2019年11月11日
はじめに・・
世にドラッカー・ファンが増え、すべての人がマネジメントという方法を手にすることを願ってwebサイト<Dラボ>を設けました。ぜひご覧ください。
◆あなたにもある
【ポリシー】
ドラッカー博士の一ファンとしてビジネスを行ううえで影響を受けた一言などを中心に思いのまま書いています。他の経営者やエグゼクティブの皆さんにもお役に立つことができれば嬉しく思います。
カテゴリー別にお読みいただくことをお奨めします。
最新の記事は次の次に掲載されています。
読書会とドラッカーに関するwebサイト<Dラボ>を2018年4月に開設しました。
2019年10月13日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法212 政治危機の原因
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
政治危機のほとんどは、すなわち政府の命運を決する決選投票は、一般に外交政策上の問題、ないし新しい法律問題のどちらかをめぐって生じる。
『イギリス憲政論』(1867)p.394
◆D1のコメント
今もイギリスはEU離脱を巡って政治危機の中にいる。「外交政策上の問題は、すでに政府がある行為をしてしまっているということから、しかも締結した条約について、立法部の一院―それは衆議院であって、貴族院ではない―に対してのみ、信任を問うということから生じる」。
これに対して「たいていの国内問題については、慣習ないし法律のいずれかによって大権行使を制約してきた。国家の統治方式は、現行法に従っているので、たいていは決まりきった型にはまっている。しして行政のほとんどは、この型を守って活動している」。
「しかし今では、権限は君主にはなく、首相や内閣にある。つまり議会の任命する一委員会の手中にあり、またその委員会の委員長の手中にある」。したがって政治危機は、内閣と議会において起こる。ブレクジットを前に停滞する政治状況が端的に示している。
2019年10月12日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法211 国王の牽制
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
なぜわれわれは、君主がこのような行動、ないしそれに近い行動に出るかもしれないことを恐れないのか。
『イギリス憲政論』(1867)p.392
◆D1のコメント
バジョットは国王の大権について言及した。大権、それは「法律上君主が議会に諮問しないで行使」である。
・軍隊の解散
・軍人の解雇
・軍艦や軍需品の売却
・戦争の開始
・文官の解雇
・すべての犯罪者の特赦
・領土内の政府の行為の取り消しなど
その権利は広汎である
なぜこのような状況を国民は恐れないのかとバジョットは問う。「それは、2つの牽制が行われているからである。その一つは従来からの素朴な牽制である。いま一つは近代的な精巧な牽制である」。
たとえば大権の行使を進言した大臣は法の裁きを受ける可能性があることなどが決まっていた。国王が単独で何かを考えるというのは、不可能だからである。必ず助言者の存在があるはずである。
2019年10月11日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法210 被統治者の意識
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
イギリス人がだれに統治されることを望んでいるかといえば、それは賢明な財産家なのである。
『イギリス憲政論』(1867)p.390
◆D1のコメント
統治されるものとする者。被統治者は賢明は財産家、その多くは伝統と貴族という地位、すなわち尊敬心をいだかせる者に統治されることを望んでいる。
「天才的な貴族といえども、統治の才能においては、これに及ばない」とバジョットは明言した。理由は被統治者たちの意識である。地位と伝統が才能に勝るのである。
一代貴族という制度ができ才能ある貴族院議員が生まれたが、国民は才能で統治されたいと思っていないことを知らなければならない。それは貴族院を才能の場にしてはならないということでもある。尊敬の場にしなければならないということである。
2019年10月10日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法209 貴族院の存亡
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
「なぜわれわれは、このような地位にくぎづけられているのか」
『イギリス憲政論』(1867)p.385
◆D1のコメント
貴族の自問自答は続く。「なぜわれわれは、衆議院で、もっと多くの勢力をもつことができないのか」、「「なぜわれわれには、実質的な勢力が与えられず、こんな形式的な地位が与えられているのか」、「非現実的な権威よりも、実際に勢力をもちたいのになぜしれをもてないのか」。
バジョットの答えはこうだ。「貴族全体としては、貴族院が存在しているかぎり、社会に対し測りしれない大きな勢力をもっている。貴族院が廃止されるなら、おそらく現在ほどの勢力をもつことははいと思われる」。
そしてこうも予見した。「貴族院が存続しているかぎり、嵐に遭遇するであろう。この嵐は、貴族院以外のすべてのものをも、現状のままにとどめておかないであろう」。たとえば「名門貴族の全財産を長男に貴族させるという奇妙な制度を打倒するであろう」。「民衆が激情に駆られている時代には、そのままでは済まされないであろう」。しかし貴族院は150年経った今も存在している。イギリスは保守的に安定を求めたのである。
2019年10月09日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法208 反貴族的国民感情
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
