刑法(刑事司法)の耐え難い状況

宮本教授3シュペー『刑事裁判官への警告』を読む〔31〕

差戻し控訴審判決の罪と罰

(その2)

宮本 弘典(関東学院大学 法学部教授



「合理的な疑いを超える証明」という厳格な証明は証拠裁判の生命線だが、やはりニホンの裁判では、「無罪推定」「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則すらかなぐり捨てられ、それは事実上の「死語」とされモットーですらなくなっている。

六月二七日の法廷で読みあげられた判決理由は、ニホンの裁判がもはや裁判ではないことを如実に物語っている。判決がいかに悪辣・杜撰で不当なものであるかは、既に前号でその概要が伝えられている。まさしく、「無罪判決を覆すために、証拠や論理は必要とされない。どんな卑劣な手口も許される。それが公安の弾圧というものだ。」(前田朗) 

確かにそのとおりである。だがニホンの裁判が、「例外犯罪」としての政治犯に対する非常時における特別手続というモードを戦中に構築し、それをそのまま温存しつつ強化して現在を迎えていることは強調しておいてよい。

「証拠や論理は必要とされない。どんな卑劣な手口も許される」のは、公安事犯に限ったことではない。ただ、野蛮さや残忍さを伴う刑事裁判の暴力的な悪辣性が政治犯においてはむき出しの形で顕れる。

ニホンの刑事裁判は現在も、非転向者を「非国民」として道徳と法の両面において断罪するシステムであり続けているからである。

つづく