2019年11月11日

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2018年11月18日

トクヴィルの見たフランス その90 都市の行政の移り変わり

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


国王の恩顧を得ながら、ブルジョア階級は統治の、市民は自由(自治)の準備をするのである。


『旧体制と大革命』 1856年 p.169(ちくま学芸文庫)

1のコメント 90

18世紀が進むにつれて、正当な総会出席権をもつ名士の数が増加してくる。工業ギルドの代議員はその数を減らしているか、あるいは出席しなくなっている。その結果、総会にはもはや職人に参加の余地はない。すなわち、総会はブルジョアだけからなり、もはや職人に参加の余地はない」。

こうして市民は「公務への関心を失い、自分自身の殻のなかに閉じこもって門外漢のような生活をしていた」。それゆえ「18世紀には、市政府はどこでも小寡頭政治に堕していった。一部の家族が個人的な関心から、市民の目から離れたところで、市民に対して何の責任も負うことなく、都市の全公務を処理していた」。

かかる弊害を治療する方法として用いたのが、王権だった。王令により都市の諸法令を改正させるなど影響を行使した。その範囲は、些細な公務にまで及んだ。祭りや建物のイルミネーションにまで口を出した。表面上はこれらの抗することはなかったが、マグマだまりにエネルギーは充満していった。



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2018年11月17日

トクヴィルの見たフランス その89

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


都市の違いはもはや表層的・外見的なものにすぎず、その本質的部分はどこでも同じなのである。


『旧体制と大革命』 1856年 p.164(ちくま学芸文庫)

1のコメント
トクヴィルは、フランスの都市の多様性のなかに本質的同質性を発見する。それは都市の規模にかかわらず見られた。

「第一会議は都市役人によって構成されていて、成員の数は地域によって多少違っている」。構成員には、都市が官職を国王から買い戻したときは選挙、そうでなければ官職を買ったものが就いた。「いかなる場合も、都市役人は無給だが、つねに免税権と特権をもっている。都市役人間の階層秩序はまったくなく、行政は共同で行われる。行政を一人で支配する行政官は見当たらない。市長は、そうした行政官ではなく、市政府の議長である」。

第二会議は一般に総会と呼ばれているが、まだ選挙が実施されている都市では、市政府を選出した。どんな場合でも、第二会議は主要な公務の処理に関与し続けている」。15世紀には全市民によって構成されていたが、18世紀にはなると、総会は名士たちや自己の特権によって出席する者、ギルドなどの代表者によって構成されていた。市民は徐々に市政に無関心になっていく。君主が「自由選挙のイメージだけは何としても守らねばならない」と考えていたが、市民は動かなかった。トクヴィルはいう。「歴上このような光景ほどありふれたものはない。自由を圧殺したほとんどすべての君主の最初の仕事は、自由の形式を維持することである」。現代に通じる名言である。

しかし、このような「欺瞞的外見を長期間持続することは不可能だ」とほとんどの君主がやがて悟るのである。



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2018年11月16日

トクヴィルの見たフランス その88 都市の自治権 

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


都市は、自己の諸権利についてはまだ誇りを、自己の独立についてはきわめて強い執着をもっている。


『旧体制と大革命』 1856年 p.162(ちくま学芸文庫)

1のコメント 
「フランスでは、都市の自由(自治権)は封建制度の崩壊以降にも存続した」。つまり国王による中央集権が成立した以降も自治を行っていたのである。

「選挙がはじめて全面的に廃止されたのは、1692年のことだった。当時、都市の官職は売買に付されていた。すなわち、国王が各都市で、一部の住民に他のすべての住民を永久に統治する権利をうったのである」。しかしルイ14世はこれらの権利を買い戻し、あろうことか、また売買した。しかもその回数7回。目的は国家財政の逼迫である。当然、永久をうたった権利の価値は低下した。

