もう一歩が勝負だ! 正念場の国鉄闘争

解雇者の怒りと連帯し11・3へ

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戸田伊作(共に闘う国労の会)

最高裁闘争を共に

爆取でっち上げ弾圧と真っ向から闘う被告4人を始めとする仲間に、国鉄闘争を闘う者として、心からのエールを送ります。当時の首相・中曽根の直接指示でのでっち上げ弾圧は、革共同への絶滅攻撃であり、国鉄・分割民営化は闘う労働組合への絶滅攻撃でした。まさに新自由主義の凶暴な本性です。以後、闘い抜いて26年、奇しくも最高裁を場に共に闘うことは、あらゆる道から国家権力を追い詰めて来たことを示しています。

迎賓館・横田爆取弾圧の5・7判決に示される権力の危機は、国鉄9・25判決でも同じです。新自由主義は社会も正義も、理屈も全てぶち壊しています。

不当労働行為は認めるが500万であきらめろ

9月25日に国鉄1047名解雇撤回闘争の一部である、動労千葉の鉄建公団訴訟で東京高裁(難波裁判長)の判決がありました。結論は、「首切りは不当労働行為と認めるが500万で終わりにしろ」という反動判決で、直ちに上告し最高裁に場を移りました。

この闘いは、国鉄・分割民営化での労働組合(動労千葉)破壊の核心を射貫く闘いです。

B20130915国鉄集会

国鉄分割・民営化は、中曽根が「国労(動労千葉)を潰し、総評を解散させ、新しい憲法を安置するために、意識してやった」と公言(自慢)しているとおり、徹底した組合潰しでした。その最も露骨な攻撃が「本州採用差別」です。当時、国鉄では当局と動労カクマル・松崎を先頭に、「国労を脱退しないと新会社に行けない」との恫喝が吹き荒れ、24万人が職場を追放され、200人が「自殺」に追い込まれる状況でした。

この結果、北海道・九州では定員オーバーでしたが、本州や貨物では希望者が定員を割り込む異常事態が起きました。JR東管内では希望者が定員(9万人)を5000人も下回り、希望者全員採用の名簿が一旦は作成されました。

にもかかわらず組合憎しの憎悪に燃えた葛西(当時、国鉄職員局次長、現JR東海会長)らは、JR設立委員会の斉藤英四郎(当時経団連会長)らと謀議を重ね、「不記載基準」を新たに設け、活動家を削除した名簿に作り直しました。この「基準」は長く不明(JRが隠してきた)でしたが、「5年以内に停職6ヶ月以上、または停職2度」の処分を受けた労働者でした。反対闘争で乱発された処分を標的にし、排除したのです。87年4・1付けで全国で7628名がJR採用を拒否され清算事業団に送られました。

つづく