ムザイ

  迎 賓 館 ・ 横 田 裁 判 = 無 実 の 被 告 を 支 援 



 

ムザイ163号

 横浜刑務所は 須賀武敏さんへの
  違憲・違法な墨塗り処遇を直ちにやめよ。
  医療用コルセットの使用を許可せよ
  冬期のポケットカイロの購入を許可せよ

 獄中からの手紙

 冬が駆け足でやってくるぞ!
板垣さんが、家族に送ってきた手紙から抜粋して掲載します。文責は事務局です。
                        前橋刑務所在監  板垣 宏

10月10日付け手紙より

 今年はいつまでも暑いですね。ただ暑いとは言っても、この連休の風の強かった日には桜(前刑の構内にある)の落ち葉が芝生の上をかなりたくさん舞い散っているのが見られ、やっぱり秋なんだなあと思わせるものがありました。
 また、6〜7日は地元のお祭りだったようで、祭りばやしが風に乗って塀の中まで聞こえてきました。昨年よりずっと大きく聞こえたのは、房の位置が昨年とは変わったためでしょうか。1年に1回転房があるので今年も近いでしょう。

 風はこぶ 祭りばやしや しゃばの音
 強き風 桜庭舞いて 暑き秋

 今日(9日)、ずい分前から申し込んでいた(半年前になります)目医者の診察・治療がやっとありました。なんとスローモーなことでしょうか。結膜結石を左右の目から1個ずつ取ってもらいました。もろ慢性化しているので、いつも多少のゴロゴロ感(小さなゴミが入ったような感じ)はいつもあるのですが、9月頃からは少しひどくなって、本なども読みづらくなっていましたので、やっと楽になれそうです。でも予備軍はたくさんあるので、しばらくするとまた出てくるので、いたちごっこではあるのですが…。
163-03

 10月10日付け手紙より
 いつまで暑さが続くのか、なんて書いていたら、今週に入って急に気温が下がり、肌寒さを感じるほどになりました。といってもこれで「平年」並みなんでしょうね。
 日の落ちるのも早くなって、夕食(17時〜20分間)の頃には早くも暗くなり始めています。何だか冬が駆け足でやってくるようです。
 こちらは、相変わらず、単調きわまりない日常が続いています。13〜14日の休日にやっと「生活と自治」3冊を読むことができました。農業や食に関する特集も興味深く読みました。それと辺見庸氏の連載がやっぱりいいですね。
 石牟礼道子氏が皇后に出した「手紙」について、「彼女も晩年、ご多分にもれず変節して皇后ファンになっていたのだろうか。まさか」と疑問形で一応否定していますが、「天皇制をなんとはなしに受容したり、皇室の手をかりて何ごとかをなそうとしたりするのはあやしいと思う。天皇夫妻の存在を晴れがましいことの象徴として、この国の『モデル・スタンダード』であるとするのも知的後退である」と述べているのは、まともな批判だと思います。 
 16日(今日)に米山さんから謡曲の本3冊を差入れてもらいました。差入れはうれしいのですが、所持品量が限られているので、今容量オーバーになりそうになっています。当分こちらから連絡するまで差入れを控えて下さるようお願いします。
 読むのに時間のかかる本が多く、簡単に読了出来ないからです。受刑者の人たちは休日が3日も続くとやることがなくて退屈でしょうがないと、かなりの人が言うのですが、私は逆で、休日は差入れの文書や書籍を読むので大忙しで、それだけ恵まれているといえるでしょう。とはいえ、時間が限られているので、なかなか進みません。
 それとやっぱり本格的な辞書がほしいなと思うのですが、広辞苑は分厚くて所持品量との関係で別の本を減らさねばならない上、字が小さくて読めるのかという思いもあって現在思案中です。では又。お元気で。
10月24日付け手紙より
 今週(22日の週)から前刑は夏期処遇が終了し、冬処遇となりました。居室、工場とも今までの半袖シャツ、半ズボン(私は夏も長ズボンでしたが)から、長袖上着、長ズボン着用となりました。
 その他、敷き毛布(敷布団1枚では冷えるので、敷布団の上に敷いて使う毛布です)1枚とメリヤス下着上下、チョッキ(これは着てもあまり暖かくありませんが)なども貸与となりました。
 又、高齢者(65歳以上)には、増貸与毛布1枚(普通の人は毛布2枚です)、メリヤス上下1組なども貸与になり、すっかり冬支度となりました。ただ、まだそれほど冷え込んでいませんから、上記の衣類・毛布などはまだ使っていませんが、今週中には気温も10度を割り込んで1桁台になるとの予報も出ているようなので、いずれ早晩使わざるを得なくなるでしょう。夏は暑さとの闘い、冬は冬で寒さとの闘いに勝ちきらなくてはなりません。
 前回の手紙で、米山さんから3冊の本(謡曲)の差入れを受けたと書きましたが、私の誤りで、本当は古くからの友人の松岡薫さんからのものでした。差入れの名前をちゃんと確認しなかったためで、申し訳ありませんでした。
 松岡さんのお父さんが生前趣味で能楽をやっておられたようで差入れをしてくれたようです。ありがたいことです。ただ、先の手紙でも書いたように、今書籍が所持量の限界に近づいていますので、差入れはうれしくありがたいのですが、当面はすぐ読める漫画か小説(SFが読みたいのですが)などは別として、差入れはしないで下さい。    では又。