もちろん選挙の有無、官職が売買によったものか否かは別と、その期間にあっても都市の自治は維持された。



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2018年11月15日

トクヴィルの見たフランス その87 支配者から後見人へ

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


政府の役割は、すでに支配者から後見人にかわっていたのである。


『旧体制と大革命』 1856年 p.159(ちくま学芸文庫)

1のコメント 
「旧封建社会において、領主は多くの権利をもっており、同時に大きな責務を負っていた。自領内の貧窮者を救済する義務は領主にあった」。

大革命の頃のヨーロッパにはこの義務は残っていたがフランスでは、領主の権力が早くから奪われていたから、その義務もとうの昔に無くなっていた。フランスでは、これに代わるものは当時いなかった。

国王顧問会議や地方長官は、農民の貧困に積極的に配慮しようとしたが、それは義務とは性格が異なるものだった。救済基金の割当て、食糧難時の小麦や米の配給、慈善作業場の建設などを行ったがいつも「盲目的で気まぐれだった」。これらの救済に代えて、積極的に行ったのは農業や工業の技術指導だった。彼らを「いやがうえにも豊かにしようと努力させようとした」のである。これらの姿は後見人というに等しかった。



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2018年11月14日

トクヴィルの見たフランス その86 中央集権の現実

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


貧乏貴族の目から見れば、地方長官たちは無理やり介入してきた権力の代表、ブルジョアや農民―つまりは下級階級の―統治を任された新参者なのだった。


『旧体制と大革命』 1856年 p.153(ちくま学芸文庫)

1のコメント
国王顧問会議、財務総監、地方長官という新しい支配がもっていた権限は多彩だった。

第一に、課税権である。これにはその他すべての権利が含まれているといえよう。賦課金の総額を国王顧問会議が決め、各州に割り当てる。課税額は予告なしに増額。そして地方長官がこれを執行した。小教区への割り当て、小教区徴税人の指導監督、延納や免税の許可の権限をもっていた。

第二に、民兵制の実施である。国王顧問会議が全国と州の民兵の割り当て人員を決めていた。地方長官は、各教区の割り当て数を決めていた。地方長官補佐が抽選を主宰し、免除権の許諾権をもっていた。

第三に、公共事業も同様だった。王国顧問会議は計画を決定し、入札に付した。地方長官が技師を監督し、地方長官補佐が工事の実施に必要な賦役を集めた。

そのた、各州における公共の秩序維持、憲兵隊の指揮は地方長官の権限の下にあった。司法権の最高位に、国王顧問会議が置かれた。



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2018年11月13日

トクヴィルの見たフランス その85 行政的中央集権

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


行政的中央集権は旧体制の産物であり、付け加えるなら、革命後に残った旧体制の政治制度の唯一の部分である。


『旧体制と大革命』 1856年 p.147(ちくま学芸文庫)

1のコメント
トクヴィルは古い行政的役職、機能を詳しく調べ一つの結論を導く。「国王の中心に、しかも玉座の近くに、特別の権力をもった行政職団が形成され、新たな方法によってそこにすべての権力が統合されていた。これが国王顧問会議である」。

王国顧問会議は、最高裁判所、高等行政裁判所でもあった。また高等行政顧問会議として、政府役人を指導すべき規則を制定する権限をもっていた。それは重要な公務を決定し、二次的権力を監督した。王国顧問会議の構成メンバーには、大領主はいなかった。中下層の家柄の者、地方長官経験者、公務の実務経験者で構成されていた。彼らは王座に隠れた影の存在だった。

実際の行政官は、国内全体は財務総監というただひとりの役員が担っていた。大蔵大臣、内務大臣、建設大臣、通商大臣を兼任していた。同様に地方も地方長官ただひとりに委ねられ、焼く30人の地方長官で全国が治められていた。彼は普通の家柄の者で任地の出身者ではなかった。さらに彼らの下には地方長官補佐が置かれ、担当する管区を治めた。このようにフランスの中央集権は究めて簡素なかたちで実現していた。



