2008年05月09日
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』〜血なしの怪物〜
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス ディロン・フレイジャー ポール・ダノ ケビン・J・オコナー キアラン・ハインズほか
【あらすじ】(goo映画より)
一攫千金を夢見るダニエル・プレインヴューは、幼い1人息子を連れて石油の採掘を行っていた。ある青年から、「故郷の広大な土地に石油が眠っている」と聞いた彼は、パートーナーのフレッチャーと共に米西部の小さな町、リトル・ボストンに赴き、安い土地を買占め、油井を掘り当てる。しかし、油井やぐらが火事になり、幼い息子は聴力を失う。精神に混乱を来した息子を、プレインビューは彼方の土地へ追いやってしまう。
東京に移り住む前は、週末になれば足しげくミニシアターや特集上映に通って、
月に十数本は映画を見るであろうと想像していたのですが、現実はさにあらず。
この半年間は、映画を見る本数が激減してしまいました。
先月に、いつもブログでお世話になっているrabiovskyさんにお会いしたときも
そのことを指摘されてしまい、耳の痛いことこの上ありません。
なにゆえ鑑賞本数が激減したのかといえば、身の回りがべらぼうに忙しかったなど、
いろいろと理由はあります。ペ・ドゥナが出演する作品が去年に続けてないというのも
かなり影響しています。
『リンダリンダ リンダ』にせよ、『グエムル 漢江の怪物』にせよ、これらの作品を
いわば年間スケジュールの核にしていたこともありますから。
まったく映画を見ていないわけではありませんが、必要最小限の作品しか見ていないと
認めざるをえません。
と言いつつも、ひとたび素晴らしい映画に出会えば、芋づる式に傑作・良作が続くと
いうのも、ここ数年の傾向でもあります。
去年も、上半期は『それでもボクはやってない』を除いて盛り上がりに欠けたのですが、
『河童のクゥと夏休み』を試写会で見てからは、怒濤のごとく良い作品が続きました。
今年も、来月以降になると、三谷幸喜の『ザ・マジックアワー』や、
アカデミー賞の脚本賞を受賞した『JUNO/ジュノ』、
日本映画屈指の監督が手がけた、『歩いても 歩いても』や『ぐるりのこと』、
さらには侯孝賢の企画もの作品『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』、
ポン・ジュノ&レオス・カラックス&ミシェル・ゴンドリーのオムニバス作品『TOKYO!』
とどめにはジョニー・トー先生の最高傑作『放・逐 Exiled』の公開を控え、
今年全体で見るならば満足できるはずなので、きたるべき時を待つべきなのでしょうか。
アカデミー賞関係の作品もいろいろ見ようと画策しながらも、結局のところ、
『ONCE ダブリンの街角で』『ノーカントリー』『アメリカン・ギャングスター』
『潜水服は蝶の夢を見る』(と『JUNO/ジュノ』)、
そして『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を見て打ち止めになってしまいそうです。
『ノーカントリー』と負けず劣らず期待していたこの作品、ですが『ノーカントリー』が
その期待を上回るほどの印象を受けなかったので、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は
以前ほどの期待もせずに、見ることにしました。
そうしたら、これは今年のベストクラスになりうる傑作ではないですか!
もし私がアカデミー賞の作品賞&監督賞に投票する権利があるならば、
『ノーカントリー』よりもこの作品に一票を投じたく思います。
(以下、ネタバレがあるので、未見の方はご注意ください)
『ノーカントリー』よりもこの作品を評価する第一の理由に、ダニエル・プレインビュー
の一筋縄ではいかない人物造形があります。
『ノーカントリー』の殺し屋シガー以上に、複雑な心理状態のダニエル・プレインビュー。
シガーは、常人とはかけ離れた価値基準を持っているとはいえども、価値基準にブレは
ありません。いっぽうダニエル・プレインビューは、その価値基準自体が曖昧模糊と
していて、家族という「他者」を欲しつつも、はねつけてしまう気むずかしい男です。
私はダニエルは富と権力への「欲望のとりこ」になっているというよりも、
欲望の「核」を持っていない人間だという印象を受けました。
映画全体の展開としては、純朴たるアメリカン・ドリームの体現と思わせつつ、
油井を掘り当てたシーンから、ぐっとパーソナルな物語になったと思います。
映画を見る前のイメージとしては、スティーヴン・ミルハウザーがピュリッツァー賞を
受賞した小説『マーティン・ドレスラーの夢』のような、「夢が悪夢に変容する話」
をイメージしていたのですが、それとも趣が違っていました。
いわばダニエルの欲望というのは「他人の欲望を模倣した欲望」というのが、
しっくりくるでしょうか。このような欲望は、誰しもが抱くものでもあります。
他の誰かが油井を掘り当てようとしているなら、自分はそれに先んじたい。
映画のキーフレーズともなった、
「おまえのミルクシェイクを飲んでやる! 全部飲み干してやる!」
は、まさにその欲望を言い当てています。
「自分の」ではなく「おまえ(他人)の」ミルクシェイクを飲むことによってしか
心の空白を満たされないというのが、ダニエルの人物造形のベースとなっているように
思いました。
ダニエルが本当に欲しかったのは「家族」であったのに、そういう「模倣的欲望」が
勝ったのが「独身中年男の悲哀」を誘ったとするならば、
この作品は。ジム・ジャームッシュの『ブロークン・フラワーズ』や、
ヴィム・ヴェンダースの『アメリカ、家族のいる風景』の系譜に連なる作品にも
位置づけられます。ジャームッシュやヴェンダース自身は中年であるものの、
ポール・トーマス・アンダーソンはまだ40歳にもなっていない監督であるのに、
