本誌173号の目次      
 ★ついに精密検査を認めさせました 650通を超える「申入書」に感動、感謝  須賀陽子
 ★2回目の「申入書」提出をかちとりました 横浜刑務所申入れ行動       内藤雄二  
 ★水戸刑日誌(34)刑の執行停止(釈放)検討されるべきだ          十亀弘史
 ★1950年の「天皇メッセージ」とは                     板垣 宏
 ★抗告審・補充書1の意義
    筆跡・新証拠としての東京拘置所でのノート               福嶋昌男
  連載 シャバで暮らせばぁ.魁璽辧爾罰很燭出会った日           竹見智恵子
  11・3 全国労働者総決起集会/改憲阻止!1万人行進の賛同と参加のお願い
    (動労千葉H.P より転載)
                   ★印は本ブログ掲載です。


11・3全国労働者総決起集会/改憲阻止!1万人行進
日 時 2019年11 月3日(日)
正午から/デモ出発15 時15 分
場 所 東京・日比谷野外音楽堂



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ついに精密検査を認めさせました

650 通を超える「申入書」に感動、感謝    須賀陽子

 9月5日、横浜刑務所に行き、須賀武敏に面会してきました。9月に入って最初の面会でした。
 私が家族として面会できるのは現在、月に3回。一回につき30分でそれ以上は認められていません。先月下旬の面会で、一時の危機的な状況を脱して体調が回復し始めたのを現認しましたが、その後どうなったかが何も分からず気がかりでした。しかし面会室に入ってすぐに、彼が発した第一声は、思いがけない朗報でした。
 ずっと要求し続けてきた心臓の精密検査がついに「認められた」というのです!話によれば、8月28日に循環器の専門医が来て診察を行い、心電図をとり、血液検査と腫瘍マーカー検査をも行った。心電図の結果はすぐに出て、その段階ではとくに異常は発見できないが、以前に狭窄を起こして手術をした病歴があるので冠動脈のCT検査を行うと通告があり、その場で検査への「承諾書」を書いたとのこと。さらに、この過程で起きた原因不明の大量下血や背中と腰の痛みの拡大に関してこちらが求めていた検査についても、胃カメラ検査とMRI検査に応じると、当局の側から明言してきたということです。
 これらの精密検査をいつ、どこで実施するのかについては明らかにはされていません。医師に質問したところ、「日程が決まれば知らせる」、場所については横浜刑務所から「車で2時間くらいかかる所」との回答だったと。検査が確実に実施されてその結果がごまかしなく本人に伝えられるまで、まだ気を緩めることはできませんが、ひとまずは大勝利です!
 この1カ月、弁護団と「完全無罪をかちとる会」の皆さんをはじめとして、武敏の「命の危機」をもはらむ訴えに全力で応えてくださった多くの人々による申し入れや抗議の表明が、横浜刑務所に衝撃を与え、追い詰め、当局の態度を急転させる大きな原因となったと思います。とりわけ、全国の星野救援会が直ちに緊急の呼びかけを行い、わずか数週間の間に650通を超える申入書が寄せられたことは決定的でした。武敏本人と私にとってもこのうえない励ましと感動であり、感謝にたえません。

 一時は熱中症が最も心配でした
 いったん要求が容れられたといっても、この間の武敏に対する横浜刑務所当局の仕打ちを許すことはできません。胸痛発作の件もさることながら、私がそれ以上に心配でならなかったのは、熱中症でした。
 7月の後半は私が超多忙で面会に行く時間がとれず、7月16日に彼が「水の不正使用」で懲罰の対象とされて以降の状況をつぶさに知ることができたのは、やっと8月2日の面会時においてです。この時、面会室に入ってきた彼の顔の色や姿を一目見て異様な印象を受けました。ふだんの明るさが全くなく、顔全体がどす黒くなって眉間にはしわが寄り、足取りも不安定で脱力状態も感じられる。驚いて「どうしたの?」と聞いたら、工場への出役を禁止され、転房をも強制されて、風通しの極めて悪い房内での作業を強いられていると。この酷暑の中で一日中、蒸し風呂状態の室内に閉じ込められているというのです。  しかもよく聞いてみると、すでにめまいや立ちくらみに加え、食欲が全くなく、吐き気がする。のどがカラカラに渇く。立って歩こうとするとフラフラすると。「このままでは熱中症になる可能性がある」と言い出すので、思わず「それって、もうとっくに熱中症になってるわよ!」と叫んでしまった。立会いの看守にも、「これ完全に熱中症じゃないですか? このまま放置したら死にますよ!」と怒りをぶつけたら、声には出さないけどうなずくのです。それを聞いて彼も「えっ!? そうなの??」と。幸か不幸か、ご本人は「熱中症」という言葉は知っていても、それがどんな症状かはよく分かっていなかったらしい。とにかく水分を切らさないこと、のどが渇く前に水を飲むことをくどいほど念押しして、この日の面会は終わりました。
 その後も房内で倒れ、筋肉のけいれんまで起こしたのに、刑務所側は「まだ意識はあるから大丈夫」と何の処置もせず放置したという話が伝わってきました。「命の危険」にさらされていたのは明白であり、紙一重のところで奇跡的にその危機を免れたにすぎません。

