ムザイ

  迎 賓 館 ・ 横 田 裁 判 = 無 実 の 被 告 を 支 援 



 

無罪!219号

横浜刑務所家族面会報告

熱中症にコロナ感染、命の危険にも

何の対策もとらない刑務所当局!

                                    須賀陽子

 

 8月11日、横浜刑務所の須賀武敏から手紙が届き、なんと再びコロナに感染したと知らせてきました。8月7日に37・5度の発熱があり、抗原検査で陽性だったそうです。8月2日に夕食後の館内放送で、調理場で働いている職員と受刑者のうち9人が感染したため、3日から非常食になるとの告知があったと。須賀のいる病舎には5日までに20人のコロナ感染者が新たに収容されたとのこと。その後も感染拡大は続いているはずであり、3度目の大クラスターへの発展が懸念される状況です。

 当局はこの間中止していたワクチン接種を3日に急遽実施し、須賀はその副作用で熱が出たようです。7日朝の熱もそのせいだと思っていたら、陽性だったので驚いたそうです。問題はその後の処置。前回かかった時は重症化を防ぐ薬が支給されたが今回は一切なし。須賀の手紙によれば、熱が38・5度以上にならないと「氷のう」も支給されず、タオルを水で濡らして冷やすことも医師の許可なしにはできない。コロナの「5類」移行後、刑務所当局の責任で感染防止対策を実行する義務がなくなり「これまでの感染防止対策のほとんどが武装解除され、最初のクラスター発生前の水準に逆戻りしたような状況なのです」と。

 コロナ問題だけではありません。実はその少し前、8月2日に面会した際、須賀はこれまでにない体調の不良を訴えていました。もともと夜間の頻尿により熟睡できない傾向があったのですが、7月の中頃から不眠の症状が強まり、昼食をとった後に強い眠気が生じる。血圧を測ると、そもそも高血圧で上が140前後の数値が続いていたのに、一気に8862という低血圧になっている。尿の色も濃くなっている。一番心配なのは胸痛で、入浴した後にお茶を飲んで一息ついている時や、食後にお茶を飲んだ時に、胸がしめつけられるような痛みが起きる。3分間くらい続いておさまるが、肋骨の2番目と3番目の間が特に痛む。狭心症の発作は過去にもあったが、これは今まで経験したことのない痛みだと。

 この体調不良について獄外の医師の意見を求めたところ、軽度の熱中症による脱水症状が原因ではないかとの疑いが出されました。須賀がいま収容されている病舎は、病舎であるにもかかわらず室内に冷房装置がありません。廊下にはエアコンがあってその冷気が一定、室内にも入ってくる構造にはなっているようですが十分ではない。窓は閉ざされており外の風も入らず、とくに夜は蒸し風呂状態になるとのこと。連日の酷暑・猛暑が続く中、熱中症になって全くおかしくない状況です。しかし抜本的な対策がとられる気配は全くありません。

 

▼「病舎」とは名ばかり

 須賀はこの状況を「生命の危機のリスクがあることを百も承知して、治療放棄を決め込む当局の意向の中に、当局が受刑者を虫けらのように扱い、命を落とすことは自業自得だと思っていること」が見てとれると弾劾しています。そして「病舎」の恐るべき非人間的な処遇環境について、次のように書いています。

 「窓は鉄製のブラインドで閉ざされ、外の風景と大空を眺めることのできない、きわめて閉鎖的な環境です。懲罰房の環境に近い。冷暖房の設備は室内に存在していない。ブラインドで外界と遮断している関係上、工場出役の単独室より夏は蒸し暑く、冬は寒い住空間です」

 「安静時間は平日も休日も9〜11時と1315時です。夕食・点検後以外は、家族からの手紙や写真を見ること、書物や新聞などを読むこと、医療日誌などの記載を含め書くことは一切禁止です。この禁止事項に違反すると懲罰の対象になります。また懲罰房と同様に夕食・点検以降にならないとラジオ放送は一切ない。テレビ視聴はできない。沈黙の世界です」

 さらに、室内の掃除は病者の責任とされて掃除の時間も夕食・点検後に限られており、実際には掃除などできない。このため室内の汚れは放置され、パジャマやシーツなども共用とされていて、「病舎」なのにおよそ不衛生な環境にある。収容されている病者は須賀以上に重度の疾患を抱えている人がほとんどで、激しい咳込みと吐き気などの症状で一日中もがき苦しんでいる人もいる。その不安、苦痛、ストレスを紛らす手段は一切なく、症状は悪化するばかりだと。要するに、この「病舎」なるものは本質的に医療施設では全くなく、逆に病気になった受刑者を厳重隔離して死ぬのを待つ施設でしかない!ということです。

 須賀がいま医療センターへの移監を切実に求めているのは、寝たきりだけが強制されるこんなところに閉じ込められていたら筋力が衰えて歩けなくなるだけでなく、全身が弱り、ほんとに命の問題になりかねないという危機感からです。医療センターでは少なくとも横臥安静が暴力的に強制されることはなく、安静時でも新聞を読めるし手紙を書ける。ラジオのスイッチをオンにすれば自分の好きな音楽に耳を傾けることもできる。形式的とはいえ一般の病院での入院患者に対する扱いに近い処遇での運用がされている。これと同じ処遇をなぜ刑務所の「病舎」にも適用しないのか。岸田はいま「人権」を口にして中国への排外主義をあおり侵略戦争に突き進んでいるが、その岸田と日本政府が国内の労働者人民に対しても実際にはいかに非人間的で残酷なことをやっているのか! その典型例の一つがここにあります。

 改めて怒りを倍加させ、闘いを続けましょう。





戦後史で最悪の岸田政権を倒そう!


        十亀弘史

 十亀写真


 真夏のマンション清掃現場で、私が一番難儀するのは、地下駐車場の入り口の排水溝です。この際、写真を示しますが、真ん中が排水溝。その左側が車が地下に下りて来るスロープになっていて、右側が10台ほど停められる駐車場です。ご覧のとおり、排水溝には蓋として、鉄製のグレーチングが置かれています。そこへ、スロープから落ち葉が吹き寄せられます。その葉っぱがそのまま溝の中へ落ち込んでしまうと、雨の時に溝の中の排水口を詰まらせて、駐車場全体が洪水状態になってしまいます。それを防ぐために、写真にあるとおり、グレーチングの下にビニールのネットを張って、葉っぱが溝の底に落ち込まないようにしています。

 で、何が大変かというと、このグレーチングとネットとの間の落ち葉を全て除去しなければならないのです。そのためには、まず全部のグレーチングを一旦はずさなければなりません。溝の全長に6枚置かれているこの鉄のグレーチングが1枚1枚結構重い。それをはずして落ち葉を取り除き、次に、ネットの下のゴミを掃きとります。そして、ネットをきれいに調整して、そこにまたグレーチングをうんうん言いながらかぶせます。

 15分ほどかかる作業ですが、汗が吹き出しっぱなし。前傾して重いものを上げ下げし、腰に応えます。膝をついてズボンを黒く汚すし、腕はたちどころに蚊にくわれます。暑くて葉っぱの多い夏は本当にきついっ! ただ、考えてみればグレーチングはつまりは鉄格子です。わが生涯は、鉄格子との格闘の連続なのかと、つい笑えてきます。

                  ×               ×            

 いま、少し気になっている事件があります。「木原疑惑」事件です。木原とは、木原誠二官房副長官のこと。岸田の最側近。一番悪いやつの一人。

 06年に、木原の現在の妻の「X子さん」(と文春は報じています)の当時の夫だった安田種雄さんが「怪死」します。警察は「自殺」として、捜査を終了。しかし、不自然な点が多く、他殺を疑う声も絶えませんでした。『週刊文春』がこの間、連続してその疑惑の追及を続けています。そして先日、728日には、X子さんの当時の取調官だった佐藤誠元警部補が実名での記者会見で、公務員の守秘義務を破って、警察による事件捜査への疑問を公言しました。まだ終わっていない殺人事件だ、もっとちゃんと調べろと示唆したのです。

 もちろん、個人的な殺人事件の中身は、どうでもいいことです。問題は、木原が、その事件の捜査を妨げようとしていることです。直接的に捜査を妨害するのではなくても、圧力を使って、妻に関わる事件(X子さん自身が犯人というのではなく、彼女の親族が疑われているようです)を霧の中へ隠そうとしていることです。そして、そのことを文春以外のマスコミが一切報道しようとしないことです。

 かろうじて、8月2日の朝日「天声人語」が、木原が文春などに対する反論の記者会見をしないのは「解せない」として、「いったい事実はどこにあるのか。疑念の声がくすぶる」と書いています。しかし、記事として木原疑惑を伝えようとはしていません。テレビも一切報道していません。

 8月4日の岸田の記者会見でも、木原疑惑について質問した記者は一人もいませんでした。マスコミにとって木原は重要な情報源なのでつつきたくない、という忖度が働いているようです。望月衣塑子さんは、ツイッターに「内閣広報官から指名された政治部記者は、誰一人『木原疑惑』の質問をぶつけなかったのか。。。酷い。。。」と書いています。ここには、「記者クラブ制度」の構造的な歪みも明白に示されています。

 ただ、『週刊現代』は、要約しますが「岸田もついに木原を更迭する覚悟を決めたとみられる」と報じているそうです。「支持率低下の原因を木原に押しつけ、難局を乗り切る」模様とのことです(講談社のウエブマガジン「現代ビジネス」より)。

 しかし、岸田が「難局を乗り切る」ために本当に求めている道はまさしく戦争です。そのことは例えば88日の麻生太郎副総理の台湾での発言などにもはっきりと表れています。政権ナンバー2の麻生が「金をかけて防衛力を持っているだけではだめ」、実際に「戦う覚悟」こそを、と絶叫しました。直ちに「武力衝突を想起させるような」(朝日新聞)発言であり、一種の宣戦布告ともいうべきです。木原疑惑などに見られる政権の黒々とした闇もその戦争への道とつながっています。戦後史で最悪の岸田政権を倒そう!          (8月10日)

 


朝日歌壇


  議論するべきは財源ではなくて軍拡自体であるはずなのに

             十亀弘史(8月6日付朝日新聞「朝日歌壇」掲載)




再び、地球の環境破壊

 ~日々、危険な暑さです~

                    202388日 福嶋昌男

 

 地球の温暖化が著しく進んでいます。

7月、前橋の最高気温の平均値は344℃で、1897年以降で最も高くなりました(読売新聞2023日付け群馬版)。また、月の東京の平均気温は287℃(平年比プラス℃)で過去最高になっています()。この気温上昇は、日本全国に共通しています。日、福島県伊達市は、40℃です。

 明らかに、私たちの若いころと比べて、暑くなっています。昆虫、蝶、カエル等がいなくなりました。この短い年月に、気温の上昇を感じるのは、大変な地球環境破壊であり、気候変動です。

 世界的に見て、北アメリカ、ヨーロッパ、中国の気温上昇は、40℃50℃であり、熱波、洪水、山火事、北極、南極の氷の融解と著しいです。多くの死者が出ています。

 この環境破壊気候変動を振り返って見ますと、第次世界大戦の毒ガス使用と石油の使用(石炭を含む)が決定的な節目であること分かります。そして、今日の世界戦争情勢・核戦争の危機で、戦争気候変動から地球の破滅・人類の破滅を引き起こしています。私たち自身がです。

 

 第世界大戦は、地球の環境破壊に

  第次世界大戦は毒ガス戦とも言われます。

 ドイツ軍は191528日、ベルギーのイープルで毒ガス(塩素ガス)を使用しました。陣地・塹壕の兵士はのどをかきむしり、阿鼻叫喚と化しました。5000人の死者です。

【大戦での死者は千数百万人と言われています。その内20万人が毒ガスと言われます】

 戦後、毒ガスは殺虫剤、農薬そして有機塩素化合物になります。

 大戦には、あらゆる近代兵器が登場します。タンク、飛行機、潜水艦、戦艦等々です。飛行機はガソリンを使用し、タンク、軍艦は重油を使用します。資本家帝国主義各国は石油の戦略性を自覚します。帝国主義各国の石油の争奪戦が第次世界大戦を引き起こしたと言えます。

【第次大戦後、石油化学工業が興隆します。今日、私たちの自動車、飛行機、船舶等々は石油で動き、そのCO2と石油製品は、環境破壊の元凶です】

 


  エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』(1844〜45)は、資本主義的生産がいかに労働者を抑圧・搾取し、悲惨な状態に陥れているかを明らかにし、またマンチェスター、ロンドンの公害・環境破壊を明らかにします。

 産業革命からイギリス資本主義の確立は石炭の使用、重工業で川、土、大気を汚染します。ロンドンのテームズ川からはメタンガスが出ています。

 資本主義的生産力の巨大化は個別企業のいわば部分的な公害・環境破壊を超えて、世界市場の「開拓」・植民地化で、地球環境を破壊して行きます

 

 地球温暖化の原因は、CO2

  1 私は、地球温暖化の原因はCO2と思っています。あふれかえっている自動車の保有と使用、それに飛行機での海外旅行です。最大の環境破壊は、戦争です。

 世界のCO2排出量は、2019年度約335億トンで、その内交通関係は約20%です。67億トンです。その内、乗用車が45%、飛行機11%です。世界の車は、2019年度約15億台で、5・2人に台の割合です。

 資本主義社会、スターリン主義社会を打ち倒さない限り、自動車を制限することはできません。私たち自身が日々温暖化を加速しています。

  原始大気はCO2N2がほとんどでした。O2はありません。O2は約35億年前からのシアノバクテリアが光合成で作ってきました。

 

2 帝京大学文学部教育学科紀要 第36(20113)


帝京大学紀要改訂版 (2)


 地球のCO2は約
億年前の植物の繁茂光合成で、大木が石炭となり、地中に固定化されます(参照)。その後、CO2は変動していますが、現在410ppm(0・041%)です。

 CO2濃度は産業革命時、280ppmでした。資本主義社会の確立で、また、スターリン主義の発生で化石燃料をたくさん使い、410ppmになっています。とりわけ、第次世界大戦後の石油の大量使用は半世紀余で、100ppmの急速な上昇です。石油は、数億年前の海の生物の死骸が化学変化したものです。 

 

結び

 現在世界戦争情勢下、世界戦争は核戦争の危機を孕んで進行しています。ウクライナ軍の反転攻勢そこでの米帝・NATO軍からの戦車戦に対して、ロシア軍は戦術核で対抗しようとしています。

 帝国主義各国の世界市場の再分割戦と市場のブロック化はロシア、中国スターリン主義の軍事的対応を巻き込んで第次世界大戦・核戦争の危機にあります。

 現下の世界戦争・核戦争と環境破壊・気候変動の阻止は共産主義革命によってしかできません。

 労働者は自らの職場の生産手段を良く知っています。労働者が生産手段を管理・運営するたたかいの中で、労働者は自ら生産した総生産物量から社会の共同元本を差し引いた上に、自らの労働時間に応じた生産物を返してもらいます。

 この労働者の闘いで、戦争はなくなり同時に公害・環境破壊・気候変動もなくなります。

 

 ・世界戦争・核戦争阻止

 ・気候変動阻止

 ・福嶋第2次再審へ





原発汚染水を海に流すな! いわき行動

7月30日午後、福島県いわき市で3・11反原発福島行動実行委員会の主催による「原発汚染水を海に流すな!いわき行動」が闘われました。集会には185人が結集して8月中にも狙われている原発汚染水の海洋放出攻撃に対して怒りの声を上げました。茨城県労働組合交流センター、動労総連合水戸、NAZENが共催団体として集会成功の一翼を担いました。集会後、いわき駅前までデモ行進を行い、福島現地の労働者住民にともに闘うことを訴え、大きな反響がありました。



いわき椎名さん

 

椎名千恵子さんが「核戦争下の緊急行動」と方向提起

実行委員会共同代表・椎名さんは開口一番「今日の集会は核戦争下での緊急行動だと思っている」と発言。7月28日に国内最古の高浜原発1号機が再稼働されたことを満腔の怒りで弾劾しました。さらに西村経産相が漁協を訪問し困窮する漁業者を札束で籠絡しようとする現実を暴露し、「なんと卑劣な行為か。恥を知れと言いたい」と語気鋭く怒りをぶつけました。韓国民主労総の闘いを紹介し、今日の集会を反戦・反核・反原発闘争として成功させ、8・6広島―8・9長崎闘争へ闘おう、岸田政権を倒しましょうと力強く訴えました。
 続いて基調報告を動労総連合水戸書記長石井真一さんが提起しました。石井さんは、IAEAの階級性を暴露し、芳野友子連合会長がGX法案の先兵になっていることを断罪しました。そして長い闘いになるが、闘う労働組合を先頭に勝利するまで闘おうと意気高く提起しました。
 続いて全国の仲間からの訴えが続きました。圧巻だったのは、8・6ヒロシマ大行動実行委員会の保科衣羽さんの「広島特別アピール」でした。以下、本人の了承も得、発言の抜粋を行います。(文責 事務局)

 

広島特別アピール

反戦反核の闘いは福島の怒りとともにある

            8・6ヒロシマ大行動実行委員会 保科衣羽(ほしな きぬは)


いわき保科さん

 G7広島サミットは、帝国主義の戦争会議だと私たちは1年前から言い続けてきましたが、まったくその通りになりました。

 岸田はゼレンスキーを広島まで来させて、ウクライナ戦争はどうなりましたか。ゼレンスキーは停戦を訴えるでもなく、自分の国の民衆が傷つき被ばくするとわかっている、クラスター爆弾や劣化ウラン弾もどんどん受け入れているではありませんか。

 労働者民衆の中には、プーチンは悪だ、ウクライナを応援しようという人もいたと思いますが、ウクライナを応援すればするほど戦争は激しくなっていきます。良い戦争も悪い戦争もなく、労働者民衆は国境を越えて連帯し、すべての戦争に絶対反対を貫き通す以外にないということが、あらためてはっきりしました。