こういう作品をつくるところも興味深いですね。
若いゆえか、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、主人公に関わる女性がまったく
登場しないことが不気味でもありました。
また、この作品を「男の対決もの」として見るならば、『アメリカン・ギャングスター』
と対照的、いわば「ポジとネガの関係」にあります。
『アメリカン・ギャングスター』は、たとえ敵であっても、お互いにリスペクトする
部分はあったからこそ、ラストはお気楽な展開となったのですが、
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はお互いを許容できないあまり、「近親憎悪」も
あってのことか、どんよりとしたラストになってしまいました。
どちらかと、私は『アメリカン・ギャングスター』をより評価しています。
『ノーカントリー』や『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のような作品が「時代の空気」
を象徴しているという論調には、どうも違和感があるもので……。
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
私も最近は鑑賞本数が激減しているので指摘する立場ではないの
ですが(笑)状況によって仕方ないですよね〜。
環境は羨ましいですが(笑)
この映画、私も今年のベストクラスの映画だと思います。
アカデミー賞向きの映画ではないとは思いますが『ノーカントリー』
より上だと思うし 作品賞&監督賞のどちらかを受賞してもおかしく
ないですよね。『ノーカントリー』もアカデミー向きの映画ではない
ですが・・・。
心の空白を満たされないというのはよくわかります。
不気味な笑顔はするのですが、幸せそうな笑顔はほとんどなかった
ように思いますしね。
この映画の不気味さはダニエル・プレインビューの存在によるところが
大きいでしょうね。
こちらこそ、いつもTBありがとうございます。
映画をたくさん見られる環境にあるのに、見たい映画が
少なくなったというのは何とも皮肉なものですね。
来月にはいろいろと面白そうな作品が公開されるので、
そのあたりに風向きが変わるかもしれません。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のほうは、評判どおりの
良い作品でしたね。冒頭20分を映像だけで押し切るのは、
映画ならではの醍醐味がありました。
ただ、『ノーカントリー』や『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のような
テイストの作品ばかりだと、気も滅入ってきますね。
今年はまだ半分も過ぎていないので、去年の『デジャヴ』の
ような、大らかなハリウッド映画が見られることを期待しています。
この映画に一票、というのは私も同感です!
長尺でしたがスクリーンにずっと釘付けでした。
女性が出てこないのは、プレインビューが一般的な「愛」というものから程遠い人物だからじゃないかな・・と思っています。
『JUNO』にも期待ですね。
ではでは、またです。
こんばんは、いつもお世話になっております。TB&コメント
ありがとうございました。
私はひところに比べれば、かなりゆとりのある生活には
なっているので、来月以降はもう少し鑑賞本数が増えるように
思います。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と『ノーカントリー』は、演出力に
かけてはどちらも甲乙つけがたいところですが、
『ゼア〜』のほうが、鑑賞後にいろいろと考えてしまいますね。
たしかに、プレインビューの親が登場しなかったあたりにも、
一般的な「愛」から遠ざかっていたとも考えられます。
まもなく『JUNO』が公開されますが、こちらもかなり良い作品
のようですね。アカデミー賞関係の公開作品としても、
良い〆になるように思います。
確かに『アメリカン・ギャングスター』とは好対照的な映画でしたね。あの作品は実話ベースということもあって割と安心して鑑賞できたふしもありますが、主人公にヒロイックな部分があるかないかという点が、作品印象のギャップにつながっている気もします。
本作のラストについては、私もどうかな・・・と思いました。
ロクな結末を迎えることはないだろうと薄々感じていましたが、ちょっと引っ張りすぎの印象でした。もうすこし余韻を持たせる展開、たとえば息子と決別するくだりあたりで幕引きにしておいたほうが良かったのではないか、そんな気もしています。
こんばんは、いつもお世話になっております。
この作品は、いろいろとネガティブな要素がてんこ盛りなのですが、
監督の鋭い演出力もあって、全体としては私は評価しています。
たしかに、ラスト近くの展開は強引だったきらいもあるのですが・・・。
私も一瞬、息子との決別のくだりで映画が終わってしまうように感じて
しまいました。
PTAの作品には『欲望の「核」を持っていない人間』がよくでてくるような気がします。それに、この核のない人間と、先日丞相さんからいただいた『父の不在』というフレーズが不思議とだぶってしまうのです。ほかのPTAの作品からも、核なき人間の生きづらさ、みたいなものを感じてしまいます。それは極私的な感覚のようで、もっと普遍的なものであるような気もします。難しいんですが、でも作品は理屈ぬきに素晴らしいと感じました。
こんばんは、いつもお世話になっております。
私は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の前に『パンチドランク・ラブ』も
DVDで見たのですが、何らかの「生きづらさ」というテーマは、
ポール・トーマス・アンダーソン監督の作品に共通する要素の
ようですね。
『ゼア・ウィル〜』も、決して好きというタイプの作品ではないものの、
圧倒的な迫力にやられてしまいました。
未見の過去作品も、機会を見て鑑賞しようと思っています。