 劣悪獄中医療を断じて許すな!
 そしてこのことは、単に彼ひとりの問題ではありません。横浜刑務所では、受刑者全員が冷房装置の一切ない生活を強いられている。工場や廊下には大型の扇風機が設置されているものの、各人の居室に戻ればそれもない。今年のように日中35度前後まで気温が上がる猛暑の中で、体を冷やすことができないというのはそれ自体が拷問であり、殺人に等しいというべきです。他の刑務所もほとんど同じでしょう。受刑者も人間です。獄中医療の劣悪さとともに、人の命を虫けらのように扱い、踏みにじって恥じない国家権力の姿がこの監獄制度の中にこそ、如実に現れていると思います。
 星野文昭さんの命を奪ったのも、まさに徳島刑務所と東日本成人矯正医療センターによる意図的・犯罪的な医療放棄によるものです。この国家犯罪を徹底追及し、絶対に責任をとらせる闘いはますます決定的に重要です。その勝利をめざしてともに闘うとともに、横浜刑務所当局による人権侵害を許さない闘いを今後も継続していきたい と思います。ありがとうございました。

2回目の「申入書」提出をかちとりました

―横浜刑務所への申入れ行動―  事務局 内藤雄二

 9月13日、14人の参加で、横浜刑務所への申入れ行動をかちとりました。「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議共同代表の狩野満男さんをはじめ、東京、神奈川、埼玉の星野救援会が中心となり、婦人民主クラブ全国協議会、「完全無罪をかちとる会」共同代表の藤井高弘さん、そして十亀弘史さんのお連れ合いである十亀トシ子さんらが集まりました。
 今回持参した署名入り「申入書」は、370通となり、前回8月15日に提出した「申入書」と合わせると、実に654通となりました。1カ月にも満たない期間で、全国から次々と届けられました。ご協力いただき、ありがとうございます。
 そのうえで、須賀陽子さんから伝えられているとおり、須賀さんを巡る事態が大前進しました。今回の署名運動は所期の目的を一応達成しましたので、終了させていただきます。今は、医務当局が約束した外部医療機関による検査の結果と治療がどう推移するのかを注意深く監視していくこととしたいと思います。
 申入れに向かう前に参加した全員でこの大前進を確認し、その上で前回を遙かに上回る「申入書」を提出することで、必ず横浜刑務所に須賀さんの命を守らせる申入れにしようと意思一致をかちとり刑務所に向かいました。
 14人での登場に驚いた当局は、内藤だけを呼び出して、この間、対応してきている庶務課長が「内藤さんに代表して提出してもらうということにしたい。こんなにたくさんの方がお見えになることは伺っておりませんので」と、明らかにうろたえた対応をしてきましたが、「それはできません。みなさんが、須賀さんの命を心配して、仕事を休んだりしながら取るものも取りあえず、集まって下さっているんだから」というと、「いったん待合室でお待ち下さい」ということになりました。
 この後、刑務官が現れ、「代表3人なら面会申入れを受けつける。それ以上での申し入れは受け付けない」と威圧的に通告してきました。狩野さんと藤井さんが先頭に立ち、3人にしぼるという、合理的根拠はなんなのか?問いただしたところ、「場所の広さの問題」と答えてきましたが、内藤が最初の申入れを行ったとき、庶務課長が対応した部屋は、14人を十分入れられる広さがあったことを説明したところ、「これ以上の説明は必要がない。申入れしないのですか」などと恫喝的な対応をし始め、抗議すると刑務官すべてが姿を消してしまいました。
 ちょっと間が開いて、今度は先ほどの刑務官たちに加えて、警備の担当だと名乗る、刑務官たちが現れて、同様の対応をしてきました。こちらが納得しないと、再度刑務官たちすべてが姿を消しました。再々度現れたときには、警備担当官の手には「退去するよう警告します」というボードが握られていました。「申入れされる場合は3人に限らせていただきます。それ以外の方々は退所していただきます」と通告してきました。
 ここまでで30分くらいの攻防となりました。これ以上は事態は動かないと判断し、「3人での申入れにするが、その他は退所せよはないだろう。この待合室で待機させろ」と要求すると、あっさり了承しました。
 狩野さん、藤井さん、内藤の3人が、代表で事務棟に向かいました。ロビーの一角がカーテンで仕切られ、その中に二つの丸テーブルと椅子が並べられており、その一つのテーブルに庶務課長と私たち3人が座って、申し入れが開始されました。
 ちなみに、第1回目の申入れ行動は「完全無罪をかちとる会」の「申入書」を内藤1人で提出したのですが、その際は、まず、このカーテンで仕切られたコーナーで申入れを開始したのです。しかし、「申入書」を読み上げた上で渡したいと要請したところ、「ここでは他の人の耳もありますので」との提案で、部屋に案内されたのです。そこは14人は十分入れる広さでした。
 370通の「申入書」を手渡したうえで、狩野さん、藤井さんが交互に、申入れ行動にあたっての思いをしっかりと訴えました。二人とも、冒頭星野さんの獄死についてふれました。「徳島刑務所が星野さんを殺したこと、受刑者の命を軽んじ、医療を放棄して殺したことを絶対に許さない」「横浜刑務所も医療放棄して須賀さんの命をないがしろにしてきたことを深く憂慮している。ようやく検査を行うことを通告してきたが、これからも厳しく監視していく」「須賀さんに最高で最善の医療を行い、命を守るよう」要求しました。庶務課長は、憮然とした表情で聞いていましたが、発言を止めることはできませんでした。
 申入れを終えて、待合室で合流し、ここで、簡単に行動の報告を行い、全体のまとめも行い、申入れ行動の成功を全体で確認して、刑務所を後にしました。

