PHJスタッフ日記

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ミャンマー事務所 :: Myanmar

ミャンマー事務所でモニタリング評価ワークショップを実施しました。

ひとつ前のブログに引き続き、ミャンマー出張の様子をご報告します。

今回の出張の第一目的は、現在外務省よりご支援いただいている「ミャンマー農村地域の母子保健サービス改善事業」のモニタリング評価ワークショップ実施です。

ちょうど事業が始まって半年弱。事業開始と同時に雇用した新スタッフも活動地に慣れてきたところで、スタッフ全員で事業や活動についての共通理解を醸成するところに焦点をあててモニタリング評価ワークショップを開催しました。

毎年2回開催し、手順がほぼ決まっているワークショップではありますが、事業の時期やチームの状況によって構成を変えることもあります。今回は、ミャンマースタッフがそろっての初めてのワークショップだったため、全員が議論に参加できることを意識し、チーム作りに貢献できるようにしました。

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グループワークの結果を発表する現地スタッフ

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皆でプロジェクト・デザイン・マトリックス(PDM)を作っています。

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ミャンマーチームの皆さん

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保健局での会合で発表する現地スタッフ

これまでそれぞれの担当箇所しか見ていなかった現地スタッフも、ワークショップで他の人の議論を聞くことによって事業全体に対する理解が深まりました。ワークショップ翌日のタッコン郡保健局関係者との会合で、一人一人のスタッフが成果と今後のスケジュールについて説明することができました。今後、フィールドに行っても事業目標を見据えつつ現地の状況をしっかり観察し、必要な介入について提案できるようなスタッフに育ってほしいと思います。

若いチームではありますが、全員で学びながら目標達成を目指す組織作りをしていきたいと思います。これからも応援よろしくお願いいたします!

(海外事業部 中田)

ミャンマー助産師教育用の骨盤模型を寄贈しました。

先週ミャンマーに出張に行ってきました。

いろいろお仕事をした最終日、活動地タッコン郡にて保健局関係者との会合がありました。事業の進捗ご報告の後、ミャンマー助産師教育募金の資金で購入した骨盤模型(骨盤、胎児、胎盤のセット)を郡保健局長に寄贈しました。

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右がタッコン郡保健局長のDr. Tuntun

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よくできている模型の3点セット

昨年の助産師教育実施中は模型がなく、胎児の回旋などの一部のトピックを簡単な図や口頭で説明しました。今後さらに充実した助産師対象教育を実施するために、タッコン郡保健局側から教育で使用する模型の要望があり、日本で購入した模型を寄贈することになりました。PHJの活動だけでなく、今後の助産師、補助助産師対象の会議やワークショップで存分に使っていただきたいとお願いしてきました。

昨年12月に締め切りましたミャンマー助産師教育募金にご協力いただきました皆様に改めて御礼申し上げます。

昨年に引き続き、今年もPHJは対象地域と人数を絞った形で助産師教育・補助助産師教育を継続しております。若い助産師たちが地域の人たちに信頼され、自信をもって分娩介助ができるよう能力強化に取り組んでいきます。

(海外事業部 中田)

助産師のいないラパン村のその後

助産師がいないラパン村(2017年3月30日に紹介)でしたが、2017年5月24日から助産師さんが配属になりました。
今年から政府職員に採用になったばかりの新人助産師のメイウーさんです。2014年にマンダレーの助産師養成校を修了し、ラパンサブセンターに初めての配属となります。
ラパン新人助産師
                  (メイウーさん)
彼女の出身地はカヤ―州なので、全く知らない土地で最初の助産師としての仕事を始めることになりました。
ラパンサブセンターには彼女と公衆衛生スーパーバイザーの2名が常駐しています。
しかし、6月から公衆衛生スーパーバイザーが6ヶ月のトレーニングに行ってしまうため、しばらくは1人で仕事をしなければなりません。

