緒になったドミニクと話していたら、彼ドイツ出身だと言うんです。しかも今フランクフルトの近くに住んでいるという。
興奮してドイツに行くんだ、と話し、どこかいい所ないか、などと話していく中で、どんどん話は盛り上がり、なんとドイツで会うことに。
しかも彼女が到着する日、フランクフルト空港で働いているというので、じゃ空港で一緒に会おう、ということになり、連絡を取り合いながら、結局本当に会いました。

彼女到着の30分前に空港で奇跡の再会、というより、こういうことってやろうと思えばけっこう簡単にできるんだな、と感じながら再会。
二人で彼女の到着を待つ。

ドミニクは空港で働いているだけあり(空港ガイド)、空港のことはなんでも知っていて、彼女の飛行機がどこに降りるかも、彼女がどこから出てくるかも知っていて、そのドミニクが彼女はまだ来ないと言うので、椅子に座って待った瞬間、テクテク彼女登場。
僕ってしばらく会わないと、頭の中で彼女の顔とかどんどん美化しちゃって、実際会うと「あれ、こんな顔だったっけ。」ということにいつもなるのですが、今回はそんなことなかったです。

3人でフランクフルトダウンタウンへ。街のメインであるレーニー広場へ行きジャーマンビールとジャーマンソーセージで乾杯。
この時、奮発して高いビール頼んだのですが、このビール、めちゃくちゃうまかったです。

ドミニクの最終電車の時間がきて、駅まで見送りに行って、見送った後、宿に戻って就寝。

■5日目(SUN):

朝、7時くらいの電車に乗らなくてはいけなかったので、めちゃ早起きして電車に乗り込む。
なんで早起きしなくちゃいけないかと言うと、この日の宿泊地ケルンの宿は15時までにチェックインをしなくてはならず、それまでに『ライン川下り』という予定をこなさなくてはいけなかったからです。

8時頃フェリーの出発地マインツへ到着。
船着場までは駅からけっこう遠かったけど、早朝すぎてバスも走ってなかったので歩いて向かうことに。
その途中、ドイツ3大聖堂に数えられているらしい大聖堂を見て、そして船着場到着。

8時半出航。
このフェリーって、ジャーマンレイルパスを持っているとタダで乗れるんです。
タダだけに、心の奥で勝手に大した事ないと決め付けていて何の期待もしていなかったのですが、この無料クルージングがドイツ旅行のハイライトと言っていいほど最高のひと時でした。

外は少し寒かったけど、甲板の机に陣取り、まったりと流れる船の上でライン川沿いの綺麗な景色を眺めていたら、無性に白ワインが飲みたくなって従業員に白ワインあるか尋ねたら、ある、ということ。

小さなボトルを頼んで、一口飲み干し、あまりのうまさに体がのけぞり、そのまま空に向かってぷーと息を吐き出した時、人生で最高の贅沢を感じました。
値段は当然ぼったくりだけど、まるでお金では買えない価値があったし、結局終点のコブレンツまでにボトル3本空けました。

これは来年ワールドカップ観戦などでドイツを訪れる人にも、イチ押しどころかゴリ押しです。
僕の10日間のジャーマンレイルパスは290カナダドルだったけど、この時点でそのコストは既にペイしてました。

コブレンツ到着。船着場から駅に向かうまでに、なんかお祭りみたいなのをやっていたので、ソーセージなどをつまみながら駅へ。そしてケルンへ出発。

ケルン到着後、まずは宿へチェックイン。そしてケルンの街へ。
ここケルンの売りは当然、ケルン大聖堂です。

しかし、この大聖堂、でかいでかいとは聞いてましたが、本当にでかいです。
しかもケルンのメインステーションのまん前に立っている為、駅を何気なく出ようと思ったら、駅の窓から外にいきなり巨大な大聖堂が見えて、素で「でか!!」と声を上げてしまいました。

実はウルムで世界一高い大聖堂を見たので、そこまで驚くことはないと思ってましたが、やっぱり高いとでかいとは全く別で、例えるならゲゲゲの鬼太郎のでかい城の妖怪(すいません例えてる割に小さい頃の記憶でどんな妖怪だったか定かでないです)みたいでした。
彼女も同じく妖怪とか怪物とかそんなことを言ってました。とにかくそんな感じの印象を受ける建物です。