 戦争会議である、G7広島サミットが出した宣言が「広島ビジョン」です。「すべての核を今すぐなくせ」という被爆者の願いも、「核と人類は共存できない」という福島の教訓も、何もかもを踏みにじり、G7が保有している核が侵略戦争を防いでいるんだという、まさしく核抑止論そのもの、そして、これでもかというくらいの原発推進、IAEA賛美です。

 核で世界を支配するためには、どうしても原発が必要だということ、核戦争のために原発があるんだということをG7自らが暴露しているようなものです。

 原爆投下から11年後の1956年、広島で「原子力平和利用博覧会」が開催されました。会場は、平和公園にある原爆資料館です。原発は「平和利用」なのだと被爆地ヒロシマから発信することで、被爆者の怒りをなきものにし、あるいは、反核の闘いを分断しました。戦後の核支配体制づくりに、被爆地ヒロシマが利用されたのです。

 

 もう一つはっきりしたのが、核で世界を支配するためにはなにがなんでも福島を圧殺しなければならないというところへ、彼らが追い込まれているということです。広島、長崎の被爆者を先頭にした反核の闘いは、78年間、核戦争を阻んできました。もう一つ、今核戦争を阻む大きな力が福島の怒りなのです。

 福島の怒りとは、福島に住んでいて原発事故で被ばくさせられた人たちだけのものではありません。原発事故後の、政府、東電、医学界、マスコミ、これらは一体何なんだ、こんなにも命が軽んじられるのかと、足元が崩れるようなショックを受けた人は、この世の中に膨大に存在しているはずです。私もその一人でした。

 岸田は今、G7サミットや広島ビジョンのことで激しい批判にさらされています。私たちの「広島ビジョン」反対の街頭宣伝やデモが、広島市民の皆さんから、ずいぶん支持されていると感じます。デモをやると、特に若い子は沿道で踊ったり、「戦争反対」と一緒に声をあげたりしています。飛び入り参加も珍しくありません。街宣ではビラの受け取りもよいし、その場で話し込んでいく人もたくさんいます。そして、今までになかった現象として、さっと近づいてきてカンパしていく人が毎回のようにいるのです。平和のための会議であるかのような大宣伝をしたG7サミットで、岸田のペテンに気づき、戦争情勢を肌で感じて、何が起きているかを知りたい、自分はどうすべきなのかを考える人、反戦の闘いを求めている人がどんどん増えているのです。

 では、岸田はこの状況に慌てているでしょうか? 私はそうは思いません。あんなサミット、あんな「広島ビジョン」が大反発を食らうことなんて、分かりきっているではありませんか。岸田はすべて覚悟のうえで、「被爆地ヒロシマ、平和都市ヒロシマ出身、核なき世界を訴える日本の首相」という仮面を自らかなぐり捨てたんです。帝国主義の顔をむき出しにして、もう被爆者の顔色をうかがうこともやめて、核でこの世界を支配する側に立つことを宣言したのが、G7サミットだったということです。サミットで、これまでとは全く違う次元の情勢に突入したということです。日本帝国主義の全体重をかけて、8・6の闘いを叩き潰そうとしてくるのは明らかです。

 戦争と核をなくす闘いは、つねに福島の怒りとともにあります。8・6の朝、原爆ドーム前1000人の大結集で、この闘いに絶対勝利しましょう!




8・6―8・9ヒロシマ、ナガサキをたたかって

                          事務局 内藤雄二

 

 私のふるさとは、中国地方にあります。その関係もあり、長い間、8・6ヒロシマ大行動と帰省をセットにして過ごしてきました。したがって、九州の皆さんには申し訳ありませんが、8・9闘争への参加は、ずっと見合わせてきたのです。しかし、今年は意を決して、はじめての連続闘争に決起しました。

 なにより時代が完全に変わりました。世界戦争がすでに始まっています。「新たな戦時下」に私たちは生きています。私たちも変わらなければなりません。開戦から1年半、ウクライナ戦争は、とりわけ5月G7広島サミットを転機に、その様相を一変させました。アメリカを先頭にNATO諸国、日本などがウクライナの民衆に想像を絶する犠牲を強制しながら、この戦争を対ロシア戦争として果てしなく激化・長期化させようとしています。アメリカは、その先に中国との全面的な戦争を構え、日本とNATO諸国を総動員しようとしているのです。

 「絶対反戦(・反核)」の闘いが決定的であり、それは、つきつめれば自国政府打倒の闘いそのものです。2023年頭から岸田政権との激突が火を噴き、その歴史的地平の深さを噛みしめればかみしめるほど、今年こそ8・6―8・9を一体のものとして、闘いぬかねばと決意しました。

 この決意をさらに深めたのが、長崎被爆者・土井玞美子(ふみこ)さんの『前進』紙上での8・9への呼びかけであり、もうひとつが7・30「原発汚染水を海に流すな!いわき行動」の感動的な成功でした。(いわき闘争については、別稿に譲ります)

 

 ヒロシマ大行動の先陣は、8・5教育労働者と自治体労働者を中心にした、デモと集会によって切り開かれました。そして8・6当日、早朝6時前には白ヘル全学連の数十の部隊を先頭に、数百の先遣隊が結集、直ちに原爆ドーム前集会予定地に隊伍を組んで進撃。「在特会」、「静かな86日を願う広島市民の会」と称する極右による集会妨害をあっという間に蹴散らし、集会場を制圧しました。

 7時から始まったドーム前集会では、被爆2世の発言から始まり、ウクライナ戦争、G7広島サミット、「広島ビジョン」、岸田来広に対する根底的な怒りが、次々と表明されました。

 815分、全員で黙とうしたうえで、700人ほどに膨れ上がった隊列で、デモに打って出ました。少し落ち着いて周りを見ると、私の隣には乳母車2台に、乳児を乗せた2家族が、一緒にシュプレヒコールをあげているではありませんか。えっ!?と驚き感動しました。

この怒りのデモコールは、式典会場に響きわたり、岸田を直撃しました。デモは、中国電力本社前までやり切り、「島根原発再稼働するな1」と弾劾のシュプレヒコールを上げて、終了しました。

 

その後、県立総合体育館小アリーナで、「核戦争阻止!8・6ヒロシマ大集会」が700人の結集でかちとられました。詳細は紙幅の関係で割愛させてください。

私は、長崎まで遠征したいと思っていたので、午後のデモは遠慮しようかと思案していました。しかし「エイ、ままよ!」と決断し、参加しました。そして、最後の最後、感動的な場面に遭遇することができました。

デモ隊が原爆資料館前の広大なコンコースに入ったところで、相当高齢と思われる、杖をついた女性が、孫のような青年に支えられながら、私たちのデモを食い入るように見つめ、じっとたたずんでいるのです。少し離れていましたが、女性と青年の表情は、はっきり見て取ることができました。私たちへのシンパシーをビンビンと感じました。私は大きな声で、デモコールをあげていたのですが、感動のあまり声が出なくなってしまいました。デモの勝利を深く確信できた瞬間でした。

 

 「8・9ナガサキ反戦反核行動」は、台風接近の雨の中、全国から60人ほどが結集し、歴史的な集会とデモがかちとられました。なんといっても、岸田来長を阻止しました。台風接近が口実ですが、ヒロシマ・ナガサキの怒りに打倒されたのです。

平和公園に隣接する爆心地公園の一角で、降ったりやんだりの雨の中、「『広島ビジョン』弾劾!大軍拡・戦争の岸田打倒!」の大横断幕を広げて、集会とデモをやり切りました。84歳となる土井さんが「今が私の青春だ!」と決起し、生き生きと闘いぬく姿に感動しました。また、88歳になる被爆者男性がデモに参加していたのですが、浦上天主堂に差し掛かった時に、「ここの近くの自宅で、私は被爆しました」と大きな声で話し始めました。原爆に対する恐怖の記憶と怒りを抑えきれず、訴え始めたのです。

さらに、ともに決起した仲間から聞いたのですが、デモの最後尾から少し離れて高齢の女性が飛び入り参加したのだそうです。途中から隊列に完全に合流し、「ヒロシマ・ナガサキ繰り返すな」「戦争絶対反対」などのコールにはしっかりと唱和するようになり、感動したとのことでした。この女性も同じかもしれませんが、ほかの女性で、事前の街頭宣伝で、ビラを受け取り、「反戦・反核」の署名に応じた人は、ビラを読み、話を聞き、「長崎には、こんな力強い運動はありません」と感動し、午後の屋内集会に参加されたということです。

これらは、8・6−8・9闘争の過程で、見聞きしたほんの小さなエピソードに過ぎませんが、私たちの闘いの切り開いた大きな地平を間違いなく象徴していると確信します。繰り返しになりますが、「絶対反戦(・反核)」という、とりわけ日本の民衆の心に深く根付いた記憶が、今の時代状況の中、私たちの渾身の訴えと、闘いに触れて、解放的によみがえってきているのだと強く感じました。

「反戦・反核」「岸田政権打倒」の闘いの勝利を固く確信し、直ちに職場・街頭にうって出ましょう。そして、1119日比谷野音で、全人民大会をかちとりましょう!




ヒロシマーナガサキ―フクシマをつらぬいて

 写真報道


7・30いわき闘争

いわきガンバロー

185人の大結集を勝ち取り、団結ガンバロー!(7月30日いわき市)


いわきデモ

 猛暑も跳ね飛ばし、「汚染水の海洋放出絶対阻止!」を訴えて戦闘的なデモをうちぬく(7月30日いわき市内)




8・6ヒロシマ大行動


8・6ヒロシマ右翼撃退


 早朝6時前、広島ドーム前で、集会妨害を図った極右の連中を、白ヘル全学連の部隊の突撃で一瞬のうちに蹴散らし、集会場を制圧する!(8月6日 広島ドーム前)


8・6ヒロシマデモ1

「岸田は帰れ!」被爆者・被爆二世を先頭に岸田を直撃するデモを貫徹!(8月6日広島)



ガンバロー


700人が集まった、「核戦争阻止!8・6ヒロシマ大集会(県立総合体育館小ホール)



デモのぼり

「ヒロシマ大集会」後、市内をデモ。「完全無罪をかちとる会」ののぼりも見える(8月6日広島市内)



8・9ナガサキ反戦反核行動


土井さん

土井玞美子(ふみこ)さんは、8・6ヒロシマ、8・9ナガサキを最後までともにたたかった(8月6日 長崎爆心地公園)



板垣さん


板垣宏さんも、連帯のあいさつを熱烈に行った(8月9日 長崎爆心地公園)


デモ2

台風直撃の雨の中、全学連を先頭に、熱烈なデモを打ち抜いた(8月9日 長崎市内)





戦争・暴力・革命の論理 (下)

―― 藤野裕子「民衆暴力」をめぐって ーー

                              柏木俊秋

                                    

(5)関東大震災100周年と朝鮮人虐殺問題

 1923年9月1日に起きた関東大震災は、日本近代史にぬぐい難い爪痕を残した。死者10万人余という未曽有の大災害の渦中で在日朝鮮人6000人・中国人700人以上の人びとが、自警団などに加わった日本の民間人=労働者民衆の手で虐殺された事実のゆえだ。同時に、官憲(憲兵隊や警察)によるアナキスト(無支配主義者)の大杉栄夫妻や、川合義虎(日本共産青年同盟委員長)と平沢計七ら南葛労働組合員10人の惨殺(亀戸事件)がある。ただし同じ虐殺でも、両者の意味は違う(この点は、姜徳相(カンドクサン)『関東大震災』(1975年、中公新書)、松尾章一『関東大震災と戒厳令』(03年、吉川弘文館)などが論及)。

 自警団や日露戦争帰還兵を中心に結成された在郷軍人会は大半が内務省の指示で作られた権力の別動隊であるが(朝鮮の3・1独立運動以後の「警察の民衆化・民衆の警察化」政策への転換)、一般民衆がそれに参加し「官民あげての虐殺」に手を染めた事実は重い。

 本書の指摘で重要な点をあげよう。第一に、民衆自身が大量虐殺に走った契機として、政府=内務省、警察、軍隊の意識的・積極的関与があったこと=権力犯罪の明言である。「朝鮮人が放火・暴動を起こし、井戸に毒をまいた」といった流言飛語・デマ情報をねつ造し、意識的に民衆を虐殺に駆り立てる役割を果たしたのは内務省警保局ら官憲側であった(「不逞鮮人暴動に関する件」の通達や戒厳令発動など)。

 第二に、9月2日の戒厳令施行がそれらのデマ情報を固定化・正当化し、民衆の虐殺行為に「官許のお墨付き」を与える結果を招いたという指摘。著者は、戒厳令が敷かれたことで自警団や民衆が「天下晴れての人殺し」が許されたと感じ、虐殺への躊躇や恐怖感がなくなったと、民衆の内的論理、加害の論理に分け入っている。むろん、民衆の行為を正当化するためではない。

 第三に、朝鮮の植民地化(1910年)と3・1独立運動(19年)、中国5・4運動への苛酷な弾圧を指揮した水野錬太郎が震災当時の内務大臣、3・1直後の朝鮮総督府の刑務局長・赤池濃(あつし)が警視総監だったことも大きい。彼らの朝鮮人・中国人への偏見と危険視=復讐への恐怖感が、「不逞鮮人」という言葉を流布させ、差別・迫害の下地をつくっていたのだ。

 第四に、襲撃・暴行が激化・拡大すると、政府=内務省は一転して民衆の取り締まり強化、逮捕・処罰に豹変。権力側は、虐殺の元凶が自分らであることを隠蔽するとともに、日比谷焼き打ちや米騒動(1918年)のように民衆のエネルギーが自分たちに向けられることを何よりも恐れたのだ。

 以上の事態を現在の私たちがどう階級的にとらえ返し、克服していくかである。虐殺の元凶が帝国主義支配階級と国家権力であることは言うまでもない。支配階級は常に、労働者民衆の分断のためにあらゆる形のイデオロギー攻撃をかける。戦争と国家犯罪を正当化するために法令・法制度を駆使する。差別・排外主義と「言葉の暴力」=うそ・デマ・脅し・罵倒、戦争動員と「法の暴力」=言論弾圧は常に一体だ。日本の労働者民衆が日帝権力のそうしたあくどい攻撃、天皇制暴力と挙国一致攻撃に抗しきれず、侵略戦争に取り込まれた結果の事態として、今日的に深く総括すべき事柄であるだろう。それは、「日本の労働者民衆は腐っている」と言って労働者階級への蔑視・絶望を組織することでは断じてない。国際連帯を強め、共に日帝支配階級を打倒する闘いの中にこそ、負の歴史を乗り越える道がある。

 あえて「血債」(被抑圧民族への血の債務)という言葉を使うなら、それを果たすことはすなわち、階級性を研ぎ澄まし、階級的団結と国際連帯を打ち固めて、再び過去の過ちを繰り返さぬために自国帝国主義を打倒することである。これ以外にない。血債の貫徹とは、自己批判の形骸化に陥って運動を委縮させる「血債主義」ではなく、動労千葉が韓国民主労総との間に築きあげ発展させてきた真に労働者的で積極果敢な国際連帯の道であるはずだ。

 

 おわりに

 関東大震災時の歴史的背景を考えることが重要だと思う。第一次大戦とロシア革命の衝撃のもと、新たな総力戦体制の構築に向かう日本帝国主義にとって、「大正デモクラシー」下の労働運動・革命運動の高揚と朝鮮・中国人民の民族解放闘争との結合が最大の脅威だった。現に震災直前には、過激社会運動取締法案など「三悪法」反対運動が盛り上がり、川合・平沢らはその最前線に立っていた。在日朝鮮人労働者もまた、その統一戦線のもとで闘っていた。問題の核心は、大正デモクラシー期の運動が真にマルクス主義で武装された強固な党と革命勢力の形成(戦争と革命の時代の党的任務)を果たせなかったことにある。

 最後に、逆説的な言い方で強調したい。民衆=労働者人民には戦争を担う力もあるし、敵とみなした民衆を集団の力で迫害し殺傷する爆発的なエネルギーもある。どちらにも転がりうる不定形の民衆暴力を目的意識的な革命の暴力、暴力革命の方向へと組織していくことこそ革命党の任務である。今求められているのは、「奪われた暴力の奪還」をつうじて労働者自己解放へと向かう壮大にして冷徹な革命の論理であり、資本・権力との労働者争奪戦に勝ち抜くことだ。階級としての労働者人民には、みずからの非を改め、階級性を獲得し、革命の力に転じていく能力がある――革命党と労働運動指導部がそれを根底から信じ切れるかどうかである。こう考えると、本書『民衆暴力』は(著者の意図をも超えて)きわめて実践的な問題提起をわれわれに投げかけていると言えるだろう。


無罪!218号

8・6広島への総結集の訴えを読んで

52年前の闘いの記憶がよみがえった

横浜刑務所面会報告

                                    須賀陽子

 

 5月18日のMRI検査実施後、検査結果についての医療センターの専門医との面談、検査データの即時開示、医療センターへの移監によるリハビリの保障、の3点を求めてきましたが、7月13日現在、当局がいったん約束したも含めてまだ実現していません。医療情報の開示決定は7月3日に出ましたが、肝心のMRIについてはデジタルデータではなく、前回同様、画像を紙に大量にコピーしたものしか出さないと。これでは正確な診断ができないので改めて、デジタルデータそのものの開示を求めているところです。

 6月26日と7月3日の面会では、医療問題だけでなく久しぶりに政治的な話をする時間をとることができました。彼はこの間の「前進」(2週間くらい遅れて届くのですが)を熱心に読んでいて、5月のG7サミット粉砕闘争に続いて8月の広島・長崎反戦反核闘争が次の大決戦になろうとしていることを知り、昔の記憶がよみがえってきたと、佐藤栄作首相の広島平和式典出席を実力で粉砕した1971年8・6闘争のことを勢い込んで語りだしました。当時、自分は東京から現地に派遣されて広島の仲間と一緒に行動していたと。