再審請求抗告審
抗告申立理由補充書の提出
福嶋 昌男


 私は無実です。私の裁判は、デッチあげ裁判です。
 昨年、3月16日、東京地裁は、私の再審請求を不当にも棄却してきました。すぐの
24日に私と弁護団は即時抗告書を提出しました。
 この後、私は7月16日に府中刑務所を満期出所しました。私は、弁護団会議に5年2カ月ぶりに参加し、回を重ねてきました。
 弁護団は、本年9月7日に、魚住和晃神戸大学名誉教授の「筆跡鑑定書」(5月7日付)、筆跡の「即時抗告理由補充書」(筆跡に関する補充書と略)を提出しました。
 10月15日に、岸田悟鳥取大学特任教授の「再審請求棄却決定に対する意見書」(岸田意見書と略)、指紋の「即時抗告理由補充書2」を提出しました。岸田教授の意見書は警察の指紋鑑定―裁判所の棄却決定への科学的な対決を鮮明にしています。さらに弁護団は、現在、これまでの裁判経過・全体に踏まえての補充書3を準備しています。この補充書とともに私自身の補充書をいっしょに提出する予定です。


機〆匿該枷十蠅隆却決定
第1 筆跡に関して
 再審請求書に添付した「魚住筆跡鑑定書」(2013年12月10日付)は、鑑定基礎資料として東京拘置所時の私の「学習用ノート」の文字をつけ加えました。そしてメモの字と比較し、メモ字は福嶋のものでない、と鑑定しました。
 ところが、「棄却決定書」は「学習用ノート」の新規性は認めたものの、「ノート」の字は偽装されたものと、根拠も示さず予断だけで不当な判示を行い、魚住筆跡鑑定を否定しました。
 「補充書」に添付した「魚住筆跡鑑定書」(2018年5月10日付)は、さらに「自由帳ノート」をも加えて、「この膨大な字を偽装することなど不可能」と鑑定しています。私はメモなど書いていない。したがって偽装する必要もない。魚住氏は客観的、科学的に鑑定されているのです。
 しかも、「鑑定書」は、「分」、「発」、「必」、「度」、「実」、「器」等は筆跡の内在性から「個人内変動」に繰り込めない、と本質的な相違を明らかにします。
 第2 指紋に関して
 これまでの「岸田検証報告書」は、検察が提出している私のものだとする現場指紋と押捺指紋3種類、3組の指紋特徴点は、どの指紋もいくつもズレのあることを検証しています。そのズレに対して「棄却決定書」は、大きく2つの判断をしています。
 一つは、現場指紋と押捺指紋の「最適重ね合わせ指紋画像」において、「特徴点と隆線の対応関係が必ずしも保持されていない」からズレた、と判示します。
 この「決定」に対して、弁護団は「最適重ね合わせ指紋画像」の「動画」を作成し、両指紋の対応関係は適正に行われていることを示します。即ち、「動画」は現場指紋の上に押捺指紋を重ね、押捺指紋の透明度を0〜100%に変化させ、両指紋の重ね合わせが適正であり、かつ特徴点(朱印点)のズレが見えてくるのを示しています。まさに、「動画」は裁判所への私の無実の突き付けです。弁護側の新証拠です。
 二つ目は、ズレは「2次元座標上で重なり合うかどうかだけで判断しているためであると考えられる」と判示します。つまり、「棄却決定書」は、指は立体であり、両指紋は平面であるから、「ズレ」がおこる、と判示します。
 しかし、重ね合わせ画像は、石川鑑定書の写真をそのまま「最適重ね合わせ指紋画像」法で、検証しているのです。この事実で、「棄却決定」は退けられたのです。


