骨の軋みはうるさくとも

ベトナムに留学してました。ベトナムの珍スポットや博物館、風俗習慣、少数民族、古本屋政談、カルト宗教、ベトナム人予言者などマイナーなことばっかり書いています。万国のマイナー趣味者よ、団結せよ!

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風呂覗きがエロいにしても、一般家庭で晩ご飯を食べている情景がわいせつなことがあるのだろうか?

私はあると思う。誰でもそう思うはずだ。

今回は『VR女風呂』と『VR側溝』を中心になぜこのジャンルが存在するか?および根底にある自分の心の恥部・古い価値観について考察する。





VRの場合は逆だ。僕たちがAVの世界に没入していくことができる。いや、没入していくべきだし、向こうもあっちの世界に没入させる仕掛けを持たなければならない。

この没入の過程が今回も肝要になる。『VR女風呂』と『VR側溝』の両方では我々は人ではなく、定点を観測するカメラになって視界を共有するだけである。自分に向かってアクションを取られるわけではない。延々と映像を見るだけである。

ジャンルで言えば「盗撮」にあたるであろうジャンルに僕は今まで興味を持ったことはない。完全に無縁であった。

AVのジャンルとしてある盗撮のカバーする範囲は広い。カップル同士の行為、自慰といった想像に難くないものから排泄、着替え、パンツ覗きなどが商品化されている。またかつては寺山修司が一般家庭の食事シーンを覗き見しており、中島らもがそれを真のエロティシズムと呼んでいた。注意してほしいのが着替えをしている姿に性行為そのものと同様のインパクトあるエロがあるわけではない。盗撮をしている(もしくはカメラ越しに窃視状態にある)ことに高揚しているのだ。

女風呂を覗くなんて、自分とは違って頭のチューニングゆるい人間の性癖だというのは誤解だ。想定されるエロと別の回路で高揚しているだけ。その回路はおそらく万人に共有できるはず。

告白する。僕がゴーグル越しに風呂場の女を見たとき、柔らかな勃起を認めた。

半勃ちではない。思うに半勃ちとはのちに来るであろう強烈な魔勃起を予感させる現象であり、色即是空のそれである。

しかしこの柔らかな勃起には先がない。エロチックでもセクシャルでもえっちでも猥褻でも淫靡でも肉感的でも暴力的でもない。なんだこの勃起は。勃起第三世界や。

だいたい女の裸を見ただけで股間が隆起するわけがない。健全な24歳である。仮に女友達が素っ裸で部屋に入ってきたら「いや服着ろや」が先に来るし、絶世の美女が入ってきても「寒くないですか?何か飲みますか?」と声をかけるだろう。これこそが風呂を覗いているという行為、もしくはこの盗撮状態に何らかの高ぶりを覚えていると感じたきっかけである。次にそれがなぜ”エロい”かについて書く。

のぞきはなぜエロいか


『VR女風呂』ではこのような視界を共有している。

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シチュエーションは大浴場で、部活か何かの合宿という設定で仲の良さそうな5人組グループが2組の計10人を覗く。

浴槽の縁、更衣室の棚、洗面台の鏡から覗いているがそれぞれに大した差はないし、簡単に想像できると思う。

現代美術家・会田誠がトイレのぞき小説『青春と変態』でこう書いている。

青春と変態 (ちくま文庫)
会田 誠
筑摩書房
2013-10-09



「覗き」とはある極端な人間観のことだ。中間をすっ飛ばして両極の間を目まぐるしく往復する高速運動のことだ。つまり、人間と人間として当たり前に見るのではなく、ある時は虫ケラと見、ある時は神様と見るのだ。

まさしくこれである。例えば体じゅうを念入りかつ隈なく洗う姿は日常の延長として当然あるモノだが非常にマヌケに見える。のマヌケな女体に、ありのままにある純白の真理に、勃起の可能性を感じた。

では会田誠のいうすっ飛ばされる”中間”とは何か。それは”単に好きなだけ”という状態ではないか?

