世界1.5周旅行

2006年08月03日

改訂版KOREA・SEOUL

どうもこんにちわ。

ついにやってしまいました。
これが恥というやつです。

僕は酔っ払うと一瞬で地の底に落ちてしまう人種です。
次の日シラフで読んで速攻消そうと思ったし、人に早く消した方が良いとも言われました。ただ反対に消すなという意見もあったし、自分でも残した方がいいと思ったので結局消さずに残すことにしました。

世界旅行的にはめちゃくちゃなことになりましたが、ブログが自己表現の場であるとするならば、それはそれでということで。

ただ、そんな理由とは別に、酔っ払って謎に本名打ちしてる箇所があるので二人に対しては謝っておかなくてはなりません。
O君、Tさん、ごめんなさい。

韓国についてきちんと書かないでいるとまた酔っ払ってああいうことになり、本当に世界旅行の話が収拾つかなくなる可能性があるのでさっさと終わらせちゃいます。

と言っても実際僕は韓国を訪れるのは2回目ですので韓国という国に対して何かを感じたということは特にありません。
ただ8年前に訪れた時より格段に発展してて驚いたくらいかな。

韓国に寄ることにしたのはカナダで知り合った韓国人の友達に会って飲みたいだけの理由でしたが、僕の彼女が急遽3泊4日で韓国に遊びに来たので旅程は多少変わり、観光っぽいこともしました。
それでも主要な観光ポイントは当然重複してますのでこれまた新しい感想はありません。
韓国料理は相変わらずめちゃくちゃ美味しかったですけど、美味しさもまた改めて書くまでもないでしょう。

唯一書かなくてはいけないことは、今回食べた二つの変わり種です。
蚕と犬です。
蚕は道で売ってたのでノリで買って食べました。
ま、ビールがあれば食えないこともないです。金魚の餌の味がしました。

犬に関してはこれはノリではなく韓国を訪れる前、というより世界旅行出発前から絶対に食べる、と決めていました。
食べたい理由は個人的な考えがあってのことです。
結果的には、食べたら吐きそうになりました。
味にではありません。むしろ味は美味しいです。吐きそうになったのは精神的な理由でです。
僕の家には僕が生まれた時から犬がいましたし、ここだけの話、僕、バウリンガルなしで犬が何を言ってるかわかるんです。自慢ですけど。
それでも食べました。
だからこそ今回の旅行の中でも特に強いフィーリングを得られました。とにかく良かったです。

韓国の友達には彼女共々普通じゃ考えられないくらいむちゃくちゃに歓待されて、むしろ申し訳ないくらいでした。
すごく感謝しているのですが、こうして日本に無事帰ってきている以上、旅の総括としては彼らだけではなく改めて旅で知り合った全ての人に感謝しなくてなりません。
旅で知り合った多くの皆様、本当にありがとうございました。

はてさて日本に帰ってきてから1ヶ月が経とうとしています。
何か変わったか、と聞かれれば何も変わってません。
今イヤホンでは『TURN』というTRAVISの曲が流れているけど、この曲の歌詞になぞらえて言うなら、旅の間は確かに変わったけど日本に戻ってきて元に戻ったということです。
まあまた違った形で変わっていくでしょう。

さっき池袋に世界旅行の写真を受け取りに行った時、山手線のホームで『世界旅行出発前に銀行に置いていた何百万という金を今自分の体の中へと移したのだから、これを自分で運用しなかったら金を無駄にしただけなんだろうな。』と思いました。

ま、これから一番頑張るということです。

今回は旅の終わり風にまとめてみました。

本日は以上です。

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2006年07月30日

KOREA・SEOUL

どうもこんにちわ!!

5ヶ月以上に渡った世界旅行から日本へと帰国し、その感動とか盛り上がりとか帰ってきた感動とか書きたい感じだったのですが、帰ってきてからその日から人生最長の飲み期間が続き飲み続け、太り続け、インドで痩せて男前になったのが太って意味がなくなってしまいました。

毎日飲んでるわけではないのですが、今日も飲んでいます。

大石卓哉君と牛角で肉を食べて、酒も飲んで酔っ払って、今朝はフットサルの練習をし、痩せたかな、と思ったけど、夜にこうしてお酒を飲んだら意味ないですね。

酔っ払って書いたら恥をかきます。ですのでやめたいけど書きます。
酔っ払って書くのは李白です。
中国で、お茶を飲む場所でお茶を注いでくれる子と話して仲良くなりましたが、その子が李白の漢詩を僕に教えてくれて僕はその詩に感動してその子と仲良くなりましたが、今日書かなくてはならないのは韓国です。
僕は

今、ここでハーツクライがキングジョージで負けました。
僕は今、世界を感じました。

これは今日韓国編を書いたら世界旅行のブログ終了、そして世界についてまとめる時、この時に世界を感じたということは、これはいいでしょう。
僕の中で世界をなめてた節がないと言えば嘘になります。しかし、世界は広い、と、世界を一周する行為によってではなく、こんな競馬の1レースからで学ぶ。これはその優劣ではなく、そういうことだ、ということなのでしょう。

僕は昨日天才鷹取弘さんに世界の成り立ちの一端を教わり、世界は喜劇的悲劇という一応の結論に達したわけですが、それはもう優劣ではなく、そういうことだ、という結論でしかありません。
これからも変わっていくし、そこに限りがないのは理想論であるのであります。
理想は変わっていいのです。

和田、今日は和田の馬券で5万円、先週は和田の馬券で3万円勝ちました。

今僕は和田アパートに住んでいます。

つか今日は酔ってるんです。
いやこれは韓国編とかではない感じですね今夜は。

消したいけど、消したらもったいないので投稿します。
こんな感じで世界一周についてのブログが終わるのは口惜しいのです。

こんな馬鹿な文章書いたら絶対後悔するんです。

本日は以上です。

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2006年07月13日

CHINA・BEIJING

どうもこんにちわ。

日本に帰ってきてからあっという間に1週間が経ちました。
韓国に到着以来今日までの2週間、毎日飲んでいたのでブログもすっかりご無沙汰になってしまいました。
旅の終わりはいつもこんな感じで中途半端な形で終わってしまうのですが、今回はここまで書いてきた以上、旅の最後まで書き切りたいのでちゃんと書きます。

ぽいぽい、そいでは中国・北京編です。

北京という都市について言えば、これはとにかく人と車がたくさんで、強引にまとめれば『都会』の一言でまとめられます。
都市の大きさで言えば今回見てきた中でもトップ5にはいるぐらい立派な都市です。

高校の時、抽選で2008年のオリンピック開催地が北京に決まった日の翌朝、ある先生が「東京オリンピックが開催された時、私達は諸外国の人間の自由さからショックを受けた。今閉鎖的な中国もこのオリンピックを通して世界の空気を感じることになるでしょう。」と言い、「なるほど、そりゃええわい。」と思ったものですが、実際北京を見た後思うのは、確かに先生の言う通り2008年に中国はショックを受けるでしょうが、それ以上に中国を閉鎖的な国、と決め付けている外人の方がびっくりするだろう、ということです。

彼らにはルールもモラルもあるし、十分世界的な感覚も持っています。
ただ、お洒落な女の子が日傘の代わりに普通の傘をさしていたり、メイン通りにランニングシャツにブリーフを履かせた子供の手を引いている母親がいたり、そんなちょっとした所が違うだけです。
そんな彼らが何故海外旅行に出た途端、あんな非常識な人間になるのかは謎ですが。

その他の人間は十分尊敬に値します。
少なくとも僕は中国人を尊敬しています。理由は、彼らが人間として100%だからです。
言い換えれば彼らが宗教に逃げていない所が好き、とも言えるでしょう。
4000年の歴史を継承し、そしてその間に他のどの国家以上に戦争や革命や貧困を経験したにもかかわらず、最終的に神に逃げなかった彼らが僕は好きです。
神と人ではなく、人。人間としての付き合いを追及して生まれたのが、時に世界に批判される現在の中国人なんだと思います。

中国人の騙し方や押し売りは露骨です。
ただ、彼らの売り方や交渉術には、高値で買わされた後に、こちらにも「買わされてしまったなあ。」という満足感を感じさせる何かがあります。
それは単に彼らが人間的に1枚上だったに過ぎないからです。

僕が思うにインド人なんかは、例えば僕を騙した後、ガンジス川に入って「神様こんな僕をお許しください。」なんて言ってるんだろうけど、中国人は人間として正しいことをしているだけなので懺悔もしてないと思う。
彼の行動の是非ではなく、その態度に好感が持てるのです。