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2018年11月12日

トクヴィルの見たフランス その84 農民の感情に火が付く

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


ここで私が強調したい重要な点は、当時のヨーロッパ全域でまったく同じ封建的賦課租が見出されるということ、しかもそれは、大陸のほとんどの国でフランスよりも重かったということである。


『旧体制と大革命』 1856年 p.141(ちくま学芸文庫)

1のコメント
トクヴィルの疑問はこうだ。「この同じ封建的賦課租は何ゆえに、実質的な憎悪の対象でなくなったあとも、フランスの民衆の心に消すことのできない激しい憎悪をかきたてたのだろうか」。トクヴィルは2つの理由で十分と考えた。第一に、フランスの農民が土地の所有者になっていたことである。第二に、農民が領主の支配から完全に開放されていたことである。

「フランスの農民がまだ領主によって管理されていたなら、封建的賦課租はさほど耐えがたいものではなかっただろう。なぜなら、農民はその賦課租を、国家の制度の当然の帰結にほかならない、とみなしていたからである」。

しかし当時、貴族階級は政治と行政から離れ、特権と免除をもつ者としてしか存在していなかった。農民にはその存在理由が理解できなくなっていた。加えて、すでに土地を取得している農民とそうでない農民に分かれていた。「そのため農民は、まず政府にではなく、自分と同じく公務に無縁で、自分とほとんど同じく無能な、近隣の土地所有者たちに付賦課租を支払わなければならない」。同じ農民における格差が彼らの心に火をつけた。

トクヴィルは言う。「フランス農民の地位、欲求、気質、感情を想像していただきたい。できれは、農民の心の中に積り積もった憎悪と羨望が、いかにはかり知れないものであったか、想像していただきたい」。



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2018年11月11日

トクヴィルの見たフランス その83 貴族に残されたもの

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


領主は実質的に、免除権と特権によって他の住民たちから分離独立した一住民にすぎない。


『旧体制と大革命』 1856年 p.138(ちくま学芸文庫)

1のコメント
「領主の地位は変わってしまったが、その権力はもとのままである」。つまり形式は残っていたが、実質は失っていたということである。

領主とは貴族のことである。実際に領内の行政を司っていたのは、役人だった。「その役人はもはや、領主権の代理人でもなければ、領主の選任になる者でもなかった。なかには、州の地方長官によって任命された役人もいれば、農民自身によって選任された役人もいた」。

「小教区の全役員は中央権力の支配または監督のもとにあった」

つまり中央集権が各地に浸透していたのである。このような事態はフランス特有のものだった。このような改革を進めたのは、王権だった。貴族にのこったものは免除権と特権だけだった。しかし、その特権により収入だけは確保されていた。



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2018年11月10日

トクヴィルの見たフランス その82 負担感というエネルギー

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


フランスの農民は、ヨーロッパの他のいかなる国よりも、領主の支配を免れていた。農民を土地所有者にした革命ほど、大きな革命はないのである。


『旧体制と大革命』 1856年 p.136(ちくま学芸文庫)

1のコメント
フランス革命以前に農民は土地を所有していた。それ自体が革命である。それはフランス特有の事象である。「革命の効果は、土地を分割することではなく、当面土地を解放することだった」。つまり、より多くの土地を取得する機会をもつことだった。

「実は、小土地所有者は、自身の土地の耕作に関してきわめて不自由な思いをしていた。多くの束縛を耐え忍んでいたうえ、その束縛から自由になることを許されていなかった」。「負担は確かに重いものだったが、小土地所有者がこの負担を耐えがたいものに感じたのは、私見によれば、彼らがすでにその重荷を軽減されていたからにほかならなかった」。

重荷の軽減の中の負担感という感情が彼らには芽生えていた。土地を所有者しない農民はさらに重荷だったが、彼らが感じる負担感とは異質なものだった。一部の自由を感じたからこその不自由感が根底にはあった。時代が動くとき、必ずそこには感情がある。それが革命のエネルギーとなった。