単に好き、ではなく真に好きともなればポジティブな感情だけで構成されてはいない。表裏一体となる嫌悪、蔑視、差別などの暗い感情がごちゃ混ぜになってより強度も深みも増す。”黒い光(夏目漱石『こころ』)”なんかがそれにあたると思う。このミクスチャー感が高速運動の正体であり、覗きで勃起するメカニズムの主要因であり、強い愛である。表面的に見えるインパクトは確かに弱い。それがなんだというのだろう。勃起にだって多様性はある。

洗っている姿だけではない。会話しているシーンも股間を屹立させる。

浴槽、更衣室、洗い場のどこであっても出演者は喋りまくる。「えー私太っちゃったんだよね」「こんな大きかったっけ?」喋りを聴きつづけているとだんだんと腹が立ってくる。何聞かされてるねん俺は、とイライラする。目的もなければ話の終着点に向かう緊張感もない会話(本来会話や雑談はそういうものである)に高い声で盛り上がっているのを聞いて「うっさいねん!後にせえって!」と怒り、なぜか勃った。

盗撮なのでこちら側に向けられた会話ではない。そうだ、聞かされてるのではない。聞いているのだ。男性である私は現実でクローズドな女性同士の会話を近くでhearingすることはできる。しかし中に入ってlisteningするのはVRのように意識的に没入していくべきツールを使うときだけである。

ヘテロセクシャルなので女性は好きだ。しかし「女同士」とか「集団としての女性」にどうも嫌悪感を感じることがある。常日頃からではないし、ネット上で見るミソジニストの発信は同性としてドン引きしている。ジェンダーに限らずセクシャリティや労働観が急速にアップデートしつつあるし、自分も流れには乗っているつもりである。ただゴーグルで女風呂を覗きながら、自分の中に残滓としてある前時代的な性差意識を認めた。前時代的と敏感になるアンテナもあり、心の恥部に開き直ることもできない自分に引いてしまう。が、もう一度言うと勃っている。

話は逸れるがたとえそうした意識がほんのわずかであっても、自分が「アカンな」と思う気持ちが強ければ強いほど(抑圧という単語は使いたくなかった)ちょっとしたアクションで反応につながる。水素に対する火と同じである。

たとえば勃起とは異なるが笑いの方面で見ると、漫才師・霜降り明星のネタでカップルが遊園地にデートしていて待ち時間に彼女の長い話を聞かなければならないというくだりがある。彼女は宇宙に地球とほぼ同じ惑星があるらしいと話す。続けてその距離も大阪・東京間くらいでさして遠くはない、と興味深い情報を出すのに対して「女の話にしては聞いてられる!!」とツッコみ、爆笑をかっさらう。ネタそのものの面白さ以上に自分の嫌な感情をズバッと代弁するところに笑った。他にも見取り図(漫才師)の「女やないか!何回オフサイド教えても覚えへんねんから!」、Aマッソの「男女とか関係ないとかいうのだいたい女やねん!」、ニューヨークの大体のネタなどもそうだ。

嫌悪感とエロについて 私はなぜデブが好きか


私は太っている人が好きだ。ぺっしゃんこにされたいくらい好きだ。

かといって、あのアイドル可愛いとか、この女優美人やなとかそういう会話が理解できないわけではない。いわゆる共有された<好み>が分かった上でデブが好きだ。これも上の話と同様で、一方的な好きの気持ちだけで構成されているわけではない。まず一般に太っているのは如何なものかという論調がある。ただ恋愛という他の要素が大きなウェイトを占める場面において、太りすぎてピーコートがポンチョみたいになってしまう人を抱き寄せたときに力点と作用点が逆転するくらいに重く感じたことがある。以来、ハマってしまった。「デブデブちゃんなろうや?」と1200円くらいするハンバーガー屋にしょっちゅう誘うくらいに。つくられた<理性>や<好み>が今の僕の志向を懐柔しようとするが功を奏したことはない。

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私がデブ専であることも、風呂を覗いて勃起していたことも、この直線上を両極端の価値観の間で揺れ動いていることは共通している。この性向は全く常識的ではないだろう。むしろ非常識とも言えるこれらの性癖は常識を破壊の上に成り立っているわけではない。常識が厳然と存在しているからこそ性癖として際立っている。あとは事象をその運動に組み込めるかどうかが問題である。(『VR側溝』という側溝の下からスカートを覗く作品では全く興奮しなかったが、あれはパンツそのものを見ていただけで女体との関係性を以てパンツを見れば多少はなんとかなるかもしれない)

