須賀さんの命を守ろう!

無 罪! 198号


  本誌198号の目次
 ★今こそ、須賀さん即時奪還の闘いに打って出よう!            事 務 局
 ★近頃、夕焼けの美しさが身に沁みたりすることがあります         十亀弘史
 ★天皇制と宗教問題について考える その2                板垣 宏
 ★「個人識別法の新紀元」 日本における指紋法導入の文脈         福嶋昌男
 ★11・7全国労働者総決起集会の大結集に向けた訴え           飯田英貴 
 ★沖縄返還協定批准阻止闘争から50年、星野さん大阪さん奥深山さんと団結し、
  改憲・戦争と闘う 11・28全国集会へのアピール           金山克巳
 ★たおせ!資本主義 踏み出そう次へ!(下)               森川文人

  
 5人に激励のハガキを
 須賀武敏さん
  〒233-8501  横浜市港南区港南 4‐2‐2
 十亀弘史さん
 板垣宏さん
 福嶋昌男さん

  〒105-0004  港区新橋2−8−16石田ビル4F 完全無罪をかちとる会気付
 大坂正明さん
  〒105-0004  港区新橋2−8−16石田ビル4F 大坂正明さん救援会気付





今こそ、須賀さん即時奪還の闘いに打って出よう!

須賀武敏さんの命を守ろう

                    事 務 局
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救援連絡センターとの共同闘争として、
横刑への申入れかちとる(2月4日)
 須賀武敏さんは、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧で、一審東京地裁で無罪判決を勝ち取ったにもかかわらず、逆転「有罪」判決を強制され、2018年2月、下獄しました。須賀さんは腰に重大な病気をかかえており、刑の執行に耐えられるかどうかが問題であったため、医療刑務所である東日本成人矯正医療センター(以下、医療センターと略)に下獄したのです。しかし、3カ月後、唐突に理由も告げられず、横浜刑務所に移監されてしまうという経過をたどります。
 それから2年、須賀さんは腰の痛みなどに必死に耐えて、懲役作業をやりぬいてきますが、腰の症状の悪化はいかんともしがたく、昨2020年6月、医療センターでの脊椎・腰椎のMRI検査・診察を受けるに至りました。
そこで、整形外科の専門医は「このまま放置すれば、腰部の神経がマヒし、歩けなくなり、車いす生活を余儀なくされる」と宣告。須賀さんに手術を勧めてきたのです。今、それから1年4カ月が経ちました。10月15日付けで、再審弁護団から、医療センター長宛「申入書」、横浜刑務所長宛「要望書」がそれぞれ提出されました。
 医療センターには、速やかな身柄の移監とその時期の具体的見通しを明らかにするよう要求し、横浜刑務所に対しては、再度のMRI検査を直ちに実施せよと要求しています。
 昨年のMRI検査結果を受けて横浜刑務所医務当局は、同年8月に、医療センターへの移監を決定し、同所に実施の要請を行いました。それからでも1年以上が経ちましたが、事態は膠着状態のままです。その間、横浜刑務所では、須賀さんの症状の悪化を防止する手立ては、ほとんどとられず、放置されています。そのことによって、さらに症状が悪化をたどり、また、本格的な寒さ到来が間近であり、いつ激痛発作に見舞われ、最悪、手術を待たず歩けなくなってしまう可能性もあります。
 7月21日の整形外科の診察で、ハケを使っての下肢回りの神経のしびれや、麻痺症状のチェックがなされ、診察の結果、転倒防止の観点から、「医療用シューズ」の使用が認められはしましたが、MRIの再検査の要求は認められませんでした。
 しかし、重大疾病なのですから、獄外の通常医療においては、1年も経てば、当然にもMRIの再検査が行われてしかるべきところです。この検査は、脊柱管内での神経の圧迫の有無、その重症度の評価には必須のものです。腫瘍など患部にその他の病気がないかを判断できる、非常に有効な検査です。それを拒否するなど、医療の放棄以外のなにものでもありません。
須賀さんの刑の執行停止を要求し身柄の解放かちとろう
 須賀さんを車イス生活に追いやることは、須賀さんの健康と人生に係わる決定的な事態であり、断じて許してはなりません。現在の刑務所は、受刑者の命も健康も、人権も顧みようなどと考えていません。そんな現実を、労働者民衆、獄内外一体となった団結の力で変えていく以外にありません。須賀さんと私たちが、正当な要求を当局に突きつけ、なんとしてもその実現をかちとっていくことだと思います。
 須賀さんは現在77歳です。腰以外にも労作性狭心症など、幾つもの疾病と闘いつつ、必死に懲役作業をやりぬいています。しかし、これ以上の拘束と懲役作業の強制は、もはや「懲役」ではなく、肉体の破壊であり、憲法(第36条)で禁止されている「拷問および残虐な刑罰」そのものです。また、刑事訴訟法第482条は、刑の「裁量的執行停止」に関する規定が書かれています。重要なことは「執行を停止することができる」要件の8項目のうち1番目には「刑の執行によって、著しく健康を害するとき、又は生命を保つことのできないおそれがあるとき」、そして、2番目にはまったくの無条件で「年齢70年以上であるとき」と明記されていることです。
 そもそも、34年前の爆取デッチあげ弾圧で、16年という前代未聞の超長期未決勾留を強制されたこと、その拷問をはねのけ、一審無罪判決をかちとったこと、そのことへの大反動としての逆転「有罪」の確定と下獄の強制の歴史をあらためて振り返ったとき、これ以上、須賀さんの命と健康を破壊しつつある刑の執行を続けさせることなど、断じて許せません。
 須賀さんの命と健康を守るために、早期の刑の執行停止をあらゆる手立てを通してかちとりましょう。
   この闘いが、星野文昭さんの遺志を引き継ぐ闘いそのものであり、すべての受刑者の命と健康をかちとっていく闘いにつながっていくことを確信し、新たな挑戦を開始しましょう!




