骨の軋みはうるさくとも骨格の正しさを尊重したい

ベトナムに留学してました。ベトナムの珍スポットや博物館、風俗習慣、少数民族、古本屋政談、カルト宗教、ベトナム人予言者などマイナーなことばっかり書いています。万国のマイナー趣味者よ、団結せよ!

はじめに、の文章で著者の田中ひかるはこのように書いている

・日本は、世界一の生理用品先進国といえるが、今日のような使い捨てナプキンが登場する以前は、欧米に比べ、かなり不便な経血処理を行っていた。

僕は日本が生理用品先進国であることすら知らなかった。日常でも普段でもその必要性は男性の僕でも彼女とかから必要性を何度も聞かされてきて、だいたいのことはわかったつもりでいたけど、先進国だったとは。生理用品に発展も未開もあるんや、というのがはじめに抱いた感想。

思えば外国人の爆買いのリストの中に紙おむつや生理用品が入ってるらしい。さらに著者は

・生理用品に触れずして、女性の歴史は語れないと思っている
・使い捨てナプキンが誕生していなければ、高度経済成長期の女性の社会進出はもっと鈍かったであろうし、生理休暇が形骸化した背景には、生理用品の進化があった

とまで主張している。
確かに僕は今までにそんなことを考えたことはなかったので斬新な意見だなと思いつつも納得できる部分がある。

そして最後に

・日本の生理用品が歩んできた道のりについて、女性はもちろん、男性にも知っていただけたら幸いである

と。そう書いてあるのをいいことに(?)、読んだのですが月経タブーの歴史から、前近代の医学的月経観、アンネ社の果たした役割、今日的な新しい月経観についてのダイナミックな歴史を知ることができた。正直な話、これくらい知識あれば何食わぬ顔で人前で生理の話ができるはず!!戸川純の「玉姫様」はカラオケで歌うけど生理の話は控えてきた自分のダブルスタンダードに終止符を打ってやりました!!


ちなみに戸川純の玉姫様。要するに生理痛の歌です。

書かれている内容

①月経禁忌

まずなぜ最近まで生理用品がそこまで発達してこなかったかということを説明するためには、月経禁忌に触れる必要があるとのこと。で、その月経禁忌というのは洋の東西を問わずどこにでもあり、昔のことですから根拠のないビックリ論が並んでいて、それはそれはおもしろい。たとえばフランスの俗説では月経中の女性はマヨネーズを上手に作れないとか...

で、その背景は男性側からすると合理的な説明のできない「神秘の現象」である上、多産多死の時代であることや栄養が十分でないことから周期性を見いだしにくかったという宮田登と功刀由紀子の論が紹介されています。「神秘の現象」ってあたりは戸川純の玉姫様と同じですが、「月に一度〜」ってところまでは把握されていなかったということ。


以降で、その「神秘の現象」ゆえに平安時代の支配者層や権力者層が血の穢れ(触穢思想)を制度として定着させ、女性抑圧のシステムとして機能していったという藤田みきえの論を紹介している。

ここら辺はよく調べ上げていて、これ以上別の文献にあたらなくてもいいかなとも思えました。他にも月経があったからこそ卑弥呼が女王となりえたみたいは話もありました。

19世紀になっても日本では月経小屋という月経女性のための隔離施設が西南日本を中心に存在していたということ、それが差別的な装置であったか、それとも日々の重労働から解放される場であり、先輩女性から性についての知識を継承できるオアシスのような場所であったのかという議論がなされてます。

『裸はいつから恥ずかしくなったか』という本によれば、江戸時代の日本人は男女混浴が普通で、特にお互いが裸を隠すような社会ではなく、性に寛容だったみたいなことが書いてたと思うんですよ。現在では月経は禁忌という側面も強いけど、僕はどっちかというと性のカテゴリーに分類されてるような気がするんです。それが最近になって生まれた捉え方なのか、昔から禁忌の対象としか見られていなくて、性的なシンボルとしては見られなかったのかってところはよく分からないです。どっちなんでしょうね。

