2011年05月25日

映画アマデウスの音楽構成

 前回のMozartのピアノ協奏曲23番の中でも若干触れたが、映画AMADEUSには、音楽構成や、楽曲分析とその描写シーンなど、考えさせられるものが数多く含まれており、将にPerforming Monkeyでは到達できない、欧米文化の巨大な壁のようなものを強く感じさせられる映画になっている。

 原作の戯曲はLiverpool生まれのユダヤ系英国人Peter Shafferの作であるが、そもそもはプーシキンの短い戯曲「Mozart and Salieri」に触発されたものといわれている。
 この戯曲を、18世紀の香りを今に残す古都Pragueを当時のViennaに仕立てて映像を作りだしたのが、Czech生まれの米国人Milos Formanである。
 そして、映画のシナリオにあわせ、Mozartの作品を絶妙に配置したのが、英国人でAcademy of St. Martin in the fieldsのNeville Marrinerである。


 話の要旨は、凡人Salieriが神の与えし不公平さに復讐するため、神の子・天才Mozartに、Mozart自身の死のためのRequiem(死者のためのミサ曲)の作曲を、代理人を使って、極秘に委嘱し、その神の子の手になるRequiemを、あたかも凡人Salieriが作曲したものとして、神の子の葬送に使用し、世間の喝采を受け、凡人が後世に名の残る天才の誉れを騙しとるということで、神の不公平さに復讐するという話で、結構込み入った作り話である。


 そして、この作り話に、実在感や臨場感を与えているのが、絶え間なく流れてくるMozartの音楽である。その音楽構成にはかなりな構築が読み取れるし、また、かなり高度な作品分析も示されているのである。


 
<音楽構成>


 この映画のストーリーはSalieriの自殺未遂の場面で始まるのだが、幕開けの雪の中に置かれた馬車の短いシーンには、この映画を貫く、厳格な父LeopoldのLeading Motive(示導動機)として、歌劇ドンジョバンニ序曲の冒頭のCommendatoreのLeading Motiveが使用されている。


 お話は背景音楽なしで、Salieriの自殺未遂の場面に移り、背景音楽が復活するのは、Salieriを担架に乗せて精神病院に担ぎこむ場面からで、交響曲25番の第1楽章のドラマティックなリズムに合わせて運び込まれてゆくのである。


 そして、話はいきなり飛ぶが、映画の最後の場面は、収容されている精神病院と思しき施設の中を、神との試合に勝ったと一人勝手に思っている凡人のチャンピオンSalieriが、満足の表情で車椅子に乗って、周りの精神病患者と思しき人達に対し、”I absolve you.(許そう)"と得意げに語りかけながらwaterclosetに押されて行くという、なんとも、チグハグで、若干滑稽な場面なのであるが、この場面を、神々しく、あたかも、天上に満ち満ちている至福の時であるかのように聴覚に訴えているのが、「妙なる楽の音」、ピアノ協奏曲20番の第2楽章、通称”Romanze”なのである。


 Salieriが神に対する復讐のシナリオを思い付くのは、映画の中では後半で、Salieriが歌劇ドンジョバンニを見ていた時のことで、死後も父Leopoldが息子Wolfgangを支配しているという構造に気がつくのである。そして、そのことを巧みに利用し、父のイメージの仮面をかぶった代理人を使って、Mozartに極秘にRequiemの作曲を委嘱しに行くのであるが、この鬼気迫る場面をドラマティックに演出しているのは、同じピアノ協奏曲20番の第1楽章である。

 そして委嘱の前金を受け取るシーンから、音楽は、将に今、委嘱を受けたところのRequiemのイントロイトゥス(入祭唱 )が流れ出し、使者が帰ってゆくこところを2階から見るシーンまでの間続くのであるが、これは、「自分を死に至らしむ」階段の扉を自ら開いてしまったという悲劇のイントロイトゥスであることを印象つけており、これ以降、ストーリーは「死者のためのミサ」の式次第に従って展開することになるのである。


 Beethovenの交響曲第5番と第6番はかなり性格の異なる曲であるが、作曲は同時並行的に行われたとされている。映画アマデウスに於いても、「死に至る作曲」は並行に近い形で進められたという設定である。重く暗い宗教曲Requiemと対比に使われたのが歌劇「魔笛」や民衆劇場でのドタバタ劇である。「魔笛」はViennaの民衆劇場の興業主で俳優兼歌手のEmanuel Schikanederが、自分が書いた台本をもとにした歌劇の作曲をMozartに依頼したもので、軽やかな曲の多いオペラである。

 映画では、イントロトゥスの後は、Schikaneder一座のドタバタ劇で騒いだあと、父の肖像画を前にRequiemの作曲に没頭するシーンではDies irae (ディエス・イレ、怒りの日)が響く。
 その後、作曲に飽きたところでは魔笛の序曲に乗って、はじめは静かに、しかし直後に、軽快なリズムに移ってドタバタ調に移り、次は父のLeading Motiveとともに、仮面をかぶったRequiemの委嘱者代理があらわれる。
 そして、妻のコンスタンツェツとの深刻な口論の場面は、RequiemのRex Trementae(レックス・トレメンテ、恐るべき御稜威の王 )が鳴り響く。
 コンスタンツェが居眠りをした間に、そーっと脱出し、深夜の酒場で遊びほうける場面は魔笛の様々なメロディがながれ、そして朝帰りするところは、再び Rex Trementaeに戻る、といったように、基調のRequiemとオブリガードの魔笛が交互に絡み合いながら、Requiemの式次第は終末に向かって進んでゆくのである。

