大津浪記念碑-01
(via. 釜石市津波防災教育のための手引き)


大きな地図で見る


執筆 - この道しかない春の雪ふる: nakatanigo

沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって家屋の被害を全く被らなかった地域がありました。
それは何故だったのでしょうか。

重茂半島東端の姉吉地区は、1896年、1933年に発生した大津波によって大きな被害をうけた地区でした。昭和の大津波直後、住民らが石碑を建立。次代のコミュニティへの教訓をそこに刻んだのです。

「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ) 此処(ここ)より下に家を建てるな」

姉吉地区ではこの教えを守り、石碑より下に家を立てませんでした。その結果、今回の大地震における津波も石碑の約50m下で止まり、家屋の損壊は無し。

地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


こういった教訓を残した場所はここだけではありません。青森県から宮城県に至る三陸海岸各地に約200基の津波記念碑が建てられています。釜石市の「釜石市津波防災教育のための手引き」にある「津波常襲地域に残る先人の教訓」(PDF) に詳しく有るのでその一部をご紹介します。

大津浪記念碑-02
大津浪記念碑-03

(via. 釜石市津波防災教育のための手引き)



そのなかには、脈々と語り継がれた過去の大津波の恐怖と教訓が書かれたものもあります。

復興と同時にけっして無くなることのない自然災害に対して、経験者はそのコミュニティにどのような警告を残すことができるのか。それは激甚な被害な受けた地域にのみ言えることではないように思います。自然災害の多い日本において、それにどう対峙し生活していくのか。その示唆を感じるニュースではないでしょうか。

最後に釜石市に残る石碑の言葉を記しておきます。

この記念碑は、いつしか無くなるであろう。
しかし、この恨みを滅してはならない。この記念碑のことを口にして、長く子孫に語り伝えよ。 ああなんたる悲劇であろうか 両石村をもって死んだもの790人。その狂乱の中、無事生き残ったものわずか204人のみ

釜石市津波防災教育のための手引き - 語り伝えよ (PDF)