関係あるかわからないけど、中国で見た有名な観光ポイント、西安の『兵馬俑』、『秦の始皇帝陵』、北京の『紫禁城』、『万里の長城』、これらすべては人間の歴史であることも、つまりそういうことだと思います。

中国4000年の歴史と言えば、僕インドを発って以来、約2週間に渡り下痢に悩まされていたんです。
3,4日の下痢なら様々な原因が考えられますが、2週間まで来るとこれはほぼ間違いなく細菌性の下痢です。
不安を感じながら2週間の間、旅行出発前に用意した日本製の下痢止めを服用していましたがいっこうに効きません。
そうこうしてるうちに手元の薬をすべて使い切ってしまいました。

しょうがないので中国の薬局で新しい下痢止めを買ったのですが、これがすごい。
なにがすごいって匂いがすごい。
まるで世界中に拡がった大蒜の匂いを直径8ミリのカプセルに閉じ込めた、ってぐらいめちゃくちゃに大蒜の匂いがするんです。
この時期僕は「俺絶対臭ってるんだろうな。」と思って対人恐怖症になってました。

そもそも英語の話せない薬局のおばちゃんにジェスチャーで症状を伝えて買ったこの薬、これ果たして本当に下痢止めの薬なのか?そこに不安を感じ、効能の欄を漢字だけで確認してみました。
するとこんな感じのことが書いています(○は日本にない漢字)。

本品活用○深部真菌和細菌感染、用○防治急慢性菌痢和○炎、百日咳、肺部和消化道的真菌感染…、

ふむふむ、よくわからんが、とりあえず下痢の薬であることは間違いなさそうだ。と。
しかしこの後、…白色念珠菌菌血症、○球菌性○膜炎、と続き、最後の効能に、『肺結核』とあるんですけど。
え、肺結核にまで効くの?効き過ぎじゃね?

いやー恐るべし、中国4000年の歴史。
しかもその後しっかり効いて、2週間続いた下痢に終止符が打たれたし。
やっぱりすごいわ中国は。

本日は以上です。

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2006年06月30日

CHINA・XIAN

どうもこんにちわ。

北京に着いて二泊ほどした後、寝台列車に12時間揺れて西安へ行ってきました。

しかし中国の寝台列車、いや、寝台列車に限らず中国は、と言ってもいいですけど素晴らしいですね。素晴らしすぎますね。
寝台列車について言えばエアコンはよくきいてるし、6つのベッドの間にはすべてテレビがついてるし、いや実際比較の対象がインド、というのは問題ですけど、それにしても素晴らしいです。
列車が出発した後にすぐ流行りの中国ポップスみたいなのが車内に流れてノリノリにさせてくれるのも良かったです。

先にも言いましたが、『中国』という国ですが、これはもう凄いの一言です。
都市としての凄さで言えば、僕の知る限り『NY→ローマ』の馬単1点で堅いと思いますが、国としての凄さで言えば『中国』で宝塚記念のディープの単勝ぐらい堅いのではないでしょうか。
少なくとも僕にとってはそうだし、中国には完璧に心奪われてます。

中国にはすぐに戻ってきます。
今回は北京と西安の2都市しか訪れないので次は上海かな。

西安は今回の旅で好きな都市ベスト5にはいる美しい都市でした。
実際この都市を訪れたのは昔世界史の教科書で見た兵馬俑を見たかったからなのですが、兵馬俑自体は想像していたより大したことはなかったし、その他の見所、秦の始皇帝の墓も冷めてみればただの丘でした。

ただ、街を囲む城壁とか、ちょっとした鐘桜とか、雰囲気の良い通りとか市場とか、そういうのがまったくもって素敵でした。
城壁の上をレンタル自転車で走ったら、考えていたより城壁が全然でかくて一周するのに一時間半もかかったけど、街をぐるり見れてこれまた良かったです。

夜に赤黄緑の光がきらめく繁華な通りを一本1元(約15円)の牛串を食べながら歩き、「どうやってこの中国の素晴らしさをブログに書こうかな…」と考えていたちょうどその時、後ろにかけていたショルダーバッグに違和感を覚えました。

細かい説明は省きますが、僕は余程混雑した市場や地下鉄等以外、ショルダーバッグを前掛けにしないという主義があります。
んで、そんな馬鹿な主義を持っている当然の報いとして、バッグの中身を盗まれそうになることはあります。
1回目はブラジル、2回目はスペイン、そして3回目がここ西安でした。

すべて事前に察知して未然に防いでいるのですが、相手によってその後の対応は違います。

貧しい国では、そういうのはしょうがないので許します。
実際ブラジルでは手を振り払ったあと「お前なー」とそいつに指を指したら、何故かそいつが親指を立ててグッドジョブのサインを作り、そのあまりにブラジルな対応に、ものすごく歪んだ笑顔になりました。

2回目のスペインでは、最近下火らしいですが数年前から『日本人狩り』が流行っているのですが、僕はそういう貧しくもないのに欲でやる行為は許さないので、もし自分があったらボコボコにしてやろうと決めていて(決めていただけで実際そうなるのは自分だけど)、そこにバッグを開けられそうになった為、怒りで「殺すぞ、こら!!」と日本語で怒鳴りつけたら、相手も日本語なものだから意味も分からず「ア、ア、ア…」となってました。

んで今回の中国での3回目ですが、前述の通りその時点で既に中国を愛しまくっていたものですから、振り向き様にそいつの頭をビターン!とひっぱたいてやりました。
実際後付けで言っているのではなく、この時愛ゆえに叩いたのですが、この表現は一見わかりづらいと思います。
ただ、その心は飲みながら30分も説明する時間をもらえれば誰にでも納得してもらえると思います。

叩いた後よく見たらその人は40歳前後のおっちゃんだったけど、そんなわけで彼が殴り返そうとする様子などはほぼ無感情に眺めてました。

最終的には後ろで盗んだ財布を受け取る役だったのだろうと思われる窪塚君似のイケメンが間に入り、もう行け、ということで収拾しましたが、最後おっちゃんが自分の靴を脱いでそれを投げるふりをしたのを見た時にはすでに彼に愛情を感じていたし、歩き出して15メートルくらいしたらもう笑いがこみ上げてきました。
当然のことですがこの笑いは彼を見下した笑いではありません。

中国、ここには全てがあります。
中国に滞在していると生き物としての人間としては正しい方向に向かっている気がするんですけど、だからと言ってこれは日本では問題でしょうね。
約一週間後に帰国します。

本日は以上です。

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2006年06月26日

THAILAND・BANGKOK

どうもこんにちわ。

現在は中国で中華料理三昧の毎日を過ごしております。

インド・デリーを発ち中国・北京へ到着する前、ちょこっとだけタイのバンコクへ寄ってきました。
本来バンコクはただの経由地に過ぎなかったのですが、バンコクには現在バンコク大学で勉強中の津下という細い男がいるので、津下と飲むために2泊だけしたのです。

実際タイへ来るのは4,5回目で、いまさら観光などする必要はないので、文字通り津下と飲んだだけ、寝る、飲む、寝る、昼飯、飲む、寝る、これだけの滞在でした。

最終日は朝5時過ぎまで飲んで、その後仮眠したら寝坊して、またもや飛行機に乗り遅れそうになりましたが、またもやギリギリで乗れました。

北京には夕方に着いたのですが、飛行機で寝なかった上に前日ほとんど寝ていなかった為相当疲れていて、さっと夕飯を食べて今日は早めに寝よう、と外へ出ました。

しかし、この夜はそう簡単に宿に戻ることは出来ませんでした。
というより今回の旅行で初めてのミスと呼べるミスをしました。

この夜入った店がぼったくりバーだったのです。

普段「海外旅行でトラブルにあうのはすっとろい奴だけ。」と声を大にしている自分が、トルコでもぼったくりバーへ連れて行かれて、入り口で嘲笑と共に交わした後、彼女へ「あんなのに気づかない奴いんの?」とメールを送った自分が、ぼったくりバーへ入るなんて、ほんとわけわかんないです。

というのは、この時僕はそこがぼったくりバーだとわかって入店しているんです。
実際、入店してすぐ女の子が席を外した時に、大金を反対のポケットに隠したりしてるんですけど、っつーか、今考えればそんなことしてる暇あんなら店を出ろよ、という話で、この時の自分が何を考えていたのかは未だ意味不明です。

外注で餃子を頼んでその餃子食ってる時も「この先どうしようかなー。」と考えながら食べているのでほとんど味がしないのですが、今考えれば、お前餃子食ってる場合じゃねーだろ、っつー話なんですよね。