 71年8・6闘争の大爆発は私もよく知っていますが、彼からこんな話を聞くのは初めてです。須賀が言うには、被爆2世の青年を先頭にどんなに少数であろうと命がけで決起することを固く決意して当日に臨んだが、いざ行動を開始したら、平和公園に集まっていた膨大な広島市民があっという間に大決起した。それは、自分自身の事前の予測をもはるかに超えていた。被爆者をはじめとする大衆自身が、全学連や反戦青年委の隊列をも飛びこえて直接、佐藤につかみかかり、傘で突いたり襟首をつかんでボコボコにするのを見て、その怒りの激しさに驚くと同時に、心の底から強烈な感動を覚えたと。

 71年当時、彼は法政大学全学共闘会議の議長として主として東京の学生戦線で活動していました。広島に派遣された理由は、8・6を前にして広島大学の学生運動に対する権力の事前弾圧攻撃が激化し、広大での活動に急きょ、応援が必要になったからだそうです。当時の広大のキャンパスは現在の東広島市ではなく広島市内の中心部に近い位置にあり、8・6闘争時には毎年、全学連の部隊が全国から集結する闘争拠点となっていました。この広大を権力の制圧下から奪還し、再び出撃拠点として確保することが求められていたのです。

 実際に広大に行ってみると、そこにいたのは黒ヘルを被るノンセクトの集団で、白ヘルの活動家はほとんど残っていなかったと。70年闘争時の黒ヘルは単にどこの党派にも所属しない人たちではなく、それ自身が「ノンセクト」を主義として掲げる一個のセクト、党派そのものでした。須賀はこの黒ヘル集団を丸ごと獲得することを決意し、彼らの中心的活動家を膝詰めで懸命にオルグしたそうです。被爆者青年同盟の仲間たちが8・6当日、決死の覚悟で佐藤への実力糾弾闘争に立ち上がろうとしていることを伝え、これと連帯していま闘わなかったら一生後悔することになると、全身全霊を込めて訴えた。その思いが通じ、前日の8月5日には広島大学の構内で、中四国全域から集まった白ヘル部隊と一緒に集会をもつことができた。その日の夕方には全国からの部隊とも合流し、佐藤が乗った列車が広島駅に到着するのを待ち受けて、約1千人が3千の機動隊と最初の大激突をやりぬいた。

 8・6闘争の爆発のために最も問われていたのは事前の宣伝・扇動戦にかちぬくことでした。須賀はこれにも全力を挙げたと言っています。すでに7月26日から被青同が平和公園慰霊碑前での断固たる座り込み闘争に突入し、これを排除しようとする警察や市当局と連日の激突が繰り広げられており、続いて広島市役所への弾劾闘争も闘われ、現地の新聞やテレビでも取り上げられて大焦点化していました。これらの闘いを報じる「闘争ニュース」を毎日新たに発行し、被青同のビラと一緒に街頭で連日、まき続けたと。受け取った学生や労働者、市民とその場で次々と討論になり、佐藤が来ることになぜ反対するのかという質問に答えると、ほとんど全員が納得して賛成する。「あんたたちの言うことは広島の人間ならみんな思っていることだ」「祈っているだけじゃ駄目。権力者の思い通りにさせないための行動が必要だ」と。

 そして迎えた8月6日午前8時15分、黙祷が終わりに近づいたその瞬間、平和公園をめざすデモ隊の佐藤弾劾のシュプレヒコールが会場内にも響く中、十数人の被青同決死隊が「被爆者殺しの佐藤は帰れ!」と叫んで慰霊碑壇上へと一斉に決起した。すると3万人の参列者が総立ちとなって「佐藤カエレ!」と叫び出し、決死隊をとりおさえようとする警官や私服の前にも立ちはだかった。その後、原爆資料館に向かう佐藤の背中には無数の怒号と紙つぶてが浴びせられ、資料館から出てきた時には被青同や全学連・反戦の部隊とそこに合流した数千人の市民による鉄拳制裁を浴びて、平和公園から文字通り実力で叩き出されたという話です。

 須賀が最後に強調したのは、被爆者の怒りと思いを底の底から解き放つことこそが決定的だ、今の全学連ならそれができるし昔の自分たちよりもっと大きな闘いができると確信していると。今夏8・6―8・9闘争の勝利こそ、獄中の彼への最大の励ましだと思います。共に頑張りましょう。






新型コロナ感染の記録


― 現段階での「5類」化、公的医療と生活援助の放棄は許せません −

                                                 十亀弘史



 万事スローモーな私に相応しく、今頃になって新型コロナに罹ってしまいました。

 6月29日の夕方、なんとなく怠い感じがしました。咳が続きます。早めに寝たのですが、眠りが浅く、何度も嫌な夢を見て、何度も目を覚まし、その都度小便をしに行き、寝ているのに余計疲れる、という状態に。30日は労働日でしたので、身体を引きずるようにして6時台に出勤。3時間働いて帰って来た時は、畳に倒れ込む感じに。しばらくそのまま眠り込みました。

 正午頃目覚めましたが倦怠感は絶頂。ただ、その日は法務省への申し入れ行動の日。行かなければなりません。後で考えれば、ここで、熱を計ってみるべきでした。おそらく38度くらいあったと思います。そして、そうであれば私も、さすがにそのまま休んでいたはず。ところが、<気にするな、ほっときゃ治る>を基本の健康法としている私は、熱を計る、などという気の利いたことが容易に思い付きません。

 それでそのまま、無理に立ち上がり、歩き、バスに乗り、地下鉄に乗り・・・しているうちに、咳が激しくなり、ひょっとしたらこれはコロナかも、と思い始めました。とにかく半端なく怠いのです。弁護士会館には着きましたが、みんなに接近するのは止めようと思いました。法務省前までは行きました。しかし、抗議の声など発する余裕はありません。結局、行動参加を途中で放棄して、とぼとぼと帰途に着きました。有楽町からJRに乗りましたが、電車の中で、あれほど<座りたい>と思ったことはありません。帰宅してやっと熱を計ろうと思い、体温計を当てたら「37度8分」。これで、ほぼコロナを確信しました。清掃労働は人と接する機会はありませんが、法務省への往復時に乗り物の中などで、誰かに感染させていたとしたら、申し訳ありません。

 7月1日に、電話をした上で、近くの病院へ。病院に行くのは出獄後初めてです。玄関から入るのは禁じられ裏の「発熱外来口」へ。そこで、完全防御服の人からPCR検査用の検体(鼻の粘膜?)を採られました。テレビではよく見かけていましたが、長い綿棒を鼻孔に突っ込まれ、ちょっと痛いし、くしゃみは出るしです。20分ほど待たされた後、検査医からスマホに電話がかかってきて、「コロナ陽性です。ここのところ、風邪気味だといってここで検査を受けた人の半数ぐらいが陽性になっています。重症化する人は多くありませんので心配しないで。解熱と咳止めの薬を出します。向かいの薬局にファクスを入れておきますので薬局に入らないで外で受け取って下さい」とのこと。ふーん、こんなシステムになってるんだ。

 夕食後、薬をのんだあたりから熱が下がりはじめ、1日の夜は、気持ちよく眠れました。しかし、その夜から、連れ合いが発熱。彼女は、私よりやや重症の感じでした。

 以上が、私のかなり間の抜けたコロナ感染の記録です。30日の極度の倦怠感を除けば、軽症だったと言えます。後遺症は少し心配ですが、すでに労働は続けていますし、ここまでのところ、その兆候はありません。

 テレビや新聞では「第9波」が始まったかもしれない、と報道されています。感染者は増えてきているにちがいありません。重症化率は低いということですが、分母の絶対数が大きくなれば、当然、それなりに重症患者や死者が出ます。現段階での「5類」化は許されません。 公的医療と生活援助の放棄は、とりわけ高齢者にとっては、<おカネがないのなら、黙って早く死になさい>としているのと同じです。医療や介護現場の労働者にも、すさまじい労働強化が強いられます。

 資本にとって利益を出さない人間は死んでからも徹底して排除される、という事件が江戸川区内で起こっています。福祉事務所の主事(ケースワーカー)が、「生活保護受給者の独居男性(当時65)の遺体を2カ月半にわたって放置していた」(711日付朝日新聞)というのです。主事は、医師から男性の死亡の報告を受けながら、遺体の放置を続け、途中、「死亡を知った時期を偽って区に報告し」ていました。死が確認された1月10日から、福祉用具のレンタル業者によって遺体が発見された3月27日までの間に、死者の腐敗やミイラ化が進んでいたはずです。

 しかし、責められるべきは、20代の地方公務員としての主事ではありません。ケースワーカーの仕事は、「生活保護の適否の判断や生活・就労支援など」多岐にわたります。「社会福祉法では、ケースワーカー一人が担う生活保護世帯は都市部で80世帯を標準としている」というのに、主事は、若く、経験も浅いのに、約100世帯を担当させられていました。彼は「みんなが忙しそうにしていて相談しづらかった」とも説明しています。人の死、人の尊厳についてさえ、仲間や上司に相談ができない職場とされているのです。

 福祉現場の労働の極端な多忙と強いられた荒廃が容易に想像できます。それは、まさしく体制の問題です。人間より「生産性」や「効率」を第一とする構造の問題です。そして、戦争と戦争準備が、その構造を、さらに違う次元にまで深化、強化します。戦争を阻止し、社会のあり方を根本から変えて行きましょう。                     (712日)




  ドニプロと呼ばれるようになってからドニエプル川戦火の中に


             十亀弘史(7月16日付朝日新聞「朝日歌壇」掲載)




軍事問題レポート(その4)

半導体有事』(2) 

米CHIPS法及び2022年「10・7」規制で

中国半導体産業の息の根を止める狙い―半導体戦争の激化

                   
                                   板垣   宏

 

「5・14」規制に続く、米「CHIPS法」の成立

 前回は、米国の中国半導体産業に対する2020年「5・14」規制によって、台湾TSMCが米国側につき、TSMCの工場をアリゾナ州に建設すること、中国のファーウエイに対して半導体の輸出を停止したことにより、中国の半導体産業が大打撃を受け、特にファーウエイはスマートホンと5G通信基地局に関する事業で壊滅的な状態になったことについて述べました。今回は、米国の対中国半導体規制がその後も、次々に強化され、中国半導体産業がその息の根を止められかねない状態にまで立ち至った状況について述べていきます。

「5・14」規制の2年後の2022年89日、半導体の米国内製造を促進する「米CHIPS(チップス)法」が成立。同法には米国の半導体製造や研究開発への527億ドルもの補助金などが盛り込まれ、これを目当てに以下のメーカーが米国内への工場建設を表明したのです。「米インテル(アリゾナ、オハイオ、ニューメキシコ 投資額計435億ドル)、台湾TSMC(アリゾナ 400億ドル)、韓国サムスン(テキサス 170億ドル)、米グローバル・ファウンドリーズ(ニューヨーク 10億ドル)、米テキサス・インスツルメンツ(テキサス 360億ドル)、韓国SKグループ(場所? 200億ドル)、米マイクロン(アイダホ、ニューヨーク 350億ドル)」(本書23呂凌泯院檻海茲蝓

 しかし、この補助金には強力な「ガードレール」(制限条項)がつけられていました。「補助金を受ける企業はその後10年間、中国の最先端のチップ製造施設(28nm以降)に投資/拡張することを禁じる」(24蓮砲箸いΔ海箸任后

 「この『ガードレール』によって、中国南京工場で4016nm(ナノメートル=10―910億分の1)のロジック半導体を生産しているTSMC、西安工場で3次元NAND型フラッシュメモリー(以下3次元NAND)を生産しているサムスン、無錫工場でDRAMを生産し、インテルから買収した大連工場で3次元NANDを生産しているSKハイソニックは、CHIPS法に基づいて補助金を受け取った場合、向こう10年間、上記の中国工場に一切の投資ができなくなる。…メモリーメーカーに『投資するな』というのは『死ね』と言われるに等しい」(2425

 このため、著者は「中国工場における生産比率の高い韓国のサムスンやSKハイソニックは中国からの撤退も検討せざるを得ない事態に陥ったのですが、これらの企業は中国政府からの要請を受け優遇措置を受けてメモリを生産しているため容易に撤退することもできないという極めて難しい選択を迫られると思っていたら、その後、米国から有無を言わせぬさらに厳しい対中規制(2022年「10・7」)が発表された。>(25詫彁檗砲判劼戮討い泙后


2つ目のターニングポイント2022年「10・7」規制

 「10・7」規制における米国の狙いは、軍事技術に使われる恐れがある中国のスパーコンピュータ(スパコン)や人工知能(AI)半導体の開発を完全に抑え込むことにあります。米国の「10・7規制」の概要と狙いは以下の通りです。

 |羚颪離好僖灰鵑筍腺匹忙箸錣譴觜眄能半導体の輸出を禁止する。その対象には、米

エヌビディアの画像処理プロセッサ(CPU)や米アドバンスド・マイクロ・デバイセズ(AMD)のプロセッサ(CPU)はもちろん、米国外で米国の設計技術や装置を使って製造された高性能半導体も含まれる。

◆|羚颪先端半導体を開発・製造できないように、米国製の製造装置(その部品や部材

も含む)の輸出を禁止し、米国人(幹部、研究者、技術者)が関わることを禁止する。この技術者には、製造装置メーカーが半導体メーカーに派遣して、装置のトラブル対応やメンテナンスを行うフィールドエンジニアが含まれている。「10・7」規制の第1の重要ポイントはここにある。

 次に、今まで注目されなかった半導体成膜装置に規制の網をかけた。規制に該当する

成膜装置を輸出する場合、米政府の許可を受けなくてはならない。先端半導体メーカー向けか、非先端メーカー向けかは関係ない。そしてこれが、第2の重要ポイントであり、中国半導体にとっては致命的となる規制である。著者の考えでは、この「10・7」規制の最大のポイントはここにある。この重要性は後に詳しく述べる。

ぁ_辰┐董中国の半導体メーカー向けに米国製の部品や材料等を輸出することを禁

止する。その装置メーカーが開発する装置が先端半導体向けかどうかは一切関係ない。

ァ|羚颪砲△覲飴餬枠焼蛎離瓠璽ー(TSMC、サムスン、SKハイソニック)にも規

制を適用する(2627


米国が成膜装置に規制の網をかけたことの意味

 これまでの米国の対中規制は主に微細化に焦点があったのですが、『10・7規制』では、微細加工に関係する露光装置だけでなく、成膜装置にも規制の網をかけており、これが「『10・7』規制の最大の特徴である」(30蓮砲箸いΔ海箸任后その根拠として、本書は3032呂砲けて要旨、以下のような理由を挙げています。

 「半導体の製造は、シリコンウェーハ上に薄膜をつけるところから始まる。その後、リソグラフィでレジストマスクを作成し、実際に薄膜を加工するドライエッチングを経て、洗浄して検査する、ということを3070回以上繰り返して作られる。重要なのは半導体の製造にはまず成膜装置が必要であり、成膜しなければ、その後のリソグラフィやドライエッチングなどの微細加工はできない。『10・7』規制で製膜装置に網をかけたことは、半導体製造の最も上流の部分、すなわち急所中の急所を抑えたことになる。

 成膜装置の分野では、米国は、CVD装置で66・2%、スパッタ装置で86%の世界シェアを独占している。したがって、米政府は「10・7」規制で、中国半導体産業の生殺与奪権を握ったことになるのである。

 さらに、米国は、露光装置で世界シェア95%を独占しているオランダのASMLや感光材料のレジストを塗布・現像するコータ・デベロッパで世界シェア91%を独占している日本の東京エレクトロンなどを抱える両国にも要請し、両国が基本的に合意したため、中国の先端半導体工場は、成膜装置の導入が困難になり、こうして、中国半導体産業は、いよいよ窮地に追い詰められることになった」。 没落し、窮地に追い込められた米帝の対中国半導体規制は、まさに中国半導体産業の「圧殺」という「戦争」的レベルで強化されていったと言えます。





レーニン4月テーゼ

                                  福嶋昌男                         1917年2月革命1917年2月革命


レーニン伝G・ヴェルテル著『レーニン伝』(G.ヴェルテル著)


 レーニンはロシア19172月革命の前進に対して、42日ベトログラード・フィンランド駅に降りました。直ちに、4月テーゼを発表しています。しかし、在ロシアのボルシェビィキ指導部は、当初は「情勢に合っていないと受け入れませんでしたしかし、レーニンは労働者階級の決起の闘いに踏まえて、4月テーゼを貫きます。

 

 友人のYさ『レーニン伝』(G・ヴェルテル著)を読んでのレジュメで「4月テーゼ」を以下のようにまとめています。

新政府のもとでも、この戦争は帝国主義の戦争であり、譲歩はありえない。

現状の特性−革命の最初の段階(ブルジョアジーに権力を与えた)

仮政府は絶対に支持しない。

党は少数であることを認めること(大部分のソビエトではごく少数派)

議会制の共和国でなく、全国の上下にわたる工場労働者・農民・雇農代表ソビエトの共和国を

 

 レーニン4月テーゼの革命的意義は、2月革命は「ブルジョア革命」であって、プロレタリア革命でない。ソビエトはいわゆるひとつの「革命」ですが、実体はメンシェビィキ、社会革命党が多数を占めています。ルシェビィキはまだ少数です。資本家が政府に入っている。

 レーニンはペトログラードの労働者の組織化に向けて、プロレタリア国家への道筋を4月テーゼで明らかにします。

 レーニンは、月革命(国際婦人デー、兵士の反乱)の前年に、『帝国主義論』を執筆しています。この執筆は、現下の戦争に対する4月テーゼの闘い方としての帝国主義戦争を内乱へ!瓠そのプロレタリア国家の土台をなすものです。

 『帝国主義論』は4月テーゼのすぐ後に発刊されます。同時に、レーニンは4月テーゼの具体的中身を指し示すものとして、この革命の最中『国家と革命』を執筆します。

 プロレタリア革命のその闘いの最中に、共産主義の中身が示されます。

191428日 サラエボ事件→8月第1次世界大戦へ

  同年9月 戦争に関するテーゼ」執筆

 同年 『哲学ノート』)執筆 スイス・ベルン

 19155〜6月『第インターナショナルの崩壊』

    7〜8月『社会主義と戦争』

        『哲学ノート』 それぞれを執筆

 19161〜6月 『帝国主義論』を執筆 チューリッヒ

 1917年2月革命 ペトログラード婦人労働者のパンをよこせ! 平和を

  同年 42日 レーニン帰国 4月テーゼ當鶺

  同年 426日 『帝国主義論』を発刊 帝国主義戦争を内乱へ

  同年 8〜9月 『国家と革命』を執筆

  同年10月 革命成就

 1918年 『国家と革命』の発刊

 1918年1111 大戦終結】

 