その後はケルンのレストランでケルンの地ビールケルシュビールと郷土料理を食べ、いい感じに酔って、宿へ、帰る、はずが、その途中で笑えるイベントが。

レストランから宿への帰り道、せっかくだから夜の大聖堂の写真も撮ろう、と、彼女を大聖堂の前に立たせ写真を撮ろうとしたその時、南米系の二人組の男が写真を撮ろうとしてる僕に近づいてきました。
一人がいきなり僕の前に立ち新聞を広げ、その上にお金をくれ、お金をくれ、と言うのです。
しかし、お金をあげるあげないよりも、人が写真撮ろうとしてる時に目の前に立つんじゃねえよ。とそっちの苛つきが強く、わかったからまず写真を撮らせろ、と言っても、金をくれ金をくれと言い続け、謎に自分の手にしたキスを僕にペタペタくっつけてきます(汚ねーな)。
後ろからはもう一人もキスをベタベタ体になすりつけてきます。彼らは、こうすれば喜ぶと思ってるの?とか思いながら、いい加減にせーよ、と喧嘩腰になろうとした時、彼女がもう無視して行こう、と言うので、結局写真は諦めて、帰ることにしました。

しかし、これでまだ終わりではありません。
そこを去り、30Mくらい歩いた所で、また例の二人組みがすごい勢いで近付いてきたのです。
なんなんだよお前ら、という気持ちと同時に、気持ち悪と思って「金はあげねーっつーの」と言おうとしたその時、男の一人が見覚えのある小型ケースを差し出し、いきなりこう言ったのです。

「お前パスポート落としたよ。」

は?

見ると、いつもショルダーバッグの奥に入れてる僕の貴重品入れじゃないですか。

「お前いったいこれどうやったんだよ!」と素で英語が出てきましたが、彼は悪びれる様子もなく、地面に落ちてたぞお前、と言いました。
しかし当然ながら、勝手にそれが地面に落ちることはあり得ません。

しかも彼ら、パスポート拾ってやったんだからお金くれ、とまで言いました。
その時は、そんな戯言に付き合ってる暇はなく、焦ってチャック半開きの貴重品ケースの中身を調べていましたが、ラッキーなことに全て入ってました。
というのも、普段はその中に大金を保管したりもするのですが、今回のドイツ旅行に限り、全部現地のATMから直でお金を引き出していたので、その中に一切お金は入れていなかったのです。

さらに不幸中の幸いだったのが、お金が入っていない以上返してやるか、という善意(?)が彼らにあったこと。
金入ってねーじゃん、ぽい、とされたら、パスポート、帰りの航空券、海外保険等、ケルンのゴミ清掃業者に回収される運命でした。

ショルダーバッグのチャックを開けられてる感覚なんて全然なかったし、なにより向かいで彼女は3人の一連の動きを見ていたにもかかわらず、二人ともいつどのようにされたのか全く検討がつきませんでした。

結局、いつもの運で何も盗まれることはなく、ドイツの一流の技を堪能させてもらうだけで終わり、ほんと良かったです。

帰りの電車で「笑えたね。」と彼女に言ったら「笑えねーよ。」と言われました。

これは来年ワールドカップ観戦などでドイツを訪れる人にも、知っておいてほしいアドバイスです。
『男のキスには気をつけろ』

短くしよう短くしよう、と、思っても、どうしても長くなってしまいます。
本当に馬鹿な事を始めてしまったなー、と後悔しています。

本日は以上です。

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2005年10月03日

ドイツ旅行記 vol.2 世界一高い大聖堂

どうもこんにちわ。旅行熱が冷めないうちに引き続きドイツ旅行記です。

■2日目(THU):

僕、知らなかったのですが、ドイツのユースホステルって必ず朝食付きなんですね。
しかも、けっこういいものが出るんです。

その為、朝、同部屋の韓国人のソンミン(自転車でヨーロッパ横断中)が「早く起きないと朝食の時間終わっちゃうぞ!」と、すごい笑顔で起こしてくれたのですが、二日酔いの為少し苛つく。