この意味不明の行動の原因をその日の疲れに求め、思考能力が落ちていた、と言うことは可能でしょう。
しかし、自分の中ではこの日の行動の原因はただ一つと結論づけてあります。
原因は、『心のどこかでタイのゴーゴーバーと勘違いしていた。』これに間違いないです。
そう考えるとだいたいが説明がつきます。

もうそこは中国なのに、そしてそこはぼったくりバーなのに、タイのあのノリでなんとかなると勘違いしてました。
ちょー馬鹿ね。

つまり、今日の結論は何かというと、『タイは人を馬鹿にする』ということです。
実際津下も物忘れ激しくなってたしな。
あの国は駄目だあ。

ま、そういう話とは別に、この日その後どうだったかというと、店の男総動員の大喧嘩となり(口だけですけどね)、お互い目茶苦茶な理屈を通した後、最終的には前述の通り大金を隠していたので「見ろ、俺は本当に金がないんだ。」の1点張りで押し通しました。
それでも財布には一応1万円弱残していたので、中国では十分大金と呼べる額を支払いました。

ただ、昔書いたとおり、勝つか負けるかという観点で僕は物事を考えているので、今日は負けたんだから1万くらいは払うべき、というのがこの時の僕の頭にはありました。
実際警察を呼ぶことはできたし、当然警察の名を盾に値段を下げ続けましたが、本当に警察を呼ぶのは僕のルールに反しているのでしませんでした。

あまりにも長く言い合っていた為変なものが芽生え、最後はボスも笑って僕の肩を叩いてましたが、社交辞令的に笑顔は返しませんでした。

宿に戻った時には23時を過ぎてました。
いったい何時間言い争ってたんだ、という話ですが、普通に飯食って寝てたよりは良かったな、と思いました。

本日は以上です。

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2006年06月22日

INDIA・DELHI

どうもこんにちわ。

なんだかんだでインドには3週間も滞在してしまいましたが、ついにインドを脱出しました。

僕のインド滞在中はもろにインドの夏休みとぶつかっていた為、どこへ行くにも人人人でした。
電車もいつも満席だった為ひとつの都市から動けず、訪れた都市の数が減ったのも事実です。

そんなわけでインドからタイへ飛ぶ飛行機も当然ずーっと満席で、キャンセル待ちをする以外手がありませんでした。
別に飛行機のキャンセル待ち自体は今回の旅で何度もあるし、驚くことも焦ることも必要ないのかもしれません。
しかし、旅行中インド人のあまりの多さを目にしていると(単純に日本の約10倍人がいますから)本気でキャンセルが出る気がしませんでした。しかも出発予定日が金曜の夜と、最も人が多そうなのがさらに僕を不安にしました。

インドから出られず7月1日までに韓国に着かなければ悲劇ですので、タイ航空の指示通りキャンセルが出たかどうか何度も確認の電話をいれました。
しかし、当然キャンセルなんて出るはずもなく、そのまま運命の金曜日を向かえました。

空港へ行く前、ブッダガヤで知り合ったインド人のムケスとご飯を食べる約束をしていたので二人で最後の晩餐をしに行きました。
この時、車から降りたらムケスが車の中に鍵を入れたままドアをロックし「なに、こういうオチ?」とか思いましたが、ムケスが「なんでも開けれる鍵屋がいる。」とか言い、いやいやマトリックスじゃないんだから、と思いましたがほんとにいて、謎の鍵で車を開け解決しました。

そんな感じで飲んで食べてしているうちに、今度はムケスが「もっと飲もうよ。」とか言い出してきます。
「いやいやもう空港行く時間だから。」と答えたら、「つか明日行けばいいじゃん。」とか無茶なことを言ってきます。

ただ、僕は大学時代飲み会で酔う度、後輩らに「いいじゃん、いいじゃん終電なんかさ。」とかなんとか言って強引に飲ませ、散々迷惑をかけた罪があり、それを僕は今ものすごく反省しています。
それでそのことへの懺悔、というか、自分があれだけ言ったのにいまさら自分だけ「いやちょっと今日はダメなんで…」なんて言うのは卑怯な気がしていて、自分が現在そうなった場合、相手の誘いは全て受ける、というルールが僕の中にあります。

今回はそれの飛行機バージョンということで、結局出発を翌日に変え、この日は空港にすら行きませんでした。

ということで、その後は場所をレストランからムケスの友達の家に変えて朝まで飲んだのですが、当然こういうテンションで飲むわけですからひどいことになるわけで、今回の旅行で初めて吐きました。

次の日は頭痛で昼過ぎまで起きれず、昼過ぎにムケスの友達が飯を作ってくれたので起きて食べて、あとは一日みんなで横になりながらAV見たりウトウトしたりインド映画を観たりして過ごしました。

夕方六時頃、あまりに怠惰な僕に腹が立ったのか、何故か強引に散歩に連れ出されました。
この時、歩きながら高さ20度くらいの空に浮かぶ、沈みかけの太陽を見た時「ああ、今日インドを発てるだろうな。」と思いました。

そうしてその後空港へ向かい、運命のジャッジに拳を握り締めたわけであります。

正直、インドを発てたのは嬉しかったです。
暑さから逃れられるからであり、水シャワーを浴びなくていいからであり、お腹を壊す心配もなくなるからです。

ただ、インドという国に対しての感情は違います。

旅行中、世界旅行の話になった時「今まででどこの国が一番良かったですか?」と聞かれ「え、インド以外全部。」と答えてきたのに、インドを電車で周って最後デリーへ戻って来た時、「やっぱインドが一番良かったかな。」と思いました。

いちいちその理由は説明しないけど、ほんとインドってそんな国でした。

本日は以上です。


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2006年06月16日

INDIA・BUDDHAGAYA

どうもこんにちわ。

本当は『デリー→アグラ→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ』と俗に言う日本人ゴールデンルートを進むつもりでしたが、昨日ブッダガヤから寝台列車でデリーに戻ってきました。
理由は二つ、急遽7月1日に彼女と韓国で会うことになったこと。
あとは単純にインドが暑すぎるので早く国を変えたくなったからです。

デリーは旅行者の中ではあまり評判の良くない都市ですが、僕は好きです。
都会な分、人が多少サバサバしていてそれがこのインドでは快適に感じるからです。

現在インドはローシーズンの為、田舎の都市は騙す方にもある種必死さがあります。
そういう状況だと僕は払ってしまうので、今の時期田舎の町で過ごすのは少し疲れます。

それでも、ど田舎ブッダガヤへ初めて足を踏み入れた時は、その穏やかな空気には最高癒されました。
人間的魅力が磨耗した都市バラナシから入ったのでなおさらです。

ここは人口四千人ほど(推定)の小さな町で、ブッダがその下で悟りをひらいた菩提樹と、点在する各国の仏教寺を見ればそれでもう十分な場所なのですが、デリー行きの電車のチケットが満席で手に入らなかったため丸四日も滞在してしまいました。

それでも飽きずにこの町で四日間を過ごせたのは、前述の通り、数少ない日本人を狙って連日現地の人間がワイワイやってくれるからです。

ある時「友人の結婚式のパーティがあるからこないか。」と言われ、その日他の人間にも違う結婚式のパーティの話をされていたので、こんな小さな町でそんな結婚式は多発しねーだろ、と思い、そう言って連れて行ってご祝儀の名目で金を取ろうとしてるんじゃねーのと疑い、少額だけ持って出掛けたら普通に結婚式やってました。
しかももうひとつの結婚式も本当にやってました。

結婚式の会場へ行く途中店に寄りご祝儀袋を買い始めた時は「きたな。」と思いましたが、「いくらくらい包むの?」と聞いたら「50ルピー(120円)。」と答えられ「え?」と思いました。
ここで全員が(インド人4人と僕だった)1000ルピーとか包みだし僕も合わせて大金を包まなくてはいけない手順だと勘繰っていたからです。

つかむしろこの時一人のおじさんは30ルピーしか包んでいませんでした。
(実際はインドの慣習で下一桁をに1にした方がいいらしく31ルピー)
ご祝儀70円って…。

ちなみにインドの相場を言えばミネラルウォーター1リットルが10ルピーです。

それでいて会場を訪れた人間には全てちゃんとした料理が振る舞われます。
料理目当てにこれでもかと近所の人たちが集まっているのでこれは新郎新婦は大変でしょう。

現在の日本では考えられないことですが、インドでは親が勝手に子の結婚相手を決め二人は異論の余地がない、という結婚が未だに存在します。
この結婚もそういう結婚でした。