 4月テーゼの実現に向けての闘いは帝国主義戦争を内乱へ!甅プロレタリア国家の展望です。

 現下の世界大戦はどちらの国から見ても資本家同士の世界市場・植民地をめぐる帝国主義戦争です。ポルシェビィキ・労働者階級は戦争推進の各国帝国主義を打倒すべき!ことを訴えます。

 

 帝国主義段階帝国主義戦争の不可避性

 1 19世紀半ば、資本主義は産業資本を蓄積様式とする自由主義段階にありました。他方、産業の生産手段は大きくなり、一企業の資本を超えるところにありました鉄、石炭、鉄道、蒸気船等を基幹とする企業は自ら株式を発行し、社会の遊休貨幣資本を集めます。また、銀行は有価証券等を発行し、社会の資金を集め、企業に貸し付けます。

 ドイツ帝国主義の重工業は鉄、石炭等でイギリスに迫り、特に化学工業が発達しています。

 1920世紀初頭にかけて、資本主義は産業資本を蓄積様式とする自由主義段階から金融資本を蓄積様式とする帝国主義段階に推転します。

 20世紀初頭、英、仏の世界市場・植民地に対して、ドイツ、アメリカ、日本、ロシア帝国主義各国が世界市場・植民地の再分割戦に至ります。帝国主義間戦争の不可避性です。

 この世界情勢戦争情勢下にサラエボ事件が起こります。

【サラエボ事件:191428日 オーストリア皇太子夫妻が、セルビアの青年に狙撃され殺された事件】

 この事件をきっかけに月、第1次世界大戦が勃発します。このとき、レーニンはスイス・ベルンにて「戦争に関するテーゼ」ヨーロッパ戦争における革命的民主主義派の任務を書き、世界大戦に対するポルシェビィキの見解を次々に明らかにします。

 そして、ポルシェビィキ・労働者階級は4月テーゼで武装し・実践し帝国主義戦争を内乱への豊かな・ふくらみのある闘いで前進します。4月テーゼのもとに、急速に労働者・農民が結集します。

世界大戦下での、帝国主義戦争に対する労働者階級人民の任務がアピール・著作されていたからこそ、革命勃発の中で4月テーゼが打ち出され、急速に闘う人々を革命に吸引しました】

 

 すべての権力をソビエトへ

 このスローガンで前進し、レーニン・ポルシェビィキ・労働者・農民は10月革命に勝利します。

 このプロレタリア革命に、英、仏、日本等は、軍隊を送り、ロシア革命を潰しにかかります。しかし、ロシアの労働者階級人民は赤軍を建設し、帝国主義軍隊に打ち勝ち、ロシア革命を守ります。

 

)

  いま、世界戦争は、アメリカ帝国主義の凋落によって、米帝・NATO、日帝ウクライナとロシア・中国スターリン主義、ベラルーシ、北朝鮮、イラン等の2大陣営に分かれています。

 この世界戦争情勢を規定しているのは、ロシア革命です。しかし、スターリン主義によって、ロシア革命が変質しています。現代世界の戦争情勢の中でこそ、いま、レーニン4月テーゼの普遍性が要求されます。





 止まらない刑務所の刑務官による暴行・
 虐待事件を弾劾する
  ― 名古屋刑務所暴行事件で甘い「処分」や「提言書」 ―

                                    板垣 宏

 

刑務官は、刑事責任は問われず免職にもならないという甘さ

名古屋刑務所の22人の刑務官が、2021年11月から22年9月にかけて、被収容者に暴行や人権無視の処遇を、計419件も繰り返していた問題で、「法務省矯正局は書類送検された13人を懲戒処分にし、このうち最も重い停職6カ月の3人は、28日辞職した」(4月28日付NHKオンライン)と報じられています。重大事件を犯しながら、いずれも行政処分か自己退職で、刑務官は、刑事責任は問われず免職にもならないという点で、今回の処分には根本的な甘さがあります。

この事件については、「名古屋刑務所職員による暴行・不適切処遇事案に係る第三者委員会」(9人 座長は永井敏雄元大阪高裁長官)が設置され、23年6月21日、斎藤健法相に「提言書」(〜拘禁刑時代における新たな処遇の実現に向けて)を提出しています。しかし、この「提言書」の内容は2001〜2年の虐殺事件後、同じような事件が再び繰り返されたこと、星野文昭さんへの医療放棄・虐殺に見られるような、後を絶たぬ刑務所刑務官による受刑者への医療放棄・暴行・虐待・虐殺事件に対して、その根本的な原因の解明や解決策を提示するようなものにはなっていません。まず、そのことに怒りを覚えます。


第三者委員会「提言」に示された問題点

第三者委員会の「提言書」は、事件について、「‖臠召経験の浅い若手職員が、『悪ふざけ』や『優越感を味わうため』、『虐待』や『いじめ』を常態的に行っていた。⊇蠶垢鬚呂犬甦浜職が、視察委員会から調査等を求める旨の意見を受けていたにも関わらず、本件事案の発生に気付かず長期間の不適切処遇が繰り返され、各種救済制度が十全に機能していなかった。L掌轍扱彩浬蠅妨造蕕此∩換颪侶沙施設に存在し得る、刑務官の人権意識の希薄さや規律・秩序を過度に重視する、刑事施設特有の組織風土といった問題が潜んでいる。その変革には時間と労力を要すると考えられるが、矯正当局は再発防止策の確実な実施に努めていただきたい」(1〜2詫彁檗砲覆匹判劼戮討い泙后

冗談ではありません。2001年に事件が起きてから20年以上、刑事収容施設法(2005年)が出来てからでも18年も経っています。その間に星野文昭さんをはじめ、いったい何人の受刑者が暴行され、虐待され、虐殺されてきたのか。法務省や刑務所当局が、その原因としている「刑事施設特有の組織風土」(=戦時治安体制の確立と強化による、治安優先、人権無視の抹殺体制そのもの)の変革に「時間と労力」をかけて来なかったからこそ、事件は繰り返されてきたのです。

だが「提言書」は、一切の原因を「若手職員」に押し付け、刑務所視察委員会から指摘を受けていながら、「所長をはじめ管理職は本件事案の発生に気付かず」などとして、責任の所在を曖昧化し、以下に述べる「再発防止策」では、監視の強化と若手の教育に問題を矮小化してしまっているのです。一切の原因は、事件を反省せず、事件を口実に、逆に戦時司法・戦時治安体制としての監視体制の強化、刑務所の保安を優先し、人権無視・医療放棄の姿勢をあくまで貫こうとしている権力・法務省にあるのです。このありかたを粉砕しなければなりません。


「提言書」の「再発防止策」の狙いは戦時型治安弾圧(刑罰制度)への大転換

 第三者委員会「提言」の「再発防止策」の最大の問題点は、「2022年に刑法等の一部を改正する法律が成立し、懲役・禁固刑に変えて拘禁刑が創設」され「多様な受刑者の特性に応じて、作業・改善指導及び教科指導並びに社会復帰支援を柔軟に組み合わせた処遇が行われるという刑罰の中身を変える大改革」に向けて「全ての矯正職員がその実現に向けて取り組み始めた時期(1蓮法廚忙件が起こったと述べ、「拘禁刑時代における新たな処遇の実現に向けて」(3蓮膨鷂世鮃圓辰討い襪海箸任后

 この「拘禁刑」については、マスコミなどでは、「刑罰の目的が『懲らしめ』から『立ち直り』に変わる」などと宣伝されています。しかし、「『立ち直』らせる」ということは、これまでの「行いを反省させる」こと、すなわち「転向」の強要であり、転向しなければ「懲罰」という、中国侵略戦争体制への突入という情勢に合わせての戦時型治安弾圧(刑罰制度)への大転換が狙いです。

提言は、「受刑者の改善更生や社会復帰」を掲げて、あたかも「刑務所の処遇がよくなる」かのような幻想を振りまいていますが、実際の「再発防止策」を見れば、はっきりするように、ウエラブルカメラの導入による監視・指導の強化、監視カメラ映像の確認・検証体制の改善、AIによる映像解析技術の導入が不可欠、管理職や上級官庁が施設運営状況をリアルタイムで把握する仕組みを構築し、指導・監督の徹底を図るなどと言った、管理体制強化につながるような提言がずらりと並んでいます。提言の意図は明らかです。


「提言書」は、監獄人権センターの「声明・意見書」を完全無視

 3月14日 監獄人権センターは、「第二次行刑改革を求める意見書─刑事被拘禁者に対する暴力を根絶するためにはどのような改革が求められているのか─」と題する、要旨以下のような「声明・意見書」を発表しました。

「(1)全国的な暴力事案・不審死亡事案について徹底した調査を行い、その原因の解明を求める。(2)刑事施設視察委員会の機能と権限を強化し、被収容者のカルテに対しての閲覧の権限を認め、その勧告について、施設当局は尊重する義務があることを定める。(3)全ての刑事被拘禁者が一般市民と同等のレベルの医療を実際に受けられることを確保するために、刑事施設における医療を厚労省所管の通常の医療機関に移管することを求める。(4)医療システムがない警察留置施設の使用はあくまで一時的なものであり、医療不在の留置施設の使用は逮捕後72時間以内に限定し、代用監獄制度は廃止すること。(5)社会復帰のための処遇を担当する職員と保安業務を担当する職員を明確に分離すべきである。」

 しかし、第三者委員会は、監獄人権センターが提起した問題には、一言も触れておらず完全に無視しています。許せません。私たちは、須賀さんや大坂さんの命と健康を守り、また、入管をはじめとする全拘禁施設の被収容者の命と健康を守るために、監獄人権センターが提起した刑務所改革を認めさせるよう法務省・刑務所当局に強く要求していきましょう。






戦争・暴力・革命の論理 (中)

――藤野裕子『民衆暴力』をめぐって(中)

                                    柏木俊秋


(承前)

 藤野氏が扱う四つの事例のうち、新政反対一揆、秩父事件、日比谷焼き打ち事件は権力に対する民衆暴力であるが、新政反対一揆の一部をなす「解放令反対」一揆と朝鮮人虐殺事件は民衆に対する民衆暴力である。後者のこの暴力行使は、差別(部落差別・民族差別)を重要な要素とする点で際立っている。暴力行使一般としては扱えない。

 「暴力(実力闘争)の奪還」が問題となっているときに、なぜ今「民衆による民衆への暴力」なのか。「戦時の今」だからこそである。種々の社会的差別や民族差別・排外主義の攻撃が強まり、それとの対決が反戦闘争、階級的労働運動の重要な一環をなすからだ。

 本書を読んで強く感じることは、民衆(被支配階級人民)が保持する暴力的エネルギーの巨大さ、すさまじさである。同時に、それ自体は権力にも民衆内部にも向けられる両義的で不定形なものにほかならないということ。それがどちらに向けられるかは、その時の民衆自身の価値観・思想性・イデオロギー状況に規定される。支配階級の流す差別・排外主義イデオロギーへの抵抗力・対抗力次第とも言える。

 そしてまた、暴力が物理的な意味での直接的暴力・武力として単独で成り立つわけではないということ。そこには必ず、暴力行使を正当化するための思想・イデオロギーが介在する。暴力を集中的に独占する国家は、平時には持てる暴力をむき出しにせずに「法と秩序」をかざし、「平和的手段」をつうじて国家意志と諸政策の貫徹を図ろうとする。日本帝国主義の場合は特に、天皇制的融和主義による民衆の「心の回収」を基軸に、労働者階級の階級性の解体と分断支配を追求する。しかし帝国主義が危機に陥り戦争準備が不可避の局面に至ると、そのイデオロギー攻撃自体が一気に暴力性・凶暴性を帯びてくる。差別・分断と排外主義・祖国防衛主義が声高に叫ばれ、戦争翼賛と天皇制国家への帰順・転向が強要されるようになる(天皇制テロル・治安弾圧と一体で)。

 それにたいして民衆の側はどうか。帝国主義の危機、新自由主義の破産と凶暴化にたいする大衆の不満と怒りが高まる。支配階級のイデオロギーへの態度をめぐって人民大衆の間に階級的分岐が生まれる。この大衆的憤怒と激高という要素が、強大な国家権力との対決、帝国主義打倒の闘いのためには必要不可欠の条件である。

 

(4)戦争情勢・激動期に高まる民衆暴力

 本書が描く四つの事例も、すべてが歴史的激動期=転換期、戦争や内乱情勢と結びついている。今年が関東大震災100周年ということもあり、以下で主に震災時の虐殺事件を考えたい。序章以外の各章は簡単に触れるにとどめる。

 まず序章が面白い。近世の百姓一揆と「仁政(じんせい)イデオロギー」の関係についての叙述だが、百姓一揆のイメージを一変させられる。島原・天草の乱(1637年)以降、徳川幕府は「仁政」(仁慈による政治)を掲げて「百姓成立(ひゃくしょうなりたち)」をモットーに農民の懐柔を図り、農民の側も武装一揆を控える代わりに「仁政」を逆手にとって領主に「仁君」であることを求め、合法的手段で要求を突きつけるようになったというものだ。「仁政イデオロギー」のもとでの「一揆の作法」化である。

 だが、幕藩体制が崩れるにつれて仁政イデオロギーの効果が薄れ、幕末には再び農民たちは強訴・打ちこわし・「世直し一揆」などの激しい暴動的一揆に打って出た。著者は、近代民衆史の研究を受け継いで「仁政イデオロギーの機能不全」と「解放願望の高まり」と総括し、一揆参加者自身の「非日常的な解放空間」の体感を重視している。

 幕末の動乱は明治維新後も続いた。廃藩置県や地租改正など矢継ぎ早の近代化政策に反対する新政反対一揆として爆発。本書第1章はその中で起きたいわゆる「解放令」反対一揆(1871〜73年)に焦点を当てている。「解放令」(「えた・ひにん」などの賎称廃止令)は、特に被差別部落の多い近畿・中国地方で一般民衆(平民)らの反発を呼び、部落・部落民への襲撃・殺傷事件が多発した(兵庫県・岡山県を中心に27件)。

 歴史的に蓄積された差別・偏見の上に、幕末以来の部落民の自己解放への覚醒、特に解放令により従来の被差別民が自分らと対等になることへの恐れと反発が結合して部落への襲撃・放火と殺傷に至ったとされている。襲撃の対象が新政反対一揆への参加を拒んだ部落や、「被差別部落の力が相対的に強かった地域」に集中したという指摘は重要だ。

 著者はまた、襲撃・虐殺された部落民を単なる「哀れな被害者」とはみなさず、解放令反対一揆にたいしてもあくまで自己の主張を貫く主体的行動者として描いている。ここでの被差別者への民衆暴力を後世の運動の側が主体的・階級的に総括せず、思想的に乗り越えられなかった結果(自由民権運動の思想的限界性を含めて)が、関東大震災時の朝鮮人虐殺というさらに深刻な重大事態につながったと言ってもいいだろう。

 第2章は秩父事件(1884年11月)、 第3章は日露講和条約に反対した日比谷焼き打ち事件 であり、それぞれ重要で興味深い内容だが省略せざるをえない。一点だけ付言すると――どちらも(その性格は正反対だが)民衆の怒りと反権力・反警察意識の強さ、暴力行使の激しさは半端ではない。特に後者の場合、いったん暴動に参加した彼らは権力や権威をものともせず、警察や内務省、大臣宅などの権力機関、軍隊すらも恐れない。怒りのままに交番を焼き打ちし、内務省の中にも集団で押し入り占拠し、打ち壊す。それはまさに、日清・日露の二つの大戦争をつうじて帝国主義国家へと移行していく歴史的転換点での新たな「都市型民衆暴動」の登場としてあった。【次回=下につづく】 


無罪!217号

MRI検査データの即時・完全・全面開示と
必要な治療・リハビリの保障を求めます  家族面会報告 
                               須賀陽子

 
 須賀武敏が求めていた腰部のMRI検査が5月18日についに実施されました。この日、横浜刑務所の医務当局が付き添って昭島の東日本成人矯正医療センターに行き、検査を受けたそうです。

 検査自体は3年前の6月に受けた時と同じやり方で30分ほどかけて行われ、特に問題はありませんでした。しかし、前回は検査の直後にその場で医療センターの専門医が須賀に対し、検査結果の画像をモニターに映し出して説明を行い、脊柱管狭窄症を「このまま放置すれば、下肢の神経がマヒして歩けなくなる」と警告して早期の手術をも勧めたのです。ところが今回は、医療センターの医師による診察と説明は何もなく、検査終了後すぐに横浜刑務所に戻されました。

 気になる検査結果については数日間、何の音沙汰もないままでしたが、23日にようやく横刑の当局から、MRIの画像データがセンターから送られてくるので、それをもとに横浜刑務所の整形外科医が説明を行うとの通告がありました。

 

●治療方針は「簡単には出せない」

 データが実際に届いて横刑の医師による説明が行われたのは、それからさらに1週間たった5月31日でした。私はちょうどその日の午後、面会に行ったのですが、横刑の医師は画像を須賀本人にも見せて、3年前の画像と比べて「ほとんど変化は起きていない」と言ったそうです。須賀自身の受けた印象でも、3年前との変化は感じられないとのことでした。

 そのうえで横刑の医師は須賀に、「この手術は大変難しく、誰にでもできる手術ではない。手術するとしたら、まずそれができる医師を探してこなければならない。また、手術して良くなるとは限らず、逆に悪くなる場合もある。さらに須賀さんの体力が手術に耐えられるかという問題もある。それらのリスクを勘案してよく検討しないと、治療方針は簡単には出せない」と述べたそうです。

