2005年09月12日

『ハウルの動く城』〜Oisillon de Guerre(下)〜

Howl's Moving Castle『ハウルの動く城』公式サイト

『ハウルの動く城』DVD

宮崎駿監督に「栄誉金獅子賞」 ベネチア国際映画祭

 

『ハウルの動く城』〜Oisillon de Guerre(上)〜

今年のヴェネチア映画祭では宮崎駿が栄誉金獅子賞を受賞して、
宮崎作品好きとしては、何ともうれしいかぎりです。
受賞を記念して宮崎駿の作品をどれか一つ見てみようしたところ、
今までコロッと忘れていたことを思い出しました。
『ハウルの動く城』の感想が「上」で投げっぱなしになっているではないですか!
とはいえ、『ハウルの動く城』の「伏線投げっぱなし具合」にくらべれば、
記事を4ヶ月間放置していたことなど、どうってことありません。
それくらい『ハウルの動く城』のストーリーは、「上」の記事でも書いたとおり
ハチャメチャになってます! 
普通の映画監督なら駄作の烙印を押されるのは間違いないでしょう。

が、そういう大いなる破綻を補ってあまりあるパワフルさ・描画の細やかさが
この作品の大きな魅力なのです。
ストーリーの整合性で観客をうならせるよりも、破綻のあるストーリーで
観客の心を動かすことのほうがはるかに難しいこと、
それを軽々とやってのけるとはさすが世界の宮崎駿です! 
女性向けには「ハウル萌え〜」という見方もできるように、
子供には動く城や空飛ぶシーンのビジュアル的面白さだけでも楽しめるように、
その他、どでかい破綻に多種多様な解釈ができるように、
数々の「セーフティーネット」を設けているのが巨匠たるゆえんですね。

過去の記事では宮崎作品に触れる機会があまりもなかったので
宮崎駿作品の現時点でのマイ・ランキングをここで挙げておくと、

一位 『ハウルの動く城』
二位 『千と千尋の神隠し』
三位 『天空の城ラピュタ』
四位 『風の谷のナウシカ』
五位 『魔女の宅急便』&『紅の豚』

の順になります。『もののけ姫』以後の作品と、80年代の作品がとくに好きです。
どれもこれもが質の高い宮崎作品の中でも『ハウルの動く城』が一番であるのは、
いまだかつてないくらい好き放題に作ったところですね。
いちおう原作はあるものの、映画が原作を凌駕しているように思います。
公開当時は、原作を読んでも映画がちんぷんかんぷんだという意見が多々見られました。
この無茶っぷり、「原作クラッシャー」ぶりは
押井守の『パトレイバー2』&『うる星やつら2』に並ぶものです。

ストーリーが破綻だらけなので、事実上ネタバレがあってないような作品なのですが、
以下、ストーリーの最後の部分に触れた感想が続きます。



ストーリー(らしきもの)の基本線となっているのは、「Boy meets girl」ですね。
ソフィーがハウルに出会い、ハウルがソフィーに出会って一緒に暮らしていく過程を
物語の骨格にしているのです。
とはいえ、二人の心情を細やかに描くことなどまったく眼中にありません!
ソフィーは落ち込んだり喜んだり怒ったりボロ泣きしたりと、
情緒不安定極まりなく、その内面が不可思議で一貫性のかけらもありません。
ソフィーの内面をフォローしようとすると、作品に乗り切れなくなってしまいます。

それではどうすればいいかというと、「見たまんま」で万事オッケーなのです。
ソフィーもハウルも、「ビジュアル面」に注目すれば、その変化が自ずとわかります。
これは、「変わること」それ自身に重きを置いているからなのでしょう。
ハウル、ソフィー、その他の登場人物も、姿形・心境が絶えず変わり続けていくのが
ミソとなっているのです。誰一人として同じ状態を保ってはいません。
スパイ犬のヒンまで心変わりしていますから!

ハウルとソフィーたちの「ファミリー」の関係を成り立たせているのは、
こうした「変化の度合」が同じであることに根ざしていますね。
「今の状態」が同じであることでなく、「変わり方の度合」が同じであることが、
関係の基盤となっているのです。
落ち着くべきところに落ち着くまではただひたすら姿と心が変わり続けていく様子は、
なんと軽やかで自由なんでしょう!