イギリス人は、容易に、実際の感情と正反対の反貴族的感情にとらわれることになる。そして内面の個人的感情としては、地位を特に尊敬しているにもかかわらず、集団的行動においては、激しくこれに敵対する。
『イギリス憲政論』(1867)p.384
◆D1のコメント
具体的には、「たいていの人間は―少なくとも大多数のイギリス人は―、地位には非常に弱い」。しかし「何人かが団結すると、個人としては心中ひそかに地位を尊敬しているにもかかわらず、集団としては、いささか激しい、地位に対する攻撃演説を根気よく聞き、ときには拍手を送って賛成するのである」。
「そのため1832年には、ほとんど貴族の手中にあった独占選挙区ばかりか、貴族の所有と見られた、より多くの選挙区もまた、国民の歓呼の中に一掃されたのである」。
「したがってこれに類似した、興奮に沸き立つ事件がもう一度生じるとき、貴族院みずからが存在意義を示すことができないなら、廃止されるかもしれない」。バジョットの懸念は杞憂に終わる。21世紀の今なお貴族院は存在しているからである。
2019年10月08日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法207 非物質的優越者の存在
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
社会の「物質的」優越者は、非物質的優越者を、しきりに尊敬したがっている。
『イギリス憲政論』(1867)p.383
◆D1のコメント
バジョットは、150年前の現実を金権階級は、貴族階級をしきりに尊敬したがっていると評した。そして「この従順を政治の場で巧みに利用するならば、これほど役に立つものはない。これを無視したり、拒否したりするのは愚の骨頂である」とまで言い切った。
バジョットによれば尊敬心は機能とともに統治の重要な要素である。「この尊敬は、政治上の優越者が政治的に無力な者を尊敬することであるから、非常に重大である。選挙に際しては、貴族の称号をもたない者のほうが、もっている者よりも有力である」。つまり、金権階級が有力である。貴族院が選挙の主役となることはない。
2019年10月07日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法206 「地位」という価値
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
現在のイギリスのように、地位が貴重な「市場」価値をもっている国はどこにもない。
『イギリス憲政論』(1867)p.383
◆D1のコメント
貴族院と衆議院は、それぞれ貴族階級と金権階級を代表する存在であった。この状況で「貴族は、金権階級と競争することによって、本来の地位を失いつつある」。
「貴族は、本来の地位を利用するならばほとんどの権力を獲得できるであろう。かれらは、金権階級の指導者になるべきである」とバジョットは提案する。
「わが国では、すべての由緒ある家族や貴族の称号をもった家族が、財産の規模では平等ないし優越している者から、また、教養の程度は平等であって、ただ家系や地位の点で劣っている者から、無条件に尊敬されている。こんな国は、ほかにはまずあるまいと思う」。
2019年10月06日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法205 大衆支配の防止
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
大衆の支配を効果的に防止するためには、同士討ちをしてはならない。
『イギリス憲政論』(1867)p.382
◆D1のコメント
バジョットは大衆支配の危険に声を上げた。彼は、選挙法改正により「新しく有権者となった無知な大衆は非常に警戒すべきである」とした。「この大衆に抵抗するために、できるかぎり強い団結力をもつことが望ましいのである」とし、貴族院と衆議院の分離が逆の効果をもたらしていると警鐘を鳴らした。両者の主たる関心は一致している。すなわち「教養のない大衆の支配を防止し、減殺することである」。
しかし「衆議院は相変わらず主として金権階級を代表し、貴族院は貴族階級を代表している」。両者は交わることがない。「同士討ちをしてはならない。共同の敵から援助を求めようとして、競争するようなことがあってはならない」。
このような状況にあっても「教養と財産をもった二大集団は、選挙運動によって勝敗を決めようとしている。そしてかれらが働きかける選挙民の大多数は、いまや無教養な貧民から成り立っているのである」。このような考え、動きが150年前の現実である。
2019年10月05日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法204 保守主義者の態度
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
わたしは実際的な目的を重視するのであって不変の法則というものを信じない。
『イギリス憲政論』(1867)p.382
◆D1のコメント
何も変えないというのは、保守主義者の基本的なスタンスではない。バジョットやドラッカーは、漸進的保守主義者である。継続するために変えるというスタンスをもっている。
「第一級の重要問題については、ひとたび衆議院の大多数が法案を通過させたかぎり、これを拒否するに当たっては、貴族院は慎重な、しかもきわめて慎重な態度をとるべきである。わたしはこれをルールに近いものにしてよいと主張したい。もちろんこれを、不変の法則にしようとは考えていない」。
冒頭の文章はその理由である。貴族院は民意と反するような決議をしてはならないと強調した。バジョットは、これをルールに近いものとまで述べた。
2019年10月04日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法203 慣習の樹立
