ブログネタ
無罪 に参加中!

 [無罪] ブログ村キーワード [判決] ブログ村キーワード [裁判]ブログ村キーワード [裁判所]ブログ村キーワード [弁護側]ブログ村キーワード [検察側] ブログ村キーワード

4 裁判所によるデッチあげへの加担(東京高裁の政治的役割)

 

しかし、デッチあげが見え見えでもその政治的冤罪に加担する裁判官が現に少なからず現れました。

 その最初の例が中谷雄二郎です。本件の一審開始時に、右陪席を勤めていた中谷判事は、法律雑誌『ジュリスト』(89年3月25日付第930号)の座談会で、自分が現在爆発物取締罰則違反事件を担当していることを明らかにした上で、次のように述べた。

「最近の難事件の中には、被告人の知的能力が比較的高く、犯行手段が非常に巧妙化し、あらかじめ捜査を予測し、証拠を極力残さずに、偽証工作を施し、証拠を隠滅するなど、犯罪の密行性が非常に高くなっているものも増してきているように思われます。そのために証拠収集が非常に困難で、証拠の薄いまま起訴されるというケースもないわけではありません。」

 その前に措かれた発言からして、ここでいう「証拠の薄いまま起訴されるというケース」としての「最近の難事件」が、本件を指している事は疑いようがありません。

そこでは「証拠が薄い」という表現になっていますが、裁判官があえてそのようなことを口にする以上、それは「証拠がない」ということです。いずれにしても、中谷判事が、本件について証拠の希薄さ、したがって検察官の立証には合理的な疑いを差し挟む余地が明確にあるということをはっきりと認識していたことは明白です。しかしその上で、中谷判事は、「それは被告が証拠を隠しているからだ」としたのです。

この「本件には証拠がない、しかしそれは被告が隠しているからだ」という発言ほど露わな予断発言はありません。中谷判事は犯罪的な裁判官であり、裁判官の資格はありません。

しかし、中谷判事は早期に交代し、一審判決を書いた裁判官は、まず中谷のような予断を排しました。すなわち、当たり前の裁判官の役割を果たしたということです。

 

その一審判決は、行政権力の意思に囚われることなく、裁判所として当たり前の司法判断を示しました。すなわち、検察官立証に対して、「いくらなんでもこんなもので被告の有罪が立証できるわけがない」と判示したのです。それは、検察官立証の無内容さを明らかにする、無理のない常識的な判決です。論理が一貫しています。

ところが控訴審において、再び中谷判事と同じタイプの裁判官が裁判長になった。中川武隆判事です。一審の当たり前の司法判断を破棄し、差し戻しとした中川裁判はもはや裁判ではありません。結局は「中核派の被告に対する無罪判決は許さない」という結論を決めた上で、その結論にそって判決文の体裁を整えたにすぎません。そのために、控訴審判決には至るところに無理と矛盾、混乱と非論理が露呈しています。

 ただそのような中川裁判長らにしてさえ、結局、自ら有罪を宣告することは出来なかった。やろうと思えば一つか二つ形式的な証拠調べを進めた上で「有罪」を自判することは出来ました。しかし、どうしてもそこに踏み切れず、結論として、差戻し裁判に「下駄を預け」ました。「自分の手を汚す」ことを避けた点で、卑劣といえば最も卑劣です。しかし、その判決は、検察官の「証拠」と「立証」があまりに無内容にすぎたために、畢竟、「差し戻し」までしか言えなかったという判決なのです。裁判所がどれほどの政治的意思と予断を持とうが、有罪を判決することなど到底なし得ない、検察官立証はそれほどに空疎だということです。

 

 裁判官に申し上げておきます。「上から目線」で社会の現実をつかむことなど絶対に出来ません。法廷で一段高い所に腰掛けていることに恥ずかしさを感じないようなら、人間を裁くことなどできません。意識は存在に規定されます。地位と特権をありがたがると、知らぬ間にしても結局は権力に隷従し、検察官の主張を鵜呑みにするのがオチです。しかもそうなりながら、下手すると、自分が「正義」でも実現しているかのように勘違いする。しかし、実際には自己保身に走っているだけです。中谷や中川はそんな連中にすぎず、彼らは法と論理を無視しても、はっきりした自覚さえ持たない。彼らが裁判官として身につける黒マントは、暗黒の無恥と無知の象徴でしかありません。

 

繰り返しますが、控訴審判決(とそれを追認した最高裁決定)は、司法判断ではなく行政判断でしかありません。「三権分立」や「司法の独立」が聞いてあきれます。高裁も最高裁も、本件の証拠と検察官立証が証拠や立証としての中身を有さないことを十分に知っていたはずです。知っていながら、結局は「過激派が引き起こし、過激派のメンバーが被告になっている事件なら、立証の中身などどうでもよく、無罪判決だけは許さない」という意志を最優先させています。本件控訴審判決の非常識な「理論」水準はそう考えればはっきりと理解できます。