2011年04月11日

日本語版Wikipediaのコンピュータ関連語は問題が多い

 前回のJane Smileyの「Atanasoff伝」に関連し、今日の世の中はAtanasoffのABCをどの様に考えているのだろうかと思い、普段はあまり見ることの無いWikipediaを見てみた。(「ABC コンピュータ」で検索)


<「Computing Device」と「Computer」は別物>

 最初に驚いたのは、この項の日本語版の始まりが、
・「アタナソフ&ベリー・コンピュータ(Atanasoff-Berry Computer)は、世界最初のデジタル電子計算機(コンピュータ)」
となっていることで、「冗談がきついな」と思いながら英語版にSwitchすると
・「The Atanasoff–Berry Computer (ABC) was the first electronic digital computing device.」
となっており、英語版で「computing device」と書いてあるものを、わざわざ日本語版では「コンピュータ」と変更しているのである。 

 Computing Deviceというのは、手回し式の卓上計算機とか、パンチカード・システムなどのような、プログラムできない計算装置のことを指し、一方、プログラム可能なcomputerのことは「General Purpose Computer(汎用コンピュータ)」などと呼び、簡略的に、Computerと呼んでいるのである。
 英語版Wikipedeiaに於いては、「Computing Device」と「Computer」は明確に区別して使っており、「ABC」に関しては、参考に示すように、関連の項目内での使用を含めて「Computing Device」で統一され、「Computer」などとは呼んでいないのである。
 ところが、日本語版に於いては、英語版で「Computing Device」と記述されているものを、「コンピュータ」に変えているわけで、困った事である。


<根拠のない捏造記述は大問題>

 この項の日本語版の記述は、構成的にも、英語版にある小見出しが取り払われ、内容的にも英語版の「つまみ食い」的翻訳のような感じで、英語版とは違うもののように感じる。

 そして更に内容的に問題だと思うのは、日本語版の後ろのほうに、
・ 「歴史家は今ではアタナソフ&ベリー・コンピュータが世界初のコンピュータであると言っている。」
といった断定が挿入されているが、英語版には全くこのような文章は見当たらないのである。

 敢えて、英語版の中で対応しそうな部分を探すと、「特許論争」という小見出しのセクションに以下のような記述があるのである。

Campbell-Kelly and Aspray conclude:
  The extent to which Mauchly drew on Atanasoff's ideas remains unknown, and the evidence is massive and conflicting. The ABC was quite modest technology, and it was not fully implemented. At the very least we can infer that Mauchly saw the potential significance of the ABC and that this may have led him to propose a similar, electronic solution.

 (参考訳) 「MauchlyがAtanasoffのアイディアをどの程度引き出したのかは未だに不明である、証拠は山ほどあって相互に矛盾している。ABCは極普通の大きさのテクノロジであり、(機能も)完全実現されてはいない。我々が最小限推定できることは、MauchlyはABCの潜在的重要性を理解し、そのことが、彼をして似たような電子的ソリューションの提案に導いたのであろう、といったことである。」

 つまり、米国の著名なコンピュータ史家であるCampbell-KellyやAsprayは「ABCが世界初のコンピュータである」などとは全く言っていないし、逆に、「(機能も)完全実現されてはいない」と否定的な表現をしているのである。

 となると、日本語版のいう「歴史家」が何処の誰なのかはぜひとも明確にしてほしいものであり、明確に出来なければ捏造表現ということになるのであろう。

 「ABC」は技術的観点からは明らかに「Computing Device」という事であり、国際常識的にも英語版Wikipediaで記述されているように「Computing Device」ということで、「computer」とは言わないというのが常識である。

 まあ、技術的観点を無視して、ABCが「最初のコンピュータである」と主張するのは、米国での法制度遵守の観点から連邦地裁の判決を遵守せざるを得ない法律家の類とか、地元IowaのAtanasoff崇拝者、といった一部の人達で、そのほかに付け加えるなら、日本語版Wikipediaの記述を鵜呑みにした人達、あるいは、周回遅れで、Mollenhoff などのIowa Patriotsの著作を読み、技術的検証ができないため、それを真に受ける、技術判断のできない人達、などであろう。

 