つまり性癖というのはプレタポルテではなくオートクチュールなのである。個々人の原体験や、心の奥底にある蔑視、それを運動に組み込むかどうかという自分と向き合うことによってはじめて生まれるものである。既成の価値観が強い力を持ちつづけている以上、オートクチュールを求めると本来的な欲望を満たしながら、一方の極からのズレをも楽しめるという逆説が起こる。

さて、プレタポルテ(既製服)とオートクチュール(注文服)は”高級”であることが前提とされている。VRという自分とも相手とも向き合わなければならないツールを使って発見した自身の性的嗜好は決して”低級”ではないだろう。たとえそれがスカトロジーであっても。

VRで見るAV(アダルトVR)は相当エロいらしい。大のオトナが出先でシコっただけの出来事を全世界に恥ずかしげもなく発信するくらいにエポックメーキングなものだと聞く。

巷にはAVメーカーのソフトオンデマンドが運営するビデオ鑑賞室いわば1人ヤリ部屋があり、そこそこ賑わっているというニュースもちらほら。

VRを3本見た僕の感想は「平均すると相当エロい」に尽きる。ただ”平均すると”なので、下半身が暴れ馬となってケンタウロスとして独立するのではないかと危惧するほどのエロいシーンと普通に大爆笑してしまうシーンがあり、それを足して2で割ったら一般のアダルトビデオより相当エロく感じただけに過ぎない。つまり普通のエロさがありながら外れ値的にどエロいシーンがあって平均をぐっとあげているのではない。




1本目に見たアダルトV R「僕のカノジョは佐々波綾」を中心に詳しく興奮を伝えよう。

使ったゴーグルは平野商会から出ている1000円のVRゴーグル。アンドロイドは一部機種しか使えなかったり、リモコンがなかったり、クオリティを求め出すとキリがないので一番安いものにしました。

内容はカップル同士の行為。全30分間でキス→性器愛撫→騎乗位→フィニッシュ、と極めてオーソドックスである。

(これ以降はアダルトVRをVR、VRでないアダルト映像をAVと表記します)

VRはAVと違う VRはトリップだ


まずVRとAVの大きな違いはなんだろうか?

僕は鑑賞者のあるべき態度だと思う。

一般的なVRでは僕たちは男優そのものとなって、男優が見えている「視界」を共有することになる。一方でAVは男優ではなくカメラマンと「視点」を共有している。仮に主観目線のハメ撮りのようなタイプであってもそれは撮影者が向けた視線を強制されているので、より自由度の高い「視界」を共有できているわけではない。

AVでは男優やカメラマンが我々に提供した映像を見て、エロいと認識し、然るべきタイミングで処理をするのが常だ。ラブラブな男優と女優が2人で「一緒にイこう…?」という映像があっても、鑑賞者である自分が「ワイも混ぜてや!これで3Pや!」というテンションで達する訳にはいかない。あったとしても「一緒にイこう…?」というカメラに抜かれたセリフを見て、エロいと認識して抜いただけに過ぎず、一緒にイっているわけではない。

VRの場合は逆だ。僕たちがAVの世界に没入していくことができる。いや、没入していくべきだし、向こうもあっちの世界に没入させる仕掛けを持たなければならない。

スマホをゴーグルにセットして再生すると、俺(=男優)は裸になって仰向けで寝ていた。視線(=男優の目玉)を共有しているので反対方向を向いても男優の顔は見えない。映るのは首までだ。服を着た佐々波綾がやってきて「今日はいっぱいエッチなことしようね」とささやいた。(まだズボン下ろすところじゃないですよ)

再生にあたって早送りのような別世界からの操作はしないほうがいい。現実にそんなことは起こらないからだ。ゴーグルのケースからスマホを出して画面をピッとやれば本番行為のシーンまでスキップできるが、そんなことするなら黙ってAVを見るべきだ。VRは我慢できる大人のためのものである。

だからこそ、普段はすっ飛ばしてしまうような女優とのどうでもいい会話やキスに至るまでにある”尺を取るためだけにあるのではないか?”と思わせるエアポケットのような時間さえも意味を持つ。その時間は我々を佐々波綾とラブラブセックスする世界に送り込むための仕掛けとなる。落語だ。ゴーグルをつけてするトリップ。

