シュペー『刑事裁判官への警告』を読む〔29〕
ニホンの刑事裁判への歴史の『警告』 1
(その3)
法の理念を実現するにはその担い手を必要とする。
しかし、旧来の糺問裁判を実践した天皇の官吏としての裁判官や検察官はほとんど戦後の公職追放を免れ、現行刑訴法制定当初の実務を担ったのは、糺問裁判に慣れ親しんだ裁判官や検察官、そしてやはり天皇の裁判の権威を受容れていた弁護士であった。学説も同様である。
当事者主義の理念を明確化し、捜査と公判における被疑者・被告人の防御権保障の具体的展開にはなお時を要した。
しかし現在もなお、人権保障を志向する適正かつ公正な裁判モードとしての当事者主義は、その実現を阻まれている。その前途も明るくはない。
職権主義的糺問裁判による実体的真実の究明は、なお日本の刑事裁判の支配的モードをなしているからである。
「ところで、わが国の刑事裁判システムは、圧倒的に検察官に有利に運用できる仕組みになっています。
たとえば、被疑者にはつい最近まで国選弁護がまったく認められてきませんでした。
拘留期間は長いですし、被疑者・被告人と弁護人の接見交通権も大きく制約されています。
公判段階での証拠開示制度もきわめて不備です。
さらには、取調べが可視化されていないだけでなく、自白の任意性に関する審査がまことにずさんです。
そして、それであるのに、無罪判決に対して検察官が控訴・上告して争うことが認められています。
こういうシステムの下では、えてして無辜の人間が冤罪に泣くことがあり得ると思います」
(木谷明『刑事事実認定の理想と現実』(法律文化社、2009年)193‐194頁)
『無罪!』第94号より