<「日本の常識=世界の非常識」への道>
 
 要するに、「ABCコンピュータ」に関する日本語版Wikipediaは、罪作りな記述で、根拠の明示もなく、敢えて英語版と異なる記述を行っており、その事が、日本語読者を、世界の常識とはかけ離れた、可笑しな誤理解に導くわけで、困ったものとしか言いようがないのである。
 
 こうした、英語版とは異なる構成・記述をとる日本語版Wikipediaの項目の唯我独尊的誤り問題は、今回の「ABC」に限らず、「Computer」「Supercomputer」などといった共通項目でも見られるし、日本語版だけにある「スーパーコンピュータ技術史」とか「スーパーコンピュータ産業史」といったような項目にも見られるもので、日本語版Wikipediaを信じた人達は、「日本の常識=世界の非常識」に陥っている可能性が大であることを指摘しておきたい。

 IT関連語に関して英語版の記述は、完璧ではないが、英語を母国語とする、米国、カナダ、イギリス、オーストラリアなど、IT先進国の人達による「淘汰」を経て来た記述であり、出典、参考文献等もかなりあり、それなりに重みのある記述なのである。
 英語版に不都合があるのなら、英語版の修正を求めるべきで、日本語版のみに独自で勝手な記述をする事は、Wikipedia設立の精神に反すると思うのである。

    
    
    
<参考: 関連項目の中での「ABC Computer」>

-「Computer」の項

・英語版
「The Atanasoff–Berry Computer (ABC) was among the first electronic digital binary computing devices.」
・日本語版
「1942年 ジョン・アタナソフとクリフォード・ベリーが電子素子を使って演算処理をする世界初の機械 ABCを作成」

 
-「ENIAC」の項

・英語版
「The American Atanasoff–Berry Computer (ABC) (shown working in summer 1941) was the first electronic computing device.」
・日本語版
「例えば1939年に試作機が完成、稼働した「アタナソフ&ベリー・コンピュータ」を世界最初のコンピュータとする考え方が今では主流である。1973年10月19日のミネアポリス連邦地方裁判所の判決[1]は、ジョン・アタナソフとベリーが1939-1942年の間に、アイオワ州立大学において、最初の電子式デジタルコンピュータ(the first electronic digital computer)を作ったと明確に述べている。」

 

  

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2011年04月09日

Jane Smiley著  The man who invented the computer

The man who invented the computer:The biography of John Atanasoff, Digital Pioneer. By Jane Smiley, Oct. 2010, Doubleday.

 小説家でありノンフィクション作家でもあるJane Smileyが昨年10月に出版した上記の本に関連し、今年の1月に彼女はComputer History MuseumのJohn Hollarと対談を行っており、最近、偶然に、そのVideoを目にし、思わず、その1時間半ほどの対談を最後まで見てしまった。
 Smileyは1992年に「Pulitzer Prize for Fiction」を受賞した作家。技術系に関しては門外漢で「Binary Computationがどんなものかくらいは知ってるが、それ以上を知りたいとは思わない」などとシャーシャーと答えていて、なんとも憎めないおばさんである。

 この本はDoubledayの「American Inventors」とか言うシリーズのなかの1冊で、本来は、1970年にノーベル平和賞を受賞した「Norman Borlang」の伝記を書くことになっていたが、興味が無く、編集者に「誰がコンピュータを発明したのか知っているか?」と聞いたところ、「知らない」とのことだったので、この内容に決まり、題名は出版社がつけたと語っている。

 本の題名にAtanasoffの名前を見るのは久しぶりである。Smileyがしゃべっていた内容は「先刻承知」のことではあったが、このおばさんが「見てきたように」、Zuse、Turing、Tomy Flowers、von Neumann、Goldstine、Mauchly、EckertとかColossas、Z4、ENIACとかの話をするのを聞いていると、それはそれでなんとも面白い感じではあった。

 彼女の意図は「誰が最初か」といったようなことではなく、「まるで別々の映画館で上映されている、イギリスでのColosus、ドイツでのZuse、アメリカでのvon Neumann、Atanasoffなどといった4つの映画を見ているようで、その登場人物のCharacterが大変面白かった」といった主旨の発言をしており、技術的内容というより、小説家視点での人間観察に主眼がある本だと思うと、なんとなく肩肘張った議論をしても無駄なように思えてくる。


