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3 デッチあげの具体的な動機
もちろん、政治的な冤罪事件にも直接的な動機はあります。論告は、本件両事件について「在日米空軍の基地や東京サミットの歓迎式典が挙行されようとしていた迎賓館が標的とされたことにより、我が国の威信及び国際的な信用に打撃を与えたことも軽視できない。本件が及ぼした社会的影響は重大であり、その衝撃は、事件後20年余を経過した現在においても、いささかも風化してはいない」と述べています。
「いささか」笑える表現ですが、ともあれ、本件デッチあげの直接の動機は、まさしく両事件とりわけ迎賓館事件によって「我が国の威信及び国際的な信用に打撃を与え」られたということです。国家、実践的には当時の中曽根政権による両事件を起こした党派への復讐、これが本件デッチあげの実際的な本質です。
従って、本件デッチあげの経緯は次のように要約できます。
すなわち、<86年5月4日に、東京サミットに集まっていたレーガン・サッチャー・中曽根らの頭上を5発の砲弾が飛び越えた。直後に、中核派が勝利声明を発した。中曽根政権も警察権力も何がなんでもその事件に決着を付けなければならなかった。「犯人」を逮捕したかった。しかし事件後1年半をすぎても誰も逮捕できなかった。そしてそのような時期に、偶然、私達3人が鍋爆弾事件で東京拘置所に勾留されていた。警察と検察はそこに目を付けた。鍋爆弾事件も中核派による事件で、しかも同じく爆発物関連の事件であった。しかも、鍋爆弾事件では岩手借家から爆発物に関する厖大な量の資料や資材が押収されていた。警察・検察は検討の結果それらを本件の「証拠」へと流用することができると判断した。すなわち鍋爆弾事件の証拠の山から本件の「証拠」を捏造出来ると判断し、その捏造に着手した。そして一定の準備が整った87年10月に、3人を迎賓館事件で逮捕し・起訴した。その後でついでに横田事件の公訴提起も付け加えた。>
これが、本件デッチあげの極めて分かりやすい構図です。そして、本件の本当の姿はそれ以外ではありません。
アメリカ映画に次のようなセリフがありました。「道に迷う過程は複雑に見える。しかし、間違えて踏み出した最初の一歩が全てなんだ」。本件も同じです。公訴提起以来ここまでに22年を越えているこの裁判は、一見極めて複雑な証拠構造の事件に見えるかもしれません。しかし、本件では、公安警察と検察官が、「証拠はなくてもかまわない、被告たちは中核派だ。しかも『証拠』は鍋爆弾事件の方から全部とって来れる」と腹を固めたのがその「最初の一歩」です。その後の延々たる公判の全過程はそこで決定しています。
本件で検察官が公判に提出した「証拠」は厖大です。しかし、その全てが本件両事件と、あるいは「被告」とされた私たちと、関係がありません。両事件の事件現場からの押収物は、事件そのものとは関係しても、被告と関係がありません。岩手借家押収物は、当の岩手借家に私たちが居住していたという点でだけ私たちと約2ヶ月間の関係があるといえますが、本件両事件と全く関係がありません。岩手借家押収物は、大きく分けると、鍋爆弾に関係がある物と、鍋爆弾に関係がない物の2つに分かれます。そしてそのどちらも、本件両事件とは全く関係がありません。また、いわゆる「3証拠群」すなわち「金沢借家・橿原借家・関之沢林道沢関係各証拠」が、本件両事件とも被告とも無関係であることは、当差戻し審でいやというほどはっきりしました。本件に証拠はありません。
検察官が本件の「証拠」としているものの基軸をなす「岩手借家押収証拠」は、結局、鍋爆弾事件の証拠を本件の証拠へと流用したものでしかありません。警察と検察は、鍋爆弾事件から「本件の証拠」を捏造して私達3人を逮捕・起訴することによって、迎賓館事件に「決着」をつけようとした。それが本件の核心です。
起訴に至る経緯も「証拠」の本質もそのように単純です。ただ、岩手借家押収品の量が膨大なために、なんだかんだと審理が長引き、無罪の判決が出るまでに16年もかかった。要するに、証拠がなかったために、検察官がごまかしを重ねて、だから裁判が長期化したということです。
そのような治安弾圧としての典型的なデッチあげ、それが本件です。