近頃、夕焼けの美しさが

身に沁みたりすることがあります…

 
                    十亀 弘史
                               そがめ  ひろふみ

 近所のマンションの清掃の仕事は、9月いっぱいで終わるはずでした。ところが、その前に交代の人が辞めてしまい、その人の分の週2回を、私が引き継ぐことにしました。月曜と金曜、各3時間の労働です。水・木・土に出勤している76歳の相棒氏が「こうなったら、二人で、とにかく長く続けようよ」と言ってくれています。私としても、少なくともあと5年、つまり82歳くらいまではここで働こうという気になってきています。その場合、このマンションが私の生涯で最長の労働現場ということになります。なんとなく愛着も湧いてきます。
 ただ、週2日では、少し収入に不足が生じます。それで、もう1日、土曜か日曜にも働きたいのですが、土・日、とくに日曜には集会・デモなどの闘争日程が入ることが多く、ためらわざるを得ません。
 もちろん、高齢者がいつまでも働かなければならない(そうしないと食って行けない)という現状の社会は、断じて間違っています。本来老後は、誰もが優雅に暮らすべきです。近頃、夕焼けの美しさが身に沁みたりすることがあります。誰にとっても、晩年は、秋の今頃の夕空のように、静かに澄んで、落ち着いていて、しかも鮮やかな真紅を輝かせたりもし、同時にしみじみした寂しさにも満ちていて、それでも十分に幸福である、といった状態が望ましいのではないでしょうか。しかし、現在の労働者は、相当の高齢まで働かなければなりませんし、一方で、新自由主義の理不尽とも闘い続けなければなりません。こんなことなら、資本主義を打ち倒した革命の後に生まれたかった、などとつい〈妄想〉してしまいます。いや妄想どころではないかもしれません。革命は意外にはやく一気に達成されて、私が生きてるうちにも新しい社会が見られないでもないか、とも考えます。少なくともその方向へ前進して行くしかありません。
 ところで、7・8・9月の労働収入を合わせて、新しいノートパソコンを購入しました。マウス社の製品です。これで、1万7千円のクロームブックと付き合うストレスから解放されました。クロームブックの廉価品は、とにかく文書作りの機能が貧弱で、縦書きの書面さえ作れないのですからどうしようもありません。
 マウスのノートは快適です。ウィンドウズ10で、ワードのページを開くと、下獄前に裁判所提出書面を作るときに使っていたさまざまな機能とその操作が、次々に思い出されてきて、おおーっ、と懐かしく、うれしくなります。パソコンとはこれだったんだ! です。しかも、マウスのノートは、外形のデザインに凝ったりすることなく、質実剛健の地味な灰色をしていて、気に入っています。ただし、スピードはクロームブックに少し劣ります。しかし、使う本人もスピードとは無縁になってきていますので、丁度いいか、です。
 ところが、ツイッターを始めようとして、大いに奮闘させられました。どう考えても、正しい手順をたどっているはずなのに、ページが開けません。いきなり変な形で開けたと思ったら、ツイートの文字が奇妙な文字化けをして、どうしてもまともな文章になりません。どうすればいいのか途方に暮れました。激しい怒りもわいてきました。なめるんじゃない、機械のくせに逆らうんじゃないっ!です。
 3日間は、苦闘を続けました。そしてついに、ツイッター社に文句をいえばいいと気が付きました。そういう欄が設けられているページにたどり着いたのです。そこに「どうやっても、ツイッターが開けない」との一文を、抗議と憤怒を込めて入力しました。その日はそこまでで疲れ切ってしまったので、パソコンを閉じ、翌日、清掃労働から帰ってきて開いたら、返信が届いています。8行の英文です。
 辞書を片手に読みすすめると、まず「ご迷惑をおかけしたことに謝罪します」とあります。その後に、「誤ってスパムアカウントとみなしてしまった」との言い訳が書かれています。その上で、「もう一度試していただけるのなら、こちらをクリックしてください」と解される文があり、それに続けてそこだけ青色の「foms page」という文字が置かれています。それで、やや恐る恐るでしたが、そこをクリックすると、瞬時に、正しいツイッターのページが現れました。「この3日をかけた勝負、ついに俺が勝った」と思うことにして、やっと溜飲を下げました。
 という苦難の末に、現在、「序局2021」という名前でツイッターに登場しています。フォロワーは、やっと100名になろうかというところです。とにかく『序局』の存在を多くの人に知ってもらいたい、という一心で、なんだかんだについてツイートを続けています。ツイッターを使われている方は、ぜひとも一見の上、リツィートしたり、フォロワーになって下さるよう、この場を借りてお願いします。
neko
 最後に、短くしか紹介できませんが、中島京子作の小説『やさしい猫』(中央公論新社)を強くお薦めしたいと思います。タイトルのような猫の物語ではありません。女子高生が語り手となっていて、語り口は優しく平明です。しかし、綿密な取材を重ねて入管行政の異様な残酷さを暴く、その中身、その告発は、鋭く重い説得力を持っています。読みながら、人間を人間として扱わない入管や警察に対して、何度も深い怒りにとらわれました。読み始めると止められないストーリー展開の巧みさ、法廷シーンの緊迫感、ところどころの小さなユーモアなどもたいへん見事です。排外主義と人権の抑圧に対して、闘い、怒りの声を上げ続けることの重要さを、〈身近な実感〉として提示した小説として、出色というべき作品です。     (10月6日)

