2006年10月04日

接触。

さて、今回の53pick Upには吉田幸二氏が参加していました。私は、なるべくその人となりを把握したかったので、周囲に気を使った言動にならぬよう本人が一人になった時に「バス問題」の話題で話し掛けてみました。私個人としては肩書きや属性で判断するようなことはしていないつもりですが、もし、吉田氏に「C-Dです」と名乗ったら、その時点で拒絶反応を起こさないとも限りませんので「釣り文化協会の○○です」と名乗るだけにして(別に嘘をついているわけではありません)各論での反論は控え、自分がどう思っているのかという点を注意して聞いてみましたが、あまり気を使う必要は無かったかもしれません。

結論を一言で言えば、「悪意無き公私混同」と言ったところでしょうか。
例えば、吉田氏は罵州雑言を個人的なコラムとして認識しているようですが、「なぜ個人的なコラムをWBSという団体のHPにupしているのか」と聞いてみたところ、「雑誌に個人的なコラムを書いているのと同じで、雑誌ではスポンサーの意向に反したことは書けないが、罵州雑言は特にWBSが止めろと言わないから、個人的に書かせてもらっている」とのことです。これは不特定多数を対象として情報発信する際に考慮すべき影響力に対し「そんなつもりは無い」と言っているのですが、いい年した分別もある大人が直接「止めろ」と言われなければ、何をしても良いのでしょうか。予想以上に言ってることがてんちょと全く同じです。
WBSのHPで吉田幸二が発言していることが、「そんなつもりは無い」で済むでしょうか。また、「そんなつもりは無い」なら真意は何処にあるのか不思議でしたので、「では、何のためにあんな敵を想定した書き方をするのか」と聞いてみましたが、やはり「あれは同じバサーに対して、個人的に書いている」という感じの答えでした。
雑誌ではスポンサーの意向に反した発言は出来ないでしょうが、そもそもスポンサーが発言を制限するのも、不特定多数に対するその影響力を考慮するからです。それをWBSのHPでスポンサーに直接制限されていないからと言って、その発言の影響力がいきなり消えてなくなるわけではないのですから、考慮すべきことはあるのではないでしょうか。
結局、吉田氏にはスポンサーしか見えていないのだなと言う感想は飲み込んで話を続けましたが、吉田氏曰く「自分はバス釣りを通じて水辺が汚れていることを知ったから、ゴミを拾っている」ということでしたので、「でも、それはゴミ問題ですよね」と聞くと同意していましたが、「では、何故ゴミ問題をバス問題に結びつけようとするのですか」と聞くと、また「そんなつもりは無い」とループしていました。
私は論破目的ではありませんから各論での反論は(なるべく)控えてましたし、雨のおかげでそばで話を聞いている人間はいないのですから、吉田氏も特に布教する必要も無かったはずですが、「想定している敵は誰なんですか」と聞くと、「タナゴを守りたいとか言っている人達はバスだけが悪いかのように思っているから、それだけじゃないと言っている」という内容の答えでした。
発言内容を理解した上で「(具体的に)それは誰のことか?」とその根拠を聞いているのに、また相手の理解している発言内容を繰り返して答えるというのは、自説に都合の良い根拠(想定される敵のイメージ)を自分で作り出してループしているということです。大体、同じ「バサー」に向けたコラムで「タナゴを守りたいとか言っている人達」相手に、「それだけじゃない」と言うことに何の意味があるのかと思いましたが、それは言わずに「バスは今や全国何処にでもいる魚になりましたけど、タナゴや在来の小魚を守りたいとする人達には、バスのいない環境を選択する余地は無いんじゃないですか」と言うと、それは曖昧ながらも認めていました。
しかし、さらに話を進めていくと今度は、「自分の目でバスが共食いするほどの状態は見たことが無いから、そのために(環境を選択できるようにするために)何かをするつもりは無い」とのことです。スポンサーを気にする吉田氏が共食いするほどのバスを見たら、「ベイトフィッシュ」の放流をしそうな気もしますが、「自分はゴミ拾いで手いっぱいだから、そういうこと(環境を選択できるようにするための努力)は業界がすればいい」だそうです。
また、「自分の目で見たものしか信じない」と言う吉田氏に「吉田さんは自分でどう思っていようと看板なんですよ」と言うと、その点は否定しなかったのですが、吉田氏は「バス釣りをやっていて水辺に不法投棄された“外来ゴミ”を見て、何とかしたくて」ゴミ拾いを続けて来た筈です。それをどう控えめに見てもバス業界ど真ん中だと思われる自称「日本初のバスプロ」が、同じく不法投棄された「外来魚」に困っている人達がいる事実は見ようとせず、同じ環境回復の努力としてゴミ拾いのような「そういうこと」はしなくていいと考えるのは矛盾ではないでしょうか。
その後も毎度おなじみの「バス擁護論」しか聞けず、私には「バス擁護論」を本気で信じているらしいと感じられました。

