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6 弾圧は何をもたらすか
ここで、デッチあげを含む弾圧がなにをもたらすか、ということについて一言だけ述べておきます。弾圧なんかやったって無駄だよ、ということです。弾圧によって革命闘争をつぶすことは出来ません。
例えば、大学の誤ったあり方に対する抗議を続けている法政大学の学生闘争に対して、06年以来120名を超える学生がデッチあげを含む弾圧で逮捕され、数十名が起訴されています。しかし、それで法政大学の闘いはつぶされたか。逆です。学生たちは、団結を固め、たたかいを一層拡大しています。さらに、国境を越えて、ヨーロッパやアメリカの学生たちとの具体的な連帯行動を勝ち取っています。弾圧は、弾圧された当人の意志を強固にするばかりでなく、新しい闘争を生み出します。その意味で私たちは「弾圧を歓迎する」とさえ言うことが出来ます。
また、デッチあげを含む弾圧の連発は、そこまでやらなければ大学や国家の体制が維持できなくなっているからであり、権力の崩壊の兆しであることも明らかです。弾圧、とりわけデッチあげは、権力の危機や弱さの現れでしかありません。大体、莫大な国家予算をつぎ込み年々肥大化している警察、とりわけ公安警察の存在自体が、人々を暴力装置によって抑圧しなければ権力を維持できないという超情けない国家の本質を示しています。検察官とそれにしばしば隷従してしまう裁判官は、彼ら自身がどんな自覚を持っていようと、客観的には、そのような気の毒な権力の手先でしかありません。
ただし、弾圧が新たなたたかいを生むということ、また、弾圧は体制の崩壊の兆しだということと、私自身の本件デッチあげに対する怒りは、別のことです。そこで次に、本件の「被告」とされたことへの私のこの22年半の怒りについて述べます。