 横刑医師のこの発言は、単に彼個人の見解ではなく、医療センター側の意向をも受けた発言と思われます。3年前には手術に積極的だった医療センターが、ここに来て態度を変えた理由は不明ですが、明らかに医療センターはこの間、須賀をセンターが責任持つ患者として受け入れることを渋っていました。その場合の方針は、横刑の病舎で寝たきりの生活をずっと続けろということしか意味しません。これは最悪の選択であり、完全な治療放棄です。

 

●当面する「3つの要求」の実現を

 須賀からは当面、以下の三つの要求を全力で闘いとってほしいとの要望が出されました。

 ^譴弔蓮横刑の医師による間接的な説明では納得できない。3年前、自分なら手術できると言って手術を勧めた医療センターの医師から直接、3年前と比較しての診断所見を聞きたいと。これは患者にとって当然の要求です。(これは31日の場で須賀自身が強力に要求し、当局も頭から拒否はできず、当該医師との面談の機会を与えると約束しました。6月10日現在、面談が実施されたとの情報はまだ入っておりません)

 二つ目には、MRIの検査データを直ちに、完全かつ全面的な形で開示させることです。私たちは医療センターと横浜刑務所の元にある須賀の獄中医療データの開示を求めて闘争し、昨年ようやくその開示をかちとりましたが、実際に開示された情報は不完全で、客観的な検証には耐えないものでした。とりわけMRI検査については画像データをCDに保存したとカルテに明記してあるのに、出されたのはそのCDデータではなく、画像を紙にコピーしたものでした。画像はモニターに映し出して拡大したり濃度を変えて見ることで細部までの状態を確認できるが、紙のコピーではそれはできません。紙のコピーを何百枚渡されても病状の正確な確認には全く無意味だと専門医も言っています。

 法務省と刑務所当局はもともと、獄中での医療データの「秘匿」を原則としており、この間の開示は何人もの受刑者が裁判などに訴えて争った結果です。一切のごまかしを許さず、CDデータそのものを開示させねばなりません。

 三つ目には、今すぐやるべきことは、彼の身柄を直ちに医療センターに移すことです。手術をしようがしまいが、重要なのは治療と同時にリハビリの保障です。横刑の病舎ではその保障が全くありません。安静にして痛みなどをやわらげることは必要ですが、体を全く動かさなければ逆に筋肉が衰えてしまいます。そのためには「寝たきり」だけが強制される横刑の病舎ではなく、リハビリが可能な

医療センターに移る必要が絶対にあるのです。医療センター側が彼の移監を受け入れようとしないのは医療に関する責務の放棄であると言わざるをえません。

 須賀が求めるこの「当面の三つの要求」を実現するために、『無罪!』読者の皆さんのお力を改めてお借りしたいと思います。これからは横浜刑務所に対してだけでなく、昭島の医療センターや法務省に対しても行動を起こしていきたいと考えています。星野国賠の勝利や大坂さんの保釈奪還と一体で、須賀の「生き抜くための闘い」の勝利をぜひともかちとっていきましょう。



チャットGTP(マイクロソフトBing)

に聞いてみました

                                       十亀弘史

 

 梅雨に入りました。私にとっては約100日の憂鬱な期間の始まりです。梅雨の間は、雨具を着ての作業がうっとうしい。雨で地面に貼りついた葉っぱが掃きとりにくい。同じシルバーでも、公園清掃の場合は自己判断で雨天休業にできますが、マンション清掃はゴミ出しがあるのでそれができません。雨の日はただしんどいだけ。そして、梅雨が明ければ、暑い。汗をかく。寝苦しい。ゴミの匂いがきつくなる。葉っぱに加えてセミやミミズの亡き骸も掃かなければならない。セミのほかに蚊やカメムシなどの昆虫も増えてくる。むしらなければならない草はぐんぐん伸びて来る。そんな中で、7・8月は労働日が週4日に倍増する。何もいいことがありません。まあなんとかこなして行こうとは思っています。

 昨日、話題になっているチャットGPTを試してみました。マイクロソフトBingというやつです。たしかに相当に自然な会話体でやりとりができます。しかし、予想通りに、とんでもない虚報がまじってきます。

 私の名前は、同姓同名の人がいませんので、試すのにちょうどいいのです。それで、「十亀弘史はどういう人物ですか?」と訊いてみました。はじめは、〈中核派のメンバーで迎賓館・横田事件によって有罪とされ現在再審を目指して闘っている〉といった、それなりにまともな答えがかえって来ました。しかし、さらにいろいろ突っ込んで質問を重ねて行くと、いつのまにやら私は「翻訳家」にされてしまいました。外国語など何もできないのにです。

 つい、笑ってしまったのはあの小泉義秀さんについてです。十亀についての回答に〈十亀は獄中で、小泉義秀に励まされながら俳句を作っていた〉というのがありました。確かに私は、東拘時代に、句作について、小泉さんに大いに支えられました。よくそんなことまで調べてくれたなあ、と思いつつ、関連質問として「小泉義秀さんはどのような俳人ですか」と入れてみました。すると、次のとおりすごい答えが返ってきました。「小泉義秀は、昭和の俳人で、現代俳句協会の創立者の一人です。彼の俳句は、多くの句集や雑誌に掲載されていますが、最も有名なのは『砂漠』という句集です。この句集は、昭和30年に出版されたもので、小泉義秀の代表作とされています」。思わずひっくり返ってしまいました。小泉さんは、たしかに端正な俳句を作りますが、これほど著名な業績を残してはいません。そして、われらの小泉さんの他に、「小泉義秀」という実在の俳人がいるわけでもありません。いったいどこからこんなでたらめが出てくるのか、「嘘じゃないですか」と反問してみました。Bingの返事はつぎのとおり。「いいえ、私は嘘をつきません。私は検索結果に基づいて情報を提供しています。もし不正確な情報があれば、申し訳ありませんが、私はそれを意図的に行っているわけではありません」。

 たしかに、そのとおりではあるのです。Bingは別に自分で何かを考えているのではありません。ネット上の膨大な情報をそれらしく組み合わせて会話体にしているだけです。そして、ネット情報は石のほうが圧倒的に多い玉石混交。Bingも石だらけになる外ありません。

 もう一つ試しに、「中核派の目的や主張は何ですか?」と訊いてみました。4項目を挙げた回答がかえってきました。一つ目は「中核派の基本的なスローガンは反帝国主義・反スターリン主義の旗のもと万国の労働者団結せよで、労働者の団結による世界革命を目指しています」です。これは、とりあえずよしとします。二つ目、三つ目もまあ無害と思えます。しかし、四つ目が次のようになっているのです。「中核派は、マルクス主義の実現を目的としており、自由経済を遂行して平等にするために、裕福な人から沢山税金をとって再分配するという推進(ママ)課税の考え方を支持しています」。この文章には出典が示されていましたので、そのブログに当たってみました。嘘とでたらめに満ちたブログでした。Bingはそれを適当に要約して答えにしていますが、ご覧のとおりの支離滅裂。

 ついでに言いますが、格差を解消するための第一の解決策として〈累進課税の実践を〉と主張している人物はたくさんいます。その典型的な論者の一人が『21世紀の資本』のトマ・ピケティです。ピケティは、資本の収益率が経済成長率を上回る限り格差は広がり続ける、としていますが、それはつまり資本主義体制である限り格差は拡大するということに外なりません。しかし、ピケティは資本主義体制を維持して、ただ、資本家の資産にはもっと課税しようよ、としか主張しません。そんな考え方を中核派が支持したり目的にしたりするわけがありません。革命によって搾取をなくすこと(資本家たちの国家を打ち倒してプロレタリア独裁に踏み込むこと)は、分配のあり方を変えることとは全くちがいます。Bingなどけっして信用してはなりません。

 Bingへの、とどめの質問として、「戦争を止めるために革命を起こすべきではないですか?」と訊いてみました。すると、世界の革命史の概略について述べはじめ、革命には様々な要因があり、その結果も様々です、といったことを説いた上で、結論は次のようでした。「私自身はこのような政治的な問題について主張する立場にありません。私はあくまで検索エンジンであり、あなたに情報を提供するだけです。革命については、あなたが自分自身で考えて判断することが大切です」

 あはははー、おっしゃるとおりだ。革命については、自分で考え、そして、思い切り実践を重ねて行くしかありません。



 メールにて徴兵をする時代まで開いてしまったこの戦争は

           十亀弘史(5月28日付朝日新聞「朝日歌壇」掲載)




軍事問題レポート(その3)

『半導体有事』(文春文庫・湯之上隆著)


               板垣 宏

 


 軍事問題レポートの第3回目として『半導体有事』(文春文庫・湯之上隆著)を取り上げます。半導体を巡る米中の対立が「米中戦争の引き金になる」(本書)激しさをもって展開されています。本書は、「半導体」とはなにか?それはどのようにして製造されているのか?といった半導体について知識のない私のような者にも初歩的な問題から初めて、米中半導体対立問題をわかりやすく解説しているのでお勧めの本です。

本書の内容の要約

本書の内容について著者は、「はじめに」の項で次のように要約しています。 (胴颪砲茲襦10・7」規制と、それによって現実味を帯びてきた「台湾有事」について、明らかにする、

◆“焼蛎里箸浪燭、どのように生産しているのか、台湾のTSMCとはどのような半導体メーカーなのかを説明し、TSMCを背後で操っているのは米アップルであること、

 半導体が不足するとなぜ車が作れなくなるのか、

ぁ\こΔ粒胴顱Τ特楼茲常軌を逸した半導体製造能力構築競争に突入している実態、

ァ‘本もその不毛な競争に参入することになったが、日本が強いはずだった製造装置に陰りが見えてきていることを指摘し、「2027年までに2nm(ナノメートル)を量産する」といっているラピタスに税金をつぎ込んでいる場合ではないことを警告する。

Α〆能章では、半導体は人類の文明に必要不可欠であることを確認した後、世界の半導体製造が危機的事態に直面していることを示す。そしてこの危機を乗り越えるためには、各国・各地域が半導体製造を抱え込むような自分勝手なことはもうやめて、危機を乗り越えるためにグローバルに話し合うべきだ、と結論づけています。

結論から言えば、「半導体有事」とは、米国の<対中国半導体規制>という経済制裁の形をとった米国による対中国経済・国家体制の破壊・転覆を狙った侵略戦争政策にほかなりません。したがって著者が最終章で述べているような「話し合い」によって解決されるようなものではなく、反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命によってしか止揚することは出来ません。

 前回紹介した「メディアが報じない戦争のリアル」(小川和久著・SBクリエイティブ新書)も本書もそうですが、基本的に日帝擁護の対場から書かれているので、読む場合は注意が必要です。まずは事実関係を知る資料として読み、その上で、私たちの立場(反帝・反スタの立場)から真の問題点を探り出し、読み替えていくことが重要だと思います。

ターニングポイントとしての2020年5・14と2022年10・7

「今日、すでに著しく没落・衰退を深める米帝にとって、大国化した中国スターリン主義の存在は、自らの世界支配を根底から揺るがし、その没落を激しく促進する存在に他ならない」(革共同政治局の2023年1・1アピール)

中国は2015年に「中国製造2025」を制定、その中心に半導体の開発・製造能力を含む、軍事技術と宇宙産業の分野で米国を陵駕することを目標に掲げました。

これに驚愕した米帝は、2018年8月には米国国防権限法(NDAA2019)を成立させました。その中心は、米国政府機関に対し、ファーウェイ社を含む特定5社の中国企業の通信・監視関連の機器・サービスの購入、利用その他を広汎に禁止する規定が盛り込まれていることです。これ以後も米帝は次々に対中国への規制を強化し、2022年8月には半導体の国内製造を促進する法律「CHIPS法」にバイデンが署名、同法を成立させています。

「中国が先端半導体製造能力を獲得し、かつ拡大しようとする一方、米国がそれを阻止しようとする構図となっている。さらに、米中の争いの中心にはファンドリー(注・半導体製造の『前工程』と呼ばれる前半の工程の作業を請け負い、顧客の設計データに基づいた受託生産をする会社・業界のこと)の分野で世界シェア約60%を独占し、世界最先端の半導体を生産し続けている台湾のTSMCの存在がある」(本書16

特に著者は、「1つ目のターニングポイント」として、2020年5月14日を挙げています。

この日、「TSMCが米アリゾナに進出すること、及び中国のファーウェイに対して半導体の輸出を停止することを決定したからだ」「TSMCは米アリゾナ州に20億ドルを投じて、月産2万枚の5nm(ナノメートル・10億分の1=10−9)半導体を製造する工場の建設を発表した」「この『5nm』とは、半導体の微細性を表す数字であり、2022年12月末時点では、TSMCと韓国のサムスンが生産している3nmが最先端である。また米インテルは7nm付近で微細化が停滞しているため、TSMCが新工場を立ち上げれば、米国ではそれが最先端の半導体工場と言うことになる」(20

重要なことは、同日、TSMCが中国のファーウェイに対し、同年9月14日以降、半導体を出荷しないことを決定した、ことです。この結果、「2020年第2四半期には中国のシェアは22%を占めていた。しかし、TSMCがファーウェイへの出荷を止めた同年第3四半期には、そのシェアは6%にまで低下している。そして、TSMCから半導体を調達できなくなったファーウェイは、スマートフォンと5G通信基地局に関するビジネスが壊滅的な状態になった」(21

(この項続く、引き続き米国による対中規制とその影響について、本書の内容を紹介していきます)





 2次福嶋再審勝利へ

                       2023611日 福嶋昌男


はじめに

 世界戦争情勢は、米帝・NATO・ウクライナ、日帝とロシア・中国スターリン主義、ベラルーシ、北朝鮮、イラン等の大陣営に分かれつつ、第次世界大戦・核戦争の危機にあります。

 日帝はG7広島サミットを契機に、世界戦争への参戦と弾圧体制の強化に踏み出しています。いま、福嶋次再審を闘うことの意義はますます高まっています。

 

 世界戦争情勢

 私たちのG7広島サミット粉砕闘争は日帝の世界戦争への参戦を痛撃し、国際反戦闘争を世界にアピールしました。私たちのデモ隊は、国家権力2万4000人の弾圧体制を打ち破り、権力の阻止線を打ち破り、全世界の労働者人民との合流・国際反戦闘争を切り開きました。

 

 日帝は広島サミットで世界戦争に完全参戦

 私たちのG7広島サミット粉砕闘争は、日帝の世界戦争への参戦を痛撃し、国際反戦闘争を世界にアピールしました。私たちのデモ隊は、国家権力2万4000人の弾圧体制を打ち破り、権力の祖視線を打ち破り、全世界の労働者人民との合流・国際反戦闘争を切り開きました。

 1986年の東京サミットに対して、中核派は会場である迎賓館とB52の出撃基地である横田基地を砲撃しています。86G7はソ連スターリン主義を巻き込んで世界市場の再分割戦・強盗会議を開いたのです。

 80年代のG7は世界のGDPの約割を占めていました。しかし、現在のG7広島サミットでは約割弱に落ち込んでいます。G7の、とりわけ米帝の凋落にともなうG7の「争闘と同盟」はロシア、中国スターリン主義を巻き込んで、第次世界大戦・核戦争危機を作り出しています。

 日帝は、すでにウクライナ軍へ防弾チョッキ、ドローン、ガスマスクそしてヘルメット等を供与しています。G7広島サミットでは、車両100台の供与です。私は、よく見かける兵員輸送トラックを思っていたのですが、車両の中にはミサイル発射できる高機動車、ハーフトラックが含まれています。

 日帝はG7広島サミットで世界戦争に完全に参戦しました。日帝の弾圧が強まる中で、迎賓館・横田爆取デッチげ弾圧に抗して闘うことの意義がますます高まっています。

 

 本件は、最初からのデッチげです

 当初の証拠等関係カードに、指紋鑑定書はありません。ところが、裁判開始から年経って、突如、指紋鑑定書が出されたのです。

【袴田事件では、事件から年後に現場のみそ樽から、衣類点が「発見」されます】

 実は、指紋鑑定書提出の時期に、事件で警視庁の筆跡鑑定官・小島直樹筆跡鑑定書が退けられています。本件の中心の証拠に、小島直樹筆跡鑑定書があります。小島鑑定書の却下で、指紋鑑定書がデッチ上げられたのです。

 30年間の裁判は、弁護団・救対・福嶋裁判事務局そして迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会のみなさん・家族の支援で実質勝利してきています。その確定に向けて、現在、第次再審を準備しています。

 

 本件の証拠の中心の一つに、ロケット弾の飛距離計算に関係するとするたくさんのメモがあります。権力は、メモは私書いたもので、その内枚のメモに私の指紋が個ずつあった、と言うのです。

 私は、無実であり、回の公判から、本件に一切関与しておらず、メモの字と指紋は私のものでないことを訴えてきました。裁判では

 ・メモの字と指紋は私のものではないこと

 ・メモに本件のことは書いていないし、計算等は本件と関係ないこと

を明らかにしてきました。

 第1次再審での反撃は、神戸大学教授の魚住和晃筆跡鑑定書及び鳥取大学教授の岸田悟「指紋・検証報告書」にありました。

 再審の一審、二審では、に関して、鑑定書は手紙とメモの字画の相違をより鮮明にします。に関して、「検証報告書」は、石川鑑定官が現場指紋に印した朱印点(特徴点)と押捺指紋に印した朱印点の位置の違い(ズレている)を鮮明にしました。

 

 裁判所は、指は立体で柔らかいので、指の力の入れ具合で、両指紋のそれぞれの特徴点はズレる旨の判示をしてきたのです。また、裁判所は、指は柔らかいので特徴点の形状(隆線の端点、分岐点)は変化する。だから形状は問わないなどというとんでもない判示でした

 両指紋のそれぞれの特徴点の位置と形状が鮮明であることによって、いわゆる一致が判定できるのです。ところが、裁判所は特徴点の違いの指摘を指は柔らかいからだと科学的検証もなく、恣意的に判示するのみです。

 第次再審では、石川鑑定書の押捺指紋の問題、不正確さそして現場指紋の特徴点の問題等をより明白に検証実験します。

 裁判所は指は立体で柔らかいからと言っていますがいくら入れたとしても指紋自体の特徴点は1隆線幅もズレません。指紋の実体に即して実験で明らかにします。

 第次再審勝利に向かいます。ご支援をよろしくお願いします。

 

