2009年03月01日

アニメ夜話の「アニペディア」とかそれにまつわるエトセトラ

 「BSアニメ夜話」第12弾も無事終わったようですね。僕はまだ放送は見ていませんが。このエントリではちょっと僕のコーナーである「アニペディア」について少々雑談をしたいと思います。

 「アニメ夜話」第8弾から始まったアニペディアですが、当然ながら企画段階ではああいうコーナーではありませんでした。
 記憶を頼りに書きますが、「『アニメ夜話』も長くなったので、一部リニューアルをしたい」という趣旨で連絡をもらい、こちらからコーナーのアイデアを二つ出しました。
 一つは、そのアニメが放送された年の前後を紹介して、その作品のアニメ史的なポジションを語るというもの。もう一つは、制作者のインタビューなどを引いて、解説するというもの。
 個人的には前者は本命、後者は当て馬(笑)でした。というのも、やはりインタビューには作り手がどこまで本当のことをしゃべっているかどうかがわからないこと。制作者の言葉をありたがり過ぎると落とし穴がありますので。
 こういってはなんですが極論すれば「作品を語る」だけなら作り手の言葉は不要なはずなんです。でも「メイキングの記録」という側面と、「商業的要請」(ファンは作り手の発言を好む傾向にある)があり、ネットを見ていても、やっぱり制作者インタビューが読みたいという声が多いように見受けられますが、その気持ちはわかりつつ、それが万能あるいは正解であるということもまた虚妄である、という余裕を持った目線で読むことが大事だなとは思います。

 これはつまりいいインタビュー記事は、このあたりの誤差が少ない(でも誤差はかならず「ある」わけですが)ということはいえそうです。まあ、なかには、インタビュアーが猛烈に話を誘導して、インタビューイに「言ってほしいこと言わせようとする人」もいるようですが。僕は新聞記者出身なので、原稿チェックはないほうが理想的な状況と考える立場ですが(現実的に受け入れるかどうかは別問題)、そういう乱暴なまとめを平気でやる人がいるという話を聞くと、話をする側のガードもそれは上がるよなぁとは思います。やれやれ。

 余談はさておき、ともかくその二つのアイデアのうち、結局通りのいい後者が一旦採用され(採用したのは制作会社のアマゾン)、さらにNHKサイドからダメ出しが出て、「仮説をたてて証明するというギミックでなにかできないか」なんて言われたりして、「それはさすがにできません」というやりとりをして、その結果、今の形になんとなく収まった、というのが「アニペディア」なわけです。
 「アニペディア」という、エンサイクロペディアをもじったタイトルは、「仮説とその証明をやるときに、キーワードを出して読み解くというスタイルをとる」というこの時のアイデアの名残です。そういう意味ではもはやタイトルに全然意味がなくなっちゃってますが。

 とにもかくにも「アニペディア」第1回となった『母をたずねて三千里』では、宮崎駿監督の言葉を拾って無事終了となりました。いちおうこの回をアーキタイプとして、その後続いていくわけですが、第11弾の『ガンバの冒険』の時は、紹介する本編映像が長くなったせいもあって、「アニペディア」のポイントである「制作者の言葉の引用をカットする」という珍妙な顛末となり、「アニメマエストロ」とあまり変わらない内容になってしまう、ということとなりました。こちらとしては、せめて最初に立てたコンセプトぐらいは守りたかったんですがね、「なしでいい」と言われちゃうと困っちゃいますね。

 あと「アニペディア」は、司会の加藤夏希さんとのやりとりで進行する、というのも一つのポイントです。視聴者代表的ポジションにある加藤さんに説明するということが、説明できることの天井を自動的に決めているわけです。これは第9弾の『銀河鉄道の夜』の時に実感しました。こちらが用意した言いたいことが、話し言葉でコンパクトにいおうとすると非常にわかりにくいこと(でも、適切な紙幅を与えられた原稿であれば、そんなにわかりにくくはないはずの内容)だったために、自然なやりとりで進行するのがかなり難しかったのです。これはべつに加藤さんがどうこうではなく、放送向き&対話形式に向いている内容と、活字に向いている内容に差があって、『銀河鉄道〜』の時は、活字向けのネタをやるしかコーナーを支える題材を見つけられなかった、ということなわけです。
 というわけで『銀河鉄道〜』の時は、どういう質問をして、どう答えるかというレベルで台本通りに進行したのでした。台本決定に至るまで、丁寧にやりとりをしてくれたディレクター氏が、ぜんぜんうまくいかなかったリハの後に、「この台本、結構デリケートにできてるんだよ」と再度打合せをしてくれたおかげでなんとか着地できたのでした。
 あと『今日からマ王』(最新シーズン放送開始に合わせたセレクト)の時は、女性に人気のあるアニメの歴史にしましょう、ということで、これも制作者の言葉は拾わず、ある意味一番アニメ史寄りの内容で、思えばこちらが出した最初のアイデアに一番近かった(近くなってしまった)回かも。