 映画では、魔笛の初演が終わり、Salieriのヘルプで徹夜で作曲に取り掛かるのはRequiemの式次第でRex Trementaeの次に来るConfutatus(コンフタテゥス、呪われし者)である。そしてConfutatusの作曲が終わり、Mozartが死に、葬送の場面になると、音楽は式次第ではConfuratusの次に現れるLacrimosa(ラクリモサ、涙の日)に移り、これにてMozartの話は終了となるのである。

 そして、Salieriはこれらのことを神父に告白し、「天上の妙なる楽の音」、Mozartのピアノ協奏曲20番の第2楽章にすべてが溶融してゆき、映画はあたかも至福であるかのような終末に到るのである。

 つまり、この映画音楽は、この復讐劇と厳父を象徴する歌劇ドンジョバンニ序曲のMotiveで幕開けし、そのMotiveの影に追われながら進行してゆき、そのドンジョバンニの歌劇を見ながら、復讐のシナリオに思い到り、ピアノ協奏曲20番の第1楽章に乗って、復讐のシナリオを開始し、Requiemの式次第に従って、魔笛などのオブリガードで脚色されながら、神の子を死へ向かわしめ、神の子は自らのLacrimosaで悲しい葬送を迎えるのである。
 神の子を追い詰めた凡人のチャンピオンSalieriは、復讐のシナリオ開始の緊張感を演出したピアノ協奏曲20番の第1楽章と対をなす、第2楽章の「天上の妙なる楽の音」にのって、精神病患者で満ち溢れた精神病院の廊下を、至福の天上の響きに包まれながら、車椅子に乗せられて送られてゆき、映画は、あたかも、すべてが「妙なる楽の音」に溶融し、すべてが許されるように終わってゆくといった、玄人筋をもうならせる、極めてSophisticatedな音楽構成で出来上がっているのである。


 これをやってのけたNeville Marrierの音楽構築力は、見事、というほかない。Mozartの作品に対する広範で高度な知識と感性に加え、相当なシナリオ構成力も必要とされているわけで、Mozartの全作品の中から的確に曲を選別し、このように配置構成する構築力は、とても、Performing Monkeyには出来ないもので、文化と歴史の厚い壁のようなものを感じるのである。


  

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2011年05月09日

内田光子とホロヴィッツのモーツァルト・ピアノ協奏曲23番

内田光子とホロヴィッツのモーツアルト・ピアノ協奏曲23番



 今年(2011年)の2月13日に米グラミー賞の発表があり、内田光子がクリーブランド管弦楽団とレコーディングしたモーツアルトのピアノ協奏曲23番と24番のCDが、最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞を受賞したというニュースがあった。
 この23番の協奏曲は、20年ほど前に、Horowitzがグラミー賞を受賞した曲という廻り合わせがあり、ご存知の方も多いと思う。


 モーツアルトは27のピアノ協奏曲を作曲しているが、20番台のピアノ協奏曲はどれも素晴らしい曲ばかりで、ピーター・シェーファー原作、ミロス・フォアマン監督の映画アマデウスのなかでも、それらの中から3つの楽章が、それぞれ結構長く使われているので、ご記憶の方も多いと思う。音楽監督はAcademy of St. Martin-in-the-FieldsのNeville Marrinerである。

 一番印象的なのは、フィナーレのシーンで使われていたピアノ協奏曲20番の第2楽章”Romanza"であろう。モーツァルトのピアノ協奏曲の第2楽章は全般的に緩やかで印象的なメロディのものが多く、”Romanza"と同じような雰囲気の曲には21番の”Andante”や24番の第2楽章などがあり、最後のシーンの背景音楽として”Romanza"を置き換えても、さほど不自然さを感じさせないような曲である。
 そのほかには、映画の中頃で国王臨席のもと、野外で演奏される開放的でリズミカルな楽曲は22番の第3楽章である。更には、仮面をかぶったサリエリの代理人がレクイエムの作曲を委嘱に行く、暗く重い場面は、前述の20番D-minorの第1楽章で、切迫感の激しい楽曲で、モーツアルト作品中では、珍しい部類に属する。
 
 残念ながら今回の話題の23番は映画アマデウスには、どの楽章も使用されていない。第1楽章はA-MajorのMozartらしい明るく透明度の高い曲、2楽章は、対照的に、Sicilianoの寂しげなリズムにのった曲、そして第3楽章のRondは快活で躍動的な曲である。そしてこの協奏曲は、Horowitzが録音風景を映像に残していたことで話題になっていたのである。

 映画アマデウスが話題になったのは1985-86年ごろで、その2-3年後の 1988年12月16日にNHK総合で、「ホロヴィッツ・モーツアルトを弾く」という題名でこの23番のピアノ協奏曲が放映されたのである。
 この映像は1987年のドイツ・グラモフォンのCD 作成の録音風景で、指揮はマリア・ジュリーニ、オケはミラノ・スカラ座管弦楽団、そしてこのCDは1989年度の米グラミー賞を受賞しているのである。
 指揮のジュリーニとオケを指名したのはホロヴィッツとの事である。ジュリーニはともかくとして、スカラ座のオケという選択はいささか奇妙な印象がするが、Horowitzの我がままをすんなり聞いてくれるのは、この手の人達なのかも知れないし、或いはジュリーニとの関係なのかも知れない。