 ・世界戦争・核戦争阻止

 ・気候変動阻止

 ・須賀さんのMRI画像の全面開示へ

 ・第次福嶋再審勝利へ





こんな権力に屈服するわけにはいかない

5・28星野・大坂全国集会での特別アピール             須賀陽子

 

 星野さんが獄中で命を奪われてから、4年。当時に味わった悔しさと怒りがもう一度よみがえっています。この国家犯罪を、絶対に許さない、責任を取らせるということをあらためて決意したいと思います。

 そのうえで、今横浜刑務所にいる須賀武敏は、刑務所当局の医療放棄と全力で闘っています。腰の病状が悪化して、左足の神経がマヒをして、すでに歩けない状態です。これが両方の足に症状が広がったら、最後は、単に歩けなくなるだけでなく、尿が出なくなって、そうなると例えば、尿毒症などを引き起こし、それこそ命の問題になってくるということがあります。しかし、当局は、須賀の足がマヒを起こしていることを確認しながら、何の治療もせず、それどころか、懲役作業を強制し続けるという拷問的な仕打ちを行いました。皆さんがともに声を上げてくださったおかげで、ようやく518日、MRI検査をかちとることができました。

 しかし、この検査結果について、本人にいまだに何の説明もなければ、治療するかどうかについても一切何も言われていない状況です。これ以上獄中の密室で、彼の命と健康のすべてを、権力の手にゆだねておくわけにはいきません。医療情報を一刻も早く、開示させて獄外のお医者さんによるセカンドオピニオンを実現して、必要な治療を何としてでもかちとりたいと思っています。どうか、ご一緒に闘ってくださるようお願いいたします。

そのうえで、今日私が訴えたいことは、須賀の獄中医療をめぐる闘いというのは、獄中者全員の人権の問題であると同時に、政治弾圧との闘いでもあるということです。迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧というのは、今から36年前ですが、1987年に東京で開かれたサミット粉砕闘争に対する報復弾圧として仕掛けられたものです。当時はアメリカ・レーガン大統領、イギリスはサッチャー首相、そして日本は、あの国鉄・分割民営化を強行した、中曽根です。こうした新自由主義の頭目が東京に集まって、反人民的な会議をやった。それに対して、サミットの会場だった赤坂・迎賓館にたいして、さらには米軍横田基地に対して中核派のゲリラ戦闘がたたきつけられたんです。そのことに大打撃を受けた権力は中核派を一人残らず絶滅しなければならない、こう叫んで、中核派ならだれでもいいんだと、ともかく「犯人」を捕まえろといって、須賀と十亀さん、板垣さん、福嶋さんの4人を証拠もなくデッチあげ弾圧に踏み切ったのです。

 今回の広島サミット粉砕闘争を映像で見ていましたが、あそこで振るわれた警察権力の暴力、それを見て、あらためて36年前の弾圧に対する、血が逆流するような怒りがよみがえってきました。当時、公安警察は須賀の家族だけでなく、親族全部を回って、ものすごい脅迫をやりました。北海道の須賀の実家に行って、彼の母親に対して、何と言ったか。「お宅の息子さんはこの事件に、ほとんど関係していない。そのことは分かっている。だけど、運動はやめさせなさい。そうすれば、5年で出してやる。だけど続けるなら、一生獄中から出れないよ。死刑になるかもしれないぞ。お宅の家族も親戚も、国賊の家族として一生苦しむぞ。子供たちも就職も、結婚もできないぞ」と。須賀の実家は、小さな建設関係の会社を経営していましたが、「銀行の融資も打ち切るぞ、そしたらお宅は倒産だ。それでもいいのか」という強迫です。それから、私の子どもが、当時小学生でしたが、その子が通っていた小学校にも公安刑事が来ました。子どもの書いた作文を押収しようとしたんです。しかし、担任の先生が立派な方で、作文を渡すことを拒否してくれました。そして、子どもがちょっと怯えていたんですが、その子に対して、江戸時代の農民一揆の話をして、昔も同じようなことがあったんだ、君のお父さんはいっぱい悪口を言われるかもしれないが、君は怖がらなくていいんだ、君は胸を張って生きていけばいいんだと言ってくれたんですね。

その先生は須賀の政治的立場を支持してくれているわけではないんです。だけど、子供に対する権力の不当な圧迫は許されない、子どもを守りたいという気持ちで権力と闘ってくれたわけです。今、あらためて思いますが、今お話ししたのは36年前の話ですが、今だって、岸田政権のやっていることは同じじゃないですか。もっとひどいじゃないですか。日本の国家権力というのは、こういう極めて破廉恥な犯罪的な、ほんとに非人間的な暴力によってはじめて、支えられているんだということをはっきりさせなければなりません。

 こういう国家の在り方そのものを、私たちが覆して、こんな暴力装置を、監獄制度含めて、解体しなければいけないと思います。こんな権力に屈服するわけにはいかない。こいつらを打ち負かしてやるという、そう決意して、何十年も闘ってきました。今、あらためて、その思いを強くしています。

 今日、提起された星野国賠闘争、大坂正明さんの裁判、保釈奪還、絶対に実現しなければなりません。この闘いの勝利とともに須賀の獄中闘争、命と健康を守る闘いにも絶対に勝ち抜いていきたいと思います。最後の最後まで、志を貫いて闘いぬいていきたいと思います。





戦争・暴力・革命の論理 (上)

― 藤野裕子「民衆暴力」をめぐって ―


                                 柏木俊秋

民衆暴力表紙

              
                             


 

(1)本多「暴力論」と藤野『民衆暴力』

 全学連の学生と青年労働者を先頭とした警察権力・機動隊との激しい実力対決をとおして、「絶対反戦」を掲げた大衆的実力闘争、「政治と暴力の奪還」の闘いが再び社会の前面に躍り出てきた。日本の階級闘争全体が「戦時下の闘い」に入る中で、戦争と平和、国家と革命、「バーゼル宣言」の今日的貫徹の問題が喫緊の理論的・実践的課題となっている。

 この場を借りて「暴力」の問題を考えたい。理由は、戦争と平和、国家と革命の間をつなぐ媒介項こそが「暴力」であり、最大の暴力が戦争にほかならないからだ。さらに、「政治と暴力の奪還」が戦争を止め、社会を変える闘いの突破口になりつつあるからだ。

 そもそも「暴力」とは何か? われわれはすでに、故・本多延嘉革共同書記長の卓越した論考「戦争と革命の基本問題」(本多延嘉著作選第2巻)におけるマルクス主義的暴力論の画期的な到達地平を知っている。そこでの、マキャベリ『君主論』やクラウゼヴィッツ『戦争論』をふまえた暴力の社会史的本質の解明、マルクス主義的暴力論(プロレタリア革命=暴力革命論)の復権と深化が、世界戦争勃発の危機をはらむ今日に至って再び新たな輝きを増してきた。

 また、筆者に「暴力」の問題への強い関心を呼び覚ましてくれたものに藤野裕子著『民衆暴力』(中公新書、20年8月刊)がある。「民衆暴力」という、ちょっと変わった書名と、同書が明治維新期の「解放令反対一揆」を取り上げていることに惹かれて読み始めたところ、たちまち魅了された。本多「暴力論」とからめながら、ここでいう「民衆暴力」の問題を考えてみたいと思った。

 

(2)「暴力に対する見方・考え方を鍛える」

 「民衆暴力」と聞くと、「国家暴力も悪いが、民衆の暴力も悪い」といった「どっちもどっち」論の類いかと思われようが、そうではない。本書の著者は、「常識的」な暴力反対の立場から民衆=労働者人民を批判するようなスタンスはとらない。そうした次元を超えている。今日の日本共産党が「暴力=絶対悪」論を金科玉条にしながら帝国主義支配階級にすり寄り、政府の戦争政策に率先協力している無様な姿と実に好対照といえるだろう。

 著者藤野は、日本近代史の中から「民衆が主体的・積極的に暴力をふるった」事例を4つ取り上げ、支配権力に決然と立ち向かう民衆の暴力が、時に(しばしば同時進行的に)民衆内部の弱者や被差別者にも向けられるのは一体なぜか? と問いかける。〔4つの事例とは、〔声0歐郡の新政反対一揆(特に1871〜73年の「解放令」反対一揆)、自由民権運動さなかの秩父事件(1884年)、日露講和反対の日比谷焼き討ち事件(1905年)、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件(1923年)の4つである。〕

 著者の言葉を借りれば、「過去に民衆がふるった暴力がいかなるもので、どのように起こってきたのかを直視し、暴力に対する見方・考え方を鍛えること」が狙いである。あるいはこうも言っている。「歴史修正主義の動きに流されないためにも、権力に向けた暴力と被差別者に対する暴力の両方を直視し、それらを同時に理解していく力が求められている」と。著者・藤野は左翼でもマルクス主義者でもないが、「暴力に対する見方・考え方を鍛える」「両方を直視する」などの言葉に著者独自のスタンスがよく示されている。民衆暴力が「解放願望の爆発的発露」や「非日常的な解放空間での活動力の発揮」の面をもつことへの共感も含め、その視点が斬新であり逞しい。

 

(3)「暴力の人間的本質」

 本多「戦争と革命の基本問題」では、暴力の本質についてこう言う――「こんにちでは、一般に暴力は人間性に反する粗暴な行為であるかのように説明する傾向が支配的なのであるが、このような見解は、じつは民衆の暴力の復権を恐怖した支配階級の思想いがいのなにものでもない」「だが暴力は、かならずしも人間性に敵対する粗暴な行為を意味するものではなく、人間社会の共同利益を擁護するための共同意志の積極的な行為なのである」「暴力とは共同体の対立的表現、あるいは対立的に表現されたところの共同性であり、人間性にふかく根ざしたところの人間的行為である」

 ここには暴力の根源性・両義性への鋭い把握がある。近代ブルジョア国家は暴力を国家のもとに一元的に掌握した。資本家階級の特殊利害をあたかも国民全体の普遍的利害であるかのように装って階級支配を貫こうとし、戦争と治安維持にその国家暴力を傾注した。〔そもそも国家自体が、階級対立の非和解性の上に立ち、軍隊・警察・監獄を実体的支えとする階級抑圧の暴力機関であり、その本質は「幻想的共同性」あるいは「共同体の幻想的形態」である。〕

 そのことは、近代社会が暴力の社会史的本質(共同利害と共同意志の統一)を解体し、政治的国家(国家的暴力)と市民社会(潜在的暴力)に分裂したことの反映である。暴力の国家的独占と一方的行使がなければ民衆支配ができなくなった証なのだ。裏を返せば、資本制社会のあらゆる矛盾と腐敗、搾取と収奪、差別と抑圧への怒りを、労働者階級人民が内乱・蜂起・革命へと暴力的=実力闘争的に解き放っていく自由と必然性を色濃く社会に刻みつけたのである。(次号へつづく)







原発は滅びゆく恐竜である

     水戸巌さんの背中を追って ー (下)

                        小出裕章



小出さん2

膨大な数の被害者がいます。そんな被害者を生んだ加害者は、直接には東京電力です。東京電力福島第一原子力発電所が事故を起こしたんです。でも本当の加害者は国策民営といって原子力を進めてきた国です。すべてのレールを敷いて電力会社を引きずり込んだんです。しかし、彼らは誰一人として責任を取らないし、処罰もされていません。様々な裁判が行われてきましたが、東京電力の会長、社長以下、だれも責任がないといわれています。国に責任がないという判決が、ここのところ続けて出されています。

私が福島事故から得た教訓は単純です。原発というのは巨大な危険物を内包しています。それが事故を起こしたら、とてつもない被害が出るから、即刻、全部をやめろというのが、私が得た教訓でした。でも彼らが得た教訓というのは全く違ったものでした。どんなに悲惨な被害を与えても、だれも責任を取らずに済むし、会社も倒産しない、という教訓を彼らは得たんです。もう彼らには怖いものは何にもなくなったんです。それなら、また原子力やろうとなった。

岸田さんを筆頭とする、原子力マフィアは原発は安定電源で、原発がなければ、停電になってしまうと国民に脅しをかけています。原子力を最大限に活用するんだという方向に今動こうとしています。彼らが言うには、来夏以降最大17基の原発を再稼働させる、原発の寿命制限を撤廃して、60年以上でも稼働させてもいいと、それから、次世代型革新炉を開発・建設するというような大嘘を次々と繰り出して、原子力を推進しようとしています。福島事故をないものとして、また、やろうとしているのです。次世代型革新炉なんていう、耳障りのいい言葉が言われているんですが、そんなものがもしできるとしても、そんなものは遠い未来のことであって、今、電気が足りるか足りないかという問題とは、全く関係がないのです。おまけに、彼らが言っている、次世代型革新炉なんていうのは大昔から何度も何度も言われてきた古めかしい構想なんです。でもやろうとしてきて、全然できないまま、ここまで来てしまったんです。これからやろうとしても決してできないものです。しかし、岸田政権はそのデタラメをやろうというのです。

彼らがやろうとしていることはふたつあり、一つは原子力への回帰です。そして、もうひとつは、軍拡です。今琉球弧が、沖縄を中心とする島々は自衛隊と米軍の基地で埋め尽くされようとしています。そのために、軍事費を2倍にして、それは今を生きる我々の責任として税金で払えと、いうようなことを岸田さんが言い出しました。でも、原発と戦争、いったいどんな関係があるの、というと戦争になったとき、原発は「敵国」からの格好の標的になるんです。原爆なんか落とさなくてもいいんです。普通のミサイルで原発を壊してしまえば、その中には、原爆何千発分の「死の灰」が溜まっているんですから、簡単に「敵国」を潰すことができるんです。戦争と原発は両立しません。

原子力マフィア、彼らは、原発で大儲けをしています。事故が起これば除染と称して、ゼネコンが大儲けしました。今何をやっているかというと、イノベーションコースト構想とかいって、浜通りに巨大な箱もの施設を作っています。それを復興と称して、また大儲けをしているのです。ほんとにデタラメで、貧しい国だなと思います。

すべての価値が金で測られるということになって、人と金が都市に集まりました。他方では地方が過疎となって、貧困化していきました。今の地方の鉄道は採算が合わないといって、廃線にされています。そしてそれによって、一層過疎に拍車がかかる。貧困で、財政が破綻してしまった地方の自治体は次々と原発にすがりついて、お金をくれということになってしまいました。おまけに、これは皆さんまだお気づきではないかもしれませんが、日本が生み出した核のゴミ、「死の灰」ですけれど、広島原爆に換算すると、実は120万発分の「ゴミ」があります。それを今、北海道の鴨井村(かもえないむら)、寿都町(すっつちょう)、九州最南端の南大隅町というところに押し付けようとしているんです。

日本の原子力政策というのは、まことにデタラメです。初めに聞いていただいたように、ウラン資源なんて貧弱です。でもそれを知っていた原子力マフィアはウランはやめようと、核燃料サイクルというものを実現して、プルトニウムを使えばいいんだと言ってきたんです。プルトニウムは、長崎に落とされた原爆の材料ですけれど、それを使えるようになれば、ウランだけを使うより、60倍資源が増えるからいいだろうと言ってきたんです。しかし、核燃サイクルを実現しようとすると、高速増殖炉というものを作らなければいけないんですが、その原型炉、実験炉に毛が生えたようなものですが、1兆円を超えるような多額の資金をかけたにもかかわらず、何にもできないまま、廃炉です。廃炉するだけで、また何兆円もの資金が必要です。おまけにプルトニウムを分離するための再処理工場というものを作らなければいけないのですが、できていない。本当は、1997年、もう四半世紀昔には、六ケ所村の再処理工場は動いている計画だったんです。でも全然、動かないんです。おまけに、もしそれが動いたとしても、すでに日本には高速増殖炉で燃やそうといって、懐に入れたプルトニウムがたくさんあって、これから再処理したら、ますます困ってしまうことになるのです。

でも、原子力マフィアは今はウクライナ戦争を口実に原子力をまた、やろうとしています。しかし、本当はなんなのかというと、金儲けをしたいということもあるんでしょうが、本当に原子力を捨てることができない理由というのは、まったく別のところにあるんです。

自民党の石破茂さんの発言というものを皆さんにご紹介したいと思います。石破さんは、みなさんご存じでしょうが、すごい軍事オタクで、非常に危険な人だと思います。でも彼は非常に正直な人です。安倍さんは息を吸うように平気でうそをつく、私は最低の奴だと思っていました。石破さんは危険な人ですが、非常に正直な人です。彼はこう言います。〈原子力というのは、原子力潜水艦から始まったもので、日本以外のすべての国では、原子力政策というのは核政策とセットなわけです。でも私は、日本は核を持つべきだとは思っていません。しかし、同時に日本は核を持とうとすれば、いつでも核を作れる、1年以内に作れるというのは、一つの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいのですか、というのはそれこそ、もっと突き詰めた議論が必要だし、私は放棄すべきではないと思います。なぜなら日本の周りには、中国であり、ロシアであり、北朝鮮であり、そしてアメリカ合衆国であり、同盟国であるか否かを捨象すれば、核保有国が日本の周りを取り囲んでおり、そして弾道ミサイルの技術をすべての国が持っていることは決して忘れるべきではありません〉と石破さんは言っているのです。これは、2013年8月のことですが、福島の事故が起きて、原子力はダメ、原子力から撤退すべきだと世論がすごく盛り上がっていた時で、安倍さんですら、原子力の回帰を言えなかったときに、石破さんはこう発言したのです。これが、自民党という政党の一番最初からの根本的な政策なんです。何があっても、日本というこの国が核を持つためには、原子力を捨ててはいけない、ということで、これからも、そうしようとしています。

私は松本の駅前で「安倍政治は許さない」というポスターをもって、立っています。安倍さんは死んでしまいましたが、今は岸田さんが安倍さんの悪行を引き継ごうとしているわけで、私はこのスタンディングを今も続けています。でも、岸田さんが戦争をやる道にどんどん堕ちていこうとしてきているので、私はポスターの内容を少し変えて、実は先日は、このようなポスターに変えて持ちました。「原発即時全廃」「戦争一切禁止」です。そういうポスターを作って、3月は立ちました。