ここで僕が一番ショックだったのは、新婦はめちゃくちゃ綺麗な子なのですが、明らかにぶっち切れてること。
対して新郎は終始オドオドしています。
新郎の顔が泣きそうベースな顔だったこともあり、食後彼と話している時に何故か涙がにじみました。

失礼な、という突っ込みは当然あるだろうし、この感情を分析されたらやっぱり同情からきているんだと思います。
ただ、感情って分析したらどうしようもないけど、そのままなら大して悪くないような気がします。

前々から言っている通り僕はドキュメントというジャンルが好きです。
この日は彼という人間ドキュメントを見て、感動して泣きそうになった、そういうことです。

もしかしたら今日の文章は全然意味がわからないかもしれないな。
ちなみに一人でビールを飲んで少し酔っています。

本日は以上です。

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2006年06月13日

INDIA・VARANASI

どうもこんにちわ。

昔イスラムの勢力がヨーロッパを支配した時、イスラムの人間は「あいつらは寒い場所に住んでるから頭も鈍く行動ものろい。」とヨーロッパの人間を馬鹿にしたらしいですが、どういう理屈だよ。
人間暑いと頭も鈍く行動ものろくなるっつーの。

連日のインドの暑さで何もやる気が起きません。
全体的に部屋で読書しがちな生活が続いています。

予想以上にアグラへの滞在が長くなりましたが、約1週間の滞在後寝台列車でヒンドゥー教の聖地バラナシへと移動しました。
この日のアグラの気温は43度でしたので、やっぱりこの日の寝台列車も地獄でした。

あまりの疲労で不機嫌だった為、バラナシでからんでくるインド人には必要以上にむかつきました。

この街には聖なる河ガンジス河が流れていてインド人にとってはここで沐浴することが最高らしく、朝夕ものすごい量の人間がガンジスで沐浴しています。
ここで沐浴することを薦める日本人もいますが、僕は潔癖症なのであんな汚い川には入れません。
さらに沐浴で罪を流すとかいう発想も嫌いです。

あと、インド人にとっては死してガンジス河に流されるのが至上の喜びであるらしく、その為一日にとてつもない量の死体がインド各地から運ばれ川沿いで燃されているのです。
そうして今ではそのことが有名になった為、火葬場が一種の観光地として成り立っています。
んでやたらバラナシ人が「カソウバ見たいか?カソウバ見たいか?」とか聞いてくるし、たまたま近くを通り過ぎれば見る気もないのに「この建物の上からだとよく見える。」とか薦めてきます。

当初これらに興味がなかったと言えば嘘になります。ただ、こんな言われると「人が燃されてるとこ見たいなんて悪趣味だよ馬鹿野郎。」と反発したくなるわけで、結局見ずに帰ってきました。

とにかく理由は多々ありますが、バラナシのひとつひとつが徹底的に合い入れませんでした。

唯一笑えないこともない話は、バラナシのガキが揃いも揃ってサイババの弟『ライババ』と言う高名な僧がバラナシにいるから手相を見てもらった方がいいとか言ってきます。
当然最初は興味ないと軽くあしらってましたが、何人目かのガキの時にふと「ライババとか言って、これってよく考えたらどう転んでもおもしろいじゃねーの。」と思い、ついにライババの家を訪れることにしました。

んで会ってきましたが、どうだったかというと全然おもしろくない。
というのもライババが頑張らなすぎ。
サイババの弟を演じる為に皆がそれなりの努力をしていればそれはそれでエンターテイメントとしておもしろいんだけど、ディテールも適当だしライババ本人も演じる気が一切ない。
どう見ても普通のインド人のおやじで「怠惰だ。」と思いました。

入った瞬間まず脱力感、そこから少しおもしろいかな、と思ったけど、最終的には怒りで終わりました。
寄付とか言われたけど適当にあしらって外に出て、その後ガキに「こんな場所連れてくんな!」と逆ギレしました。

僕にとってバラナシはそんな街でした。

本日は以上です。

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2006年06月09日

INDIA・AGRA

どうもこんにちわ。
インドがあまりに暑いんで何事に対してもやる気が起きなかった為、久しぶりの書き込みとなります。

というのも、インド・デリー空港に着いたその日、空港で初めてインド版地球の歩き方を読んだのですが、この時に“インド北部の5月下旬から6月上旬は『酷暑期』にあたる”という事実が発覚したのです。
“この時期のインド旅行は覚悟が必要”とか書いてあっても、つーかもうインド着いちゃってるし。

この時期デリーの気温は最低気温が27度、最高気温が40度で言わばインドの3つの気候『ホット、ホッター、ホッテスト』のホッテストにあたったわけです。
一年で一番暑い時期は7、8月でしょ、と思っていて覚悟のかの字もなかった僕、さらに暑さに対し猛烈に弱い僕にはそれはありえない気温で、もう夜は暑くて寝れないし、昼は日に焼けるというより焦げてるような感じだし、もう散々でした。

こんな中動きたくない、と、毎日デリーでうだうだやってましたが、このままダラダラしてても仕方ないと、インド到着後4、5日目にようやくインドでの最大の目的地タージマハールのあるアグラへの移動を決めました。

しかし、その日のアグラの最高気温が48度。
片道3時間の電車の移動では人生ベスト10に入る地獄を味わいました。

あまりの暑さに脳みそも茹で上がり、ホテルチェックイン後すぐにベッドに倒れ込み、起きたら脳みそが機能しない廃人になってました。
こんな僕にインドの神が同情したのか、この次の日から雨が降りはじめ、気温はぐっと下がりましたが、今度はそうなったらそうなったで水しか出ないシャワーに寒くて凍えるし、で、もう僕は体質弱なので、当然風邪ひきました。

というわけで、お目当てのタージマハールを見たのは、アグラ到着2、3日後となりました。
タージマハールは高校時代の世界史の授業で、世界史の先生がタージマハールを『どんなに期待してもその期待を絶対裏切らない』と形容したのを聞いたその時、訪れるのを決めた場所です。
僕の知り合いの大多数が知っているように、僕は『期待しすぎ症候群』という一種の病気にかかっています。
もう何に対しても先に期待しすぎていっつも失敗するんです。
そんな僕にとってこの世界史の先生のフレーズほど魅力的なフレーズはありません。
もし先生の言うことが本当なら、タージマハールは僕の為の場所だ、いくらでも遠慮なく期待してもその期待を裏切らないなんて…。それは夢のようだ、と。

その夢の場所を見る為にはるばる最高気温48度の中電車に揺られてきたのです。

そして観ました、タージマハール。
結果は、先生あなたが正しい。めちゃ期待したけどタージマハールは裏切りませんでした。
ぱっと見でその美しさが別格であることに気付きました。

その理由は、すぐにわかります。
建物からオーラが出てる。
よくスポーツ選手の集中力が最高点に達した時とか、A級バンドが最高のライブをする時とか舞台からオーラがでてることあるけど、タージマハールからもそれが出てる。
タージマハールがタージマハールとして絶賛される理由を建築的美しさに求めるなら、他の美しい建築物との差を強く語れない。
タージマハールが他の建築物と一線を画しているのは、建物からオーラが出てるから。そこに尽きると思います。

だから、近くで見たり中に入ったからといって別に感動するわけではありません。
遠くから見た時にタージマハールのオーラが建物の周りの空気の色まで変えてしまっているその様が美しいのです。

ちなみに僕は屋上からタージマハールが200Mくらいの距離に見えるホテルに泊まっていたので、朝起きて、夕日が沈んで、夜寝苦しくて、いつも屋上からタージマハールを眺められて贅沢でした。
ただ、寝込んだせいでアグラには6日も滞在したので(エジプトとかの滞在日数と同じ)さすがに見飽きましたけど。

あとアグラでおもしろかったのが、今アグラでブームなのかなんなのか、みんな凧あげしてること。
老若男女みーんな凧あげとる。
一度朝5時半頃に目が覚めて、屋上にタージマハール見に行ったら、鳥かと見紛うものすごい量の凧があがってて、ざっと肉眼で数えたらゆうに50は超えてました。
あのね、アグラ市民の皆様、凧が好きなのはわかるよ、けど何が悲しくて朝の6時前に凧あげせにゃならんのよ。
もっと他にやることあるだろうに。

しかし、かと言ってインド人って働かない人種ではないんですよね。
意外だったけど、デリーでは24時間レストランとかもあるし(朝4時に行ったらみんな床で寝てたけど)、質はともかくみんな働こうとしてる。
働かずに富まない国に同情する必要はないけど、働いてるけど富まないってのには同情の余地がありますよね。