現代でも笑いにできるレベルまで昇華した人はほとんどいない気がします。別に昇華しなくても良いんですけどね。ガリガリガリクソンのギャグで「わしゃ横漏れ防止サイドギャザーか!」というのがあるのを思い出したのメモ的に書き留めておきます。


②使い捨てナプキンの登場

これこそが生理用品史のエポックメイキングポイントであるはずです!!
まあ使ったことないんですけどね。

もともとはゴム引きパンツを履いていたのですが、戦後上野のアメ横でコーテックスと呼ばれるナプキンが爆発的に広まったのがきっかけだとか。不快感が全然違うそうです。誰か試してみてください。

次に『アンネの日記』の中で月経について「面倒くさいし、不愉快だし、鬱陶しいにもかかわらず、甘美な秘密を持っているような気がします」と書かれた部分を見た人がアンネナプキンとして売り出して、それがまた大ヒット。「ケガレのイメージ」から「甘美な秘密」へとコペルニクス的転回を起こしたのです。

と、このあとに最終章で現代のナプキン状況について熱く語っておられるのですが、やっぱ男性側の限界というか他の人に現代のナプキンいかに革命的であったのか、いかにキュレーションメディアに書いてるような情報がカス情報にすぎなかったというのを書いて欲しいです。僕はここまで。

もし書いた人がイケダハヤトなら迷わずにソフィかサラサーティのアフィリエイトやってるんやろなあ...

またも伝説の話を。今回もハノイの話です。

ある時期、中国の明がベトナムに攻めて来ました。
そのころラムソン地域(vùng Lam Sơn)では義勇軍が蜂起して、抵抗運動をしていました。当初、抵抗軍はとても弱くて何度も返り討ちに遭っていました。そこでロンの軍(quân Long)は中国軍を征伐するために聖なる剣を借りることに決めました。

その頃タインホア(Thanh Hoá)ではレータン(Lê Thận)という名の男が漁業に従事していました。
ある日、彼はいつものように網を海に向かって放ち、網を引っ張ると重みを感じました。大きい魚かなと思っていましたが、見てみると細長い鉄でした。男は一旦それを海に投げ捨て、別の場所に網を放ちました。するとまた重みを感じるので引き上げると、魚ではなく、剣の刃の部分がありました。3回目に至っても、海に投げ捨てたはずの鉄の棒が網に引っかかります。そこで男は九に大きな声を上げて「ははは!剣の刃の部分ではないか!」と言いました。同僚の漁師はホンマに怖かったでしょうね。

レータンは後にラムソン地域の義勇軍に加入し、生死をさまよいながら侵略者を撃退するために戦いました。ある日、レーロイ将軍(tướng Lê Lợi)が数人と一緒にレータンの家にやってきました。暗い部屋である日、剣が突然光りました。おかしいと思い、レーロイは剣を掴んで見ると””と刃に深く刻まれていることに気付きました。ただしそこにいる全ての人間がその剣が剣だと分かってはいませんでした。ある日、敵との戦いに破れ、レーロイ将軍と数人で逃げていると、ある森の中で突然、木の先が光り輝くのを発見しました。レーロイは木によじ上ると、それが剣の柄の部分であることに気付きました。レーロイはレータンの家にあった刀のことを思い出し、家に向かうと、案の定、二つはピッタリとはまりました。レーロイがそのことを語ると、全員が大喜びしました。

レータンは完成した剣を持ち上げてこう言いました。「これは神様がレーロイさんに大仕事を任せている証拠です。我々の身体はレーロイさんに委ねることを誓いますので、祖国を守るために行きましょう!」

レーロイ将軍とその剣の実力でどこに行っても敵をなぎ倒し、ラムソン地域軍の名声が全国に広まってそんなに長い時間が立っていないのに、昔のように森に逃げるのではなく、敵を追いつめていました。敵を追い払って1年が経ったある日のこと、当時、王になっていたレーロイがドラゴンボート(thuyền rồng)にのってターヴォン湖(hồ Tả Vọng)でのんびりしていました。すると、金色の亀が浮かび上がってきて、剣を返すようにと要求してきました。

