> つぎの日、なぜかはわからないが、プロデューサーが
> ウィルソンからボブ・ジョンストンに替わり、その後
> ウィルソンがディランのプロデュースに関わることは
> なかった。
ボブ・ディラン 『ザ・カッティング・エッジ1965-1966 (ブートレッグ・シリーズ第12集)』 発売!!
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/BobDylan/Bootleg/from_al_kooper/
コロムビア・レコードの黒人音楽プロデューサー、トム・
ウィルソンがボブ・ディランの担当を外される原因になった
のが、有名な「ライク・ア・ローリング・ストーン」の
セッションで、どうもそのきっかけを作ってしまった
らしいのが、トムが、友人として、好意で、“見学に
招いた”アル・クーパー(の野心、出世欲)であるらしい、
という話。
Tom Wilson (record producer) - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Wilson_(record_producer)
しかしその後もウィルソンはクーパーのバンド、ブルース・
プロジェクトのプロデュースをしているので、その遺恨で
縁切れになったわけではないのは確かだ。
> ウィルソンからジョンソンに交代した理由については、
> 今日に至るまで明らかにされていない。常に世間を煙に
> 巻いてきたディランは、1969年にローリングストーン
> 誌にこう語っている。「昔は現場に行くと、そこには
> 必ずトムがいた。ずっとそれが続くと思ってたけど、
> ある日スタジオでふと顔を上げてみると、そこにいた
> のはボブだった」
ボブ・ディラン『ナッシュヴィル・スカイライン』知られざる10の事実 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/30626
そもそもディランの「サブタレニアン・ホームシック・
ブルース」からのバンド・サウンド導入はウィルソンが
積極的にディランを説得した結果であるそうな。それを
訊かれてディランは否定していない。
ウィルソン更迭はディランのマネージャーのアルバート・
グロスマンとウィルソンとが揉めた、という説があった
けど、どうやらアル・クーパーの証言内容の信憑性が
高そうなことから、スタジオでのやり取りに「ディラン
自身が」不満を(グロスマンに向けて)叩け、その結果
グロスマンがディランの意向ということから持ち前の
強面でコロムビアに担当交代を要求した or ウィルソン
に直接解任を言い渡した、と見るのが一番自然な気が
する。
たぶん、ディランはインタビューの質問にはとぼけて
いるのだ。60年代のディランは“韜晦”の人だから。
ただしこれはミュージシャンの面前では行われなかった。
トム・ウィルソンはディランのセッションでサイモンと
ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」に
ダビングを施すためのバンド・サウンドを創案した人で、
ポール・サイモンのキャリアの窮地を救った人。
洋楽天国 ボブ・ディランのチョット面白い話その2
http://yogakutengoku.blog135.fc2.com/blog-entry-2786.html
「サウンド・オブ・サイレンス」はシングル化前に、ボストンの
インテリ大学生の間で評判になったらしい、というのはなるほど
な話。名プロデューサーらしく、未だ実体を成さない、気配の
ようなものを目ざとく見つけ、それを適宜適切な方法で具体化
する術に長けているのがわかる。
だからロックの時代には斬新な成功を数多く収めているわけ
だけど、この一件が直接の理由なのかどうか、コロンビア・
レコード自体を辞めてしまうことになる。
トム・ウィルソンが辞めた後のサイモンとガーファンクルは
ウィルソンの下で仕事をしていたロイ・ハリーがエンジニア、
プロデュースはディラン担当の後釜、ボブ・ジョンストンが
担当することになる。
ロイ・ハリー・インタビュー(インタビュアー:ピーター・ドジェット)
http://www.sandgforum.jp/contents/trans/royhalee_interview.htm
その後ウィルソンはMGM/ヴァーヴで
フランク・ザッパ/マザーズ・オブ・インヴェンション、
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ、
ソフト・マシーン、とアヴァンギャルドな評判作を次々と
成功させるのだが、・・・本当であれば大手でコマーシ
ャルな作品の中に一ひねりを加える役回りの方が大きな
成功を果たせたアイディアマン型ではないかと思うと
やや残念である。
例えば、ローラ・ニーロの担当はウィルソンのような人が
やった方が面白かったんではないかと思うのだ。ロイ・
ハリーが『ニューヨーク・テンダベリー』をプロデュース
したのだから、その可能性は高かったに違いない。
そうすればローラにも、シングル・ヒットの1曲くらいは
生まれただろうと想像できる。
> ウィルソンからボブ・ジョンストンに替わり、その後
> ウィルソンがディランのプロデュースに関わることは
> なかった。
ボブ・ディラン 『ザ・カッティング・エッジ1965-1966 (ブートレッグ・シリーズ第12集)』 発売!!
