PHJミャンマー事務所プログラムマネージャーの志田です。

20175月に赴任してから約2年、あっという間に時が過ぎ、退職の日がやってきました。

 

ミャンマーでは首都のネピド―に事務所があり、そこから車で約1時間のところに私たちの活動地であるタッコン郡があります。人口約22万人の地方都市で約190の村があり、毎年約4,000人の新しい命が誕生しています。タッコン郡の中心部から遠い村々には、舗装されていない道路を車や、時にはバイクや徒歩で向かい、2時間程かかる場所もあります。


さよならミャンマー01


    (タッコン郡内のとある村にて:村の中を徒歩で移動したこともありました。)

 

私は村に行き、直接、村人や彼らの暮らしぶりに触れるのが大好きでした。そこには、電気や水が十分に整備されていないながらも、人々が環境に適応しながらしなやかに生きている姿がありました。



なかでも、ミャンマーの農村部で母と子の命を守る最前線で働いている助産師たちのたくましさには同じ助産師として、本当に頭が下がる思いでした。


自宅分娩に呼ばれれば、昼夜限らず、道なき道をバイクで走り駆けつける、その他にも病人がいれば一般診療も行う、毎月第1週は村を巡回し予防接種を行うなどなど、「助産師」という名前ですが、日本でいったら医師や保健師の役割も担っていることに驚きました。

 

私がミャンマーで仕事が上手くいかずくじけそうな時も、助産師である彼女たちのがんばっている姿をみて、励まされてきました。

 

彼女たちにお礼が伝えたかったので、助産師トレーニングの最終日に短いスピーチを片言のミャンマー語でさせてもらいました。以下、スピーチの一部です。


「私はミャンマーに来るまで、ミャンマーの助産師の仕事を全く知りませんでした。
日本の助産師は母子保健業務に特化していますが、ミャンマーの助産師は他にもたくさん業務があります。私はあなたたちをとても尊敬しています。
そして、一緒に働くことができたことをとても誇りに思います。あなたたちの努力が実を結び、ミャンマーのお母さんと子どもたちが予防可能な原因で亡くなることがないことを願っています。」

さよならミャンマー02


       (最後のスピーチ:途中泣いてしまいました)

 

その後、スピーチを聞いた助産師の一人からメールをもらいました。

「ミャンマーのお母さんや赤ちゃん、子どもたちが健康で過ごせるようにがんばります。

あなたを忘れません。気をつけて日本へ帰ってください。」

 

タッコン郡で、助産師トレーニングや母子保健教育などの活動を通して、ミャンマーの母と子の未来を背負う助産師の教育に携わることができたのは、とても貴重な経験でした。

 

今までどうもありがとうございました。

さよならミャンマー03


        (タッコン郡の助産師たちと:みんなのこと忘れません)