 この映像が注目されたのは、なんと言ってもショパン弾きで、スクリャービン、ラフマニノフなどを得意としていた幻の名手ホロヴィッツが、モーツアルトを弾くという意外さで、筆者も注目して放映を見たことを記憶している。そもそもHorowitzの録音のいいレコードやCDの数は少なく、ましてや映像の数は少ないので、この録音風景は極めて貴重なもので、注目を集めたわけである。
 Horowitzが亡くなったのは1989年となっているので、この放映の翌年ということになり、彼は1903年生まれだったそうなので、享年86、録音時の1987年は84歳であったということになる。映像を見るかぎり、年齢にしてはかなりしっかり弾けていた様に思う。


<HorowitzのMozart>


 映像には、楽章の合間に、がらがら声のへんな英語で、ぶら下りの音楽記者から雑談形式のインタビューを受けたり、周りに減らず口を叩いたりしているシーンが含まれていて面白かったが、その中で、筆者にとって、極めて印象的だったのは、ある記者の「Mozartを弾くのはどうか?」といった類の質問に対し、「I like Chopin, Chopin likes Mozart」(then, I like Morzart)という三段論法を展開し、笑いながら記者を煙に巻いていた事である。

 ChopinがMozartを敬愛していたのかどうかは知らないが、Chopinは自己の葬儀にMozartのレクイエムを演奏してほしいといったらしく、実際に彼の葬儀では、彼自身の幾つかの曲のほかにMozartのレクイエムが演奏されたとなっている。
 この葬式の事から、「Chopin likes Mozart.」と結論付けるのは若干行き過ぎで、せいぜい片目をつぶって「Chopin likes Requiem by Mozart.」程度のことであろう。まあ、言葉遊びの好きな19世紀調の面白いおじいさんである。


 筆者が驚いたのは、単純な言葉遊びとしてではなく、その言葉遊びとHorowitzの実際の演奏との間の微妙な関係についてなのである。端的に言うと、Horowitzは、Mozartの23番のピアノ協奏曲を、ショパンのピアノ曲を弾くように弾いていたからである。 つまり、「I like Chopin. Chopin likes Mozart.」「Then, I play Mozart like Chopin.」と弾いているように聞こえるのである。 

 Horowitzの23番の協奏曲は、Mozartの端正な美人画を、ダイナミックレンジが極めて大きく、輪郭がデフォルメされ、全体のプロポーションも不気味な、写楽の役者絵のように書き換えたようなものに感じられ、非常に複雑な印象が強いのである。

 Horowitzは、意識的にそうしているのか、或いは長年の訓練の結果自然とそうなってしまうのかは定かでないが、極めて左手が強く、左手の音量が大きくなるため、聞き手は左手の中低音に意識がむいてしまい、デフォルメ感が強くなり、結果として、Mozartの中からChopinの匂いがプンプン漂ってくるような演奏になっているのである。

  彼の技術はChopinのような19世紀のダイナミックレンジの大きな曲を弾くには必須の技術かもしれないが、Mozartのような18世紀後半の曲には邪魔な技術に聞こえる。
 19世紀的楽曲を練習しすぎると、18世紀の楽曲を弾く時も自然と19世紀的になってしまうのではないかと思うし、弾く技術の問題だけでなく、感性としても19世紀的なものを求めるようになってしまうのではないかと思う。
 Wagnerを聞き過ぎるとMozartやBeethovenがセセッコマシク聞こえてきて、聞けなくなるとか、Chopinを聞きすぎるとMozartが聞けなくなる、といったような経験である。 或いは、Jazzピアノをやると、クラシックに戻ってもJazzなまりが抜けないとか、例は結構あるように思う。

 録音風景の話に戻ると、第一楽章の提示部のオケのテンポは信じられないくらい速く、ピアノに移るとオケのときほどではないが、それでも結構な速さで、スケールなどでは近接音が若干混濁気味で、透明感がなくなっている部分があり、また、長いスケールになると途中に拍頭のアクセントが入ってしまっていたりで、所謂「保守的Mozart聞き」からすると、なんとも疲れる演奏ということになるのである。



 Horowitzが来日したとき、吉田秀和が朝日の音楽時評に「ひび割れた骨董品」とか書いていたのを読んだ記憶があるが、この録音風景のMozartはそれ程までにはひどくはないが、齢八十過ぎても自然にハッタリをかませてしまうという、19世紀の香りを漂わせる、最後の演奏家であったことは間違いないし、40、50代の頃のChopinなどの響きを直接聞いてみたかったと思うのは筆者だけではあるまい。



<Dame UchidaのMozart>


 これに対し、22年後の今年、同じ23番のピアノ協奏曲で同じグラミー賞を受けた内田の演奏は、ダイナミックレンジを押さえ、1音1音の響きが緊張感のある、粒のそろった、同質の響きで、しかも早いパッセージにおいても、それぞれの音か区別できるような透明度の高いクリスタルで完成度高い演奏であり、テンポも抑え気味で、「保守的Mozart聞き」のお耳には極めて心地良く響く演奏なのである。


 細かい演奏技術的に言えば、Mozartの曲は、弾くだけでなら子供でも弾ける曲かもしれないが、どっこい、ステージ演奏では、演奏家の基礎能力が、直接的に現れてしまう、怖い曲で、逆に、聴衆が演奏家の技術力を採点するには最適な曲なのである。

 内田のMozartは、スケールやアルペジオ、分散和音、などといった基礎演奏技術の完成度の高さ、バランスのよさに加えて、トリラーやバッテリーといった装飾演奏技術もデコボコのない均一な響きを長時間保続可能という体力があり、要するに、どのようなフレーズにおいても、1音1音「バラつき偏差」の極めて小さい、クリスタル度の高い演奏ということで、聞いていて、特異点のような突起感のない、連続微分可能な、流れるようなスムーズな演奏ということなのである。