 獄中からの手紙

刑の執行停止(釈放)も検討されるべきだ

水戸刑日誌(34)水戸刑務所在監 十亀 弘史


 この夏は猛暑の期間がいつもより短く助かったなあなどと思っていたら、いきなりに「須賀さんの命の問題」についての申入書や記事が次々に届き、驚いています。
 もちろん、なされるべきことははっきりしています。「医療センター」への今すぐの移監です。さらには、執行の停止(釈放)も検討されるべきです。そのことは、星野文昭さんの闘いを直接に引き継ぐ、重要な道の一つだと考えます。
 まず、正しい検査が実施されなければなりません。病状は客観的に存在します。その病状の全てを明らかにしなければなりません。正確な検査がなされ、その結果の全てが直ちに明確に開示され、かつその結果について当局側の関係者ではない専門家による検証がなされなければなりません。
 「完全無罪をかちとる会」や弁護団の「申入書」に記されている症状の多さ(胸痛・頻尿・不眠・腰痛・胃の不調・下血そして熱中症)に、読んでいて言葉を失います。それぞれについて、循環器科・泌尿器科・整形外科・消化器科等の検査が確実に着実に実施されるべきです。それは、根拠を示して事実を明らかにする闘いです。須賀さん本人が書かれているとおり、「ひとつずつ冷静に」成果を上げて行かなければなりません。
 検査をどこで、誰によって実施するかについて、私が言えることはありません。しかし、多種の検査や診察を連続して行う必要がある以上、機材や医療従事者が一定揃っている医療センター以外にないのだろうと思います。
 実は私の工場に医療センターから帰ってきた同僚がいました。センターに3カ月ほどいた彼の話によれば、「診察や検査や治療は普通にていねいだと感じた。ただ緊急事態に対する対応は不十分であり不安に思った」ということです。そして言うまでもなく星野さんのことがあります。そのことを考えれば東拘時代にかちとったような外部の医療機関での受診と入院が望ましいのだとは思います。しかし、まずさしあたりは、医療センターへの今すぐの移監が、具体的・現実的に求めるべきことの核心をなすと思います。
 その上で、執行の停止(釈放)は、課題として断じて検討の内に置くべきだと考えます。もちろん病状が進行するようなことがあれば、無条件に獄外に出られなければなりません。  私たちの場合、釈放は、基底においては再審無罪による出獄でなければなりません。一審の無罪判決は厳として生き続けています。ただ、無罪出獄を要求の基底に貫くことと、それ以外の事由による現実の出獄を求めることとは(もちろん「反省」や「恭順」を表明しての「仮釈放」は論外として)矛盾することではありません。
 さらに、懲役という労働の強制についても考えに入れなければなりません。仮に在監が続く場合においても、病気などに関係なく、高齢であるということだけによっても、懲役刑の執行は停止されるべきなのです。それは誰に対してもそうなのですが、とりわけ須賀さんの場合、刑期どおりだとすれば、80歳を越えての強制労働が想定されることになります。重圧ははかり知れません。許される事態ではありません。
 憲法をはじめとして、刑罰に関わる全ての現行法にも違反しています。申入れや要求書を突きつける闘いを大きく広げて行きましょう。
              ×     ×      ×
 この夏もたくさんの暑中見舞いをありがとうございました。「受信禁止」とされたものが10通ほどありましたが、再来年の1月13日には全て手にして、〈出獄祝い〉の一種とさせていただきます。
 何人かの方々から、私についても健康状態への気遣いをいただきました。まあ、あちこちガタは来ていますが、残りちょうど500日(9月2日現在)、うまいことだましだましして無事に乗り切ろうと思っています。不思議なことに、テレビでビールのコマーシャルを見ても、この頃はなんとも感じなくなりました。以前は、CMが流れるたびに〈くっそー、たまらんなー〉と見ていたのです。ついに、ここでは絶対に飲めないものとしてきれいにあきらめられるようになったのか、あるいはどんな切実なものごとにも動じなくなったのか、それとも生き生きした感受性の全てを失った、ということでしょうか。ただ、いろんなことにある程度鈍感になることも、私の場合、心身の健康を維持する上でけっこうプラスに働いているような気がしています。ストレスを貯めにくいのです。
 それはそれとして、いまのいま最も強く願っているのは、水戸市での9・22集会の大勝利です。闘いの息吹はこの近さですから、必ず、塀を越えて直に伝わってくるに違いありません。
                                    9月2日 記
  くっきりと監視カメラは写しとる猫の散歩と梢の戦(そよ)ぎ
                  十亀弘史(9月8日( 日)付朝日新聞「朝日歌壇」掲載


 獄中からの手紙

1950年の「天皇メッセージ」とは!

     前橋刑務所在監 板垣  宏
   板垣さんが、米山實則さんに送ってきた手紙から抜粋して掲載します。文責は事務局です。
 8月20日 米山實則さん宛て手紙より抜粋
 今年の夏は、昨年ほどの殺人的暑さではないものの、私の実感としては昨年よりきつい感じです。体力が落ちたせいでしょうか。色々なところで体力の衰えを感じる日々ですが、そこは気力で乗り切っていきたいと思います。盆休みも過ぎて暑さも峠を越したでしょうしね。