落語だってはじめっから面白いわけではない。噺の構成と同じくらいに重要なのは、観客がしっかりと落語の世界に入ることだ。つまり演者と客(=VRの出演者とゴーグルつけて見ているあなた)の双方が歩み寄ったり引き込んだりして維持される世界で笑わせ・興奮させ、同時にこちらも笑い・興奮するという形式をとる。双方が努力して維持しなければならないのに、映像を見ている自分を俯瞰して滑稽だなと距離をおいた視点(メタ視点)を持ち込むのは死罪に値するチョンボ。もちろんそう思わせないための力量もメーカー・女優に求められる。

キスがこんなものだと知らなかった


ここまで焦らしたがVRで見るキスはめちゃくちゃエロい!目を開けてするキスは過去最高にエロい!今まで目閉じろって言われてきたのが不条理に感じるくらいだった。

佐々波綾はゴーグル越しに顔を近づけ、彼女の唇は僕の唇に向かう。この時彼女の唇は見えない。ここにリアリティがある。第3者の視点ではなく視界を共有しているから。世界に没入している僕も彼女にあわせて唇を虚空に向かって尖らせた。絶対に他人に見られたくない瞬間である。お互いが完全に夢の世界を維持しあえるVRでのキスは僕だけのものである。僕は薄目を開け、今までリアルでも見たことのなかった秘密を凝視できる。やわらかな感触もないのに情事がこれから起こるぞと予感させた時点でリアルを超えた。

それだけでない。さらにあちら側の世界に引き込む仕掛けとしてあるのが”音”だ。唾液のピチャピチャ音は1人で作り出せるものでありながら、2人で作り上げたかのようなリアルさを再現しやすいのでこの手の行為では元の世界に戻してくれない威力を発揮する。続いて乳首を舐められているときも、音でなんとか耐えた感はある。しかしこれはただ耐えただけで抑えていたメタ視点が動き出すきっかけにもなる。(さあ!ズボンのボタンくらいは外してもいいだろう!)

音とリアリティだけで異世界の中にトリップすることができるわけであるが、ここで問題にしたいのが距離感である。

キス、乳首舐めと続いてパンツをずらされてフェラチオをされた。

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寝そべった僕の顔と佐々波綾は距離があいてしまう。そこで自分は男優の体に乗り移っているのだと再確認するのだが、僕は導入シーンとは全く違った感想を抱いた。あちらの世界に没入する前のテンションで見た男優の体と没入した後のテンションで見た男優の体とでは印象が全く違う。なんとなく萎えさせる距離感だなぁと思っているとパンツを脱がされた。僕は己の屹立したものを見て「これ誰のチンポやねん!!」と叫んだ。

かくして世界は壊れてメタ視点で見てしまうようになる。物理的な距離、視覚的な距離(モザイク)、精神的な距離(メタ視点)で俺は切り離されてしまった。ここで気付いたことが一つある。VRゴーグルをかぶった瞬間から男優の顔面(=視界)は完全に自分のものになるわけだが、ちょうどいい距離感ゆえに舐められてエロいなと感じられた乳首はいわば自分自身の延長の奇跡的な限界とも言える。

ここまでのことを振り返ってみよう

  • VRは自分から世界に没入する姿勢が肝要で、出演者も我々をあちら側の世界に引き込む仕掛けを十二分に使うべき
  • 全ては我々を世界に没入させるために作られている
  • 恣意的に早送りしていいわけはない
  • 女優との距離が近いほどリアルさを感じれらる
  • 逆に遠いとメタ視点が発動してVRに対して身も蓋もないツッコミをしてしまう

これくらいだろうか。続いてはメタとどう闘ったかを書く。

バーチャルの乳を揉みながら阿修羅になった僕


歌人の雪舟えまが小説『幸せになりやがれ』のなかでこんな一節を書いている。

”すきな人が服を脱ぐしぐさは何度見てもよいもので...”