供〆枷修侶于瓩藩彁
 第1 「共謀の上」は不明
 1994年3月16日が、第1回公判です。私は冒頭陳述で、私の無実を全面的に明らかにしました。特に、起訴状は私を「共謀の上」で起訴しておきながら、「共謀の上」の中身がないことを弾劾しました。私がいつ、どこで、誰と、どのような共謀をしたのか、全く不明なのです。
 第2 裁判での争点
 メモ内容(88枚)は本件に関係しているか。メモの字は私のものか。3枚のメモで、それぞれのメモに一個ついていた指紋は私のものかが、裁判での争点です。
 一審の筆跡鑑定書は著名な京都精華大学の石川九楊氏の作成です。大部のすばらしい鑑定書です。また、著名な山本義隆氏が「飛距離計算」は、本件に結びつかない、と証言しました。
 一審「有罪」の構成は、筆跡での立証・認定の限界を指紋で補強する内容です。従って、二審からの闘いは、メモ内容とともに筆跡、指紋への重心となりました。
 二審の筆跡鑑定書は、柳田律夫氏の筆跡鑑定書です。指紋では、岸田悟鳥取大学教授が「誤差自乗和法」による検証報告書を作成してくれました。
 二審に、当時相模女子大学教授の吉田義久氏が「火薬の燃焼」の誤りを証言しました。
 上告審では、魚住和晃氏及び斎藤保氏の両筆跡鑑定書の提出です。指紋では岸田教授の認証装置による「検証報告書」です。 上告審は、魚住筆跡鑑定書、岸田指紋検証報告書を証拠採用することなく、たったA4―2枚で上告を棄却してきたのです。ほんとうに許せません。
 第3 岸田教授と弁護団の闘い
 岸田教授と弁護団は、本件12年余の指紋検証で、警察の指紋鑑定の恣意性、デッチ上げを暴いたのです。岸田教授と弁護団の警察鑑定との闘いは新地平の切り開きです。自動指紋識別システムの限界―証拠の「王様」・指紋鑑定の突き崩しです。


掘〃淺亟・横田爆取デッチあげ弾圧に抗して
 権力の攻撃に対しては、どこまでも『無罪!』の戦取です。指名手配6年―裁判闘争25年になります。足かけ31年間の闘いです。私は現在勝利していると確信しています。この勝利は、弁護団・事務局・家族・「迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会」の多くのみなさんの力と連帯・団結によっています。
 明日からも、権力のあらゆる弾圧に抗して、一日一日と前進してまいります。       11月3日 記

爆取デッチあげ弾圧との闘い (4)
― 嫌 疑 な き 起 訴 ―       事務局
 須賀さん、十亀さん、板垣さんについては、1988年9月19日に東京地裁(神垣英郎裁判長)で第1回公判が開始されました。検察官による起訴状朗読および冒頭陳述において、逮捕時にマスコミを使って大々的に打ち上げた3人の「現場実行犯」デッチあげストーリーを維持することができず、「本件金属製砲弾の信管の作製など」を行ったとする「事前共謀」による「共謀共同正犯」説にすり替えてきました。だがその「事前共謀」が一体いつ、どこで、誰と、何爆取デッチあげ弾圧との闘いを、どのように「共謀」したというのかまったく特定することができないのです。デッチあげゆえ当然です。公判では検察に対し被告団と弁護団による徹底的な釈明要求がたたきつけられました。
 この攻勢を通して、弁護団と神垣裁判長と検察官との次のようなやりとりが引き出されました。

  弁護人 「証拠関係カードをみても直接共謀を証明するものはない。他に共謀を明らか にするも
      のはあるのですか」
  検事  「……」
  裁判長 「証拠関係カードを見る限り、要証事実(=証明を必要とする事実)を直接証 明するよ
      うな証拠は見当たりませんがほかに証拠はないんですね」
  検察官 「はい、ありません」

 このやりとりは、直接的には「直接証拠」についてのものですが、極めて異例な問答です。そこには、裁判開始にあたって、裁判長が抱いた証拠の不在に対する懸念が、はっきりと表現されています。そして検察官は、このやりとりをも契機として、自ら「本件については直接証拠は存在せず、情況証拠(間接証拠)の積み重ねによって立証する」という居直りを表明する以外になくなったのです。
 「行間を読んでくれよ」と泣きが入った検察官
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 公判を傍聴していた被告家族、同志、友人たちは、この裁判長と検察官のやりとりを聞いて、この裁判のデッチあげを実感し、無実を一層確信したのです。裁判が終わり廊下に出てきた検察官に対して、家族たちは「この冒頭陳述のどこに被告と事件との関係が示されているのか」と激しく詰め寄りました。これに対して検察官は、なんと「冒頭陳述の行間を読んでくれよ」と返事を返してきたのです。「行間」でしか「訴因」が読み取れない検察官冒頭陳述など、もはや裁判の体などなしていません。とんでもないことで、絶対に許せません。
 検察立証を成立させようというのであれば、立証の対象としての被告の行為について、いつ・どこで・誰と・何を・どのように・どうしたのか、といった具体的な項目が先ずしっかりと特定され提示されなければなりません。検察官冒頭陳述は、そのような「要証事実」を具体的に明示するために陳述されるのです。しかし、第1回公判での検察官冒頭陳述にそれらのいわゆる「5W1H」の要素の特定はまったく存在しないのです。「何を」「どうしたのか」については、事件現場の押収品から推測出来ることをいくつか記していますが、それは単に事件現場の様相を示すものでしかなく、それ自体が被告と事件との関係を示すものではありません。被告の行為について最も重要な項目であるはずの「いつ」と「どこで」がひとつも明示されていません。「誰と」も不明。そして実は肝心の「誰が」についても、「中核派革命軍が」とするか「被告人3名が」とするかでしかなく、須賀なら須賀といった特定の個人については、行為の主体としてまったく特定されていないのです。
 結局、本件の検察官冒頭陳述は、実際上、特定の誰ともわからない行為主体が、いつとも知れず、どことも知れない所で、現場押収品について何かをしたであろう、としか述べていないのです。こんな無内容な冒頭陳述をもとにした「立証」が立証たり得ないのは明白ではないでしょうか。
 起訴から26年経ってもすべてが不明のまま!
 この点について、起訴から26年経った2013年に出された差戻し控訴審判決で、東京高裁・山崎学裁判長は、「被告人3名が従事したと認定した本件金属製砲弾の弾頭部に装着された信管の開発、製造や弾胴部への炸薬の装てんに関し、いつ、どこで、どのように行われたのか、その際、他に関与者がいたのか否かなどの諸点を明らかにできないことは紛れもない事実である。」と明言しました。しかし、メモの「事実」からすれば「共謀共同正犯者の責任追及としては、必要かつ十分であるというべきである」などと、単なる「可能性」を「事実」と強弁して開き直っているのです。まさに政治的意図に貫かれたデッチあげ裁判以外ではありません。