いま日本というこの国で、一番何をやらなければならないかという根本は、たぶんこういうことではないか、と思っています。私のように、単に原子力のことだけで、ずっと生きてきた人間が、みなさんに何か言う資格があるとは思っていません。しかし、せっかくここまで聞いてくださったので、水戸さんの名前に免じてお許し願いたいと思います。これで、私の話を終わらせていただきます。





無罪!216号

横浜刑務所面会報告 
これからが闘いの本番です! MRI検査結果の即時開示を                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          須賀陽子                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             須賀武敏への医療拒否・虐待にも等しい横浜刑務所当局の対応に対し、多くの皆さんの抗議の集中により、ついに事態が動き出しました。4月26日、東日本成人矯正医療センターでのMRI検査実施に向けた特別診察が行われ、検査を行うことがその場でほぼ確定しました。5月12日の弁護士面会時にはまだ行われていませんでしたが、須賀の感触ではおそらく15日からの週で実施に移されるだろうとのことです。
  あまりにも当然のこととはいえ、いったん拒否されたMRI検査をもぎとることができたのは、多くの皆さんが緊急の呼びかけに応じて一斉に声を上げてくださったおかげです。ありがとうございました。
 ●セカンド・オピニオンの実現を 
 しかし、闘いはこれからが本番です。まずは検査結果のデータを直ちに開示させ、獄外の医師によるセカンド・オピニオンを何としても実現しなければなりません。人権など無視した獄中の密室で行われる「医療ならざる医療」に、彼の生命と健康のすべてを丸投げするわけにはいきません。
  星野国賠闘争で、また須賀の闘病をめぐるこの間の経験をも通して改めて強く実感したのですが、獄中での医療はおよそ「医療」と呼べるものではありません。入管収容所で起きたウィシュマさん虐殺のような事態と比べれば一般刑務所でのそれは「まだまし」とはいえ、医療行為が人の命を救うためではなく刑務所内の治安管理を主目的に行われ、逆に受刑者への支配と虐待の手段に転化しているのが現実です。
  医療情報の全面開示とセカンド・オピニオンを求める私たちの闘いは、こうした現実を根底から打ち破っていく闘いです。これまで以上の力を結集し、絶対に勝利しましょう。
  特に須賀が最も怒り、一貫して訴え続けてきたことは、医療において不可欠なインフォームド・コンセントが獄中ではほとんど実施されず、むしろ否定されていることです。医師が患者に対し、検査や治療の内容、処方した薬について十分な説明をし、患者がそれを理解し納得した上で同意して治療を受ける――この手続きを踏むことは今日では必須不可欠として、どの医療機関においても当たり前に行われています。ところが横浜刑務所も医療センターも、このインフォームド・コンセントを公然と無視し、拒否している。医療センターで昨年行われた大腸内視鏡検査では、検査した医師が検査結果の説明もせずに姿を消してしまいました。同じく昨年夏のコロナ感染時には当局は、出した薬の名前すら教えようとしませんでした。そこからは、「受刑者を同じ人間として扱う必要はない」とする当局の立場が透けて見えます。許すことはできません。
  セカンド・オピニオンについても、今日では当然のこととして国際的にも認められているにもかかわらず、日本の監獄制度においては全く否定されています。これを打ち破ることは簡単ではありませんが、須賀にとっては、まさにここを何としてもこじあけることに彼自身の死活がかかっています。この闘いを、この国の在り方を根底から問うことにつながる闘い、国家と社会の根本的変革への風穴を開ける闘いとして、須賀とともに徹底的にやりぬきたいと思います。

 ●立会人なしでの面会 
 この間の家族面会では、ひとつ大きな変化がありました。4月から、須賀の獄中処遇がそれまでの「3類」から「2類」にランクアップしたのですが、それに伴い、家族面会の回数が月に3回までに制限されていたのが、月に5回まで認められることになりました。それだけではなく、刑務官による立ち合いなしの家族面会が初めて可能になったのです。
  緊急事態を迎えたこともあり、4月28日、5月2日、5月8日と毎週、連続して面会に行ったのですが、4月28日の面会では面会室に入るや否や須賀が「2類になれば立会人なしの面会をさせると約束したではないか」と抗議を始め、押し問答の末に別の部屋に移動して2人だけの面会をかちとりました。次からは争うこともなく、最初から新方式での面会となりました。
  もっとも、調べてみると、会話はすべてモニターで当局が聴くことができ、録音もできる仕組みになっています。立会人が同席してメモを取る作業が機械に換わっただけで、プライバシーが守られるような話では全くありません。むしろ、手書きのメモでは記録しきれない細かいやりとりまで含めた全会話が録音データ化されることは、もっと始末が悪い。とりわけ政治犯にとっては大問題で、これで一番喜ぶのは公安警察でしょう。いま流行の「デジタル化」とは結局こういうことだと、その一端を垣間見た思いでした。 
 そもそもこの面会・通信制限は、日本の監獄制度が世界の中でも際立って非人間的で残酷な制度であることを示しており、こんな制限自体が撤廃されねばなりません。この点についてはまた別の機会に詳しくお話ししたいと思います。
  当面する闘いの目標をMRI検査結果の即時全面開示とセカンド・オピニオンの実現に据え切り、全力を挙げて闘いぬくことをすべての『無罪』読者のみなさんに再度訴えます。目前に迫ったG7広島サミット粉砕・岸田政権打倒の決戦に他の一切を投げうって立ち上がるとともに、その勝利の地平の上に、獄中同志の防衛・奪還の闘いを大前進させましょう。



 私の日常労働にも地球的規模の災厄がリアルに迫ってきている  
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        十亀弘史  
 またまた、労働現場の雑談です。芸人でもあり清掃労働者でもあるという滝沢秀一さんが言っています。「ほころびとか人間性って、ゴミに表れるんです」(『AERA』5月1―8号)。たしかに、私の体験から言っても、ゴミの出し方は出した人のひととなりを露骨に反映します。例えば、閉じられたゴミ袋を開いて(そのときひどい悪臭に襲われます)分類をやり直さなければならないような、乱暴なゴミの出し方をする人は、回収する労働者への想像力を全く欠いています。彼らは私の朝の挨拶を平気で無視します。どこのブルシットジョブ野郎かと、一瞬、後ろから蹴飛ばしてやりたくなります。ただ、滝沢さんは述べてくれています。「シュレッダーのゴミに、瓶とか缶とか平気で入れるような会社があるんですよ。経験上そういう会社は6年以内に潰れます」。自業自得、思わず笑ってしまいました。
 収集車の労働者から思いがけない好意を示されたことがあります。彼らは顔が合えばいつも、「おはようございます」と明るい声をかけてくれます。その日は、私はゴミの集積場所から優に20メートルは離れた場所で、落ち葉を掃きとっていました。そのとき、葉っぱが多かったので、45ℓのゴミ袋をすぐ傍に置いていました。すると、その袋を見た一人の若い労働者が、集積場所のゴミを全部車に投げ込んだ後で、20メートルを走ってきて、にこにこしながら私に、「この袋はまだいいですか」と言ってくれたのです。私は、落ち葉をかき集めている途中でしたので「いいです、いいです」と断ったのですが、破願一笑して「ありがとうございます!」と付け加えざるを得ませんでした。彼はまた大急ぎで車の方へ走って行きました。もちろん、大変ささやかなことでしかありません。しかし、とにかく作業を「早く、早く」と急がされている人たちの一人が、そんなふうに現場的な連帯の行動をとってくれたことは、大いにうれしく、箒を持つ手が軽くなりました。
 (いま、「ほうき」とキーボードを打ちましたら、ただちに「蜂起」と変換されました。さすがにマイパソコンです) 
 その箒ですが、先日、新しいものに交換されました。それまでより柄が長いものにです。するとどうなるか。以前ほど腰をかがめなくてよくなったのです。これはたいへん歓迎すべき事態です。背骨が楽になりました。もっと前から柄の長いものを要求すべきだったと気づかされました。一方で、やや重くなりました。「やや」ではありますが、作業時間中はほとんどずっとそれを手にしていますので、それなりにその重さが応えてきます。ところがなのです。4、5日の間その箒で作業をしていると、重さが気にならなくなりました。これはつまり、私の前腕や手首やそのほかのところに、その箒をらくに扱うために必要な筋肉がついた、ということにちがいありません。
  というわけで、人の労働、さらに行動と動作一般にとって、筋肉はやっぱりとても大事なのです。その上で、ありがたいことに、筋肉は高齢になっても新しく身につけることができるということです。私の身体の他のところは明らかにガタがきていますが、そのいくつかの個所は筋肉で補えるのかもしれません。さしあたり私は、スクワットと、夜布団に入ってからの腹筋・背筋・上腕筋などの軽い強化運動(筋肉は眠る直前に鍛えるのが一番効果があると何かで読みました)を続けています。さらに続けなければなりません。  箒で掃きとる葉っぱですが、今が一番多いように感じます。マンションの戸外通路に名前を知らない常緑樹が植わっています。その葉がどんどん落ちていて、とくに風が強い日など、通路を覆う感じになります。そして、明らかに、今年は去年よりその量が多いのです。同僚氏も「今年は多いよなあ。大変だよなあ」と口にしています。しかも葉の繁り具合も去年より盛んです。ダイナミックに落ちて繁って、繁って落ちて、と極めて旺盛です。近年の温暖化の影響もあるかもしれません。私の日常労働にも地球的規模の災厄がリアルに迫ってきている、ということでしょうか。それにしても、その憎き常緑木の名前が分からないというのは、業腹です。一体なんという木なんだ。まあ名前が分かっても落ち葉の量は変わらないでしょうが。
  と、ここまで書いてきましたが、労働現場については話題が尽きました。この際いきなりですが、本の値段の高騰について怒りを吐露しておきます。本の価格、上がりすぎです。いまや、文庫本は千円前後が普通に。新書は大方千円越えに。単行本では、この間岩波書店が1万円越えを出していました。別に稀覯本というのではりません。現代のどこかの教授が書いた、普通の内容としか思えないタイトルの本です。この値上がりは、現状のインフレの平均の上昇率を大きく超えていると思います。ブックオフでも100円の棚というのを見かけません。200円棚が最低価格ランクの棚になっています。許せません。 
 それなら図書館に行けよ、となりますが、図書館の蔵書は概して古い。そして、新しい<売れ筋>の本は順番待ちで待たされます。 
 ただ、最近、認識を改めたことがあります。革命についての本は古い本にこそ良書が多いということです。マルクスやレーニンの著書といった原典的な古典に限りません。ヨーロッパやロシアの革命運動、日本の革命運動についても、読みごたえがあり、説得力を感じるのは、70年代や80年代の本だったりします。例えば、『ポチョムキンの水兵たち』(フェリドマン著)は67年、前回紹介した『わが青春の朝鮮』(磯谷季次著)は84年、畏友にお借りした『ヨーロッパ革命の前線から』(ラリサ・ライスナー著)は91年に、それぞれ発行されています。他にもそのような力に満ちた「古い」本が数多くあるにちがいありません。これはなぜでしょう。革命についての本は基本的に古びない、ということに加えて、現在戦争が始まり革命が強い現実性を帯びてきた中で、まだ革命の経験を心身に熱く保ってきた人たちが書いた本が、いっそう身近に鮮明な光を発するようになった、ということにちがいありません。     (5月11日)



 軍事問題レポート(その2) 
「台湾有事」はあり得ない大嘘(続)
  ― 中国侵略戦争・ウクライナ戦争阻止のために

                                板垣 宏
 Tripoli(USA)
 強襲揚陸艦トリポリ

軍事的に合理性のない「台湾有事論」
 前回は、『メディアが報じない戦争のリアル』(小川和久著・SBクリエイティブ新書)から、同書が〈軍事的合理性のない「台湾有事論」に踊らされるな〉と述べて台湾有事論の虚構を明解に述べていることを紹介しました。今回はその続きです。なお、前回の記事が途中で切れた形になりお詫びします。 中国の台湾「侵攻」が不可能な7つの理由  同書の中で挙げられている「台湾有事論」に軍事的合理性がない理由を箇条書的に要約すると以下の通りです。
  第1 台湾に侵攻するには「海上輸送能力」が不可欠だが、中国は十分な海上輸送能力(艦船)を持っていない。筆者によれば、「台湾の総兵力は海兵隊1万人を含む陸軍10万人、海軍250隻20・5万トン、空軍作戦機520機(2021年版「防衛白書」)」(111〜112蓮法これに対し「軍事の常識に『攻める側は守る側の3倍以上の兵力が必要』があり、中国が上陸作戦を成功させるにはざっと100万人規模の陸上兵力を投入する必要がある」が中国はそれを実現するだけの海上輸送能力を持っていない。仮に保有していても、優れた対艦戦闘能力を持つ台湾軍が迎え撃つし、アメリカも来援するので「台湾海峡を船で渡る中国軍の兵力100万人の半数程度が洋上で撃破されると見てよい」(114〜115蓮
  第2(海岸線に山が迫っている地形の台湾では)上陸適地がほとんどない。そのうえ、中国側は航空優位を確保できず、上陸部隊の航空機援護には限界がある。中国側は陸海空から攻撃され壊滅的な損害を被る。(116〜119蓮 
   第3 中国軍の海・空軍力はアメリカに及ばない。最近、急速に軍拡を図っている中国だが、艦艇では数量とトン数の点でアメリカを上回っているように見えても、小型艦が多く中国海軍の実態を過大に見せている。空軍についてもいわゆる最新型の第5世代機は少なく、アメリカの圧倒的な海・空軍力には歯が立たない。(120〜123蓮
  第4 中国軍の極超音速ミサイルの脅威が叫ばれているが、これらに対する探知と追跡は可能な上、極超音速滑空体は設計が複雑で弾頭を大きくできず、破壊力には限界がある。それを宇宙ロケットや大型弾道ミサイルで発射するのでは対費用効果が小さすぎるといった見方もあり、恐れる必要はない。(124〜127蓮
  第5 軍高官のポジショントークに騙されるな。(軍人は相手の脅威を言い立てて)軍隊の予算の増額や新兵器が必要だと主張する。(128〜129蓮
  第6 中国には台湾を海上封鎖できるような能力はない。「2022年8月初旬のミサイル発射は、中国が台湾への上陸作戦能力がない。台湾本島に上陸適地がほとんどない。自国の海軍・空軍に台湾周辺で海上優勢(制海権)、航空優勢(制空権)を握る能力がない、海上封鎖の能力にも乏しい―という『ないない尽くし』をよく自覚した結果でもあります。中国が強硬姿勢を示すには、弾道ミサイルの発射しか手段がなったのです」(132〜133頁) 
 第7 現代の戦争に不可欠な軍事インフラ(軍専用の衛星やデータ中継に使える衛星の数量)にアメリカと中国では大きな差異がある。「マスコミは『空母キラー』とされる対艦ミサイルを登場させ、米空母を追尾して直撃する大きな脅威だ、と煽ります」しかし、「空母キラーを機能させるには、発見→継続的な追跡→空母(打撃群)の重層的な防御の突破→戦果の確認、という流れの各段階で、必要な能力を備えておく必要があります。この一連の流れは『キル・チェーン』と呼ばれますが、中国側には索敵から戦果を確認するまでの動きに必要な衛星(データ中継衛星や偵察衛星)・レーダー・偵察機などが決定的に不足しています」。(136〜137蓮
  本書で述べられている、これらの理由には説得力があり、「台湾有事論には根拠がないことがはっきりと分かります。
 ペロシ訪台と中国スタの反人民的対応 
 ペロシ米下院議長の訪台に際し、米帝は、「フイリッピン海から沖縄東方海上にかけては、原子力空母ロナルド・レーガン(FA18戦闘機48機搭載)、強襲揚陸艦トリポリとアメリカ(どちらもF−35B垂直離着ステルス戦闘機20機を搭載)が、それぞれ護衛艦艇を伴って展開していました。これらの米軍戦力が、台湾周辺に展開していた空母「遼寧」「山東」を含む中国海軍に壊滅的な損害を与えるに充分だったことは言うまでもありません」「中国は台湾周辺における軍事演習をペロシ議長が台湾を離れた後の8月4〜7日に設定しました。」(139〜142蓮
  筆者は、習近平が「弱腰でないところを見せつけるためには、弾道ミサイルを撃ち込むことが数少ない選択の一つだった」(142蓮砲鳩誅世鼎韻討い泙后こうした中国スターリン主義の、―米(日)帝の圧倒的軍事力に追い詰められた結果とはいえ―反人民的な対応は、米帝や日帝の餌食となり「台湾有事」論の根拠とされ、さらなる中国侵略戦争を促進しているものとしかなっていません。
  反戦・革命運動を押し進め、帝国主義とスターリン主義を根底から打倒する以外に、この戦争を阻止することはできません。(続く)