<AtanasoffのABC>

 AtanasoffのABCは29元連立1次方程式を解くための道具として考えられたもので、当時の計算機械としてのIBMのパンチカード・システムの改良を狙ったものである。
 29元連立1次方程式を、Gaussの消去法で解こうというもので、今日のHPC的にはLinpack計算を目標にしていたといってよい。
 システム的には、前後2行の係数をパンチカードから読み込み、DRUMメモリにいれ、その2行から変数を1つ消去する、という部分のみが機械化された部分で、消去した結果はパンチカードに出力し、次の変数消去の入力に使用する、といったもので、このオペレーションを繰り返すことで連立方程式を解いてゆくものである。
 自動化されたのは2行の係数引き算の処理部分で、次の行のオペレーションのためのSetupは人手で行うのである。

 これを今日的汎用コンピュータというのか、という素朴な疑問は、極めて健康な反応で、「Computer」ではなく、せいぜい英語版Wikipediaが採用している「Computing Device」といった表現が適切なのではないかと思えるのである。
 
 演算速度的にも、確かに論理演算回路には真空管を使ってはいたが、タイミングや制御系はreleyを使用していたり、係数用のMemoryは、交流周波数に同期して回転するDRUMにCapaciterをデータ長(50bit?)分だけ源氏車にように差し、それを並列方向に30パラメタ分だけ広げたもので、1回転で1データ分読出せるもので、読出し速度は、余り記憶が定かではないが、1回転1秒1データであったように記憶している。 
 従って、演算速度は、論理演算処理の部分は真空管の速度であるが、メモリの読出し等々は機械式で、演算全体としての速度は機械式ということになり、完全作動したとしても、当時の最新のパンチカード・システムより遅かったのではないかと思う。

 電子回路技術的には、Atanasoffは、既に1919年頃に発明されていたFlip-Flop回路を知らなかったようで、クロックの生成やパルス同期、Flip-Flopメモリの構成など、電子回路の基本を身につけておらず、内部制御に必要なCounterやBuffer、Register類を電子的には構成できず、超低速なDRUMメモリやReleyのご厄介になったわけで、電子式回路技術としては極めて不完全なものといえるのである。

 これに対し、ENIACは、Flip-Flopを基本にして、クロック生成や同期、Flip-Flopメモリを使った、Counter,Buffer,Registerなどと、完全に電子回路のみで基本システムが構成されており、電子回路の速度ですべての演算が行われており、電子技術的にはABCとは桁違いに完成された技術と評価できるものである。
 また、プログラマブルなENIACの、アーキテクチャを含む構成は、単機能なABCとは全く異なり、基本的に比較の対象にはならない。

 Arthe BurksはABCのことを「First Electronic Computer」、ENIACのことは「First Electronic General Purpose Computer」と呼んで、Computerの定義をかなり低く設定し、「General Purpose」で定義を高くすることで、連邦地裁の政治的判決と専門家の間の技術的常識の両方のメンツを立てている。
 しかし、一般人にとっては、「Computer」と「General Purpose Computer」が違うものなどというのは、日常用語上「紛らわしい」ことで、やはり、ABCは「Computing Device」程度のものと表現するのが実体にも即していて妥当であろう。


<ENIAC Patent 裁判>

 ENIACのPatent申請書は200ページ越える大著で、「ENIAC Patent」裁判は、単純にEngineering factに黒白をつけた裁判というより、大企業の金銭的思惑が重層的に渦巻いていた複雑な裁判で、そのPatent破りに持ち出されたのが、忘却の彼方にあったAtanasoffのABCであったわけである。
 訴えたのはPatentを保持していたSperryで、特許侵害と特許料の支払いを求め、Honeywellを訴えたもので、訴状はワシントンの連邦地裁に提出された。ところがHoneywellは逆にSperryを独禁法違反でミネソタのミネアポリスで逆提訴し、裁判所の受理発効時間からミネアポリスの連邦地裁で裁判が行われることになった。IBMが訴えられなかったのはIBMとSperryはcross license契約を結んでいたからである。
 