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レーロイはすぐに袋から剣を出し、金色の亀に剣を返しました。剣を受け取った亀は底に沈んでいき、そこはかすかに光っていました。

このことから国が外敵にやられそうなときは剣が助けてくれて、戦いが済んだら湖の主である亀に返すんだという話。

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※ホアンキエム湖の画像、これしか持ってなかったです。

実はコレ、ハノイのランドマークであるホアンキエム湖に関するエピソードなんです。
ホアンキエム湖はベトナム語で書くとhồ Hoàn Kiếmとなります。これを漢越語表記すると【湖還剣】となるのです。読んで字のごとく、剣を還す湖という意味なのです!

ホアンキエム湖は他にもグオム湖(hồ gươm)と呼ばれたりします。gươmは剣という意味です。

で、ちなみにドラゴンボートというのはですね

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こんな感じの竜っぽい舟のことやと思います。1枚目の画像でもなんとなくの形が分かると思いますし、ハノイで上演されている水上人形劇に出てくるドラゴンボートもそんなビジュアルでした。
伝説にも出てくるということでホアンキエム湖はいないと思いますが、タイ湖、ダナン、フエにはあるそうです。画像はフエのもの。

【参考】

こんにちはペレストロイカです。今日もベトナムの伝説の話です。
この類いの記事があともうちょっと書けたら、とあることが説明できるんです....もうちょっとだけ続きます....

アンズオンヴオン王(vua An Dương Vương)の時代の話
王はコーロア(Cổ Loa)という国を建設しようとしていたが何度も北方勢力に阻まれて、なかなか工事が終わらなかった。ある時、金色の亀、つまりキムクイー(thần Kim Quy)が現れ、王に王国建設方法を教えた。建設が終わると、キムクイーは王に敵をやっつけるための弓を差し上げた。

その後何度も北方の敵はコーロア国に攻め入るも失敗して、敵将軍のチエウダー(Triệu Đà)は激しく怒り、チエウダーは自分の息子であるチョントゥイ(Trọng Thuỷ)をアンズオンヴオン王の娘であるミチャウ(Mỵ Châu)に婿入りさせて、息子をスパイとして使おうと考えました。

そんなこととは露とも知らず、王は娘の結婚を許しました。

ミチャウの方もまさかスパイだとも知らないので、チョントゥイにコーロア国建設の話や、弓の話をしました。ある日、ミチャウがうっかりしている隙に、チョントゥイは弓を盗み、偽の弓をすり替えました。それからアンズオンヴオン王に両親に会いにいくと言い、外に出ました。その時ミチャウには「私が外出しているあいだは、絶対に綿がつまった服(áo lông ngỗng)を着ておくように。敵が攻めてきたときには羽毛を道にばらまくのを忘れないように。私は羽毛を目印に助けに行くから」といいました。

実家に帰ると、チョントゥイはすぐに父に弓を渡しました。父はというと、すぐに軍を率いてコーロア国を攻めようとしました。しかしをその姿を見てもアンズオンヴオン王は全く動じなかったのです。最強の弓矢があると思ってましたから。弓矢を打っても、それが全くの役立たずということに気付いた王は、馬の後ろに娘のミチャウを乗せ、南方に走らせました。その間も、健気なことに娘は服の綿を道に撒いていました。

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まさにこんなかんじ 

モザ山(núi Mộ Dạ)に着き、王が自殺しようと思った瞬間に、キムクイー神が現れ、こう告げました。「敵はアナタの後ろにいますよ!」

王は後ろにいたミチャウの首を持っていた剣で斬りました。その後、王は馬で疾走し、海に身投げしました。

チョントゥイが羽毛をたよりにしてモダ山についた頃には、ミチャウは死んでいました。激しく後悔したチョントゥイは妻の身体を抱き、激しく泣いて、近くにあった井戸に投身自殺しました。

現在でもコーロア城(thành Cổ Loa)の近くには井戸が残っている。


周辺にはコーロア城博物館、アンズオンヴオン王の祠など。

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