 ハリウッド映画に多き三密のシーン煙草のシーン懐かし
              十亀弘史(10月17日付朝日新聞「朝日歌壇」掲載)




天皇制と宗教問題について考える その2

       マルクス主義の宗教に関する態度

                      板垣  宏

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 マルクスの宗教に対する規定としては、「宗教は民衆の阿片である」という有名な言葉があります。これは『ヘーゲル法哲学批判序説』の一節です。(なお、以下の引用は、マルクス『ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫版71〜73ページによっています)。
 ここでマルクスは、「反宗教批判の基礎は、人間が宗教を作るのであり、宗教が人間を作るのではない」と明らかにした上で、「しかも宗教は、自分自身をまだ自分のものとしていない人間か、または一度は自分のものとしてもまた喪失してしまった人間か、いずれかの人間の自己意識であり自己感情なのである。
しかし人間というものは、この世界の外
部にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とはすなわち人間の世界であり、国家であり、社会的結合である。この国家、この社会的結合が倒錯した世界であるがゆえに、倒錯した世界意識である宗教を生み出すのである。…宗教上の悲惨は、現実的な悲惨の表現でもあるし、現実的な悲惨に対する抗議でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、悲惨な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である」。
 ここでは、人間が社会的存在であること、その現実の社会が「倒錯した世界であるがゆえに、倒錯した世界意識である宗教を生み出す」ことが鮮明に明らかにされています。
 「民衆の幻想的な幸福である宗教を揚棄することは、民衆の現実的な幸福を要求することである。民衆が自分の状態について持つ幻想を棄てるよう要求することは、それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求することである。従って、宗教への批判は、宗教を後光とするこの涙の谷(現世)への批判の萌しを孕んでいる」
 宗教への批判とは、宗教的幻想を必要とするような現実の社会の状態を棄てる(変革する)ことです。だから、宗教への批判は、何よりも現実の社会の在り方に対する批判を含んでいるということです。
 「宗教への批判は人間の迷夢を破るが、それは人間が迷夢から醒めた分別を持った人間らしく思考し行動し、自分の現実を形成するためであり、人間が自分自身を中心として、したがってまた現実の太陽を中心として動くためである。宗教は人間が自分自身を中心として動くことをしない間、人間の周りを動くところの幻想的太陽にすぎない。
 それゆえ、真理の彼岸が消えうせた以上、此岸の真理を確立することが、歴史の課題である。人間の自己疎外の聖像が仮面をはがされた以上、更に聖ならざる形姿における自己疎外の仮面をはぐことが、なによりまず、歴史に奉仕する哲学の課題である。こうして、天国の批判は、地上の批判と化し、宗教への批判は法への批判に、神学への批判は、政治への批判に変化する」
 このように、宗教への批判は地上の社会、その政治への批判へとつながっていくのです。  次に『共産党宣言』ではもっと明確に、支配階級の思想にすぎない宗教(一般に階級社会におけるあらゆる社会的意識の諸形態)が、「階級対立が全く消滅する時に初めて完全に解体する」ことについて触れています。
 「人間の生活諸関係、彼らの社会的諸関係、彼らの社会的存在が変化すれば、それとともに人間の観念、見解、概念、一言で言えば人間の意識もまた変化するということ、このことを理解するのに、深い洞察力が必要であろうか?
 思想の歴史が証明していることは、精神的生産が物質的生産とともに変化するということでなくて、何であろうか? ある時代の支配的な思想は、いつでも支配階級の思想にすぎなかった。  …古代世界が没落しつつあった時、古代の諸宗教はキリスト教によって征服された。一八世紀にキリスト教思想が啓蒙思想に敗れたとき、封建社会は、当時なお革命的であったブルジョア階級と最期の死闘をまじえていた。信仰の自由とか宗教の自由とかいう思想は、意識の分野での自由競争の支配を言い表したものにすぎない。
 こういう人もあろう。『けれども、宗教的、道徳的、哲学的、政治的、法的などの思想は、確かに歴史的発展の過程で変化したが、宗教、道徳、哲学、政治、法そのものは、こういう変遷を意識諸形態は、階級対立が全く消滅する時に初めて完全に解体する。
 共産主義革命は、伝来の所有諸関係とのもっとも徹底的な絶縁である。だから、この革命の発展過程で伝来の思想ともっとも徹底的に絶縁するのは、不思議ではない」(『共産党宣言』マル・エン全集4巻519ページ)つらぬいて常に保たれてきた。その上、自由、正義などのように、あらゆる社会状態に共通する永遠の真理がある。ところが共産主義はこういう永遠の真理を廃止する。宗教を、道徳を、刷新するのではなくて、廃止する。だから共産主義はこれまでの歴史的発展全体と矛盾する』。
 ここで論難されている点は、結局どういうことであろうか?これまでの全社会の歴史は階級対立をつうじて運動してきた。この階級対立は、時代が違えば、それぞれ違った姿をとった。
 しかし、この階級対立がどういう形態をとったにしても、社会の一部分が他の部分を搾取していたことは、過去のあらゆる時代に共通な事実である。だから、あらゆる時代の社会的意識が、極めて多種多様でありながら、ある共通の諸形態をとって動いていることは、不思議ではない。そして、これらの諸形態、意識諸形態は、階級対立が全く消滅する時に初めて完全に解体する。
 共産主義革命は、伝来の所有諸関係とのもっとも徹底的な絶縁である。だから、この革命の発展過程で伝来の思想ともっとも徹底的に絶縁するのは、不思議ではない」(『共産党宣言』マル・エン全集4巻519ページ)。