 率直なところ、田舎の連邦地裁が取扱うには荷が重すぎる内容の裁判で、勢い、Engineering factの追及より、証人の顔色を読む人間系の裁判のような展開になり、Maucklyに焦点を当てた人間系の裁判は、現実の技術的側面は捨象され、Patent申請時期が遅すぎたことなども理由となり、結局Sperryは敗訴したのであるが、当時から専門家の間では「間違い判決」というのが一般的評価であった。
 そして、この裁判には巨額の金が使われ、控訴審では更なる資金が必要になるのに、勝訴による金銭的見返りは少ないと判断したSperryは、控訴を断念、その結果、この地方裁判所の判決が国の判決として確定してしまい、米国においては「法的にはABCが最初のコンピュータ」という事になっているわけである。
 従って、米国では「法的な最初のコンピュータ」と「技術的学問的最初のコンピュータ」の2つが存在するということで、「ENIACが最初のコンピュータ」などと言うと、ABC側から「法的に訴えられかねない」といったヘンテコな状況になってしまっているのである。


<Iowa Patriot>

 しかし、判決後も一般的には「ENIACが最初のコンピュータ」というのが世の中の大勢で、このことに我慢が出来ない、IowaのPatriotが、判決と人間観察視点をテコに、強烈なAtanasoff支持の本を出版する事になるのである。
 それが1980年のClark Mollenhoffの「Fogotton Farther of the computer」(邦訳「エニアック神話の崩れた日」)である。MollenhoffはPulitzer賞受賞のバリバリのIowaのジャーナリストであり、徹底的にMauckly証言の矛盾を叩いている。

 逆に、ENIACを支持する側からの本の代表は、WSJ紙のScott McCartneyの「ENIAC: The Triumphs and Tragedies of the World's First Computer」である。彼はWSJが暗示するように人間系より企業系で、Eniac裁判をHoneywell vs Sperryの企業間闘争と見ており、さらに、ENIAC後継のEDVACにおいてEckertとMaucklyは「von Neumannに発明者としての名誉を盗まれた」といった論点を展開しているのである。

 小説家のSmileyが何故Mollenhoffの2番煎じのAtanasoffなのか理解出来なかったが、実は彼女はUniversity of IowaでPh.Dを得た人で、更にはAtanasoffがABCを作成したIow State Univ.で長いこと教鞭をとっている事を知るに及んで、瞬時にすべて納得できた。田舎Iowaの「おらが郷土の大先輩」のために一肌脱いだということなのであろう。

 今回のSmileyの著作には新しい発見・発掘があるといったわけではなく、逆に、かなりの数の事実認識の間違いが指摘されており、芳しい評価を得ているとは思えない。
 対談の最後の方で、Hollarに促されSmileyは自著の最後の方に書いている部分を朗読しているが、その中で、von NeumannはScott McCartneyからは「泥棒」呼ばわりされ、逆にNormann Macraeなどからは「visionary」などといわれているが、「von Neumannには、彼自身は誰がコンピュータの発明者だと考えているのかを聞いてみたい」という辺りは、結構witに富んだ人の様に思えるが、本書に関する限り、Iowa Patriotの変形ということなのであろうと思う。

 

  
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2011年02月28日

NECとLenovoの合弁

 
***<追加:3・08・2011>***
 2011年3月3日、IBMはLenovoの株式約4億3600万株(出資比率で4.3%)を$265M(約217億円、Y$82)で、すべて売却した模様。IBMは2005年にパソコン事業をLenovoに売却した際、キャッシュのほかにLenovoの株15%を取得していたが、IBMは当該株式を少しづつ売却していたようで、今回の4.3%で全て売却という事らしい。
 LenovoはIBMと手がきれたわけで、中国でのサーバー市場でのIBMとの共生棲み分けは必要がなくなったのかも知れず、IBMに代わって新たに2%の株主になるNECにとってはチャンスになったかもしれない。
*********************


 直接的にはHPCと関係は無いが、後年のため業界の動きをメモしておきたい。


<NECの中国シフト>

 2011年2月25日にNECは、NEC液晶テクノロジー社と中国天馬微電子との資本提携の合意と、NEC液晶テクノの70%の株式を天馬の親会社である中国航空技術国際グループに譲渡すること、を発表した。
 一ヶ月前の1月27日には、国内PC事業に関して、Lenovoとの合弁会社設立の発表がなされており、この協業に関連し、2月9日には、同社プラットフォーム事業の成長の戦略説明会の中で、中国のサーバ市場でのLenovoとの協業が言及されていた。