 加えて、各フレーズの「入」と「出」が類稀なデリケートさで演奏されており、フレーズ内の均一性とあいまって、所謂、品のよい、完成度の高さを示しているのである。
 Mozartの作品演奏に於いては、昔から、彼のフォルテはメッゾ・フォルテで、と語り継がれているが、内田のフレージングは、将に、この伝統を守り、かつ、発展させたもので、フレーズの「入」のフォルテは、微妙に遅れた、やわらかい、メッゾフォルテで、しかも、その音を響かせるための瞬時の「間」をとったかのような見事な発音である。これは驚くべき演奏技術で、内田の類稀な感性の表れなのであろう。 同じようにフレーズの「出」も、「入」に劣らないくらいデリケートで神経の行き届いた音をやわらかく響かせ、違和感無く自然に終わってゆくのである。

 或いは、長いトリラーやバッテリーに於いても、ばらつき偏差が殆どない、上質な絹織物のような、滑らかで突起感皆無の、自然な響きを、長時間保続演奏できるという基礎体力レベルの充実が、曲全体の完成度をさらに引き上げているのである。

 こうした点は、Horowitzの雑駁さに比較すると一目(耳)両全で、こうした基礎力の完成度の高い演奏は、Mozart作品を通して見ると、ほかには、PolliniやArgerichの演奏から感じ取れる共通の響きではないかと思う。 しかし残念ながら、彼らと同世代の、AshkenazyとかBarenboimらは指揮に転向したこともあってか、練習不足で、ピアニストとしての彼らのMozartのピアノ協奏曲の演奏は、Horowitzとは別の意味で雑駁であり、ピアニストであることを維持することの難しさを示している。


 基礎技術を包含した音楽全体としての内田のMozartの特徴は「没個性という類稀な個性」ということなのだろうと思う。1音1音を「弾く」というレベルを通り越し、1音1音を「聞き手に届ける」というレベルで、楽譜に忠実に正確に「弾く=届ける」ことを実行すると、自然とそれ自体が偉大な個性になるということなのだろうと思う。

 これはある種、再現芸術における、クールなピアノ・テクノクラートとでも表現すべき個性で、基礎技術の完成度が、一流といわれる人達の中でも、抜きん出て高い人達が自然と手にする個性で、日頃の努力の賜物としか言い様がなく、内田のほかにはPolliniやArgerichの演奏からも、この手の響きを感じとれるのである。
 テンポのとり方も、内田やPolliniは、Horowitzに比べると、ゆったりめで、1音1音を正確に聴衆に届けるために必要なテンポということなのかもしてない。

 彼らの演奏は、特段、19世紀的ヴィルティオーソの系譜に属する人達のような派手な個性的Performanceなど何もない、一見普通の演奏であるが、1フレーズ聴いただけで、1音1音の輝きが数珠のように聞こえてくる品格のある演奏なのである。多分こうした響きは、昔は要求されていなかった響きで、過去数百年で我々が初めて聞くことが出来るようになった響きなのではないかと思っている。



 巷にはMozart弾きというピアニストの分類があり、歴代、Clara Haskil、Walter Gieseking、Lili Kraus、Ingrid Haebler等々著名なピアニストの名があがってくるが、残された彼らの録音を聞いてみると、録音に問題があることは承知の上で、彼らも結構粗雑なところがあり、多分、内田のMozartの完成度は、歴代Mozart弾きの中でも群を抜いているように感じられる。


 19世紀は雑駁な世紀であり、20世紀も前半は戦争の世紀で粗雑な時代であったが、後半に至り、世界経済発展に伴う、社会の余裕度が、演奏技術の精密度を著しく進展させ、それまでにない「響き」を演奏技術を通して可能にしているわけで、いぶし銀のような贅沢を味わっている気がしている。 今日の我々は、多分、昔の人たちは聞いたことのないような、完成度の高い響きを聞くことが出来るという贅沢と、その反面として、19世紀的属人的個性の喪失という失望を味わっているのであろう。

  
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2011年04月11日

日本語版Wikipediaのコンピュータ関連語は問題が多い

 前回のJane Smileyの「Atanasoff伝」に関連し、今日の世の中はAtanasoffのABCをどの様に考えているのだろうかと思い、普段はあまり見ることの無いWikipediaを見てみた。(「ABC コンピュータ」で検索)


<「Computing Device」と「Computer」は別物>

 最初に驚いたのは、この項の日本語版の始まりが、
・「アタナソフ&ベリー・コンピュータ(Atanasoff-Berry Computer)は、世界最初のデジタル電子計算機(コンピュータ)」
となっていることで、「冗談がきついな」と思いながら英語版にSwitchすると
・「The Atanasoff–Berry Computer (ABC) was the first electronic digital computing device.」
となっており、英語版で「computing device」と書いてあるものを、わざわざ日本語版では「コンピュータ」と変更しているのである。 

 Computing Deviceというのは、手回し式の卓上計算機とか、パンチカード・システムなどのような、プログラムできない計算装置のことを指し、一方、プログラム可能なcomputerのことは「General Purpose Computer(汎用コンピュータ)」などと呼び、簡略的に、Computerと呼んでいるのである。
 英語版Wikipedeiaに於いては、「Computing Device」と「Computer」は明確に区別して使っており、「ABC」に関しては、参考に示すように、関連の項目内での使用を含めて「Computing Device」で統一され、「Computer」などとは呼んでいないのである。
 ところが、日本語版に於いては、英語版で「Computing Device」と記述されているものを、「コンピュータ」に変えているわけで、困った事である。