「個 人 識 別 法 の 新 紀 元」

  日本における指紋法導入の文脈( 渡辺公三著)
                       福嶋 昌男

 前号で、「指紋法」がどのように歴史的に実用化されたかを述べました。
 高野論文は、「指紋法」の誕生とその実用化は大英帝国と植民地インドの統治のため、人々の管理と認証のためだった、と言っています。「指紋法」は「犯罪者」にも適用されます。日本には、1908年(明治41年) に導入されたと結んでいます。

機,發Π譴弔力席  「個人識別法の新紀元」―日本における指紋法導入の文脈(立命館国際研究 2000年3月)  目次の構成は次のようになっています。
  はじめに
  1 : 「指紋法」制定の文脈
  2 : 指紋法の発見
  3 : 日本における前史
  4 : 各方式の特徴と技術的評価
さしあたりのまとめとして
 1、2は、高野論文と重なるところがあります。
 3の「日本における前史」は、日本帝国がヨーロッパの「指紋法」を導入するところからです。
 司法官僚の平沼騏一郎は1908年の初頭に渡欧します。すでに、司法官僚の大場茂馬が渡欧しています。大場、平沼は同年の9月「犯罪人異同識別法取調会」を発足させます。メンバーは大場、平沼、小山温ら7名です。「取調会」をもって、日本帝国は「近代の国家が国民を『個別的かつ全体的に』把握する技術を洗練していった」(渡辺 国際研究42頁)のです。
 本論文は、大場がドイツを視察した帰りの体験をとりあげています。大場は大英帝国の植民地であるエジプトとシンガポールの監獄を視察します。
 ここでは、「ペルティヨン方式」(人体測定法)と「指紋法」の併用を見ました。
 「日本における前史」では、日本帝国は、つぎの方式を検討し、ハンブルグ方式を採用します。
  ・ペルティヨン方式
  ・「指紋法」ゴルトン方式
  ・ヘンリー方式
  ・ハンブルグ方式
  【ハンブルグ方式とは、
   一次分類(左手)と二次分類(右手)があります。一次分類「指紋の類型を十種にわけて、0〜9ま
  での数を付す」即ち「左手の五指を基準として五桁の数列に置換する」、「指紋特徴の表記を数列に還
  元する」
   両手の指の指紋の形状は大きく3つあります。
  ・弓状紋 : 「1」に分類
  ・蹄状紋 : 隆線数又は点の数で「3〜6」に分類
  ・渦状紋 : 渦の形状による隆線及び点の数で「7〜9」に分類
  ・欠損指紋 : 指紋に傷がある等
  「0」に分類
  各分類番号の欄には、採取指紋の写真が添付されています】