 こうした一連の発表から見えてくるのは、NECの中国シフトであり、中国市場をテコに成長戦略を描いているように思えるのである。従って、先日の日本市場でのLenovoとのPC事業の合弁は、こうしたNECの中国シフトのコンテクストの中で見る必要があるのであろと思うが、どの様に展開してゆくのかに関しては、もう少し時間が必要であろう。


《NECとLenovoの合弁》

<売却のスキーム>

 2011年1月27日、NECはLenovoと新規に合弁持ち株会社を設立し、この持ち株会社の傘下に、NECのPC部門(NECパーソナルプロダクツ社のPC部門)を分離した新会社(NECパーソナルコンピュータ)と、既存のLenovo-Japanを収め、両社はそれぞれ独自に日本におけるPC事業を展開する、といった旨の発表を行った。
 持ち株比率はLenovo51%、NEC49%であるが、LenovoはLenovo本体の新株発行を行い、NECに約2%の株($175M相当、約147億円$Y84)を割当てるとのことである。

 ポイントは合弁会社の持ち株比率の51対49とLenovo本体の新株2%の割当てである。

 持ち株比率からこの合弁会社は明らかにLenovoの子会社ということであり、NECの意図には関わらず、この合弁はオブラートで包んだNECのPC部門の分離売却と見るべきなのであろう。
 
 その売却説を裏付けるのがLenovoが発行する新株で、NECはLenovoから2%($175M)の新株を割当てられるのである。
 NECの報道発表では「新規株$175Mを引き受ける」との表現になっているが、この「引き受ける」ということの実態は「株を入手するためにお金を払い込む」ということではなく、それとは真逆の、ただで「割当てられた株を」「もらう」ということなのである。  
 WSJでは、「Lenovoは$175Mの投資を行う」としており、外目には、LenovoはNECの国内でのPC事業の資産や権利の51%分を買収するために$175M(株で)支払うと見えているわけで、Lenovoの日本国内への投資と考えられているのである。

 更にその後の、香港証券取引所からの契約情報では、5年後の2016年以降、Lenovoは$275Mを上限として持ち株比率を100%に引きあげるオプションを有しているという報道もなされており、NECの意図とは関係なく、売却説が有力なのである。
 
 分離の方法が単純な売却とは異なり、いささか見えづらいが、本質は本体の負担軽減・PC事業の切り離しであり、NECの収益構造上、PC事業はprofitを産まなくなっているということで、長期的にはNEC本体の投資対象分野ではないという経営判断があるのであろう。 もし、今後ともProfitableなマーケットとの認識であれば合弁といったアクションは必要ないからである。
 これは以前、LenovoにPC部門を売却したIBMの経営判断と同じであり、NECのケースが異なるのは「売却の仕方」がソフトランディングであるといった点なのではないかと思う。
 
 IBMのケースは単純売却であったので、Lenovoは購入代金をキャッシュとLenovo株でIBMに支払い、全てを手に入れたわけである。 これに対し今回のNECのケースでは、合弁の持ち株会社に、NEC-PCとLenovo-Japanが現物出資され、それぞれの評価額を予定持ち株比率に割当て、残余の差額調整をLenovoの新株割当で行うというスキームなのではないかと思う。その結果が2%のLenovo株、約$175M、という事で、外目には、NECのPC事業51%分の売却代金がこの$175Mと考えられるわけである。

 このことは資産的に考えても、NECパーソナルプロダクツ社の資本金は188億円であり、Lenovo-Japanの資本金は3億円であるから、資本バランス的にはLenovo-Japanは無視できる程度のもので、逆にNECパーソナルプロダクツ社のかなりな部分であるPC事業部を分離するわけで、その資産価値を$175M(約147億円)程度と評価したと考えると、全体的にバランスするのではないかと思う。

 完全売却で無く合併という方式を選んだ理由の中には、国内顧客に対するブランドの責任、雇用を含む企業の社会的責務の問題等々、いろいろあろうかと思うが、財務・経営的には、PC事業51%分の売却ということになろうかと思う。