<根拠のない捏造記述は大問題>

 この項の日本語版の記述は、構成的にも、英語版にある小見出しが取り払われ、内容的にも英語版の「つまみ食い」的翻訳のような感じで、英語版とは違うもののように感じる。

 そして更に内容的に問題だと思うのは、日本語版の後ろのほうに、
・ 「歴史家は今ではアタナソフ&ベリー・コンピュータが世界初のコンピュータであると言っている。」
といった断定が挿入されているが、英語版には全くこのような文章は見当たらないのである。

 敢えて、英語版の中で対応しそうな部分を探すと、「特許論争」という小見出しのセクションに以下のような記述があるのである。

Campbell-Kelly and Aspray conclude:
  The extent to which Mauchly drew on Atanasoff's ideas remains unknown, and the evidence is massive and conflicting. The ABC was quite modest technology, and it was not fully implemented. At the very least we can infer that Mauchly saw the potential significance of the ABC and that this may have led him to propose a similar, electronic solution.

 (参考訳) 「MauchlyがAtanasoffのアイディアをどの程度引き出したのかは未だに不明である、証拠は山ほどあって相互に矛盾している。ABCは極普通の大きさのテクノロジであり、(機能も)完全実現されてはいない。我々が最小限推定できることは、MauchlyはABCの潜在的重要性を理解し、そのことが、彼をして似たような電子的ソリューションの提案に導いたのであろう、といったことである。」

 つまり、米国の著名なコンピュータ史家であるCampbell-KellyやAsprayは「ABCが世界初のコンピュータである」などとは全く言っていないし、逆に、「(機能も)完全実現されてはいない」と否定的な表現をしているのである。

 となると、日本語版のいう「歴史家」が何処の誰なのかはぜひとも明確にしてほしいものであり、明確に出来なければ捏造表現ということになるのであろう。

 「ABC」は技術的観点からは明らかに「Computing Device」という事であり、国際常識的にも英語版Wikipediaで記述されているように「Computing Device」ということで、「computer」とは言わないというのが常識である。

 まあ、技術的観点を無視して、ABCが「最初のコンピュータである」と主張するのは、米国での法制度遵守の観点から連邦地裁の判決を遵守せざるを得ない法律家の類とか、地元IowaのAtanasoff崇拝者、といった一部の人達で、そのほかに付け加えるなら、日本語版Wikipediaの記述を鵜呑みにした人達、あるいは、周回遅れで、Mollenhoff などのIowa Patriotsの著作を読み、技術的検証ができないため、それを真に受ける、技術判断のできない人達、などであろう。

 

<「日本の常識=世界の非常識」への道>
 
 要するに、「ABCコンピュータ」に関する日本語版Wikipediaは、罪作りな記述で、根拠の明示もなく、敢えて英語版と異なる記述を行っており、その事が、日本語読者を、世界の常識とはかけ離れた、可笑しな誤理解に導くわけで、困ったものとしか言いようがないのである。
 
 こうした、英語版とは異なる構成・記述をとる日本語版Wikipediaの項目の唯我独尊的誤り問題は、今回の「ABC」に限らず、「Computer」「Supercomputer」などといった共通項目でも見られるし、日本語版だけにある「スーパーコンピュータ技術史」とか「スーパーコンピュータ産業史」といったような項目にも見られるもので、日本語版Wikipediaを信じた人達は、「日本の常識=世界の非常識」に陥っている可能性が大であることを指摘しておきたい。

 IT関連語に関して英語版の記述は、完璧ではないが、英語を母国語とする、米国、カナダ、イギリス、オーストラリアなど、IT先進国の人達による「淘汰」を経て来た記述であり、出典、参考文献等もかなりあり、それなりに重みのある記述なのである。
 英語版に不都合があるのなら、英語版の修正を求めるべきで、日本語版のみに独自で勝手な記述をする事は、Wikipedia設立の精神に反すると思うのである。

    
    
    
<参考: 関連項目の中での「ABC Computer」>

-「Computer」の項

・英語版
「The Atanasoff–Berry Computer (ABC) was among the first electronic digital binary computing devices.」
・日本語版
「1942年 ジョン・アタナソフとクリフォード・ベリーが電子素子を使って演算処理をする世界初の機械 ABCを作成」

 
-「ENIAC」の項

・英語版
「The American Atanasoff–Berry Computer (ABC) (shown working in summer 1941) was the first electronic computing device.」
・日本語版
「例えば1939年に試作機が完成、稼働した「アタナソフ&ベリー・コンピュータ」を世界最初のコンピュータとする考え方が今では主流である。1973年10月19日のミネアポリス連邦地方裁判所の判決[1]は、ジョン・アタナソフとベリーが1939-1942年の間に、アイオワ州立大学において、最初の電子式デジタルコンピュータ(the first electronic digital computer)を作ったと明確に述べている。」

 

  
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2011年04月09日

Jane Smiley著  The man who invented the computer

The man who invented the computer:The biography of John Atanasoff, Digital Pioneer. By Jane Smiley, Oct. 2010, Doubleday.