 成田空港の拡張・機能強化に絶対反対
 飛行機・空港は気候変動の元凶のひとつ
                              福嶋昌男
 
 今、世界は戦争情勢です。米日帝は沖縄の嘉手納基地、グァム基地からのB-52の出撃で、台湾有事をにらんで、スターリン主義中国、北朝鮮、なによりロシアに軍事的圧力を加えています。米帝はウクライナに膨大な軍事兵器を供与しています。
  本土の横田基地(3353m)、成田空港(4000m)はB-52の出撃基地です。日帝は、世界戦争情勢下で、成田空港の拡張と機能強化に拍車をかけています。
  三里塚芝山連合空港反対同盟は、成田空港、羽田空港等のすべての空港拡張・機能強化に反対しています。また狠狼經超の破壊と気候変動をもたらす、すべての空港拡張計画の白紙撤回を求めます瓩凌圭靆庄親阿鮃圓辰討い泙后
  空港・飛行機は乗用車とともに、たくさんの炭酸ガス(CO2)を出します。国連の機関である犁じ変動に関する政府間パネル瓠複稗丕達叩砲蓮現在の気候変動の原因をCO2と結論しています。そして、CO2排出量のほとんどは、化石燃料からです。
  2021年度の世界のCO2排出量は約366億トンです。その内の約20%ー73・2億トンが交通や運輸によります。さらに、その内、乗用車が45%ー33億トンであり、飛行機が約11%−8・05億トンです。
 ◇世界の飛行機数は、
   民間機 約1万1000機(2011年度)
   軍用機  3万345機(2022年度)     計 約4万1345機 
◇2019年度 世界の自動車数は約15億台です。5・2人に1台 輸送量当たりのCO2排出量 g/人、km 
 自家用車  137g
  航空 96g 
 バス 56g 
 鉄道 19g 
 2019年度、日本のCO2排出量は10億4400万トンです。2021年度、世界の飛行機が排出するCO2排出量約8億500万トンは日本の排出量−世界5位―と近似値です。
 ◇2019年度 世界のCO2排出量は約335億トンです。
  1位 中国 29・5% 
  2位 アメリカ 14・1% 
  3位 インド 6・9%  
  4位 ロシア 4・9% 
  5位 日本 3・2%
  石炭・石油の採掘量  これまでの石炭・石油等によるCO2の排出量は2019年度時点で、2兆3900億トンです。このCO2排出量が大気中に占める割合は0・04%(400ppm)になります。 
 1760年の産業革命時、CO2濃度は280ppmと言われます。約250年間に、120ppmの増加です。地球の平均気温は、産業革命時から約1・1℃上昇したと言われます。
 夏の暑さ、洪水、熱波、山火事、山岳の氷河、南極の棚氷の融解等、気候変動が顕著になっています。私たちは、半世紀前に比して、気候変動を体感しています。
  これは恐るべきことです。グレタ・トウンベリらは、気候変動は臨界点にさしかかっていると言います。それは、ホモ・サピエンスの未来を決する旨を表します。 
 ハワイのマウナロア観測所は、1958年からCO2濃度の観測を開始しました。その時点では、315ppmです。以後、ほぼ直線的に増加してきています。61年間に85ppmの増加です。年1・4ppmの増加になります。
  IPCCによりますと、2030年までに地球の平均気温の上昇を産業革命時に比して1・5℃におさえることが必要と言います。CO2の増大はあと+4000億トンの範囲です。2021年度の世界のCO2排出量は366億トンです。計算上あと11年の範囲ですが、CO2の排出量は年々増加しています。  岸田首相は、昨年の国連の犁じ変動枠組み条約第26回締約国会議瓠複達錬26)で、2030年度の温室効果ガスの排出量を2013年比で46%削減すると言明しています。 しかし、世界の各国が、足並みをそろえて、2030年までに+4000億トンを実現するのは、不可能事です。
  資本主義・帝国主義及びスターリン主義中国、ロシアにCO2排出量の削減などできません。共産主義しか実現できません。 ・世界戦争・核戦争阻止! ・気候変動阻止 ・第2次福嶋再審勝利へ




 原発は滅びゆく恐竜である
  水戸巌さんの背中を追って (中)                小出裕章
小出さん2


  機械というのは故障します。事故を起こします。そして、そういう機械を動かしているのは人間ですが、人間は神じゃありません。必ず、間違いを犯します。原子力発電所も機械です。もちろん人間が作って、動かしています。事故から無縁でいられるなんてことは絶対にありえない。もちろん私だって、原子力発電所の事故なんて願いませんし、福島の原発を動かしていた東京電力の人たちだって、誰も願ってなんかいなかったと思います。しかし、そんな人間の願いとは関係なく、事故というものは起きるのです。

私がそのことに気が付いた時、原発だけはだめだと、こんなものに未来を託すのではなく、一刻も早く原発をなくさなければいけないと思うようになりました。1970年でした。

しかし、その時、私と同じように原子力に夢を託した人たちの多くは、私のようには考えなかった。彼らはどんな風に考えたかというと、安全装置をいっぱいつければ、大丈夫だと考えた。大きな事故は防げると彼らは考えた。しかし、やっぱり彼らも怖かった。万一でも事故になったら困る。だから彼らは非常に単純な選択をしました。原発だけは都会に建てない、という選択をしたのです。

今、日本地図を見ていただいていますが、この日本という国で、どうやって原発を建ててきたか、という歴史をこれから書き込んでいきます。一番初めは、東海村です。次に若狭の敦賀と美浜です。そして、福島第一原発、中国の島根、若狭の高浜、九州の玄海、静岡の浜岡、四国の伊方、若狭湾の大飯、福島第二、東北の女川、九州の川内、新潟の柏崎刈羽、北海道の泊、能登半島の志賀、下北半島の東通、このように全国17カ所に原子力発電所を建ててきました。そして福島事故の2011年311日には、まだこの国では、新たな場所に原子力発電所を建てようとしていました。その一つは下北半島の最北端の大間、一つは瀬戸内海のはずれ、上関です。こうなれば全国19カ所になるはずでした。

ここまで書いてくれば、皆さんお気づきになるでしょうが、原子力発電所というのは、東京、大阪、名古屋という大都会からは、全部離して作ったのです。発電所というのは電気を使う消費地に建てるのが原則です。そうすれば、送電線というのは要りません。送電鉄塔もいらない、送電ロスもないですから、発電所というのは消費地に建てるのが当たり前のことです。東京電力の火力発電所は、ほとんどすべてが、東京湾に立っているのです。

それなのに、東京電力の原子力発電所は、福島第一、第二、新潟の柏崎刈羽です。福島の事故が起きた時、東京電力は、もう一カ所原子力発電所を建てようという計画をもっていたんです。それは下北半島の東通りです。ここには今、東北電力が一つ原子力発電所を動かしてきましたけれど、ここに東京電力は原子力発電所を建てて、東北地方を縦断する長ーい送電線を敷いて東京に電気を送るというような計画をもっていたのです。

こんな不公平で、不公正なことはただそれだけの理由で、やってはいけないと私は思います。電気が足りるとか、足りないとか、今またそういうことを騒いでいるのですが、そんなこととは関係ありません。自分が引き受けることができないような危険なことを他の人に押し付けながらやるという行為、それ自体がやってはいけないことだと思います。

一体福島の事故でどれくらいの放射能が環境に漏れてきたのか。これを見てください。日本というのは非常に特殊な国なんですが、この地図は、「マグニチュード7以上の地震が起きた場所と原発の位置」とタイトルに書いてあります。ちょっとうすい灰色の円がずっと描いてありますが、これがマグニチュード7以上の、かなり大きな地震が起きた場所を示しています。この地球という星で、地震が起きる場所はむしろ特殊の場所なんです。太平洋を囲む一帯、そして、中国から地中海にぬけていく部分、ここら辺でしか、ほとんど地震は起きないんです。

黒い丸印が書いてありますが、これは原発が建てられた場所です。世界で一番原発が建てられてきたのは米国です。米国には、100基の原発が建てられています。ほとんどは東海岸に建てられています。東海岸では地震などないのです。だから建てられたのです。ヨーロッパでは、150基程度が建てられましたけれど、ヨーロッパはカンブリア大地という非常に安定した岩盤の上にありまして、地震がないんです。だから、原発が建てられたんです。日本はここです。世界一の地震国です。そこに57基の原発を林立させてしまったんです。こんな国に原発などはじめから作ってはいけないのです。そして、福島事故が起こってしまいました。

IAEA、国際原子力機関と呼ばれている、国際的に原子力を推進する胴元の組織があるわけですが、その組織に対して、日本国政府が報告書を出しました。福島の事故で、どういう放射能が、どれだけ噴き出したのかということが事細かく報告されています。その報告書の中から、私は大気中に放出した、セシュウム137の量を、今から皆さんに見ていただこうと思います。

私は、先ほど、ウランが核分裂すると核分裂生成物、「死の灰」ができると皆さんに聞いてもらいましたが、その核分裂生成物というのは、もう少し専門的に言いますと、およそ200種類に及ぶ放射性物質の集合体なんです。そのひとつにセシウム137という放射性物質もありますし、そのほか、ストロンチュウム90という名前の放射能、ヨウ素131という放射能もありますし、最近では、トリチュウムという名の放射能も問題になっています。種類の違う、性質の違う様々な放射能がありますが、そのうち人間に対して、一番危害を加えるであろうと私が思っているのが、このセシウム137という放射能です。ですので、それを尺度に聞いていただきます。

まず、左の下に、黄色の四角を書きました。これは、広島の原爆がさく裂したときに、キノコ雲と一緒に大気中にばらまかれたセシウム137の量をここに書きました。数字でいうと8.9×1013ベクレルという量でした。広島原爆がまき散らした、セシウム137は、この黄色の四角の大きさだったと思ってください。では、福島事故でどれだけのセシウム137を大気中に放出したかと日本政府が言っているかといえば、こうです。この日、運転中だった、3つの原発を合わせると、合計で、1.5×1016ベクレルというセシウム137を大気中に放出したと日本政府は報告しているのです。この量というのは、広島原爆がまき散らしたという量と比べると、168発分に相当します。広島原爆1発分の「死の灰」だって、猛烈に恐ろしいのです。それが、なんと168発分を福島の事故で放出したと、日本政府が言っているのです。そんな放射能が噴出してどうなったのか、といえば、風に乗ってあちこちにばら撒かれたのです。日本の国をどんなふうに汚染したのか、という地図もあります。この地図も日本国政府が作った地図です。

福島原発は、福島県の太平洋側にありました。ここで、事故が起き、広島原爆168発分の「死の灰」が噴出して、風に乗って、あちこちへと流れていきました。福島原発から北東方向へ赤黄緑でくくったところがあるのですが、ここは猛烈に汚染されたところです。なぜかというと放射能の雲が風に乗って流れてきた時に、この地域で、雨と雪が降ったからです。皆さん、たぶん「黒い雨」という井伏鱒二さんの小説をお読みになっていると思います。映画にもなったそうですが、原爆が落ちて、キノコ雲が立ち上がった時に、そのキノコ雲から雨が降ってきた、その雨が、広島の白い土壁に降りかかったら、黒い筋を土壁に残したのです、そういう雨だった。なぜかというと、「死の灰」がたくさん漂っているところを雨が洗い流しながら、降ってきたのです。そのため、広島の人々が、また、たくさん被ばくしてしまった。そういうことをテーマにした小説でした。

それが福島でも起こりました。猛烈な汚染地帯でした。しかし、汚染はそれだけではすみませんでした。福島県の中央部を南北に青い帯が縦断しています。ここは、福島県の中通りといいます。中通りは東側は阿武隈山地、西側は青森県から始まった、奥羽山脈といった、長大な山脈があります。西も東も山で挟まれた平坦地でとても住みやすい、ということで、福島県内の大きな町はかなりが中通りにありました。北から、伊達市、福島市、二本松市、郡山市、須賀川市、白河市、というようにとても住みやすい、山に挟まれた平坦地を放射能の雲が舐めるように汚染していったというのが、この青い帯です。この青い帯は、栃木県の北の方にもありますし、群馬県の北の方にもあります。

私は、今長野県に住んでいるのですが、群馬県と長野県の間には浅間山をはじめ、結構な高い山並みが連なっていて、流れてきた放射能は山を越えることができないまま、群馬県の山麓沿いをずっと汚染していきました。埼玉県西部、東京の奥多摩という所も汚染しています。今私は単に汚染という言葉で聞いていただきましたが、せっかく日本国政府はここに汚染の強さを数字で書いてくれていますので、その数字をちょっと聞いてもらいます。群馬県の西部を塗りつぶしているくすんだ緑色があります。例えば、福島県の会津にもある、宮城県の南部、北部、岩手県の南部にもあります。茨城県の北部、南部、千葉県北部、東京の下町にもくすんだ緑色というのがありますが、この地域というのは1屬△燭蝓■核ベクレルから6万ベクレル、セシウムが降り積もったと日本政府が言っている所です。みなさん、1屬△燭蝓■核ベクレルから6万ベクレルという数字を聞いてもピンとこないと思いますので、ひとつだけ、比較の数字を聞いてもらいます。

私は2015年の3月まで京都大学原子炉実験所という非常に特殊な仕事場で、働いていました。小さなおもちゃのような原子炉でしたが、原子炉を動かして、放射能を作って、それを研究にするという、そういう職場でした。ですから、放射能を取り扱うのが私の仕事でした。もうすでに8年前にそんな仕事はやめてしまっていますけれど、でも今私がこの場所で、私が放射能を取り扱って実験をしてよいのかといえば、もちろんダメなわけです。放射能は危険だから、人が立ち入れるような所でやってはいけない、放射能を扱うのなら放射線管理区域といった場所でやれということが決まっていました。私はその区域に入ると、もう水を飲むことを禁じられます。食べ物を食べることも禁じられます。そこで寝てはいけません。トイレもありません。つまり、人間が生きるなんてことが全くできないという区域が、放射線管理区域なんです。そこで私は仕事をした。気持ちが悪いから早く出たいと思いました。でも管理区域の出口にはドアがあり、必ず閉まっています。外に出たいのなら、放射線測定器で手が汚れていないか、足が汚れていないか、ちゃんと測らない限りはドアが開かないというシステムになっているんです。では、どこまでの汚染ならば、ドアが開いたかというと、1屬△燭蝓■緩ベクレルなんです。つまり、4万ベクレルを超えて、放射能に汚染されているものは、どんなものでも区域の外に持ち出してはいけないし、存在させてはいけないというのが、日本の法律だったのです。

このくすんだ緑色の区域も1屬△燭蝓■核ベクレルから、6万ベクレル汚れているんです。中通りに行くと、3種類の青があるのですが、一番外側が濃い青で、ここは6万ベクレルから、10万ベクレル、中通りのほとんどを塗りつぶしている薄い青は、10万ベクレルから30万ベクレル、その中にもう少し青い色が点々とあるんですが、ここは、30万ベクレルから60万ベクレルのセシウムが降り積もったんです。私のような人間でも、足を踏み込んだら水を飲んだらいけないというような汚染場所が、膨大に広がっちゃったんです。どうしようもないような汚染が東北・関東地方の膨大なところに広がりました。

日本政府はどうしたのか。こういう赤と緑色に塗ったところを中心にして猛烈に汚染されたところに限って、人々を避難させた。それ以外はダメだと言った。今は原子力緊急事態なんだ、だから、法律を無視してそこに人々を捨ててしまうということをやったんです。しかも、今現在進行中なんです。こういう汚染地帯で、人々は普通に生活をしているんです。すでに12年になってしまっているのです。被ばくは危険を伴います。本当は、避けるべきなんです。

このイラストは、柚木ミサトさんというイラストレーターが作って下さいました。私たちは「赤い粒粒のイラスト」と呼んでいます。赤い粒粒が放射能を示しているのです。今見ていただいた日本政府が作った地図が福島を中心として広大な地域が放射線管理区域以上に汚れていることを示しているんです。風評で汚れているんじゃないんです。事実として汚れているんです。本当は普通の人が立ち入ってはいけないというところに、子どもを含めて、生活をさせられてしまっているんです。放射能は目に見える、五感に感じられれば避けることもできるだろう、注意することもできるだろうと思いますが、幸か不幸か放射能は五感に感じられません。だから、どうしようもなくて、普通に生活をし続けてきているということです。

その福島事故、12年たったわけですが、原発敷地の中でも外でも、苦闘が続いています。今、みなさんトリチウムという放射能の名前をしきりに耳にされると思いますが、トリチウムは放射性物質です。それを含んだ水が福島第一原発の敷地の中に130万トン溜まってしまっています。その水の中には、トリチウムという放射能、実は水素なんですが、どんなことをやっても、どんな水処理技術をもってしても、取り除くことができないという、そういう特殊の放射能ですが、それを含んだ水が、130万トン溜まっています。その水の中のトリチュウムの濃度というのは、法令で決めた量をはるかに超えています。れっきとした放射能汚染水なんです。それを今、国や東京電力は処理水と呼んで、あたかも処理は終わったかのように皆さんに宣伝しているのです。ですが、れっきとした放射能汚染水なんで、そのまま捨てるわけにいかず、1キロ先まで、トンネルを引っ張って、そこで膨大な海水と混ぜて流すというのです。希釈処理といいます。彼らにとっては、一番簡便で、お金がかからない方法なんです。それを彼らはやろうとしています。しかし、彼らが思うとおり、完璧にやったとしても、50年かかります。私は死んでいます。皆さんもほとんどの方が、いらっしゃらないでしょう。ただトリチウムという、この汚染水だけでも大変なことですが、一番大変なのは、溶け落ちた炉心です。デブリと呼ばれています。国と東電は、それを、30年から40年の間にはつかみ出して、福島県外に持ち出すんだというような約束を県にしています。でも、そんなことは絶対にできません。私が学者生命を全部かけても、断言しますが、絶対にできません。100年たってもできません。そういう巨大な問題が、今福島に存在しています。

先ほども聞いていただいた、セシウム137という大地を汚している放射能は、半分に減るまで、30年かかります。まだ12年しかたっていないんです。セシウム137というのは、今でも事故時の8割がまだ残っていて、環境を汚染しているんです。仮に100年たっても、10分の1にしかなりません。さっきの日本政府が作った地図をもう一度思い出していただきたいんですが、仮に10分の1に減ったとしても、放射線管理区域の基準を超えるような大地は膨大に残るのです。つまり、100年たっても、この国は自分の国の法律を守ることができない、つまり原子力緊急事態宣言を続けているしかないということなんです。(続く)




横浜刑務所申し入れ行動へのご案内

 緊急ですが、以下の要項で横浜刑務所申し入れ行動を行います。
 今回の要求は、以下の2点です。
 1 須賀武敏さんの身柄をただちに、東日本成人矯正医療センターに移監せよ
   ※ 移監が実施されるまで、横浜刑務所は、須賀さんの腰痛症に対するリハビリ治療を行え
 2 友人面会を実施せよ
 猛暑が続いていますが、ご都合がつく方は、ぜひご参加ください。
 7月28日(金)午後1時30分 横浜市港南区役所1階ロビー集合
 
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須賀武敏さんに
激励の手紙を
 〒233-8501
 横浜市港南区港南4-2-2
   横浜刑務所
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