本日は以上です。

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2006年05月28日

TURKEY・ISTANBUL

どうもこんにちわ。

三日前にイスタンブール空港で大火災がありインド行きの飛行機が飛ぶのかどうか定かではありませんでしたが、普通に飛びました。

ちなみに僕この火災の三時間前にフライトの予約をする為空港にいました。
ギリシャでも僕らがミコノス島やメテオラを観光している間にアテネで暴動があり、戻ったら店のガラスがグシャグシャになっていましたが、こういう時に思い出すのはエジプトで会った日本人の話。

僕がエジプト滞在中にダハブという場所でテロがあったのですが、この人は半年ダハブに住んでいて、しかしその日の朝にカイロに観光に来ていたのです。
聞けばこの人はインドネシアから帰ってきた後に大津波が来て、パキスタンから帰ってきた後に大地震が起きた、とのこと。
こういうのを聞いていると、これってもうついてるついてないとかじゃなく予定説みたいなもので元々そうなっているだけな気がします。

前述の通りイスタンブール到着後二日間は競馬しかしていませんでしたので、三日目にしてようやくまともなイスタンブール観光を始めました。

ブルーモスクを筆頭に数々の美しいモスク、バザールに地下宮殿と印象的なイスタンブールをたくさん見ましたが、しかし期待していた『元世界の中心』としてのイスタンブールの街はどうだったかというと、これは僕の世界史の知識に勘違いがあったと言わざるをえません。
イスタンブールは多分、世界の中心になったことなどありません。

僕は昔本で“あらゆる人間がこの街に集まった”という文を読みそう勘違いしていたのですが、それは単にイスタンブールが東西の中継地点に位置していた為に人が集まっていただけで、都市の磁力が人を集めたのではないと思われます。
僕の感じる限りイスタンブールに世界の中心的な要素はありませんでした。

ちなみにこのブログの中で僕はいかにも世界史に詳しい風に文章を書いていますが、実際は高校時代の世界史のテストでリアルに4・50点代の点数しか取れていなかったほど世界史に弱い男なんです。
ただ単に旅をしながら読んでいる地球の歩き方や、電子辞書の中から得たばかりの知識を書いているだけのペーペーですので、もしここに豪快な知ったかが書いてあっても無視してやってください。

ただそういう要素とは別にイスタンブールの街を語れば、これは今まで見てきた都市の中で一番美しい都市なのではないでしょうか。
それは街の中身がではなく、ビジュアル的な外観として、です。

前に書いた競馬の後にアジア側にある師匠の家にフェリーで渡った時のことですが、この時フェリーの上からイスタンブールの街を眺めたら、夕暮れ時の光の中にいくつもの壮麗なモスクが浮かび上がっていて、その現実離れした美しさに心を打たれました。
海とのコントラストが本当に美しかったです。

と同時にこの時のフェリーで感慨深かったのは、フェリーを降りる直前、ふと「『アジア側』ってことは、嗚呼、自分は太平洋・大西洋を越えて今『アジア』に帰ってきたんだなあ。」と思ったこと。
てなわけでフェリーを降りる時の第一歩は思うところがありました。

そしてこれはすなわち旅の終わりが近付いているということをも意味しています。

さて残り二ヶ国、最大の曲者インドのはじまりです。

本日は以上です。

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2006年05月24日

TURKEY・KAPADOKYA

どうもこんにちわ。

GWにギリシャで彼女と会う為ギリシャ前は強行日程、ギリシャ後も六月頭に北京でカナダの友人と会う約束をしていた為ゆっくり旅行できないはずでしたが、友人が彼女に会いたくなってカナダに帰ってしまったので急に旅に余裕ができてしまいました。

そいで、前に書いた通りトルコではイスタンブール以外興味はなかったのですが、時間に余裕ができたのでどこか他にも行こうと決めました。
んでどこが訪れるにいいか、とトルコ人に聞いたのですが、みんながみんな「カッパドキアが良い。」と答えます。
その中には、その後高額ツアーを売る為にそう言っているのもいましたが、だんだん皆が同じことを言ってくるのが気持ち悪くなってきて、カッパドキアに行くのはやめよう、と決めました。

かといって他に行きたい場所はないので、バスターミナルに着いて最初にあるバスに乗ろう、と、バスに乗り、揺られること11時間。
到着したのがカイセリという街です。

カイセリはマイナーな小さな街ですが、街の近くに工場がある為、一応100万都市だそうです。
ここでは現地の美味しいものをたくさん食べたし、トルコ風呂(あっちのではなく正真正銘の)にも行きました。

熱気ムンムンの室内に丸天井に開いた無数の穴から光が射し込む魅惑的な空間の中、アカスリやマッサージをしてもらう為台に寝そべっている時は最高に贅沢な時間でした。
風呂からあがった後に飲むレモン汁に炭酸水を入れる飲み物も入浴後には最適でした。
その時は、日本のコーヒー牛乳なんて意味わかんねーべ、とも思いました。

ただアカスリは、これは生まれて初めてやりましたが、どーだろーなー。
確かにすごい垢は出てたけど、すごい!すっきり!とは思えないし、その後肌がめちゃくちゃスベスベになるとかでもない(そりゃ少しはなるけど)。
それにどうせ垢なんて毎日出てるんだから一時的に取ったところでなんか意味あんの?と思います。

こんなテンション下がることを言ってしまうのは、アカスリ後のシャワーで体がすごいヒリヒリしたから。
特に乳首。いやむしろ、よく見たら血が出てました。
とにかくもういいわアカスリは。

そいでカイセリは大きな街ではないので2日もいれば十分なのですが、次は、となると、いや知ってましたけど、実はカイセリはカッパドキアの奇岩の街までバスで1、2時間の場所に位置してるんです。

そいで、結局行ってきましたカッパドキア。

んでどうだったか、と言うと、すっげー良かった。

みんながアドバイスくれて良かったし、あまのじゃくにならなくても良かった。
やっぱ世の中大事なのは素直さだよねー、と呟いたか呟きたい気分だったか、よくわかんないけどそんな感じでした。

勢い余って1日ツアーとかにも参加したんですけど、これもまた良かった。
ツアーで一緒になったのがカナダからの団体だったのも良かったです。
久しぶりに英語の環境にいて妙に安心しました。
よく考えたらこの旅で英語圏の国って1ヶ国も訪れてないんですよね。

その中の一人が、ツアーが終わり街へ戻ってくる夕暮れ時の車内で、高地からカッパドキアの街を見下ろしながら「It’s another planet.」と、いかにも西洋人的なことを言いましたが、この時はそんなフレーズがやけにはまりました。

カッパドキアの後も他の街を訪れながらイスタンブールへ帰ってくる予定だったのですが、バスの出発時間が合わなかったので面倒臭くなって一昨日直接イスタンブールへと帰ってきました。

最後、しょうもない余談ですが、酷評のアカスリですが、なぜかアカスリ後二・三日やけに女の子にもてたんですよね。
んで昔、15人妻がいるとかいうめちゃくちゃな理由で捕まりそうになったスキンのおっさんがいましたけど、あのおっさん夢でもてる呪文を聞いたとか寝呆けたこと言ってたけど、ほんとはあいつ毎日アカスリやってたんじゃねーの?と思いました。

本日は以上です。


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2006年05月18日

熱闘旅打ち!トルコ・イスタンブール編/後編〜GANYANで撃ち殺せ!の巻

アンカラ競馬の熱闘の翌日。

昼御飯は絨毯売りのトルコ人と一緒に食べて、午後一時半頃WINSへと向かいます。

絨毯屋を出る前、皆が一緒に競馬に行く男には十分気を付けろよ、と心配してくれます。
さっきまであんたらが俺に絨毯を高い値段で売りつけようとしてたんだろ、とも思いますが、この矛盾こそがイスラムの人達の愛すべき魅力でもあります。

ただ、心配してくれなくても僕の中には『犬が好きな人間に悪い奴はいない』みたいなもんで『競馬が好きな人間に悪い奴はいない』というのがあり、そこらへんは楽観していました。
万が一それが間違いで、襲われたりお金をタカられたりしても僕的には別にいいんです。

これは今回に限らず旅行全体で言えることですが、自分がこの人なら大丈夫と思った、つまりそう予想した人間が悪い人間であった場合、競馬の予想が外れた時と同様、なにかしらの損益が出るのは当然のことだからです。
例えその男に十万円盗まれようが、ま、競馬の予想が外れればそれぐらいのマイナスが出るのとなんら変わりません。
ただ単に自分の予想が外れたに過ぎないのです。