赴任早々の仕事は、貯め水の中に入れるデング熱予防の駆虫薬を作り、散布することだったそうです。
 メイウーさんにラパン村の住民は助産師が来ること心待ちにしていたことを伝えると、「村の人は親切で、とても協力的です。もし困ったことがあれば、いつでも言ってほしい、この村に長くいてほしいと言ってくれます。」と話していました。
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メイウーさんの勤務先兼住居のサブセンター)
ラパン村の暮らしで一番大変なことは何か尋ねると「タッコン市街から遠く、道が悪いことが一番大変。」と言っていました。そして、実家から遠く離れた見ず知らずの村に移り住み、「家族と会えず寂しい」と言っていたことも印象的でした。
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ミャンマーの助産師は村の一次医療施設のサブセンターに配属され、一般診療から分娩介助、予防接種、結核患者の家の訪問など、その仕事は多岐に渡ります。 
 
ミャンマーのとある地方の村では予防接種をした後に、子どもが亡くなってしまったことがあり、予防接種が直接的な死因ではなかったにもかかわらず、その助産師が村人から責められ、村人から受け入れられなくなったという話も聞きました。 
 村人の健康を守る助産師の仕事は責任重大です。ラパンサブセンターに配属になった彼女の今後の活躍を応援しています。

ミャンマー事務所:志田保子

【ミャンマー】国際助産師の日

55日は国際助産師の日(International Day of the Midwife (IDM))ということで、

ミャンマーの首都ネピドーで開催されたネピドーカウンシル公衆衛生局主催の式典に招待されました。この式典にはネピドー管区に勤務する助産師たちが参加しました。

s_ネピド―管区の助産師たち

式典では、ネピドー管区の各郡の助産師が表彰されます。PHJのプロジェクトエリアのタッコン郡からも助産師を管理監督する立場である保健師長と婦人保健訪問員、助産師の各1名が功労賞を受賞しました。

s_タッコン郡の保健師長功労賞を受賞
(表彰式)

s_保健師長,婦人保健訪問員,助産師
功労賞を受賞したタッコン郡の保健師長(真中)婦人保健訪問員(左)助産師(右)


式典の後半にはタッコン郡の助産師たちが、歌とダンスや母子保健をテーマにした劇を披露しました。劇のシナリオは、タッコン郡の婦人保健訪問員が書きました。

内容は、子どもが4人もいる女性が、アルコール中毒の働かないDV夫との間に5人目のこどもを妊娠しますが、一家は貧困のため、その女性は中絶を決意します。女性は妹に相談して伝統的産婆(TBA)のもとで中絶することとなり、TBAを訪ねました。

しかし、TBAは、昔は中絶をしていたけれど、今は頼まれても必ず助産師に照会するようタッコン郡の院長に言われていると言って、断ります。そこで女性は夫、妹と共に、助産師を訪問します。

すると助産師は、女性には中絶せずに出産するように説得します。そして、夫は生活を改めるように誓います。さらに出産をするなら5人目であることからハイリスクのため、病院で出産するように伝えます。女性が病院までいくお金がないと言うと、助産師はPHJが寄贈した救急車を使うことを提案します。その後、女性は病院で無事出産し、劇が終わりました。

s_劇の一場面 迫真の演技
(劇中:伝統的産婆を訪ねる場面)


劇にPHJが寄贈した救急車の話が出てくることは全く予想していませんでしたが、タッコン郡の助産師にPHJの活動が受け入れられているということがわかり、非常にうれしく思いました。また、同じ助産師として、ミャンマーの助産師たちとこの日を過ごせたことを誇りに思います。

😊

 s_国際助産師の日

 (ミャンマー事務所:志田保子)

 

 

あるミャンマーの助産師さんの話(ミャンマー出張レポートその3)

ミャンマーの助産師さんは高校卒業後に2年の助産師学校に行き、卒業後すぐに村の一次医療施設であるサブセンターに配属されます。サブセンターは村の人口約3千~1万人をカバーし、限られた医療設備しかありません。場所によっては電気や水道がないこともあります。サブセンターでは助産師と公衆衛生スーパーバイザーの2名で対応しています。
s_この地域の地域保健センター
(サブセンター) 

村に配属された助産師さんは妊産婦のケアや、分娩介助だけではなく、サブセンターの一般的な診療から村での予防接種活動、結核患者に対しての家庭訪問、フィラリアの予防薬の一斉投与キャンペーンなどといった公衆衛生活動など、その仕事の内容は多岐に渡ります。日本でいえば、ミャンマーの助産師さんは保健師と助産師の仕事を両方こなしていることになります。そして、周りには頼れる先輩もいなく、1人で対応しなければなりません。配属される村も自分の出身地とは離れていることが多いようです。
s_この地域保健センターの中に助産師さんが生活する部屋があります
(サブセンターの中で助産師さんが生活する部屋もあります。)

