思想の確立と自己変革を
私と同じ沖縄二世として、二人の男子同級生が居る。三人とも、沖縄人はなぜ貧しいのか、差別されるのかと疑問に思い、それらを解決してくれるのは、働く人の味方だという日本共産党に近づいた。中学3年の担任教師が共産党だったこともあったが……。
砂川君は労組の書記になったが、その組合の共産党は労働者のために働くのではなく、自分の利益のことばかり考えて居て、大分がっかりして、そこを辞め、共産党も辞めた。それから働きながら大学を出て教師の道を歩んだ。私は、彼は灰谷健次郎のような教師になるのだろうと想像し、楽しみなくらいの思いで居た。思えば中学3年の時、金がなくて修学旅行に行けない3人の生徒がいて、クラス全員で行きたいからと、3人のためにみんなでアルバイトをすることになった。そのリーダーシップを大いに発揮したのが、砂川君だった。
あの何とも云えない団結とお互いをいたわり合う気持ちは55名の生徒のその後の人生の宝となった。彼は小学校の教師で多勢の人に慕われる熱血先生になったと人づてに聞く。定年になって不登校の子を学校に戻すことができなかったとして、「国際児童センター」を立ち上げたが、仲々大変なようだ。
資本主義をよしとする生き方、祖父は副知事、祖母は大学学長、その息子夫婦は離婚という家族のその孫が、センターに預けられているが、家族は金だけ送って捨てたも同然らしい。その18才の少年は5年ぐらい預かっているが、ひとつもよくなる気配はない。私は親の考えや、世の中を直すことが、その子の自立になると思うが、そこを抜きにしては預かる方が疲れても当然だ。
もう一人の同級生である金城君は、共産党員になった。23才のとき、久し振りに出会って、「僕たちは労働者で幸せなんだよ」と云った時、私は心の中で、「沖縄人で幸せなんだ」と思った。
彼は高校を出た年、砂川君の家族が貧しさ故に夜逃げをする時、荷造りの手伝いをしたという。砂川君の母上は「息子を川崎に残して行くのは、あんたが居るからだよ。宜しく頼むね」とおっしゃり関西へ旅立った。その後何かと気がかりで、家族のことを思いやった。金城君の母上も自分の息子にセーターを編むと、同じものを砂川君に編んで与えた。金城君は大阪に研修に行った時、一家の安否を気遣い、大正区を隈なく探し回ったが、とうとう見つけられなかったと……。2年前、砂川君の弟さんが亡くなった時も京都へ飛んで行った。沖縄の兄上や東京の妹さんとも親しくしている。
又私も旧交を温めるように砂川君の兄上や妹さんとおつき合いしている。ところが、砂川君本人は、30代の後半頃から、金城君や私との音信をプッツリ切った。
28才の時、砂川君は、「あなたは、先生を、もう乗り越えている。」と私を見ていた。私は病気の兄が共産党の組合員から、依願退職を強要されたことから、共産党を信じなくなった。共産党の下の者は幹部を信じて動く。一体、幹部とは何をしているのか!善良な下の者は従って行く。いくら信じている党でも、本当にいいのかと、反芻する必要があると思う。どんな党であれ、その事が、党を成熟させ、本物にさせると確信する。それを私は思想の確立と云いたい。
共産党が闘っていた時代、メーデーにカービン銃を投げつけた事件があり、親戚の兄が権力に追われる身となった。「叔父さん、しばらく匿ってくれないか。」という頼みを私の父は二つ返事で、「いいよ」と、その日から1ヵ月居た。私たち幼い弟妹は、やさしくて面白いお兄さんが来たので喜んで居た。父は権力にこの兄を渡すまいとした。この兄を育てた伯父は、東大闘争の最中、「最高学府の学生がやるからには意味がある筈だ。この日本政府のやり方、世の中がおかしいからだ。」と何度も云って支持していた。この伯父は事業をして居て、雇った兄や親戚の人に給料の遅配、又は給料を出せない状況になったので、この兄は共産党になったと伯父を父は責めていた。
しかし、他人の批判にも冷静に自分の目で見て判断した父や伯父は正しいと思う。また労働者階級と支配階級をよく見分けて居た。それは裏切りの多い沖縄の歴史の唯中を歩んで来た経験によるものだと思う。
時代は煮詰まって来た。2年前の11月労働者集会に、金城君は、日比谷で私の掲げる「沖縄民権の会」の旗の下に来てくれた。私は喜んで彼を迎えた。「誰が誘ってくれたの」「弟、ここに来ればあなたが居ると思って……。」沖縄から参加している人たちに紹介した。きっと又会える。
離れている砂川君もここに来てよ!いや生きているだけでよい。私が、どう生きているのかを見て居てよ!笑ってもいい、怒ってもいいから……。
今、革命の前に様々な生きた言葉が浮かぶ。
「救われない者こそが、救われるべきである」(親鸞)
「99匹の子羊より1匹の迷える子羊が大事」(聖書)
「強い者は弱い、弱いものは強い」(聖書)
「万人は一人のために、一人は万人のために」
「東に病人が居れば東に飛んで行き」(「雨にも負けず、風にも負けず」宮沢賢治 )
「労働者は死んではならない。死すべきは基地だ」(大田隆一)
これらの言葉が一つでも心の底に留まり、体現されたら、それは自己変革であり、革命の道程であると私は思う。
(終)