 さて、その夏休みですが、8月10日から15日まで6日間も休みがあり―ほとんどの工場仲間たちは「やることがなくて退屈だった」と言っていましたが―こちらにとっては、大いに学習できる期間として張り切ったのでした。しかし、結局、たまってしまっていた新聞、パンフ、雑誌類を読んだ他は、たまたま見つけた官本一冊とこの間、何冊か読んでいる宗教関係の本の内の1冊の1/3くらいを読めただけで、ちょっぴりがっかりです。でも、健康第一と考え、歩みは遅くとも着実に前進するようにしたいと思います。
 「官本」(2週間に1回、3冊まで借りることができます。今回のように休みが長い場合は1冊増冊で4冊まで)には、ロクなものがないのですが、今回たまたま見つけた本は『戦後日本史』(福井紳一著・講談社+α文庫)という本です。  著者は駿台予備校講師で、山本義隆氏らと共に「東大全共闘」に関する資料集を完成させた人のようです。(正確な資料集名をノートに書き写したつもりだったのですが見当たりません)。その予備校での講義をまとめたのが本書だということです。戦後史のコンパクトで内容のよい本はなかなかないのですが、この本は「おすすめ」です。
 著者はまず「現状を歴史から見る目」が必要だと言います。「1923年の関東大震災の2年後に治安維持法は成立。2011年3・11東日本大震災の2年後に特定秘密保護法が成立。関東大震災に際し、大杉栄・伊藤野枝や労働運動家たちが虐殺される事件が起き、数千名の朝鮮人や数百人の中国人も虐殺されました。『国家』が張り出し、『非国民狩り』とともに『民族浄化』と称するマイノリティーの抹殺が行われたのです。今もヘイトスピーチに象徴される差別・排外主義が顕在化しています。3・11東日本大震災の後、『戦後』はもう『いままで』とは同じではありません。それ故、自分を取り巻く現状を歴史から見ることが不可避となっているのです」
 著者は、「戦後史の知識は諸学問の前提」であり、経済学、政治学、法律学、社会学、教育学―すべてが含まれていると言います。そして戦後史がわからなければ今起きていることの本当の意味がわからない。もし、多くの学校で体系的に近現代史を学ぶことができていたなら、本屋に平積みになっている自画自賛の歴史修正主義、目も当てられない自慰史観の「歴史物」があんなに売れるはずはありません」と言っています。
 そして、その恐ろしい例として、次の事実を上げています。「2015年の国会の党首討論で、(安倍首相は)たった13頁しかないポツダム宣言を『詳らかに読んでいない』と吐露」。さらに安倍の「ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えた後『どうだ』とばかり叩きつけたものです」(Voice pHp研究所 2005年7月号)という発言について「1945年7月26日に提示されたポツダム宣言を、日本が『黙殺するのみ』といったことから8月6日広島、9日長崎に原爆が落とされた」事実をあげて、歴史を無視し、改竄して平然としている安倍を批判しています。歴史に無知だ(もっとも安倍の場合、意図的にやっているのでしょうが)ということは恐ろしいことです。