歌人の面目躍如というべき”よさ”が詰め込まれた短文の意味がVRでわかった。「これ誰のチンポやねん」とツッコんだ手前、もうあちらの世界には戻れないと思ったが、やはり相手もプロ。確実に僕をあちら側に巻き込んでみせてくれた。立川談志の過去映像を見てるとマクラと落語本編の接続がスムーズ過ぎて「え、もう始まってる?」と慌ててしまうことがある。それくらい自然な流れでこちらを世界に引き込む。ゆっくりと服を脱ぐのを見ながらまたも没入する。「早く脱げや!ここ飛ばすで!」ではない。「ほーん...」である。

しかしクンニシーンでせっかくのそうした努力も無駄になる。フェラチオと同じ舐める行為だが、こちらの方が深刻な問題が集まっている。というのも男優が動いていないからだ。いや、自分から働きかける行為であるはずなのに、VRでは僕が男優そのものになるから男優は僕の意思に反して動くことができない。VRの限界である。

ゴーグル越しで見える景色はこうだ。仰向けで寝ていると女優が口元までご開帳した性器を運び、「舐めて?」と言う。ここまではありふれた展開。しかし問題はそこからだ。女優は舐められているものとして、舐められて感じたように演技をする。僕の視界から舌が動いているのは見えないし、よく見ると女優は何もない虚空に向かって股間をつきだしてアンアンと喘いでいる。その光景に入り込めず、笑ってしまった。ひっくり返したカブトムシが手足をジタバタさせているようにも見えてシュール極まりなかった。メスカブトの股間を凝視しながらズボンをおろしている自分にも恥ずかしくなってしまう。AVそのものではなく、AVを見ている自分にまで俯瞰的な目を向けたら勃起する余地なんてどこにも残っていない。

では舌が動いて彼女の性器に当たればいいのか?それも全く違う。

この問題はエヴァンゲリオンのダミープラグに似ている。

エヴァンゲリオンとは人造人間である。エヴァとパイロット(碇シンジとか綾波レイとか)の相性がピッタリでないとうまく力が発揮できないし、相性が完璧ならシンクロ率が99.89%とか時には100%を超えた数字で表される。VRとはいわばゴーグルをかぶって男優というエヴァンゲリオンに乗り込んでシンクロ率を99.89%に近づけることに他ならない。(今の技術が何%くらいかとか100%を超えたら逆にリアルから遠ざかるのではないかというのは後日)

アニメではエヴァンゲリオンに乗り込んで使徒と呼ばれる外敵と戦うのだが、シンクロ率はいつでも99.89%ではない。パイロットの心の状態によっては下がることもある。本調子でないまま外敵と戦うならほどほどの人格とシンクロさせておけ…と起動させる装置をダミープラグと呼ぶ。つまりエヴァに乗り込んでいるのに自分の意思では動かすことができず、別のシステムがエヴァを動かしているという状況におかれる。

主人公のクラスメート・鈴原トウジがエヴァ号機に乗った際に上手いこといかず、彼が乗ったエヴァごと使徒に侵食されてしまう。使徒(=友達)を倒せという命令が下るが、倒すことはつまり中にいるトウジを殺すことになる。初号機に乗った主人公がぐずぐずしているとダミープラグを起動させられてしまい、「やめろォォォ!」と自分の意思に反しながら自分の手で友達を握りつぶして脾臓破裂で殺すという回がある。

VRで男優にあわせてクンニをするとき、自分の意思とは関係なく動くおっさんの舌に自分があわせなければならない。クンニがシンクロではなく一方の死で成り立つ、実にナンセンスだ。(どうなってんだこれ‼︎何もしてないのになんで勝手に動くんだよ!)(くそッなんでいうこと聞かないんだよ父さん!!)(役立たずのパイロットは黙ってろ!)(お願いだ止まってくれ...)(トウジ!返事しろ!このままじゃ殺されちゃうよ!)


「ダミープラグ」は他のときにも起こる。たとえば『VRバスへようこそ 変態バスガイドが乗客のザーメンを根こそぎ奪う!』では、こっちのことわりもなく(当然だけど)両腕が乳を揉みしだき出した。やめろやめろとまでは行かないが、ダミーの腕が急に2本も増えたのだ。興福寺の阿修羅にでもなった気がして勃起どころの騒ぎではなかった。


ずっとそのシーンを見続けていると「もともと俺には4本の腕があって、いま2本の腕を見ているから合計6本で...」くらいまでは頭が回る。この算段でいけば腕が千本に見えるのかもしれないと思ったが、こちらとてしっかりと映像を見てきて、しっかりと高ぶって、しっかりとズボンをおろしている。そんな冷静に計算を重ねることはできないだろう。阿修羅になって知らない人の乳を揉みながら淫をなそうとしていた。