 小説家でありノンフィクション作家でもあるJane Smileyが昨年10月に出版した上記の本に関連し、今年の1月に彼女はComputer History MuseumのJohn Hollarと対談を行っており、最近、偶然に、そのVideoを目にし、思わず、その1時間半ほどの対談を最後まで見てしまった。
 Smileyは1992年に「Pulitzer Prize for Fiction」を受賞した作家。技術系に関しては門外漢で「Binary Computationがどんなものかくらいは知ってるが、それ以上を知りたいとは思わない」などとシャーシャーと答えていて、なんとも憎めないおばさんである。

 この本はDoubledayの「American Inventors」とか言うシリーズのなかの1冊で、本来は、1970年にノーベル平和賞を受賞した「Norman Borlang」の伝記を書くことになっていたが、興味が無く、編集者に「誰がコンピュータを発明したのか知っているか?」と聞いたところ、「知らない」とのことだったので、この内容に決まり、題名は出版社がつけたと語っている。

 本の題名にAtanasoffの名前を見るのは久しぶりである。Smileyがしゃべっていた内容は「先刻承知」のことではあったが、このおばさんが「見てきたように」、Zuse、Turing、Tomy Flowers、von Neumann、Goldstine、Mauchly、EckertとかColossas、Z4、ENIACとかの話をするのを聞いていると、それはそれでなんとも面白い感じではあった。

 彼女の意図は「誰が最初か」といったようなことではなく、「まるで別々の映画館で上映されている、イギリスでのColosus、ドイツでのZuse、アメリカでのvon Neumann、Atanasoffなどといった4つの映画を見ているようで、その登場人物のCharacterが大変面白かった」といった主旨の発言をしており、技術的内容というより、小説家視点での人間観察に主眼がある本だと思うと、なんとなく肩肘張った議論をしても無駄なように思えてくる。


<AtanasoffのABC>

 AtanasoffのABCは29元連立1次方程式を解くための道具として考えられたもので、当時の計算機械としてのIBMのパンチカード・システムの改良を狙ったものである。
 29元連立1次方程式を、Gaussの消去法で解こうというもので、今日のHPC的にはLinpack計算を目標にしていたといってよい。
 システム的には、前後2行の係数をパンチカードから読み込み、DRUMメモリにいれ、その2行から変数を1つ消去する、という部分のみが機械化された部分で、消去した結果はパンチカードに出力し、次の変数消去の入力に使用する、といったもので、このオペレーションを繰り返すことで連立方程式を解いてゆくものである。
 自動化されたのは2行の係数引き算の処理部分で、次の行のオペレーションのためのSetupは人手で行うのである。

 これを今日的汎用コンピュータというのか、という素朴な疑問は、極めて健康な反応で、「Computer」ではなく、せいぜい英語版Wikipediaが採用している「Computing Device」といった表現が適切なのではないかと思えるのである。
 
 演算速度的にも、確かに論理演算回路には真空管を使ってはいたが、タイミングや制御系はreleyを使用していたり、係数用のMemoryは、交流周波数に同期して回転するDRUMにCapaciterをデータ長(50bit?)分だけ源氏車にように差し、それを並列方向に30パラメタ分だけ広げたもので、1回転で1データ分読出せるもので、読出し速度は、余り記憶が定かではないが、1回転1秒1データであったように記憶している。 
 従って、演算速度は、論理演算処理の部分は真空管の速度であるが、メモリの読出し等々は機械式で、演算全体としての速度は機械式ということになり、完全作動したとしても、当時の最新のパンチカード・システムより遅かったのではないかと思う。

 電子回路技術的には、Atanasoffは、既に1919年頃に発明されていたFlip-Flop回路を知らなかったようで、クロックの生成やパルス同期、Flip-Flopメモリの構成など、電子回路の基本を身につけておらず、内部制御に必要なCounterやBuffer、Register類を電子的には構成できず、超低速なDRUMメモリやReleyのご厄介になったわけで、電子式回路技術としては極めて不完全なものといえるのである。

 これに対し、ENIACは、Flip-Flopを基本にして、クロック生成や同期、Flip-Flopメモリを使った、Counter,Buffer,Registerなどと、完全に電子回路のみで基本システムが構成されており、電子回路の速度ですべての演算が行われており、電子技術的にはABCとは桁違いに完成された技術と評価できるものである。
 また、プログラマブルなENIACの、アーキテクチャを含む構成は、単機能なABCとは全く異なり、基本的に比較の対象にはならない。

 Arthe BurksはABCのことを「First Electronic Computer」、ENIACのことは「First Electronic General Purpose Computer」と呼んで、Computerの定義をかなり低く設定し、「General Purpose」で定義を高くすることで、連邦地裁の政治的判決と専門家の間の技術的常識の両方のメンツを立てている。
 しかし、一般人にとっては、「Computer」と「General Purpose Computer」が違うものなどというのは、日常用語上「紛らわしい」ことで、やはり、ABCは「Computing Device」程度のものと表現するのが実体にも即していて妥当であろう。


<ENIAC Patent 裁判>

 ENIACのPatent申請書は200ページ越える大著で、「ENIAC Patent」裁判は、単純にEngineering factに黒白をつけた裁判というより、大企業の金銭的思惑が重層的に渦巻いていた複雑な裁判で、そのPatent破りに持ち出されたのが、忘却の彼方にあったAtanasoffのABCであったわけである。
 訴えたのはPatentを保持していたSperryで、特許侵害と特許料の支払いを求め、Honeywellを訴えたもので、訴状はワシントンの連邦地裁に提出された。ところがHoneywellは逆にSperryを独禁法違反でミネソタのミネアポリスで逆提訴し、裁判所の受理発効時間からミネアポリスの連邦地裁で裁判が行われることになった。IBMが訴えられなかったのはIBMとSperryはcross license契約を結んでいたからである。
 