二時十分前WINS到着。
「へーい、昨日の日本人が今日もきたぜー。」と皆にからかわれるのも、これが僕の期待した状況なので気分がいいです。
しかし昨日約束したおじさんがいません。
しょうがないので馬券を買ったりカフェのオヤジと話して時間をつぶしていると、二時五分過ぎおじさんが登場しました。

聞けば、一時半から待ってたのにお前がなかなか来なかった、と言います。
二時って言ったのに…、と思いつつも、おじさんのかかり具合が嬉しいです。
このおじさんは40歳前後、頭は禿げてて無精髭を生やしています。はいているズボンは普通のスラックスなのですが、上に着た黄色の革ジャンが、肘のあたりが黒ずんでいてそれが小汚い競馬好きの印象を与えます。

そのおじさんと歩きながら駅へ向かい、競馬場行きの電車に乗ります。
おじさんが切符を二枚買ってくれて、僕に渡すのですが、その時に「帰りはお前が二人分買え。」と言います。
勝負の前の出銭はゲンが悪い、とは全く違うけど、このしっかり具合が勝負師的な感じがしていいです。

電車の中ではずっと予想していたので会話はゼロです。
三十分ぐらいしておじさんが着いたと言うので電車を降り競馬場へ向かいました。

イスタンブール競馬場はチケットを買って入ると公園が広がっていて、ピクニックをしている家族がたくさんいます。
ちょっと日本と一緒です。
そこを抜けるとスタンドが現れます。
中に入ると札幌味噌ラーメンの匂いがしました。
この匂いって日本のどこの地方競馬場でもする匂いですが、トルコでも同じなんですね。

ただ匂いは一緒でしたがトルコの場合、匂いの元はケバブです。
見ると、男達が机の上でケバブやらポテトやらと一緒に生ビールを飲んでいます。
陽光の下飲んでる生ビールが超うまそうで、おじさんに飲まない?と聞いたら「レースの後でだ。勝負中にアルコールは飲んじゃいかん。」と言われ、その通り、と思い反省しました。
と、同時にこの時、僕の中でこのおじさんに『師匠』というあだ名をつけました。

師匠は中に入ると無言で何の迷いもなく三階へ向かいます。
この、打つ場所はもう決まってる、的なところもまたいいです。

僕はそのあとすぐにイスタンブール競馬場探索にでましたが、競馬場内の人間は老いも若きもほんっと日本の競馬場にいるのと一緒ですね。
なんかめちゃ嬉しくなって「俺達ゃあ兄弟だ!」っつって全員に抱きつきたい衝動にかられました。

あと歩いていて気付いたのが、場内に数珠みたいなのを持った人間がかなりいること。
昨日のWINSでも何人か持っていたのを見ましたが、これはやっぱり日本で言うあれなのか?とか思うと笑えてきます。

さて競馬です。
昨日今日、いろいろと吸収したので、もうトルコ競馬のだいたいは理解できます。
『MAIDEN』は未勝利戦、『KUM』はダート、『CIM』は芝、『GANYAN』は単勝です。
馬券は着いてすぐ最終レースまでの重勝式を買いましたが、3レース目で外れて終わり、その後は馬連・馬単を軸に買いました。
しかしさっぱり当たらないままレースは流れていきます。

これじゃいかん、ということで残り3レースくらいから、GANYAN、つまり単勝のみでがつんと張り、がつんと取り返す戦術へと変えました。

と、同時にトルコ競馬ではパドックで馬の調子を見るのが容易だということにも気が付いてきました。
特に尻。いくら人気でも尻がガレガレの馬は来ません。
これは間違いのない事実なのですが、お尻がプリプリしてる馬がくる、というわけじゃないのが難しいところです。
最終ひとつ前のレースで桁外れにお尻プリプリの馬の単勝が18倍もついたので、これで巻き返せる!と思って買ったらドンケツでした。

さて最終レース、これまた日本では考えられませんが、トルコでは最終レースが未勝利戦です。
最終が未勝利戦って…、とも思いますが、僕みたいな逆転したい派にはなかなか魅力的な番組構成でもあります。

このレースでは前走2、3着してる馬が人気をかぶっていますが、20頭立てです、波乱の余地はあります。
そしてなんと出走馬中6頭も初出走。
総じて人気はありませんが、調教タイムも新聞に載ってないのにどうやって予想してるんだよ、という話で、そうなるとこの6頭がやけに魅力的に見えてきます。

その中でも目をひいたのが6番『LONG TRIP』。
パドックで見たらお尻もプリプリしてたし、何よりも名前がいい。
この未勝利戦からスタートし長い競争馬生活が始まる。と同時にその馬にこの長い旅路の中で出会った自分。
全てがリンクしこの馬しかない!と思えてきて、トルコ競馬のラストはこの馬の単勝で勝負することにしました。

と、こんな風にひとりよがりな世界に入っている奴は絶対に競馬では勝てない。
普通に一番人気が勝って終了しました。

結局、的中ゼロ。
師匠に「1レースも当たらなかった。」と言ったら、「me too.」と言って笑ってました。
そして、一呼吸置いてから、少しはりのある声で一言こう言いました。

「tomorrow.」

さ、さすが師匠。
たった一言で坂本九の域に達していらっしゃる。
心の中で意味もなく「そうだよね、そうだよね。」と呟きました。

あとは二人で無言のまま駅まで歩き、電車の中でも、扉が突然開いてガキが足をVの字にしてホームに転げ落ちたのを見て二人で「おぉ。」と声をあげた以外終始無言でイスタンブールまで帰ってきました。

最後イスタンブールの駅で別れる時に、師匠はどこに住んでるの?と聞くと、イスタンブールはボスポラス海峡を境にヨーロッパ側とアジア側に分かれているのですが、アジア側に住んでいると言い、来るか?というのでフェリーでアジア側に渡り、師匠の家で一緒にビールを飲んで、夜にフェリーでヨーロッパ側に帰ってきて寝ました。

この帰りのフェリーで生まれて初めて赤い月を見ました。

本日は以上です。

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2006年05月16日

熱闘旅打ち!トルコ・イスタンブール編/前編

どうもこんにちわ!

前回寝台列車の中から書き込んだ後は、翌朝七時半にイスタンブールへ到着。
よく寝れはしたけど寝たのが深夜一時で、三時頃パスポートチェックでいったん起こされ、さらに七時起きですから睡眠不足の感は否めず、ホテルチェックインの後はまず仮眠。
午後から活動を開始しました。

「さてさて今回の旅三つ目となる『元世界の中心』はどんなもんかな。」と意気揚々ホテルを出発し、歩き出すこと200メートル。
一番最初に目に飛込んできたのが、右上と左下に馬の絵をあしらった盾型の看板です。

出入りしている人間を見れば、ここがWINS(場外馬券場)のようなものだということはすぐにわかります。
トルコのWINSの様子はどんなもんかな、と中を覗いたら(どの国でもあったら覗く)、まあバス一台分ほどの小汚いスペースにこれまた小汚い男達が煙草の煙の中に群れているコテコテの鉄火場。

中に入り、ある程度室内を見て回ったあと、机でうなだれている男に「英語喋れる?」と尋ねたら喋れると言い、ここでは毎日いろんな場所の馬券を売っていて今日はトルコの首都アンカラでやっている競馬の馬券を売っているということ明日はイスタンブールで開催であるということ等を教えてくれました。

「明日はイスタンブール!」と喜び、こりゃええわい、よし明日はイスタンブールで旅打ちじゃ!と決め、男にお礼を言いトルコWINSを去りました。

朝から何も食べていなかったので、近くの食堂で飯を食べ、今日の観光ルートを考えている時、ふと、「目の前で競馬が開催されているのにやらずに去る俺ってどうよ?」という疑問が浮かび上がり、結局、当然食後にやさぐれWINSへと戻りました。

まずは近くの売店で競馬新聞『JOKER』を購入しますが、馬券の買い方から発売している馬券の種類まで全くの手探りですし、しかもトルコ語の為書いている意味もわかりません。

まずは単勝を買ってみようと考え、周りの人間に単勝の買い方を尋ねますがいまいち要領を得ません。
困っていると、人一倍がたいの大きいおっちゃんが「おい!そこの若いの、こっちへこい!」と叫んできます。
他の人よりは英語がいくらか話せたので、このおっちゃんにトルコ競馬について教えてもらおう、と話を聞いたところ、とにかく僕の始めた第5Rからでは単勝馬券はもう売ってないとのこと。
さらに売っている馬券の種類は重勝式(それぞれのレースの勝馬だけを当てていく馬券)しかないようなことを言っています。