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/BobDylan/Bootleg/from_al_kooper/
コロムビア・レコードの黒人音楽プロデューサー、トム・
ウィルソンがボブ・ディランの担当を外される原因になった
のが、有名な「ライク・ア・ローリング・ストーン」の
セッションで、どうもそのきっかけを作ってしまった
らしいのが、トムが、友人として、好意で、“見学に
招いた”アル・クーパー(の野心、出世欲)であるらしい、
という話。
Tom Wilson (record producer) - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Wilson_(record_producer)
しかしその後もウィルソンはクーパーのバンド、ブルース・
プロジェクトのプロデュースをしているので、その遺恨で
縁切れになったわけではないのは確かだ。
> ウィルソンからジョンソンに交代した理由については、
> 今日に至るまで明らかにされていない。常に世間を煙に
> 巻いてきたディランは、1969年にローリングストーン
> 誌にこう語っている。「昔は現場に行くと、そこには
> 必ずトムがいた。ずっとそれが続くと思ってたけど、
> ある日スタジオでふと顔を上げてみると、そこにいた
> のはボブだった」
ボブ・ディラン『ナッシュヴィル・スカイライン』知られざる10の事実 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/30626
そもそもディランの「サブタレニアン・ホームシック・
ブルース」からのバンド・サウンド導入はウィルソンが
積極的にディランを説得した結果であるそうな。それを
訊かれてディランは否定していない。
ウィルソン更迭はディランのマネージャーのアルバート・
グロスマンとウィルソンとが揉めた、という説があった
けど、どうやらアル・クーパーの証言内容の信憑性が
高そうなことから、スタジオでのやり取りに「ディラン
自身が」不満を(グロスマンに向けて)叩け、その結果
グロスマンがディランの意向ということから持ち前の
強面でコロムビアに担当交代を要求した or ウィルソン
に直接解任を言い渡した、と見るのが一番自然な気が
する。
たぶん、ディランはインタビューの質問にはとぼけて
いるのだ。60年代のディランは“韜晦”の人だから。
ただしこれはミュージシャンの面前では行われなかった。
トム・ウィルソンはディランのセッションでサイモンと
ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」に
ダビングを施すためのバンド・サウンドを創案した人で、
ポール・サイモンのキャリアの窮地を救った人。
洋楽天国 ボブ・ディランのチョット面白い話その2
http://yogakutengoku.blog135.fc2.com/blog-entry-2786.html
「サウンド・オブ・サイレンス」はシングル化前に、ボストンの
インテリ大学生の間で評判になったらしい、というのはなるほど
な話。名プロデューサーらしく、未だ実体を成さない、気配の
ようなものを目ざとく見つけ、それを適宜適切な方法で具体化
する術に長けているのがわかる。
だからロックの時代には斬新な成功を数多く収めているわけ
だけど、この一件が直接の理由なのかどうか、コロンビア・
レコード自体を辞めてしまうことになる。
トム・ウィルソンが辞めた後のサイモンとガーファンクルは
ウィルソンの下で仕事をしていたロイ・ハリーがエンジニア、
プロデュースはディラン担当の後釜、ボブ・ジョンストンが
担当することになる。
ロイ・ハリー・インタビュー(インタビュアー:ピーター・ドジェット)
http://www.sandgforum.jp/contents/trans/royhalee_interview.htm
その後ウィルソンはMGM/ヴァーヴで
フランク・ザッパ/マザーズ・オブ・インヴェンション、
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ、
ソフト・マシーン、とアヴァンギャルドな評判作を次々と
成功させるのだが、・・・本当であれば大手でコマーシ
ャルな作品の中に一ひねりを加える役回りの方が大きな
成功を果たせたアイディアマン型ではないかと思うと
やや残念である。
例えば、ローラ・ニーロの担当はウィルソンのような人が
やった方が面白かったんではないかと思うのだ。ロイ・
ハリーが『ニューヨーク・テンダベリー』をプロデュース
したのだから、その可能性は高かったに違いない。
そうすればローラにも、シングル・ヒットの1曲くらいは
生まれただろうと想像できる。