ムザイ162号

これが『無罪!』の墨塗り弾圧だ
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 須賀武敏さんに差し入れられた『無罪!』158号(6月号)が上記のように、全面墨塗りされて交付されました。
 この見開き2頁は、本来、十亀弘史さんの「水戸刑日誌(20)」が掲載されています。板垣宏さんの「獄中からの手紙」も、これと同様ほぼ全面墨塗りされています。
 皆さん、これをどう思われますか。文章全部の墨塗りなど、前代未聞です。十亀さんや、板垣さんの存在そのものを横浜刑務所は許さないというのです。
 10月4日、内山成樹弁護士、藤沢抱一弁護士、山本志都弁護士が、横浜刑務所長宛てに「違憲・違法な墨塗り処遇を直ちにやめよ。やめなければ、法的措置も考える」という通知書を送付しました。
 福嶋昌男さんを含む4人は、お互い『無罪!』を通して励まし合い、下獄闘争を元気に、かつ不屈に闘っているのです。さらに星野文昭さんの氏名も墨塗りされていますが、星野さんとも連帯し、改憲・戦争阻止を共に闘い、団結を固め合っているのです。
 この素晴らしい交流・団結を破壊しようとする墨塗り弾圧は思想・信条、表現の自由、基本的人権の侵害であり、違憲です。また、「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」の理念に反する違法処遇であり、許されません。横浜刑務所当局は直ちに須賀さんに謝罪し、原状を回復させなければなりません。


獄中からの手紙
     横浜刑務所での3ヵ月と13日間
              ―医療処遇改善の闘い― 横浜刑務所在監  須賀 武敏

 秋は春と同様に、一年で一番過ごしやすい読書の季節です。特に獄中生活では一番快適な季節です。ここでも今月の12日に運動会です。
 私は参加できませんが、椅子に座って観戦は人数によってはできそうです。ただし、雨天の場合は中止で、矯正指導日になります。
 作業のある日は、身体の左側半分が恒常的に足のつま先から後頭部の天辺までしびれと強い痛みに悩まされている私にとっては、入室後に激痛発作に匹敵する激しい痛みをいかに緩和させるかに全神経と全精力を使う日々なので、快適な季節を実感できないですね。ただし、土日などの免業日は快適に過ごすことができます。
 さて今日は、この3ヵ月と13日間の生活に踏まえて横浜刑務所の処遇について具体的に報告します。
 ここに長期に在監するベテラン受刑者の中には、関東圏の各刑務所に在監した経験を持っている人がいます。その受刑者の話では、ここの処遇は前橋刑務所の処遇と変わらないそうです。水戸刑務所の処遇は関東圏の各刑務所で見られない例外的な処遇との事。
 私の所属する工場に出役する病者のベテラン受刑者の多くは、一時期、八王子医療刑務所で、手術などの治療を受けた経験があります。その受刑者の話では、症状が完治して、ここに移監されたが、病状が再発・悪化し、結局民間の病院で再手術などの治療を受けたとのこと。その人達は異口同音に民間の病院での治療の方が断然良かったと言っています。
 だから、新設の矯正医療センターの治療や医療環境が実際どういう状況なのかについて非常に関心を持っています。私のような矯正医療センターからここに移監してきた者に対しては、彼らと同じ境遇の試練を乗り越えた戦友としてみているのだと思います。
 ここでは、工場内での受刑者同士の交談を制限・禁止しています。ただし工場内で隣同士の場合は、一定の交談を認めています。また、グランド運動時には工場内に比べて受刑者同士の交談を一定程度容認しています。
 それゆえ、受刑者同士の交談は限られています。しかし、私の声は人一倍大きいので、私が矯正医療センターから移監され、刑期が8年間あり、腰や背中や心臓などに重大な疾患をかかえた74歳の高齢者であることは、工場内の受刑者に知れ渡っています。
 ここの工場に所属する受刑者は、みな何らかの重大な疾患をかかえ、悩み苦闘している人たちです。その意味で、医療処遇の改善をめぐる闘いが、1ミリメートル、1歩前進する成果をかちとることは、重大な疾患をかかえた受刑者全体の死活的問題になっていると思います。そうした自覚を持って、医療処遇の改善の闘いを最後まで決してあきらめることなく、粘り強く闘いぬいていこうと思っています。
 そこで、私は医療用コルセットが差し入れられた段階で、整形外科の診察を要請しようと思っています。腰痛症状をこれ以上悪化させないために、保存療法として、〈作業終了後、入室後、座位の姿勢を継続すると、激痛発作に匹敵する激しい痛みが緩和しない状況が続く〉。しかし、実際、入室後、横臥・安静にすれば確実に痛みが緩和する傾向になります。
 そこで、入室後の18時からの仮就寝までの余暇時間に畳の上で横臥・安静にする許可を出すよう要請しようと思っています。それと安静時(本就寝前の)に腰痛体操を実施する許可および作業中に医療用コルセットの許可を出すよう要請しようと思っています。
 いよいよ、この10ー11月、安倍政権による自民党の改憲案を軸とする国会発議の強行を実力で阻止する国論を二分する決戦の本番ですね。この過程で青年労働者と学生をかつてない層としての大衆的決起と組織化をなし遂げ、安倍政権にトドメを刺す闘いにチャレンジし、かちぬきましょう。共に元気で頑張り抜きましょう。
                                  10月8日 記