 しかし、NEC側から見れば、売却額はLenovo本体に丸々投資するわけであるから、WSJなどが見ている単純なLenovoの投資ではないわけで、結果は今後の事業展開にかかっているということは言うまでも無い。
 

<経営背景>

NECの連結決算の推移(単位百万円)
年度   2008年度   2009年度    2010(4-12)実績 2010年通年見通
売上げ  4,215,603 3,583,148    2,189,884     3,300,000
収益   -296,646   11,428     -53,573       15,000
 
 NECの連結決算の推移を見ると、2008年度は約3000億円の赤で、2009年度は何とか114億円の黒、そして今年度(2010-4~2011-3)は150億円の黒の予測であるが、2010-12月までの実績は535億円の赤字であるので、年度末に頑張って黒に持ち込みたいという予測であろうけれど、かなり、厳しい状況ではないかと思う。

 売上げ規模は、NECエレのルネサスとの合併分離などの影響があるが、以前は4兆を越えていたものが、2009、2010では3兆5千億から3兆3千億であるから、100億前後の黒であったとしても利益率は0.3-0.4%程度ということで、苦しい経営が続いていることは明らかである。

 こうした経営状況が、NECエレのルネサスとの合併分離(持ち株33.9%)、モバイル事業のカシオ日立との合併分離(持ち株70.7%)、海外PC事業の撤退、次世代スパコン開発からの撤退、といった一連の経営資源の選択と集中であったわけで、今回の国内PC事業のLenovoとの合併分離は、ある意味、既定の路線であったということであろう。


<HPC部門>

 先日、SX-10は2013年以降にとの報道があったようであるが、これは現在のSXユーザーへの後継機対応問題へのメッセージなのでは無いかと思える。2013年以降になれば、2012年で京速は終わり、撤退騒動のホトボリも冷め、また、海洋研機構のES2などのSX-9ユーザーのリース切れが2013-2014年頃であったと思うので、とりあえず、これらのユーザーに対するメッセージなのであろう。

 しかし、NECエレクトロニクス、モバイル部門、今回のPC部門などと次々と分離合併独立させている経営環境下では、大幅な収益が期待できないHPC分野への思い切った投資は難しいはずで、2013年以降になれば無条件で発表発売できるといったものではあるまい。経営視点からだけでなく、技術的にも、文科省の次世代スパコン開発での想定から、最低でも、更にもう1世代、つまり実質SX-11に、進めねばならないであろうから、そのギャップを埋めるのは容易ではないであろう。
 
 NECのサーバー事業の海外展開は今後の中国でのLenovoとの協業かにかかっているわけであるが、中国のサーバー市場での外国勢はIBM、HP、DellといったところがMajorで、LenovoはIBMとの棲み分けの問題があり、協業は結構問題山積なのではないかと思う。
 HPC事業がサーバーでの協業に含まれているのかどうかは定かで無いが、中国のHPC市場ではIBMが圧倒的であり、こちらも問題山積であろう。

 まーとにかく、本体の経営体力が早期に回復しなければ「2013年以降の<近いうち>」という話はきわめて難しいのではないかと思っている。

 

  
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2011年02月25日

2010決算 <Cray:$15Mの黒>、<SGI:$88.5Mの赤>

 どういうわけか、余りCrayとかSGIといったHPC関係の中堅企業の決算状況は注目されることが少ないように思うので、とりあえず、売上と利益の履歴をメモしておこうと思う。

<Cray>
 2011年2月16日、Cray Inc.は2010年度の決算を発表した。売上$319.4M(約268億円、$Y84)、利益$15.1M(約12.7億円)とのこと。Peter Ungaroが社長に就任したのは2005年3月なので、Ungaroにとっては就任5年にしてやっと黒字達成ということである。

Cray Inc.の決算履歴 (単位$M)

年度  2010   2009   2008   2007  2006   2005
売上  319.1  284.0   282.9  186.2  221.0  201.0  
利益    15.1  -0.6     -40.7   -5.7   -12.1   -64.3