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2018年11月09日

トクヴィルの見たフランス その81 土地の細分化が進んでいたフランス

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


一見しただけで、驚かされることがある。


『旧体制と大革命』 1856年 p.131(ちくま学芸文庫)

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トクヴィルはこう記して第二部を始めた。フランス「革命が勃発したのは、この中世の制度が比較的よく残っていて、民衆がその苦痛と過酷さに最も強く悩まされていた地方ではなく、逆に、民衆がその苦痛と過酷さをほとんど感じていなかった地方である。つまり、中世の制度の束縛は、実際それが最も軽かったところで、最も耐えがたいものと思われたのである」。

フランス革命の目的が、中世の諸制度の廃止にあるのであれば、負担感の重い地方から革命の火の手が上がると考えるのが普通であるが、事実は逆だった。

同じ時期、ドイツではまだ農奴制はまだ完全に廃止されていなかった。しかし当時フランスでは、農奴制はほぼ完全に消滅していた。しかも何世代も前の出来事だった。ある地域では、すでに13世紀には廃止されていたといわれている。

フランスの農民は、農奴から解放されただけでなく、土地所有者にまでまっていた。大革命前には農地は無数に細分化され、社会問題になっていた。「相続財産の平等な細分化が不安をかきたてている。いささかでも所有したい、とだれでもが考えているので、土地はいたるところで限りなく分割され、たえずされているのである」との行政報告書がある。



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2018年11月08日

トクヴィルの見たフランス その80 トクヴィルのバーク批判

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


ヨーロッパの古い慣習法の廃止を目論む革命である、ということをバークは気づいていない。


『旧体制と大革命』 1856年 p.127(ちくま学芸文庫)

1のコメント
トクヴィルは、「当時最も洞察力に富む人々の目にさえ、混乱して不透明なものと映ったのである」とし、イギリスの保守主義の大物バークの言葉を引用した。

「あなた方は自国の政治の悪弊を正そうとしていますが、なぜ新しいものを作るのですか。どうしてあなた方は、フランスの古い伝統に立ち返らないのですか。どうして古い自治権を取り戻すことだけにとどめないのですか。あるいは、先祖伝来の基本法のありし日の特徴を再発見することが不可能ならば、どうしえ英国に目を向けないのですか。そうすれば、まさしくそこにヨーロッパの古い慣習法を再発見したことでしょうに」。

トクヴィルはバーク発言を批判した。バークは機能する社会のためにもっている道具を使えと述べた。これに対して、トクヴィルは破壊することが目的だと述べた。機能する社会をつくることではなく、旧弊を壊すことが大革命の本質だと述べた。機能する社会は大革命によらずとも10世代にわたってできつつあったとトクヴィルは認識していた。その意味では、フランスでは保守主義的改革がすでに行なわれていたことになる。



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2018年11月07日

トクヴィルの見たフランス その79 大革命の原因

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


大革命の勃発は、決して偶発的な出来事ではない。


『旧体制と大革命』 1856年 p.127(ちくま学芸文庫)

1のコメント
出来事には原因があるとドラッカー教授はいった。社会生態学は、人間という動物の環境である社会の変化を追う。トクヴィルが社会生態学の祖の一人である所以である。

「確かに大革命は突如として世界を襲ったけれども、長い産みの苦しみの当然の帰結、10世代もが努力を傾注してきた活動の突然で激烈な結末にほかならなかった」。その意味で「大革命が起こらなかったにしても、古い社会体制はやはりいたるところで崩壊しただろう」。

「大革命は、長期にわたり少しずつおのずと終結に向かう事態を、急激に終結にいたらしめたのである。それも、混乱と苦しみのうちに一挙に、何の顧慮も払わず何の配慮もせずに、そうしたのである。これが大革命の成し遂げたことである」。



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2018年11月06日

トクヴィルの見たフランス その78 大革命の成果

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


大革命は結果的に、何世紀もの間ヨーロッパの大多数の民族を完全に支配してきた、一般に封建制と呼ばれる政治制度を廃止して、諸条件の平等を基礎とする、より画一的で単一の社会的・政治的秩序を樹立した。