供 愀抻〇慳羸度のあゆみ』より
 弁護団は「指紋鑑定」の資料として、国会図書館で、次の二つをコピーしています。
・『日本警察庁一指指紋法』昭和31年8月 (1956年) 警察庁刑事部鑑識課
・『警察指紋制度のあゆみ』―警察指紋制度50周年記念― 昭和36年4月1日(1961年) 警察庁刑事局鑑識課
 今回、後者を参考にします。
 警視庁は1911年(明治44年)4月1日に刑事課を新設し、「指紋法」を採用します。1934年(昭和9年)十指指紋法が全国的に統一実施されます。
 ただ、「一指指紋法」は「日本の一指指紋制度は昭和二十八年の統一実施にかかり、謂わばまだ創成期なのである」「もとよりこの方法も完璧なものとはいえないかもしれない」と書かれています。
 『一指指紋法』によると、「現在各庁、府県、方面本部で採用実施されている方法は、各県各様であって、凡そ三十数通りに及んでいる」( 240ページ) と言うのです。1955年( 昭和30年)十指指紋法取扱規則及び一指指紋法取扱規則の制定・実施となっています。そして、警察庁が全国的な「一指指紋取扱要綱」を実施したのは、1961年(昭和36年)3月6日からです。

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 警察での指紋鑑定の歩みの中で、保管指紋が膨大になります。
1 電子計算機の発展のもとで、警察庁とNECは「自動指紋識別システム」(AIFS)を開発し、警察庁は1982年にAIFSを導入します。
2 私たちは、控訴審における指紋問題に関する準備の中で、2006年に鳥取大学の岸田悟教授と出会います。そして指紋検証を依頼します。岸田教授は、本件の控訴審に向けて、誤差自乗和法による『解析結果報告書』を作成・提出します( 2007年3月)。そして、その後、岸田教授の専門である「個人認証システム」をもって、本格的な指紋検証をして頂きました。
 岸田教授は2 0 0 4 年に「ニューラルネットワークを用いた指紋認証システム」を学会に発表しています( 再審・『指紋検証報告書』2005年1月参考文献22)。

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 渡辺論文は、日本帝国主義の「指紋法」の導入と「ハンブルグ方式」の採用を明らかにします。警察庁は戦後「一指指紋制度」の運用を全国的に開始します。その後、警察庁とNECは膨大な指紋管理に向けて、その狆塙膈瓩妨けて、1982年、自動指紋識別システムを開発・運用します。
 本件、AFIS―指紋鑑定で明らかになったことは、AFISはたくさんの「ニアヒット」を出し、警察は「似たもの選び」を行ない、指紋鑑定人は、その「名指し」で恣意的に鑑定を進めることです。何ら犹慳罩瓩蓮崗攀鬚硫ν諭廚任覆、本件は警察・鑑定官の意向でデッチ上げられたのです。
 第二次再審に向かって大いに前進します。    (10月10日)



11・7全国労働者総決起集会の

大結集に向けた訴え!


     全国労働組合交流センター事務局長     飯田 英貴
20201101-005
11・1全国労働者総決起集会/改憲阻止!
1 万人行進 2050人が結集(日比谷野音)
 「終わらせよう!新自由主義 とめよう!改憲・戦争」をメインスローガンにして、今年も11月7日、全国労働者総決起集会が東京・日比谷野外音楽堂において開催されます。その成功に向けて、全国労組交流センター全国運営委員会での意思統一を踏まえた事務局長の集会へのアピールを「月刊労働運動」10月号」から抜粋して、転載します。(一部略、文責 事務局)