 現在のCray Inc.はTera Computerが2000年にSGIのCray Divisionを買収し、自社名をCray Inc.に変更した会社である。x86CPUベースのスパコンが主体の今日のCray Inc.はブランド名を除くとVector機のCray Research Inc.(CRI)とは関係のない会社といってよいであろう。 

 そもそもSGIのCray Divisionは、SGIがHPC進出の足がかりとして、日本メーカーの進出で経営不振に陥ってしまったCRIを1996年に$750Mで買収したもので、SGIのAltix,NUMALinkなどはCRIから移ってきたEngineersによって開発されたものといわれている。しかしブランドの利用価値は低下し、SGIはCray Divisionを2000年にTera Comuterに$42.5M(当初は$35Mといわれていた)で売却してしまったわけである。

 因みにSGI自身はその後の2006年に民事再生法(連邦倒産法11項)の適用を受け、更に、2009年に再度民事再生法の適用を受け、Rackable Computerに資産を売り渡す事になってしまった。買ったRackableは、Tera ComputerのCrayの場合と同じ様に、自身の名称をSGIに変更し、SGIの名称は存続することになったわけである。

 さて、Crayの売上規模は、表には入れていないが2000年度が$118Mであったので、10年後の2010年で約3倍程度になっているが、利益は2000年以来、赤字基調が連綿と続いているようで、黒字になったのは2002年度の$5M、2003年度の$63Mの2回だけであり、逆に2004年には$207Mの大赤字の記録があったりで、2010年度のバランスシートには累積赤字$418Mが計上されている。

 2011年の見通しは、XE6が好調で、売上:$320M-$340M、収益:Profitable(黒字)、としている。

 
<SGI>
 SGIのFY(会計年度)は前年7月から当年6月までなので、2010年度の決算は2009年7月から2010年6月までで、2010年度決算は昨年8月に発表されている。2011年度の2Qまでの結果は2011年2月に発表されている。
 現SGIは、2009年にChapter11の再適用を受けた旧SGIをRackable Systemsが$42.5Mで買収し、自社の名称をSGIに変更したものである。RackableのFYはCYと同じであったが、買収後のSGIはFYを7月ー6月に変更したため、2009年度の決算はわかりにくくなっており、下記の表には数値を入れていない。

 現SGIの売上規模はRackable+旧SGIという事で増えてはいるが、収益も赤が合算された格好で、厳しい状況にある。しかし、FY2011の見通しは、合併効果が発揮され、売上$550M-$575M、収益はBreakevenに回復の見込み、と発表されており、事実FY2011/1Q2Q(2010/7-12)の中間結果は見通しに近い結果を達成している。

SGIの決算履歴 (単位$M)
      SGI     SGI     SGI/Rackable    Rackable
年度 2011-1Q2Q  2010      2009        2008    2007 
売上     290.4    403.7     ―        247.4   350.7
利益    -0.25    -88.5       ―        -54.2   -69.6



 何れにせよ、HPCに主力を置いた中堅企業のCray やSGIの決算状況は、売上規模的には500億円以下で、収益的にはBreakeven程度で、ルンルンの黒字会社というより、かなり低空飛行で、どちらかというと赤字基調の、厳しい経営を強いられているらしいことが判る。

  
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2011年01月17日

Intelの2010決算とNVIDIAとのCross License、及び、AMD Dirk Meyerの辞任

<Intelの2010決算とNVIDIAとのCross License>

2011年1月13日、Intelは2010年度の決算を発表した。

Intel Corp.       2010年  2009年    
Revenue         43.6   35.1   124.2%   
Operating Income  15.9    8.4   189.3%   
Net Income      11.7    6.6   177.3%    
               (単位  $B)

 売上 $43.6B(約3兆6624億円、$84Y)、利益 $11.7B(約9826億円)であり、2009年より売上は24%増、利益は77%増で、利益は過去最高との事である。
 売上げの増加率より利益の増加率の方がはるかに大きいのは、前年の2009年度はSales/Operating Costがかさんだためで、その中にはAMDとの独禁法訴訟の和解金$1.2B(約1008億円、$84Y)の支払いが含まれていたからである。

 一方、2011年1月10日、IntelとNVIDIAは、2004年に締結した両社間のcross licenseの対象範囲に関し、2009年にIntelがNVIDIAを提訴した件に関して解決が図られたと発表している。