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
われわれは、つぎのような黙契のルールをつくり、また明文化されないが、つぎのような有効な慣習を樹立しなければならない。
『イギリス憲政論』(1867)p.380
◆D1のコメント
バジョットは、議会の新しい慣習づくりに言及した。具体的には、「新しい憲法が譲歩を要求するときは、そのたびごとに貴族院は衆議院に譲歩しなければならないということである」。
「それでは、衆議院に譲歩するのはどんな場合であるのか、また譲歩することをどんな基準で判断すべきであるか」。
バジョットはこう答える。「衆議院の意見が国民の意見でもあるときはいつでも、また国民が決意していることが明らかなときはいつでも、貴族院は譲歩しなければならない」貴族院には拒否権がある。それゆえもし民意に反して反対を続けるならば、革命が起こるという。
2019年10月03日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法202 変化のタイムラグ
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
この法律によってできた制度を動かしていた政治家自身は、この法律によって打倒された制度の下で教育を受けてきたのである。
『イギリス憲政論』(1867)p.379
◆D1のコメント
1832年の第1次選挙法改正の効果が出るのには時間がかかる。旧勢力である貴族階級は徐々に少なくなるからである。これまで持っていた貴族階級出身の政治家の「圧倒的な指導力は、かれらのつくった制度とともに終わりを告げた」。
「これは全く奇妙なことである。パーマストン卿、ラッセル卿、ダービー卿などは、1867年の1,2年前後に死亡し、またそのほかの者も勢力を失った」。バジョットは奇妙と表現したが社会生態学的には1832年の時点で事は決していた。それは「すでに起こった未来」だった。有力な政治家の去就は結果に過ぎない。原因は選挙制度を変更せざるを得なくなった社会の変化にある。社会の事実上の支配権が中産階級に移っていたからである。法律や制度は現実を追認するだけである。それゆえ制度に基づく政治家の入れ替えはさらに緩慢になる。
2019年10月02日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法201 中産階級の勃興
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
現在の衆議院の精神は、金権政治的であって、貴族主義的ではない。
『イギリス憲政論』(1867)p.379
◆D1のコメント
1832年の第1次選挙法改正で始まったシフト、すなわち貴族階級から中産階級への支配権の移動は、1867年の第2次選挙法改正で完成した。
「政界において中産階級出身者は、第2次選挙法改正によって非常に増大した。これに反して、貴族階級出身者は非常に少なくなった」。
「最も著名な政治家たちは、由緒ある家系の者でもなければ、また巨大な世襲財産の所有者でもない。かれらの大多数は豊かな財産家であるが、そのほとんどは、程度の差こそあれ、貿易に携わる新興成金と密接な関係をもっていた」。
2019年10月01日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法200 支配権のシフト
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
貴族や地主は、衆議院において優越性を失い、支配権は中産階級に移った。
『イギリス憲政論』(1867)p.378
◆D1のコメント
1832年の選挙法改正は支配権が中産階級にシフトする機会となった。その後、1867年の選挙法改正がこれを完成させた。すなわち貴族院対衆議院の関係の変化がこれを決した。
それまでの両者の関係は、両者は本質的に分離されていなかったということである。「貴族は、多くの自治邑や県において圧倒的な勢力をもっていたため、かなりの衆議院議員を指名していた。また貴族の力に左右されなかった議員は、比較的裕福な地主であって、ほとんど貴族と同列に並ぶ人間であり、貴族に親近感をいだいていた」。したがって両院は非常に類似しており「地主階級の出身であり、貴族の称号をもつか、もたないかの相違があったにすぎない」のである。
しかし地殻変動的変化が選挙法の改正によってもたらされた。しかし、その背景にある現実は中産階級の勃興である。「それ以降両院は、区別されるようになった」。しかも衆議院を優越するように変化した。
2019年09月30日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法199 少しずつ敗ける
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
下層階級は、敗戦によって、特に長期にわたって善戦しながら敗れた場合、団結することを十分に学び取るであろう。
『イギリス憲政論』(1867)p.377
◆D1のコメント
バジョットは下層階級の政治的団結は悪であり、これを回避すべきと考えていた。「これを回避させるのは、ただ上層階級のもつ最大の英知と洞察力だけである。上層階級は、すべの悪を回避しなければならないばかりか、およそ悪と思われるものも回避しなければならない」とし、その役割を強調する。
「かれら(上層階級)がまだ権力をもっているかぎり、すべての現実的不満を除去しなければならないばかりか、できるかぎり表面上の不満をも除去しなければならない。その際、譲歩しても差しつかえない要求には進んで譲歩すべきである。さもなければ、国家の安寧を害するような要求に譲歩をしいられることになるであろう」。
バジョットは上層階級と下層階級の闘い方を記したのである。少しずつ敗けるという闘い方を指摘した。このような指摘の背景に国の安寧があることは忘れてはならない。
