シュペー『刑事裁判官への警告』を読む〔33〕

冤罪被害と司法の罪

(その5)

宮本 弘典(関東学院大学 法学部教授)

死刑囚として収監されていたマッカーティは、少年死刑囚を含む多くの死刑囚を見送ったが、自らの冤罪を主張する者も少なくなかったと涙を交えて語った。この悲惨なまでの数には慄然とせざるを得ない。

しかし米国では、無辜の救済が刑事司法の使命であるとのタテマエだけは辛うじて生きているということでもあろう。だが、ニホンの再審の壁は絶望的なほどに厚くて高い。

 ケインの死刑廃止をめぐる話も興味深いものであった。コネティカット州では、死刑廃止ネットの二五年にわたる活動もあり、二〇一二年に死刑が廃止された。またこの六年で六州が死刑を廃止している。

それに与って大きな力を持ったのはあまりに多い冤罪誤判(たとえばイリノイ)と、被害者遺族の声だったという。「死刑は自分たちの慰めにならない」「死刑存置のために自分たちの感情を利用するのはやめてほしい」という彼らの切実な声である。

犯罪者のみならず、犯罪被害者をも放置するままの社会とは異なり、コミュニティ活動による支援のある社会との相違を痛感せざるを得ない。

つづく

TTTTTTBBDSCN4738