この間、出張で名古屋に行ったよ。駅にたどり着いたのが11時前。会議は13時30分からだったから、2時間以上もあるではないか。ということで、この日は、「徳川美術館」にいってみることにしたんだ。
江戸幕府将軍の名前を冠したこの美術館は、徳川御三家のひとつ、尾張徳川家に代々伝わる、様々な道具類を展示した美術館なんだ。家で使っていたものなのに、博物館ではなく「美術館」だってところがみそだよね。

←富山を元気にするブログがいっぱいあるから、見てね〜。
地下鉄大曽根駅から歩くこと10分あまりで、どうやら入り口らしき場所にたどり着いたよ。

階段を上ったところにあった門には「徳川園」の文字。

中に入ると、鮮やかな木立が迎えてくれたよ。夏にはきっと涼しげな場所。

生け垣は、日本庭園をぐるりと囲んでいて、その中が「徳川園」と呼ばれているらしい。

立派な石垣もあつらえてあるこの場所は、かつては、お殿様の隠居屋敷が建っていたのだとか。

庭の一部を残して、のこり半分は美術館として使っているみたい。けっこうな広さの敷地だけど、これで、元の敷地の半分以下しかないんだって。今は、住宅地や道路になっている部分もかつては敷地だったのだとか。

徳川家康から初代藩主義直に拝領された様々な茶器とか茶壺とかそんなものが、もうホントにゴロゴロと展示されていたよ。中には、信長、秀吉の手を経て家康に伝わり義直の手に渡った千利休の抹茶碗とか、安土城落成の時に信長が愛で、後に秀吉、家康にも愛された12世紀宋代の茶壺とか、そういった重要文化財指定の品々がいくつもあるんだよね。
重要文化財がごろごろある家ってどんなの?重要文化財が家財としてある家ってどんなの?とクエスチョンマークが頭の中にぐるぐる飛び交う、不思議な美術館だったんだ。

鑑定団に出したら、きっと家財全体で○○億円といわれるに違いない、そんなお宝を集めた何とも豪壮な美術館。

分家とはいえ、何と言っても、江戸幕府260年を支えた徳川御三家筆頭のお宝だからね。葵のご紋も、燦然と輝いて見えたよ。

展示室の中は撮影禁止だから、写真はここまで。本館は昭和の初めにできたっていうから、戦災も逃れて今に至るんだね。


江戸幕府将軍の名前を冠したこの美術館は、徳川御三家のひとつ、尾張徳川家に代々伝わる、様々な道具類を展示した美術館なんだ。家で使っていたものなのに、博物館ではなく「美術館」だってところがみそだよね。

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地下鉄大曽根駅から歩くこと10分あまりで、どうやら入り口らしき場所にたどり着いたよ。

階段を上ったところにあった門には「徳川園」の文字。

中に入ると、鮮やかな木立が迎えてくれたよ。夏にはきっと涼しげな場所。

生け垣は、日本庭園をぐるりと囲んでいて、その中が「徳川園」と呼ばれているらしい。

立派な石垣もあつらえてあるこの場所は、かつては、お殿様の隠居屋敷が建っていたのだとか。

庭の一部を残して、のこり半分は美術館として使っているみたい。けっこうな広さの敷地だけど、これで、元の敷地の半分以下しかないんだって。今は、住宅地や道路になっている部分もかつては敷地だったのだとか。

徳川家康から初代藩主義直に拝領された様々な茶器とか茶壺とかそんなものが、もうホントにゴロゴロと展示されていたよ。中には、信長、秀吉の手を経て家康に伝わり義直の手に渡った千利休の抹茶碗とか、安土城落成の時に信長が愛で、後に秀吉、家康にも愛された12世紀宋代の茶壺とか、そういった重要文化財指定の品々がいくつもあるんだよね。
重要文化財がごろごろある家ってどんなの?重要文化財が家財としてある家ってどんなの?とクエスチョンマークが頭の中にぐるぐる飛び交う、不思議な美術館だったんだ。

鑑定団に出したら、きっと家財全体で○○億円といわれるに違いない、そんなお宝を集めた何とも豪壮な美術館。

分家とはいえ、何と言っても、江戸幕府260年を支えた徳川御三家筆頭のお宝だからね。葵のご紋も、燦然と輝いて見えたよ。

展示室の中は撮影禁止だから、写真はここまで。本館は昭和の初めにできたっていうから、戦災も逃れて今に至るんだね。


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