全国運営委員会で意思統一

 全国労組交流センターは、9月23日、第34回全国運営委員会を開催し、11・7労働者総決起集会の成功に向かって意思統一を行いました。
 木下浩平代表(全国金属機械労働組合港合同)は「改憲・戦争に向かって激しく事態が動いている。交流センターは『改憲・戦争阻止!大行進』や全学連とともにオリンピック開会式を直撃する実力闘争を闘った。そうした労働者民衆の怒りの声と闘いが菅を引きずり倒した力だ。わき上がる怒りの声と行動を、社会を変える闘いへと高めるために、階級的労働運動の力強い登場が求められている」と11月集会の意義を訴えました。
 また、武谷新吾代表(関西地区生コン支部)は、運動の力で武建一委員長に対する求刑8年の実刑攻撃を粉砕できた勝利を報告し、「すべての刑事事件で無罪判決を勝ち取るべく闘う」と力強く訴えました。また、現場からの闘いも進んでおり、取引先資本や背景資本、商社で働く労働者へのビラ撒きを開始したことが紹介され、「女性労働者のビラの受け取りがもの凄く良い」と報告されました。そして、「労働者が労働組合を求めている。11月集会に来れば『これが本当の労働組合だ』とわかるはずだ。一人でも多くの仲間を日比谷野音に結集させよう」と訴えました。
 さらに、田中康宏代表(動労千葉)は「時代は動き始めた。これまで固定化されていた関係や労働者の意識が動き始め、流動化している。そのときに大事なことは自分たち自身が『旗き幟しを鮮明にさせる』ことだ」と言いました。それは簡単なことではないが、逃げないで闘えば大きな可能性が生まれると訴えています。
 田中代表は「国鉄分割・民営化以降、動労千葉が層として組織拡大を実現できたのは、1990年3月までの過程と2000年以降の外注化阻止闘争の過程であった」と語り、「いずれも組合員が首をかけて闘ったときであった」と訴えました。動労千葉はいま一度そうした闘いに打って出ることを決断し、JRの外注会社であるCTS(千葉鉄道サービス)での「職場代表過半数から労組過半数代表へ」の飛躍に組合の総力を挙げて取り組んでいます。そうした中で、CTSでは、清掃業務の要員削減を提案する職場説明会で反対の声が続出し、説明会が中止に追い込まれ、職場の力で10月からの実施を事実上粉砕する前進が勝ち取られています。
 こうした闘いを紹介し、田中代表は「我々が本気になれば情勢は必ず動き出す」と力強く訴えました。

11・7集会に向けて闘いの前進
 11・7集会の成功に向かって、国鉄闘争で今ひとつ大きな前進が切り拓かれています。
 動労千葉・動労総連合が闘う国鉄1047名解雇撤回裁判において、9月2日に、東京地裁がJRを「裁判に参加させる」という決定を出しました。裁判所に「JRを裁判の当事者だ」と認めさせたことは画期的です。関生支部、港合同、動労千葉の3労組は、「JRに法的責任なし」とした1998年の東京地裁判決を契機に、11月労働者集会を開催して1047名解雇撤回を訴え続けてきました。その闘いが、今一度JRを1047名解雇撤回裁判に引きずり出すところに来ています。
 いま、関西生コン支部への弾圧粉砕を訴えて『棘2』の上映会が全国で開催されていますが、それと合わせて1047名解雇撤回闘争が「勝利まであと一歩」のところまで来ていることを動労千葉物販とともに訴えて欲しいと思います。
 関生弾圧粉砕と国鉄闘争の前進は11月労働者集会の柱であり、「新自由主義を終わらせる労働運動の再生」の最も具体的な展望です。
 そして、11月集会に向かった最大の闘いは職場からの組織化です。新自由主義の全面的な破綻・崩壊は、職場においてこそ最も激しく現れています。さまざまな運動の中で敵の矛盾・弱点がどこにあり、味方が団結できる方針・展望がどこにあるのかを必死につかみ取って、具体的な闘いに組織することが求められています。
 JRは「民営化以来最大の危機」(深澤JR東日本社長)だと叫び、「土俵際に追い込まれた鉄道会社に必要なのはタブーなき改革である」「コロナ禍を奇貨として改革に踏み出すときだ」(日経新聞)と言って鉄道業務の分社化へと踏み出そうとしています。
 郵政でも「民営分社化から13年が経過した今、これまで通りでは将来にわたって持続していくことができない」と言って、3万5千人の大合理化が進められようとしています。
 しかし、鉄道や郵便事業を金儲けの手段とし、非正規を増やし、莫大な利益を得てきたのは誰なのか。その破綻の責任を棚上げし、「仕方ないこと」として鉄道事業や郵便事業の衰退を描くことは許されません。起きていることは民営化、外注化の全面的な破綻です。JRでも郵政でも、会社がさらなる合理化に踏み出したとたんに労働者の反撃が始まっています。
 なにより、私たち自身が職場の現実に怒りを燃やして声を上げることです。先日、埼玉県越谷市の保健所のひとりの労働者が、保健所の過酷な労働実態を労基署に告発したことが大きな注目と共感を集めました。
 「新自由主義により崩壊した社会を作り変える力は労働者の団結、労働組合を甦らせる中にある」という本気の訴えと行動が情勢を動かし始めています。  すべての闘いを11・7労働者集会に総結集させ、3労組の旗の下に、新自由主義を終わらせる労働運動を力強く作り出しましょう。