私たちのプロジェクト地域のタッコンタウンシップで働く助産師さんたちは全部で30名(2017年3月13日現在)です。彼女たちのほとんどが20代の若い助産師さん達です。その中の助産師さんの1人にインタビューをしてきました。
s_インタビューをした助産師さん

名前 Daw Ei Ei Tunさん 26歳
出身地:マンダレー 助産師歴2年

(この村が卒業後初めての配属)
Q1.なぜ看護師ではなく、助産師になろうと思ったのですか?
A1.
助産師は病院で働く看護師と違って、自分で判断することが多いので助産師になろうと思いました。

Q2休みの日は何をしていますか?
A2
休みの日は基本ありません。時間がある時は保健局に提出するレポートを書いたりしています。

Q3過酷勤務ですが、気分転換はどうしていますか?
A3
遠方に住んでいる彼と電話で話をしたり、フェイスブックをすることです。




日本で考えたら、助産師学校卒業後に1人で離島などの僻地で働くようなものです。
同じ助産師として、見知らぬ地で、たくさんの仕事をこなすミャンマーの助産師さんたちをとても尊敬します。
(海外事業部:志田保子)

取り残される妊婦さん(ミャンマー出張レポートその2)

村で助産師さんが行っている予防接種の活動に同行させてもらいました。
今回訪問した村はGwe Pinという人口1220人、世帯数261のプロジェクト地域のうちの一つの村です。
プロジェクト地域のタッコンタウンシップでは、予防接種は各村、毎月1回行われます。 
そのほとんどが保健・医療施設で行われるよりも、村に助産師さんたちが出向いて行うほうが多いのです。
村での予防接種
 
また、この予防接種と合わせて村で妊婦健診を行うこともあります。予防接種は子どもだけではなく、妊婦さんも対象にしています。それは妊娠中に受けなければならない破傷風の接種が2回義務付けられているからです。そして、助産師さんが常駐するサブセンターから離れている地域に住んでいる妊婦さんたちが妊婦健診を受けられる機会でもあります。そこで出会った1人の妊婦さんの話がとても衝撃的だったので紹介します。


彼女は27歳で2人目の子どもを身ごもっています。
農家で働いており、この予防接種の日も農作業中に畑からコミュニティーのメンバーが連れてきました。
小学校を中退し、17歳の時に結婚し、18歳で妊娠しました。妊婦健診は一回も受けず、自宅で伝統的産婆の元、出産を試みましたが、陣痛が始まってからもなかなか生まれないため、病院に搬送され、出産しました。産後は会陰切開*の痛みのため、歩けなかったそうです。
その後、3ヶ月後にその赤ちゃんは自宅で亡くなりました。病院に連れて行く時間もなく、息をひきとったそうです。
前回の出産の時になぜ1回も妊婦健診を受けていなかったかを尋ねたところ、助産師という存在自体を知らなかった。今回は、妊娠したら助産師に診てもらったほうがいいと、近所の人から聞いたため、助産師の元で一回目の妊婦健診をすでに受けたとのことでした。
助産師が村に訪問する際には村長から直接妊婦さんへ連絡が入ったり、村中に一斉放送をかけたりし、村の妊婦さんが助産師からのケアを漏れなく受けられるようにしています。

しかし、今回出会った妊婦さんは、前回の妊娠の時には居住地を転々としていたため、村長にも、助産師にも把握されなかったようです。今回は妊婦健診を受けられているようですが、彼女は携帯電話をもっていないため、助産師が自分の携帯番号を書いた紙を渡していました。彼女から健診に来ない限りは、助産師は何もサポートできない状況です。
このような事例から、保健サービスを本当に必要としている人々は、こちら側から把握する手段がなく、サービスがいかに届きにくい状況であり、取り残されてしまう存在であることがよくわかりました。
 出産直前まで働かなければいけないと言っていた彼女。今回の出産での無事を願わずにはいられません。
*会陰切開とは:出産の時に、赤ちゃんの頭が出やすくするために膣口と肛門の間を切開する方法

