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次回から福嶋裁判上告審にむけて1月12日、最高裁第2小法廷に提出されました『上告趣意書』を連載致します。

 

福嶋裁判では『上告趣意書』は2通提出されました。

弁護人から提出されたものと被告とされている福嶋さんから提出されたものの2通です。法律では正式の『上告趣意書』は弁護人の提出したもので、被告の提出した『上告趣意書』は、被告の「意見」として扱われるそうです。

しかし裁判の主体は被告です。この上告を決意したのは福嶋さんであり、上告をはじめとして裁判の準備に、被告である福嶋さんは主体として関わり、最先頭で担い抜いています。弁護人提出の『上告趣意書』も福嶋さんの力なくしては作成できませんでした。

本件のように証拠を捏造してまでも政治弾圧を加えているような場合には、被告こそが裁判の一番の主体でなければなりません。法律はどうであれ、裁判の主体を裁判から排除し、一方的に罪を追及され、罰を加えられる存在に落とし込めるような在り方は断じて許せません。

裁判官と検察官は、司法権や行政権という違いはあれ、共に国家権力の担い手です。国家刑罰権の共同の担い手として裁判に臨んでいます。そして近年ではそれに弁護士も加えて法曹三者として規定し、法曹一元化などとして共に国家権力を担うものにしてゆこうとする動きが強まっています。

最近の裁判員制度などは、それに一般の「国民」をも動員しようとするものです。言うまでもありませんが、裁判員制度に動員される「国民」は、国家権力の主体になるわけではありません。人民が権力の主体となる民主主義とは縁もゆかりもない制度です。むしろ国家主義の立場から裁判官や検察官による国家刑罰権の行使に「国民」を動員し、利用しようとするものです。ですから現代の徴兵制度に他ならないとして、痛烈に批判されているのです。

裁判は、国家権力と人民との争いの場です。殊に政治弾圧をめぐる裁判では、この関係が露わになります。ストレートに表現すれば国家権力と被告との争闘の場です。ところが裁判官や検察官という国家権力は、その争闘の場である裁判から被告を追放しています。裁判で裁判所や検察官と正式に渡り合えるのは弁護人であり、被告ではないとしているのです。被告が国家権力の不当な弾圧に正当に対抗することを許さないという制度です。国家権力から直接に弾圧を受けている被告から、国家権力と正当に争う権利を奪い、初めから一方的に鞭打たれる存在に落し込めようとしているのです。何という不公正、何という不正義。

迎賓館・横田裁判の弁護団は、単に被告の代理人ではありません。法曹一元化など打ち破り、被告と共に闘う弁護団です。その信頼関係は絶大です。しかしそうであっても被告の主張は、直接に裁判の場で貫かれなければなりません。

17年間にわたって弾圧を一身に受けている福嶋さん自らの手によって、被告の『上告趣意書』は、弁護人の『上告趣意書』と共に2010年1月12日最高裁に提出されました。

被告の『上告趣意書』と弁護人の『上告趣意書』は共に福嶋さんの『上告趣意書』です。それは17年間に及ぶ弾圧との闘いに不屈にたたかい抜き、勝利し続けたことによって生み出されたものです。

それは、この弾圧の不正義を明らかにし、福嶋さんは無実であり、この迎賓館・横田裁判が政治的な冤罪事件であることを誰にでも分かる形で全面的に明らかにするものです。

 

 次回から福嶋裁判『上告趣意書』を連載致します。

先ず初めに被告の『上告趣意書』を連載致します。

次いで弁護人の『上告趣意書』を連載致します。