「A―801」の謎 (3)
北川鑑一
しかし、A−801は金沢から岩手に送られてきたのだとの妄想に取りつかれている裁判所は、当然のことながら、このようなことは認めたくありません。認めたくなければどうするか、無視するに限ります(真理は常に単純である−ゲーテ、だったかどうか忘れた)。
こうして、裁判所は、自身に都合のいいところ(A−801中には1985年夏の金沢の新聞がある、十亀さん筆跡の作業日程らしきメモがある等々)だけを殊更に強調し、右に述べたような「そもそも金沢時代には、A−801なる段ボール箱など存在しなかったのではないか」という根本的な疑問は無視(今風に言えばスルー)して、「1985年、金沢で信管は作られた」という物語を作りました。題して「迷宮の小京都 砲弾は知っていた」
ところで、「自身に都合のいいところ」といえばもう一点あります。それは、右「作業日程らしきメモ」についてです。「作業日程らしき」とあるように、このメモには日付と思われる数字が並んでいます。ただ、年月の記載がないため、この日付が何年何月を意味しているのかがわかりません。私たちは、この日付は1986年10月だ(したがって、このメモは岩手で作成されたものである)と主張したのですが、裁判所は1985年8月だ(したがって、このメモは金沢で作成された)と認定しました。
裁判所の認定理由というのも、結局のところ、A−801は金沢から岩手に持ち込まれた ⇒ A−801の中にこのメモは入っていた ⇒ だから、メモは金沢で作成されたに違いないというものでしかありません。このように、一つの思い込みから連鎖反応を起こし、閑静な住宅街の中の単なる療養場所であった金沢が、おぞましい爆弾製造アジトにされてしまいました。
このA−801、作業日程メモ問題は、本件の大きな柱の一つです。裁判所に杜撰な認定をさせないよう、来年4月30日の上告理由書提出に向け気合を入れて行きましょう。
了
『無罪!』第104号より