  益永スミコさん追悼
                            事務局 内藤 雄二
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 9月下旬になると思います。十亀トシ子さんからの情報で、益永スミコさんのご逝去を知りました。ある救援団体の集会(6月30日)で娘の陽子さんがあいさつに立ち、スミコさんの死去を公表されていました。  また、群馬で9月21日〜25日まで開催された高崎星野絵画展に陽子さんが訪れて下さり、群馬在住の田島俊昭さんにスミコさん死去を伝えられたとのことです。  それによると、今年4月30日に逝去されていたとのことです。享年94歳でした。スミコさんの遺言で、公表を差し控えられていました。また、あちこちの海への散骨も希望されていた由で、陽子さんは「散骨の旅」に出ておられたとのことです。  あらためて、スミコさんのご逝去に対し、心からの哀悼を述べたいと思います。
 スミコさんは、私が迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧との闘いに本格的に取り組み始めた1998年にはすでに被告団・家族たちとの付き合いが始まっており、4人の保釈署名運動を群馬の地で独自に開始しておられたとの記憶です。
 確か、99年頃に群馬のご自宅に訪問させていただいた時も本人から聞かされたのですが、「迎賓館・横田」との出会いは、スミコさんが養子縁組した、死刑囚・益永(旧姓片岡)利明さんに面会しようと東京拘置所を訪れたところ、すでに他の人が面会してしまい、面会ができなくなった。さてどうしたものかと考えた際、他の事件で東拘に勾留されている被告で、「十の亀」という、とても縁起の良い名前の人がいることを思い出し、その人に会ってみようということで、十亀弘史さんと面会し、それが縁で「迎賓館・横田」との関係が始まったのだということでした。
 須賀さん、十亀さん、板垣さんの未決勾留が10年になる頃から、本格的に保釈要求署名運動が展開され、社会に長期不当勾留弾劾をアピールし、署名をガンガン集め裁判所に突きつけ、実力で保釈解放をかちとろうという機運が盛り上がってきました。2000年には「不当な長期勾留をやめさせるために!十万人保釈署名運動」が立ち上がり、被告家族を先頭にして、東京では有楽町街宣を軸にして全国で心ある人々によって署名運動が展開されました。その中でも群を抜いて署名が集められたのが、群馬でした。実際にはスミコさんが一人で何百筆もの署名を集めておられることを知り、本当に驚かされ、どんなに励まされたことでしょうか。
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 署名活動もさることながら、4人の保釈に向け、「1億円カンパ」の要請を行った際には多額のカンパを行って下さり、ほんとうに頭が下がりました。
 スミコさんに関するエピソードはまだまだ山のようにありますが、一言で言うと小さな身体から発せられる驚異的なバイタリティーゆえのものだったのではないかと思います。2012年に倒れられ、闘病生活を送っておられました。安倍政権に対する怒り、憲法9条改悪に対する絶対反対を最後まで人一倍強く持ち続けて、旅立たれたのだと確信します。スミコさんの遺志を引き継ぎ、安倍政権を必ずや打ち倒し、改憲と戦争を阻止することを誓います。ゆっくりとお休み下さい。

福嶋昌男さん、満期出獄!