吉田氏は予想していたより小さく若干シャイな感じです。こうして書くとなんか悪口っぽいですけど、私は別に個人的な恨みつらみがあるわけではありませんので、現場ではケンカ口調で剣呑な雰囲気だったということもありません。何より、てんちょがそうであったように人当たりもいいし、人間的には本当に「いい人」として私個人は好感を持ちましたが、今、水辺のゴミを「なんとかしたい」とゴミを拾い「いい人」として行動している吉田氏だからこそ、その「いい人」であるという事実判断をもって、かつて自身が密放流していたことも「善」として肯定しているとしたら、事実判断と価値判断を混同しているので矛盾しないのかもしれません。
しかし、その自覚の無さ故に「悪意無き公私混同」という評価になってしまうのです。そして、「悪意が無い」から「いい人」だから、全てが許されるわけではないのが社会のルールです。

10/3『霞オヤジの罵州雑言』
■ その787 オレの魚は40数種!
http://www.wbs1.jp/cgi-bin/bass_frame.cgi?ID=061003
>するてぇーと、海の魚の多くが魚食性が強いので、
>馬鹿の一つ覚えのような「バスの食餌圧」って言葉は、
>ここ霞ヶ浦では絶滅危惧語になるかも知れないなぁ。
>これこそ、生態系原理主義の人たちは、
>この言葉を大切に保護してあげる必要が・・・・あるねっ。
>利権を手にするための新造語だからね。

そもそも、「バス問題」で「生態系原理主義」や「生物多様性原理主義」といった「〜原理主義」、他にも「擁護派」や「駆除派」といった事実に基づかない夢想をレッテルとして概念化したのはゼゼラ氏であって、とっくの昔に論破・否定され一般概念としては通用しなかったそれら過去の遺物を「馬鹿の一つ覚え」のように未だに「大切に保護」しているのは、自説の根拠としてその概念を「必要」としている吉田氏のような特殊な方々だけだと思うのですが、吉田氏の言によれば、上記に引用した文章は「少しでも在来の自然を守りたいと言う人は利権を手にするために、バスの食害という馬鹿なことを訴えている」ということを、「バサー」に向け個人的に大本営発表しているということだそうです。

phantom3xv at 00:33│Comments(6)TrackBack(0)バス・外来種問題 

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この記事へのコメント

1. Posted by 管理人   2006年10月04日 00:45
お待たせしました。
2. Posted by ブラ汁   2006年10月04日 02:11
乙です。
これからしばらく「西の人」となりますので、よろしゅうに。
3. Posted by 794@前スレ   2006年10月04日 04:51
 雨の中お疲れ様でした。
 タナゴですか。土浦では、釣具屋さんや釣り場でタナゴ釣りが盛んなんだなと思われる光景を目にしましたよ。釣り場を案内してもらったタクシー運転手さんが、タナゴが減ったのは販売目的で釣る人が多いからだと言ってました。心無い人がバスを放すと言ってた人ですが。運転手さんが特別のなのか、それとも土浦では一般的な見方なのかはわかりません。それと、少し前の関西テレビで、希少種が減ったのは日淡マニアが原因だと10分ほど時間をかけて特集していたのには驚きました。
(続きます)
4. Posted by 794@前スレ   2006年10月04日 04:52
(続きです)
 ネット上の駆除派側の発言が業界人とかに伝わるように。バス釣り人側の発言も駆除派側に伝わります。氏は、こんなインターネットの働きについて、そこで何かを書こうとすると、ついつい過剰な表現になってしまいがちなことも含めて、十分、理解されておられます。じゃあなんで?そんな疑問もあるとは思います。それについては、わたしがここで、何かの答えを書くのは適当ではないかもしれませんね。わたしでは無い人の想いを、わたしが代弁することはできませんから。
5. Posted by 釣り人   2015年11月21日 21:52
はじめまして。

ゲリラ放流の張本人なら、罰せると思うのですが、誰も責任をとらせないのでしょうか?
ちょっとした疑問です。
6. Posted by 管理人   2015年11月21日 23:26
釣り人様

はじめまして。
これはまた、随分と前の記事にコメントいただき、ありがとうございます。

責任を取らせることはできないのかということですが、今なら、立証さえできれば、外来生物法違反ということで罰することも出来るでしょうが(先日の浅野大和のように)、かつて、吉田氏が自身の密放流を記した「バスフィッシング(アテネ書房:昭和59年発行)」という本も廃刊となって入手も困難ですし、それ以前に当時は、外来生物法はありませんので、同法で罰することはできませんが、当時でも、不法投棄や業務妨害で訴えれば、もしかすると、罰することが出来たかもしれませんね。
しかし、密放流犯を法的に罰することができたとして、一時的に懲罰感情は満たされるかもしれませんが、放流された魚が水中を自由に泳いでいる限り、問題は解決しませんので、それで責任を取ったというのも違う気がします。
と書くと、何だか密放流犯を庇っているように思われるかもしれませんが、私も個人的には、密放流犯を罰したい気持ちはありますし、罰せられるべきだとは思います。しかし、ただ、それだけでは、この問題は解決しないということも忘れないでもらいたいと思うのです。

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