改憲と戦争への道
「秘密保護法」強行採決弾劾!
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板垣 宏
戦前、日本には軍事上の秘密保護を目的とした軍事保護法が多数存在していました。それらが侵略戦争体制の確立にとってどのような役割を果たしたのかを、纐纈厚氏の「戦前期『秘密保護法』の役割」から見ておきたいと思います。軍事秘密に関する戦前の法制は侵略戦争の拡大とともに、機密の対象範囲と罰則規定が拡大され、また、適用対象が一般人へ拡大されました。さらに、新聞紙条例、出版条例、出版法等にも軍事機密に関する記事を許可制にする規定が加えられました。
軍機保護法は1899年7月に作られ、1937年に全面的に改悪されます。この時、最大の問題になったのは「軍事上の秘密」の範囲と内容でしたが、実際は、陸・海軍大臣がその都度機密に属すると判断したものが、「軍事上の秘密」とされました。規定が曖昧で、広範な「軍事上の秘密」が認定され、偶然に軍事上の秘密を知り漏らした者も処罰すると、過失犯への処罰規定が盛り込まれたため、人々の軍事情報の入手行為を著しく委縮・抑制させました。
たまたま駅の待合室で召集令状の公布情況を見てそれを友人に漏らしたとか、列車で通過中に航空隊の基地を撮影したとか、出漁中に島に設営された軍事施設を偶然見たことを漁業組合長に報告したなどという、日常生活上偶然に知り得た情報を人に話したことまでが同法で処罰されています。
しかも、裁判では軍事機密について具体的に明らかにする必要なしとされ、何を根拠に自分が処罰されたのか分からないまま処罰されるという理不尽がまかり通ることになったのです。特定秘密保護法でも同じことが起こることは必至です。
これについて、纐纈厚氏は上記の論文で「これは陸海軍当局からすれば、軍事機密を口実に国民の日常生活まで管理統制する法的権限を得たことになった。こうして国民はあらゆる軍事事項、軍事情勢について耳目を塞がれる状態に追いやられ、戦争準備政策への発言や批判の自由が完全に奪われていった」と指摘しています。
1941年3月には秘密保護の範囲を一層拡大し、重罰を科す「国防保安法」が制定されました。「軍事機密だけではなく、外交・経済・政治など各分野にわたって国家機密の範囲が拡大された国防保安法は、国家機密の探知、収集、漏えいの最高刑を死刑とし、未遂罪、教唆、扇動、予備、陰謀(共謀)をも処罰の対象とする、より徹底した弾圧法規」(同上)となって行きました。