そのうちおっちゃんがめんどくさがって勝手に僕のシートにこれはこれ、これはこれとマークしてよしこれを買え、と言ってきます。
「俺は自分で予想がしたいのだ!」と主張し、そのシートを捨てると「じゃあお前は何番がいいんだ。」と怒るから、「9番」と答えますが「次は?」と聞かれると、重勝式の予想なんてしてなかったので次のレースの勝馬なんて考えてません。
考えていると周りの人間があーだこーだ言ってきて、もうめんどくさいからその中から適当に「3、次は5、最終レースは12」と適当に選び、最後にこれに2リラと言うと、なんかおっちゃんらがあーでもないこーでもないとシートを奪い合った後(大丈夫かいね)、これを買ってこいと言うので買ってみると、まあ希望通りの買い目・金額っぽい馬券を手に入れることはできました。

しかし、僕の馬券を見て周りの人間は「えへへ、そんな馬券は当たるはずがねーべ。」というようなことを言っています。
それは予想に対してではなく買い方に対してのようです。
というのも僕は重勝式なんて買うのは初めてだったのでこういう買い方をしたのですが、周りの人達の馬券を見ると、1レースに対して何頭も勝馬を選んでいるんです。
よく考えれば当然の戦略でしょう。
案の定、僕の人生初重勝式馬券はしょっぱなのレースで外れ、速攻で紙屑と変しました。

次はきちんと全レース自分で予想し、馬も1レースあたり何頭か候補を立てる予想に変え、再度第6Rからの馬券を買いました。
それを買い終えると、さっきのがたいのいいおっちゃんが、性懲りもなく自分の予想をマークしたシートで馬券を買ってこい、と言います。
他人の予想した馬券なんて買いたくない、と思う以上にコーチ屋(昔日本にいた予想を聞かせて、当たったらコーチ代よこせと言ってくる人。今は違法。)みたいなのだったらいやだな、と思ったけど、購入金額が1リラだったので、これならもしそうだとしてもタカが知れてるなと思い渋々買いました。

さて残り3レース。
自分で予想した馬券が1枚とおっちゃんが予想した馬券1枚の計2枚の馬券を握り締め、今第6Rスタート!

ひとつ気付いたのがトルコ競馬は斜行を罰するシステムがないようです。
スタート後はもうめちゃくちゃ。進路妨害しまくりです。
当然レース後に審議なんてありません。

それでもとりあえず、トルコ競馬初当たりしました。よし!
と、同時におっちゃんの馬券も当たってました。
しかし重勝式ですので、1レース当てたぐらいでは一銭にもなりません。
全てのレースを当てて初めて金になるのです。

この感覚は初めてでしたが、やはり1レース当たるとぐっとテンションは上がってくるものですね。
次のレースが待ちきれなくなっていると、ここでおっちゃんが自分の馬券を自慢してきます。
見ると第3Rから今終わったばかりの第6Rまで全部当たってるじゃないですか。
こりゃあすごい、とは思ったけど続く第7Rは3番一頭しか選んでないじゃない。
こりゃ危険だなあ、3番が来なければ全てゼロだものなあ、と思いつつもどこかではこうして買い目を絞らなければいけないのだ、ということも学びました。

しかしまあ、僕がたった1レース当てただけでこれだけテンションが上がってるのだから、おっちゃんのテンション推して知るべし。
おっちゃんの顔も蒸気して赤みを帯びているのが見て取れます。

そうこうしているうちに第7Rスタート!

けっこう驚いたのがトルコの競馬は意外なほど直線が長く、差しが普通に届くのです。
馬群が4コーナーを回り、直線!おっちゃんは机をバン!バン!叩きながら何かを吠え続けています。
しかしながらこのレースに限っては差しがなかなか届きません。
結局その勢いのままゴール。
僕は目が悪いので何番が勝ったかはわかりませんでしたが、おっちゃんは振り向くと「スリー!」と言いました。
なんとおっちゃんは「残れ!残れ!」と叫んでいたのです。

さあ、いよいよきましたグランドスラム。
と、同時に僕の馬券も当たっていました。
そして当然おっちゃんが買わせた馬券もダブルリーチです。

おっちゃんの馬券自慢も熱を帯び、周りに吹きまくっています。
聞けば最終レース、もし3番がきた場合150リラだと言う。
150リラは日本円ではたいした額ではなくともトルコでは十分大金です。
しかもこの馬券の他にも更に何枚かリーチがかかっている馬券を持っているとのこと。

僕の手元の馬券を見ると2枚の馬券にはどちらも同じく3番が含まれています。
これは3番を応援するしかない!
僕の馬券なんてその投資金から考えて配当金はタカが知れているんですけど、ただ3番が来ておっちゃんが150リラ超をゲットすればこりゃビールぐらいはおごってもらえるかもしれんぞ…、と卑しい期待が少々。

いやいや、それよりもせっかく2レース当てたこの馬券を成就させたい!
いっちょ前に手に汗を握りました。
いよいよ最終レースの枠入りが始まります。

このWINSに入って以来ずーっと、ものすごい騒音を出しているエアコンがあります。
うるさいので誰かが消すのですが、その度カフェのオヤジがつけ直してしまいます。
しかし、レース中はエアコンがついていては中継が聞こえません。
そこでかかり気味のおっちゃんが前に進み出てエアコンのスイッチをOFFにします。

ブウゥーン…

エアコンの羽の回転数の減少と共に静まりかえる室内。
皆、黙ってスタートを待ち、室内には何とも言えない緊張感が漂います。

しかし、です。
トルコ競馬、枠入りに時間かかりすぎ。
つーのも枠入りは発走予定時刻五分前くらいから始まるのですが、実際の出走は発走予定時刻の五分後くらいなんです。
と、いうことは、ですよ、一番初めに枠に入った馬は10分以上もゲートの中で待たなくてはいけないのです。
日本の競馬では全くもってあり得ません。

しかもこの最終レースはそれに輪をかけて14番が枠入りを嫌う。
そうこうしているうちにあまりに長く待たされるんで12番がゲートの中で脱糞。
出走前のゲート内でうんこしちゃう馬なんて初めて見たわ。

もちろん室内の緊張感も台無し。
あきれて皆が雑談を始めた時、時計見たら発走予定時刻からすでに10分も遅れてました。

そうして室内の集中力が枯れきった頃、ようやくスタート。
別にこの事と結果って相互関係はないんですけど、なんかこうなると当たる気しませんよね。
8番が勝ちました。
おっちゃんの肩ががっくり落ちたのが後ろから見ててわかりました。

あーあ、と思い、自分の馬券を見ても8はなし。
しかしあれ、おっちゃんの馬券には8がいるじゃないですか。
「おっちゃんやったね。ありがとう。」と言ったけどおっちゃんは「ノーマネー」とだけ言って元気なくWINSを去りました。

自分の馬券は8が抜けたのかもしれないし、それか僕の6・7・8Rを当てた馬券、払い戻したらなんと50セントにしかならなかったので(3Rも当てたのに…)そのことを言いたかったのかもしれません。

さて、一応僕は50セント硬貨を手に入れ、これは記念に一生持っておこう、と思っていたのですが、すると一番最初に声をかけたうなだれたオヤジが僕に近付いてきて「お前、明日はイスタンブール競馬場に行くのか?」と聞いてきます。
「行く。」と、答えると「一緒に行くぞ。明日の二時ここに集合だ。」と言い残し、WINSを去っていきました。

予想以上に長くなってしまったので後編に続く!

本日は以上です。

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2006年05月13日

GREECE・THESSALONIKI

どうもこんにちわ!

