刑法(刑事司法)の耐え難い状況
シュペー『刑事裁判官への警告』を読む〔31〕
(その2)
ニホンの現在の刑事裁判は、それを実現するにふさわしいものだろうか。NOである。戦時の自白裁判への回帰を温存し強化した裁判は、歴史の教訓のとおり、冤罪誤判を構造的に生出さざるを得ない。それどころか、治安管理・強化のためには冤罪を敢えて作り出す。しかも再審によるその救済は非常に困難だ。 「無罪の発見」こそが刑事裁判の最大の使命はであるという、この精神がタテマエとしてでも貫徹していれば、過ちを正すのはむしろ裁判所の使命であり、検察官の使命だということになろう。裁判は公平かつ公正でなければならず、検察官は公益の代表者だからだ。無辜の処罰は最大の人権侵害であり、国家の最大の罪である。無辜の救済は国家の最大の使命であり、冤罪誤判の是正は裁判所と検察官の第一の義務のはずである。 ところが、日本の刑事裁判は「無罪の発見」に背を向け、検察官は公訴権を濫用し、再審の主張に抗い、しかも証拠隠しまでする。裁判所も万能の自由心証を駆使して検察のデッチ上げをアシストし、再審にも腰が重い。この状況を打破するには、社会的地平で刑事裁判の風土を根本的に転換する必要があろう。「一二人の怒れる男たち」たちが一人残らず皆一致して有罪だと判断しても、それでもなお冤罪誤判の可能性は残る。冤罪誤判の防止に手を尽くしても、それでもなお無辜の処罰という不正義は生じる。それを救えなければ、刑事裁判は自由社会や民主主義社会の刑事裁判ではない。 つづく