朝食なんて普段から食べないし、気持ち悪くて食べたくもなかったけど、物価の高いドイツで1食は貴重なので強引に朝食。
タダだけに、食堂は超混み混みで、しかもさすがに、みんな華のヨーロッパを旅してるだけあって超おしゃれ。
ひとり小汚いパーカーに頭は寝癖でグチャグチャ、髭も剃らず二日酔いでグロッキーな自分が惨めに思えました。

朝食は前日一緒に飲んだ、同じく二日酔いのカナダ人ピーターと食べたのですが、僕がいかにもまずそうな薄いオレンジジュースを試しに飲んでみたら、あまりにもまずくて「おえ!なんじゃこりゃ!」って言って、近くのシンクに吐き出したら、ピーターがものすごく嫌そうな顔をしたのが印象的でした。

ドイツのユースはチェックアウトの時間は、超早くてなんと9時半。きついにはきついけど、必然的に早起きになるので良いと言えば良いです。
食後大急ぎで用意して、同部屋のみんなに別れを告げてチェックアウト。

彼女がフランクフルトに到着するまでまだ2日あり、その間フランクフルトにずっと滞在するのも退屈だと思い、前日にウルムという街のユースを予約し、この街を観光することに。
時刻表も何も調べずに適当にフランクフルト駅へ向かったら、着いた10分後くらいにちょうど快速のウルム方面行きがあったので、それに飛び乗り出発。

電車の座席には飛行機みたいに前の椅子の後ろにテレビとかついてて、さすがドイツの快速電車はすげーなー、と思っていたら車掌さんに「ここは1等車だ、お前は2等だから移動しろ。」と言われる。
ま、心の奥ではなんか違うんじゃねーかな、と薄々気づいてたけど。

2、3時間後、ウルム到着。宿にチェックインして、ウルム観光。
ここには世界一高い大聖堂があり、それがこの街を選んだ理由でもあるので上まで登ることに。
階段が141段、と、歩き方で読んだと思って登り始めたのですが、結果的には高さ141Mの勘違いで階段は800段ちかくあり、思ったより大変でした。
てっぺんではさすがに足すくみましたが、景色はとても綺麗でした。
下りは、あまりも階段が長くて暇なので、ドイツの1,2,3…を覚えようと思い、歩き方の巻末のドイツ語講座を読みながら、一人で「アインス、ツバイ、ドライ…」とぶつぶつ言いながら下る。
800段もあるのでさすがに覚えました。

あとは、街を観光し、10時半で宿のドアがロックされると言うので9時頃には帰宅。
スナックをつまみながら、ドイツ版少年ジャンプ『バンザイ』を読んで就寝。

つか、1日あたりこんな長く書いてたら、2週間分どれだけ書かなきゃいけないんだって話になりますね。
もう少し要約しないと。

というわけで■3日目(FRI):

朝食後、ウルムのユースはチェックアウト9時だったので、そうなると必然的に1日が長くなるわけで、このままフランクフルトに帰っても時間を余すだけなので、その途中にあるシュトゥットガルトという街に寄ることに。

着いたら雨だったけど、傘買って外でた30分後くらいには雨やみました。

ぐるーっと市内を観光。
観光途中、いろんな物を食べたけど、そのすべてがカナダとは比較にならないほど美味しかったです。

この街にはベンツやポルシェの本社(?)っつーかがあるらしく、ある意味それがこの街のメインらしいですが車には興味がないので、美術館へ。

3ユーロと歩き方には書いてあったけど、偶然やってたピカソ展も見ることにしたら8ユーロも払わされる。
意外と知ってる絵がいっぱいあって嬉しかったです。

その後、駅に向かう途中の広場で、突然『あ、今、俺ヨーロッパにいる』という感覚になりました。
これはカナダに着いた時も同じ体験をしたのですが、海外に着いてすぐって、なんか目は観光してるんですが、心ここにあらずで、なんかその場にいる気がしないんですよね。