現在はギリシャ・テッサロニキからトルコ・イスタンブールへと向かう寝台列車の中から書いています。

しかしまあ、この寝台列車がまじ最高なんです。
チケットは2等寝台となっているのですが、全然1等。
まず車両に客がほとんどいないから二段ベッドが部屋に一つだけのこの部屋は完全な個室。
上段ベッドは壁に倒せるから広々だしライトも明るい。しかも鏡もハンガーもついてるし、携帯の充電までできる。
いつも人がごった返していたヨーロッパの寝台で、一部屋6ベッドに人も荷物もぎゅうぎゅうに詰め込まれていたのに比べると、ここは天国です。
10時間程度の移動時間なんてもったいない。2日くらいここにいて移動していたいです。

ちなみに『2日くらい』というのは誇張ではなく、全くの本心です。
実は僕、移動がめちゃくちゃ好きなんです。
昔、他人に「旅が本当に好きな人は移動が好きなんだってよ。本当に旅が好きなんだね。」と言われたことがありますが、ほんとそんな大層なものじゃないんです。
いかそうめんが好き、と同じ意味で、ただ移動が好きなんです。
そこにはなんの意味も意思もないです。

今で言えば、ベッドの上でダラダラとなーんもしてないだけなのに、『移動をしている』という大義はある、そんなところが僕の性分に合っているんだと思います。
しかも窓の外には景色が流れているし。
最高に贅沢な時間です。

はてさて、テッサロニキとか言って日本人には超有名じゃない都市についつい長居してしまいましたが、一応ここはアテネに次いでギリシャ第二の都市です。
それは経済的な成功で第二の都市たり得ているようなのですが、実際は周辺に世界遺産やリゾート地の広がる素晴らしい地域でもあるのです。

にもかかわらずテッサロニキ付近が全く有名じゃないのは僕は名前が悪すぎるからだと思います。
『テッサロニキ』とかって、ださすぎ。
少しはメテオラやスパルタを見習えっつーの。

そのテッサロニキ周辺の見所の中でも最も僕の心を奪ったのが、アレクサンダー大王生誕の地・ペラです。
なぜなら僕はアレクサンダー大王が好きだからです。

ちなみに僕、犬を飼った時は僕の好きな歴史上の人間の名前を名づけようと思っているのですが、その上位3つはアレックス(アレクサンダー大王)、ナポレオン、サラディンです。

そのテッサロニキからバスで45分揺られたところにあるペラは、地球の歩き方にはいかにもアレクサンダー大王の生誕の地である以外何もありませんよ風に書かれているのですが、いやなかなかどうしてやります。

実際何もないのは事実で、僕は旧ペラで降りるべきものを新ペラで降り、旧ペラまで歩いて戻らなくてはいけなかったのですが、その途中の道なんて、岩手の農村を思い出しちゃうくらい田舎です。
ただ、そんな風景もあのアレクサンダー大王も眺めた風景と思えば少しは感動できますけどね。

そして、そんな道を30分ほど歩いたところにポツンと現れるのがペラの遺跡と美術館なんですが、これがいいんです。
特にモザイク画が秀逸です。

僕はこの旅で世界の名作という名作を観てきましたので、さすがにもう臆面もなく『目が肥えた』と言ってもいいと自分では思ってるんですけど、ここのモザイク画はかなりの名作だと思います。
つーのもこの日の午前中、テッサロニキの考古学博物館にも行っているのですが、そこのミュージアムショップで見たモザイク画の写真を「これはモザイク画の最高傑作ではないか。」と思っていて、そしたらそれがペラにあったからです。

自分が最高傑作と思ったものが、こんな無名の田舎街にあることを不自然に感じ美術館の係の人に「これ本物?」と聞いたら、そんなん当たり前じゃない的な反応をされましたが、そのモザイク画を含め、他の展示品もびっくりするぐらいレベルが高いんですね。
あまりのレベルの高さに他の展示品も模倣品だと思っていた、と係の人に言ったら笑ってましたけど。
最後、ペラはもっと有名であるべきだ、とその人に言ったら今新しく大きな美術館を建築中なのだ、と言っていました。

そりゃあ良かった、と言って美術館をあとにしましたけど、そういえば、僕が一人でだだっ広い遺跡を歩いている時、超偶然に日本人に会ったんです。
この人はテレビの人で、現在ローマでクレオパトラの墓が見つかったとかでそれに関連してこの地域にクレオパトラという名前の人が多いからということで取材にきているとのことでしたが、それとか放映されればまた少しペラも有名になっていくことと思います。

あの美術品のレベルの高さや『アレクサンダー大王生誕の地』などのフレーズをもってすれば、今後ペラはくる!ということで今はペラの新しい美術館の周りの土地をかたっぱしから買い占めたい!そんな気持ちですが、しかしペラもなあ、名前が、名前がださいもんなあ。
残念。

本日は以上です。

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2006年05月09日

GREECE・ATHENS

「雪、残ってるじゃん。」
無意識にその言葉が口をついた。

アテネ発ミコノス島行きの高速フェリーの窓からエーゲ海に浮かぶ小島の頂を眺めていたその時、島の山頂部分の岩壁に幾筋かの白いラインが見えた。
しかし、それは雪ではなくエーゲ海の家々が持つ真っ白な壁であった。

白壁の家々がびっしりと軒を連ねるその様は、まさしく雪そのものに見えた。

「すごい。」隣の彼女が嘆声をあげた。
「地球の歩き方に、『遠くから見るとまるで雪が積もっているようだ。』と書いてあるんだよ。まさか本当に間違える人がいるなんて…」

5月のエーゲ海に雪が残っているはずがない。しかし、そんな考えを遮るほどの美しさがそこにはあったのだ。
「いやぁ、素で雪と勘違いしちゃう俺、素敵だなあ…。」

「つか、ただ単に雪と勘違いしがちな人なんじゃないの?」

「うるせえ!」


と、いうわけでアテネ到着2日後、フェリーでミコノス島へと行ってきました。
ミコノス島は夏はゲイらが集まり不夜城と化すそうですが、まだシーズン前のため人も少なめで落ち着けたし、迷路のように白壁の家が並ぶ町並みはかわいかったし海も蒼くて綺麗でした。

ただ、GWといえども時間は限られていますので、まったりした島の空気を満喫することなく次の日には飛行機でアテネへとんぼ返りです。

そのままバスに乗り継ぎ、今度はメテオラという街へ出発です。
メテオラへまず最初に行こうと決めた理由は名前がかっこいいから。次の理由は、最高標高600メートルもある奇岩の上にそびえ建つ修道院を見る為です。

深夜にメテオラの近くのトリカラという街に到着し、この日はここに1泊。
次の日にメテオラの修道院を見学しましたが、大変だったのは、単純にその標高を登ることです。
けっこう普通に登山でした。

汗だくで一番高い修道院に到達した時のその景色は、その努力と相まって感動的なものでした。
あまりに現実離れした岩のあり方に、それ用の神話もあるのですが、実際、高さ100メートルぐらいあるタイ米みたいな奇岩がすぽっと突っ立てる様は、神話にたよらなければ説明がつかないほどでした。

ここを1日観光し、アテネへと戻りました。

以上の2つ、ミコノス島とメテオラは文句なしに良かったです。しかし、このアテネだけはなんとも言えないものがあります。
それは彼女とも共通した意見だと思われます。

アテネが首都だけにそれが「ギリシア人は…」になっちゃうのは申し訳ないですが、なんつーか僕はギリシア人は好かんです。

ここギリシアが僕の人生初東欧なのですが、これは東欧の影響なのか、それともギリシアの持つ歴史の影響なのかはわかりませんが、「ギリシアって共産主義だった歴史あったっけ?」と、思わず電子辞書でギリシアの歴史を調べてしまうくらい(偏見です。東ドイツ以外共産主義の国に行った事はありません)、人が神経質っつーか、余裕がないんですね。

そりゃ陽気でいい人もいるんですけど、トータルで感想言えと言われたらやっぱり感じ悪いギリシア人の方が印象強いです。
僕は原因は歴史にあると思います。

というのも、話は少し変わりますけど、エジプトをバスで移動してる時、暇で『生まれ変わったら絶対になりたくないものベスト5』を書いたことがあります。

そこに『貧しい国の馬車ひきの馬』というのがあります。

最初は『馬&ラクダ』と書きましたが、ラクダは後で消しました。なぜならラクダにはプライドが備わってないからです。

『貧しい国の馬車ひきの馬』が最低なのは、馬として誇り高く産まれたのに最悪の環境で最悪の仕事をしている、それが耐えられないからです。
だから、ラクダ同様鈍い牛やロバに産まれれば何の問題もありません。

つまり、かっこよく言うなら、ギリシアはこれです。

いっそ文化や歴史にプライドなんて無ければ良かった。
それが紀元前500年とかに、とんでもない文化を作り上げた割に、その後は支配支配、混乱、停滞とまるで見るべきものがありません。

僕はそのことがこのギリシアの変な劣等感をベースにした気質の裏にあると思えてなりません。

それでいて未だシエスタをとっているような国ですので新しいプライドはまだまだ先でしょう。

そういう全てが、日本人の僕には合わなかった。そういうことです。

ちなみに、ほかの『生まれ変わったら絶対になりたくないものベスト5』には『ハエ』がいます。
その理由はハエのプライドうんぬんではなく、その生涯があまりにみすぼらしいからです。

最後、個人的ニュースなのですが、実は前回のカイロ編でこのブログ通算100回書きました。
ちょっとおめでとう俺。

本日は以上です。

people_of_the_sun at 04:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)