医療救護班の派遣について全日本病院協会の機関誌「全日病ニュース」
の5月1日号、5月15日号より抜粋して掲載します。
以下ご覧下さい。

■第3次派遣を決定。会員病院に参加を呼びかける(全日病ニュース5月1日号より)

東日本大震災の被災地に対する全日病会員病院等による医療支援は、4月後半に入っても力強く進められている。全日病と医法協合同の医療救護班派遣は、4月29日現在で84班335人に達した。派遣した病院数は実数で45病院を超えている上、福岡県や北海道からの参加も増えるなど、裾野はますます広がりつつある。これ以外にも、県医師会等の要請に応え、多数の会員病院がJMATの一員として被災地に向っている。
医療チームの構成も、当初の医師、看護師、事務という組み合わせから、時間経過にともなうステージの変化を反映し、薬剤師や作業療法士、理学療法士の参加が増えている。
全日病災害対策本部(本部長・西澤会長)は、このほど、第3次医療救護班の派遣を決め、会員病院に参加を呼びかけた。
第3次医療救護班は宮城県気仙沼市にもむき、気仙沼市総合体育館を拠点に、つごう2班が原則3泊4日で交代しながら、巡回診療もしくは避難住民の医療的フォロー等を担う。
第2次派遣組が4月末に引き上げた後を引き継ぎ、5月頭から5月末までの1ヵ月間、気仙沼市とその周辺の医療支援にあたる。全日病災害対策本部は延20班の派遣を見込んでいる。医療救護班の持ち場は巡回もしくは避難所の診療だけとは限らない。今や少なくない医療機関が自力で診療を再開しつつあるが、それに至る前の3月には被災医療機関の診療を手伝ったり、患者の搬送や移送の付き添い、物資の搬入など、予定にない要請に応じてきた。
4月中旬には、福島県相馬市へ避難していた住民が福島市飯坂温泉の避難所に移動することが決まり、第2次医療救護班の医師達が飯坂温泉へ向かう約300名に付き添っている。
震災直後には、あらゆる通信が絶たれる中、被災県当局や消防署、警察、自衛隊に地元の大学病院、災害拠点病院、医師会、各地から来たDMATやJMAT、国境なき医師団のような独自活動の医療チーム等が情報共有もできずに右往左往し、行き当たりばったりの対応で混乱を極めた。
しかし、その後、被災各県は医療コーディネーターを配置して情報窓口を一本化するとともに、厚労省、日本医師会、病院団体等との連絡パイプを確保、現地では、あらゆる医療救護班が一堂に会した情報提供と打ち合わせの会議を開く体制をとるなど、災害医療の取り組みが形を取り始めた。
今でも、被災地によってはコーディネーターが機能しないために、空回りさせられる救護班もあるという。それでも、派遣された医療チームはめげることなく、介護や福祉グループの支援者とともに、被災地の健康確保と疾病対応に全力を傾けている。被災から1ヵ月半、11万人を超す避難所における集団感染の発生は避けられている。しかし、心のケア、栄養不足、慢性疾患対策等、被災地が抱える健康課題は尽きない。


■医療救護班の第3次派遣に19班が応じる(全日病ニュース5月15日号より)

5月15日▲避難所で避難住民の健康をチェックする医療救護班photo

東日本大震災による被災地と被災医療機関に対する全日病の支援活動として派遣されている医療救護班は、現在、第3次派遣(4月30日~6月1日)として19班(72人)の出動予定が組まれている。
いずれも派遣先は宮城県気仙沼市をベースに、3~4日間ごとの交代制で、常時2班の派遣が続けられている。チームはおおむね4人構成を基本としているが、医師と看護師に加え、
リハビリスタッフに事務職を交えたチーム編成が増えている。
全日病災害対策本部(本部長・西澤寛俊会長)は、NPOのピープルズ・ホープ・ジャパン(PHJ)からパソコン300台の寄贈を受けたが、そのうち数十台は医療救護班に委ね、すでに現地で使用されている。残りのパソコンについては被災病院に提供する方針である。(写真は避難所で健康チェックをする医療救護班)
以上です。