 2009年訴訟のIntelの主な主張は、2004年のCross LicenseにはFSBなどは含まれているが、その後のDMI/QPIなどは含まれていない、といったものであった。

 10日の合意は、基本的にはIntelの主張にそったもので、そのCross Licensの5年延長といったものであるが、追加的に、Intelが更なるNVIDIAのPatentにAcessを可能とするため、総額$1.5B(約1260億円、$84Y)を5年間で支払うというものである。

 この$1.5Bは、常識的には、NVIDIAのGeFORCE(GPU、Game)、Quadro(GPU、 CAD)、ION(GPU,Netbook)、Tesla(GPGPU、HPC)、Tegra(GPU、ARM-SmartPhone)などといったGPU群の様々なPatentに対し、IntelのSandy-BridgeやIvy-Bridgeなどが、Patent侵害を起こさないための措置と考えられ、cross licenseというより、Patent使用料の色彩が強いものと考えたほうが理解しやすいと思う。

 Intelの発表では、Discountで実質$1.4Bとかで、かつ2010年度に既に$0.1Bは支払い済みでなので、5年間で概ね$1.3B、年平均$0.26B(約218億)を支払うようである。

 この総額$1.5B支払いのIntelに対する量的意味は、AMDの独禁法訴訟での支払い額が$1.2Bであったことを考えると、突出したものとは思えない。
 また、前述の2010年度のIntelの決算からすると、利益は$11.7Bであるので、Nvidiaへの年間支払額$0.26Bは利益の2.2%程度となり、それ程大きな負担にはならないものと思える。

 他方、NVIDIAの決算は、2009年度は$30Mの赤字であり、2010年は9月までのデータで$81M程度の黒字となっており、基本的にはぎりぎりの経営が続いているようで、経営上は、IntelからのPatent料もどきの年$0.26B=$260Mは、極めて大きな意味を持っているように見える。

 言うなれば、GPUやチップ・セットの実際のBusinessを行うより、Intel相手のPatent Businessを行ったほうが効率が良いということかも知れない。

 今回の合意の結果、NVIDIAはDMI/QPIのPatent使用権は無いわけで、結局、GPGPU/HPCの分野では、NVIDIA独自の「Chip Set+GPGPU」のアプローチは無くなったわけで、可能なのは現状の「PCIe+GPGPU」か「Intel Chip Set+GPGPU」という事になり、HPC分野ではIntelのCPU+GPU統合型が有利になったように見える。
 NVIDIAは中長期的にはPC&HPC分野はIntelに売渡し、Market規模の大きいTablet/Smart- PhoneといったIntelが入り込めないでいる分野に向かってゆくものと思える。
 

<AMD CEO Dirk Meyerの辞任>

 1月10日にAMDのCEO Dirk Meyer の辞任が発表された。
 AMDの最近の決算は以下のようになっている。

2008 -$3.129B
2009  $0.340B (Intelからの和解金$1.2Bを含むので、実質は-$0.86B)
2010*-$0.418B (*1Q-3Qまでのデータで、4Q及び通年は1月20日に発表予定)

 AMDの決算はここ数年芳しい内容ではなく、Meyer辞任の最大の理由はこの辺りであろう。
 
 Dirk Meyerは、DECのAlpha Chipの設計やその後のX86の設計などの業績で、2003年にACMのMaurice Wilkes Awardを受けており、ある意味、AMDの技術面でのBackboneでもあったわけで、経営面のみならず技術面においても、今回のTopの辞任は、AMDの今後に大きな影響をあたえ、今後の動向が注目されるわけである。
 
 前述のIntel-NVIDIAのPatent騒動から、NVIDIAはARM+GPU(Tegra)=Tablet/Smart-Phoneの方向に向かい、Intelはx86+GPGPU統合型のHPCの方向を押さえてゆくものと思えるので、AMDがどちらの方向に向くにしろ、厳しい競争であり、経営的にも難しいものがあることは確かであろう。

 何れにせよ、経営基盤はIntelが群を抜いて安定しているが、AMDやNVIDIAはかなり厳しい経営状況が続いていおり、何が起きてもおかしくない状況であることは確かであろう。

  
Posted by petaflops at 00:38Comments(0)TrackBack(0)