 率直なところ、田舎の連邦地裁が取扱うには荷が重すぎる内容の裁判で、勢い、Engineering factの追及より、証人の顔色を読む人間系の裁判のような展開になり、Maucklyに焦点を当てた人間系の裁判は、現実の技術的側面は捨象され、Patent申請時期が遅すぎたことなども理由となり、結局Sperryは敗訴したのであるが、当時から専門家の間では「間違い判決」というのが一般的評価であった。
 そして、この裁判には巨額の金が使われ、控訴審では更なる資金が必要になるのに、勝訴による金銭的見返りは少ないと判断したSperryは、控訴を断念、その結果、この地方裁判所の判決が国の判決として確定してしまい、米国においては「法的にはABCが最初のコンピュータ」という事になっているわけである。
 従って、米国では「法的な最初のコンピュータ」と「技術的学問的最初のコンピュータ」の2つが存在するということで、「ENIACが最初のコンピュータ」などと言うと、ABC側から「法的に訴えられかねない」といったヘンテコな状況になってしまっているのである。


<Iowa Patriot>

 しかし、判決後も一般的には「ENIACが最初のコンピュータ」というのが世の中の大勢で、このことに我慢が出来ない、IowaのPatriotが、判決と人間観察視点をテコに、強烈なAtanasoff支持の本を出版する事になるのである。
 それが1980年のClark Mollenhoffの「Fogotton Farther of the computer」(邦訳「エニアック神話の崩れた日」)である。MollenhoffはPulitzer賞受賞のバリバリのIowaのジャーナリストであり、徹底的にMauckly証言の矛盾を叩いている。

 逆に、ENIACを支持する側からの本の代表は、WSJ紙のScott McCartneyの「ENIAC: The Triumphs and Tragedies of the World's First Computer」である。彼はWSJが暗示するように人間系より企業系で、Eniac裁判をHoneywell vs Sperryの企業間闘争と見ており、さらに、ENIAC後継のEDVACにおいてEckertとMaucklyは「von Neumannに発明者としての名誉を盗まれた」といった論点を展開しているのである。

 小説家のSmileyが何故Mollenhoffの2番煎じのAtanasoffなのか理解出来なかったが、実は彼女はUniversity of IowaでPh.Dを得た人で、更にはAtanasoffがABCを作成したIow State Univ.で長いこと教鞭をとっている事を知るに及んで、瞬時にすべて納得できた。田舎Iowaの「おらが郷土の大先輩」のために一肌脱いだということなのであろう。

 今回のSmileyの著作には新しい発見・発掘があるといったわけではなく、逆に、かなりの数の事実認識の間違いが指摘されており、芳しい評価を得ているとは思えない。
 対談の最後の方で、Hollarに促されSmileyは自著の最後の方に書いている部分を朗読しているが、その中で、von NeumannはScott McCartneyからは「泥棒」呼ばわりされ、逆にNormann Macraeなどからは「visionary」などといわれているが、「von Neumannには、彼自身は誰がコンピュータの発明者だと考えているのかを聞いてみたい」という辺りは、結構witに富んだ人の様に思えるが、本書に関する限り、Iowa Patriotの変形ということなのであろうと思う。

 

  
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2011年02月28日

NECとLenovoの合弁

 
***<追加:3・08・2011>***
 2011年3月3日、IBMはLenovoの株式約4億3600万株(出資比率で4.3%)を$265M(約217億円、Y$82)で、すべて売却した模様。IBMは2005年にパソコン事業をLenovoに売却した際、キャッシュのほかにLenovoの株15%を取得していたが、IBMは当該株式を少しづつ売却していたようで、今回の4.3%で全て売却という事らしい。
 LenovoはIBMと手がきれたわけで、中国でのサーバー市場でのIBMとの共生棲み分けは必要がなくなったのかも知れず、IBMに代わって新たに2%の株主になるNECにとってはチャンスになったかもしれない。
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 直接的にはHPCと関係は無いが、後年のため業界の動きをメモしておきたい。


<NECの中国シフト>

 2011年2月25日にNECは、NEC液晶テクノロジー社と中国天馬微電子との資本提携の合意と、NEC液晶テクノの70%の株式を天馬の親会社である中国航空技術国際グループに譲渡すること、を発表した。
 一ヶ月前の1月27日には、国内PC事業に関して、Lenovoとの合弁会社設立の発表がなされており、この協業に関連し、2月9日には、同社プラットフォーム事業の成長の戦略説明会の中で、中国のサーバ市場でのLenovoとの協業が言及されていた。

 こうした一連の発表から見えてくるのは、NECの中国シフトであり、中国市場をテコに成長戦略を描いているように思えるのである。従って、先日の日本市場でのLenovoとのPC事業の合弁は、こうしたNECの中国シフトのコンテクストの中で見る必要があるのであろと思うが、どの様に展開してゆくのかに関しては、もう少し時間が必要であろう。


《NECとLenovoの合弁》

<売却のスキーム>

 2011年1月27日、NECはLenovoと新規に合弁持ち株会社を設立し、この持ち株会社の傘下に、NECのPC部門(NECパーソナルプロダクツ社のPC部門)を分離した新会社(NECパーソナルコンピュータ)と、既存のLenovo-Japanを収め、両社はそれぞれ独自に日本におけるPC事業を展開する、といった旨の発表を行った。
 持ち株比率はLenovo51%、NEC49%であるが、LenovoはLenovo本体の新株発行を行い、NECに約2%の株($175M相当、約147億円$Y84)を割当てるとのことである。

 ポイントは合弁会社の持ち株比率の51対49とLenovo本体の新株2%の割当てである。

 持ち株比率からこの合弁会社は明らかにLenovoの子会社ということであり、NECの意図には関わらず、この合弁はオブラートで包んだNECのPC部門の分離売却と見るべきなのであろう。
 