見えない阿修羅は大丈夫


それでも僕がアダルトVRを推したいのは座位の瞬間に阿修羅を超えたカラクリがあるからだ。キスシーンとほぼ同じだが、繰り返し&強調したい。

まず距離が詰められる。これによって男優の身体といった余計な情報が視界から大幅に減る。カメラで机の上のアイスコーヒーを撮影するにしても机の上が片付いていて、コーヒーの容器に集中できるようにフレームワークされていた方が映えるのと同じである。物理的には佐々波あやの腰に僕の3本目の腕と4本目の腕が巻きついて体位を維持しているのだが、この時ばかりは「でかしたぞ!オレの阿修羅!」と男優のファインプレーに感謝した。

もう1つの要素が音である。これは制作サイドも強く意識していると思う。というのも大方のVRがバイノーラル録音を導入しており、右耳を舐められたら右耳だけ響くような音がする。これだけで十分なリアリティだ。もちろん問題はあって「ダミープラグ状態」で正常位しているときに違和感をそらすためかやけに喘ぎ声がデカいという演出があった。与党が強行突破して法案を可決しようとしている時にブスの芸能人の不倫について延々と報道しているメディアみたいだ。

ただ阿修羅となり、腰に手を回し行為をするのがいつまでも続くわけではない。そもそもが終わりの決められた始まりだから。果てなければならない。

世界に没入した僕はシンクロした男優から離れて独り立ちする。没入した状態を残しつつ、自分で独り勃ちした他でもない自分のそれを握り、映像が終わるのを待つ。ゴーグルを外した僕は阿修羅ではなく賢者になっていた。


オナホが本物に近いかどうかなんて議論は古い。

人であるか否かが次のフェーズだ。

一般に道具でするか人間とするかという対立項が前提にある。僕の意図はそこにない。これからは身体的な快楽を志向するオナホと精神的な快楽を志向するオナホに二分されるはずだ。 

先日”マジックフェイス2 対魔忍ユキカゼ”という人の顔の形をした巨大オナホをいただいた。

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(切断処理中だったのでこうなってます。性癖で切り刻んでた訳ではないです)

アニメかゲームのキャラクターを模している。ペーパーバック(新書サイズ)より大きく、カドヤの400mlごま油容器よりも小さい程度の大きさで重さはなんと3キロ。価格は強気の1万円超である。メーカーはP×P×P。後述するが型破りなアイデアで勝負する僕が今一番注目している会社である。

オナホはTENGAだけではない


まずオナホ=TENGAではないということである。

TENGAのシェアが圧倒的ゆえに絆創膏=バンドエイド、コピー機=ゼロックス、xe máy=xe HONDAくらいの認識になっている。あくまでTENGAはオナホの集合要素だ。サビオも絆創膏だし、ブラザー工業もコピー機あるし、YAMAHAもバイクである。日本人は味の素と違う。(かつてベトナムでホンダ製のバイクが大多数を占めていたのでバイクのことをホンダ車と呼んでいた。今でも田舎に行くとホンダの駐車場はここと言われることがあるが、もちろんYAMAHAも駐車できる)

オナホ業界について簡単な樹形図を作ったので見てほしい。

オナホ樹形図


便宜的に4タイプに分類した。

タイプも違うので企業理念も違っている。例えばTENGA(株式会社典雅、以下会社のことを指すときはテンガと表記)は”性を表通りに、誰もが楽しめるものに”と掲げている。

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(テンガ公式サイトのトップページのスクリーンショット 2018年6月1日)


具体的には図柄をキースヘリングや現代美術家の会田誠とコラボしたデザインにしたり、性器を連想させないようなカラーリングや包装にしていることがあげられる。irohaというローターのことをセルフプレジャーアイテムと言い換えたり、言葉の選択にもこだわっているのも特徴的。

リアルさを求める会社を例に出すと17ボルドーで一世を風靡したトイズハート、ヴァージンループで逆転を図ったRIDE JAPANなどがあげられる。あくまで「気持ち良さ」を前提にし、各々がポップさ、手軽さ、リアルさ、おもしろさなどを組み合わせて差別化を図っている。僕はこのオナホ市場の状況を人気のテ(テンガ)、実力のラ(RIDE JAPAN)と呼ぶ。誰にも通じないけど。