(海外事業部 志田保子)
 

助産師がいない村(ミャンマー出張レポートその1)

プロジェクト対象地の街(タッコン郡)から車で約30分、そこからバイクに乗り換え、上り下りが激しい砂の道をひたすらバイクで1時間の所にその村はありました。
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その村の名前はLatpan。(ラパン)人口約1686人、世帯数340の村です。Latpan村にあるサブセンター(一次医療施設)はLatpanを含め、3つの村を管轄しています。
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(サブセンター外観)
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(物置状態のサブセンター室内)

昨年までは助産師さんがいたのですが、他の地域に異動になってしまったため、今はそのサブセンターを管轄している地域保健センターの婦人保健訪問員が月に1回、予防接種の時に訪問しています。

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(保健訪問員)

その地域の昨年(2016年)の分娩件数は38件でそのうち19件が助産師による自宅分娩、

残りの19件が病院での施設分娩または伝統的産婆による自宅分娩でした。
ミャンマーの助産師さんは妊婦のケアや分娩介助だけではなく、一般疾病の治療も行います。村人の1人は「子どもが熱を出した時に診てくれる医療者がいないので、街の私立の診療所まで時間をかけて行った。交通費が診療代の約5倍もかかった。この村に助産師さんがいないことが問題だ!!」と言っていました。
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今は乾季ですが、今後雨季になってくると砂道はぬかるんでしまいます。
村で妊婦さんが緊急搬送になった場合、赤ちゃんとお母さんの命が危険にさらされてしまう可能性が高くなります。帰り道、舗装されていない道をバイクで走りながら、緊急搬送になった場合にはこの道を通って、一刻も早く妊婦さんを運ばなければいけないのだと実感させられました。
海外事業部 志田保子

ミャンマーでのワークショップ

カンボジア駐在中の中田です。どこの活動地に行っても、現場にいる人たちとお話するのはとても楽しいものです。通訳を介してですが、いろんなことを学べますし、直接言葉が分からなくても、笑顔を交わしているとなんだか気持ちが通じ合っているように感じます。気のせいかもしれませんが。

先週久しぶりにミャンマーに行き、来年度のミャンマー事業計画策定ワークショップを行いました。

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(会議参加者との集合写真)

まずは現地事務所スタッフとのワークショップ開催、その後活動地であるタウンシップ保健局の方々や、そしてネピドー評議会保健局の皆様と、それぞれ会議を設けて新規事業について話し合いを行いました。普段は会うことが難しいであろうネピドー評議会の方々にもご出席いただき、ざっくばらんに考えを聞かせていただきました。これも、普段からPHJとのよい関係が構築できているからできることなのだろうと思いました。今回、全面的に次期事業の方針に関してご賛同いただき、かつ様々な情報もいただき、スタッフ一同次期事業に自信を持つことができました。

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(会議の様子)

もちろん、事業実施はそんなに簡単なものではありません。細かい話ですが統計資料の不正確さを見抜いてきちんとした数値を手に入れることや、サービス提供を村の人たちの生活様式にあわせて当初の想定から形を変えていくことなど、本来あるべき姿からの逸脱をある程度許容しながら進めていくしかありません。これは妥協なのか、適切な変更なのか、といった多くの迷いや試行錯誤が現場にはあります。しかし、あくまでNGOは外部者なので、その地で働く人たちと話し合って決めていく姿勢が大切です。その過程が事業でもたらされる外からの新しい考えを、地域に根付いたものに変えていく力になっているように思います。

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(真貝所長の話を熱心に聞くタウンシップ保健局の方々とPHJスタッフ)

そして、これもまた気のせいかもしれませんが、タッコンタウンシップの皆様が数年前にお会いした時よりも英語が上手になっているようでした。英語の発音が日本人離れしている真貝所長の影響なのではないかと密かに思っています。
 
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(いつも協力してくれる現地のパートナー)

気のせいであろうとなかろうと、現地の方々の歓迎の姿勢にいつも感謝しております。「母と子の健康」をキーワードに、これからもピープルズ・ホープ・ジャパンは地域の人々と共によい変化を起こしていくような事業を実施していきたいと考えています。

(海外事業部 中田)

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