5年2ヵ月にわたる獄中闘争を闘いぬいた福嶋さんを盛大に迎えよう!


                               

 迎賓館・横田爆取(爆発物取締罰則)デッチあげ弾圧で、まったく不当にも懲役刑を強制されていた無実の福嶋昌男さんが、府中刑務所での獄中闘争を不屈・非妥協で闘いぬき、ついに来月13日、満期出獄を果たします。5年2ヵ月におよぶ長期獄中闘争でした。

 2012年5月17日、下獄当日。弁護士会館で、弁護団、共同代表の桜井善作さんをはじめ、多くの仲間、支援者に囲まれて、幾分上気した顔で、「勝利者として下獄します」と決意を語った福嶋さん。それが昨日のように感じられます。もちろん、下獄した福嶋さん本人にとっては、許しがたいほど長期の、奪われた時間だったと思います。

 振り返ると、いろんなことがありました。最大の勝利は、なんといっても福嶋さんが不屈・非妥協で、元気いっぱい下獄闘争を闘いぬいたことだと思います。とりわけ、下獄当初は福嶋さん本人も、外の私たちも一番の心配は、福嶋さんの拘禁症が悪化しないかどうかという点でした。しかし、ほぼ下獄1年で、投薬治療を中止して以降、どんどん体調は良くなっていきました。刑期の半分が終了する時点では、「絶好調だ」という、接見した弁護団の共通する印象が語られるようになりました。

 福嶋再審弁護団を形成する、青木秀樹主任弁護人、荒木昭彦弁護人、西村正治弁護人、萱野一樹弁護人は、月1回の弁護士面会を順番に最後までやり抜いて下さいました。また、弟の福嶋明宏さんも忙しい中、ほぼ1ヵ月に1回の面会行動を実現して下さいました。また、数多くの仲間、支援者の方々から送られてくる激励の手紙、ハガキ、年賀状、暑中見舞い、差入れなどが、獄中と獄外を結びつけ、団結を維持・強化し、福嶋さんを守り抜き、獄中闘争を勝利に導くことができたと確信します。

 獄中処遇問題では友人面会を勝ち取るために、人権救済申立てを東京弁護士会を通して行いました。2013年4月に申立て、時間はかかりましたが事情聴取などを経て、2016年2月に府中刑務所長に対し、「面会不許可は法に違反し、面会許否の裁量権を逸脱しており、面会の権利を違法に侵害している」との警告書が提出されました。これを受けて、何度となく面会を要求しましたが、まったく不当にも友人面会は勝ち取ることができませんでした。

 一方、身柄引受人に関しては、群馬在住の田島利昭さんが、2015年に身柄引受人として正式に認定され、7月23日、弁護士以外の面会がついに実現することになりました。田島さんの3年2ヵ月ぶりの再会の印象は、「体から力がみなぎっている感じで、ほんとに元気いっぱいだった」というもので、弁護団による「絶好調」という報告を裏付け、もっとリアルに福嶋さんの現状を知ることができました。

 再審闘争に関しては、獄壁を乗り越えて、福嶋さんと弁護団が一体となり、2014年12月26日に、再審請求書を東京地方裁判所に提出しました。しかし、今年3月16日、まったく不当にも再審請求棄却決定が行われ、現在抗告審を闘っています。出獄する福嶋さんを加え、体勢を整え、抗告審闘争を勝利に向かって闘いぬきたいと思います。

 再審闘争の一環ということもありましたが、弁護士面会を立ち会いなしで実現したことも大きな勝利の一つでした。

 2014年の1月に実現したのですが、現実に再審に向け、弁護団と福嶋さんとの、職員の立ち会いなし(無立会)面会が必要となったということがあります。この勝利をもテコにして、同年12月に再審請求書の提出に上り詰めることができました。
 闘いはこれからです。再審勝利めざして、ともに闘いぬきましょう! 

 

 来る7月13日(木曜日)、午前8時に福嶋さんは出獄します。朝早いですが、ぜひとも多くの皆さんとともに、出迎えたいと思います。会場を確保しておりますので、簡単な出獄歓迎会を行いたいと思います。みんなで盛大に迎えましょう。

 

府中刑務所への行き方

JR国分寺駅南口から府中駅行きバス乗車 晴見町下車
府中行きバスは2系統あり、「寺91系統」です。間違いないように願います。
(正門から数十メートル中に入ると、ガードマンが立っています。そこに結集)JR武蔵野線北府中下車、歩いて7、8分

歓迎会会場
国分寺ホール 国分寺市南町3-23-12 山元ビル3F(国分寺労政会館向かい)
       JR国分寺駅南口から徒歩4,5分
       9時前後、開場とします

歓迎会会場地図

       連絡先 090−9853−8172(内藤)



板垣さん、十亀さん下獄闘争に突入

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板垣さん下獄闘争に突入
「権力に恐れられない革命家じゃ意味がない」 (『無罪!』134号より)