 もう一つ本書を読んで教えてもらったことは、終戦後、1947年9月19日の昭和天皇の「沖縄メッセージ」の他に、1950年6月26日の「天皇メッセージ」があるということでした。
 天皇の「沖縄メッセージ」は、1979年、アメリカの公文書から発見されたもので、「天皇側近の寺崎英成から日本政府の頭越しにマッカーサーの政治顧問であるシーボルトを通じてマッカーサーに伝えられた。そこでは『寺崎氏はアメリカが沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するように天皇が希望している、と明言した。天皇の見解では、そのような占領はアメリカのためにもなり、日本にも保護を与えることになる』とある。
 さらに『天皇は、沖縄(および必要とされる他の島々)に対するアメリカの軍事占領は日本に主権を残したままでの長期リース―25年ないし50年あるいはそれ以上―というフィクションにもとづくべきだと考えている。(この原文は「進藤栄一「分断された領土」(『世界』岩波書店1979年4月号)」…と昭和天皇はアメリカに知恵までつけていた」とこの事実を紹介しています。こちらの方は比較的よく知られています。
 しかし、1950年の「天皇メッセージ」は、私はこの本で初めて知りました。こちらの方はあまり知られていないのではないでしょうか。「1950年6月26日、朝鮮戦争勃発の翌日、昭和天皇は再びメッセージを送っている。今回は日本政府(第3次吉田内閣)どころかマッカーサーも知らないところで、側近の松平康昌通じて講和の交渉に当たっているダレスに送ったのです。ソ連、中国や国内の左翼運動に対し、昭和天皇がその周辺は異様ともいえる恐怖感を抱いていました。だから昭和天皇は米軍に守ってもらうことを期待し、米軍の日本駐留を強く望んでいたのです。
 そのため、昭和天皇は軍国主義者の公職追放の緩和をアメリカに求めるとともに、米軍駐留に消極的な吉田首相を批判、『米軍の日本駐留と継続的基地使用を日本側から申し出るべき』と考えていることをダレスに伝えたのです。ダレスは『これが今回の一番のお土産だ』と言ってアメリカに帰ったという」。
 昭和天皇の犯罪性は明白です。自らの戦争責任から逃れ、自身および「国体」=天皇制を守るため、沖縄のみならず日本そのものを米軍に売り渡していたのです。

 天皇代替わりとは、この昭和天皇の戦争責任を免罪するばかりか、昭和天皇を「皇統=皇祖・皇宗」とあがめ、それらと新天皇が一体となり「現人神」となって労働者人民の上に君臨するための儀式に他なりません。それに「象徴」という衣を着せてみても本質は何ら変わっていないのです。断じて許してはなりません。
 以上のように、戦後史を学ぶことからは多くのことが見えてきます。良い夏休みになりました。
 では又。