前提としてある、この「気持ち良さ」を超克したのが”マジックフェイス2 対魔忍ユキカゼ”なのだ。


儀式的な性交と「快楽の漸進的横滑り」


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(ペンで囲った部分がつっこまれる場所)

人型であるが僕は彼女(対魔忍ユキカゼ)のことを何も知らない。人の形をしてるよな、くらいの思いで挿入を試みた。

プニプニの筐体を抑えて口の中へすすーっと入っていく瞬間に他のホールでも聞こえる妙にリアルな挿入音があった。bとpの間くらいの音だ。この時点では不安と期待のどちらにもアンサーを出していない。TENGAであれ17ボルドーであれでは筒状のものを握ってガッサガッサやっているのとは違う。人を感じさせる穴にすすーっと突っ込んでいるという時点で聞こえ方にも違いが生まれるのかもしれない。

僕は性器を性器に挿入する瞬間があらゆる瞬間で一番エロチックだと思う。その瞬間だけ集めたDVDが売っていてもいい。サークルの先輩でスカトロマニアの人が「僕は女優の顔をインタビューの時点で脳に焼き付けて、脱糞するその一瞬で抜くんだよ、短期決戦だよ」と言っていた(コイツ真面目に何言うてるねん)。僕は彼の性癖を全く理解できない。しかし各人が真にエロを感じるのは本当にわずかな時間だというのは共通認識ではないだろうか。挿入シーンを見てはじめて行為自体が意味を持つのであって、それを満たしていないピストン運動は野良の犬や猫が交尾しているのと大差ない。

『正しい保健体育』でみうらじゅんは自慰と性交の違いを笑いながらできるかどうかにあると主張していた(コイツも真面目に何言うてるねん)。笑いながら自慰をする人は絶対にいないけど、場合によっては性交中に笑うこともあるという根拠だ。思うに、キメセク乱交パーティーのような”笑いながら”するようなものであっても、極めて自然な流れで事に及んだとしても、出会って8秒で合体したとしても、挿入時には「動」が「静」に変わる瞬間がある。僕はあの照準を定める静的な一瞬に儀式性を感じていて、「静」があるからこそ性交が性交たりうるのでは、と考えている。オナホ(=自慰行為)はそれがないはずだが、”彼女”にはかすかにそれがあった。

しかしそれがあっただけで、特筆すべきところはあまりなかった。いくらか凹凸部分はあるのだが、潤滑油で薄い膜をまとっているので、感じたのは「ただ穴に入っている」だけだった。『海辺のカフカ』とは違う。同作品では(佐伯さんという)彼女の中に入っているのであって、彼女の穴に入っているのではないからだ。その意味ではまだ不完全なのかもしれない。

ここで先ほどの樹形図の口の部分に戻る。


オナホ2


口のみとはなんだと言えば口、および鼻の部分を模したオナホールが存在する。

  • ”初めてのご奉仕なので歯が当たってしまうかも?”でおなじみ「真実の口(マジックアイズ)」
  • ベロ、唇、食穴まで緻密に設計された「のどごしイマラチオ(ライドジャパン)」
  • 舌で舐め回すような構造と奥で喉輪締めができる「ナチュラルのど輪締め(ライドジャパン)」
  • 歯、硬口蓋、口蓋垂、舌、口蓋扁桃、下咽頭を色までリアルにデザインした「激フェラバキューム麻生希(日暮里ギフト)」
など



内部イメージ画像のみ
(マジックアイズ/真実の口の販促用画像)

一方で顔全体というと最初に最初に貼った画像のようなオナホを指す。

確かに口内は日暮里ギフトのリアルさやマジックアイズ・真実の口の精密さには及んでいないかもしれない。しかしこれは顔であり、対魔忍ユキカゼである。淫を成すところに重点が置かれているわけではない。彼女であるところが肝要なのだ。ここに第3のオナホとしての本質がある。性器・口腔をリアルに再現しているのが第1のオナホ、リアルを超えて「子宮5連続」などを謳うのが第2のオナホ。それぞれの限界点を踏まえた上で、行為中の身体的な快楽ではなく精神的(ex.他ならぬ彼女であるから、挿入する時の「静」、引き抜いた時の音など)な面を燃料とするのが第3のオナホである