6月6日(月)、板垣宏さんが須賀武敏さん、十亀弘史さんに先んじて、下獄闘争に突入しました。
 当日は、延べ40人が、弁護士会館1階ロビーに駆けつけてくださり、あくまでも明るく、元気に送り出し行動(集会)を闘いぬきました。板垣さん、十亀さんは4年7ヵ月の残刑ですので、大まかな予定をいえば、出獄は2021年1月頃と思われます。しかし、多くの参加者から4年7ヵ月を待たずに、獄内外の闘いで、監獄の壁をぶち破って、すべての政治犯をとりもどそう! そういう時代に突入している、という時代認識と決意が語られました。
板垣宏さんのあいさつ
 私にとっては、下獄というのは、まったく未知の体験となるので、何でも見てやろうという精神で、下獄闘争をやってきたいと思います。
 私たちは30年間、勝利し続けてきました。国鉄闘争と一体となって、中曽根以来の新自由主義攻撃を阻止し続け、破綻を強制している。そして、私たちの闘いは、今まさに花開こうとしている。私たちは勝利感をもって下獄することができます。
 圧倒的勝利感と、明るい展望をもち続けて獄中で過ごしていくことが、皆さんとの連帯の第1の点だと思います。
 私たちに対する判決を読むたび感じるのは、敵にとって、私たちの存在はほんとに邪魔なんだなとつくづく思います。
 権力に恐れられないような革命家じゃ意味がないんだから、その点に誇りをもって、これからも同じ人生を歩んで行きたいと思います。ありがとうございました。
十亀弘史さんのあいさつ
 私たち被告団には、不動の順番というものがあります。法廷でもそうですが、まず板垣さんがクリーンヒットを打ち、私がファーボールを選らんで出塁し、須賀さんが場外ホームランを打つ。大ファールとなることもありますが。その順番どおり下獄することになりました。なんか、落ち着いた入り方だなあと思っています。
 板垣さんと私は、4年7ヵ月ですが、まったく違った時代が来ているでしょう。そのことに希望と確信をもって闘いぬきます。
須賀武敏さんのあいさつ
 私の場合、獄中で健康で闘いぬくためには、獄中医療を断固として勝ち取っていく必要があります。下獄時期に関し、検察と対決して交渉しているところです。
 1審無罪判決を勝ち取る前に、獄中医療での決戦的闘いで、全部勝利を勝ちとり、保釈奪還につなげ、敵の攻撃に一矢報いたことを、あらためて想起し闘いぬきます。
 私は、8年3ヵ月の下獄となりますが、元気で、また皆さんと相見えたいと思います。
 集会冒頭、共同代表の桜井善作さんの3人に向けたメッセージを紹介しました。「送り出しに参加できないけれど、3人と心はひとつです。元気でまた会いましょう」というものでした。藤井高弘共同代表も多忙な中駆けつけて下さいました。内山成樹先生、坂井眞先生も駆けつけて下さいました。皆さんありがとうございました。



十亀さん下獄闘争に突入
「裁判という形をとって治安弾圧を自らやった裁判所を決して許さない」
                                長尾 悠
                                (『無罪!』135号より)   
 