 その売却説を裏付けるのがLenovoが発行する新株で、NECはLenovoから2%($175M)の新株を割当てられるのである。
 NECの報道発表では「新規株$175Mを引き受ける」との表現になっているが、この「引き受ける」ということの実態は「株を入手するためにお金を払い込む」ということではなく、それとは真逆の、ただで「割当てられた株を」「もらう」ということなのである。  
 WSJでは、「Lenovoは$175Mの投資を行う」としており、外目には、LenovoはNECの国内でのPC事業の資産や権利の51%分を買収するために$175M(株で)支払うと見えているわけで、Lenovoの日本国内への投資と考えられているのである。

 更にその後の、香港証券取引所からの契約情報では、5年後の2016年以降、Lenovoは$275Mを上限として持ち株比率を100%に引きあげるオプションを有しているという報道もなされており、NECの意図とは関係なく、売却説が有力なのである。
 
 分離の方法が単純な売却とは異なり、いささか見えづらいが、本質は本体の負担軽減・PC事業の切り離しであり、NECの収益構造上、PC事業はprofitを産まなくなっているということで、長期的にはNEC本体の投資対象分野ではないという経営判断があるのであろう。 もし、今後ともProfitableなマーケットとの認識であれば合弁といったアクションは必要ないからである。
 これは以前、LenovoにPC部門を売却したIBMの経営判断と同じであり、NECのケースが異なるのは「売却の仕方」がソフトランディングであるといった点なのではないかと思う。
 
 IBMのケースは単純売却であったので、Lenovoは購入代金をキャッシュとLenovo株でIBMに支払い、全てを手に入れたわけである。 これに対し今回のNECのケースでは、合弁の持ち株会社に、NEC-PCとLenovo-Japanが現物出資され、それぞれの評価額を予定持ち株比率に割当て、残余の差額調整をLenovoの新株割当で行うというスキームなのではないかと思う。その結果が2%のLenovo株、約$175M、という事で、外目には、NECのPC事業51%分の売却代金がこの$175Mと考えられるわけである。

 このことは資産的に考えても、NECパーソナルプロダクツ社の資本金は188億円であり、Lenovo-Japanの資本金は3億円であるから、資本バランス的にはLenovo-Japanは無視できる程度のもので、逆にNECパーソナルプロダクツ社のかなりな部分であるPC事業部を分離するわけで、その資産価値を$175M(約147億円)程度と評価したと考えると、全体的にバランスするのではないかと思う。

 完全売却で無く合併という方式を選んだ理由の中には、国内顧客に対するブランドの責任、雇用を含む企業の社会的責務の問題等々、いろいろあろうかと思うが、財務・経営的には、PC事業51%分の売却ということになろうかと思う。

 しかし、NEC側から見れば、売却額はLenovo本体に丸々投資するわけであるから、WSJなどが見ている単純なLenovoの投資ではないわけで、結果は今後の事業展開にかかっているということは言うまでも無い。
 

<経営背景>

NECの連結決算の推移(単位百万円)
年度   2008年度   2009年度    2010(4-12)実績 2010年通年見通
売上げ  4,215,603 3,583,148    2,189,884     3,300,000
収益   -296,646   11,428     -53,573       15,000
 
 NECの連結決算の推移を見ると、2008年度は約3000億円の赤で、2009年度は何とか114億円の黒、そして今年度(2010-4~2011-3)は150億円の黒の予測であるが、2010-12月までの実績は535億円の赤字であるので、年度末に頑張って黒に持ち込みたいという予測であろうけれど、かなり、厳しい状況ではないかと思う。

 売上げ規模は、NECエレのルネサスとの合併分離などの影響があるが、以前は4兆を越えていたものが、2009、2010では3兆5千億から3兆3千億であるから、100億前後の黒であったとしても利益率は0.3-0.4%程度ということで、苦しい経営が続いていることは明らかである。

 こうした経営状況が、NECエレのルネサスとの合併分離(持ち株33.9%)、モバイル事業のカシオ日立との合併分離(持ち株70.7%)、海外PC事業の撤退、次世代スパコン開発からの撤退、といった一連の経営資源の選択と集中であったわけで、今回の国内PC事業のLenovoとの合併分離は、ある意味、既定の路線であったということであろう。


<HPC部門>

 先日、SX-10は2013年以降にとの報道があったようであるが、これは現在のSXユーザーへの後継機対応問題へのメッセージなのでは無いかと思える。2013年以降になれば、2012年で京速は終わり、撤退騒動のホトボリも冷め、また、海洋研機構のES2などのSX-9ユーザーのリース切れが2013-2014年頃であったと思うので、とりあえず、これらのユーザーに対するメッセージなのであろう。

 しかし、NECエレクトロニクス、モバイル部門、今回のPC部門などと次々と分離合併独立させている経営環境下では、大幅な収益が期待できないHPC分野への思い切った投資は難しいはずで、2013年以降になれば無条件で発表発売できるといったものではあるまい。経営視点からだけでなく、技術的にも、文科省の次世代スパコン開発での想定から、最低でも、更にもう1世代、つまり実質SX-11に、進めねばならないであろうから、そのギャップを埋めるのは容易ではないであろう。
 
 NECのサーバー事業の海外展開は今後の中国でのLenovoとの協業かにかかっているわけであるが、中国のサーバー市場での外国勢はIBM、HP、DellといったところがMajorで、LenovoはIBMとの棲み分けの問題があり、協業は結構問題山積なのではないかと思う。
 HPC事業がサーバーでの協業に含まれているのかどうかは定かで無いが、中国のHPC市場ではIBMが圧倒的であり、こちらも問題山積であろう。

 まーとにかく、本体の経営体力が早期に回復しなければ「2013年以降の<近いうち>」という話はきわめて難しいのではないかと思っている。

 

  
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