はじめ企画の「彼女なら!彼氏のち◯ぽ当ててみろ!!」シリーズに代表されるように誰かと誰かが行為して、エロかったらそれでいいという潮流に逆行している。性の発散において、相手なんて誰だっていいけど誰かでは困る、という村上春樹的な悩みに対応するのがこれではないか。実に都会的だ。(ただ僕は使いたてのシリコン特有の工場くさい匂いにワキガを連想してしまい萎えてしまった)

他ならぬ”マジックフェイス2 対魔忍ユキカゼ”に口淫するのが大きな特徴である。しまいには説明書きに「付属の目隠しを使用していただき、征服感たっぷりのSMプレイもお試しください」とある。こいつ誰やねんの気持ちが勝ってしまい、目隠しはしなかったけどハマる人はハマるのだろう。

引っこ抜いて色々な部位を触ると大きな発見があった。

首を軽く締めると、柔らかさとシリコン素材特有のシリコン同士がねちゃっとくっつく性質が相まって”チャオプラヤ”とも聞こえる破裂音”p”を含む喘ぎ声(音)がした。まさしくフェラチオという音だ。思いっきり首を締めると”ロブ=グリエ”とも聞き取れる破裂音”b”を含む喘ぎ声(というか嘔吐音)がした。まさしくイラマチオという音だ。快楽の漸進的横滑りとも言える。

挿入した状態で首を締めてみた。説明書を読まずに試みたので正しい挿入姿勢が分からず、種田仁のガニ股みたいな姿勢のまま3キロの彼女をつかみ、手首を淡々とスナップさせた。骨格以外のシリコン部分はかなり柔らかく作られており、実際よりも重く感じた。種田の姿勢は腰への負担が大きすぎる。挿入していたモノを抜くと、純粋で綺麗な破裂音がした。僕が男性器を引き抜いたときの音を収録して学校教育の場で聞かせても何の問題もないくらいの破裂音だった。

ここでの破裂音は風船がパァァァッン!と割れるときの音のことではない。言語学的な破裂音”p”のことである。口の奥に飛び出るような力を含みながら上唇と下唇を強く弾いたときの音だ。詳しくは分からないけど。

ダダイズム運動の創始者、トリスタン・ツァラが『ムッシュー・アンチピリンの宣言』で放尿してはじめて放物線がこういうものであると分かると言ったように、僕は人の顔の形をしたオナホから陽物を抜いてはじめて破裂音”p”がなんとやらか分かったのだ。penis(英語)でもไป(タイ語)でもbú sữa(ベトナム語)でもあんパンの”パ”の部分でもいい、いくらでも発音してやる。俺は破裂音”p”とは何かについての説法を粛々と受けた仏僧ではなく、”p”について悟りを得た仏教説話の中の人や。直接体験によって会得した破裂音やねん。かかって来いよ!

オナホの極北、ウォッチャーとしては一番アツい


オナホは多様だ。上で示した樹形図から漏れたタイプがどれほど多いことか。現在のオナホをめぐる状況は一番アツい。不世出の天才がゴロゴロいる。

先日、”子宮5連続”を謳うオナホを見つけたが、これ以上のオナホがこれから生まれるのだろうか。7連続にすればいいわけでもない(長さ足りないでしょ)。性を表立って楽しめるように提案するテンガ。リアルな造形を愚直に追求するニッポリギフト、トイズハート、RIDE JAPAN。特殊な性癖に関するグッズをリーズナブルな価格で展開して間口を広くしたタマトイズ。性活家電を自称するVORZE、そして今回紹介した対魔忍ユキカゼを作るP×P×Pはアイデアで勝負する気概が強い。ジョークグッズとして戦艦型のオナホを作っていたり、女優とコラボして口腔内を再現したモノを作っているメーカーもある。

これからもっと面白い商品ができるのだろう。NHKが介護の場でアダルトグッズが必要とされていると報じていたり、海外に目を向けるとオナホメーカーはなかったり、と展開がアツい。この状況は企業ウォッチャーとしてマジでツボだ。マジでタコ壷、ミミズ千匹、数の子天井。

はあお下品。匂いのエロティシズムについて書いたこともあるので意見あったらください。匂いに関していえばタマトイズ推しです。

【参考】
他に信長書店のブログ見てたらここは関西拠点のメーカーだから応援したいとかあって和みます。

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