カナダの時は、この感覚を遅れてきた心がようやく到着した、とここに書いた気がしますが、今回も同じような感覚で、地球に座標があって、そのドイツのポイントに今自分は立ってるんだ!という感覚がシュトゥットガルトで突然沸き起こりました。

その後、電車に乗り、フランクフルトへ。2時間くらいの移動は、日本にいた時は長く感じましたが、カナダ横断を終えた今、ひばりヶ丘から石神井公園に行くようなもんです。
夕飯ケバブ。宿に帰って寝る。

これだけ打ってまだ3日目?あと11日分も書かなきゃいけないと思うと気が遠くなりますが、いったん始めてやめられないので4日目に続く。

本日は以上です。

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2005年10月01日

ドイツ旅行記 vol.1 ビールの国上陸

久しぶりに自分のブログ見たら、文字の左側消えてるんですが、なんでだべ。
カナダのパソコンだからかな?

どーもお久しぶりです。
全然そんな感覚じゃないのですが、前回の書き込みからもう1ヶ月も経ってたんですね。

9月の9日に2ヶ月に渡る語学学校を終え、その事について書こうと思っていたのに、毎日飲んでるうちにドイツへ出発。
あれよあれよという間にドイツでの2週間が過ぎ、気付いたら一昨日の夜カナダへと帰ってきてました。

ドイツ旅行はジャーマンレイルパスというパスを買って行ったので、2週間の滞在でドイツ11都市も訪れてきました。
もう動き方もめちゃくちゃで、日本で例えれば『東京→秋田→茨城→東京→名古屋→東京→石川→東京→京都→大阪→東京』というぐらい奇怪な動きで周りつくしてきました。

噂のオクトーバーフェストも含め、天候にも恵まれ、食べ物もカナダとは比較にならないほど美味しいし、本当にドイツは最高でした。
しばらくは学校も仕事もないので、自分の為の日記の意味も含め、そのドイツ旅行について書いていこうと思います。

というわけで、ドイツ旅行の始まり始まり。

■1日目(WED):

金曜日に語学学校を終え、その後4日連続で飲み続け、出発前日に下痢になり下痢止めを飲んでドイツへ出発。
ハリファックスからフランクフルトへ向かうアジア人などいるはずもなく、機内は推定80%ドイツ人。ただ一人のアジア人の為、皆に好奇の目で見られる。

『ドイツ人が水がわりにビールを飲む』という話は昔から聞いていましたが、離陸後しばらくして機内を見渡したら老若男女、みんな本当にビールを飲んでてうけた。
ドイツに着く前の飛行機で既にドイツを感じました。

あと、もうひとつ驚いたのが、飛行機が着陸した後、皆が当然のように拍手をしたこと。
昔バングラディッシュへ行った時の飛行機会社、ビーマンバングラディッシュ(名前からして怪しい)の乗客が、あまりに飛行機がぼろい為、着陸した時に安堵で拍手をする、というのとは全く別の拍手、まるで、フィギアスケートで技を決めた選手に対して送る賛辞の拍手のように、無事着陸を決めた機長に対し当たり前のように拍手をしたことに驚きました。
ちなみにこれは、フランクフルトからハリファックスへ着いた時も一緒でした。

荷物を受け取り、空港から電車を乗り継ぎフランクフルト中央駅へ到着。
そこからバスでユースホステルへ。

ここでうけたのは、僕のベッドの上の外人と話したら、なんとカナダ人で、しかも話を聞いたら僕ら同じ飛行機で来てました。
「同じ飛行機で同じ部屋に入って同じベッドじゃん。」ということで、こんな奇遇なことはなく、初日の夜は彼と飲むことに。

隣のベッドの日本人の子も誘って3人で初ジャーマンビールとフランクフルトの地元酒であるアップル酒をピッチャーで頼んだのですが、二人がめちゃ酒強かったので一気飲みとかするノリになり、吐きそうになりました。

あとはいつも通り、どうやって宿に帰ったかわからないまま、起きたら次の日の朝で、2日目に続くのでありました。

では、図書館の使用時間がもう終わりなので、本日は以上です。

people_of_the_sun at 04:17|PermalinkComments(0)TrackBack(1) ドイツ旅行