沖縄返還協定批准阻止闘争から50年、星野さん大坂さん奥深山さんと団結し、 改憲・戦争と闘う

11・28全国集会へのアピール

   星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議・事務局 金山 克巳
71年沖縄全軍労 沖縄全島ゼネスト(1971/11/10 
那覇市内 6万人の実力デモ)
渋谷闘争50年
 今年は1971年11月14日の渋谷闘争から50年になります。星野文昭さん、大坂正明さん、奥深山幸男さんらを先頭とする青年労働者、学生たちは、1万2000人の機動隊が制圧する渋谷の街に突入して深夜まで闘いました。
 この日、総計313人が逮捕され、池袋駅では大阪から上京した教育労働者の永田典子さんが機動隊に殺されました。
沖縄返還協定批准阻止闘争
 青年労働者や学生たちは、なぜ命をかけ、人生をかけて闘ったのでしょうか。それは、当時の佐藤政権が進めた沖縄返還政策が、沖縄の労働者民衆の願いをかなえるかのポーズを取りながら、実はそれを踏みにじるものだったからです。
 沖縄の人々が求めた本土復帰とは、イコール米軍基地撤去であり、米軍政からの解放でした。沖縄の人々が求めたのは、核も基地もない平和な島でした。  ところが佐藤政権は、米軍基地をそのまま残すばかりか、核兵器持ち込みの密約まで結んでいました。今日では辺野古新基地建設まで強行されています。

歴史的大弾圧との闘い
 佐藤政権はこの闘いに打撃を受け、機動隊員1名の死に関して「殺人罪」をでっちあげて大弾圧をかけてきました。
 星野さんは無実にもかかわらず無期懲役とされ、奥深山さんは獄中で発病し裁判が停止されましたが、死ぬまで被告の座から解放されませんでした。奥深山さんの公訴棄却、免訴が申し立てられましたが、東京高裁は最後まで結論を出しませんでした。これは、大坂さんを逮捕するために、裁判所と検察がグルになって時効の針を止めるためと言う他ありません。
 大坂さんは50年も前の事件にもかかわらず不当逮捕後、起訴されました。いま、大坂さんは未決のまま東京拘置所に4年間も拘束され接見も禁止されています。
 星野さんら3人を有罪とする物的証拠はありません。あるのは、デモに参加した学生たちが警察・検察の密室で取られたデッチあげ「供述調書」だけです。3人の裁判の証拠構造はまったく同じです。

星野国賠訴訟
 2019年5月30日、東日本成人矯正医療センター(以下、医療センターと略)において、星野文昭さんは無念にも獄死させられました。同月28日に肝臓がんの切除手術を受けてわずか2日後のことでした。
 医療センターと徳島刑務所に対する3回の証拠保全を行い、カルテを含む大量の資料を確保しました。その分析の結果、星野さん獄死は、殺人にも等しい国家犯罪であることが明白になりました。2020年2月21日、星野暁子さん、兄の治男さん、弟の修三さんが原告となり、真相を解明し責任を取らせるための国家賠償請求訴訟を申し立てました。

大坂正明さんの闘い
 大坂さんは4年にもわたる接見禁止を突き破って、不屈の闘いを続けています。  大坂さんは鼻ポリープのために呼吸が困難になっています。くり返し治療を要求しているのに、東京拘置所の医師は治療薬を処方しません。私たちは東京拘置所への差し入れ・申し入れ行動や裁判所前街宣を共に闘っています。
 また大坂正明さんの治療を求める要望書も集めています。無実の大坂さんを何としても生きて取り戻さなければなりません。
 11月28日、3者の闘いを一つに捉える全国集会を行います。

11・28全国集会の成功を
「星野国賠に勝利する全国運動」呼びかけの金元重先生が言うように、11月7日の労働者総決起集会と11・28全国集会を一体で成功させ、運動の相乗的な発展をかちとっていきましょう。この集会の前には、大坂さん連帯・防衛の東京拘置所包囲デモが行われます。  11・28全国集会に集まり、その成功を共にかちとっていきましょう。



「戦後76年 8・15労働者市民の集い」基調提起

たおせ!資本主義 踏み出そう 次へ!(下)