ソフィーがハウルに出会って「心が解放していく」過程も、見どころたっぷりです。

まずは背中の「羽織りもの」に注目すると、
動く城に乗り込むとき、一度羽織りものがぶっ飛んでしまいます。
それを「かかしのカブ」が拾ってきてくれる。
その後、動く城が空を飛んでいるのに感動したとき、
風にあおられ羽織りものが窓からぶっ飛んでしまうのです。
つまり、羽織りものの行く末と「心の解放」が連動していることになりますね。

もう一つはいわくつきの「呪い」について、
荒地の魔女にかけられた「呪い」とは、自らの内面にある「呪縛」が顕在化したものです。
だから90歳のオバァから18歳の女の子まで、
「心の年齢」そのままの姿形へと、説明抜きで変わっていくのでしょう。
自ら発した言葉が自らのキャラクターを規定してしまうのは、
映画に限らずあてはまることです。
言葉が持つ力をゆめゆめあなどってはいけませんね。

そうしてハウルと出会うことで変わっていくソフィーは、
ハウルをも変化させていくのです。
何といっても、ソフィーは「励ましの鉄人」ですから!
ハウルは荒地の魔女からも戦争からも逃げることをやめ、
ちまたに広がる「悪意」への対処を覚えていくのです。
その対処の仕方とは、「悪意の回路」を断ち切ること。
ソフィーたちとの小さなコミュニティを立ち上げることから「善意の回路」を
再生させること。これは上の記事でも触れたサン=テグジュペリ『戦う操縦士』の
着地点とも一致しています。
宮崎駿はサン=テグジュペリの『夜間飛行』文庫本の挿絵と解説を手がけるぐらいの
サン=テグジュペリファンですから、『戦う操縦士』も相当に意識していたのでしょう。


舞台背景に目を移すと、ヨーロッパ風の街並みも細密に描き込まれています。
さらに、いつも以上に空撮が多いのがたまらないですね。
これぞ「空撮の鉄人」宮崎駿の本領がいかんなく発揮されています。
サリマンの王宮から逃げるとき、うりふたつの幻影を作るシークエンスはもう最高です!
ブワ〜ンと幻影ができ、かたや敵を引きつけ、かたや動く城へ一直線に進むところは
スクリーンで見てこその、映画的快楽に満ち満ちたシーンです。
ストーリーはいい加減なのに、「私は相手を引きつける」というセリフも
なぜか律儀に反復しています。「階段昇りシーン」といい、どうでもいいところに
こだわりまくっているのがまた魅力でもあります。
とにもかくにも、凄まじいまでの力技で見せきってしまう作品ですね。
このパワフルさはエミール・クストリッツァとタメをはるぐらいです。

そのラストもジョニー・トー先生に並ぶハードランディングとなっています。
落としどころは、カート・ヴォネガット言うところの、「人口拡大家族」、
寄せ集めの家族となっているのです。
かつての作品では人間だの自然だの世界だの、変につっぱった大文字の主張、
たとえば、

「人間は大地がないと生きられないのよ!」in『ラピュタ』
「腐海を作ったのはほかならぬ人間なのよ!」in『ナウシカ』
「生きろ!」in『もののけ姫』

と言っていたのが、やっと収まるべきところに収まった感があります。
やはり宮崎駿は徹頭徹尾コミュニストです!
この作品であと10年はやれる自信がついたというのもうなずけますね。

そして、この作品のいちばんの功労者は木村拓哉でしょう!
『2046』同様、木村拓哉が出ているからということで、
こういうキテレツな映画がジブリブランドの元で大々的に公開されてしまうのですから
世の中も捨てたものではありません。
政策から個人の人格に至るまで「変わること」を良しとせず、
「そのままの、本当の自分」を認めてもらうことだけに価値を置く
保守本流の真逆を行くのが『ハウルの動く城』!
宮崎作品はこれからも改革をやめません!



pfwfp at 00:07│Comments(0)TrackBack(1)clip!日本映画 

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1. ハウルの動く城  [ 銀の森のゴブリン ]   2005年09月29日 23:37
  「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」は色々なテーマを無理に詰め込みすぎてどこ

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