十亀夫妻十亀送り出し4










 迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判の上告棄却決定から3ヵ月、6月6日に板垣宏さんを送り出したのに続いて、16日、十亀弘史さんを送り出す闘いをかちとった。
 約60人が霞が関の弁護士会館1階ロビーに集まった。新たな長期投獄に満身の怒りをたぎらせ、同時に国家権力に対する勝利感に満ちて、正午過ぎに集会が始まった。
 完全無罪をかちとる会共同代表の藤井高弘さんは、「この激動期を勝ち抜いて、一日も早く取り戻そう」と訴え、同じ北部ユニオンの組合員でもある十亀さんを激励した。
 主任弁護人の藤沢抱一弁護士は、28年前に弁護を始めたころのことを語り、3人と同年代の高齢ではあるが3人とともに再審闘争に取り組む抱負を語った。
 無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会副代表の門馬幸枝さんは、「国家にしかできない犯罪がある。戦争と冤罪だ。私はそれに死刑を加えたい。袴田さんは48年間、独房で頑張ってきたので、それを思い出して頑張ってください」と語り、「今日は皆さんと一緒にここにいることができて幸せです」と喜んだ。
 星野暁子さんは、「『行ってきます』というのが彼の思いなんですね。短歌は私たちを鼓舞激励するものとなる。4年7ヵ月は悔しいですが、それを自分たちが豊かになるものとして全部ひっくり返すものにしましょう」と語った。沖縄民権の会の座覇光子さんは、「十亀さんは獄中で私の詩を認めてくれたので、裁判に行ったら、こんなに長く付き合うことになった。十亀さんは温かくて、余裕があって、ほっとするような人でした。本当にありがとう」と述べ、自作の短歌を披露した。
 そのほか、十数人の友人が次々と思いを語った。「彼を一日も早く奪還するためにはわれわれの運動をさらに進め革命を起こすこと。内と外で闘いを進めよう」「これで獄中戦線は強力な体制になる。強烈な司令塔だ」「獄中でいろんな仲間をつくって、この国をひっくり返す中心軸になっていただきたい」「十亀さんに来てもらった学習会で若者に革命の火をつけたのも十亀さんです」「朝日歌壇の選者たちも十亀さんの歌を見て心からオルグられていると思います」
 被告団の須賀武敏さんはまだ治療が残っていて、収監日が決まっていない。弁護士会館を揺るがす迫力であいさつ。「私たちは歴史の転換期、激動期に入って、獄中でも外でも、労働者階級と資本家階級の力による闘いで決着をつける時代だ。獄中でもその模範を示す。その先陣に立つ板垣さんと十亀さんに私も続きたい」
 家族として十亀トシ子さん。「これから新たな段階に入っていく決意を固めている。こんなにたくさんの方がお見送りに来てくれたのは、この28年間の闘いがものすごくみんなの気持ちを獲得してきたからだと思う。これをもっともっと拡大する方向で、ご支援をお願いします」
 最後に十亀弘史さん本人。「ついに待ちに待った今日が来た」と述べた後、二つのことを語った。「一つは、デッチあげは絶対許さないということ。とりわけ裁判所。裁判という形をとって治安弾圧を自らやった裁判所を決して許さない」「二つは、獄中に入るとしても、皆さんと私たちの間に塀はすでになくなっている。内の闘い、外の闘い、本当に一体だと思います。すなわち皆さんの勝利は私たち獄中者の勝利なんです。まずやっぱり次の選挙に勝利しましょう。星野さんを必ず奪還しましょう。階級的労働運動において断固前進しましょう。私も、北部ユニオンの一人獄中分会として、頑張りぬきます。ともに闘いぬきましょう」。一点の曇りもない、さわやかな締めの言葉だった。
 隣の検察庁庁舎に向かって移動した。検察庁は、階段の上に鉄柵を置いて封鎖し、一人しか入れないようにしている。権力もピリピリと緊張している。その下で、十亀さんを囲んで、最後のシュプレヒコールを声も限りに上げた。「十亀さん、ガンバレ!」「デッチあげ弾圧を粉砕するぞ!」「再審闘争に勝利するぞ!」「われわれは闘うぞ!」
 そして握手、握手。門馬さんが「冤罪のない社会をつくろー!」と声を張り上げてコール。いよいよ、十亀さんが両手を上げて、みんなに笑顔を振り向けつつ、階段を上って検察庁の中へ。「ガンバレー」「行ってらっしゃい」。明るく、勝利感に満ちた見送りだった。


読者の皆さんへのお知らせ
板垣さん、十亀さんのその後
 板垣宏さん 前橋刑務所へ移監
         住所 〒371−0805 群馬県前橋市南町1−23−7

 十亀弘史さん 水戸刑務所へ移監
         住所 〒312−0033 茨城県ひたちなか市大字市毛847
 獄外から獄中への手紙・はがきは、誰でも自由に発信できますので、どんどん送ってください。今は、暑中見舞いを、ぜひ発信してください。

 ちなみに、福嶋昌男さんにも暑中見舞いをお送りください。
 〒183−8523 東京都府中市晴見町4ー10(府中刑務所在監 2017年7月12日満期)
 なお、手紙・はがきのあて先に刑務所の名前は、つける必要はありません。あらかじめ確認しておいてください。
 須賀武敏さんは、検察庁との交渉中ということで、呼び出し状は、まだ来ておりません。
須賀さんへの暑中見舞いは、新橋石田ビルの事務局までお送りくだされば、本人に渡しますので、こちらもよろしくお願いいたします。
 

板垣宏さん出頭日送り出し


ブログ用板垣
板垣宏さんの出頭日が決まりました。
6月6日(月)午後1時15分に東京高等検察庁に出頭するようにとの「呼出状」が板垣さんの手元に届きました。
「完全無罪をかちとる会」として、どのような送り出しをできるか、検討しました。その結果、以下の要項で、当日、皆さんで集まって、板垣さんと一緒に会食して、元気に送り出しをしようということになりました。
平日お昼の時間帯なので、働いている皆さんに集まってもらうのは、無理だと思いますが、ぜひとも集まれる方は、おいで下さるようお願いします。

 6月6日(月) 12時 日比谷公園内グリーンサロン集合
(グリーンサロンは、日比谷野音の隣、公園霞門から入って、すぐ右手にある、レストラン=都営無料休憩所です。)


なお、十亀さん、須賀さんは、それぞれ身体の治療の関係で、出頭日は、これから決まることになっています。大体の予定ですが、十亀さんは6月下旬出頭となるようです。須賀さんの方は、まだ目途はたっていません。
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「迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会」のブログです。

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