             弁護士  森川文人
承前
 「改革・改良」からの転換

 今、私たちの目の前で起きていることは、私たちの政府は私たちの政府ではない、私たちと利害が、まさに非和解的に、くっきりと別の方向を向いている、ということだと思います。オリンピック強行。戦争準備。進みゆく温暖化。つまり、一部の、資本のための政府が刹那的な対応をしているだけ。
 ともかく、こんなシステムは、私たちにとっての民主主義ではない、このことは、今、多くの人が実感していると思います。逆に言えば、私たちはこれまで世界の運営を他人任せにし過ぎたということだと思います。
 マルクスは「哲学者たちは世界を様々に解釈してきたに過ぎない。重要なことは世界を変えること」だ、つまり、批判や評価はわかったから、自分でやれよ! ということだと思います。
 マルクス自身も『資本論』を著すことでやろうとしたことは、資本主義というシステムの搾取構造を暴き、労働者民衆という階級にある自分たちが、不当な扱いを受けている怒りに火を付けることを目的にしたのだと思います。
 格差の拡大など矛盾が極限に達し、生き続けることが困難な時代にある、というのはもはや世界共通の認識だと思います。コロナでそうなったのでなく、コロナで明らかになったのであり、以前からの矛盾が一挙に吹き出した、それゆえにアメリカでも、ミャンマーでも、ロシアでも命がけの闘いが立ち上がりました。
 とはいえ、極度に「自己責任」感を植え付けられ、抵抗は無駄だ、ただ、この世界のルールの中で競争することだけが人生だと教え込まれた、20世紀後半に育った、自信のない私としては、何ができるのか、と途方にくれます。 「世界っていうのはこんなものではないか」、「一人頑張ってもどうにもできないだろう」…。責任と考えると逃げたくなります。それでも改良や改革ではダメなのか、という…少し私の発想の転換に至った話をしたいと思います。
 私は90年代初めくらいからホームレス状態の人たちに関わるようになりました。その後、そんな人々の法律相談を行う運動の先駆けとなった「ホームレス総合相談ネットワーク」という組織の代表になりました。事務局長はあの湯浅誠。山谷や新宿中央公園などの炊き出しに併設して法律相談会を行ったり、債務整理・自己破産の講演をしたりしました。それにより、個々のホームレス状態の人は、借金問題を清算して社会復帰することができ、わかりやすい成果を得ることはできたわけです。多くの若い弁護士や司法書士も参加していました。
 しかし、社会復帰した人は改めて就職をしたりするわけですが、また、再び資本の都合によってはリストラにあい、路上に戻ってくる。それを私たちがセイフティネットとして救済する。考え様によっては、資本の補完的な作業を我々がやっているだけではないか、というのが発想の転換のきっかけです。
 さらに、弁護士業界が、新自由主義の攻撃の対象とされた。「司法改革」という名で弁護士激増が政策とされ、弁護士自治を実質的に解体し、労働組合や反体制政党などのような社会的結合体の解体が目指され、実際、ある程度の成果をあげ、見事に弁護士としても食べていくことがギリギリの職業に追い込まれたわけです。現にいま、かつて2万5千人くらいいた、法律家志望者は4千人位になり、かつて50倍だった司法試験も今や2倍程度です。
 つまり、自分自身も生きるために立ち上がらなければ、ということに至ったわけです。そのためには、小手先の改良や他人任せではどうにもならないのでは、ということです。
 現実を直視する、ということだと思います。まあ、見たくないですけどね。このままじゃ、どうにもならない、でも見たくない(笑)、こういうのを日和見というのでしょうか。しかし結局、ごまかしようがなくなってきました。すでに、世界は矛盾に満ちている、という現実から目を逸らさない、抜本的に変えないとどうにもならない、というのが革命ということだと思います。
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全学連を先頭とした開会式実力粉砕の闘いは開会式を直撃し、蹂躙しつくした。(新国立競技場前 外苑西通り 7・23)

21世紀の革命とは
 もちろん、前世紀の革命と、21世紀の革命は、そのやり方は、当然変わってくるでしょう。これだけGAFAなどをはじめとするデジタル支配体制に国家権力も与して、ほぼ完成された監視・支配体制が地球を覆ってしまいそうな近未来SFが現実となったような現在、いかなる抵抗も、そもそも抵抗の発想も、支配されているのだから、覆しようがないだろう、という諦めの境地の批判体質も蔓延していると思います。
 なので、逆に発想を根本的に異なるものにしなければならない。ラディカルとは根源的という意味でもありますが、革命の話を意識してしなければならない、と思います。戦争にしても、原発事故にしても、温暖化にしても、それは自然現象ではなく私たちの消極的・受動的選択の結果です。
 それに、この今の熱波、豪雨などの異常な気象災害の発生はなんでしょう。このところ毎年、数十年に一度の規模の大災害が発生し続けています。生きていけないほど地球が破壊されている、人類のシステムが破壊し続けている、ということです。このままだと、今世紀末までに気温は4・4度上昇するそうです。未来を生きる若い人たちには切羽詰まった問題です。
 いや、少しずつ変えていくしかない、とも言われます。しかし、現実には、この30年は少しずつ確実に悪くなっていないでしょうか。もう待ったなしではないですか。
 権力が独占している軍隊を解体し、一方通行のデジタル体制を双方向・全方向的に解放し、ごく少数の人たちに社会の富を独占させるのではなく、それを解放し、皆で、豊かになる世界は可能である、これを確信し、前に進みましょう。
 私たちが絶対的多数であり、コロナで注目されたようにエッセンシャルワークをする人がいなければ世の中は回らない以上、一人ひとりの現場に革命の可能性が存在します。
 先にも話しましたが、コロナの中のオリンピック、これに反対した声のこれまでにない高まり、ここに私たちの中のラディカルな力の自覚性が確認できます。自分たちの力を自覚して、力関係を変えていきましょう。みんなで力を合わせてやる、ということですが、皆でやる、ということは当然、自分もやる、ということです。
 諦めない、ということは、すごく大変なことです。けれど、私たちは一人ではない。皆で、乗り越えましょう!