2019年09月29日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法198 政治的団結という悪
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
下層階級の政治的団結は、それ自体、またその目的からして最大の悪である。
『イギリス憲政論』(1867)p.376
◆D1のコメント
今から150年前の民主主義の先進国イギリスのトップジャーナリストであるバジョットの言葉である。それが当時の現実。なぜそう考えたのか。
「下層階級が団結をつづけるなら(その多くが選挙権をもっている現在では)やがてわが国の支配権を握るであろう。かれらの現状からすれば、教養に対する無知の支配を意味し、知識に対する数の支配を意味している」。
バジョットは続ける。「しかしかれらが団結行動の大切なことを学び取っていないかぎり、これを回避できる可能性はある」。「可能性はある」との言葉からバジョットは将来において下層階級が団結行動し政治に力を発揮する未来を感じていたのがわかる。
2019年09月28日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法197 真理を語らず票を欲しがる
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
わたしは、教養ある人士や財産家から成る二大政党が、絶えず一団の無知な貧民の決議に服することを表明して、それを実行するために政権を争うことは、貧民を腐敗させ、悪化させる最大の原因であると考える。
『イギリス憲政論』(1867)p.376
◆D1のコメント
政治家は重要な真理を語るべきである。しかるにこの教訓を無視する。「だれでも、2と2を足せば4になるということを知っている、こんなわかりきったことを説いたところで、なんの役にも立たない、といわれるかもしれない。しかしわたしは、右に述べた教訓は実際に守られていないと反論したい」。
この教訓の無視の結果として生まれるのは、「貧民の決議に服する」ことである。「労働者がキャスティングボードを握っているので、その票を乞食のように欲しがる」のである。結局、事態を悪化させる。高齢者の票を頼みに政策を捻じ曲げるの愚は、現代の悪癖である。
2019年09月27日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法196 政治家の発信力
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
政治家は、個性を示し、わかりやすい方法で、みずから確信している重要な真理を語るべきである。
『イギリス憲政論』(1867)p.375
◆D1のコメント
バジョットは、政治家は概要を示しさえすればよいとする。なおつけ加える。「少々うち解けた態度で、ユーモアをまじえて説明するなら、なお結構である」と。国民に対する指導力の発揮とはそういうことである。結局、国民に恩恵をもたらす。ワンフレーズを唱え日本の首相の顔が浮かぶ。
「しかるに特に民衆の間に、はなはだしい無知が異常な勢いで横行しているとき、無知な民衆の決定を受け入れ、これを熱心に実行しようとするならば、その政治家は、単に国民の雇い主に堕し、国民に害を与えるだけで役には立たないのである」。
2019年09月26日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法195 議論の仕方
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
取り上げる問題の議論の仕方も、問題の選択とほとんど変わらないくらい重大である。
『イギリス憲政論』(1867)p.374
◆D1のコメント
何を議論するのかも大事だが、議論の仕方もそれに匹敵する重要性をもっている。「民衆を指導し、民衆から指導されないようにするのが、指導的政治家の責務である」。
しかし「わが国のように、政治家たちが民衆の人気に頼っているという場合には、この教訓を守りにくいことはいうまでもない」。150年前民主政治の先進国であるイギリスでもすでにポピュリズムが政治を支配していた。それゆえ純理的(ドクトリネール)のものの言い方では不人気になる。「不作法な態度をとる政治家は、想像力の欠如を暴露し、人を指導する能力のないことを公表しているのである」。
政治家が指導機能をそれとは悟られないように発揮するのは至難の業である。もしその努力を放棄すればポピュリズムに堕する。「民衆を指導するのに、理屈を並べ立てる必要はない。ものものしい注釈つきの議論などは、なおさら必要ではない。主として必要なのは、明確な結論を堂々と述べることである」。
2019年09月25日
社会生態学者バジョットの気質・思考・手法194 民衆と政治家
「その気質・思考・手法において私に最も近いのは、ビクトリア朝時代のイギリス人、ウォルター・バジョット(1826〜77)である」と述べたドラッカー教授。その著書『イギリス憲政論』から社会生態学の深層部への影響を探る。
民衆の精神が興奮状態にあるときは、政治家は全くといってよいほど選択の自由をもっていない。
『イギリス憲政論』(1867)p.374
◆D1のコメント
選挙権が拡大されつつある時代、バジョットは民衆と政治家の関係について次のように考えた。「政治家たちが争点を提供する場合に、取捨選択の絶対的自由をもっているとは考えない」。
そこには厳しい制約がある。「民衆の不穏な動向によって、なにを問題として取り上げたらよいか、また取り上げてはならないかが決定される」。興奮状態において政治家が選択肢を持たないという現実は、2019年の香港の状態を一例に挙げるだけで十分であろう。
「しかし反面、平穏なときには、政治家は大きな力をもっている。火がともっていないときには、かれらはどんな火をともすべきかを決定することができる」。