『旧体制と大革命』 1856年 p.123(ちくま学芸文庫)

1のコメント
第一部の最終章(5章)のタイトルは、「フランス革命の本来の成果は何だったのか」である。「これまでの考察の目的は、ひとえに主題を明確化し、当初提起した次のような問題への解答を容易にすることだった。

「大革命の真の目的は何だったのか。大革命の本来の性格は何か。一体なぜ大革命は起こったのか。大革命は何を成し遂げたのか」。

封建制度は、ヨーロッパの宗教、法律、思想、感情、慣習、習俗などと絡み合って存在していた。「こうした社会本体のあらゆる付属物の一部を一挙に除去し破壊するためには、恐るべき激動が必要だった。だからこそ大革命は、実際以上に大きなものに見えたのである。大革命が全体を破壊したように見えたのは、破壊されたものが全体と関連性をもち、いわば一体化していたからである」。



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2018年11月05日

トクヴィルの見たフランス その77 イギリス社会の活力の蘇生

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


新しいものが古い社会に少しずつ巧みに導入されたからこそ、この社会は解体を恐れることなく活力を蘇生させ、古い正式を残しつつ新鮮な活気に満ちあふれたのである。


『旧体制と大革命』 1856年 p.123(ちくま学芸文庫)

1のコメント
17世紀のイギリスは、すでに近代的国家に変貌していた。中世の残額はいくらか残っていただけで、たとえるならば、防腐保存を施されていた」。

17世紀以来、イギリス社会に定着した新しい原則がある。封建制の実質的廃止、諸階級相互の混交、貴族階級の消滅、上流階級の開放性、富の権力化、法の前の平等、税負担の平等、出版・報道の自由、討論の公開などである。

このような状況は、フランスやドイツに先んじていた。トクヴィルは言う。「フランスだけを研究・考察の対象としたのでは、フランス革命の理解はまったくおぼつかないものになる」と。



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2018年11月04日

トクヴィルの見たフランス その76 背後にあるもの

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


生きて活動し生産するものはすべて、どんなに新しく見えるものでさえ、新しさのうしろに古い起源を有しているものなのだ。


『旧体制と大革命』 1856年 p.122(ちくま学芸文庫)

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この言葉こそ社会生態学者の金言である。当時、老化する政治を誰もが憎悪していた。しかし、当時のヨーロッパとりわけ、ドイツやフランスは、「社会は大いに活発で、繁栄は上昇の一途をたどっていた」。つまり社会は機能していたが政治は沈滞していた。

トクヴィルは、ドイツの著述家の言葉を引用した。「現在の事態は一般に不愉快で、時に軽蔑すべきものとなっているようである。今日のように古いものすべてを信用しない風潮は奇妙である。新しい風潮が家庭のなかにまで入りこみ、その秩序を乱している。わが国では家政婦にいたるまで、もはや古い家具を我慢して使おうとはしない」。「これこそ、当時の情景の実に見事な描写となろう」。



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2018年11月03日

トクヴィルの見たフランス その75 老衰への道、民衆の憎悪

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


上流階級(アリストクラシー)もこうした病気との接触のなかで、同じ老衰への道をたどった。


『旧体制と大革命』 1856年 p.120(ちくま学芸文庫)

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「いまなお存続している中世の権力は、すべて同じ病気におかされている。これらの権力はみな同じ衰弱と衰退に陥っている」。「これら古い制度は改悪されたわけではなく、まるで自然に老衰の道を歩んでいった」。

「古い制度を何の変化も加えず守っていたところでは、(中略)文明の進歩に貢献するどころか、その妨げとなった」。「それは老化することによって、日ごとに信用を失っていった。そして奇妙なことだが、この制度は、ますます衰退し無害になるにつれて、ますます憎悪をかきたてた」。