 あと毎回のパターンですが、「アニペディア」は1シーズン1回登場、かつ公開収録はなし、という“縛り”があるようで、それを踏まえた上で、「こっちをお願いしたいんですが、どっちがいいですか?」という、残った作品の二者択一(やや誘導あり)で担当する作品が決まってます。その時点では、僕もリサーチはゼロですから、勘でネタがありそうなものを選んで、それから話すネタを考えるのです。
 完全に自分の意見なら楽なんですが、関係者の発言を拾うというところが大きな縛りになるので大変は大変です。特にアニメ誌登場以前の作品はソースが限られるので難しいです。
 ちなみに僕は、「アニメ夜話でどんな作品を取り上げたいですか」と聞かれたことはほとんどないです。雑談的に振られたことはあるかもしれないけど、ラインナップの相談ということは一度もない。そういう意味では、完全に受け身ですね。決められたタイトルについてアイデアを出す、という姿勢です。

 ことほどさような状況で作られているものですが、いちおうアニメ評論家としてクレジットされていますが、あのコーナーがさほど評論的なコーナーと思っているわけではないです。誰もが安心できる、その作品しか興味のない一見さんにとって優しい、微温的な解説コーナーというところでしょうか。
 これは決してネガティブな意味ではなく、娯楽番組(ここ重要)で「ちょっと得したな」と思ってもらうためのギミックとして召還されているのですから、そのようなものでしょう。

 忘れられがちなことですが、アニメについて語る、ということの環境は現状、決して豊かとはいえません。
 たとえばわかりやすい例をあげると一般週刊誌に漫画のレビューコーナーはあり、TV番組を語るコーナーもあるけど、アニメを語るコーナーはない。なぜかといえばアニメは、マニアックなもの、専門的なものという位置づけだからですね。
 じゃあ専門誌であるアニメ誌はどうかといえば、もう20年近く、10代のファン向けにグラビア中心の誌面を作ることを中心に据えているので、アニメを語る媒体かというと、ちょっとあやしい。
 紹介でも、レビューでもなく、アニメについて考える原稿を書くには、そういうもののいろんな隙間を探して(隙間もないではない)いく必要があるわけです。そして今はそういう場所を探して耕していくフェイズだととらえています。

 あと、アニメーションを語るということについては今村太平から始まって森卓也、おかだえみこといった方々の系譜があるわけだけど、こと「アニメ」となると、そうはなってない。
 こうやって振り返ると、80年前後の1次アニメブームの時には、雑誌レベルでは散発的にあったけれど、ライターの言葉がいわゆる書籍のかたちになったのは『アニメ大好き!』(徳間書店)というのはかなり珍しいものだったとわかります。
 '90年代の半ばを過ぎて、やや環境は変わりつつはあるともいえますが、先述のように、原稿発表の場所はそれほど増えているわけでもないので、もうちょっと住みやすい世界にしたいなぁと思っているわけです。
 
 世間でなにやらアニメがもてはやされたりしているので、あまり通じないんですが、たとえばよく並べられる漫画の世界と比べるとはっきりすると思います。アニメの世界はかなり狭い、小さいんです。
 「放送本数が多い」といわれているアニメですが、漫画雑誌に連載されている漫画の数に比べたらはるかに少ない。一般論的に言ってアニメだとDVDが1万枚売れれば、ヒット作と呼んでも差し支えがないぐらいの状況ですが、これは漫画のヒットの基準からいえば、一桁違うといってもいい。
 そもそもアニメファンの数は、といってファンの数を推定可能な時点でアニメの世界の狭さを現しているといえるでしょう。「漫画ファンの数」が計測可能がどうかを考えたとき、すそ野が広すぎて、アニメファンのように推定することができないということが想像できるでしょう。ちなみにアニメファン数を推測するときの一つの基準が「アニメDVDを購入する人」というものですが、これを「漫画単行本を購入する人」と置き換えてみれば、アニメと漫画のスケールの違いが実感できるはずです。

 こうした外部状況から考えて、基本的に消費されることで自立しうる大衆芸術たるアニメを、言葉でつかまえることのインフラもソフトウェアも、まだまだ熟していないと僕は考えています。熟すまで、うまくいっても10年、20年はかかるんではないか。そんなに一足飛びにはいかないと思っています。

 だから「アニペディア」に出たりするのは、道化のつもりなんです。別に僕が本物の評論家であるかどうかなんてのはどうでもいい。道化がいることで、アニメを言葉で捕まえるジャンルのインフラが整う可能性があるならやりましょう、ということです。

 全然売れなかった「『アニメ評論家』宣言」にも似たことを書いたんですけど(だからそのあたりを全然読んでいない人に、肩書きを揶揄されたりすると、面倒くさくて困ったなぁと思います)、ライターの田村章氏が言っている通り、僕は基本的にライターという名の、スタジオミュージシャンのつもりです。
 でも時々、普段よりもうちょっと自分を出した原稿を書きたいときがあって、かつ、そういう原稿が世の中にいろいろある世の中のほうがおもしろいと思っている。だからあえて「評論家」の肩書きを使っているわけです。そのほうがインフラ整備に役立つとし、自分が書きたいタイプの原稿を書くチャンスが増えるからと思ってるわけですね。

 ちょっと話が「アニペディア」からずれちゃいましたが、まあ、そんなことを考えながらあそこに出ている、というわけです。
 ちなみに毎回変わったアロハを着ていますが、あれはスタイリストさんが既製品を探し、それななければ布を探して縫ったりして用意してくれているものです。どんな柄がやってくるかは非常に楽しみです。まあ、『ガンバ』の時のアロハにピ●サー某作のネズミが縫いつけられていた時は、その手間と熱意がわかるだけに「ちょっと困ったな」とは思いましたが(笑)。

personap21 at 04:37│TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 仕事 

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