時代が動くとき、そこには感情がある。憎悪がエネルギーとなり、地殻を動かす。



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2018年11月02日

トクヴィルの見たフランス その74 社会の文明化、政治の未開状態

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


市民社会が文明化されるにいたったのに、政治社会は逆に未開状態に陥っているかのようなのだ。


『旧体制と大革命』 1856年 p.120(ちくま学芸文庫)

1のコメント
「思うに14世紀には、ヨーロッパの社会、政治、行政、司法、経済、文芸の諸制度は、おそらく今日以上に多くの類似性を有していた、といって過言ではなかろう。今日にいたって、文明はあらゆる交流の道を開き、あらゆる障壁を低くしようと心がけているかに見える」。

しかし「18世紀になって、この古い制度がいたるところで崩壊に瀕していた」。それは、「一般にヨーロッパ大陸の東部ではさほど顕著ではなく、西部のほうで顕著だった。しかし、いたるところで老化と、しばしば老衰が現れていた」。

たとえば、土地台帳に崩壊の姿が現れている。「私は、体系性と明確さ、賢明さの傑作ともいえる14世紀の土地台帳を見たことがある。土地台帳は、知識の普遍的進歩にかかわらず、最近のものになればなるほど、分かりにくく、まとまりの悪い、不備で不明瞭なものになっている」。なぜこのような未開状態に放置されたのか。



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2018年11月01日

トクヴィルの見たフランス その73 封建時代の類似性

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


私はフランス、イギリス、ドイツの中世における政治制度を研究する機会をもった。その作業が進むにつれて、私はこの3国の法律がことごとく酷似していることを発見して、大いに驚いたものである。


『旧体制と大革命』 1856年 p.118(ちくま学芸文庫)

1のコメント

「この3つの民族の相違は明らかだし、交流の機会も少ないのに、なぜこれほど類似した法律をもつことができたのだろうか」。法律の細目は、各国とも際限なく変化している。しかし、その基盤は同じである。

・同一成員による政治的議会]
・政治的議会の権力
・社会区分
/階級区分
・貴族の地位と特権
・貴族の顔つきと気質
・都市の制度
・農村の制度
・農民の生活条件
・土地所有制度
・土地の耕作権
・耕作者の税負担
・領主制
・領主裁判所
・封土
・地代
・賦役
・封建的賦課租(権利)
・ギルド

「さらいに注目すべき点は、唯一の精神がこれら類似した制度全体を支えている、ということである」。



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2018年10月31日

トクヴィルの見たフランス その72 封建社会の法律の類似性

ドラッカー教授の思想に大きな影響を与えたアレクシス・トクヴィル。名声を獲得するきっかけとなった著書『アメリカの民主政治』に次いで出版された未完の書『旧体制と大革命』からドラッカー教授の社会生態学の深層部への影響の一端を探る。


この不統一な全体のなかから、突然画一的な諸法律が生まれてくる。


『旧体制と大革命』 1856年 p.117(ちくま学芸文庫)

1のコメント
トクヴィルは、フランス革命が起こる前のヨーロッパを大局的に概観した。「ローマ帝国を滅ぼし、ついに近代的国家を形成した諸民族は、人種も領主も言語も異なっていた。これらの民族の類似点といえば、未開状態だけだった」。

「これらは帝国の版図に安住しながらも、長期にわたって大混乱のなかで衝突し合っていた。諸民族がついに安定状態に達したとき、衝突がもたらした荒廃によって、民族は相互に分裂した。文明はほとんど壊滅し、公共の秩序は崩壊し、人間相互の関係も困難で危険なものとなった。そして大ヨーロッパ社会は、独立した無数の敵対的な小社会に分裂した」。

しかし、このような不統一な状態から、ローマ法とはまったく異なる諸法律が突如として生まれた。この法制度の特徴は独創的で、相互に整合性をもち、全体として体系だった大法典だった。これらの法律は、封建的賦課租権利などをはじめとした、土地とそのから生まれる果実などを定めたものだった。



pfd at 06:00|PermalinkComments(0) 社会生態学の系譜